中野東禅先生

宗派、宗教のいろいろ(第15期スクーリング講義録)

2002年6月20日 第15期スクーリング講義録

仏教の成立

 日本の伝統仏教は十三宗五十何派といわれますが、 それを理解するためにまず、 仏教全体の鳥瞰図を見てみましょう。 仏教の開祖お釈迦様、 釈尊ともいいますが、 お釈迦様というのはインドの釈迦族のゴータマ家の悉達多 (シッダールタ) 太子という、 八十歳で死んだおじいさんです。 この人のお母さんはマーヤーという人、 お父さんはシュッドーダナという人でしたが、 お母さんは悉達多太子が生まれると七日後に死んでしまいます。 そこでお母さんの妹のマハープラジャパティーという人がお父さんと再婚して、 お釈迦様を育てるわけです。 成長したお釈迦様はヤショーダラーという人と結婚して、 ラーフラという子供をもうけますが、 二十九歳で妻や子や物欲を捨てて沙門になります。 はじめはいろいろな哲学者や修行者から学び、 苦行も重ね、 三十五歳で悟りを開かれた。 そしてプラスマイナス三年の誤差だそうですが、 BC三八三年、 ですから現在から二千三百八十五年前に八十歳で死ぬというのがお釈迦様の全体像です。
 お釈迦様が亡くなるとすぐに、 第一回結集というのがマガダという国の王舎城の中にある七葉窟という山の上の洞窟で行われました。 そのときにアーナンダ (阿難) というお釈迦様のいとこで、 一番長いことかばん持ちをした人が、 多聞第一といって一番たくさん説教を聞いていた。 この人が証明者になって、 私はこのように聞きましたと言って、 みんなが暗唱していたことを唱えるんです。
 そうすると、 私は違う、 私はこう聞いたと。 みんなでそうやって修正していくんです。 そしてお経を確定したわけですが、 そのとき、 私はこのように聞きましたというので、 「如是我聞」 という言葉で始まるお経が結構あるわけですね。 これが第一回結集です。 そこでお経と戒律がきちんと確定するわけです。
 キリスト教の新約聖書は一冊ですよ、 読めば日本語でよくわかる、 仏教のお経は何でわからないんですか、 などといわれますが、 そりゃそうでしょう。 仏教のお経はお釈迦様が四十五年間話した内容です。 キリスト教の新約聖書はイエス様がは三年間話したもの。 ですから、 もともとけたが違うんです。
 ともかく、 お経の成立というのはお釈迦様が亡くなった直後です。  その五十年後にアレキサンダーという人がインドまで来ます。 ギリシャのマケドニアの人ですが、 アフリカの地中海側を征服して、 そしてずっと今のアフガニスタン、 パキスタンまで来るわけです。 このアレキサンダーが仏教に物すごい影響を与えて亡くなり、 その五十年後に今度は第二回結集というものが行われます。 これはアショカ王の時代です。 この人はインドを統一したマウリア王朝の三代目で、 兄さんと政権を争って物すごい人殺しをしました。 そして反省して平和をつくろうというので、 あらゆる宗教を大切にして補助金を出し、 中でも最も仏教を大切にしたのですが、 この第二回結集で仏教は分裂するわけです。 この時代を部派仏教といいます。 それが上座部と大衆部に分かれます。 上座部というのは長老方で、 お釈迦様の言うとおり守ろうという人たちです。 それに対しまして時代や社会や職業や地域が変われば、 物事は変わっていかなければならない。 そう考える人たちが大衆部です。 その大衆部が後に今度は小乗と大乗に分かれます。
  「小乗」 という言葉は、 「大乗」 から見下ろす言葉ですから使ってはいけないのですが、 歴史的用語として使わせてもらいますと、 小乗とは努力によって悟りに至るという考えです。 努力した人だけが救われるという競争原理によるわけですから大変な矛盾です。 確かにお釈迦様は、 努力しなさいということも言っています。 しかし同時に、 なぜ努力できるかということも言っています。 どういうことかと言いますと、 もし凡夫が真っ黒だったら、 白いものなんか何もないのだから、 白いものは求めようがない。 白いものがあるから、 それが私をつき動かす。 つまり悟りは向こうにあるのではなくて、 足元にあるいのちの根源のことです。 これを確かめる努力、 すなわち信ずることを重視するのが大乗仏教の考え方です。 だから浄土真宗でも浄土宗でも、 天台、 真言、 禅宗、 特に中国、 韓国、 チベット、 カンボジア、 日本の仏教は全部大乗です。

大乗仏教の構造

 仏教では、 西暦一世紀ごろになって大乗仏教運動が強まってきます。 これは簡単にわかりやすく言うと、 お経の再編集運動ということです。 もう一つは、 大乗の考え方すなわち一切は救われているという考え方と、 空という考え方を主張するためです。
 そこで途中ですけれども、 「仏教の宇宙観と問題解決の仕組み」 をみてみましょう。 仏教を簡単に理解する方法です。 まず 「真理の性質」 という視点からあげなければならないのは 「縁起」 です。 いろいろな条件が調和して存在があるということです。 「起」 という字は存在という意味で解釈したらいいと思います。 諸条件の調和で存在があるというのです。
 太陽系も、 銀河系も、 地球も、 皆さんのいのちも、 心も、 人間関係も、 事件も、 一切は条件の調和です。 夫婦げんかも条件の調和。 きょうはレストランへ行っててんぷらうどんを食べるようになるか、 すしを食べるようになるか、 そばを食べるか、 カツどんを食べたくなるか、 これも条件の調和です。 おなかの調子と、 きのう何を食べたかしら、 きょうは暑苦しいし、 と。 いろいろな条件の調和で、 「私、 じゃあきょうはそばにしよう」 と。 中には財布の条件というのもありますからね。
 一切のものはそうやってできているのですから、 あなたに責任がある、 決定するのはあなたですよということですね。 「縁起がいい」 とか 「縁起が悪い」 というのは、 結婚式に出かけようと思って家を出たら霊柩車に会った。 縁起でもない。 悪い条件が集まってきそうな気がする。 ところが競輪競馬に行こうと思って、 家を一歩出たら坊主に会った。 「おお、 きょうはついている」 と、 こう言うでしょう。 そういうときには坊主や霊柩車は縁起がいい。 気分と連動して悪い条件が集まってきそうな気がする、 いい条件が集まってきそうな気がすると使っているのですから、 「縁起がいい」 「縁起が悪い」 という使い方も間違ってはいないのです。
 どこで間違うのか。 自分を中心に見ているから間違うのです。 自己チューで見るから間違うのです。
 さてお釈迦様は、 条件の調和で集まった以上、 条件は変わるから存在は変わると言ったのです。 それが 「無常」 ということです。 「常」 という字は変わらないという意味です。 「無常」 は変わるということです。 そして 「無我」。 実体なんかない。 簡単に言うと、 無我というのは自分の都合ではないということです。 私が生まれてきたのも自分の都合ではない。 だから死んでいくのも自分の都合ではない。 それが無我ということです。
  「無為」 というのは、 損得ではないということです。 たとえば、 肌の色が白いとか黒いとかいうのは、 本来損得ではなく、 社会が損得を決めているだけです。 そういうのを 「空」 と言ったのです。 空というのは、 「有るようで無いもの、 無いようで有るもの」。 つかまえどころのないもの、 これが空です。 この空が後にゼロになります。 つまりゼロの発見。 これが真理の性質です。
 それに対しまして、 人間の現実は、 「妄縁起」、 損だ得だ、 好きだ嫌いだというものが縁起しているんですね。 コンプレックスやら習慣やら欲望やらが縁起している。 そういうエゴを中心に見るから常、 変わらないという錯覚が起きる。 自分の健康が変わらない、 家が変わらない、 会社も変わらない、 地位も変わらないと錯覚するんです。
  「我」 というのは自分の都合。 「有為」 というのは損得。 それから 「輪廻」。 愚かさを繰り返す。 そしてその結果 「苦」 を招く。 ところがその現実の妄縁起で傷ついて苦しみ、 これじゃおかしいと疑問を持つことがある。 それで智慧が働く。 ですから智慧というのは、 縁起と妄縁起の、 真理の側と現実の側との両方からの営業によって働くといったらいいでしょう。 つまり、 汚れる以前の真実なるもの、 「不染汚 (ふぜんな)」 というものが働き出して汚れに気がつくというわけです。 その結果、 無常を悟る。 無我になる、 自己主張をやめられる、 そして無為になる、 損得でなく行動できる。 そして空になる。 つまりこだわらないでいられる。 これが仏教、 お釈迦様の教えの構造と解釈していただいたらいいと思います。

大乗仏教の中身

 大乗仏教運動というのは、 お釈迦様がお説きになった 「縁起」 という言葉を 「空」 と表現していこうとしたのが、 最初の運動です。 それがお経として表されたのが 『般若心経』 などの般若経系統の経典です。 この系統が西暦一世紀ごろに、 『大般若経』 の形でまとまっています。
 この般若経の変形が 『維摩経』 になるわけです。 『華厳経』 もその流れにあるもので、 「無限の縁起」 としての宇宙を表しています。 無限の仏のいのちであるということで、 大仏様は奈良の大仏のように大きくなければいけないのです。
  『法華経』 は仏のいのち、 真実といういのちを我々は生きている、 真実のいのちの中にいるのだ、 と教えています。 『勝鬘経』、 『涅槃経』 などは 「如来蔵」 といって、 みんな 「仏性」 というのを持っている、 ですからだれでも仏になることができるという主張です。 学者の先生には怒られるかもしれませんが、 簡単に言えばそういうことです。
  『無量寿経』 や 『阿弥陀経』 は、 阿弥陀様という光の神様であり、 寿命の神様でした。 仏様の真実は永遠である。 それで一切を包んでいるという形で表現したものです。 これは主として仏との出会いの関係を主張しています。 その包まれている中で一人一人の凡夫がどうやって真実に目覚め、 真実に気づいていくか、 ということです。
 それから 「唯識思想」 といって心の構造を説きます。 それを中心とする一派が日本でいうと、 薬師寺や法隆寺の系統になるわけです。 その後で 「禅」 というものが出てきます。 私は 「空」 になっているという考え方ですね。 その後にヒンズー教と仏教が一体化して密教が生まれ、 西暦六世紀ぐらいから十世紀にかけて密教経典がつくられ、 高野山の真言宗などの系統になるわけです。 以上で大乗仏教というのは大体、 お経を中心にしているということがわかります。
 一方、 その他の文化面をみるとまず、 石窟寺院などがあってたくさんの彫刻がある。 ストーパでもお釈迦様の伝記を彫刻している。 だけどお釈迦様の姿そのものは、 彫刻にしませんでした。 何で表現したかというと、 お釈迦様の象徴は、 最初は、 かさです。 従者がかさを持っている、 というのは、 そこにお釈迦様がいるという証拠です。 それから菩提樹という木です。 それからお墓、 ストーパ。 それから足跡、 「仏足石」 です。 それにはお釈迦様の絵やお花、 お魚などがかいてある。 なぜ寺院の印が 「卍」 かというと、 花びらなのです。 お釈迦様の仏足石にあります。 それからもう一つ、 車です。 お釈迦様のお説教を車で象徴しました。
 このようにしてお釈迦様そのものは、 彫刻をしなかったのですが、 ガンダーラというギリシャ人の町がありました。 ギリシャ人はミロのビーナスに代表されるように、 神様を彫刻します。 そこで、 お釈迦様をも彫刻しちゃうのです。 それとほとんど同時にマトゥラーというところでも、 お釈迦様を彫刻することが始まるのです。 それが西暦一〇〇年ごろですか。
 そうすると今度は、 お釈迦様をほかの人たちと写実的に描いたら、 弟子もお釈迦様もみんな同じになるじゃないですか。 どれがお釈迦さまでどれが弟子かわからない。 そこでそのころに、 イランで王様がコインを発行しました。 それは王様を大きくかいて、 大臣と王子様を両脇に配置する、 つまり価値観、 権力の大きさを図表上の大きさであらわした。 これがすぐに仏教に採り入れられ、 三尊方式の仏像になるわけですね。 ですから仏像というのは、 ギリシャ文化、 メソポタミア文化、 インド文化が集まった地球規模の文化の集合体なのです。
 さて以上のような中身に発展した仏教は、 西暦六〇何年か、 中国元号の永平十年、 中国に伝わった。 永平寺の 「永平」 というのは、 そこに由来するものです。 さらに四世紀以降、 鳩摩羅什三蔵がインドから中国に来てお経の翻訳をする。 七世紀には中国の玄奘三蔵が十八年も歩き回ってインドから多くの経典を持ち帰った。 その時の旅行記が 『大唐西域記』 という世界三大旅行記のトップです。 これが五百年後に孫悟空の話になっていくわけですね。 ですからこの玄奘三蔵というのは、 白い馬に乗って優男の三蔵法師。 孫悟空という猿や猪八戒がついているあの物語になるのです。 この人がお経を持ってくるというような形になりました。

日本の仏教宗派 上

  日本の仏教宗派を理解するためにみなければならないのは、 まず奈良仏教です。 南都六宗といわれますが、 それらは学問による派閥であって、 今残っているのは三つです。
 最初は唯識思想、 すなわちヨーガの影響を受けつつ、 心とは何かということを研究したもので、 法相宗といいます。 法隆寺、 興福寺、 薬師寺、 京都の清水寺がこの系統になります。 法隆寺は戦後宗教法人が自由になってからは聖徳宗といって法相宗とはいっていませんが、 学問的には法相宗です。
 次は華厳宗といい、 奈良の東大寺で、 宇宙の縁起、 宇宙のいのちを問題にする華厳経のよりどころにした宗派です。 それから鑑真和上が持ってきた唐招提寺の律宗。 心に欲望や煩悩がないということを実践するのが戒律ですから、 律宗は禅と同じように実践宗教です。
 今、 若いお坊さんが頑張っていますが、 あそこは絶対今でも結婚しませんし、 お坊さんは数人しかいないでしょうね。 数えても十人いるかいないかでしょう。 以上が現在ある奈良仏教です。
 奈良時代が終わって平安時代になると仏教も平安仏教の時代になります。 中国へ行って中国の仏教を伝えたのが弘法大師と伝教大師の二人です。 弘法大師が持ってきたのは、 インドでヒンズー教と仏教が集合してできた一番最後の仏教、 すなわち密教の、 真言宗です。 宗派はまず、 高野山派、 六千カ寺。 これは関西が中心で関東には少なく、 東京ですと高輪別院とか、 あるいは横浜には結構あります。 それから群馬県の高崎観音、 あれも高野山派です。 それから豊山派で二千六百カ寺。 これはボタンの長谷寺、 東京では護国寺。 智山派というのは二千八百で、 京都の智積院が総本山で、 お正月に皆さんいらっしゃる成田山や川崎大師。 お大師さんといって人が集まるのは、 大体智山派が多いですね。 ご祈祷をするところです。 それから御室派や東寺派があります。 東寺派というのは、 京都の駅の南側に、 大きな五重塔があるでしょう。 あれが東寺といって、 弘法大師の最初のお寺です。 桓武天皇がつくったのです。 ここには仏像でできた曼陀羅があり、 仏像の博物館のような寺ですね。 またここには日本最初の大学、 綜芸種智院大学という大学がありまして、 現在でも学校法人種智院大学としてあります。 学生は五百人いるかいないかでしょう。 ほかに大覚寺派などがあって全部で十六派。 この系統の新興宗教にあたるのが阿含宗です。 週刊誌の広告などで目立つ火まつりをやるところです。
 弘法大師と一緒に中国へ行った伝教大師が持ってきたのが天台宗で、 法華経と密教と禅と戒律を総合的に伝えます。 さらに三代目の方が南無阿彌陀仏の浄土教を伝えまして合計五つの教えがすべて入ります。 これが天台宗、 比叡山です。 三千二百カ寺で、 東京の人にとっては寛永寺が中心となります。
 ここから出た新興宗教は念法真教といって、 病気直しをする宗教です。 本尊は阿彌陀様で、 お経は法華経で、 戦時中ぐらいにできるんですが、 関西が中心です。 赤い衣を着て、 年配の方は覚えていらっしゃると思いますが、 兵隊が使っていた戦闘帽、 あれを亡くなった人がかぶっているのです。 真っ赤に朱で塗ったお堂があったら、 大体念法真教だと思っていいです。 全国至るところにあります。
 さてその天台宗から、 平安時代の中ほどぐらいからだんだん浄土教、 南無阿彌陀仏を独立させていく運動があって、 その頂点に立つのが法然上人で浄土宗になります。 木魚をつけてナームアーミダブ、 ナームアーミダブと、 四回、 四回、 二回とご十念を唱えます。 これは東京でいえば増上寺、 京都では知恩院で、 七千カ寺です。
 法然上人の弟子が親鸞で浄土真宗をおこしますが、 有名なのが 『平家物語』 の熊谷直実で、 親鸞聖人の兄弟子でございます。 浄土真宗は徳川家康によって二つに分けられます。 それが西と東です。 浄土真宗本願寺派を西といい、 大谷派を東といいます。 なぜかというと、 本山が京都の駅から北に向かってそれぞれ西側と東側にあるからです。 東京でいえば、 築地の本願寺がお西です。 浅草にも本願寺がありますけれども、 今は単立になっています。

日本の仏教宗派 下

 日本の仏教宗派のうち前号までにみた浄土真宗の親鸞聖人のほかにやはり比叡山で勉強して、 中国から禅を伝えたのが臨済宗の栄西禅師です。 禅師は二回、 中国に渡り、 臨済禅を受けて帰国した後は建仁寺などを建立し、 『興禅護国論』 などを著して禅宗の定着に努めました。 また日本にお茶を持ってきて、 栽培に成功し、 日本にお茶を広めた。 だからお茶の元祖、 お茶の先生でもあります。 臨済宗には、 三千四百カ寺の妙心寺派、 南禅寺派、 建長寺派、 円覚寺派、 相国寺派など全部で十八派があります。 鎌倉や京都の禅宗といったら臨済宗が中心です。
 比叡山で勉強したあと栄西禅師につき、 さらにその弟子の明全という人と中国へ行って只管打坐の禅を伝えたのが道元禅師です。 道元禅師は宇治の興聖寺に日本で最初の本格的な坐禅堂をつくったあと、 越前に移って永平寺を開いた。 時の権力者などには寄りつかず、 一途に仏法を広めるため弟子を養成しながら 『正法眼蔵』 をまとめました。 それが曹洞宗で、 全国に一万五千カ寺あり、 福井の永平寺と横浜・鶴見の総持寺を両大本山としています。
 比叡山で勉強して、 今度は法華経だけを独立させていって 「南無妙法蓮華経」 を唱えるということを主張したのが日蓮上人。 日蓮さんは 『立正安国論』 などを著して仏法を政治に役立てようとしました。 この日蓮宗は五千カ寺で、 身延山久遠寺が総本山、 東京では池上本門寺が中心です。
 日蓮上人の六老僧という六人のお弟子の中の一人が富士山のふもとに開いたのが日蓮正宗といって、 お寺が百カ寺ぐらいの小さな宗派でした。 そこの信者になったのが創価学会です。 ですから創価学会と日蓮正宗は団体が違うわけですね。 これが現在日本で一番大きな信者団体で、 日本人十人に一人は創価学会の会員といわれます。 同じように日蓮宗から出てきた新興宗教に霊友会、 霊友会から分かれた立正佼成会などがあります。
 ついでに浄土真宗からあらわれた新興宗教、 いわゆる今のカルトと言われる新興宗教は、 「浄土真宗親鸞会」 というものです。 東京の電車の広告に、 親鸞会で何々仏教講演会というのがありますが、 これは違います。 団体、 お寺の集合体を親鸞会といっています。 新興宗教のほうの親鸞会というのは、 浄土真宗のお坊さんでとても頭のいい高森顕徹という人が、 本山の言うことは納得できないというので富山県で独立したわけです。
 これが、 電車の中で 「あなたは何のために生きるのか」 などの内容の本を宣伝しているでしょう。 これが洗脳するというので裁判になりまして、 このために親が大変悩んでおります。 私もいろいろな先生方とカルト防止の運動をやっているのですが、 富山の親鸞会の被害者というのは非常に多いです。 若者がとられるんですね。 しかし相当頭のいい立派な方ですから、 間違いじゃないらしいですけどね。
 現代の新興宗教も鎌倉仏教から発生した例ですが、 江戸時代になると、 隠元という人が中国からやってきます。 中国でクーデター騒ぎが起きたとき、 日本の幕府に協力を頼みに、 使者として派遣されてきたのが隠元さんだという説があります。 日本では、 秀吉が朝鮮征伐なんていうとんでもないことをやったから、 もう国際政治にかかわりたくないと言って徳川幕府が鎖国にしたわけですが、 隠元さんを上手にもてなして、 京都の南のほうの黄檗という駅の近くに土地を与えてお寺をつくらせた。 これが黄檗宗で、 中国寺であります。
 臨済系ですが、 四百何十年という時間差がありますから、 発音が全然違う。 中国は何しろ多言語、 多民族の国ですから。 それで今の日本の臨済宗と黄檗宗は、 教えは同じだけれども儀式が全く違います。 私も講習会に呼ばれて行くと、 黄檗宗というのは最初にみんな勉強会をやるんです。 お経の読み書き。 聞いていると何となくわかるんです。 ああ、 同じ節を読んでいるなというのがわかるんですけれども、 とてもついていけない。 中国語で読むんです。 これが黄檗宗、 四百五十カ寺です。 少ないですから黄檗宗の人は、 宗内なら日本中のお坊さん顔がみんなわかるといいます。 以上が日本の伝統宗教の全体像です。

= 終わり =

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