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スリランカ滞在記〈後編〉

日付:2019年8月10日

 前号に引き続き、「長光寺通信」第十七号所収、二十九期・岸崎晃一郎さんのスリランカ滞在記を掲載させていただきます。(紙面の都合上一部省略あり。)

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  滞在した瞑想センター
 その後、私は近くの瞑想センターに六日間滞在させていただきました。ここは村から山道を一時間ほど登った所に位置し、眼前には高原を一望できる絶景が広がっていました。建物は可愛らしいレンガ造りで、美しい草木に囲まれ、気温も涼しげ(夜は肌寒いくらい)で過ごしやすく、素晴らしい所でした。

 ここには、五日間と七日間の瞑想プログラムがあります。ひたすら座って瞑想するのではなく、「歩く瞑想」、「動きの瞑想(ヨガや太極拳など各自自由にやってよい)」といった、さまざまなスタイルの瞑想を一日のスケジュールに組み込んであります。

 訪れた当初は、ちょうど前のプログラムが終わったところで、人が少なかったのですが、次のプログラム(最後の二日だけ参加することができました)が始まる頃には欧米系を中心とする参加者でいっぱいになりました。瞑想(マインドフルネス)が欧米で人気が高まっているという事は、本などでは知っていましたが、実際にそれを感じることができました。

 肝心の瞑想の中身はというと、二日だけの参加ではほんのさわりだけといった感じでした。ただ、これは実際に先生もおっしゃっていた事ですが、「瞑想方法は無限にある、けれど、その求めるところは全部同じなんだ。そして、それはお釈迦様の時代から変わっていない」ということの中に本質があるように感じました。

 私は日本で仏教に触れる中で、屢々、瞑想中心の上座部仏教は「大乗」に対して、自己の悟りに偏った「小乗」である、というやや見下された見方があるように感じることがありました。大乗仏教では仏法を学ぶと共に、自分のことをなげうって他者を利する、そんな無私の行の内に菩薩の道があり、それらを通じて、究極的には全てのものに仏性が備わっており、私と他者の違いなどないという〝気づき〟に至ることを目指していると感じます。

 上座部の瞑想が目指すのもこの〝気づき〟ではないかというのが私の率直な感想です。瞑想とは要するに全ての対象をありのままに観察する訓練です。普段、物事を「私」を通して常に歪めて見ているという事実に気づき、呼吸を観察する事からスタートして、全ての事を「私」を抜きに観察するのです。「観察する」というのも通常「私」を起点に行っているため、次第に矛盾が生じてきますが、ただ「ある」ための訓練といいましょうか。

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瞑想センターより遠方を望む  
 大乗仏教を学んでいると理念の美しさに感動するのですが、「どのように無私になるのか」という具体的な方法がよくわからないと感じます。坐禅はそれを理解するための重要な実践の一つですが、やはり曖昧なところがあるように思います。上座部の瞑想はまさにこの「どのように」という疑問に対する明快な答えを提示している様に思います。

 私は仏教によって心を癒された自分の経験も踏まえて、またそれがそもそも「不二の教え」を説くように、「小乗」、「大乗」の差別の相に捉われたくないと願っています。

 それぞれの流れは、源を同じくし、また、それが存続しているということ自体が、求められ、残されてきたという事実を証明しています。それぞれに利点があり、活かせるものは活かして目指すべき道を辿ればいいのではないでしょうか。

 現に、多くの人々がそれによって、救いの道を見い出し、教えを求めて海を超えてはるばるやって来ているのです。ここは欧米のみならず、ヒジャーブを被ったイスラムの方、タイで出家した香港人の僧侶、肌の色や性別も問わずあらゆる人に開かれています。違いにこだわって争うのではなくて、お互いの美点から学び合うということは、宗教に限らず、グローバル化する社会のあらゆる局面において求められているあり方ではないかと感じました。

 今回の旅では異なった言語での生活に苦労したと共に、言葉を超えて通じ合い、共有出来る文化の再認識ができたように思います。

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