大洞 龍明塾長

大洞塾長がNHKラジオ「宗教の時間」に出演

2002年12月 1日 NHKラジオ放送で塾を紹介。反響相次ぎ、応募者も。

大洞龍明塾長が昨年十二月一日、 NHKラジオ放送の 「宗教の時間」 に出演し、 東京国際仏教塾の目的やこれまでの歩みについて紹介した。 現代において仏教を学ぶ意義を塾生の具体的な姿も織り交ぜて説く分かりやすい話に、 反響が相次ぎ、 放送を聞いて新年度第十六期に応募したという人もあった。

大洞塾長が「宗教の時間」に出演
 この放送は日曜日の朝八時半から三十分にわたって行われた。 NHKの元宗教担当ディレクター金光寿郎さんが質問し、 塾長が答えるという形式。 事前に金光さんが岐阜市にある光明寺に大洞塾長を訪ねて取材したものを、 「現代人と出家得度」 をテーマに編集した。 放送された内容の要点をまとめるとー。

 金 光 「東京国際仏教塾というのは得度をさせるのが目標なんでしょうか?」

 大 洞 「塾は一年間の課程で、 前半で仏教の基本的なことを学んでいただき、 後半で各自好きな宗派を選んで専門的に学ぶことになっています。 その後はそこで教わった講師を師僧として得度するわけですが、 それには在家得度と出家得度の道があります。 在家得度というのはたとえば禅宗でいうなら戒と戒名をいただいていままでの生活をそのまま続けながら求道生活もするというもの。 出家得度というのは剃髪をして得度式に臨む。 その先は宗派によって異なりますが、 僧堂にはいって専門的に修行生活をする場合と、 普通の生活をしながら修行する場合があります。」

 金 光 「得度というのは渡ることを得るということでしょうが、 その本来的な目的はどういうことでしょうか。」

 大 洞 「ええ、 渡るというのはこちらの岸からあちらの岸へ、 つまり、 迷いの世界から悟りの世界へ渡るということです。 仏教が中国に伝わってから出家制度が整備され、 出家得度をした者が僧籍にはいるということになりました。 それは世俗のすべてを捨てるということを意味し、 日本でもはじめはそうでしたが、 約八百年前に真宗において肉食妻帯の在家のまま僧籍にはいるようになり、 他の宗派でも明治以降はそうなりました。 ですから形の上では崩れてしまっております。」

 金 光 「塾生をごらんになっていて現代人は仏教をどう理解していると思われますか。」

 大 洞 「一つには精神的修養の方法との見方もありますし、 あるいは心や体の健康法、 また倫理道徳的な観点から仏教が求められる場合もあるようです。 しかし、 仏教塾で最初から講義をなさって下さった鎌田茂雄先生はいつも言っておられた。 『仏教をいくら学んでも何の役にも立たないよ。 でも何の役に立たないものを学ぶということがまた良いのですね。 これまでは自分のため、 家族のため、 あるいは会社のためということで勉強もし、 働いてもきたわけですが、 そういう意味では仏教からは何も得るものはない。 ですがたった一つだけ役にたつことがある。 それは、 私たちのこれまでの考え方を百八十度、 がらりと変えることができるということです』 と。
『維摩経』 というお経に維摩居士という方が出てきますね。 お釈迦様の在家のお弟子ですが、 仏教に非常に精通していて、 出家のお弟子たちからも尊敬されている。 居士のもとに集まった出家者たちがある日、 出家の功徳についてあれこれと言い合いをはじめ、 中には 「出家には九族天に生ず」 というほどの功徳があると言い出す者も。 議論をだまって聞いていて尋ねられた維摩居士はおっしゃった。 『出家には何の功徳もない。 なぜなら出家ということは無為の行為だから』 と。 びっくりするみんなに向かって居士は続けておっしゃった。 『出家とは無上の悟りを求める心をおこすことにほかならない』。 鎌田先生や維摩居士のお話が出家の本質を表しているのだと私は思います。 仏教塾で目指すのもこういう意味の得度であって、 本質的には出家得度も在家得度も同じことです。」

 金 光 「百八十度変わるというのはどういう意味なのでしょうか。」

 大 洞 「日常生活においては何も変わりません。 ただ私が考えるに、 生の世界と死の世界を同時に包みこむ宗教的真理の世界というものが厳然としてあるわけですが、 生の世界は厚い殻に覆われている。 その殻の中で、 これは善いとか悪いとか、 きれいだとか汚いとか背が高いとか低いとか色が黒いとか白いとかそういう比較価値、 つまりは相対的な価値基準によってがんじがらめにされている。 しかもそんなものは死という殻によってすべてはじかれてしまう。 ですからその殻を破って絶対価値の世界に躍り出たくなるわけです。 そこには一切の差別がない。 お釈迦様のおっしゃる 『一子地』、 つまりひとり子の境地、 あるいは大慈悲の世界です。 そんな絶対価値の世界に躍り出るということが得度ということの本当の意味だと私は考えます。 そういう世界に触れると、 自分は今までなんということをやってきたんだろうと反省し、 罪を意識するようになる。 結果、 相対価値の世界から大きく転換することができるようになる。 それが禅宗で言えば悟り、 念仏の世界では信心、 ということではないでしょうか。」

 金 光 「そういう世界に入りたい、 ということで入塾するのでしょうが、 塾生の特徴のようなものはなにかあるのでしょうか。」

 大 洞 「具体例をあげてみましょう。 最初の十五年前、 鈴木さんというかたが入塾を志願してこられた。 体がとても衰弱しているように見えた。 入塾は無理と見られたのですが、 話を聞くと、 『自分はこのままでは死にきれない。 死んで行ける道を教えてほしい』 というのですね。 そこまで言うなら途中で倒れてもいいのではないかと、 入塾してもらったところ、 実際に修行の途中で倒れ救急車で運ばれて入院してしまった。 しばらくして塾に戻ってきてまた勉強を始め、 真宗で得度なさった。 二、 三年して本を書き、 『仏教を学んでよかった。 これで安心して死んで行ける』 とおっしゃった。
 もう一人は今年真宗の教師資格を取った人。 八十歳を超えた方で、 戦時中、 人間魚雷回天に志願し、 出撃を待っているうちに終戦となり、 九死に一生を得た。 しかしそれまで百三十八人が出撃して亡くなったため、 生き残ったことでずーっと罪の意識を背負いながら暮らしてきた。 仕事から解放されるのをまって入塾してこられた。 得度をした後百三十八人のために僧衣をまとって全国を回り、 読経を続けておられます。 尊いことだと思います。
 千葉県から入塾した方はまだ四十代の現役の高校教師。 仕事をつづけながら頭をつるつるにしてお坊さんになってくると生徒の前で宣言したところ、 みんな拍手で送ってくれた。得度式のあとは、 生徒たちに言葉をやさしく発することができるようになった。 それに人間はだれでもいつかは死ぬのに、 そういう死の教育というのが学校現場にないということに気付き、 その大切さをみんなに伝えている。 そんな話をしておられました。」

 金 光 「仏教塾にはいる前と後では仏教の理解の仕方に変化があるのでしょうか。 あるいは集中してなにか特別な勉強が必要なのでしょうか。」

 大 洞 「スクーリングという集中講義もあります。 そこで講義をしていると、 うなずきながら聞いて、 あっ、 そういう考え方もあったのかと、 得心してくださる人もいる。 そのように全員が回心できるかどうかは別にして、 一応それを目指すカリキュラムを組んでおります。 過去十四年間の卒業生のうち二百数十人が出家得度を果たしています。 五百羅漢という言葉がありますが、 皆さんのお力を借りてそこまでゆければいいなあ、 などと考えております。」

= おわり =

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