釈尊への問いかけ
私は曹洞宗の小さなお寺の住職もしているのですが、 インド屋と自称しております。 別に商売をやっているわけではございません。 インドの宗教、特に仏教を中心に勉強させていただいておりまして、 昭和三十一年から三十五年まで、つまり一九五六年から一九六〇年までインドのカルカッタ大学に留学しておりました。 そのときにインドとの深い縁ができました。帰国してからも二回ほどインドの大学で一年ずつ仕事をしたり、 それから学会だの旅行だのいろんなことで、 インドにはしょっちゅう行っております。インドの滞在を通算いたしますと、 五年半を越えます。 いい年をして、 いまだにインドに行くと楽しくてしようがない。そんなような意味でインド屋と自称しているわけでございます。開講式にお招きをいただき、 大変光栄に存じているわけですが、 今日は、 「釈尊への問いかけ」 「無常を生きる」 「悟りとはプロセス」 「共生きの自覚と慈悲」 と、 大体そんな項目でお話しようかと思っています。
インドで三年半、 学生として生活をしておりました。 本当に楽しい思い出が多いんですが、 その中で、現在の私の仏教者としてのいろいろな物の考え方、 あるいは仏教学者の端くれとしてどんなことに関心を持っているのかという、その辺のことを決定的に位置づけてくれた幾つかの体験があります。 原体験とでも言うのでしょうかね。 その一つが、 実はこういうことなんです。
インドに行きまして、 ある程度向こうの言葉も自由になって二年半ほどたったころのことです。 カルカッタ大学は西ベンガル州の州都にございます。その西ベンガル州の農村を私が歩いていた時のことです。 お昼時になったので茶店で食事をしておりました。 インドの農村のことで、道が一本ずっと走っていて、 その村の入り口のところに大きな茶店がある。 茶店といっても柱を六本立てて、 藁葺きの屋根で、 周りを腰板で囲って、中の一部を泥で高くして、 そこにおかまやら何やら火がたけるようなものを置いてあるだけで、 床も何もありません。でこぼこの地面の上の机といすでみんなが食べるような茶店でございます。
そこでお昼を食べておりましたら、 道の向こうのほうからヒンドゥー教の行者さんがやってきました。 行者さんだというのはすぐわかります。明らかにベンガル人です。 顔を見ればわかります。 引き締まったやせぎすの体に、 ドーティという腰巻のようなものを身につけまして、上半身裸で肩から数珠をかけていました。 菩提樹の大きな実の数珠で、 珠は百八つ、 日本と同じで違いはありません。 髪は蓬髪で、後ろのほうをちょっととめてある。 小さな荷物を短い棒の先にぶら下げて肩に担ぎまして、 向こうのほうからやってまいりました。
ああ、 行者さんが来たなと思って見ているとだんだん近づいてまいりまして、 私はびっくりしたんです。何ともいえない雰囲気を醸し出している行者さんだった。 もう歩きぶりを見ただけで何かを感じるような雰囲気のある人でした。もっと近づいてきて顔が見えるようになりました。 目鼻立ちが通っていて、 黒い目がパチッと見開いておりました。何ともいえない知的なひらめきが顔じゅうにあふれておりました。
知的な顔というのは、 冷たい感じがすることが多いんですけれども、 何ともいえない温かさと謙虚さが顔じゅうにあらわれている。 歩きっぷり、雰囲気、 顔、 すばらしいなと思って見ほれていると、 だんだん近づいてきました。 行者さんは私など見向きもしません。 前を通り過ぎて、向こうへだんだん姿を消していきました。 それだけのことです。 それだけのことなんですが、 私は、 待てよ、お釈迦さんという人もこのようなすばらしい雰囲気で、 すばらしい容貌で道を歩いておられたのではないのかなということを、いつの間にか思い浮かべていました。
私は子供のときから寺で育ちましたので、 お釈迦さんだとか仏さんだとか仏陀という言葉は耳にたこができるぐらい聞かされていました。 でも、お釈迦さんはどんな顔かというのは考えたこともないですね。 せいぜい考えても、頭にごつごつのある仏像ぐらいしかイメージに出てこないじゃないですか。
ところがそれ以来、 いつの間にか私の頭の中でその行者さんとお釈迦さんが一つになってしまった。 本当にそんな顔をしていたかどうか知りませんよ。二千五百年も時代を離れた人ですから。 ただ、 私の中で、 いかにも従容としたすばらしい雰囲気と知的で温かい顔ということを媒介として、お釈迦さんとその行者さんを勝手に私が頭の中でくっつけてしまった。
そうしたことがありましてから、 私は下宿に帰りまして、 向こうではいろいろ仏典も読まされていたのですが、 仏典を読んでいくうちに、「お釈迦様いわく」 と出てきますと、 ポッとその人の顔が頭の中に出てきてしまうんですね。 それまでは 「釈尊いわく」 「仏陀いわく」といっても、 ああ、 そうか、 仏陀、 お釈迦さんという人がいて、 こういう教えを説いたと。 それを読んでいる、 拝聴している私がいて、お釈迦さんはどこか遠くのほうにいまして、 自分とは距離を置いて読んでおりました。
あえて言うならば科学者、 例えば植物の分類の先生でもよろしゅうございます、 あるいは考古学の先生でもよろしゅうございますが、科学というのは極めて実証的で、 自分と対象とを離して、 そして客観的な観察をして研究をする。 ちょうど同じように、 私がここにいて、仏典というものをはるか向こうに対象として置いて、 それでこういうことを言っておられるぞと、意味的にはこういうことであるなというのを勉強していたんですね。
ところが、 その経験があってから以降、 「お釈迦さんいわく、 これこれしかじか」 と文章が出てきますと、ポッとその行者さんの顔が頭の中に出てきてしまうんですよ。 頭の中にその人がいてしゃべっている。 しゃべっているといっても、私が文献を通じて読んでいるわけですよ。 読んでいるんですが、 その内容を頭の中のお釈迦さんがしゃべっているということになってしまう。そうしますと、 「お釈迦さん、 それはおかしいんじゃないの。 よくわからないな」 とか 「あ、 それはよくわかりますよね」 なんて、いつの間にか私の頭の中にイメージされたお釈迦さんが直接私に語りかけているような感じになる。
そうするとわからないところがわかったとか、 すごいとか、 すごくないとか、 わからないですね、などと私のほうで返事をしていくことになるんですね。 そうすると、 またそれなりに結構返事をしてくださる。いわば文献を通じてでありますけれども、 その文献を通してお釈迦さんに問いかけ、 返事をもらい、 また問いかけ、また返事をもらうといったようなことを、 いつの間にか自分の中で繰り返すようになってしまいました。
まだ覚えておりますけれども、 一番最初にそんなようなことが起きたときに、 お釈迦さんに食ってかかったことがあるんですね。お釈迦さんは言うのです。 人間というものは牛と子供に喜びを持つ。 牛というのはあの牛には違いないですが、 インドでは財産のことです。財産と子供が喜びの源泉である。 これはよくわかります。 と同時に、 人間が悲しみ、 苦しみを受けるのも財産と子供によると。ですからすべからく人間は、 牛と子供を持つな、 なんて言うんですよ。 お釈迦さん、 それはないでしょう。 あんたは出家者で、完全に社会を出た方ですからいいかもしれないけれども、 私は日本から来た若者で、 もちろん今はひとり者だけど、 寺の息子で、日本に帰って師匠の後を継いで寺の住職になるでしょう。 日本のお寺というのは嫁さんをもらわないともたない。 嫁さんをもらうと、どうしてもある程度の経済的な根拠がなければやっていけないし、 結婚すれば子供もできるでしょう。
そんな私にあなたは結婚するなと言うんですか。 お釈迦さんだって、社会生活をしている信者さん方のお布施をいただいて食べているじゃありませんか。全員が出家者になっちゃったら一体だれがお坊さんを食べさせるんですか、 なんていうようなことを、私は頭の中のイメージしたお釈迦さんに食ってかかったりというようなことがございました。
そうこうするうち、 「ああ、 お釈迦さん、 わかりますよ」 と言ったことが、 半年ぐらいたってわからなくなって、 「あれっ」 と思ったり、「お釈迦さん、 これはわからないですよ、 どう考えたらいいんですかね」 と言っていたのが、 三カ月、 半年たって、 「あ、 そうか、お釈迦さん、 こう考えればいいんですよね」 というようなことも出てきました。
そんなことをやっているうちに、 私は気がついたんですが、 私は文献学的な仏教学というものをたたき込まれて育ってきた人間でございます。極めて実証的な、 感情、 情緒を交えずに論理を学ぶということでやってきたわけですが、 そういうお釈迦さんと会話を始めるようになってきたら、「お釈迦さん、 わからないですよ」 「こうでしょう」 「あ、 なるほどな」 と言っていると、 どうしてもそれは自分がどう考え、どう生きていったらいいのかという問題に直結して来ざるを得ませんでした。
そうするとそれが、 そうか、 今まで自分で習ってきた仏教の教学というのはスケルトンなんだ、 骨組みでしかないんだなと判ってきた。骨組みは骨組みで、 それを理解するのは非常に大切なことですが、 そんなことをやっているうちに、 その教理が現場の 「生きる」ということの中でどういうふうに働き出すのか、 働き出させなければいけないのか、 そんなことが自分の関心となってまいりました。
その骨の上にいつの間にか肉がつき、 血が流れ、 皮がつき、 いわば生身の人間、 ということは私自身ですが、 それと仏教の教え、論理として学んでいた教えがいつの間にか一つにくっついてくるというか、 自分のそうした変化を自覚するようになるには、さきの経験から一年近くもたっているわけですけれども、 だんだん自分でわかってまいりました。
万物無常→「私」が無常
そうか、 仏教経典に書かれた仏教の教えというものは教義で、 言葉、 文字 (もんじ) で書かれている、 そしてそれは一般論で書かれているけれども、 これは主語を三人称のままで理解したのではあまり意味はないのかなと思うようになりました。例えば万物無常とあります。 三法印の中で諸行無常、 諸法無我なんていいますでしょう。 すべてのものは無常である。 これも具体的な事実、真実ですが、 すべてのものは無常であるという。 主語は 「すべてのもの」 で、 それは三人称でしょう。 科学 (サイエンス) のほうでも、すべてのものは無常であるという。 現在の科学でもこれは正しい真理です。
何だ、 それじゃあお釈迦さんが言うのと科学というのは同じか?違うんですよね。 言葉とすればすべてのものは無常であるというけれども、私どもが生きるということから考えたときには、 その三人称の主語を一人称にかえて 「私が」 と言い直さなければいけないと思います。すべてが無常である。 それはそのとおりですが、 同時に 「私」 が無常なんです。 私がいま無常の現実にぶつかっているというふうに考えて、では、 その無常の現実にぶつかってあたふたしている私をどういうふうに生かし、 対処していったらいいのかということこそ、お釈迦さんが言いたかったことではないか。 そんなことを私はしきりに思うようになってまいりました。
そんなことから、 仏典をずっと読んできているのですが、 今日のテーマに使わせてもらいましたけれども、 仏教というのはあくまでも自分が「生きていく道」 というふうにとらえなければいけないと考えております。 私は外国によく行くんですけれども、 「仏教は哲学じゃないですか」と外国の人からよく聞かれます。 「仏教は哲学ではありません。 私どもがいかに生きていくべきかという生きる道です。その生きる道の中に哲学はあります。 しかし、 哲学そのものではありません」 と私は答えることにしています。
生きる道ということは、 この道という言葉が示すとおり、 歩くものだと私は思う。 つまり、 何かのときに 「わかった」と言ったのでは仏教にならない。 あくまでも仏教というのは、 生きているという、 すなわち私どもの人生を生き続けていくプロセス、道を歩くものだろうと私は理解をしております。
そう考えてまいりますと、 お釈迦さん以来、 現代に至るまでの仏教の、 特に実践のあり方を説いた教えの多くに、 「道」という言葉がついていますね。 八正道も道でしょう。 仏道も道でしょう。 そのほか戒・定・慧の三学というのもあるんですが、これも戒というのは生活姿勢を正していく。 これは一回や二回正してもしようがないでしょう。 やはり長いプロセスで考えなければいけない。あるいは、 六波羅蜜という言葉をご承知の方はいらっしゃると思いますけれども、 仏教の実践の項目を六つ挙げております。それも実は一回や二回わかった、 理解したなどというものではなくて、 生活の上に実践し、 歩き続けていくプロセス、 道ですよね。そういう形で仏教というものを理解していかないといけないものだと私は思っています。
そうした生きる道というのをもう少しまとまった言葉で言いなおします。 私は仏教とは生きる道だと申し上げました。 仏教、あるいはその理想的な形を言いますから悟りと言ってもいいと思うのですが、悟りとは真実――仏教では真実のことを法とか仏法と言います――に否応なしに包まれ、 生かされている事実に目が開き、それに随順しつつ前向きに生きていくプロセス、 これが仏教だと言っていいと私は考えています。
お断りしておきますけれども、 これは経典に出ている言葉ではございません。 私の言葉ですから誤解のないように。 でも私は、いろいろな宗派がございますが、 各宗派をひっくるめてもこういう言い方が可能ではないかと思っています。 つまり、宗教ですから拠って立つ真実はなければなりません。 キリスト教においては例えば絶対なるもの、 神というものがあるわけですが、仏教の真実は法とか仏法で、 私たちはそれに否応なしに包まれ、 それに生かされている。 その事実に目が開く。この目が開くというのがお釈迦様も真実に目覚めたという、 そのことでございます。 その真実に身を投じて、 前向きに生きていくことが仏教です。
では、 その真実とは何でしょうか。 これも大変難しい問題を割り切り過ぎるぐらいに割り切って申し上げるならば、 「世界、宇宙の存在の在りよう。 具体的には、 縁起、 無常、 空 (くう) などの述語によって示される万物の在り相 (すがた)」。こういう言い方が可能だろうと私は考えております。
わかりいいために、 無常という言葉を一つ考えてみてください。 無常というのは、 私どもがつくったわけではないですよね。私どもの解釈でもない。 無常という言葉は言葉ですけれども、 無常という事実、 宇宙の大きな 「はたらき」 は厳然としてありますでしょう。人間が世に出る以前からすべてのものは無常なるものとして常に変化してきたじゃないですか。 この無常という真実に、 私どもは 「オギャー」と生まれたときから否応なしに包まれているわけですよね。 それから逃がれようもない。
もう少し別の言葉で説明すればどうかといったら、 縁起という言葉がある。 簡単に申し上げますけれども、 縁起というのはすべてが縁 (よ)りて起こるということです。 縁りて起こるということは、 どんなものもほかのものとのかかわりの中でしか存在できない。独立の存在はないということです。 別の言葉で言えば因縁です。 因は原因です。 縁はその原因が結果をもたらすことを助ける条件です。さまざまな原因とさまざまな条件が合して、 今、 ここに、 一つの状況ができています。 常に新しい原因、 新しい条件が加わりますから、世の中のことは一瞬たりとも同じ状態でいるはずがない。 つまり、 変化している、 無常なのです。
ですから、 縁起しているものだからこそ無常だと言っても構わないと思うし、無常ということをあえて説明すれば縁起だからと言ってもいいだろうと思います。 そして大乗仏教になりますと、 縁起と空というのがほぼ同義、同じことでございます。 つまり、 こういう宇宙の否応なしのあり方、 はたらきをお釈迦さんは真実として見出したんですよね。
「あきらめる」ということ
お釈迦さんはなぜ 「縁起」 だの 「無常」 だの 「空」 だの、 そんな宇宙のハタラキを真実として取り上げたんですかと、 私に聞かれても私は答えようがありません。 お釈迦さんに聞いてくれと言うよりしようがない。多分、 お釈迦さんなりに人生の問題を解決していった時に、 無常という現実に気づき、 それは単に客観的な真実だということだけではなくて、その無常の中にみずからを放り込んだ。 つまり、 「万物無常」 ではなくて、 「自分が無常の現実に出会っている」 のだ、と主語を一人称にして無常を受けとめた。 無常という真実のハタラキの中に身を投じていくところに、 苦しみとか悲しみを乗り越えていく道がある。お釈迦さんは修行の結果、 そうお考えになったわけです。
一つわかりやすい例をご紹介いたします。
私は東京の下町にある小さな寺の住職です。 もうかなり以前のことになりましたけれども、 親戚筋の者がご法事をしました。 父親の三回忌でした。施主は姉と当主と妹の三人兄弟姉妹。 商売の関係もあって、 五十人ほどのお客さんを招き、 法事の後は、近所のレストランでお昼をご馳走したいということでした。
朝からちょっと雨模様だったのですが、 大したことなく、 法事もお墓参りも済みました。 幸い雨もあがり、 当主が、「食事の場所は歩いて五分ほどですから車に乗るほどのこともありません。 雨もやんでいますし、 ご案内をいたします」と皆さんを連れてぞろぞろと出かけてしまいました。
一歩遅れてやってきたのがお姉さんです。 典型的な歯切れのいい、 下町のオバチャンですが、 さあ、 私も出かけようと玄関に立った途端に、ザーッと雨が降り出しました。 かなりひどい降りになってしまいました。 「嫌になっちゃうわねえ。 出かけようというのに、この雨じゃ着物がぬれちゃうじゃない」。
そこにいた私のほうを見ながら、 「雨宿りしていられればいいんだけど、 兄弟姉妹みんなそろってご挨拶するということになっているし、 お客さんはもう出かけちゃった。 雨宿りをしていく時間がないのよね」。
続けて言われるには、 「このお寺、 相変わらず車をとれないんでしょ!」。 下町のお寺で、 周りに目印が何もないんです。無線でタクシーを呼んでも、 道がわからなくて来なかったことが二、 三回あった。 運転手さんにも迷惑だし、 こちらも困る。そんなことがあったので、 その時も 「申しわけない、 呼べないんですよ」 と答えました。
「しようがないわねえ」 と言いながら、 彼女は足袋を脱いでハンドバッグに入れ、 着物のすそを腰のところまできゅっとたくしあげましてね、 「お先に」 と、 降りしきる雨に傘を斜めに差しかけながらとっとと出ていってしまいました。
一歩遅れて来たのが妹さんでした。 この方も下町の女性ですが、 どっちかというと歯切れはよくない。 彼女も出かけようとしたらこの雨でしょう。 「嫌になっちゃうわね。 着物がぬれちゃうじゃない」 と同じようなことをおっしゃる。
それから後が違いました。 「私、 雨宿りしていく」 と部屋へ戻りかけるから、 「お兄さんもお客さんも、それからお姉さんも行っちゃいましたよ。 あなた、 雨宿りしていく時間ないんじゃない」 と私。 「そうなのよね。 タクシー呼んでよ」、「タクシーがとれないのは、 あんた、 知ってるでしょうに」。 「東京のど真ん中だっていうのに不便なお寺ね」 なんて悪口を言いながら、電話を貸せと言う。
「やっぱりいなかったわ」 とすぐ電話を置いたんですが、 私は彼女の心の中が痛いぐらいにわかりました。 息子さんに電話をかけて、車で迎えに来いと言いたかった。 ところが、 息子が来てくれる可能性なんてこれっぽっちもないのを彼女は知り抜いているんです。 日曜日で、息子さんは遊びに行っちゃっているのを知っているし、 仮に息子さんがいて、 「ああ、 いいよ、 お母さん、 迎えに行ってあげるよ」と言ったところで、 彼女の家から私のお寺に来るのに五十分かかる。 歩いて行けば五分のところですよね。 つまり、雨の中を歩くのが嫌だということを、 思い入れたっぷりに見せているんです。
さあそれからいろいろと愚図りまして、 こんな雨の日に法事をやると決めた兄貴が悪いなどと八つ当たりしながら、 結局、最後にどうしたかというと、 足袋を脱いでバッグに入れて、 着物のすそをたくしあげて、 傘を差して雨の中をとぼとぼと歩いて行きました。
同じ状況の中で、 お姉さんと妹さんの対照的な行動を見て、 私はすごくおもしろかった。 人さんが困っているのに申しわけない言い方だけれども、おもしろかった。 というのは、 私はそのときに 「あきらめる」 という言葉を思い出していたんです。
「あきらめる」 という言葉は現代の日本語で、 皆さんもお使いになりますが、 これはどっちかというと、 後ろ向きの生き方です。 何かやろうとするけどうまくいかない、 万策尽きました、 お手上げ、 降参。
しかし、 「あきらめる」 は仏教の言葉です。 ただし、 意味が逆転いたします。 その意味を一番わかりやすく知っていただくには、 普通の「諦める」 ではなく、 「明らめる」 と書いたほうがいい。 つまり、 自分の置かれた現実の状況を 「明らかに見る」 んです。
「あきらめる」 という仏教語の本来の意味は、 二つの重要なポイントがあると覚えてください。 一つは自分の置かれた状況を明らかに見る、明らかに知るということです。 これが実は難しいんです。 いいことならばすぐ認めます。 試験に受かった、 恋人が 「うん」 と言ってくれた。すぐにバンザイと認めます。 ところが、 自分が嫌だと思うことはなかなか認めがたいのであります。 商売が失敗しちゃった、 手形が落とせなかった、子供に死なれちゃった。 いろいろなことがありますが、 自分が 「うん」 と受容できない、 そういう状況に自分が今いるのだというのを明らかに見、明らかに受けとめることはとても難しいんです。
随分前ですが、 私はまだ新聞の切り抜きをとってある。 おばあちゃまがお孫さんを幼稚園に送って行った。 通りの向こうには先生が迎えにきている。信号が青になるのを確認して、 お仲間の子供たちと一緒に歩きだした。 「いってらっしゃい」 と手くらい振ったんでしょうね。そこへライトバンが突っ込んで、 目の前でお孫さんが殺されました。 おばあちゃんは坊やを抱いて、 「おまえは死んでない、 おまえは死んでない」と絶叫していたというんです。
そうした状況は、 仏教の言葉で言えば、 無常と言わざるを得ません。 無常の事実にぶつかっている現実をあるがままに、 明らかに受けとめるのが、「あきらめる」 ことの第一のポイントです。 そして重要なのは第二。 そういう状況に自分が置かれているのだということをはっきりと認識し、これは事実ですから何ともしようがない、 無常の事実を受けとめながら、 前向きに生きていく努力を続けていく。 そこにこそ、無常に出会っている苦しみを、 ゼロにするのではない、 乗り越えていく強さが自分に出てくる。この第二の前向きに生きていくというプロセスが抜けてしまったから、 今の日本語の 「あきらめる」 は後ろ向きの生き方になってしまったんです。
先ほどの姉妹の例でいうならば、 姉さんの方は、 時間がない、 タクシーも来ない、 という自分の置かれた現実を知り、 「明らめ」 て、さっさと雨の中に出ていった。 妹の方は 「明らめ」 がつかなくて、 仕方がないから最後に今の日本語の意味で 「あきらめ」 て、とぼとぼと出ていった。 どちらが人生明るいかといったら、 姉さんのほうが明るいんです。
私どもの人生はいろいろなことがあるわけで、 いいこともあれば悪いこともある。 だけど、人生を自分なりに納得しながら前向きに生きていくためには、 いいことばかりこっちへ来い、 悪いこと向こうへ行けと言ったって、どうにもしようがない。 いいことが来たら素直に喜べばよろしい。 悪いこと、 つらいことが来たら、 それをカチッと受けとめながら、つらいよと悲鳴を上げてもいいんです。 悲しいと涙を流してもいいんだけれども、 それでいじけてしまったら 「生死を超える道」 にはならない。そこにいま申し上げた脈絡で言うなら、 本当の意味であきらめ、 あきらめしながら前向きに生きていく努力を続けていく。これも仏教の生きる道ということだろうと思います。
「無常を生きる」とは
無常という言葉には幾つかの使い方があります。まず客観的無常性 (自然科学的真実としての無常)。 これは普通の無常です。 そして詠嘆的無常感。 感は観ではなく感をあえて使いました。はかないねという詠嘆的な受けとめ方であります。 宗教的な意味を持ってくるのは、 この詠嘆的な無常感から出てきていることは間違いない。
しかし、 客観的な無常と、 はかないという無常だけだったら、 お釈迦様の無常にならないのです。 やはり無常を観る、 無常を生きるということがなかったら、 仏教のお釈迦さんの無常の教えにならないんですね。
『相応部経典』 という原始仏典の中にお釈迦さんの言葉があります。 「たったこれほどの (小さな) 存在でも無常ならざるものはない。 もし無常でないなら、 清浄の行を修し、 苦を滅することは出来ない」。
こんな話があります。 侍者和尚の阿難さんを引き連れてお釈迦さんが歩いています。 ひょいと腰をかがめて土を少し取りまして、爪の上にのせて阿難に、 「これっぽっちの小さな土でも無常でないものはあるかね」 と聞きます。 つまり、 この土は無常か無常でないか。宇宙が無常だというのはわかっているけれども、 これっぽっちの土で見た目は変化がないじゃないかと。 これはどっちかと聞く。
阿難は、 「どんなものでも無常でないものはない。 すべて無常ですよ」 と答える。 それを聞いてお釈迦さんは、これっぽっちのものでも無常でなかったら清浄の行を修し、 苦を滅することはできないという。 つまり無常だからこそ清浄の行を修し、苦を滅することができるのだということでしょう。
無常から生じる苦
無常とは宇宙万物のおのずからの働きです。 私どもの意欲、 意思にかかわらず、 変化していくだけです。 それを私どもの自我欲望はある時は、その無常は大いに結構、 受け止めますよという反面、 そんな無常は要りませんと言う。 真実を否定しているわけですから、無常なるがゆえに苦が生じるということは事実です。と同時に、 この人生の苦、不安というものをどうやったら乗り越えていくことができるかといったら、 無常を無常として 「あきらめ」 る。 明らかにみる。 前号にみたように、事実は事実なんですから、 それをあるがままに受け入れて、 前向きに生きていくことに、苦というものを乗り越えていく道が開けてくるじゃないかと釈尊は教えました。 それを 「清浄の行を修し」 と言っているわけです。
私はそうした生き方が悟りというものだと言って差し支えないと思っています。 私自身悟りという言葉をこうしてしゃべりながら、私自身が悟っているのか悟っていないのか全くわかりません。 そんな悟ったなんて言える感覚は私自身にも全くないのであります。
ただ、 こういうふうに理解して、 その方向に向かって及ばずながらも努力していくことは可能かなと思います。 お釈迦さんが説いた悟りというのは、「真実 (法、 仏法) に否応なしに包まれ、 生かされている事実に目が開き、それに随順しつつ前向きに生きていくプロセスなんだと私はうけとめています。」
私は、 曹洞宗の人間でございます。 禅宗には臨済宗と曹洞宗と二つの系統がございます。 臨済宗は、 概して公案というものを使います。 公案を使いまして見性をする。 公案というのは理論で考えたのでは全くわからない問題です。
はるか向こうの海を行く帆かけ船をここのところへ持ってこいだとか、 両手でたたくと音がするけれども、 隻手の声を聞け、 片手の音は何だとか、おまえさんが生まれる以前のおまえさんの両親の顔はどんなだったのか、 と。普通の理屈で考えても答えようもない問題が一つの訓練として課せられました。
そんななかで、 物を考え、 判断し、 言葉を発する人間の知性の働き、 そうしたものを一度ゼロにしてしまおう。 そうすれば、 空、 縁起、無常に包まれている真実が見えてくる。 大ざっぱに言えばそうしたことから公案を用い、 「そうか」 とうなずきがあったときに見性、 性を見る、本来のあり方の人間のあり方を見るというものであります。 これも仏教の中の修行の一つのあり方でございましょう。
曹洞宗では見性よりも真実にしたがって毎日を生き続けていくプロセスを悟り 「悟りの生活」 として大切にします。 うなずきはあとから出てきます。
六波羅密(ろくはらみつ)とは
道元禅師の言葉を一例として話させていただきます。『正法眼蔵』 「仏教」 の中に 「波羅蜜というは彼岸到なり。 彼岸は現成するなり。 到は公案なり。 修行の彼岸に至るべしとおもうことなかれ。 彼岸に修行あるがゆえに。 修行すれば彼岸到なり」 。
こういうのでありますが、 波羅蜜は正確には波羅蜜多と言います。 六波羅蜜などという言葉でご存じだと思います。 あるいは 『般若心経』、の最初に 「般若波羅蜜多時、 照見五薀皆空」 にとあり、ここに 「般若波羅蜜多」 と出てまいります。 波羅蜜多というのは、昔は到彼岸と訳しました。 そして、 到彼岸というのはお悟り、 完成ということであります。
その完成に六つの項目がございまして、 布施だとか戒律を守ること、 精進、 忍辱、 禅定、 智慧です。 波羅蜜多というのは完成、 彼岸に到 (いた) る、 目的成就、 お悟りという意味です。
ですから、 向こう岸に到るというので到彼岸という言葉があるんですが、 道元さんいわく、 到彼岸じゃない、 彼岸到だとひっくり返すんです。「波羅蜜というは彼岸到なり。 彼岸は現成するなり。 到は公案なり。 修行の彼岸に到るべしとおもうことなかれ。 彼岸に修行あるがゆえに。修行すれば彼岸到なり」。
波羅蜜というのは、 向こう岸に到ることではない、 彼岸はすでに到れり、 彼岸到と読まなければいけない。 彼岸、向こう岸というのは今ここにある、 ありふれたことなんだ。 「修行の彼岸に到るべしと思うことなかれ」。修行して向こう岸に着くんだと思ってはならない。 なぜならば、 向こう岸に着いたって修行があるんだから。
じゃあどう言えばいいんだ。 「修行すれば彼岸到なり」。 修行をしていくということが実は向こう岸に着いたということなんですよと。
これから仏教を学ぼうという人がいます。 その人が一生懸命に仏道の道を歩き出したら、 とたんに仏の道を歩いている、 と言ってるのか。 道元さんは歩けると言うのです。
こういう例を出しましょう。 私は四十九歳のときまでたばこを吸っておりました。 一日五十本吸うヘビースモーカーでした。お正月の元旦に決心をいたしまして、 あらゆる誘惑に負けないように努力しながら、 三日たち、 一週間たち、 一カ月たち、 三カ月たちました。もういいだろうというので一本たばこを吸うと戻っちゃうんですよね。 結局、 吸わずに済ませました。
つまり一月元旦に禁煙の道を歩き出しました。 もう胸がこんなになって仕事なんか手につきませんよね。 友人が来ると、 「おれはいま禁煙中」 と。何でそんなことをわざわざ言うかというと、 「禁煙? たばこを持っていないんだろう。 しんどいだろうな、 さあどうぞ」とくれないかなという汚い根性があるから、 おれは禁煙中なんだと言うんですね。 自分でわかっているんです。
それをくれないと、 おまえは悪い友人であるとひそかに思ったりする。 また、 つらくなると、 後ろを振り返って、なぜおれはたばこをやめなければいけなのか。 松がとれてから禁煙すればいいじゃないかというようなことを言いながら、だんだん足腰がしっかりして禁煙が習慣となりました。 言うなれば禁煙の道を歩き続けることができました。 そのときには私はこの文章に出会った。ひっくり返りそうになったり、 後ろ向きになったり、 迷い迷いしながら、 でも私は一本も吸いませんでした。歩き出したときから禁煙は成就しているじゃないですか。
及ばずながら......
及ばずながらという言葉が私は好きなんです。 一〇〇%はできないけれども、 及ばずながらそれをやって仏道の道を歩いていく。 それがお悟りの道を歩くということなんだよとお釈迦さんも言うし、 道元さんも言うわけですね。そうしたプロセスというものを大事にするということを、 五力 (ごりき) という言葉で説明したいと思います。 五力というのは五つの信仰の力で、 信、 勤 (ごん)、 念、 定 (じょう)、 慧 (え) ということであります。
信というのは仏道とか仏法の教えというものを信じていくことです。 私どもは仏法とはこれこれしかじかとなかなか信じられません。 私も、生意気に悟りとはとか真実とはとちょっと書きました。 「そうか」 とすぐ信じてくださる方はあまりいないと思います。
私は多くの信仰者の方のおっしゃるように劇的な体験があって、 信というものが確立した、 だから仏様はいることがはっきりわかった、 などという体験は全くありません。 しかし、 今の私は仏の存在を疑おうといったって疑いようがない。
私はとてもうれしかったのですが、 私がたいへんお世話になった曹洞宗の酒井得元先生は、 私に醇熟という言葉を教えて下さいました。醇はかもし出すという醇ですね。 熟は果物が熟す。 つまり、 一時の体験でもって 「わかった」 という体験はむろんありえます。 と同時に、それだけじゃない。 ふっと考えると、 「あ、 そうかな」 といううなずきが繰り返され、 積み重ねられていく、 次第次第に熟していく。そうした信のありようというものもある。
そして、 やっぱり信じるところからスタートするより仕方ありません。 最初から論理的に説明してくれなければ私は信じませんといったらなにも始まらないですね。
しかし、 その信が熟していくには時間が必要です。 そして、 その時間寝っ転がっていたのではだめなので、 そこに勤 (精進努力) がなければいけない道理でありますし、 そのときに修行のあり方として念ということを言います。
念は、 記憶するということです。 ただし、 忘れたものを思い出すというリメンバーではなくて、常に体の中にとめおいて忘れないという意味が念でございます。 仏教の道を歩くのにとても大切なことです。 実はこれが 「念彼観音力(ねんぴかんのんりき)」 という、 『法華経』 の 「彼 (か) の観音の力を念ずれば」 の念でもあるし、 念仏の念でもある。
こういう仏法の修行のあり方はあえて申し上げますと、 人を恋している状況に似ています。 寝てもさめても彼女のことが頭に浮かんで忘れない。それが念なんですよ。 ただ、 彼女とか彼氏、 恋人じゃなくて、 それを仏様とか仏道に置きかえてほしい。 つまり、そういう形でやらないと信とか努力とか勤というものが成立しません。
知慧と慈悲の二本柱
それから定というのは禅定のことでありますけれども、 私は原始仏典に禅定という言葉が出てきたときに、 その宗教的機能をいうならば、自我の働きを一たびは捨象して真実に身を任せる一つの行と言ってもいいかと思います。そして、現代に即応して言うなら、念仏とか唱題という行法も機能としては定に同じだと考えています。慧というのは、 生かされていることの自覚でございます。
仏道、 仏法は生きる道だと私はうけとめています。 そしてそれは、 道を歩くというプロセスだということを申し上げてまいりました。 実はそれで私の申し上げたいことはほとんど終わるのですが、 最後に一つだけつけ加えさせていただきます。
仏教の、 二本の柱は知慧と慈悲でございます。 今日私は、 仏道を生きるそのプロセスという形で、特にその知慧と慈悲についてしゃべってまいりました。 あくまでも私なら私、 一人称の私というものが人生を歩いていく。その自分の心の中を探りながら、 自分というものに向かい合いながら、 どう生きていくのかということに重きを置いてしゃべってまいりました。
ところが、 世界は共生の世界でありますし、 そこに社会に対して自分は何をするのか、 どう生きていくのがいいのか、 そうした問題も自分の生きる道というのを考えるときに、 とても重要なテーマになってまいります。
ともに生きていく社会に慈悲とをお互いにかわし合いながら生きていく。 そういう努力を私ども一人一人がやっていかないと、 今の世の中は索漠たる世の中になってきてしまうと思います。
そして、 お釈迦さんの説く慈悲というのは何かと言えば、 「すべての者は暴力におびえている。 すべての者は死をおそれている。 (他人を)自分の身にひきあてて、 殺してはならない。 殺させてはならない」 「すべての者は暴力におびえている。 すべての者にとって命は愛しい。(他人を) 自分の身にひきあてて、 殺してはならない。 殺させてはならない」 と極めてわかりいい言葉で説かれています。
「他を我が身に引き当てて」 ということが実は釈尊の慈悲の根源でございます。
知慧と慈悲というものに導かれながら、 教えに従って自分で着実に道を歩いていくプロセスが、 その真実、 つまり法に、そして自分というものに誠実である限り、 その歩いていくプロセスが何点と評価されようとも、 それは別な話であります。
自分なりに本当の自分に出会い、 出会い、 出会いしつつ、 生きていく道。 それが仏法の教えの道だろうと私は考えております。
今日いただきました機会に私なりに考えていることをお話しさせていただいたわけでございます。
= 終わり =







