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東京国際仏教塾創立30周年記念特別企画(前編)

日付:2019年8月10日

ブッダロード・お釈迦さまの生涯と生きたインド仏教発見の旅!! の記〈前編〉

198-16-1.jpg 東京国際仏教塾は創立三十周年を迎え、平成三十年十月十日、東京・学士会館において中野東禅先生(塾顧問・前龍法寺住職)による特別記念講演および記念祝賀会を開催、大勢のご来賓・塾卒業生が相集って祝いました。併せて特別企画「ブッダロード・お釈迦さまの生涯と生きたインド仏教発見の旅」が平成三十一年一月二十一日~三十日に催行されました。ここに簡単ながら十日間の道中記をお届けします。多少なりともその雰囲気を味わっていただければ幸いです。

 塾スクーリング講師・立正大学仏教学部講師である佐野靖夫先生同行のもとに、卒業生および現役塾生等総勢二十五名が参加しました。佐野先生には、長時間移動のバス車内や遺跡現地など折々に、釈尊やインド仏教、チベット仏教などについて、適宜解説していただきました。

 インドは、この時季、日本の春に相当し雨も少なく、最高の日程とのこと。メンバーは八十六歳の男性を筆頭に最年少は三十八歳の女性。期別では第三十一期生五名、宗派別では曹洞宗九名を筆頭に、十の期、六宗派の先輩後輩が集う多彩な一行となりました。

 上の図のとおり、釈尊の生誕の地・ルンビニ~入滅の地・クシナガラをはじめとする釈尊の六大聖地を中心に偉大な足跡を訪ね、足を延ばしてネパール仏教にも触れました。

一日目〈一月二十一日(月)〉

成田空港出発 一路インド・デリーへ

 一行は、成田空港でエアインディア航空機に搭乗、まっしぐらに首都デリーへ向かう予定でしたが、機体整備ということで、いきなり何と一時間三十分遅れの離陸。機内食は、さすがインド航空というべきか、早速カレーライスが提供される。狭い機内ゆえ、早々に仲間同士打ち解け、着陸後のインドに想いを馳せる。

 無事、現地時間午後八時三十分(日本との時差マイナス三時間三十分)頃にデリー着。即宿泊ホテルへ。搭乗疲れか、全員が早めに就寝したよう。

デリー:「ノボテルホテル」泊

二日目〈一月二十二日(火)〉

デリー~バイシャリ
デリー市内見学(インド門、国立博物館など)

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 デリー国立博物館 金色に輝く仏舎利塔
 午前中は、専用バスにてデリー市内見学。インドは乾季で暖かく長袖一枚で快適に過ごせるとの話だったが、初日から数日間は雨に降られダウンジャケットが手離せない寒さ。ガイドさんからは「滅多にない体験が出来て皆さんはついている」とヘンな慰め。出発直後、添乗員から「生水は絶対飲まないように!」と強く注意を受ける。旅行中、飛行機、バス、ホテルで必ずペットボトルの水が一~二本配給された。市内では埃を巻き上げながら様々な車が走っているが、日本のスズキ車が一番有名だという。何故ならばスズキが現地生産の先駆けだからとのこと。車窓から見る最初の観光地・インド門は、英植民地時代にイギリス国王を迎えるための門であったが、堂々たる佇まいで歴史の重みを感じさせる。インドの街は、自然環境保護に力を入れているとのことで、公園はもちろん、街中は緑の樹木が多く、白壁の大邸宅(政治家が多いという)も緑の大木に囲まれている。また交差点は、ロータリー形式が多く、乗用車、三輪タクシー、オートバイ、大型トラックなど雑多な車で交通量が多い割にはスムーズに走行している。そのアクロバット的運転技術に目を瞠るが、ガイドさん曰く、インドの運転技術は世界一、インドで運転できれば世界のどこでも運転できるとのこと。

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バス車内にて 佐野先生講義  
 インド門を経て国立博物館へ向かう。独立後(たまたま旅行中に独立記念・憲法記念日に遭遇)創建された国立博物館には、インド全土から全時代にわたる逸品が蒐められている。アショカ王磨崖法勅の複製、マウリア・シュンガ期の彫刻やテラコッタ、クシャナ期の彫刻などが所狭しと陳列されている。また釈尊の生誕物語を描いた、ナーガルジュナコンダの浮彫や、アシタ仙人、シュッドダナー王などの彫刻も見られる。八等分された釈尊の遺骨を納めた舎利塔、踊るシバ神、象牙の中の釈迦の彫刻なども見事である。八等分された仏舎利の一つは、愛知県名古屋市の「覚王山日泰寺」に納骨され、諸宗交代の輪番制度で護られている。余りにも多くの展示品を目の当たりにはしたが、約一時間の見学では、とても頭に残らない。頭の整理がつかないまま空路パトナ、そしてバスでバイシャリへ。

バイシャリ:「レジデンシーホテル」泊。

三日目〈一月二十三日(水)〉

ナーランダ、ラジギール、ブダガヤ
アショカ王柱、僧院・仏舎利塔跡、王舎城、ナーランダ大学、霊鷲山、竹林精舎、ビンビサーラ王牢獄跡、南門

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ビンビサーラ王牢獄跡 遠くに霊鷲山を望む 
 早朝七時ホテル発 バスで今回のハイライトとでもいうべき、バイシャリの遺跡群を巡る。車窓一面に黄色い菜の花畑が繰り広げられる。健康にも良く、インドの名産という。インドは農業国であり工業国であり最先端のIT王国。ガイドさん曰く「インドは白檀から爆弾まで造れる」。

 釈尊在世当時、商業で栄えた大都市バイシャリは、釈尊がしばしば訪れ逗留された。バイシャリを訪れた釈尊は、遊女のアンバパリからマンゴー園を寄進され、猿の群れが釈尊の鉢に蜜を取り供養した逸話が有名である。また釈尊は、このバイシャリの地で死期を悟って最後の旅を続けられ、クシナガラで入滅されたと伝わる。

 この地では、各遺跡を目の前にして、全員で法楽を捧げ、釈尊の恩徳に感謝しつつ悠久の彼方を想い偲ぶことができた。その他広大な僧院跡、仏舎利塔跡を見学し、途中ナーランダ仏教大学跡に立ち寄る。ナーランダ大学は世界遺産であり、先生千五百人、生徒一万五千人を擁する仏教教学センターとして、仏教を大きく広めた大学である。智慧第一と言われた舎利弗尊者、神通第一の目連尊者、そして大唐西域記を著わした玄奘三蔵法師も、この大学で五年間学んだといわれている。深遠な仏教教理がこの地で生まれたことを考えると、感慨一入である。

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  霊鷲山 釈尊が安居された建物の基壇を前に
 ラジギールでは、霊鷲山、竹林精舎、ビンビサーラ王の牢獄遺跡、南門を順次見学。竹林精舎から霊鷲山に向かう途中、「王舎城の悲劇」で有名なビンビサーラ王の牢獄跡を訪ねたが、赤茶けた土が広がるのみで、何の変哲もない遺跡だった。しかしここから彼方に霊鷲山を望むことができる。今回の旅でも、全員が楽しみにしていた訪問地・霊鷲山は、王舎城の南東城外に位置し、鋭く尖った岩が、鷲のように見えるところから、名前の由来となったとされている。

 山頂まで、ビンビサーラ王が釈尊にお目にかかるために造ったといわれる、なだらかな参道=ビンビサーラ・ロードを、徒歩で約三十分かけてたどり着く。途中、乳児を抱いた若い母親や三~四歳くらいだろうか、物乞いに囲まれ、いつまでもついてくる。なかには〝センエン、センエン〟など片言の日本語で物売りも寄ってくる。あらかじめガイドに固く注意されていたことから、目を合わせないよう心を鬼にして振り払う。インドのカースト制度はよく知られているが、今でも厳然として残っているようで、九十九%が身分の釣り合う見合い結婚とのことである。それでも大都会は恋愛結婚が増えつつあるそうだ。

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霊鷲山 仏教僧が静かに読経  
 山頂には釈尊が安居をされた建物の基壇が残っており、世界各国からの仏教徒や参拝者が色とりどりの僧衣や服装で、静かに読経したり瞑想したりしてさまざまに祈りを捧げていた。我々一行も全員で、遠くにアショーカ王が建立したストゥーパを臨みながら、基壇を前に厳粛な気持ちで礼拝・読経。霊鷲山は周りを五つの峰に囲まれ、中国の「五台山」、日本の「京都五山」、「鎌倉五山」など、五山信仰の発祥の地となっているそうな。

 この後ブダガヤに移動して成道の地参拝の予定だったが、交通渋滞で到着が夜更けになりホテルに直行。

ブダガヤ:「スジャータホテル」泊

四日目〈一月二十四日(木)〉

ブダガヤ、ベナレス
釈尊成道の地、初転法輪の地、迎仏の塔、博物館、ダメーク塔、ムーラガンダクティ寺院

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  ダメーク大塔(サールナート)
 前日参拝できなかった成道の地リベンジのため、早朝四時半モーニングコール。オート力車に分乗してまだ暗いブダガヤの街へ。ここで釈尊は何を悟られたのか、四諦八正道あるいは縁起の法等々、今に残る思想・哲学か。聖地には釈尊が悟りを開かれた金剛法(宝)座と聖菩提樹を中心に大菩提寺(マハー・ボディ寺)が建っており、世界中の仏教徒が訪れる最高の聖地である。生憎の雨だったが聖地参拝のルール・心構えとして全員裸足に。濡れた路面のひんやりした感触が心身を引き締める。世界各国からの参拝者で溢れんばかりの大混雑。独特の声明の響きがスピーカーから流れ、それぞれのスタイルで読経や瞑想、五体投地をするハイテンションな雰囲気の中で、大塔内のお釈迦様に手を合わせ、何かを語りかけ、何かを語りかけられる一瞬の時が過ぎる。そんな中、突然の停電! 電力不足は常態のことらしい。

 ブダガヤからベナレスへ。バスの車窓から尼連禅河を眺める。河の中州辺りにあるスジャータ村を訪ねる予定だったが、旅程が詰まって止むなく割愛。釈尊がスジャータの乳粥を召し上がり、元気になられた村の雰囲気に浸りたかったのに...残念!との声もあったが、お許しあれ!

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金剛法座の前で(ブダガヤ)  
 約七時間のバスの長旅がスタート。道路は凹凸が激しく、右に左に大きく揺れる。親鸞聖人が激しく揺れる船上でお念仏を称える姿を表現した坂東曲を想い出す。時には、下からお尻を突き上げるかのような衝撃を味わう。五年前にもインドを訪ねたメンバーの話によると、これでも随分道路状況も良くなったとのこと。確かに行き交う大型トラックには砂利が満載され、その数夥しく延々と走りあるいは道端に駐車している。まさに建設途上の勢いを感じさせる。二十~三十年後のインドに想いを馳せるとき、どのような変容を見せてくれるのか、楽しみではある。

 長旅なのにトイレはほとんど無く、男性・女性に関わりなく青空の下で用を足す。新鮮な体験に「爽快!」と言う女性も。そういわれれば車中から見るに、現地の人々は道端、畑、木立の中など、大小所構わず、青空を仰ぎ見て気持ちよさそうに用を足している。終戦後の日本もこんなだったよな、なんて同行者が呟いている。

 ベナレスでは、釈尊初転法輪の地・サールナートを参拝。釈尊が初めて説法をされた聖地であり、法の輪を転じる、すなわち転法輪という。釈尊の法に接した五人が最初の弟子となり、この時「仏」・「法」・「僧」の三宝が整い、仏教教団が誕生した聖地ということである。

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  ヒンズー教徒によるお祓いを受ける(ベナレス)
 ここには迎仏の塔があり、五人の供の者が釈尊を出迎えたところである。最初は「あんな堕落した者には、誰も声を掛けないでおこう」と決めていたにも関わらず、釈尊の尊いお姿に接し、思わず我勝ちにお迎えしたという説話はあまりにも有名である。この地には、六世紀頃に建造された高さ四十六メートルもある、二重円筒形の巨大なストゥ―パ・ダメーク大塔は、茶褐色のレンガ造りの遺跡で、サールナートのシンボルとして威容を誇っている。また広大な敷地には、サールナート僧院跡があり、奉献ストゥーパが数多く建つ遺跡となっている。紀元前三世紀のアショカ王の時代に造営が始められ、仏教が衰退する十二世紀頃まで栄えていたといわれる。

 遺跡の南側には、サールナート博物館があり、「釈迦初転法輪像」、「釈迦八相図」、「仏頭」などが展示されている。また入り口正面には、インドの国章となるアショカ王の柱頭「四頭のライオン像」があり、紀元前三世紀に造られたとは思えないほど美しい姿形を留めている。生憎写真撮影禁止だが、なかなか見応えのある陳列品ばかりだった。

 見るもの多し、されど時間が足りず、考える暇もなく忙しく貪欲に仏跡を訪ねる。なかにはやや疲労の態を表す者も。多くの遺跡・建造物に接し、頭がますます混乱するばかり。

 ホテルでディナーの際、佐野先生のお知り合いである尼僧さんの訪問を受ける。日蓮宗太生山一心寺・ブダガヤインド分院の片山妙晏さんである。片山さんは、広島大学卒業後、単身この地で布教活動をされている由。使命感に燃えた笑顔の素晴らしい尼僧さんでした。当地でのご活躍ぶり、ご苦労話を伺うことができ、有意義な晩餐会となった。将来、仏教塾とのご縁が戴けるのだろうか。

ベナレス:「クラークスホテル」泊

五日目〈一月二十五日(金)〉

ベナレス
ガンジス河の沐浴風景見学

 早朝五時四十五分、皆が最も楽しみにしていたガンジス河へ向かう。夜明け前の薄暗い街中を、牛糞を踏んづけないよう注意しながら、徒歩で聖なるガンジス河へ。ヒンズー教徒の沐浴を見学する。汚れた水に見えるがヒンズー教徒には聖なる河。日本の禊(みそぎ)を想う。シバ神信仰のヒンズー教徒は、東を向いて祈り礼拝するという。その敬虔な姿に宗派を離れ胸打つものを感ずる。

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ヒンズー経による沐浴風景(ベナレス)  
 我々一行は、小舟に乗り、花売り少女から、お皿に盛られた花と蝋燭を買い、灯篭流しの如く河の水にそっと浮かべる。ガンジス河の流れにもまれながら、静かに流れ行く。何処に辿り着くのか、他の船からも同じように花が流されるが、何を想い何を祈っているのだろうか。沐浴場のすぐ隣の河端にご遺体を荼毘に付す焼場があり、材木(薪)がうず高く積まれている。薪を買うお金がない人の遺体は、そのままガンジス河に流すという。聖なる河に清められ、流されて行くその方は、何処に辿り着くのだろうか。船上では、お念仏やら真言を称える声が、あたかも死者を悼みそれぞれの行く末を案じているかのように、小さく低く聞こえてくる。

 ガンジス河の沐浴を見学後、ベナレスに別れを告げ、クシナガラに向かう。長いバス旅が続く。車中、ガイド氏からこんな説明があった。インドは自然崇拝の国であり、親から子へと代々言い伝えられている最も大切にしなければならない三つの教えがあるという。

一つは、牛(生活を助けてくれる大事な家族であり、動物とは言わない)
二つは、トンシー樹(バーセル・薬木)
三つは、父母(父母は神の涙であり、人間とは言わない)

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  市内を走るオート力車(ブダガヤ)
 この三つは、神と同じだという。これを大切にする心の欠如こそが、日本で大きな問題となっている虐待、親・子殺し、いじめ、自然環境破壊、その他利己主義を増長しているような気がしてならない。まさに三毒の世界である。

 クシナガラへは夜八時到着。何と十一時間超のバス旅。車中では、折々に佐野先生の講義、ガイド氏のインド事情の説明があるが、その時以外は深い眠りにつく人が多かったようだ。ホテル到着後は、直ぐ就寝となる。

クシナガラ:「ロイヤルレジデンシーホテル」泊

次号へ続く(文責 事務局 洞口)

カテゴリー:その他

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