宝間比丘と元暁聖人
今日は、 闇を破るといいますか、 殻を破る、 そういうテーマでお話しをして参りたいと思います。お釈迦様の弟子に宝間比丘という方がいました。 あるとき宝間比丘は、 「一言をもって終生の指針たるべき言葉をお与えください」 と、 お釈迦様に願い出ました。 そうしたらお釈迦様は、 よろしい、 それでは与えましょうと言って 「汝、 慎んで盗むことなかれ」 とおっしゃった。 「汝、 慎んで盗むことなかれ」。 これは仏法の初歩で、 在家の信者が守るべき五戒の中の一つ、 「不偸盗」 のことです。 「これは一体どういうことだ。 私は二百何十戒という戒律を守っている比丘の身である。 それなのに盗むことなかれなんて、 在家に与えるべき戒を人生の指針にしろとは、 どういうことか」 と一瞬思った。
一瞬思ったけれども、 やはり賢い人です。 これには何か深いわけがあるに違いないと、 考えに考え抜いた。 そして幾日も幾日も修養を深めて、 ついに思い当たった。 「私は自分の体、 自分の身、 命を盗んでいた」、 ということに思い当たったんです。 「私は天地万有の気を受けて、 今ここに存在している。 それを我が身だ、 自分のものだと考えている。 しかし決してこれは我が身ではない。 自分の体というのは我が身じゃないんだ。 それを我が身だと思うのは、 天地万有を盗んでいることになる。 尊師が汝、 盗むなかれという一言を与えられたということは、 このことをおっしゃったんだ」 と思い当たって、 豁然として悟ったんです。
16期スクーリングで講義する大洞塾長=東京・本郷の東大仏青で
これについて思うことがあります。 私はかつて真宗大谷派の企画部長を務めましたが、 終生の仕事の一つになる 『明治造営百年東本願寺』 という建築に関する膨大な本を五年間かけてつくったんです。 四十二歳のときです。 ちょうど厄年だったんです。 そのときに、 これで一つの仕事を終えた、 このまま本願寺にいていいんだろうかと思ったんです。
やはり開教をしたいという思いが昔からありまして、 ニューヨークにお寺をつくりたいと思ったことがあるんです。 父親が倒れてそれはとん挫したんですが、 日本で開教することにして選んだ場所が首都圏です。 人口はどんどん増えていったのに、 お寺が増えていない。 特に浄土真宗は、 徳川家康が一向一揆で大変な目に遭っていますから、 浄土真宗の信者をできるだけ増やしたくないという思いがあって、 それで首都圏には真宗のお寺が少ないんです。 ところが、 東京へ流入している人たちの大半は、 浄土真宗の信徒の多い地方の出身です。 だから浄土真宗のお寺をつくって、 浄土真宗の教えを広めていきたい、 そういう願いがあったんです。
四十二歳というのは、 厄年と言うけれども、 そうじゃない。 厄年の厄は厄介の厄じゃなしに、 大役の役だと考え、 首都圏へ出かけてきて、 開教を始めたわけです。
かなり無理なことを重ね、 あるとき突然、 声が出なくなってしまった。 びっくりして、 病院へ行ったところ、 のどにこぶが出来ているのがわかり、 手術して除去することになった。 そしたら先生が、 「あなたね、 そういう無理な生活をしていると、 いくら手術をしてもだめですよ。 また同じようなことが起こりますし、 体がもうめちゃめちゃになりますよ。 血液検査なんかをみると、 今でももうめちゃめちゃですよ」 とおっしゃった。
私はそのときにふっと思い当たったのです。 私は自分の体、 自分の命を自分のものだと思って酷使して、 つらい思いをすることが修行なんだ、 いいことなんだという考えが自分の頭の中にある。 それはよくない。 そうじゃないんだ。 この私の命は、 阿弥陀如来様があらわれてくださった、 阿弥陀如来様のものなんだ、 私のものじゃないんだ。 私の命を拝まなければいけない。 私の命を拝む。 そういう考え方に変えなきゃいけないと、 ふっと思い当たったことがあります。 自分の命を、 自分の体を拝む。 ご苦労さんです。 よく生きていらっしゃるとか、 よく苦労をしていらっしゃる、 よく苦しんでいらっしゃる、 よく楽しんでいらっしゃる、 尊いことですねと、 自分の命を拝むことが、 私は非常に大切なように、 そのときにつくづく思いました。
ところでお釈迦様が成道、 いわゆる悟りを開かれたということは、 どういうことだったかということです。 お釈迦様は二十九歳のときに出家をし、 三十五歳の十二月八日の未明、 知見光明に達せられた。 人間の苦悩、 すべての我々のもとになる煩悩を打ち破る知恵を得られたということでありまして、 人間の苦悩の連鎖の根源に無明というものを発見されたということです。
それは 「縁起の法」 として、 仏教では説かれております。 「十二因縁」 とも示されます。 人間の苦しみというのは、 老いていく苦しみ、 私も今六十六歳になりました。 やっぱり去年よりも今年、 おととしよりも去年と、 自分の体が老いていくことを実感しております。 その 「老」 のもとには 「生」 がある。 これは生存です。 そのもとを尋ねると 「取」 がある。 執着が原因だ。 さらにその原因を求めると、 「愛」、 渇愛・渇望である。 そのもとは 「受」、 感受である。 そのもとは 「触」、 接触である。 触覚です。 そのもとには 「六処」 がある。
「六処」 というのは、 眼・鼻・耳・舌・身・意という六種の感覚です。 そのもとには 「名色」 がある。 姿とものです。 そのもとには、 思い巡らせるという 「識」 がある。 そのもとは 「行」 である。 「行」 というのは現象界、 いろんな現象のことです。 その一番根本は 「無明」 だ。 これは迷いであり、 闇である。
ということは、 私どもは 「無明」 の存在である。 その 「無明」 の存在を破る、 「無明」 を破る、 闇を破る、 殻を破る。 そこに悟りの世界、 宗教的真理の世界が展開するということになります。 ですから私たちはまず、 苦しみのもとは 「無明」 にあるということに思い当たらないと、 それを破ることはできない。 執着のままでは破れないことになります。
七世紀の朝鮮半島に二人の有名なお坊さんがいました。 一人は元暁という方です。 もう一人は義湘という方です。 二人は本当の仏教を学ぼうと、 唐の国へ渡ろうとしたんです。 あるとき、 漠々とした荒野を二人で歩いているときに、 ものすごい暴風雨の中、 夕闇も迫ってきた。 丘陵のようなものが見えてきたので急いでたどりつき、 洞窟を見つけて一晩を安心して眠ることができたんです。
翌日、 外へ出てみると、 前と同じようなすごい暴風雨であった。 これは外へ出ることができない。 これはもう暴風雨がやむまでこの洞窟の中で過ごそうということで、 洞窟の中へ帰ってみる。 帰ってあたりを見ると、 白骨が散乱しているんです。 頭蓋、 どくろ、 それから背骨やら手足の白骨がいっぱい散乱している。 その洞窟はお墓だったんです。
しかし、 今はどこにも行くことができないからということで、 二日目の夜、 義湘はそのままグーグー寝た。 ところが元暁は、 なかなか寝つけない。 幽鬼があらわれては、 元暁に向かって怪しげなことをするんです。 それを追い払うと、 しばらくいなくなって、 やれやれと思ったら、 また幽鬼があらわれて、 いろんなことをした。 それで朝まで全然眠ることができなかった。 一睡もできなかったんです。
三日目の朝、 もう外は青々とした空が広がって、 天気がとてもよかったんです。 それで元暁と一緒にいた義湘は、 さあ、 唐へ向かって行こうということで、 出発を促しました。 そのとき元暁は忽然として悟ったのです。
何を悟ったか。 それは、 安らぎも不安も、 自らの心がつくった仮の姿に過ぎない、 ということです。 第一夜は、 墓だということも、 どくろと一緒に寝ているということも知らないから安らかに眠った。 ところが、 第二夜は墓であることを知ったために、 状況は第一夜と何の変わりもないのに、 我が心の 「無明」 がつくり出した幻想におびえていた。 そこで仏教の真髄を得たと思ったわけです。 それで元暁は、 もう唐へ行く必要はない。 このまま新羅へ帰ると言って、 義湘と別れ、 朝鮮半島へ帰り、 そのときの悟りを元に仏教を伝道した。 このお方は、 浄土教を朝鮮半島に広めた功績のある方です。
これは 「無明」 なる心の迷いが 「行」、 現象をつくり上げていることを示す、 「縁起の法」 を明らかにするエピソードだと思います。 これは理論的にどうこうというのではなしに、 何かのときに豁然として悟るということが、 仏教にはあるのです。
これと同じように、 地獄の責め苦も 「無明」 がつくり出すものだと仏教では言います。 例えば源信僧都の 『往生要集』 の中に、 八大地獄の有様が書かれている。 等活地獄・黒縄地獄・衆合地獄・叫喚地獄・阿鼻大叫喚地獄・焦熱地獄・大焦熱地獄、 それから無間地獄という八大地獄。 その八つの地獄の中にもいろいろな種類があるんです。
衆合地獄の中の一つに、 こういう記述があります。 「獄卒、 地獄の人をとりて、 刀葉の林に置く」。 獄卒というのは、 地獄の鬼です。 その獄卒が地獄へ落ちてきた人を捕まえて、 「刀葉の林に置く」、 つまり木の葉っぱが全部、 もろ刃の刀になって林へ連れてくる。 そして獄卒は帰ってしまう。 やれやれ獄卒がいなくなったと思って、 ほっとしてかの木の頭を見れば、 「好ましき丹上、 厳飾の婦女あり」。 もろ刃の刀が葉っぱとしてついているその木のてっぺんに、 非常に美しい、 いい女がいる。 そしてこびたる眼とこびたる声で、 体をくゆらせて誘惑する。
地獄へ落ちた人は、 地獄だということも忘れてしまって、 なんて美しい、 何とかあの女が欲しいと、 木を登りだす。 登りだすと、 刀葉がサーッと全部下を向く。 それでも上から誘いの声が聞こえるものだから、 どんどん登っていく。 登っていくと、 刀のやいばがこちらを向いていますから、 手やら足やら肉体が破れて、 血が出る。 それでも誘われるものだから、 上まで行く。
ようやくてっぺんへ登って、 パッとつかもうとすると何もいない。 ハッと思って、 あたりを見回すと、 先ほど木のてっぺんにいた女が、 今度は木の下にいて、 何をやっているの、 私はここにいますよ、 早くおりていらっしゃいよと。 もう血もいっぱい出ているんだけれども、 今度は下へ降りだす。
降りだすと、 刀葉が今度は上を向く。 男は、 皮が破れ、 血管が破れ、 肉がそげて、 骨も出だす。 ようやく下へ降りてパッと抱こうとすると、 いない。 そうすると、 何をやっているんですか、 私はここにいますよ、 木のてっぺんへ登って、 また男を誘うんです。、 男はまた登り出す。 何遍も何遍も繰り返しているうちに、 もう筋肉も何もない、 力もなくなってしまった。 力がないのでパラッと木から落ちてしまって、 その木の下に、 もうほとんど骨ばかりになって転がっている。 そこへ獄卒がやってきて、 その骨を棒でポンポンとたたくんです。
そうすると、 今まで骨だけになっていた体が、 また元の同じような体に戻るんです。 元の体に戻ると、 獄卒は出ていってしまう。 そうすると、 また女の声がして男はまた登り、 また降りる、 また骨だけになると、 獄卒が来てまた元の体に戻る。 同じことを、 無量百千億年、 想像もできない時間にわたって、 何遍も何遍もやっている。
かくのごとく無量の時間にわたって自分の心にたぶらかされて、 かの地獄のごとく巡りいくのが我々の姿なんだよということを 『往生要集』 はいっているのです。
それからもう一つ、 「陰 (おん) を断ぜんより心を断ぜんにしかず」 という釈尊がおっしゃった言葉があります。 これは何百人もいるお釈迦様のお弟子の中で、 性欲に打ち勝てない男の修行者が刃物で自分の男根を切ろうとした。 男根を切れば性欲はなくなって、 しっかりお釈迦様の教えを聞いて修行をして、 悟りを開くころができるのではないかと考えたわけです。 それをお釈迦様が知って、 おっしゃった言葉が、 「陰を断ぜんより心を断ぜんにしかず」 とおっしゃったんです。 さらに 「邪心をとめずんば、 陰を断ぜずとも何の意義あらん」 とも、 おっしゃったんです。 そんなことをやったって、 だめだ。 自分のそういう欲望が起こるのは、 心が起こるんだ。 男根が起こるのではない。 枝葉末節の体が起こすのではない、 心が起こすんだ。 だから男根を断ずるよりも、 心を断ずることが大事なんだと、 こうおっしゃったんです。
だから、 苦悩の源が心、 「無明」 にあるということを知らない人は、 男根を切らんとするのと同じように、 愚かなことなんです。 要するに現象界の根源には 「無明」 というものがあることに思い至らないといけないということをおっしゃった。 逆に言えば、 「縁起の法」 を知り、 「無明」 の闇を破ることが、 一番大事なんだということです。 そうすれば宝間比丘や元暁のように、 豁然として悟りを開くということもあるのです。
相対価値から絶対価値へ
宗教的真理の世界は厳然としてあるというのが私の考えです。 それをどう表現をしたらいいかということで、 いろいろと考えあぐねていたんですけれども、 相対価値の殻を破って絶対価値の世界へ躍り出るという、 一つの表現の仕方があるのではないかと思うわけです。仏教には 「三界を超える」 という教えがあります。 「三界」 というのは欲界、 色界、 無色界のことで、 要するに私たちが住んでいる世界のことですが、 私は 「三界を超える」 ということについてずっといろんなことを考えて、 思い当たったんです。 私たちの住んでいる世界は一つのかたい殻の中で、 卵の中に私どもはいるように思う。 外からの光は届かないからその中は真っ暗です。 その暗やみの中で、 おれは金持ちだ、 お前は貧乏人だ、 私は美しい、 あなたは醜い、 おれは尊いんだ、 うちの血筋、 血統はこうで、 何々家の出身で、 元武士であったとか、 貴族であったとかということを誇りに言っている人がいます。 そうでない人を差別して、 おれのほうが尊い血を持っているんだという言い方をしますでしょう。
それからまた、 私は学問をいっぱい身につけて博学であると。 言葉も外国語を五、 六カ国語をしゃべることができる、 お前なんか何も知らないだろうと。 そういう賢愚、 優劣、 大小、 高低。 この高低というのは、 男の人を女の人が見る場合に、 背が高い人がいい、 背が低い人はいかんと、 こうして見るでしょう。
これはもうどうしようもないが、 そういう目で見る。 そういう目で見るのは全部罪なんです。 若い人は、 年老いた老人がとぼとぼ、 よちよちと歩いたりするのを見て、 車で運転していくのに、 邪魔だ、 早くどきやがれという言い方をする人もいるじゃないですか。 それから生死――生きているものと死んでいるもの。 善悪――私は善人だ、 お前は悪人だ。 自分と他。 こういう二元対立的な見方で、 私どもはその殻の中で生活をしている。
そして殻が破れるか、 破れないか。 これが悟りを成就できるか、 できないかということではないでしょうか。 一たん、 この殻を破ると、 そこには広大無辺な絶対価値の世界が展開している。 それが宗教的真理の世界、 いわゆる悟りの世界でありまして、 一たんこの殻を破って、 宗教的真理の世界の中に入りますと、 この中が全部見えてくる。 この殻の中の世界が全部透明に、 全部透けて見えてくる。 そういうことかと思うんです。
二つほど例を挙げておきましょう。 禅宗で 「香厳の撃竹」 という有名な話があります。 これは、 香厳知閑という人がいまして、 この人はものすごい頭のいい人だった。 百丈懐海という師についていたんですけれど、 その懐海師が亡くなってしまわれたので、 兄弟子である山霊祐という人を師にしたんです。
山霊祐は、 香厳知閑を非常に優秀な人で尊敬はしている。 尊敬はしているんだけれども、 何か一つ足りないと考えた。 それで 「分別知の見」 ではなく、 無分別の悟りを得よ、 と知閑に言って一つの公案を与えた。 それは、 「汝が母の胎内を出る前に、 汝の汝たるゆえんを一句で述べなさい」 というものです。
知閑はその公案をもらって、 今はもう師匠ですけれども兄弟子にいろいろと答えて言うんです。 言うんだけれども、 それではだめだ、 そんなことじゃだめだ、 お前の言っていることではだめだと、 全部否定されます。 そして知閑は、 自分の持っている書物の中をずっともう一遍読み直す。 ノートも読み直す。 だけれども、 その中に何も解答がないということがわかって、 自分の持っていたノートや書物を全部焼き捨ててしまったんです。
そして山霊祐のもとを去って、 師匠の墓の墓守になる。 本を読むこともなく、 何もすることなく、 掃除をしたりして、 墓守をした。 そしてあるとき、 墓の周りの草刈りの鎌 (かま) にカチンと石が当たった。 こんな石はいらないわと思って、 ぴゅーいと放ったんです。 放ったらそこに竹が生えていて、 その竹に当たってパーンと音がした。 その瞬間に破顔した、 すなわち悟ったわけです。
それから曇鸞大師という方、 中国の山西省の生まれですけれど、 中国浄土教の開祖に当たる方です。 五世紀ごろの方で、 五台山へ幼児のときに登って、 ものすごい霊感を得た。 やがて 『大集経』 ――仏教全集のようなものですが、 それの全部の注釈書をつくって残そうという決意をされた。
その注釈書の執筆にかかったところが、 体を壊してしまったんです。 あんまり過酷な仕事であったものだから、 これでは最後までこの 『大集経』 の注釈書はつくれない。 体を何とか元どおりにして、 長く生きて、 この仕事を完成しなきゃいかんということで、 道教の長生不死の仙術を習う。
もう習い終わったということで、 これでもう自分は長生きができるから仕事が完成できると、 五台山へ帰ろうとした途中に、 洛陽で菩提流支というインドの僧侶に会った。 その菩提流支に会って、 「仏教には、 道教の長生不死の法に匹敵する法がありますか」 と聞いたんです。
そしたら菩提流支は、 「長生不死の術なんかは、 あぶくに過ぎない。 それは迷いの法である」 と言って、 パッと大地につばをした。 何をおまえ言っているんだ、 おまえは仏法者でしょう。 しかも有名な、 賢い、 将来を嘱望されて 『大集経』 を注釈しようとしている仏法者が、 何を血迷っているんだと、 パッと大地につばきを吐いて一喝した。
そして浄土教の経典の一つである 『観無量寿経』 を与えて、 これを読みなさいと言ったんです。 その 『観無量寿経』 をその場でバーッと読んで、 忽然としてまたこの人は悟ったんです。 そして道教の仙術の経典十巻をその場で焼き捨てて、 深く阿弥陀仏の浄土門に帰依した。
これが浄土門で言えば、 信心を開いた、 信の世界を得たということです。 信の世界を得たというのは、 破れたということです。 禅宗でいえば、 悟るということでしょう。 「香厳の撃竹」 も、 この曇鸞の逸話も、 両者とも世間的価値に固執して破れていなかった、 そういう心を焼き捨てて、 破れて、 そして絶対価値の宗教的真理の世界に到達したことを示すと思います。
私には破れなかった二つの課題があったんです。 一つは 『歎異抄』 の中に、 阿弥陀如来の五劫思惟の願――五劫思惟の願というのは、 この救われようのない私でも、 どうしたら救うことができるかと考えあぐねた阿弥陀如来様の思い当たられた願です。 この五劫思惟の願を 「よくよく案ずれば、 ひとえに親鸞一人がためなり」 とおっしゃった親鸞聖人の言葉です。 私は大学のころに、 『歎異抄』 は全部そらんじてしまって、 よく思い出してはそれをどう受け止めたらいいか、 と考えたんだけれどもどうしても解けなかった。
親鸞聖人ともあろうお方が、 阿弥陀様の五劫思惟の願を、 親鸞一人のためとするなんてこんな利己的な、 おめでたい受け取り方をしていらっしゃる。 どうしてもわからないと思ったんです。 万民のためにあるんじゃないですか。 一切の生きとし生けるもののために五劫思惟の願はあるのに、 ということでどうしても解けなかった。
ところが、 この仏教塾を卒業をして、 得度して浄土真宗の僧侶の資格を得られた方が百数十人いらっしゃいますけれども、 その方たちで安居 (あんご) というのを、 私の岐阜のお寺で年に一回するんですけれども、 そのときに、 ちょうどオウム真理教の話が出ました。 浄土真宗では悪人が救われるというが、 現代における最たる悪人は、 麻原彰晃ではないか。 あんな悪人が救われるんですかというテーマを出されるんですね。
いろんな議論があるんです。 しかし、 それは救われるでしょう。 麻原彰晃も懺悔をして心を悔い改めて、 お念仏を唱える身になれば、 それは救われますよと、 大体そういう答えが多かったです。
私はそうではないんじゃないかなと思っておりました。 考えたのは、 親鸞聖人はご自分のことを 「凡愚底下の罪人」 とおっしゃったんです。 ご自分のことを、 凡愚底下――いわゆる凡愚人、 あるいは愚者の凡夫、 愚者の一番底下ですから、 底の下にいる罪人が私自身であるとおっしゃった。 それは私自身もそうで、 そうとるべきなんです。
そうしますと、 救われるということはどういうことなのかということです。 一番底の下にいる私が救われるということは、 私よりも上に麻原彰晃氏や、 いろんなほかの、 殺人や放火をした人やらがいるんじゃないですかということになる。 「弥陀の五劫思惟の願」 によって、 一番罪の重い、 一番下にいる、 救われようのない私が救われたということは、 すべての人が救われているということで、 あの人が救われた、 この人が救われたということではないんです。
私が救われたということで、 すべての生きとし生けるものが救われるということなんだと、 思い当たったんです。 思い当たって初めて、 「弥陀の五劫思惟の願」 の読み方がふっと解けたんです。 なかなか解けなかった 「偈」 がふっと解けたんです。
それからもう一つ、 解けない 「偈」 があるんです。 私が小学校の五年生ぐらいのときに、 ちょっと病気で学校を休んで、 何日も寝ておったんですが、 そのときに母親は、 隣の部屋で縫い物を一生懸命している。 母と私と二人だけ。 そのときに私はいろんなことを考えたんですが、 母親に向かって 「人間の幸福は何ですか」 と聞いたことがあるんです。 生意気にもね。 そしたら、 母親は私のほうを見もしないで、 つっと針をとめて一瞬考えて、 すぐ答えを出してくれたのは、 「人間には死ねるということがあるのが幸せなのよ」 と言って、 私の顔を見て、 にこっとして、 またそのまま針を進めていた。 それ以来、 「人間には死ねるということがあるのが幸せなんですよ」 という言葉が人生の課題になって、 まだこれは本当には解けていません。
阿弥陀如来様は無量寿でありちょっと話は飛びますが、 真に仏性なんです。 そして、 いわゆる 「捻華微笑」 ということがありまして、 摩訶迦葉がお釈迦様の悟りを一人正式に継いだという、 「捻華微笑」 によってあらわされているのは、 お釈迦様にある女の人が金色の蓮 (ハス) の花を捧げた。 お釈迦様はそれを受け取って、 ぴゅっとひねって大衆に示された。 大衆は何のことかさっぱりわからない。 けげんな顔をしている。 ただ一人、 摩訶迦葉だけがにこっと笑った。 そのときにお釈迦様は、 摩訶迦葉が破顔したというか、 本当にお釈迦様の悟りを受け継いだことになっているんです。
摩訶迦葉は禅宗系統の祖になっています。 私どもは浄土教の話をするんですけれども、 浄土教でいえば、 この 「捻華微笑」 の金色の蓮華は阿弥陀如来なんです。 私の体の命も阿弥陀様のあらわれなんです。 小さいころに 「阿弥陀様って、 どこにいらっしゃるの。 本堂のあそこにいらっしゃるのが阿弥陀様?」 「いやそうじゃない、 あなたの中にいらっしゃる」 と、 私は親から聞いているんです。 そういうことを聞かれた方もあるかと思うんですが、 そういうことなんです。
私の体も命も、 阿弥陀如来様の御あらわれなんですね。 名もない道端の草花や木々、 虫やヘビ、 チョウチョウや小鳥、 空のこの青さ、 こずえの音、 風、 雪、 雨、 これもすべて阿弥陀如来様のあらわれである。 殻が破れて見えてくる世界なんです。 ツバキの花が、 ぽろりと落ちそうになる。 歌にありますが、 ツバキの花は生け花の世界では忌み嫌うんです。 なぜかといったら、 それは打ち首を連想させるという人間の勝手な思惑からきたものでありますけれども、 我執の目で見るからそうなんであって、 花入れに挿したツバキが、 二、 三日たってぽとりと落ちる。 その瞬間の姿も、 阿弥陀如来様の御あらわれであると私は思います。
一枚のもえ出る若葉もうれしい。 青葉の姿も美しい。 秋の紅葉もありがたい。 落ちゆく枯れ葉の舞うのもすばらしい。 厳冬の雪に埋もれた、 葉っぱを一枚もつけていない裸木、 それらもすべて阿弥陀如来様の御あらわれであるはずです。 若葉も、 青葉も、 落ち葉も、 そのときどきの命を輝かせているんです。 青春が美しくて、 老年が醜いというものでは決してありません。
平成七年の第八期入塾式のときに、 もう亡くなられましたけれども鎌田茂雄先生は、 世阿弥の花伝書の一説を示して、 私どもに教えてくださった。 「初心忘るべからず」 と。 これは仏法を学ぼうとしている皆さんに向かって、 その初心を忘れてはいけないよということをおっしゃったんですが、 ときどき初心を忘れるから、 ときどき思い出して、 初心忘るべからず、 ということではない。 いつでも、 常にというのが、 ときどきという意味だそうです。
「老後の初心忘るべからず」。 老後の初心というのは何かといったら、 「老後の風体に似合う。 習うは老後の初心なり」 と花伝書に書いてあるわけです。 老後の風体に似合うとは、 どういうことでしょう。 皆さん、 一緒によく考えてみようじゃありませんか。
私は、 初心ということは命の輝きだと思うんです。 いつも初心でいる、 そのとき命が輝いている。 その輝きが初心だと思う。 私はそう受け取っております。 思えば今、 生きている道、 生きていける道が、 そのまま死への道、 死んでいける道となる。 そうしたものを求めて今を生きる。 願わくは、 そういう生き方を皆様と一緒に生きたいものだと思っています。
= おわり =







