その他

インド仏教発見の旅 感想文①

日付:2019年8月10日

「ブッダロード・お釈迦様の生涯と生きたインド仏教発見の旅」を終えて

佐野 靖夫

 大きな事故もなく、お年を召された方々がいると聞いて体調を崩されないかと心配しておりましたが、ひとまず無事に旅を終えられたこと心から感謝しております。インドにおいてお釈迦様の足跡を辿るということは、一般の旅行と違って移動が多くなります。というのは、お釈迦様は定住されることなく、生涯をかけてあちこち歩きまわったという事実。それから、ほとんどの仏跡がついこの間まで砂に埋もれていたという事実があります。その中で、短期間で仏跡を巡るということは、当然強硬スケジュールとなるわけですが、実はその移動の道々こそが、お釈迦様が目の当たりにして、ご自身の思想を育んだものであるということでもあります。とんでもない経験をしたということでもあるでしょうが、インドでの仏教はそのような環境で創られました。またネパールで見た仏教は、日本のそれとはずいぶん違うものと思われたかと存じます。正統とされる仏教は十三世紀初頭インド後期に入ると、イスラームの難を逃れるためにヒマラヤを越えチベットに亡命しました。ヒマラヤを越えられなかった人々が細々とネパールに仏教を続け、その後、チベットから仏教が逆輸入されるという現象が起こっています。それを確認したくてカトマンズ行きを計画しました。

 感じたことは人それぞれと思いますが、仏教の深奥について考える機会ができたとすれば、私自身望外の幸せであると同時に、「ほとけには私たち自身がなる」という、お釈迦様の教えに少しでも寄与できればと祈念する次第であります。


金剛法座での「自発動

第十六期 秋山 光雄

 アジアを一言で表すと、「混沌」。牛、ヤギ、鶏、豚等の動物と一体なって生活している風景や、街では私たちには混乱としか見えない車と人の動き中に、不思議な秩序があることを見ることで実感できました。動物との生活をみると、涅槃図に多くの動物が悲しんでいる姿が描かれている意味がわかったようにも感じられます。

 ブッダが悟ったとされる金剛法座は、以前、日本人がよじ登りそれ以来、結界ができ、法座をよく拝見できなくなったとのガイドの説明がありましたが、ブッダの悟った時のパワーと二五〇〇年間の信者の祈りで、最強のパワーを有する、ポイントになっているようで、金剛法座の前では、自然に身体に動きが起こる、「自発動」が起こりました。感動の一瞬でした。これは京都広隆寺にある国宝、弥勒菩薩半跏像を拝観した時にも起こり、二度目の経験となりました。

 涅槃堂では現役の雲水にも負けない大きな声で声明を唱えることが出来ました。八十歳で亡くなり、多分耳も遠くなっているブッダにも聞こえたのではと勝手に納得できました。仏教徒として人間ブッダを実感できた貴重な旅となりました。ありがとうございました。


お釈迦様が身近に...

第十六期 永樂 達雄

 時代は違えど、お釈迦様が生きられた土地に立ち、景色、音、空気、光、風を感じながらお釈迦様を思った時、ふっと、人間お釈迦様が浮かんできました。釈迦牟尼仏という仏様の前の人間、尊名のない一人の人間としてのお釈迦様です。四門出遊、苦行、瞑想と悟り、教化、そして最期の旅...とたどっていると、人生に悩み、思いにふける一人の人間像が身近に現れます。仏教が馴染むのは、この人間性のイメージの故かと納得しました。

 この旅で確かめたいことが一つありました。最期の旅の終盤、ヴァイシャリの街を振り返ったお釈迦様が「ヴァイシャリは楽しい。この世は楽しい。人の命は甘美なものだ(味わい深い)」と阿難陀に話します。「一切皆苦」を説いてきたお釈迦様の「楽しい・甘美」の言葉は矛盾していますが、これは、「抜苦与楽」の仏道が成就したとき苦が楽に転じるという真の成道を示しているのか、必然の死が目前になったとき、生も死も苦も楽も超越した甘美な世界が現前するということなのか、それとも...、それを考えるには十日間の旅は短かった、です。


熱気と静寂

第三十一期 湯本 崇雄

 ブダガヤなど二千五百年前の仏跡に集まる多数の巡拝者。沐浴や火葬を静かに呑み込むガンジズ河。水牛など動物たちと共に暮らす人々。この旅で訪れたインドの田舎では、これぞインドといえるような悠久の景色に度々出会うことができました。

 しかし一方で、十三億人まで膨張した人口と押し寄せる資本主義の圧倒的なエネルギーが地方都市にも充満している現代のインドの姿も実感できました。狭い道路に犇めく人と車。沢山の人の声が醸し出す独特のざわめき。街中に響き渡るクラクションの音。赤レンガを基調とする街並みに人や車が巻き上げる粉塵が混じってくすんでしまった景色。雑踏? 熱気?混沌? 得も言われぬ光景でした。

 日本もこんなエネルギッシュな時代があったはずと思いつつ東京に降立った時、その静寂さに驚きと怖さを感じました。どちらがどうという話ではないのですが、彼我の差をどう考えるべきか正直戸惑いを禁じ得ません。


雨のブッタガヤー参拝

第十九期 山崎 宏

 雨降る早朝、まだ暗闇の中、ブッダが覚りを開いた聖地・ブッタガヤー参拝が一番印象深い。雨具をつけた参拝の人々が列をなして順番を待っている。やっと入場となり、入口を通りまず靴・靴下を脱ぎ素足になる。雨が小降りながら降っているので地面は濡れていて冷たい。やっと全体を見渡せる場所に立つとライトアップされた神殿様式の九層から成る寺院(高さ五十二メートル)・マハーボディー寺が目に飛び込んできた。ああ、この重々しい、荘厳な寺院が、ブッダが覚りを開いた場所に建立されたのか!と感無量である。

 しばし感慨に浸り、寺院奥の内陣に坐している仏像(ブッダが説法印を結んでいる)に参拝。広大な寺院の周辺には一人静かに瞑想している僧侶、お経を読む若いアジア系の女性など国籍も違う素朴な姿に感銘。ここで感じたことを二つ記してみたい。

①雨上がりの寺院内を裸足で歩いたが、ブッダは素足で歩き、一枚の布を身にまとい、八十歳になるまで説法行脚の旅を続けた。そのご苦労の一端を素足で感じ入ることができた。

②ブッダ最後の言葉が『もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠けることなく修行を完成しなさい。』(大般涅槃経)であった。今回の仏跡四大聖地参拝、インドの風土・人々・気候等に触れ、あらためてブッダの言葉『怠けるな!』が身に沁みて感じた。

 今後の仏道精進にあたり、大きな励ましを頂いた「ブッタガヤー参拝」であった。

カテゴリー:その他

  • 平成31年度(第32期)塾生
    「塾生募集のお知らせ」へ
  • 卒業後、それぞれのあゆみ
  • カリキュラムのご紹介
  • 機関誌「仏教文化」
  • 東京国際仏教塾20年の歩み
  • 塾生統計等
  • プレスリリース

東京国際仏教塾

新宿事務所 〒151-0053
東京都渋谷区代々木2-4-3
町屋事務所 〒116-0001
東京都荒川区町屋1-2-1-3F

TEL:03-3809-5930 FAX:03-3809-5935

ウェブからのお問い合わせ

このページの先頭へ