中山清田先生

日本仏教における本覚論(第16期スクーリング講義録)

2003年6月20日 第16期スクーリング講義録

 最近読んだ本の中に、 『最澄と天台本覚思想 日本精神史序説』 があります。 著者は栗田勇さんという方で、 1929年東京生まれの作家、 評論家でいらっしゃいます。 専門の方ではないようですが、 『一遍上人 旅の思索者』 とか、 『道元の読み方 (今を生き切る哲学― 「正法眼蔵」)、 『良寛入門』、 『千利休と日本人』、 その他いろいろ著していらっしゃいまして、 この本は1994年に作品社という出版社から出ています。
 私は勉強不足で、 この栗田先生のことはあまり知りませんでしたが、 読んでみましたら、 なかなかおもしろい。 よくまとめられているなという気がいたしました。
 では本覚思想とは何ぞやということになりますけれども、 「本より覚る (さとる)」 という意味になります。 本より覚る、 もとから悟っているというような意味合いです。 この本覚思想といいますのは実は空海の著書の中にも二、 三あらわれてきますし、 引用なんかもされております。 上に天台という言葉をつけて、 天台本覚思想とおっしゃる方も多いですね。 天台本覚思想を最澄が書いたというような人もおります。 最澄は自分の著書では、 その本覚思想に関すること、 ちょこっと二回だけしか使っていないんですね。 学者によりますと、 それは最澄が書いたのではない、 偽撰であるという説のほうが濃厚でございます。
 田村芳朗という先生が、 岩波書店から出ている 『日本思想体系』 の中の 『天台本覚論』 という本をお書きになっていらしたときに、 私は学部の学生でした。 ですから田村先生の本覚論を、 よく授業の中で聞きました。 授業の教科書は 『日本仏教史入門』 という角川選書から出ている本で、 これをなぞりながら、 日本仏教史の中の本覚思想というものをよく教えられました。
 皆様にテキストとしてご紹介しているのは、 東大大学院教授の末木文美士先生の 『日本仏教史』 ですが、 末木先生は田村先生が東洋大から東大に移られたときの教え子でいらっしゃいます。
  『日本思想体系』 の中の 『天台本覚論』 は、 現在本覚思想に関しての論争がさまざま起こっているもとでございます。 田村先生のほかに、 多田厚隆、 大久保良順、 浅井円道というの先生方のお名前が載っておりますが、 実は私は多田先生、 大久保先生にも教わっております。 多田先生は最後には中尊寺の管主で遷化されております。
 大久保先生は、 ご健在でいらっしゃいます。 ごく最近まで京都の妙法院の門跡さんをお務めでした。 今は名誉門跡に退かれておりますが、 頭のほうはまだまだシャープでして、 天台宗の宗典編纂所の顧問をなさっておられまして、 たまにお目にかかるんですけれど、 私らが作業が進まなくて、 いや、 困った、 困ったと言うと、 「まだ十年しかたってねぇんだから、 しょうがねぇ」 と。 やっぱり長生きする人は違うなと思いますね。 私は十年もするともうそろそろ焦ってくるんですけれども、 大久保先生はまだ十年かということで、 ゆっくりと構えていらっしゃいましたね。
 その大久保先生の息子さんで、 早稲田大学で教鞭をとっておられます大久保良峻さんの 『天台教学と本覚思想』 という本が、 法蔵館から出ております。 これは、 まだ手に入るかもれません。 本覚のほうのお勉強をなさる方には、 うってつけのテキストではないかなと思います。
 それから袴谷憲昭先生という駒沢大学の先生の 『本覚思想批判』 という本が大蔵出版から出ております。 これはいま現在、 本覚思想、 本覚思想と言って、 みんな仏教界は浮かれているけれども、 それではいかんと思われたんだと思います。
 もう一つ、 日本仏教史の中で参考になるのは、 末木先生の 『日本仏教思想史論考』 (大蔵出版)、 もう定年でやめられましたけれども東洋大学の田村晃裕先生が 『日本仏教の宗派』 という本を、 東京書籍というところから出しています。 同じ出版社からですが、 『日本人の仏教』 という中村先生とか奈良康明先生なんかが監修しておる本があります。 これなんかも、 非常に参考なるんじゃないかなという気がしております。 そのほかいろいろ、 日本仏教史に関する本はたくさんありますが、 いま挙げたような本を一応参考にして、 お勉強していただければよろしいんじゃないかなという気がします。

伝教大師最澄の円頓戒

 天台宗では今年度から開宗千二百年の行事が始まり、 総授戒という問題が取り上げられております。 総授戒というのは、 天台宗の檀家さん、 信徒さんに受戒をさせよう。 五つの戒律、 円頓戒をお授けしようということです。
 さて、 その円頓戒の中に不飲酒戒がございます。 私も不飲酒戒を受けております。 高校に入ったとき受戒をしましたけれども、 師匠との間で、 「不飲酒戒というのは酒を飲んではいけない。 わかったな」、 「はい、 わかりました」。 「よく保つなや、 否や」 と言われて 「よく保つ」 と、 三回繰り返しました。 ところが大学の新入生歓迎コンパで、 酒を嫌というほど飲まされた。 それが私の、 酒の最初の経験です。 それ以後ずっと飲み続けで、 毎日不飲酒戒を破っております。
 比叡山延暦寺に山田恵諦というお座主さんがいらっしゃいました。 そのお座主がある酒の席で、 「酒を飲んじゃいけないというのは伝教大師がおっしゃった戒の中にある。 だけども天台宗には、 懺悔という修行もある」 と。 サンゲというのは、 ご存じのとおり、 「悪いことやりました」 と、 仏さんの前で告白し、 「酒はもうやりません」 と、 悔い改めるわけですが、 その行が天台宗の中心である、 とおっしゃった。 そう言われてみますとお勤めは、 朝は法華三昧という方式でやります。 これは法華経を中心にしておりますけれども、 全部内容は懺悔です。 夕方は例時作法という作法でやります。 これは阿弥陀経を中心にしておる教法です。 これも、 懺悔です。 ですから懺悔をきちんとやればいいんだということで、 「お前ら、 不飲酒戒を破るんだから、 きょうはゆっくり本尊様におわびしなさい」 というようなことで、 ご自身もちょっと召し上がられて 「私も懺悔する」 とおっしゃっておられましたけれども。
 しかしお檀家さんや信者さんにその不飲酒戒を授けながら、 懺悔すればいいんだよ、 ということで済ますわけにはいかないと、 大問題になりました。
 伝教大師最澄の時にも大問題が出てきました。 ご存じのとおり、 最澄は小乗戒を受けております。 ですから本来は、 当時のエリートコースを歩める方だったんですが、 伝教大師は 「私は無戒である」 とおっしゃった。 戒がない。 だから大乗戒というものをつくらなければいけない、 ということで大乗戒壇をつくる。 これが日本天台宗の起こりです。 ですから戒というものは非常に、 天台宗でも最初からもちろん問題になってくるわけですね。 ほとんどの著作物では、 「最澄は小乗戒を捨てて」 という表現になっています。 無戒というふうにおっしゃっているものですから、 捨てて大乗戒を起こすようになったと。 それが天台宗の起こりだというように、 文献集には書いてあります。
 よくよく読んでみると、 最澄は小乗戒の上に大乗戒というものを持ってきたのではなかろうかと思っておるんです。 ちくわは真ん中に穴があいており、 最澄はちくわの穴のように、 小乗戒をストンとのけている。 ちくわみたいな形のものが天台宗の戒だと言う学者もいらっしゃいますが、 私は、 異論がございます。 やはり、 小乗戒の上に大乗戒があるのであって、 小乗戒が芯になっている。
 比叡山の坂本の近くに花見堂というお堂がいまも残っております。 どういうものかといいますと、 最澄はご存じのように比叡山の下の坂本のご出身でございます。 山の上に最澄がいるということで、 お母さんは会いに行きたいけれども女人結界があってそこからは女の人は登っていけない、 最澄のお母さんといえども登ってはいけない境があるわけですね。 お母さんはその境まで行く。 そうしてそこに花を供える。 多分最澄もお母さんに会いたくて下に下りていって、 そこでお会いになったんじゃないかという気がします。 こうしてお母さんは、 そこから一歩も山の上に登るということはしなかったんですね。
 そんなことも考えれば、 最澄はやはり、 小乗仏教の上に大乗仏教をのっけたんじゃなかろうかと思います。 ご存じのとおり大乗仏教というのはだれでも仏になれるということで、 草木成仏論なんていうのも当然出てくるわけですね。 ですから小乗の二百五十戒をばねとして、 実行可能な戒をもって仏と同一化しようとしたのが、 伝教大師最澄のお気持ちじゃなかったろうかと思っております。

始覚と本覚1

 天台宗では今年から開宗千二百年の行事が始まりましたが、 「自分の中の仏に会いにいこう」 というのが、 キャッチフレーズでございます。 この言葉こそ本覚思想の極論だろうと、 私は思っております。
 本覚思想といいますのは実は明治、 大正の大学者、 島地大等という先生が本覚門と始覚門というような発想で、 全仏教史あるいは日本仏教思想史を体系化することを提唱したのが初めだと言われております。 さらに田村芳朗先生は 「日本の思想の中で、 本覚思想に関係しないものは何もないんだ」 と。 そこまでおっしゃっておられましたね。 ですからそういう考えで体系的にまとめられた最初の本が田村先生らの 『天台本覚論』 (日本思想体系9=岩波書店) だと思っております。
 この 「本覚」 というのは、 お釈迦様ならず、 我々衆生もまた悟ることができるのか、 という問に対しての答えだろうと思っております。 答えは、 「衆生の身体自から清浄にして」、 つまり修行することによって仏になるんじゃなくて初めから悟っているんだという考えでございます。 とはいうものの我々の本性は無明煩悩に覆われている、 隠れているんだから、 その濁り、 隠しているものを修行によって取り払わなくちゃいけない。 これが 「始覚」 でございます。
 私は、 このように解釈しているんです。 例えば三十センチの物差しの三十センチ目に悟りというものがあるとしますね。 物差しの表側には目盛りがついており、 この目盛りに則って段階がきちんとできている修行方法、 これを始覚といいます。 これに対して裏側には目盛りがついていませんが、 同じように三十センチ目に悟りというものがあり、 目盛りがなくていつの間にか悟る。 何かの音を聞いた途端に悟ったという話がありますね。 そういう悟りの仕方が、 よく高僧伝などにありますね。 それが本覚、 あるいは本覚のなせる悟りと言っていいのではないだろうか、 と。
 ご存じのように日本曹洞宗の開祖道元禅師は最初に比叡山でご修行なさっておられますけれども、 そこで道元禅師は疑問を持たれたわけですね。 本覚というものがあって、 もともと悟っている。 修行なんかしなくても悟っているというのに、 何であなた方は修行するのか、 と。 天台宗の坊さんに聞いたところ、 だれ一人として答えることができなかった。 それが比叡山を下りる一つの要因になったと言われますけれども。 その後中国の天童山というところでご修行をなさっているときに、 道元禅師の隣にいたお坊さんが居眠りをし始めたんですね。 そのときに指導するお坊さんが 「なにを居眠りなんかしているんだ」 と非常に怒ったというんですね。 そのときにふっと、 道元禅師は悟られたというんです。
 お坊さんとしては修行のために全跏坐といって両足を組んで坐るわけですが、 悟りを開かれた仏様も同じように坐っておられる。 仏の座り方が、 もうこの坐禅なんだということを悟られる。 だけれども、 我々には結局修行ということにして、 この濁りとかそういうものをとっていかないとどうにもならないということを、 お感じになったんじゃないかなという気がいたします。
 道元禅師はご存じのとおり、 始覚とか本覚という言葉は使っておりません。 どこにもそんなものはありません。 ありませんが、 「弁道話」 というものにこういうことが書いてあります。 「修証は一つにあらずとおもえる、 すなはち外道の見なり。 仏法には修証これ一等なり。 いまも証上の修なるゆえに、 初心の弁道すなわち本証の全体なり」。 修というのは、 修行である。 道元禅師にとっては坐禅そのものだというふうに思いますけれども、 この坐禅というのは、 また同時に証だというんですね。 つまり我々はもう悟っている仏なんだけれども、 自ずと濁って、 その濁りというもの、 煩悩というものをどんどん取り去ることが、 一つの覚をはっきりさせる一つの手段であるということにもなるんだろうと思うわけです。 ですから道元禅師は、 修も証も等しい、 同じだと言い切っているわけです。
 そういう見方で、 実はレポートのテーマにもありますけれども、 鎌倉仏教を考えるということは、 日本仏教の全体の思想を考えることにも相通じるものがあるんじゃなかろうかということで、 レポートのテーマにしたわけです。

始覚と本覚2

 さて、 本覚思想の本覚という言葉は最初に、 西インドのバラモン出身の学僧で後に中国に渡った真諦という人が五五四年に訳した 『大乗起信論』 という本の中に出てきます。 これは南都六宗の一つ華厳宗の骨格をなす華厳哲学にとって非常に重要な位置を占めていると同時に、 天台本覚思想にとっても先駆的な内容を持っております。
 どういうことかといいますと、 天台で言う一元論的発想、 具体的には、 生死即涅槃とか、 煩悩即菩提、 凡聖不二、 生仏一如などの言葉を貫徹する思想が、 この 「大乗起信論」 の中にあるわけです。
  「煩悩即菩提」 に一例をとりますと、 うちの池が余りに汚かったものですから、 ハスを植え替えてきちんときれいにしようとばかな考えを起こしました。 業者に頼んで重機で全部泥をかきだしてもらって、 ハスを植え直しました。 見事に枯れました。 「ばかだな。 どぶをさらってハスを植えるばかがどこにいるか」 と言われました。 どぶがあるからこそハスが根づくんですね。 ハスは自分を傷つけるどぶというものに囲まれながら、 それを全部取り込まないで、 栄養にして花を咲かせるということですね。 つまり煩悩というどぶに毒されてしまっては枯れてしまいますけど、 それを栄養分として取り入れて、 悟りというほうへ走る。 それが煩悩即菩提かなと。 植物でいうと、 このどぶとハスの関係かなと思っております。 だから仏教ではハスを非常に大事にするのかなと、 私はそんな気がしております。
 それから 「凡聖不二」 という言葉を、 修験道ではどう表しているかですが、 まず、 「不二」 という仏教思想があります。 分かりやすく言えば 『般若心経』 に出てくるで 「色」 と 「空」 のように、 どちらも大事で、 切って切り離されるものではありませんよ、 というのが不二の思想のスタートだと思います。
 それに修験道の修行者は、 山伏ですが、 人と犬が一緒にならなければ 「伏」 という字にはなりません。 つまり法性と無明を一つにしたのが山伏の 「伏」 という字です。 「山」 はどうかといいますと、 中道、 仏部、 法身というふうに三つに分けております。 中道があり、 応身蓮華部空諦の空諦と、 反対側に報身金剛部仮諦がある。 三身即一三諦一念ということを 「山」 という字で表している。 つまり三つで一つ。 一つで三つということを表す。 「山」 という字は、 縦三本でできていますね。 真ん中の棒をを中道としてもいいでしょう。 両わきをそれぞれ空、 仮と置きかえてもいいと思います。 この三つが横の線で結ばれています。 しかし中がいいのか仮がいいのか空がいいのかと、 甲乙はつけられないわけですね。 物事は、 全部こういうふうに成り立っているという教えです。
 これをうまく利用したものに、 山王一実神道という思想があります。 比叡山の坂本にある日吉大社が大本家です。 その山王一実神道の 「山王」 というのを、 実はこんなふうに考えた人がおります。 神と仏と、 我々人は、 実は一緒である、 と。 それをうまく使ったのが天海というお坊さんです。 江戸時代に喜多院とか、 日光山輪王寺、 上野の寛永寺などをつくり、 徳川家康から家光までの三代に仕え、 黒衣の宰相と言われたお坊さんです。 この山王一実神道によって、 家康公が久能山から移されて日光に葬られ、 山王大権現になった。 家康公という人は薬師仏になるべき人なんだけれども、 仮に神としてこの世に出てきたと。 人と仏と神は結局は同じですよという権現説が、 山王一実神道というものを使って天海によって編み出されたのです。 天海僧正という人は、 本が好きで、 たくさん読んでいる。 だからそういう思想が出てきたんだろうと思います。
 実は修験道も同じようなことを考えていたんですね。 さすがに修験道の中には神と人と仏という字はありませんけれども、 思想的には全く同じでございます。 つまり三即一。 三つはあるけれども一つに帰するんだと。 一つが、 一即三なんですね。 一が三にも分かれるんだ。 だから三即一、 一即三と言うのです。 また 「秘記に曰く、 山は三身即一、 三諦一念の義......」 という文言もあります。 密教では胎蔵界、 金剛界を抱える曼荼羅がありますけれども、 この曼荼羅というのは一体何だ、 結論は何だということです。
 金岡秀友という東洋大学の先生が最終講義のときにこうおっしゃいました。 「曼陀羅は多即一、 一即多である」 と。 ですから先程の三即一の三を多いという字に置きかえると、 密教の考え方になってくるんですね。 結局同じことなんです。 三即一。 私は修験の立場ですから三即一、 一即三ということをよく言いますけれども、 金岡先生の言葉で言うと多即一、 一即多ということになるわけですね。
 これが真如である、 悟りであるということを、 修験道では言いたいんですね。 だから山伏という字をとりまして、 まず山というのは三即一である、 一即三の象徴であると。 伏というのは、 不二の象徴であるというようなことで言っているわけです。 ですからこの中に本覚思想が含まれており、 我々はもうすでに悟っております。 悟ってはいるんだけれども、 オギャーと生まれて悟ってはいるんだけれども、 修験道の文献にもありますが、 年をとるにつれてだんだん垢 (あか) をためていくというんですね。
  「死に欲」 なんていやな言葉がありますね。 このごろうちのおやじ、 自分の身内ですからいいですけれども、 うちのおやじを見ていますと、 昔はあんなに意地汚くなかったのに、 このごろ死に欲が深くなっていると、 私は悪口を言うんですけれど、 どうしたんでしょうかね。 お年を召すと、 何でももったいなくなるんでしょうか。 私なんか見ていると、 何だ、 そんなに欲張らなくていいのにというのがありますけれども。 年をとるほど、 かえっていやらしくなってくるようなこともあるような気がしますね。 身内のおやじさまのことですからご無礼いたしますけれども。 垢を全部とらなければいけない。
 ですから擬似死、 仮の死というものがあります。 これは修験道の行の中にもたくさんあります。 例えば柴灯 (さいとう) 護摩というものがありますね。 山の中で木を組んで、 煙をわーっと出して、 煙でもって我々の六根清浄をする。 そこまでで大概終わりにしてしまいますけれども、 その後本来ならば火を渡る。 素足で火の上を渡っていく。 あれは火葬の意味を表しているんですね。 擬似死でございます。 本当に死んでは困りますけれども擬似死をしまして、 それで新しく生まれ変わるのでございます。
 胎内くぐりというものが山に大概あります。 この山の岩とか木の根っこをくぐっていく。 実は女性の子宮を意味しているんです。 それを出て、 世の中に出ていくと生まれ変わるということでございます。 生まれ変わって、 全部垢を落として、 生まれたままの形になる。 それが悟りである。
 本覚思想というのは、 そういうものだろうと思いますね。 本来我々は仏心を持って、 何もしなければいいんだけれども、 だんだん世の中に出てくるに従って悪くなってくる。 垢がたまってくる。 だからその垢をそぎ落とすために、 始覚という考え方があって修行をしていく。 修行をして、 垢をどんどんそぎ落として、 本来の本覚の形になっていくということでございます。
  『本覚讃』 というお経があります。 伝えによりますと 「不空」 という人が訳して、 『妙法蓮華経三昧秘密三摩耶経』、 別称 『蓮華三昧経』 といいます。
  「帰命本覚心法身、 常住妙法心蓮台......」。 天台ですと、 「キミョウホンガクシンポッシーン、 ジョウジュウミョウホウシンレンダーイ......」 とお読みします。 次は 「本来具足三身徳 三十七尊住心城 普門塵数諸三昧 遠離因果法然具 無辺徳海本円満 還我頂礼心諸仏」 と続きます。 全体を訳しますと、 「本来覚っていることをたたえる。 本来すでに覚っている自らの内なる仏の法身を、 命を捧げて信仰します。 いついかなるときも仏法は自らの心に蓮台である妙法として住しておる。 本来もとより仏の法身・報身・応身という三つの形で説明される、 仏法のあらゆる人間的理想表現がすでにこの身に備わっている。 ですから三十七尊の仏陀や釈尊が自らの心身に住しているのです。 諸仏や諸尊の数限りない覚り方は世間的な因果生死の流転のあり方を超越して、 仏法のままに備わっており、 大海のような辺際のない諸仏諸尊の無量の仏徳が本来完全にしみわたっているのです。 それらを具足している我が身だから、 改めて我が心身に内在している諸仏諸尊にこうべを垂れて礼拝いたします」 ということです。
 この 『本覚讃』 に関して比叡山の横川に住んでおられた源信が 「註本覚讃」 を書いておられます。 それもあって平安末期から鎌倉、 室町あたりに、 他の宗派も巻き込み、 さらに江戸時代には修験道とも一緒になって盛んに唱えられるようになりました。
 天台宗は千二百年の開宗記念を迎え、 「自分の心の中の仏に会いにいく」 がキャッチフレーズだと言いましたけれども、 そういうことを考えてキャッチフレーズをつくつたのかなと思っております。

= おわり =

このページの先頭へ