大乗仏教が起こったのはなぜか。その特徴はどのようなものか。つまり、大乗仏教運動の目的と特徴を中心にお話します。
左側にパーリ三蔵があります。パーリ三蔵というのは、パーリ語で書かれた経蔵、律蔵、そして論蔵。つまりブッダの説かれた教え(経蔵)、坊さんたちが教団の中で生きていくための法律(律蔵)、そして経蔵と律蔵の注釈(論蔵)です。
インドから始まって、インド周辺に広まった仏教は、現在、多くは南伝仏教というふうにいわれております。「パーリ」というのは「聖典語」という意味です。僧院の中ではこのパーリ語を読むわけです。日本人は、お寺の中では漢訳を上からずっと読誦しますね。この読み方は、実は中国人には分かりません。漢訳としては共通しますけれど、読み方は共通しません。けれどもパーリ三蔵のパーリ語の読み方は一つですから、非常に都合がいいわけです。
それから、右側のチベット大蔵経はチベット人だけが使っている聖典ではありません。ヒマラヤ周辺諸国のシッキムとか、ブータン、みんなこのチベット仏典が聖典として通用している国です。大きくいいますと、南に伝わった仏教というのはパーリ語。東アジアに伝わった仏教は、この漢訳を聖典とする国々。チベット仏典を聖典とする国々、それから、モンゴル人はチベット語大蔵経をさらに自分たちの言語に翻訳して、モンゴル語大蔵経をつくった。
このように世界には多種類の聖典がありますが、最初に律蔵の中身を見てみましょう。
初期仏教のインドでは坊さんたちは遊行をして定住はしていませんでしたが、だんだん定住生活をするようになります。その経緯について少し考えてみます。インドでは四季の移り変わりはとっても急です。特に乾季から雨季への移り変わりのとき、木にパーッと緑がいっせいに芽吹きます。急に、いきいきとした情景に変わるわけですが、そのような時期に、木や草の新芽、そして小さな虫を踏みつけて毎日托鉢するようなことはよくないと仏教以外から非難されたのです。それを契機として定住するようになった。それが、律蔵における入雨安居の?度の内容です。
次にカティナ衣といって安居終了後に修行者に与えられる衣があります。そして、その衣をどのように入手して着なければいけないのか。それから、雨安居の後のすごし方。つまり、僧院の中でどのような生活を実際に送るかということが律蔵の中に描かれているわけです。また日常の生活規範制定の因縁まで書いてあります。失敗談とか、変なことをした坊さんとかが必ず登場してきて、こういうひどいことをしてしまったから、こういう規則ができたのだという書き方なのです。生き生きとした姿がここに描かれているのです。
次に経蔵です。パーリ三蔵の経典というのは、五つの部門からなります。一番長い経典を長部といい、これは三十四経に限られているわけです。それから、中程度の長さが中部といいまして、これが百五十二経。そして、テーマ別に配列されたのが相応部で、これは二千八百七十四経。次は増支部で、これは法数ごとにまとめられた二千百九十八の経典からなります。インドは数字が好きなのです。
最後に、小部の十五経典。一番仏教で古いというふうに目されている経典です。例えば、法句経や経集。仏教ってこんなに香り高い言葉でやさしい内容なのかと、私たちを元気づけてくれます。例え話なんかを使いながらブッダの精神を伝えてくれるもので、一番読みやすいと思います。みんな歌ですから一個一個が短い。
漢訳というのはつまり、中国において翻訳されたわけですから大部分は大乗です。しかしそこにはパーリの五つの経典に相応するものがあります。その表では四阿含となっていますが、阿含というのはサンスクリット語で伝承という意味です。これらの経典は漢訳ではほんの一部分で、大部分は大乗の聖典なのです。
例えば、大日如来ですと、大日経。阿弥陀如来だったら阿弥陀経とか、観無量寿経とかありますね。阿しゅく如来だったら阿しゅく仏国経がありますね。こういうものは、別に仏さんだけが一人歩きしているわけじゃなくて、その仏がどこにいて、どういうような教えを述べたかという経典が必ずあるわけです。つまり、それぞれの仏には、それぞれの経典が必ずある。そういうような経典というのは、全部大乗です。つまり、わたしたちの知っている仏というのは、シャカムニ仏以外は、すべて大乗の仏なのです。大乗の仏が登場した経典というのを私たち北伝の仏教徒はずっと崇拝してきたわけです。その数たるや膨大なものです。
それがどこに書いてあるかというと、この経蔵の下の欄、これは実は大乗の欄なのです。左側に対応するのは空白になっておりますね。つまり、南伝の人たちは大乗経典を読まないし、知らないのです。私たちは、その欠如した大乗のほうを盛んに読んだり、解釈したり、そこに説かれる諸仏・諸尊を崇拝しているわけです。
漢訳聖典の代表に「大正新脩大蔵経」というのがあります。大正から昭和にかけて、高楠順次郎先生と渡辺海旭先生が中心になって編さんしました。今、世界中の人たちがこの大正新脩大蔵経を使っています。大正新脩大蔵経は厚くて大きい。大体一冊が、千ページぐらいあるのです。
まず経蔵のところは第一巻と第二巻。これがパーリ語の聖典(経蔵)にあたります。それから第三巻から第四巻は本生物語とか仏伝です。経典部としては、般若経が最初に大乗の経典としてスタートします。般若部というのは大正蔵経では第五巻から第八巻までです。
法華、華厳、宝積というのは第九から第十二、そして涅槃も第十二、大集も第十三巻。こういうふうになっていまして、つまり、第五巻から第十七巻までが大乗経典なのです。密教は後期大乗といいまして、大乗経典と別にすることがあります。
チベット大蔵経の大乗教典は般若部が第八番から第四十三番、これも膨大なのですが、それから、華厳、宝積、経部と、さまざまな経典をここには入れ込んでいるのです。このように大乗経典は第八から第三百五十九の三百五十一の経典があります。密教は第三百六十から千百八番ほどもあるのです。
大乗仏教は紀元前後に起こりますが、続いて七世紀から八世紀にかけてインドは密教の時代になっていました。大日経とか金剛頂経というのが成立しているのです。これ以降、だんだん、密教はヒンドゥー教とあまり違いがなくなってきます。最初、仏教はバラモン教、後のヒンドゥー教に対する宗教として現れたわけですから、対するものがないと独自性というのは成り立ちません。こうして次第に仏教はインドの宗教の中に埋没していきますが、一方では密教として広まる。後期の大乗は次第に衰えてゆきますが、その間にインド僧が何度もチベットに行って、チベット王の助力を得て国立の大僧院をつくります。公務員としての坊さんを、教団をつくって養成します。こうしてチベットはインド直輸入の仏教ができてくるのです。その当時の仏教はかなり密教の影響も強かった。チベット仏教はそれまでの仏教を伝えながら、その当時の一番影響の強かった密教を取り入れた。そのためにチベット大蔵経にはタントラ部の経典がたくさんあるのです。
インドの仏教はいったん、ヒンドゥー教の中に溶け込みます。現在、インドには、中部を中心にして仏教徒は結構いますけれども、それは、ネオ・ブディスト、新しい仏教徒です。伝統的な、それ以前の仏教はインドにはもう既にないのです。それ以前の仏教聖典はサンスクリットとかプラークリットで書かれていたのですが、その形態はすでに失われています。
生きた形でサンスクリットの大乗経典を唱えている国はただ一つだけあります。ネパールです。ここでは今でも大乗経典をサンスクリットで読んだり唱えたりしています。
一番下をご覧になってください。左側はパーリ聖典で左下に蔵外文献があります。まず、『ミリンダパンハ』。それからディーパというのはスリランカの島。そして、大小史などもパーリの歴史書です。第5番目にある清浄道論はパーリの勉強をしようという人たちが一番重要視するものです。
一方、同じ位置付けにあるのが漢訳で言うと中国撰述部。第三十三巻から第五十五巻。これは中国の人たちが書いた仏典。最後に、大正新脩大蔵経は日本人が編さんした大蔵経ですから日本撰述部が入っています。ほぼすべての日本の主要な仏典がここの中に所属しています。チベットの大蔵経は、チベット人が書いた聖典を持っている。これが右側のチベット撰述部。アティーシャとかツォンカパというチベットでもっとも有名な高僧の著作です。
このように私たちは同じ仏教といっても、非常に異なった聖典を持っている。これは聖典をつくってきた歴史の違いなのです。このように聖典を較べてみても大乗仏教の特色がおわかりになったでしょう。
そして、「大乗」という言葉を始めて使った経典は般若経です。大乗という言い方は、マハラジャの「マハー」、立派なとか、大きなという意味ですが、これに「ヤーナ」ということばを合体させたもので、「ヤーナ」というのは乗り物です。乗り物は必ずどこかに連れて行きます。連れて行くところは最終的な目標、涅槃、悟りの世界。そこに連れて行くという意味です。
「小乗」はヒーナ・ヤーナといいます。「ヒーナ」というのは狭い。つまり、お前たちは狭いぞ、私たちは大きな乗り物だというような言い方ですね。
従来の修行者の階梯でいうと、修行者の階位は預流・一来・不還・阿羅漢という四つがあります。一番最初に「預流」というのがありますが、これは「流れに預かる」つまり、聖者の流れの入ったということなのです。修行上の聖者の第一段階です。悟りの流れの中に入っているわけですから、必ずや最終目的地に到達しますよという階定です。次に一来。これは一回だけ生死を繰り返し生まれ変わって悟る。第三の不還というのはこの世で亡くなったら、もう戻ってこない、そして悟りに至る。そして阿羅漢というのは聖者の最も優れた位置です。こういう聖者全体を声聞の修行階梯として位置付けたのです。それから、その上に独覚という"自分のみの悟りの聖者"というのを考えるようになりましたが、さらに大乗はそこに満足してはいけない。そこに結びつく小乗の教えによっては完全な悟りに到達することはできない。大乗の教えによってのみ、あらゆるものを知る知「一切知」を獲得し、完全な涅槃に至るということなのです。
一、ブッダは唯一である。この世界にはこのとき一人のブッダしか現れません。釈迦牟尼仏の時代には、釈迦牟尼仏だけがこの世の中のブッダなのです。ブッダが同じ時代、同じ世界に複数存在することはないのだということです。
二番目、あるブッダと次のブッダ、つまり仏は複数登場しますけれども、今いったように時期と場所があるわけです。あるブッダと次のブッダの間にはブッダの存在しない時期があります。今がそうなのだというわけです。私たちの世界は、釈迦牟尼仏が登場してからブッダはずっとこの世界に現れません。そして、次に登場するブッダは弥勒だというふうにいわれてきたわけです。
それから三番目、ブッダは必ず誓願によってブッダになる。私たちがブッダになるためには、前世で、過去のブッダに出会って、その面前で誓いを立てる。私も将来ブッダになりたいという誓い。それを欲し、悟り、菩提を起こすと誓願したもののみがブッダになる。
この三つの基本的な原則は、かつて部派仏教の中で確立していたけれども、この原則による限り、わたしたちがブッダになることはなかなか困難です。ブッダになるためには、非常に気の遠くなるような修行の成果というのが必要です。だから、実際には阿羅漢を最終目的と考えていたわけです。これが小乗と言われるゆえんです。
一、仏塔信仰が展開される。ブッダを崇拝する。そして、ブッダの遺骨を仏塔の形にして、そこで崇拝するという、舎利崇拝からの発展。そこでは、在家も出家と同じようにこの仏塔信仰をよりどころにして集まってきたという信仰の形態があった。
二、仏伝文学の発達。ブッダをたたえる経典をたくさん生んできたわけですが、それをジャータカといいます。長いこと、自己犠牲をするようなことをしながら、その成果としてブッダになったとか、菩薩になったとか。これは前世の行為によって現在があるのだというような考え方が当然含まれるわけです。
一つの世界には一仏しか登場しませんが、大乗では世界を多重に考えているのです。私たちの地球というのは太陽系の一つです。太陽系は同じように大きな銀河系の一つというふうになります。仏教の宇宙観もやがてそのようなはっきりとした多重世界になってくるのです。
仏教では東西南北の四方とその中間(四緯)と上下を合わせて十方といいます。世界は非常に多重世界だ。私たちの世界以外にも、ブッダは居る。西方極楽浄土にいて、説法をしているのが阿弥陀如来、そして、東方には浄瑠璃世界があって、そこには薬師仏がいる。このように世界が複数ある。つまり、一仏世界から多仏世界へというのはこういうような宇宙観の発展というのがあった。
三、菩薩思想。これが一番大事なのです。釈迦牟尼仏の前の存在を菩薩といったのです。だからもともと菩薩はたった一人です。現在私たちは、大乗仏教の中で多くの仏を考えます。そうすると、仏の前の存在であるボーデイサットヴァ(菩提を求める人)、こういうような修行者を菩薩というようになりますと、悟りを求めて発心修行する人はみな菩薩といってもよいわけです。菩薩とはさまざまなブッダの前の存在ですから、ブッダの数と同じようにたくさんいるわけです。複数の世界があって、多くのブッダがいれば、当然、菩薩もたくさん。今、修行を行い、悟りの道を求める。菩薩は複数あってもいいことになる。やがて、その修行の成果は、いつかは実現される。こういうような考え方です。
菩薩思想の展開で、利他的な教理、「上求菩提・下化衆生」。上は悟り、発菩提心を起こす。自分は、菩薩、悟りになる資格を持つ、あるいはその能力を持つ、けれども、今、この世界で頑張ることによってブッダにはならない。そういうような、働きの方向を下化衆生、一緒に努力するというような考え方です。そして、すべての人が菩薩になれる可能性を持つのだというように、菩薩思想は展開していったわけです。
このように考えますと、今、お話ししたように、仏塔信仰の中で菩薩といわれる人たちは、在家も出家も区別する必要はない。そして仏伝文学の発達によって、過去の努力というのが重視される。それが現在をまた見直すきっかけになる。こうして今までにない修行の在り方を見直す運動というのが始まった。これが大乗の特徴なのです。これを発端として、さまざまな修行の在り方、悟りへのプログラムを多くの人たちが考えてきた。これが大乗仏教の発展する一つの起因になったのです。
三蔵対照表
最初に三蔵対照表 をご覧ください。これは袴谷先生が書かれた本(『仏教入門』)に掲載されている聖典対照表です。これによって大乗仏教のよりどころになる聖典が一体どのようなものかが分かります。左側にパーリ三蔵があります。パーリ三蔵というのは、パーリ語で書かれた経蔵、律蔵、そして論蔵。つまりブッダの説かれた教え(経蔵)、坊さんたちが教団の中で生きていくための法律(律蔵)、そして経蔵と律蔵の注釈(論蔵)です。
インドから始まって、インド周辺に広まった仏教は、現在、多くは南伝仏教というふうにいわれております。「パーリ」というのは「聖典語」という意味です。僧院の中ではこのパーリ語を読むわけです。日本人は、お寺の中では漢訳を上からずっと読誦しますね。この読み方は、実は中国人には分かりません。漢訳としては共通しますけれど、読み方は共通しません。けれどもパーリ三蔵のパーリ語の読み方は一つですから、非常に都合がいいわけです。
それから、右側のチベット大蔵経はチベット人だけが使っている聖典ではありません。ヒマラヤ周辺諸国のシッキムとか、ブータン、みんなこのチベット仏典が聖典として通用している国です。大きくいいますと、南に伝わった仏教というのはパーリ語。東アジアに伝わった仏教は、この漢訳を聖典とする国々。チベット仏典を聖典とする国々、それから、モンゴル人はチベット語大蔵経をさらに自分たちの言語に翻訳して、モンゴル語大蔵経をつくった。
このように世界には多種類の聖典がありますが、最初に律蔵の中身を見てみましょう。
初期仏教のインドでは坊さんたちは遊行をして定住はしていませんでしたが、だんだん定住生活をするようになります。その経緯について少し考えてみます。インドでは四季の移り変わりはとっても急です。特に乾季から雨季への移り変わりのとき、木にパーッと緑がいっせいに芽吹きます。急に、いきいきとした情景に変わるわけですが、そのような時期に、木や草の新芽、そして小さな虫を踏みつけて毎日托鉢するようなことはよくないと仏教以外から非難されたのです。それを契機として定住するようになった。それが、律蔵における入雨安居の?度の内容です。
次にカティナ衣といって安居終了後に修行者に与えられる衣があります。そして、その衣をどのように入手して着なければいけないのか。それから、雨安居の後のすごし方。つまり、僧院の中でどのような生活を実際に送るかということが律蔵の中に描かれているわけです。また日常の生活規範制定の因縁まで書いてあります。失敗談とか、変なことをした坊さんとかが必ず登場してきて、こういうひどいことをしてしまったから、こういう規則ができたのだという書き方なのです。生き生きとした姿がここに描かれているのです。
次に経蔵です。パーリ三蔵の経典というのは、五つの部門からなります。一番長い経典を長部といい、これは三十四経に限られているわけです。それから、中程度の長さが中部といいまして、これが百五十二経。そして、テーマ別に配列されたのが相応部で、これは二千八百七十四経。次は増支部で、これは法数ごとにまとめられた二千百九十八の経典からなります。インドは数字が好きなのです。
最後に、小部の十五経典。一番仏教で古いというふうに目されている経典です。例えば、法句経や経集。仏教ってこんなに香り高い言葉でやさしい内容なのかと、私たちを元気づけてくれます。例え話なんかを使いながらブッダの精神を伝えてくれるもので、一番読みやすいと思います。みんな歌ですから一個一個が短い。
漢訳というのはつまり、中国において翻訳されたわけですから大部分は大乗です。しかしそこにはパーリの五つの経典に相応するものがあります。その表では四阿含となっていますが、阿含というのはサンスクリット語で伝承という意味です。これらの経典は漢訳ではほんの一部分で、大部分は大乗の聖典なのです。
大乗経典
私たちが身近に感じている大乗とはどのような教えなのでしょうか。私たちが知っている仏さまはどのようなものでしょうか。例えば、大日如来ですと、大日経。阿弥陀如来だったら阿弥陀経とか、観無量寿経とかありますね。阿しゅく如来だったら阿しゅく仏国経がありますね。こういうものは、別に仏さんだけが一人歩きしているわけじゃなくて、その仏がどこにいて、どういうような教えを述べたかという経典が必ずあるわけです。つまり、それぞれの仏には、それぞれの経典が必ずある。そういうような経典というのは、全部大乗です。つまり、わたしたちの知っている仏というのは、シャカムニ仏以外は、すべて大乗の仏なのです。大乗の仏が登場した経典というのを私たち北伝の仏教徒はずっと崇拝してきたわけです。その数たるや膨大なものです。
それがどこに書いてあるかというと、この経蔵の下の欄、これは実は大乗の欄なのです。左側に対応するのは空白になっておりますね。つまり、南伝の人たちは大乗経典を読まないし、知らないのです。私たちは、その欠如した大乗のほうを盛んに読んだり、解釈したり、そこに説かれる諸仏・諸尊を崇拝しているわけです。
漢訳聖典の代表に「大正新脩大蔵経」というのがあります。大正から昭和にかけて、高楠順次郎先生と渡辺海旭先生が中心になって編さんしました。今、世界中の人たちがこの大正新脩大蔵経を使っています。大正新脩大蔵経は厚くて大きい。大体一冊が、千ページぐらいあるのです。
まず経蔵のところは第一巻と第二巻。これがパーリ語の聖典(経蔵)にあたります。それから第三巻から第四巻は本生物語とか仏伝です。経典部としては、般若経が最初に大乗の経典としてスタートします。般若部というのは大正蔵経では第五巻から第八巻までです。
法華、華厳、宝積というのは第九から第十二、そして涅槃も第十二、大集も第十三巻。こういうふうになっていまして、つまり、第五巻から第十七巻までが大乗経典なのです。密教は後期大乗といいまして、大乗経典と別にすることがあります。
チベット大蔵経の大乗教典は般若部が第八番から第四十三番、これも膨大なのですが、それから、華厳、宝積、経部と、さまざまな経典をここには入れ込んでいるのです。このように大乗経典は第八から第三百五十九の三百五十一の経典があります。密教は第三百六十から千百八番ほどもあるのです。
大乗仏教は紀元前後に起こりますが、続いて七世紀から八世紀にかけてインドは密教の時代になっていました。大日経とか金剛頂経というのが成立しているのです。これ以降、だんだん、密教はヒンドゥー教とあまり違いがなくなってきます。最初、仏教はバラモン教、後のヒンドゥー教に対する宗教として現れたわけですから、対するものがないと独自性というのは成り立ちません。こうして次第に仏教はインドの宗教の中に埋没していきますが、一方では密教として広まる。後期の大乗は次第に衰えてゆきますが、その間にインド僧が何度もチベットに行って、チベット王の助力を得て国立の大僧院をつくります。公務員としての坊さんを、教団をつくって養成します。こうしてチベットはインド直輸入の仏教ができてくるのです。その当時の仏教はかなり密教の影響も強かった。チベット仏教はそれまでの仏教を伝えながら、その当時の一番影響の強かった密教を取り入れた。そのためにチベット大蔵経にはタントラ部の経典がたくさんあるのです。
インドの仏教はいったん、ヒンドゥー教の中に溶け込みます。現在、インドには、中部を中心にして仏教徒は結構いますけれども、それは、ネオ・ブディスト、新しい仏教徒です。伝統的な、それ以前の仏教はインドにはもう既にないのです。それ以前の仏教聖典はサンスクリットとかプラークリットで書かれていたのですが、その形態はすでに失われています。
生きた形でサンスクリットの大乗経典を唱えている国はただ一つだけあります。ネパールです。ここでは今でも大乗経典をサンスクリットで読んだり唱えたりしています。
一番下をご覧になってください。左側はパーリ聖典で左下に蔵外文献があります。まず、『ミリンダパンハ』。それからディーパというのはスリランカの島。そして、大小史などもパーリの歴史書です。第5番目にある清浄道論はパーリの勉強をしようという人たちが一番重要視するものです。
一方、同じ位置付けにあるのが漢訳で言うと中国撰述部。第三十三巻から第五十五巻。これは中国の人たちが書いた仏典。最後に、大正新脩大蔵経は日本人が編さんした大蔵経ですから日本撰述部が入っています。ほぼすべての日本の主要な仏典がここの中に所属しています。チベットの大蔵経は、チベット人が書いた聖典を持っている。これが右側のチベット撰述部。アティーシャとかツォンカパというチベットでもっとも有名な高僧の著作です。
このように私たちは同じ仏教といっても、非常に異なった聖典を持っている。これは聖典をつくってきた歴史の違いなのです。このように聖典を較べてみても大乗仏教の特色がおわかりになったでしょう。
大乗仏教の特色
ところで「大乗」というのは大乗仏教徒がいい出した言葉です。それ以外の人たちは自分たちのことを「大乗」に対する「小乗」というような言い方は決してしません。パーリの聖典を持った人たちは、「上座部」という言い方をしています。長老部という意味です。そして、「大乗」という言葉を始めて使った経典は般若経です。大乗という言い方は、マハラジャの「マハー」、立派なとか、大きなという意味ですが、これに「ヤーナ」ということばを合体させたもので、「ヤーナ」というのは乗り物です。乗り物は必ずどこかに連れて行きます。連れて行くところは最終的な目標、涅槃、悟りの世界。そこに連れて行くという意味です。
「小乗」はヒーナ・ヤーナといいます。「ヒーナ」というのは狭い。つまり、お前たちは狭いぞ、私たちは大きな乗り物だというような言い方ですね。
従来の修行者の階梯でいうと、修行者の階位は預流・一来・不還・阿羅漢という四つがあります。一番最初に「預流」というのがありますが、これは「流れに預かる」つまり、聖者の流れの入ったということなのです。修行上の聖者の第一段階です。悟りの流れの中に入っているわけですから、必ずや最終目的地に到達しますよという階定です。次に一来。これは一回だけ生死を繰り返し生まれ変わって悟る。第三の不還というのはこの世で亡くなったら、もう戻ってこない、そして悟りに至る。そして阿羅漢というのは聖者の最も優れた位置です。こういう聖者全体を声聞の修行階梯として位置付けたのです。それから、その上に独覚という"自分のみの悟りの聖者"というのを考えるようになりましたが、さらに大乗はそこに満足してはいけない。そこに結びつく小乗の教えによっては完全な悟りに到達することはできない。大乗の教えによってのみ、あらゆるものを知る知「一切知」を獲得し、完全な涅槃に至るということなのです。
ブッダについての教理
こういうようなことを提示して、新しいブッダ観、新しい涅槃への道筋というのを考え出したわけです。当時の仏教には三つの約束がありました。一、ブッダは唯一である。この世界にはこのとき一人のブッダしか現れません。釈迦牟尼仏の時代には、釈迦牟尼仏だけがこの世の中のブッダなのです。ブッダが同じ時代、同じ世界に複数存在することはないのだということです。
二番目、あるブッダと次のブッダ、つまり仏は複数登場しますけれども、今いったように時期と場所があるわけです。あるブッダと次のブッダの間にはブッダの存在しない時期があります。今がそうなのだというわけです。私たちの世界は、釈迦牟尼仏が登場してからブッダはずっとこの世界に現れません。そして、次に登場するブッダは弥勒だというふうにいわれてきたわけです。
それから三番目、ブッダは必ず誓願によってブッダになる。私たちがブッダになるためには、前世で、過去のブッダに出会って、その面前で誓いを立てる。私も将来ブッダになりたいという誓い。それを欲し、悟り、菩提を起こすと誓願したもののみがブッダになる。
この三つの基本的な原則は、かつて部派仏教の中で確立していたけれども、この原則による限り、わたしたちがブッダになることはなかなか困難です。ブッダになるためには、非常に気の遠くなるような修行の成果というのが必要です。だから、実際には阿羅漢を最終目的と考えていたわけです。これが小乗と言われるゆえんです。
大乗仏教成立のための要素
大乗はどのように起こったのか。大乗仏教が成立するには三つの要素がある。一、仏塔信仰が展開される。ブッダを崇拝する。そして、ブッダの遺骨を仏塔の形にして、そこで崇拝するという、舎利崇拝からの発展。そこでは、在家も出家と同じようにこの仏塔信仰をよりどころにして集まってきたという信仰の形態があった。
二、仏伝文学の発達。ブッダをたたえる経典をたくさん生んできたわけですが、それをジャータカといいます。長いこと、自己犠牲をするようなことをしながら、その成果としてブッダになったとか、菩薩になったとか。これは前世の行為によって現在があるのだというような考え方が当然含まれるわけです。
一つの世界には一仏しか登場しませんが、大乗では世界を多重に考えているのです。私たちの地球というのは太陽系の一つです。太陽系は同じように大きな銀河系の一つというふうになります。仏教の宇宙観もやがてそのようなはっきりとした多重世界になってくるのです。
仏教では東西南北の四方とその中間(四緯)と上下を合わせて十方といいます。世界は非常に多重世界だ。私たちの世界以外にも、ブッダは居る。西方極楽浄土にいて、説法をしているのが阿弥陀如来、そして、東方には浄瑠璃世界があって、そこには薬師仏がいる。このように世界が複数ある。つまり、一仏世界から多仏世界へというのはこういうような宇宙観の発展というのがあった。
三、菩薩思想。これが一番大事なのです。釈迦牟尼仏の前の存在を菩薩といったのです。だからもともと菩薩はたった一人です。現在私たちは、大乗仏教の中で多くの仏を考えます。そうすると、仏の前の存在であるボーデイサットヴァ(菩提を求める人)、こういうような修行者を菩薩というようになりますと、悟りを求めて発心修行する人はみな菩薩といってもよいわけです。菩薩とはさまざまなブッダの前の存在ですから、ブッダの数と同じようにたくさんいるわけです。複数の世界があって、多くのブッダがいれば、当然、菩薩もたくさん。今、修行を行い、悟りの道を求める。菩薩は複数あってもいいことになる。やがて、その修行の成果は、いつかは実現される。こういうような考え方です。
菩薩思想の展開で、利他的な教理、「上求菩提・下化衆生」。上は悟り、発菩提心を起こす。自分は、菩薩、悟りになる資格を持つ、あるいはその能力を持つ、けれども、今、この世界で頑張ることによってブッダにはならない。そういうような、働きの方向を下化衆生、一緒に努力するというような考え方です。そして、すべての人が菩薩になれる可能性を持つのだというように、菩薩思想は展開していったわけです。
このように考えますと、今、お話ししたように、仏塔信仰の中で菩薩といわれる人たちは、在家も出家も区別する必要はない。そして仏伝文学の発達によって、過去の努力というのが重視される。それが現在をまた見直すきっかけになる。こうして今までにない修行の在り方を見直す運動というのが始まった。これが大乗の特徴なのです。これを発端として、さまざまな修行の在り方、悟りへのプログラムを多くの人たちが考えてきた。これが大乗仏教の発展する一つの起因になったのです。
= 終わり =







