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仏教童話『スジャータと父』

日付:2009年12月10日 関連記事:「仏教文化」142号より

 昔(むかし)あるところにスジャータという少年(しょうねん)がいました。

 スジャータの(ちち)は、父親(ちちおや)()なれた(かな)しみから()(なお)れず、()いてばかりいました。

 (ほね)(にわ)()め、その(うえ)()てた(とう)(はな)(そな)えては(なげ)き、(みず)(そな)えては(なげ)いて()()らしていました。食事(しょくじ)ものどを(とお)らず、何事(なにごと)()につかない状態(じょうたい)です。

 そんな(ちち)様子(ようす)に、スジャータはすっかり(こま)ってしまい、(かんが)()んでしまいました。

 ある()町外(まちはず)れを(ある)いていたスジャータが一頭(いっとう)(うし)死体(したい)()つけたとき、ある(かんが)えがひらめきました。

 (かれ)(くさ)(みず)死体(したい)のそばへ()っていくと、()んだ(うし)(はな)しかけました。

 「さあ、お()べ。さあ、お()み」

これを()(ひと)たちは、(おどろ)いて()いました。

 「大変(たいへん)だ。スジャータは()(くる)ったぞ。」

 人々(ひとびと)はスジャータの父親(ちちおや)のもとに()けつけると、その様子(ようす)()げました。

 (おどろ)いた父親(ちちおや)は、スジャータがいるという町外(まちはず)れへと(いそ)ぎました。

 ―スジャータの()(くる)ったなんて。もしそれが本当(ほんとう)だったらどうしよう。

 そう(おも)うと、(ちち)()くした(かな)しみはすっかり()えてしまい、(こころ)(なか)はスジャータのことで一杯(いっぱい)になってしまいました。

 スジャータのところへたどり()くと、(かれ)(むか)かってうたを(とな)えました。

仏教童話『スジャータと父』

 どうしてお(まえ)は 青草(あおくさ)
 ()()(たば)ねて ()ってきて

 (うし)死骸(しがい)に ()()えと
 (かた)りかけたり してるのだ
 (みず)()(もの) (あた)えても
 ()んでしまった この(うし)
 (いき)()(かえ)す わけもなし
 お(まえ)()びかけ 無駄(むだ)なこと

 スジャータはこれに(こた)えてうたを(とな)えました。

 (うし)(あたま)は (まえ)のまま
 (あし)もしっぽも その(みみ)
 ()きてたときの ままにある
 ()(かえ)っても 不思議(ふしぎ)じゃない
 祖父(そふ)(あたま)は もう()えず
 手足(てあし)(いま)は ここになく
 それでも(はか)で ()(ちち)
 むだはあなたの (そば)にある

 このうたを()いた(ちち)は、息子(むすこ)(かな)しみにおぼれている自分(じぶん)()()まさせようとして、こんなまねをして()せたことに()づいたのです。

 この()(なか)物事(ものごと)はみんな(うつ)()わっていく。永遠(えいえん)(おな)姿(すがた)でいられるものはないのだと()った父親(ちちおや)は、息子(むすこ)感謝(かんしゃ)()めて(ふたた)びうたを(とな)えました。

 (あぶら)(そそ)いだ ()のように
 (わたし)()える (かな)しみを 
  (みず)(そそ)いで ()すように 
 お(まえ)はそれを ()()った
 (ちち)をなくした この(むね)
 (かな)しみの()が ()()した
 お(まえ)はこの()を こともなく
 ()いて(かな)しみ ()()った
 (かな)しみ(はな)れ (きよ)らかに 
 (こころ)()んで ()(わた)
 お(まえ)言葉(ことば)に (いま)はもう
 (なげ)(かな)しむ ことはない
 智慧(ちえ)慈愛(じあい)を もつ(ひと)
 (ちち)(すく)った スジャータの
 ように(まよ)いや (かな)しみを
 (てん)じて(ひと)を (すく)()

(ジャータカ352)

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