釈尊の悟りと救済の原理
古代インド民族の精神的深化は、「苦悩の世界に生きる己身の解脱を目的とする」という方向に進んでいきました。
仏教はこの精神環境の中に咲いた精華であります。すなわち、仏教は徹底的に、「苦悩からの解脱」を目指す宗教です。
釈尊における苦悩からの解脱の道は、苦悩の原因を、十二因縁の中の無明において発見し、この無明を滅するところに達成されたものです。
苦悩からの解脱ということが課題である。その苦悩から解脱するためには、無明を滅するというところにたどり着く。これが、苦集滅道という、お釈迦様の初転法輪、一番最初にお説教された教えであります。
人生は苦である。苦の元は無明である。その無明を滅するということが大事だということを、四つに分けて説いていらっしゃるんです。この無明を滅するところに、解脱の道を達成されたものであります。
無明とは何であるかというと「不如実知見」。難しい言葉を使ってますが、それは、縁起の道理を如実に知らないこと。釈尊における、苦悩からの解脱は、不如実知見を否定して、縁起の道理を如実に知見することにほかなりません。
次に、縁起の道理とは何を意味するかというと、より本質的には、具体的な人間存在に関する相依相対の関係を意味しているのであります。
縁起の道理は、存在が相依相対になるがゆえに、自存的に独立性をもって存在しないという、いわゆる存在の無常であり、空であるという、存在性そのものの否定の原理であるからであります。
この原理に背いて、物の事象に執着し、物の上に変わらない常住性を欲求するとすれば、それは必然として、苦悩に陥らざるを得ないのであります。ここに苦悩がどうして起こってくるかという原因を、お釈迦様は明らかにされてあるのです。
われわれの世界を縁起の世界ととらえることによって、そこに空の悟りを実現しようとすることは、仏教の根本的な態度でありますが、さらに大乗仏教は、この態度に対する反省を深めていったものであります。
縁起の世界は有の世界でありつつ、同時に、縁起であるがゆえに、空の世界に他ならないから、われわれは有無の偏見に陥るべきではありません。
われわれの有的な世俗の世界、これを世俗仮設というんですけどね。世俗の世界をただちに無的な勝義の世界(空勝義諦)への媒介の基盤たらしめること。これが、大乗仏教の教学の指向する根本理念であります。
そこに自利利他円満する大乗の菩薩行が現れる。知と悲の相即する境地に対する強い願い、すなわち本願があらわされ、浄土の建立がなされ、衆生救済の原理が成立したのであります。非常に原理的なものだけここで示しておきました。
美しい女性を見て 美しいと思うのは罪
絶対価値と相対価値の話を少ししてみましょう。人間は、その時その時に価値、自分に役立つものを判断しつつ、行為、行動をします。人類が出現して以来、一時も、今、私が言う価値判断を欠いたことがありません。それは、人間に限らず、動物一般についてもいえるはずです。個体の生命維持、種の保存のために、バクテリアだって価値判断をしているはずです。ただ、人間は脳の発達によって、価値の価値たるゆえんにまで考えを及ぼすようになったことから、その面で他の生物とは絶対的といってよい地位を占めるようになりました。それの代表例が、高度に発達した科学技術といえるでしょう。
一方、一個人においても、価値判断を瞬時も欠くことはありません。それには、生命の危機が迫ったときの瞬時の判断もあれば、安売りで自分にとっての掘り出し物を探す行為もあります。安売りの場合を考えると、同じ商品が、つまり、同じ値段の商品がどのお客にとっても同じ価値のものとは限りません。むしろ、百人のお客が見れば、百の価値判断があると考えた方が良いでしょう。厳しいビジネス世界で、何十年にもわたって生きてこられた皆さん方に、一人の僧侶でしかない私がこんな話をするのはおこがましいかもしれませんが。
では、美しい女性、好ましい男性という場合の価値判断はいかがでしょうか。これについても、皆さんにはそれぞれ一家言あるに違いありません。
「美しい女性を見て美しいと思う。そのことが罪なんですよ。」
四十年前、大谷大学の教室で聞いた教授の声が、今も耳の底に残っています。先生のお名前は、名畑応順先生。ご専攻は真宗学。そのとき先生がおっしゃられたのは、こうです。「一人の女性を見て美しいと思うのは、一人の人間を美醜という対立した概念で見ることにほかならない。人間をそのような、自分で勝手につくった対立観念でとらえ、しかも、自分の見方にとって好ましい方を選択する。これは罪である。美・醜という対立概念を立てて人を見ること。そのこと自体が罪である。仏教を学ぼうとする者はまず、そうした対立概念でものを見る見方を捨てなければならない。」その講義は、教養課程の真宗学概論でしたが、そのときの先生のお話を聞いて、私は胸を打たれました。皆さん、美しい女性を見て美しいと考えたらいけません。罪なのですよ。(笑)
幸か不幸かは、相対的なこと
わたしたちが普段、あまり深く考えないで価値判断をしているわけですが、それらのほとんどは、対立的な別の言葉で言えば、相対的な価値判断です。その際、無意識のうちに使っているのが、二項対立(概念)です。それらの例を挙げてみましょう。
美と醜 ・ 貴と賎 ・ 富と貧 ・ 上と下 ・ 高と低 ・ 内と外
大と小 ・ 賢と愚 ・ 優と劣 ・ 速と遅 ・ 益と害 ・ 若と老
生と死 ・ 善と悪 ・ 自と他 ・ 有と無
このように並べるなら、二項対立、あるいは対立する概念を取っているものは、お分かりいただけるはずです。わたしたちは上の項を好ましいと考え、下の項を好ましくないと考える。そればかりか、ものごとを対立項でとらえ、無条件で上位のものを良しとすることに何の疑いも抱かないことです。
例えば、先に考えてみましょう。わが子の出世について、話を例に取れば、わが子が一流大学に合格して、一流企業に就職すれば、人より出世できるはずだし、良家のお嬢さん、それも、一流大学を出た才媛のお嬢さんと結婚できるに違いない。そのお嬢さんが、美人であれば、これ以上申し分ない。こうした内容の会話が、いつもどこかでやり取りされていることでしょう。この話のあらすじを追うだけで、これだけの二項対立が並ぶわけです。
もちろん、これらの二項のすべてにおいて上位を占める人がいないわけではありません。それはそれで結構です。けれど、その人にも突然の死、あるいは昨今の高級官僚が陥るスキャンダル、その家族の不幸が待ち受けていないという保証はどこにもありません。おしなべて、上位の人が下位に転落する姿を不幸というわけで、上位という行、いわゆる現象は、決して固定しているのではない。諸行無常なのです。
また、先の二項を並べて、下位の方が多い人は少なくとも上位から下位に落ちることが少ないから幸であるともいえません。今の自分が幸であるか不幸であるかは、相対的なことです。
相対価値の世界は迷い疑いの世界
私たちはこのように、対立的にものごとをとらえ、上位に位置していると幸せを感じるのです。別の言葉で言えば、人は何事においても比較優位を求め、それを手にすれば、幸せになるのです。これを私は「相対的価値の世界で生きている」と表現しているわけです。また、お釈迦様は、こういうわたしたちの姿を、無明(迷い)とおっしゃっている。また、それを娑婆とおっしゃったのでした。
では、絶対価値とは何か。それは、相対価値を超えたものです。と、ひとまず言っていいでしょう。美醜を超えたもの、貴賎を超えたもの、貧富を超えたもの等々ですね。相対価値の世界は別の言葉で言えば、現実世界です。それを、此岸(こちら側ですね)と言います。とすれば、絶対価値の世界は現世を超えた世界なんです。仏教ではそれを来世、浄土、あるいは彼岸、岸のむこう側といいます。つまり、現世、現実社会のとらわれから、解き放たれた世界です。美醜も富貧も生死も、すべての対立から解き放たれた世界のことであります。そこに住む人が、すべてが清らかな世界、それを浄土というのです。
現世、相対価値の世界の内容を今一度とらえなおすと、次のような世界です。
(一)それは、一個の卵の殻の中の世界に例えられます。その殻の中で、さまざまな相対的な価値観がひしめいている世界です。
(二)その卵の殻の中では、人は相対価値の判断を強いられ、ものごとへの執着、こだわりなくしては生きていられない世界です。
(三)人はその世界では、ものごとの一面、部分しか見えない。実際、国家、民族、権力、知識、能力、財産、地位、身分、美醜などの価値、対立的で相対的な価値でありながら、その実、絶対的な作用を持つ世界といえるでしょう。
そしてその世界では、一人ひとりが、お互いが不自由で不平等で、さまざまな差別を強いられていて、さらにまた、それらによって、どうにか成立している世界。これが現世であります。相対価値の世界といって、ほぼ間違いないはずです。
相対価値の世界はまた、迷い、疑いの世界でもあります。何事も、まず疑いを持って見なければならない世界です。とすれば、不自由、不平等、差別、疑い、それらから解き放たれた世界を人は望みます。ですから、同じ、疑うということですが、そうした絶対価値の世界を望むには、われわれは現実の根底をまず疑ってみなければならないわけです。東京国際仏教塾の九期生の人たちの、ミニ修行を体験しての感想文の中で、和田さんは、一つの疑問を持っていました。少し、引用させてもらいましょう。
「作務での草取りでは、以前からの疑問にまたぶつかることになりました。すべての命を大切にすると言いながら、雑草だけはなぜ抜かれるのか。取り除かれる草の区別はどのようになされるのか。人間の思い上がりではないのか。」「一本の草に人間の勝手な価値基準を押し当てて、雑草と認め、その命を奪う」和田さんの疑問は優れて仏教的感情からのものであります。信を獲るとは、卵の殻が破れる。するとそこに、広々とした、無限の明るく自由自在で無窮の世界があることを知るわけです。これが絶対価値の世界です。
まず現世というのは、こういう厚い殻に覆われているんですね。その中に対立する美と醜とか、それから善と悪とか、それから上と下とか、ここにずっと書きました、そういう二項対立があって、その中で、われわれは生活してるんですね。ところが、仏教というものは、この殻をぽんと破って、殻を破ったところに、無限に広がる世界、広大無辺な世界がここに広がっている。殻を破れば広大無辺の世界が広がっている。そして、先に申しました美醜とか善悪とか上下とかといって、対立して、差別していたそのことが、ああ、なんて愚かなことをしていたのだろうかということが分かるわけですね。この殻の中からは、外の世界は見えない。だけども、殻の外へ一遍出てみたら、中のことは全部透明に透けて眺められるということだと思うんです。
信を獲るとは、卵の殻が破れる。するとそこに広々とした無限の明るく自由自在で無宙の世界があることを知ります。それを今言っているわけですね。それが絶対価値の世界。殻の中は、先に言いましたように、さまざまな相対価値観が争っている無明の世界。闇です。一本の草までが、人間の勝手な価値判断によって生命を奪われる。勝利をかけた争いの世界。しかもそのことに少しも気付いていない。
では、その絶対価値とは何か。この問いに沿う内容は、具体的にこうだといって答えることは大変困難です。言葉で絶対価値とは宗教である、仏教であるといってもいいでしょう。お釈迦様の有難いお話や教えをいくら聞いても信仰は得られない。その教えを無心に信じられる。そうして自分自身を獲得できていなければならないわけで、その信をどうやって獲るのか。確かなその手立てがあるともいえません。一瞬にして信を獲る人もいれば、念仏を称え続けて、一生過ごしていても、死ぬまで信を獲られない人もいます。また、獲った信にも深い、浅いがあります。それらのことは、分からないけれども、信を獲った人の状況はいくつも伝えられています。
相対価値の世界の優者ほど殻は厚い
竹林しかし、現実の殻はそうたやすく破れる殻ではありません。この殻は、われわれが生きるという、そのことの根底に根ざしているからです。だから、相対価値の世界の勝利者、あるいは生来のこうした価値判断の中での優者ほど、殻は途方も無く厚いといえるでしょう。そのことを教える禅僧のエピソードに、「香巌撃竹」というのがあります。
すごく優秀な禅宗の修行僧がいました。ところが、その殻が破れない。それで、師匠から、叱咤を受けるわけなんですけども、自分が悟りを開くのをあきらめて、もう一人の先師の墓へ行って、そこの墓守をして一生を過ごそうとしたわけですね。そして、一生懸命、掃除をして、そして墓守をします。何年かたって、あるとき、一つの石が落ちていたので、その石をぽーいと投げました。すると向こうの竹林に石が当たって、カーンという音がしました。その瞬間に殻が破れた。それが「香巌撃竹」というお話であります。
殻が破れることは大変なんです。頭のいい人というか、知識をいっぱい持った知識人であるほどなかなか難しいですね。
殻を破ることの大切さ
禅宗には、「卒啄同時」という言葉があります。これは、師と弟子の出会いの機縁をいいます。また、弟子が悟りに至るときの姿をいう言葉です。鳥のひなが卵からかえる時、親鳥が卵の殻を外からつついて砕いてやります。一方、卵の中では、ひなが自分のくちばしで殻を破るためにつつきます。これが、同時でないといけないとされているんですね。いうまでもなく、親鳥が師で、ひなが弟子です。殻をつついて破るのはひな。弟子の仕事であると同時にこれは師弟の同時参加が必要であることをいっているわけです。内と外の殻をつっつくタイミングが一致した時に、さすがの厚くて堅い殻をも破ることができる。何とも含蓄のある言葉ではないでしょうか。これは何も禅宗に限った話ではありません。卒啄同時というのは、浄土門でもいえる、教育一般についても同様のことがいえると思います。禅宗では、卒啄同時の師を正師といいます。その正師を求めて、雲水(修行僧)は、西へ東へと旅を続けたものであります。殻を破るという言葉がいかに大事で、事の本質を極めているかお分かりになると思います。
ヘッセの「シッダールタ」を読み寺を継ぐ決意
世襲の問題は、私が寺院の住職を継ぐにあたっての悩んだ課題でありました。ある時の春休みには、『大和古寺風物誌 亀井勝一郎』一冊を携えて一人で奈良の古寺を巡りました。ある時期は、ひたすら本を読みました。そうはしながらも、父の姿がやはり気になります。私は、父が四十五歳の時に産まれました。高校時代には、父は六十歳を超えています。病弱でもあったその父が、真夏の暑い時期に自転車に乗り、一人で三百軒の家を汗だくになって回る姿を見ているとそれでも家を離れて東京の方へ行くとはいえません。
高校三年の春休み、ヘルマン・ヘッセの『シッダールタ』という小説を読みました。このシッダールタっていうのは、お釈迦様の早いころの名前なんですけども、お釈迦様と同時代に生きた一人の若者の名前として表現しています。シッダールタの父は、バラモン(ヒンズー教の司祭職)のすぐれた博士で、シッダールタもまた大変、聡明な息子でした。シッダールタは、人生の真実を知らなければならないという考えから親友と家を出て、苦行僧の群れに身を投じます。父は、大変悲しみました。苦行は、何年も続きましたが求める真実を手にすることはできませんでした。折も折、成道した釈尊の評判が高まりシッダールタは、親友と共に苦行僧の集団から離れ釈尊の説教を聞きに行きます。そして、偶然にも林の中で釈尊と話をする機会を得ました。シッダールタは、釈尊に帰依した親友と別れ、大きな町に向かいました。釈尊の弟子になることは、やめたわけですね。それで、たまたま出くわした遊女と恋仲となり彼女の紹介で大商人のパートナーとなって商いの道にいそしみます。そして、酒と女と賭博の世界に身を沈めるのですが、その虚しさに耐えきれず町を去りました。その時、彼女はシッダールタの子をみごもっていました。町を出たシッダールタは、川の船頭のもとに身を寄せ、渡し船の船頭になります。それから、星霜十年余、彼女とその息子が町を離れて釈尊の説教を聴聞する旅の途中で、彼女が蛇にかまれ、息子ともども偶然シッダールタの介護を受けたんです。たまたま、渡し船の所へ来て倒れたんですね。しかし、彼女は死んでしまいます。息子が、シッダールタのもとに残されました。息子は、なめるように自分をかわいがる父に反抗し、軽蔑し、そして、ある日、船旅に出てもとの町に戻って行ってしまいました。その後を船で追うシッダールタが、ふと川面をのぞくとそこには、数十年前に別れたままになっていた懐かしい父の顔が映っていました。
私は、この小説を読み終えると深い感動に包まれました。人生とは、こういうものか。まだ、そのすべてを見たわけではない。人生には、こういう結末が待ち構えていることもあるのか。ここで私は、父の後を継ごうと決意したのでした。
ひとえに親鸞一人がためなりけり
浄土真宗の秋安居の時に、麻原彰晃は救われるかというディスカッションをいたしました。そして、みんなの答えは「回心懺悔すれば、救われる」。あるいは、「罪を償うために刑に服せれば、それはいいんだ」とか。いろいろな答えが出ましたが、私はどうもその答えすべてに納得しませんでした。歎異抄の中で、「聖人の常の仰せには、弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」というのがあります。これが、学生時代の私にはどうしても理解できなかった。「阿弥陀様が長い長い間、深く深くお考えになった本願はこの親鸞一人のためだったのだ。」このことで、親鸞は何をおっしゃろうとしたのだろうか。これほど、エゴイスティック、自己中心的な言葉は、古今東西において類を見ないものです。もちろん、学生時代にこれの解を見いだすことはできず、未解決の懸案としてその後もずっと胸の底にわだかまわっていました。ある年の仏教塾の入塾式に向かう新幹線の中で「あっ」と思い当たったんです。石が竹に当たってカーンといったような感じですね。浄土真宗に公案はないけれど、まさに親鸞聖人からいただいた公案に解を得た。そういう気分で、天にも昇る思いをしました。聖人が口にしてやまなかった表白は、聖人の自覚です。この私(聖人)ほどの極悪深重な人間はこの世にはいるまい。この私をお救いになる方途の発見に阿弥陀様はどれほどの歳月、年月を費やし、考えを巡らせ、菩薩行をされたことか。五劫思惟はほかでもない、この親鸞一人のために、最後の一人(聖人)を救おうとされた、そのためのものだったのだ。事実、本願を達成された法蔵菩薩から阿弥陀如来になられた。とすれば、最後に残された最低の人間、私(聖人)そしてこの私が救われてあることに疑いはない。そして、極悪底下の私(極悪人の中の一番底の下に位置する聖人、そして、この私)が救われてあるからには、まだわたしより罪の軽い犯罪者たちもいうまでもなく救われる。これも疑いをいえない。麻原彰晃氏は、回心懺悔することはないかもしれません。しかし、回心懺悔の心をいささかも持たない横着者は、私自身です。このような救われようもない私を如来様は第十八の本願を立てて、その信心の世界の中に摂め取って救ってくださったのです。このことに気づけば、すべての罪人がすでにして救われてあることに思い当たります。「ひとえに、親鸞一人のためなりけり」というお言葉はそういう意味なのです。観経疏の中でもこの言葉が一番難しい言葉ですね。
一切の悪人は救われる
麻原彰晃氏。ある出版社の人が怒ったんです。「あんな悪人をどうして氏をつけて呼ぶんですか。」「どんな悪人でもどんな善人でも何の差別もなく一人の存在する人間として平等に受け止めていくのが仏教者ですよ。」とこういうふうに説明をして、納得してもらいました。多くの人を殺して死刑宣言を受けた刑事犯。あの人たちよりも自分は少しはましである。事実、人を殺したり、人の物を盗んだことは一度たりともないではないか。人はこうした安心があるから毎日を平和に送っていかれるわけでしょう。先に述べた相対価値の堅い殻に守られているともいえるでしょう。しかし、果たして死刑の値する極悪人よりこの私はましなのでしょうか。なるほど、何十人も人を殺したり、サティアンというような勝手な王国を築いたり、弟子をいたぶって死に追いやったり、そうしたことはしていません。していないけれども、これに類したことを心に思い描いたことはないだろうか。気に入らないやつは、死ねばいい。ふと街角で見かけた、きれいな女性に欲情する。それは、聖書の中にもあるでしょう。「欲情の目をもって女性を見る者は、心の中で女性を犯した者である」という聖書の言葉がある。それと同じようなことをいってるわけですよ。気に入らない自分の会社へダイナマイトを仕掛ける。気に入らない上司や部下をいたぶる。好きなだけ借金をしてそれを返さない。これらの中の一つでも一度ならず心に思い描いたことはなかったでしょうか。「現実にはやっていないし空想するのは勝手だと。」こういう反論があるに違いありません。しかし、空想するだけでやっていない。そういう理由も考えたことがあるだろうか。世間体を考えるとそんなことはできない。家庭がある。女房、子供がいる。そんなことをしたら後ろへ手が回る。こうした理由をいくつも挙げることができるでしょう。理由はどうあれ、しかし自分を欺いていることには違いない。いつも自分を欺いている私が、その点では自分を欺かなかった死刑囚よりどうしてましなのか。その私が、死刑囚よりも同等以上では決してない。このことに気づいた時、おのずからすべての人々が救われる道がなければ、わたしが救われていく道はないことを知るでしょう。「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人の為なりけり」この言葉の解を得られるはずであります。
いかなるふるまいもすべし
極悪深重についての歎異抄第十三章に、いまひとつ有名なくだりがあります。ある時、親鸞聖人が常陸河和田の唯円房(歎異抄の著者)に、「私のいうことを信じるか」と聞かれました。「信じます」と答えると、「例えは、人を千人殺せ。しからば往生は一定すべし」と聖人がおっしゃった。唯円房が「私には一人も殺せません」と答えた。すると、聖人は「往生のために千人殺せといわんに、すなわち殺すべし。しかれども、一人にてもかなひぬべき業縁なきによりて害せざるなり。わが心のよくて、殺さぬにはあらず。また、害せじと思うとも、百人、千人を殺すこともあるべし。」極楽往生を遂げるためには、人を千人殺せといわれたら殺しなさい。そういわれたとしてもしかるべき業縁がなければ一人だって殺せはしない。それは、自分の心が良いから殺さないのではない。また、殺してはいかんと思っていても人を百人、千人と殺すこともある。原爆を広島や長崎に落とした人も一人だって殺そうと思ったことはないと思うんです。「さるべき業縁のもよおせば、いかなる振る舞いもすべし」という歎異抄の言葉がそのまま極悪非道の死刑囚が救われる論理とはなりません。業縁によって多くの生命を奪ったからといって罪が許されて救われたのではありません。世界一の極悪深重な私が、弥陀の本願をいただいて救われてある事から一切の悪人が救われてある。これが絶対他力の本願の救済といわれるものです。逆説的に見れば、私が救われたという事実と同時成立に麻原彰晃氏も救われているのです。
宗教的救済というのは、あくまでも心の中の世界の主体的な体験であって私の救いというもの、わたしが信心を獲るということ、わたしが悟りを開くということを抜きにして他の人々の救いを客観的に論ずるべきものではありません。私がすべての人々の一番底にいると。「凡愚底下の罪人だ」という自覚を親鸞聖人は仰言ってますね。私どももそういうすべての人々の一番下、底の底にいるのがわたしだという自覚というか、そういうことを感覚するのです。「あー、こんな私が救われるんか。救われた。ありがたい」という信心の世界、大信心の世界を開いた。と同時にすべての人が救われる。私が救われたという事実の中にすべてが救われている世界があるということが、それが信心の世界、あるいは悟りの世界になるわけですね。
拈華微笑(ねんげみしょう)
禅に拈華微笑という公案があります。
「世尊、昔、霊山会上に在りて、花を拈じて衆に示す。この時、衆皆な黙然たり。ただ、迦葉尊者のみ破顔微笑す」。
霊山とは、霊鷲山のことです。阿闍世(アジャセ)王子の悲劇のあった王舎城の近くにある山です。お釈迦様は、しばしばこの霊鷲山の山頂で大勢の人を前に説法をされました。
その日も大勢の人が集まって来て、一人がお釈迦様に一輪の金色の蓮華(スイレン)を差し上げました。若い女性です。すると、お釈迦様は受け取って、黙ってその花を聴聞に集まって来た人にふっと、ひねってお見せになりました。群衆は、それが何を意味しているのか分かりません。その群衆の中でただ一人、摩訶迦葉尊者だけがにっこりとほほ笑んだというお話。
それが拈華微笑っていうんですね。摩訶迦葉は、お釈迦様の第一弟子の人で釈尊が入寂されるとその後を継ぎました。
この公案のいわれは、お釈迦様が言葉を尽くして説教されてもなお、釈尊が訓された真理は実に微妙なもので字や言葉では言い表されない。その悟りの神髄を一輪の花に託して参集者に示されたというところにあります。
これが、私の悟りの真髄なんです。こう、花をひねって皆さんに示された。何も言葉をしゃべられない。それが、分かったのは、摩訶迦葉尊者だけで尊者は笑みをこぼしてしまったのです。公案の続きに、「不立文字、教外別伝、摩訶迦葉に付嘱す」と釈尊はおっしゃられたと書かれていて禅宗の有名な「不立文字、教外別伝」は、まさにこの公案に淵源を持つわけです。大谷大学で私が教わった土岐善麿先生。耳をつんざく雷雨の中でも、声調ひとつ変えず講義を続けらた先生ですが、優れた歌人でもおられてこんな歌を詠んでおられます。
「我が庭の花をひねりて遊べども、近所の子らはほほ笑みもせず」
かっての日、薫陶いただいた先生の面影が彷彿として偲ばれます。
私の体も私の命も弥陀の現れ
拈華微笑の公案は、禅の世界の話ですが浄土門にとって無縁かといえば、決してそうではありません。私は、お釈迦様は阿弥陀様のお姿を花でお示しになったと解釈しています。阿弥陀様は、その名もいわれが示すように無量寿であり、無碍光です。無限の時間に生きられ、何者も遮ることがない無碍光としての存在です。それは別の言葉で言い表すなら、真如であり、真理であり、永遠です。すなわち、自ら私たちの目に映るすべては、阿弥陀無碍光如来のお姿を現れとしていただいている。私の体も、私の命も阿弥陀(真如)の現れです。だから、私の体も、私の命も、拝める気持ちになるんです。したがって、お釈迦様が私たちに向けられた蓮華を浄土門の私たちは、阿弥陀如来のお姿としてとらえていいのだと思います。
風が渡りゆく ススキ野原浄土真宗には、聞法という他宗派では見られないひとつの修行の方法があります。聞法とは、一般的には法を説く。その法を聴聞することです。真宗の勉強の原点といっていいでしょう。真宗には、元来禅宗のような坐禅をくむ修行はありません。ひたすら仏のお示しになった真理。それを説く言葉を聞く。これがすべての始まりです。けれども、私にはこれは、現在の浄土真宗の枠に押し込めた狭い解釈のように思われます。
金色の蓮華が阿弥陀如来であるように、名もない道端の草花、木々そして虫、蛇、蝶々、小鳥。そればかりではなく空の青さ、こずえの音、風、雪、雨。これらすべてが、如来の現れのはずです。その道端の草花、虫、蛇、小鳥、こずえを渡る風のささやき。これが、語る何か。それに、耳を傾けること。これが、聞法であり、聴聞だと私は思うのです。これが、語る何かとは、阿弥陀様の法を説かれる声、救いを約束していただく声のことです。ですから、木の葉一枚でも、萌えいずる若葉もうれしい。
青葉の姿も美しい。秋の紅葉もありがたい。落ちてゆく枯れ葉の姿も素晴らしい。そして、厳冬の雪にうずもれた野山に立つ裸木。―これも阿弥陀如来の私たちにお示しになっているお姿のはずです。ツバキの花は、生け花の世界では、忌み嫌われてきました。それは、人間の勝手な思惑。打ち首の姿を連想させるという我執の目で見ての意味です。しかし、花瓶に挿したツバキが四~五日たってぽとりと落ちる。その瞬間の姿にも阿弥陀如来の現れ、姿が見られるのです。
死ぬることがあるのが幸せ
浄土真宗にはまた、善知識という他の宗派にはない特別の意味合いを込めた言葉があります。知識とは、仏法のいわれを知っていること。だから、善知識は、先生という意味になります。浄土真宗では、さらに転じて法主、門主を指します。善知識を教える、教えられるという関係の身分や立場でとらえるのは、いかにも狭隘です。虫も、花も、空の青さも阿弥陀如来の現れであるなら、虫は善知識なのだと私は思います。花も善知識。花が枯れていく姿も善知識です。私は百年前に夭折された金子みすずさんの詩集を愛読していますが、金子みすずさんが見た金魚も、海の底のイワシも、善知識なのです。金子さんが金魚の夢を、私に食べられてしまうイワシの命に思いをやる時、みすずさんは善知識に聴聞しています。私は、そのように詩を解釈しました。そうでなければ、現代人の心をこんなに打つわけがありません。
昭和五十九年に私の母が、八十四歳で亡くなりました。亡くなった前々夜、私は母の部屋に自分の布団を運び入れ母の寝床に並べて一夜添い寝をし、下のものも取り替えるたびに母の苦労をしのび自らの不孝を詫びました。母は、明治三十二年に函館市に生まれ父に嫁いで岐阜市に落ち着きました。幼いころの母の思い出は、いつも針仕事をしている姿と一緒にあります。小学四年生のころ、どういう理由からか、またどういう衝動からか、針仕事をしている母に、「人間は何のために生きているのか」、「人間の幸せって何なのか」そんな意味のことを聞きました。縫い物の手をちょっと止めると母は、こんな返事をしました。「人間にはねえ、死ぬるということがあるのが幸せなのよ。」思いもしない言葉でした。死という言葉にわたしは、たじろいだのでしょうし、それにどういう言葉を返したらよいかを知らずただ、母の次の言葉を待ちました。母は、わずかに顔を上げると眼鏡ごしに私を見上げ、ほほ笑みをたたえた顔を一~二度うなずく様子で静かに振り、また黙々と針の手を動かし始めました。その時、「なぜ」、「どうして」と聞き返さなかったことが、今も残念で仕方ありません。
ある時、榎本栄一さんの『いのち萌えいずるままに 念仏者の自己発見』を読んでいると榎本さんの「死」と題する詩にゆきあたり、どきりとしました。
私に死がくるのは
娑婆何十年を浮き沈みしながら
よく働いてくれましたと
如来さまからのご褒美
母は、詩を作るということはしませんでした。けれど、この詩がまるで母が作ったように思えたからです。そういうと、榎本さんに大変、失礼にあたります。しかし、何かしきりに気になり、あれこれの空想をしました。そして、ふと思い当たったのです。榎本さんの詩の最後に「死ぬるということがあるのが幸せ」と母の言葉を続けていました。
私たちは、いつも我を張って毎日を生きています。けれども、八十年も九十年も生きるとちょうど路傍のお地蔵さんのような同じ姿、心のたたずまいになっていくようです。それを幸せと思うかどうかは、その人の心の一つのように思えるのですがどうでしょうか。
死の鏡に照らして我が生を見る
人は、執行未定の死刑囚としてこの世に生まれるんだといっては身も蓋もありませんが、実相はそうでしょう。いま少し抒情的にいえば火をともされた一本のろうそく。どこで火か消えるか分かりませんが、火が消えた。そこが寿命です。私のろうそくもせいぜい残り数年の長さでしょう。そこで、生死を超える生き方があるとすれば、たえず死の鏡に照らして我が生を見るということかと思います。榎本さんも母も、そういう言い方をしていないけれども、そういう生を生きたんだと私には思われます。
初心忘るべからず
平成七年の第八期生入塾式で鎌田茂雄先生(東大の名誉教授)に記念公演をしていただいた際のテーマは、「道を求める姿勢」でした。この講演で先生は、世阿弥を題材にされたわけですがそのお話をかいつまんででご紹介しましょう。
世阿弥の大切な句は、有名な「初心忘るべからず」です。そして、二番目には「時々初心忘るべからず」です。この時々というのは、たまにというのではありません。その時、その時に。つまり、三十歳の時には、三十歳の時。五十歳の時には、五十歳の時の初心忘るべからずがあるというのです。そして、さらに「老後の初心忘るべからず」。この一句に鎌田先生は、こう解釈を加えられています。「特に重要なのは、年をとってからだというのです。年をとってから初心を忘れずに稽古をしていかなければいけないというのです。世阿弥の説明では、老後の初心忘るべからずとは、命に終わりあり、能には果てあるべからずというのです。この世阿弥がいっている能のところを仏教に置き換えてご覧なさい。仏教には、果てあるべからずとなります。」そして、世阿弥は最後に、老後の初心をなぜ起こすのかと問い。こう答えています。「老後の風体に似合うこと習うは、老後の初心なり」。こういうふうにいってるんです。深い言葉ですね。
木の葉一枚でも、もえいずる若葉もうれしい。青葉の姿も美しい。秋の紅葉もありがたい。落ちゆく枯れ葉の姿も素晴らしい。厳冬の雪にうずまれた野山の裸木、これも阿弥陀如来の私たちにお示しになっているお姿のはずである。若葉も、青葉も、紅葉も、落ち葉も、その時その時の命を生きています。どの時期の木の葉が美しくて、どの時期の木の葉が穢いというものではないのです。青春は美しくて、老人は醜いというものでは決してありません。思えば今生きている道、生きていける道がそのまま死への道、死んでいける道となる。そうしたものを求めて、今日を生きる。そうした生き方を願わくば持ちたいものであります。(終)







