渡辺章悟先生

大乗仏教論(第19期スクーリング講義録)

2006年6月20日 第19期スクーリング講義録

大乗仏教の成立

 最初に仏教の広がりを考えてみます。仏陀が亡くなって百年を経た頃に仏教の分裂が起こり、上座部と大衆部に分かれるんですが、その中の一つがスリランカに伝わり、スリランカからタイやミャンマーに伝わる。こういう伝統があるのが南方上座部です。これは小乗といわれ、これ以外の仏教を総じて大乗といっております。
 南方上座部仏教には、言語的特長があり、それぞれの僧院の中ではパーリ語という言語を使っています。それは国家試験もちゃんとありまして、そのパーリ語による聖典を持っています。
 では大乗仏教は何で勉強しているかというと、漢訳とチベット語訳です。特にチベット仏教は、非常にインド仏教に近い形態を保ってきております。膨大なチベット文献というのは非常に組織的につくられていまして、漢訳に匹敵するものがあります。漢訳よりも翻訳が新しいために、後にインドで発展した中期や後期の大乗仏教、そして密教、こういうようなものは実はチベット語訳に残っています。
 ですから、チベット語訳と漢訳、これが大乗仏教の一番の資料、聖典の中心ということになります。ただ、日本の仏教は残念ながら日本語の膨大な聖典というのを残さなかったといわれています。これは、素養として漢訳をそのまま読める。肯定的にいえば、そういうような伝統をずっと共有していたからだと思います。次に、大乗仏教の伝播ですが、地域的には北伝といいまして、非常に大きな規模で北方に広まりました。
 さて、そこにどんな「特色と形態」があるか。大乗はマハーヤーナ。マハーというのは「輝かしい」とか「偉大な」、そしてヤーナは英語ではvehicleと訳しますが、乗り物です。この乗り物は地上の車でもあり、船としてのイメージもあります。小さな一人乗りではなく、大きな乗り物、偉大なる立派な乗り物という意味で、それ以前の伝統仏教に対して、自称した言葉です。
 マハーヤーナという言葉を最初に使ったのは「般若経」という経典です。南方上座部の声聞乗、声聞というのは伝統的な修行、伝統的な仏教を伝える人です。それに対して、自分たちの教えはもっと多くの要素を持っている。それを超えるものだという意味で、マハーという言葉を加えたわけです。
 大乗仏教がその教団組織を次第に固めていったのが紀元一世紀に成立したクシャーナ朝の時期です。クシャーナ朝というのは、今のバングラデシュ、アフガニスタンやパキスタンも含めた強大な帝国を築きました。一番最盛期がカニシカ王の時代です。大体二世紀から三世紀ぐらいに最も広大な地域を占有するようになりました。このときに、大乗仏教は広がります。

大乗仏教に欠かせぬ三つの要素

 さて、この仏教の革新運動という性格がどうだったのかという「大乗仏教成立のための三つの要素」を考えたいと思います。私たちが小乗といっていた仏教は、仏陀の没後、上座部と大衆部に分かれたのちさらに二十ともいいますが、十八の部派に分かれたと多くの経典に引用されています。
 この十八部派というのが仏教の正統的なサンガ(寺院=集団)だといわれています。分裂は、生活習慣とか教団の運営の仕方、特に食事とか、それから貨幣についての取り扱い方、こういうものに端を発します。
 ところが、従来の伝統的なテーラー(長老)という人々が異議を唱えます。次々と部派分裂が起こって、それぞれの地域特有の生活、サンガが成り立ってきます。従来これを小乗といってきたわけです。その後インド仏教が終焉を迎えるまで、こうしたセクトも残っています。
キシャーナ朝領域図

 そして、例えば中国からインドに行った多くの坊さんがいますね、こういう坊さんは仏教の聖典、教えを求めて、それこそ十数年かけて行くわけです。陸路で行った人たち、玄奘三蔵とか鳩摩羅什さん。インドにまで行くことができた僧は、ほんの一握りです。多くは飢えと寒さと、あとは盗人によって命を落としています。
 中央アジアというのは、伝統的な意味での仏教がチベットや中国に伝わる、その最も重要な地域だったのです。
 一二〇三年にインド最大の拠点だったヴィクラマシラー寺院というのが、イスラム教徒によって攻撃され、核になるお寺はなくなってしまいました。
 これらの歴史を踏まえて「大乗仏教成立のための三つの要素」をいいますと、[1]仏塔信仰の展開 [2]仏伝文学 [3]菩薩思想の展開、この三つが重要だと考えればよいでしょう。
 まず仏塔信仰というのは、伝統的な仏教にももちろんあったんです。そして仏陀が亡くなった後、仏陀の遺骸は、当時のインドで一番の聖職者バラモンに処理を任せるんです。ここで人間の中心(骨)を崇拝する形態、舎利崇拝が起こってきます。仏陀の象徴としての仏塔(ストゥーパ)を造り、これを崇拝するわけです。この仏塔崇拝は、次第に仏教固有のものとなります。
 そしてこの仏塔に舎利を安置するわけです。でも、そんなにいっぱい仏陀の骨はありませんよね。仏陀の骨は最初八カ所に分骨され、それがこの八カ所以外にどんどんどんどん広がっていきます。
 問題は仏陀の考え方ですが、仏陀というのは目覚めた人という意味だというのはご存じだと思います。何に目覚めたかというと、要するにダルマ(法)です。教えの根本です。そしてダルマを信奉するのが教団、サンガです。ダルマという真理性、これを獲得しさえすればだれでも仏陀になれるというのが仏陀の本来の教えなんです。
 この宇宙は多くの世界から成っています。そういう世界の一つ一つに、一人一人の仏陀という考え方です。ところが私たちはジャンブドゥビーバといってインド世界の歴史的な一人の仏陀のことだけを考えている。
 しかし一方過去・現在・未来にも仏はいたとも考える。仏陀自身は、私の悟りは過去の偉大なる聖者の道を踏み行ったにすぎないというふうにおっしゃっています。過去仏ができれば弥勒仏みたいな未来仏もできるじゃないですか。これは、時間的な過去と、私たちが生きる現在、そして将来への希望と考えればいいでしょう。
 仏塔の核心はダルマです。ダルマに目覚めればだれでも十方三世の仏陀になり得るということになれば、仏の複数化(プルーラル)が起こってきます。そこに目覚めるのは私であり、あなただという考え方がこの仏陀の考え方とともに広がりを持つわけです。

大乗仏教の基本は「菩薩」

 二番目はジャータカ、仏伝文学です。ジャータというのはジャン、「生まれる」という動詞の過去分詞です。尋常ではない修行をした方がその成果として仏陀になり得たと。そして前生譚(ぜんしょうたん)がたくさんできます。大乗仏教というのは、大乗経典があって初めて成り立ちます。それまでの経典は、仏陀はこういうふうに教えを説きましたというのを弟子が聞いた、「如是我聞」という形で始まります。だけど大乗経典はちょっと違う展開をいたします。
 そこでは大乗経典の特色である仏陀の予言(ヴィヤーカラナ)が非常に大きな位置を占めるんです。大乗経典は必ずしも仏陀のみが説法者ではありませんから、仏陀の偉神力によってその説法者が説いているんだという形式になって、非常に聞く者を力づける。
 それから、三番目の菩薩思想。菩薩というのは、サンスクリット語です。漢字では菩提薩多という。伝統的な仏教徒は悟りのことをbodhiといいました。これが菩提、そして生き物という意味の薩多で菩提薩多。これを縮めて菩薩と書いたわけです。
デリー博物館の菩薩像デリー博物館の菩薩像
 この菩薩の考え方が大乗仏教の一番基本的な考え方で、それは発心(ほつしん)ですね。正確にいいますと、発菩提心のことです。悟りを求めたいといった生き方をすることが発心です。この発心こそが一番の菩薩の特質です。
 そこにもう一つ、利他的な教理 「上求菩提(じょうぐぼだい)・下化衆生(げけしゅじょう)」、これも一般的ないい方ですが上は菩提、悟りを求め、下は衆生を化す。
 大乗には願生菩薩というのがあります。もう既に仏陀の悟り(bodhi)を内蔵しているけれども、あえて行使しないで、願ってここにとどまる。これが大乗の菩薩の特徴です。 
 次に大乗経典。今までの経典とどこが違うかというと、経・律・論といいますが、経は仏陀の教えが文字化して経典になったものですね。律というのはヴィナヤといい教団を運営するための細則律蔵です。初期の仏典はこの経蔵と律蔵、の二つです。この経と律の注釈を論蔵といいます。合わせて三蔵といい、こういうものに通じた大学僧、これを三蔵法師というわけです。
 そして、大事なことは、十八部派それぞれ自分たちの三蔵(tripitaka)を持っていたんです。大乗経典も当然入っています。ここにお話を説く専門家も出てきます。仏陀の遺徳をたたえるための教えを説く人も出てきます。これを法師(ダルマバーナカ)といいます。
 そして大乗の名を最初に使い出した、考え方をいい出したのは、「般若経」です。「道行般若」という経典が初めてなんです。その中で何が説かれているかというと、空と六波羅蜜です。玄奘は波羅蜜多と「多」の字を入れますが、玄奘以前の人たちは波羅蜜というふうに翻訳しました。般若というのは、漢字に意味は全くありません。般若とは、プラジュニャーなんですが、プラとかプロとかいうのは「根本の」という意味で出てきます。ジュニャーというのは、「知る」という動詞です。そしてパーラミターというのは「完全なる智慧」というふうによく訳されます。プラジュニャーというのは、インド人がみんな古代の宗教で使っていた言葉です。仏教以前のバラモンたちも、パンニャーというのはバラモンの悟りの世界に連れていってくれる智慧だと考えていたわけです。ただ、仏教徒の特異性は、このパーラミターを付けたんです。これは、ジュニャー、根源的な智慧を示すもので、当然仏陀の智慧のことです。

大乗仏教中期の発展過程

 また、空はインドではゼロのことをいいます。ゼロというのは、プラスもマイナスも負荷はそこから生ずる。ただそれがなければ何ものも生み出さない。そういうものです。いわば座標軸、それがあることによって物が存在し得るような、そういうような実体性のないことです。
 五蘊(ごうん)が空だ、空が五蘊だというのは、まさにそういうことをいうわけです。だから空は無ではありませんね。そういうような見方を持つのがブラジュニャーなんです。
 そしてその六つの実践を説くわけですが、六波羅蜜を説くのは、「般若経」の後になってからです。ここで「般若経」というのは、実は単独の経ではなく経典群のことなんです。中には「一字般若」なんていうのもあります。「ア」。これはサンスクリットでは、否定なんです。日本でも不生禅を唱えた禅僧がいましたね。それは空と同じなんです。
 「般若経」は「一字般若」から始まって、玄奘の六百巻にも翻訳された、仏教で一番膨大な経典ですね。六波羅蜜は布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧とありますけれども、その智慧は一番最後に来ます。実はこの般若波羅蜜こそが他の五波羅蜜を生ずる杖(つえ)のようなものだと。中心は智慧なんです。智慧こそが仏陀を生むすべてのものだというわけです。
 それから、その後は「法華経」とか「華厳経」「浄土経」。「法華経」ですと、これは一乗、三乗といわれる声聞、縁覚、それから菩薩、仏。こういうように、悟りに至るための実践に四つの種類がある。その中で唯一の実質的なものは仏乗なんだ、菩薩乗なんだ。火宅の喩とかは、まさに新しい大乗の教えを示しています。それは無じゃなくて、一仏乗に至るための方便なんです。
「華厳経」にも六十華厳やら八十華厳やらいっぱいあります。これも華厳経典群です。特に有名なのは「入法界品」です。
 その教えの根幹というのは、世界がお互いにお互いを反映している姿を説いています。それは「重々無尽縁起」といわれ、そこにあるのは、一に一切が連なっている、一切が一に集約される。「一即一切」。この華厳、毘盧遮那仏の悟りの世界の顕現で、そこに至るために十地というのを説きます。次第に仏の世界に融け入っていく菩薩の境地を十の段階に分類したものです。これは「十地経」といいまして、この「十地経」も「華厳経」の中の一番古い経典の一つです。これがやがて六波羅蜜に結びつくことになりますが、悟りに向かう実践に歓喜しながら、悟りが現前する。そして、やがてこれがもとの世界に退転しないような堅固な道心のある世界、道心のある位に行って、最終的に法雲地に至るという「十地経」を大乗教徒は信奉するようになります。

大乗仏教が日本に与えた影響

 それから「浄土教」というのは、阿弥陀信仰です。阿弥陀仏国のみを浄土といっているわけではありません。例えば東方瑠璃光世界には薬師仏の浄土があり、西方極楽浄土には阿弥陀仏がいらっしゃる。浄土経典には、「阿弥陀経」とか「無量寿経」とか「観無量寿経」というような、日本の浄土群を支える三つの経典があります。
 こういうものが、紀元前一世紀から紀元後一世紀に核を造った。そしてその後の中期の大乗経典には、勝鬘夫人が主人公の「勝鬘経」は悉有仏性が出てくる「涅槃経」さらに、「解深密経」や「楞伽経」の唯心というのがありますね。これも日本仏教に非常に多くの影響を与えた大乗経典です。そして中期の後半には、薬師如来のお経ですとか、お地蔵さんのお経ですとか、個々のテーマを中心に説く経典も生まれます。
 如来蔵思想を説くようになったのが、中期の大乗経典の特色です。のちの天台本覚思想に発展して非常に大きな影響を与えました。
 それから「涅槃経」の悉有仏性も同じです。仏性というのは仏の性質です。「ことごとくに仏性有り」と読むのが漢文の正しい読み方です。道元なんかはあえて「悉有は仏性だ」というわけです。すごい読み方です。大乗仏教の経典をそれぞれの祖師が自分の全知全霊をかけて理解し、その解釈を提示していくわけです。
 あと後期大乗というのはしばしば密教のことをいいます。これはマントラヤーナ(真言乗)とかいわれることがありますが、「大日経」とか「金剛頂経」チベット密教では「秘密集会タントラ」とかが代表的なものですが、日本では「大日経」「金剛頂経」が大乗経典の最後に登場するわけです。大乗経は新しい教えを提示するために、ある意味でインドの宗教の反動として現れたわけです。それはほとんど現世利益とか儀礼が中心になってしまってきたわけです。それが七世紀になって「大日経」とか「金剛頂経」がでてきますと、悟りを目指す形態に変わってきます。特に「大日経」が重視されて、日本の密教を作っていきます。この密教において、インドの宗教の反動として現れた仏教は、現実の世界そのものの中に悟りを見ようというような方向がすごく強くなってくるんです。そしてその中で、象徴性、儀礼性、そしてその当時にあったさまざまな形態の宗教をいっぱい取り入れます。そして、やがて高度の密教が登場するころには、ほとんど仏教以外の宗教と区別できないような思想を持つようになります。
 つまり仏教は、一二〇三年イスラム教の攻撃によって破壊された頃には、インドの中では仏教特有の意義はなくなっていたわけです。それで、仏教はインドの中に溶け込んでいったんです。それが、インド仏教の歴史の最後になるのです。

= 終わり =

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