煩悩即菩提とは
日本仏教史ということで、 末木文美士先生のご著書を教科書に指定させていただいておりますが、 私が言いたいことは、 「即」 ということです。 「即」 の立場は本覚思想に至るまでの間、 間があるというような書き下しから、 煩悩即菩提とか生死即涅槃とかに使われる 「即」 という字について末木先生は触れられております。この 「即」 というのは末木先生がおっしゃるには、 これはあくまでも凡夫の立場での使い方ではない、 仏様からの使い方であると。 つまり煩悩即菩提といった場合は、 凡夫である私たちのほうから言いますと、 煩悩がイコール菩提というふうに考えがちです。 だからいくら悪いことをやっても悟りのうちだというようなことになると思います。
最近テレビを見ていましたら、 ある宗教者が悪いことをやった。 煩悩即菩提を地でいったような事件でしたけれども、 それとはちょっと違うんです。 この場合は仏様から見た煩悩即菩提であるということ、 つまり、 皆さんは、 仏様は煩悩なんかないというふうにお考えになっていらっしゃるのではないかと思いますけれども、 実は仏様だって煩悩をたくさん持っていらっしゃる。 私たちとは次元が違いますけれども、 仏様の持っていらっしゃる煩悩の一つに、 みんなを救いたいという願 (がん) がある、 願いがある。
我々の願いですと何かおいしいものが食べたいとか、 お金持ちになりたいとか、 そういうふうなささいな願いですけれども、 仏様から見ればそうじゃなくて、 私と彼と同じように救いたい。 仏様になっていただきたい。 だからみんなが仏様になるまで私は仏の位につかないんだというようなお経の本がございます。 たとえば薬師瑠璃光如来の 『薬師経』 でもそういうのがございます。 『阿弥陀経』 の中にもございます。 そういう願いも一つの考え方によると煩悩ということです。 そういう考え方、 すなわち菩提と通じるんだというようなことが一つ考えられるのではないかと思っております。
それから生死即涅槃という言葉もあります。 生き死にがそのままで涅槃だというような考えがあります。 これもなかなか難しゅうございます。 実は昨日、 私は職務上、 お葬式がございまして、 お葬式に行ってきたんですけれども、 お檀家の方でお葬式をやって引導を渡して懇ろに送ったつもりですけれども、 ご承知のとおりすぐには仏様にはなれないんです。 十三仏思想とかというのがありますし、 初七日に不動明王、 二七日にお釈迦様というふうに、 不動・釈迦・文殊というあの言葉になって、 場所によっても違いますけれども三十五日のお地蔵様のときに成仏するんだという場所もありますし、 四十九日のお薬師様だという場所もございます。 それで初めて成仏するんだというような考えがあります。
いきなり仏様になれないんだから、 私の地方では亡くなった場合は、 床の間のそばあたりに仮の祭壇をつくって、 そこにお祭りして、 四十九日の法要が済んで初めて埋葬し、 位牌も黒塗りの位牌に変えて仏壇に納めるというような儀礼がございます。 このように残念ながらいきなりは仏様にはなれない。 ですから生死即涅槃という考えもなかなか難しゅうございます。 生きているこの身がすべて悟りなんだ。 先ほどの悪い宗教者のように 「おれがイエスのかわりなんだ」 というように、 「おれは仏のかわりなんだ」 ということには、 なかなかいかないんじゃないかという気がするんです。 「おれが仏のかわりだ」 というのは、 インチキの部類に入るのかなあというような気がします。
と申しますのは、 我々が見てもこの人は悟っているなという方、 たとえば天台宗には、 二千日の回峰行をやった酒井雄哉という大阿闍梨がおりますけれども、 酒井さん 「おれはまだまだ凡夫なんだ、 もう一千日しなきゃだめだ、 三千日したいんだけれども許しが出ない。 二千日で終わりだ、 まだまだ凡夫なんだけれどもなあ」 とおっしゃっておられた。 でも信者さんたちは、 生き仏としてあがめ奉っています。 「我々は凡夫の凡夫だ」 と酒井大阿闍梨は言っておられますし、 そうだろうなという気もするんです。
と言いますのは、 これは私の例ですけれども、 仏道を修行すればするほど自分の至らなさが分かってくるんです。 恥ずかしいんです。
誤解招いた 「本覚」
テキストに 「(煩悩即菩提とは) あくまで仏の悟りの立場で言われることであり、凡夫の立場で直ちに生死や煩悩が肯定されるわけではないからである。 そして、その悟りに至るには幾度も輪廻を繰り返しながらの長い困難な修行が必要とされるのである。 この凡夫と仏の距離が圧縮されてゼロとなり、全く修行を必要とせずに凡夫の状態のままで現象世界が全的に肯定されるようになったのが本覚思想である」 とあります。でも歴史を見ますと、 天台宗の場合も、 何もしなくてもいいんだという誤解はございます。 江戸時代あたりは特にひどくて、 お経の唱え方に声明 (しょうみょう) というのがありますが、 天台宗の場合ももちろん真言宗さん、 ほかの宗派さんにもありますが、 声明成仏というような考え、 あるいは写経をしていればいいんだ、 記家成仏という考えも出てきます。 あまりにも乱れたものですから、 戒律の安楽律というのが出てきまして、 本来の本覚思想はそういうことじゃないんだという考えが出てくるんです。 天台宗の場合ですと、 そういう歴史の繰り返しがあって、 本覚思想、 天台本覚なんていうことであまりいい加減なことをするんじゃないと戒めております。
それに関してお読みいただきたい本を何冊かご紹介しておきます。 まず田村芳朗先生の 『日本仏教史入門』、 角川選書のものです。 今から四十年ぐらい前の本で、 今は古本屋さんにしかないかもしれません。 これは私が学生時代に田村先生に教わった本です。 皆さんの教科書の著者の末木先生は田村先生のお弟子さんですから、 この本がもとなんです。
次に 『天台教学と本覚思想』。 大久保良峻という先生が法蔵館から出されています。 それに岩波書店の 『日本思想体系』 の一冊 『天台本覚論』。 これは多田厚隆、 大久保良順 (大久保良峻先生のお父さん)、 田村芳朗、 浅井円道という先生がお書きになったもので、 これが実は天台本覚論の起爆剤になった本でございます。 これも四十年ぐらい前の本で、 多分古本屋あたりであるかもしれません。 もちろん図書館にはあると思います。 赤い本です。 栗田勇先生の 『最澄と天台本覚思想 日本精神史序説』 は一九九四年に作品社という出版社から出ております。 これは比較的分かりやすいしおもしろい本でした。
さて、 私の専門分野の修験道の方に話を移させていただきます。 修験道というのは山伏ということで、 実は神仏分離令のときにつぶされます。 何でつぶされたかといいますと、 やっぱり神道というものをはっきりさせなければいけないということで、 神仏習合で一緒にやっているものも分けたぐらいですから、 その中間を行っているような修験道はだめだということになったんです。 だから坊さんになるか、 神官になるか、 あるいは田畑を持っているものですから農業にするかということになったわけです。
その当時に神道に変わった修験者が非常に多うございます。 準国家公務員みたいなもので、 食べることは心配要らない、 生活が保証されたのでどんどん神主さんになったわけです。 先ほどの出羽三山なんかはその例でございます。 羽黒山神社、 月山神社、 湯殿山神社というふうに、 今は一つの神社本庁に属する神社に変わってす。 ですけれどもお寺として残ったのもございます。 先ほどちょっと申しました湯殿山系でいいますと本道寺とか大日坊というのが仏教、 真言宗豊山派の系統で残りました。
羽黒山でいきますと正善院というお寺がございます。 島津弘海さんという人が今住職をやっています。 天台修験宗という宗派になっております。 戦後、 昭和二十八年までは天台宗として一本立ちしておりましたが、 昭和二十八年の例の宗教法人法の変更のときに独立しております。 天台修験宗という名前を名乗っていると思います。 羽黒山の下のほうに金色堂というお堂がありまして、 そこを中心にしている天台系のお寺さんです。
月山の場合はほとんど神社に変わっていますかね。 もっとも月山神社というのは山の上ですから、 高いところですから、 下にあるというのはあれですけれども、 でもその系統はやっぱり天台宗系なんかにもあります。 実は私が生まれた実家もその系統のもので、 葉山の系統の修験者の家に私は生まれました。 これは天台宗に属していますけれども、 おやじはそこの寺の住職を今現在やっているわけです。 そういうこともあって、 修験道というものを研究してみるというきっかけにもなったわけです。
「山伏」 にみる三即一
さて修験者のことを 「山伏」 と言いますけれども、 これがどういう思想のもとにあるのかということを述べております。 まず山という字は三本というふうに考えていただいて、 こちらのほうは了因仏性であり、 真ん中の縦の棒は正因仏性であり、 反対側のほうは因縁仏性である。 それから報身であり、 法身であり、 応身である。 そして空諦、 仮諦、 中諦の三諦とテキストには書いてありますけれども結論から申しますと、 三つあるけれども横の棒でつながっているんじゃないか、 山という字はそうでないと成り立たないと思います。 だから結局、 三即一という考えでございます。 あるいは逆にして一即三でもいいと思います。 ここで即という字が出てきています。 この場合の即というのはすなわちというふうにお考えいただければいいと思います。 三イコール一、 一イコール三というふうにお考えいただきたい。曼荼羅という、 真言宗、 天台でも使いますけれども、 胎蔵界曼荼羅、 金剛界曼荼羅というのがあります。 この曼荼羅の解説をずっと読んでみますと、 例えば私の大学の金岡秀友先生などは多即一、 一即多。 一すなわち多いというふうに、 これが曼荼羅の世界。 大日如来を中心としての曼荼羅の世界というのは、 結論から言えばそうだというふうにおっしゃっておられますけれども、 それと全く同じでございます。 数字の三というのは、 あくまでも三つという意味ではないんです。 やはり多いというのにも通じることだろうというふうに思っております。 ですから私は三身即一でもいいと思います。 例えば報身、 法身、 応身という三身、 三身即一あるいは空・仮・中という三諦即一というふうに考えてもいいと思います。 これを山伏の山に当てはめているということでございます。
実はこれは天台宗で言うならば三王一実神道。 これはだれが言ったからというと、 天海という人が言っています。 天海大僧正が山王一実神道というものを出しまして、 家康公が久能山から日光に移る原因にもなったんです。 どういうことかと言いますと、 家康公という人間は、 この世を治めるべくして生まれた人で、 仏の世界で言うならば薬師瑠璃光如来です。 だけれども先ほどの、 いきなり仏にはなれないということです。 とりあえず死ねば何になるかというと権現になる。 仮にあらわれる。 家康公ですから単なる権現では失礼ですから大権現と言います。
つまり家康公という人間、 権現という神、 薬師仏という仏、 これが全部一つですよという考えです。 それを山王一実神道というふうに言います。 山という字も先ほど図示しましたように、 三本縦があって横で結ばれている。 王様の王も横三本ありますけれども縦は一本で結ばれている。 それは人間が上か真ん中か下かというようなことは別にしまして、 三を考えてみましたが、 つまり、 三というふうな区別があるけれども、 結局は一つなんだということが家康公が祭られる一つの原因なんです。 ですから日光に行きますと東照大権現と書いてあります。 東照、 東を照らす。 阿弥陀様は西方極楽浄土ですけれども、 薬師仏は東なんです。 東がお浄土です。 ですから東を照らすということで薬師仏をあくまでも意識しているんです。
日光に行きますと、 今は神仏分離令で輪王寺というお寺と二荒山神社という神社と東照宮という神社と二社一寺で分かれていますけれども、 ごく最近まで裁判をやっていたんです。 お寺と神社で所有権の問題で、 例えば鳴き龍で有名な本地堂などはどっちのものか十年ぐらい前まで最高裁で争っていたんですが、 今はそんなことを言うんじゃないというようなことで結論が出ましたけれども。
ところで二荒山神社というのは日光の語源のもとです。 二つが荒いというのは読み方によってはニッコウとなるでしょう。 日の光となったのは後で、 今現在使っている日光は二荒から出てきている。 仏教用語で普陀落、 ボタラ宮というふうなことにつながってくるわけです。 観音様とも縁が出てくるということです。 そんなことで地主神、 地主が二荒山神社なんです。 それから家康公の日光東照宮、 東照大権現と輪王寺というのは本来ならば神仏混合の思想でつくられているものですから一緒なわけです。
神仏混合と中道
日光に行きますと拝観券は共通券を出します。 一枚買えば二つの神社と一つのお寺が自由に拝観できる共通券を出して、 バラバラに出さないようにしております。 経営という言葉は嫌いだけれども、 共同経営みたいな形で落ち着いております。 そのもとはだれがつくったかというと、 実はもっと古い、 日本の天台宗ができるときにそれはできているんです。 比叡山のふもとに行きますと日吉神社というのがあります。 あの日吉さんの神社のもともとの起こりというのは、 先ほど申しましたように仏法を守る、 比叡山を守るための神社が日吉さんなんです。 ですから日吉さんの鳥居は山王鳥居と言いまして別なんです。 普通の鳥居とはちょっと違う一種独特な形をしております。これは本地垂迹。 神様と仏様の関係で神だということで仏教は日本に入ってくるわけです。 蘇我と物部の話になりますけれども、 外神を入れるとは何事ぞというような争いに結果的にもなってくるわけです。 ですけれども日吉の場合などもそういうことで、 比叡山の守り神、 仏法の守り神として日吉神社というものを非常に重要視しているし、 今ではそんなにけんかしていませんので、 仲良くしていますので、 天台宗のお坊さんが日吉さんの境内地の中で法要をやります。 お経をあげるんです。 もちろんその中には宮司さんや神官、 神職の方も入ります。 昔の絵巻などを見ると衣冠束帯をつけた神主さん、 神職の方と袈裟をつけたお坊さんが一緒に法要をやっている図などもあります。 もちろん江戸時代の話です。 そういうふうなものが今現在も残っておりますけれども、 それが明治になったときの神仏分離令でごちゃごちゃになったわけです。
今東光という方がおられましたけれども、 今東光さんは 「せっかく仲のいい夫婦を力ずくで別れさせたのが神仏分離令だ」 というようなことを言っておられます。 考えてみると日本の仏教というのは、 神仏混合の思想が非常にうまくいった例じゃないでしょうか。 そんなに違和感がないし、 「神様、 仏様」 というふうなことをよく困ったときには唱えますけれども、 神様も仏様も一緒に一般の人たちの考えの中にはあるようです。
日本人には宗教観がないというような批判をされます。 クリスマスをやってキリスト教まで入れて、 七五三は神道で、 お盆には仏教で、 めちゃくちゃじゃないかというように外国人から見れば奇異に見えるようですが、 考えてみると我々の生活慣習の中には神道だから、 仏教だからというふうな分け方はそんなにしないような気がしております。 それでいいんじゃないかという感じがしています。
先ほど触れましたけれども、 既に日本に仏教が入ってくるときから、 観念的には神仏混合なんです。 家康公もそれをうまく利用して、 山王一実神道というものを言って、 日光山に家康公や家光公が祭られというような形になってくるわけです。
そういうもとになった三即一でございます。 この三即一というふうな言い方は実は中国ではあまりないとようです。 むしろそれは 「不二」 の世界だというような考え。 不二というのはインドからもあったし、 中国でも古くは不二の思想であったろうと。 ですけれども不二というのは、 二つが前提になってそれを否定するものですので、 どうしても真ん中がなければいけない。 中道というのは真ん中の道というふうに書きますけれども、 あくまでもセンターロードではないです。 学生に中道の話をするときは難しいんです。 中道というのは真ん中なんでしょうと、 例えば 「空」 と 「仮」 をはかって、 一メーターあるとするとその真ん中の五十センチが中道なんでしょうというようなことを言うときがあるんです。 そんなことじゃないんです。 センターロードではない。 つまり、 空にも属さず、 仮にも属さない自由自在に動くものを中道と言うんだということを言うんです。
中道というのは 「諸法実相、 これ中道」 というのは、 宮本正尊という東大の大学者、 こちらの東大仏青をつくられたときの先生ですけれども、 宮本正尊先生なんかはそうおっしゃっておられる。 中道こそが仏教の思想だというようなことをおっしゃっておられましたけれども、 中道というのはまた、 我々の生活とも非常に縁のあるような気がするんです。
= おわり =







