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シルクロードに鳩摩羅什三蔵法師の足跡を訪ねる

日付:2011年1月20日 関連記事:仏教文化148号

莫高窟修復完成式典にも参加

大乗仏教の基礎を築いた先徳をしのぶ9日間の旅

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遠方に広がる壮大な景観 スバシ故城にて
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 十月十四日から二十二日にかけて、「シルクロードに鳩摩羅什三蔵法師の足跡を訪ねる旅」が催行されました。

 中国・新疆ウイグル自治区のウルムチを起点に、クチャ、トルファン、敦煌、西安を回る九日間の旅で、仏教塾の塾生および卒業生を含む二十四名が参加しました。

 鳩摩羅什(紀元三四四年~四一三年)は「法華経」、「阿弥陀経」など種々の大乗経典の翻訳に従事し、今日の日本仏教の根底をなす大乗仏教の基礎を作った方といえます。

 鳩摩羅什の故郷クチャから、生涯を閉じ、遺骨が納められている西安まで足跡をたどり、また、彼の実像を知ることがこの旅のテーマです。

 このほか、大洞塾長が代表世話人を務める「敦煌と日本の有好の会」が事業の一環として行っている敦煌・莫高窟修復の完成記念式典にも参列し、敦煌研究院のご厚意で多くの特別窟を見学することができました。

 最終日の西安では、真言宗コース卒業生等からの要望で、弘法大師空海が恵果和尚から密教を学んだ青龍寺に立ち寄るというおまけも。九日間で多くを回るため、あわただしくはなったものの、充実した内容となりました。

 

鳩摩羅什の足跡をたどる

148-4-1.jpg楼蘭美女が納められている新彊自治区博物館

 まずは鳩摩羅什の故郷であるクチャよりはじまります。古代亀茲国の中心地であったところです。

 二日目、ウルムチ市内の新疆ウイグル自治区博物館にて楼蘭美女などのミイラと対面したのち、空路クチャに向かい、翌日クチャ市郊外にあるキジル石窟およびクムトラ石窟の見学を行いました。

 これらの石窟は紀元四世紀から十一世紀にかけて開削されたと考えられております。鳩摩羅什の在世していた時期と重なっており、彼がこちらに来て瞑想したり説法を行ったりしたのではないかと考えられます。

 鳩摩羅什の実像についてはまだ明らかになっていないことが多いのですが、母親は亀茲国王の妹で、アーリア人の血を引くと考えられます。

 古代亀茲国では、子供を扁平頭にする習慣があったとされます。四日目には亀茲博物館においてキジル美女といわれるミイラを見学しました。

148-4-2.jpg川を間近に臨むクムトラ石窟

 キジル美女の頭蓋骨は扁平頭であり、同博物館における胸像レプリカの頭部も同様に扁平であり、古代亀茲国人に何らかの身体的特徴があったことがうかがえます。

 四日目の午後は鳩摩羅什生誕の地・亀茲故城と鳩摩羅什が修行したとされるスバシ故城(仏寺)を見学しました。かなり風化しておりましたが、厳しい自然の中にたたずむ姿は壮観でした。

 紀元三八二年には前秦の派遣した呂光により亀茲国は征服され、鳩摩羅什は囚われの身となり、しばらく姑蔵(現在の武威市)に滞在することになって、のちに長安へ向かうこととなります。

148-4-3.jpgキジル石窟遠景

 我々も同じく東に進んでいきます。

 六日目、敦煌では鳩摩羅什の経典を積んだ白馬を祀るという故事のある白馬塔を見学。

 最終日には西安市の草堂寺を参拝しました。ここは中国へ連れてこられた鳩摩羅什がサンスクリット文献の翻訳活動を行った寺として知られ、鳩摩羅什の舎利塔もあります。

 住職・釈諦性師のご厚意で内部に入れていただき、参加者は舎利塔に直接手を触れ、鳩摩羅什の偉業をしのんでおりました。

 

当時の仏教信仰を知る

148-4-4.jpgベゼクリク千仏洞にて

 旅行の中心となるのはやはり石窟寺院の見学です。

 まずは三日目のキジル石窟では、特別窟である第三十八、六十九窟をふくめ、西区にある九つの石窟を見学しました。午後のクムトラ石窟では九つの石窟を見学しました。

 これらは主に紀元四世紀から七世紀のもので、朔像はありませんが、壁面には仏伝(釈迦の誕生から涅槃に至るまで)、本生譚(前世物語)が描かれております。

 なかでもクムトラ石窟の新二号窟では、天井に描かれた十三体の菩薩像がきれいな形で残っており、参加者からは感嘆の声が聞かれました。

148-5-1.jpgスバシ故城の仏塔

 異宗教の支配を経たこと、現地住民の生活の場として使用されたこと、または川に近く浸食を受けやすいという自然条件など種々の原因により壁画の多くは消失しましたが、主窟・後窟には仏画が残存しており、かすかにのぞかせるその姿に、当時の僧院の様子がしのばれます。

 また、統治者の変遷も石窟寺院の壁画に影響を与え、中には漢民族様式のものもみられます。

 五日目には高速道を使って、ウルムチから約一八〇キロ離れたトルファンに赴き、六世紀に築かれたとされる交河故城、玄奘三蔵が滞在したとされる高昌故城をめぐり、火焔山を経てベゼクリク千仏洞を見学しました。

 ここでは、主に十世紀から十一世紀のものとなる六つの石窟を見学しました。

148-5-3.jpg莫高窟九層楼前にて法楽を捧げる

 また、七日目の敦煌莫高窟の見学では、修復が終了したばかりの第二十三、四十四窟をふくむ十五の石窟を、敦煌研究院主催の昼食会を挟んで見学しました。

 これらは主に唐時代のもので、大仏、巨大な寝釈迦仏もあって、前に見てきた石窟とは異なる様式の石窟を多く見学することができました。

 これらの仏教遺跡は観光地として整備が進んでおり、中国各地からも訪れるようになっています。

 しかし我々にとって、この旅は巡礼の旅でもあり、敦煌莫高窟ではまず、第九層楼の前で、浄土門系の方と聖道門系の方がそれぞれ、歎仏偈、般若心経の法楽をささげ入場。最終日の草堂寺においても舎利塔前で同様に勤行を行いました。

 このほか、クチャ、トルファンの石窟寺院跡でも、祈りの場であったことに思いをはせ、お経や真言を唱えられる方もおりました。「仏様がそばにやってくるような気持になりました」という声も聞かれました。

 

現地機関との交流

148-5-2.jpg敦煌莫高窟修復完成式典にて

 塾長は、「敦煌と日本友好の会」を主宰し、敦煌莫高窟の修復事業への協力を行う一方、鳩摩羅什三蔵法師を顕彰する活動を行っております。

 二日目に我々がキジル石窟を見学している間、塾長とキジル石窟研究院との間で鳩摩羅什像の前方に記念館を建設する計画について話し合いがなされ、昼食会の際に塾長と副院長から記念館建設の構想が発表されました。これについて新疆ウイグル自治区政府文物局との話し合いも進んでいるようです。

 七日目は敦煌莫高窟で第二十三、四十四窟修復完成記念式典が行われ、参加者は参列することとなりました。

 王旭東・敦煌研究院副院長はこれまでの修復事業に対する協力に謝意を表し、「莫高窟は中国の遺産であるだけでなく、世界の遺産であり、この修復支援活動が日中友好につながることと思う。」と挨拶。

 大洞塾長は「私が莫高窟と最初に出会ったとき受けた感激は人類共通のものだろう。家族や友人を通じて修復活動への寄付を行ってきたが、海外からも寄付が行われるようになっていることは喜ばしい。世界中の人々が莫高窟の大切さを認識し、修復に貢献する人が多く表れること、供養する人の輪が広がって莫高窟が末永く維持されることを願っている。」と述べられました。

148-5-4.jpg塑像の残る敦煌莫高窟44窟

 莫高窟において今回見学できた石窟はすべて特別窟。これが可能になったのは「敦煌と日本友好の会」と敦煌研究院との協力関係があるからです。

 我々が敦煌空港に到着した時、研究院の王副院長が空港まで出迎えるほどの歓迎ぶり。陽関、敦煌古城(映画「敦煌」のロケセット跡)を見学する手はずも整えてくださったのでした。

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