三友健容先生

仏教の悟りと救い(第17期スクーリング)

2004年6月20日 第17期スクーリング講義録

仏教誕生の背景

 仏教はインドで発生したと言われますが、お釈迦様が生まれた迦毘羅城というのは、今は国境を挟んだネパール側なのです。人種的にもネパール人に近かったのではないかとも言われます。
 古代文明のインダス文明は有名ですが、コーカサス方面にいたアーリア人たちが、ガンジス川のあたりまで南下して来るわけです。当時、土着民がおりました。ムンダ人あるいはドラヴィダ人という、どちらかというと色が黒くて鼻が低くて背が低い。これに対してアーリア人は、色が白くて鼻が高い。アーリア人はヨーロッパ方面に流れてまいりますと、ヨーロッパのアーリア人になりますが、インドでは土着民族を征服して、混血をしていく。ですからインドには現在も二種類の方たちがいるわけです。
 インドでアーリア人は「ヴェーダ」や「ウパニシャッド」という戯曲や文学を作りました。そこでは、人が死ねばどうなるのかという問題が出てまいります。仏教も人間の生死ということを考えておりますから、それ以前のアーリア人の物の考え方を知る上で参考になるのですが、それによりますと死んだ者は夜摩天という天に昇っていく。そして祖先の霊とともに飲めや歌えの生活をすることができると書いてあるのです。ですからアーリア系の民族は死というものに対して、さほど恐怖を抱かなかった。それでインド大陸へ南下して勇猛果敢に争い、侵略を繰り返すこともできたわけです。
 やがて遊牧生活から定着生活に変わり始めるとアーリア人たちは規律というものを必要とし、さらには土着の民族との混交を経て輪廻転生ということも問題になりだします。
 私たちも子供に「おじいちゃんは死んでしまったけれども、どこへ行ったの」と聞かれたら「天国へ行っちゃったよ」、「でもおじいちゃんはここにいるじゃないか」、「そうじゃない。魂が行ってしまったんだよ」、「魂というのはどこにあるの。見えないじゃないか」、「見えなくてもいいんだ。今、昇っていったんだ」。こんなやり取りをしますが、やはり素朴に魂というものはどこにあるのかということの問題が出てくるわけです。
 古代インドでは魂の状態を証明するのに、四段階を考えたようです。ヤージニャヴァルキヤという人が考えたのですが、一つは、目が覚めている段階。二つ目に夢にある段階。三つ目が、熟睡している段階。そして四つ目に、死んだときの段階によって魂の存在が証明できると言っています。
 まず覚醒時。目が覚めている段階に魂があるということはどういうことなのかといいますと、我々はひっぱたかれれば痛いと反応します。これは確かに私たちの体に魂があるから体が痛いという反応を示すのだということが言えます。
 二つ目の夢の中にあるときはどうか。夢の中で犬に追われて大汗をかいて逃げようとして、犬にかまれて大変な目に遭い、ふっと目を覚ます。そんなときは、魂が我々の体から抜け出ていって、そのような経験をしているのだと考えます。
 三つ目の熟睡しているときはどうか。夢を見ません。つねっても反応を示さない。このときには魂が天の世界に昇っていって、体の中から魂が抜け出ていってしまっている。
 最後の死んだときはどうかというと、それは二度と戻ってこない状態である。こういう具合にして魂の存在、精神の存在というものが証明できると考えたわけです。
 これは我々の現実世界の中を見ましても、ボーッとしていて魂が抜け出ていってしまったような人という表現をしますから、そういうことは言えるかもしれません。そして寝ていて全く反応を示さないと、この人、死んじゃったんじゃなかろうかと。最近、私もよく言われますが、無呼吸症候群といって、呼吸が停止してしまっても本人は全然それを意識しない。そのまま止まってしまえば死んでしまうのでしょうけれども、そうなってくると、確かに魂というのはどこかへ行ってしまっているのかな、と。普通だったら首を締められると、反射的に逃げようとするわけですが、自分の呼吸が停止してしまってもわからない。こういうような現実的な経験の中から、ヤージニャヴァルキヤという人が考えたのでしょう。

哲学するインド人

 インドの人たちは「魂」をアートマン(我)と言い、宇宙の真理をブラフマン(梵)と言います。そして「我々は、宇宙の真理であるブラフマンと一体になることが最高の理想なのだと。梵と我とが一体になることで最高の理想の世界に入るのだ。このようにして、むしろ輪廻転生するというのはまだまだ迷いの世界であって、宇宙の真理と一体になれれば我々は解脱するのだ」と考えていたようであります。
 さらに、なぜ我々の肉体に魂が宿って、我々の肉体から出ていった魂はどこへ行くのかということを説明しまして、ちょうど虫が葉っぱを移動していく、ずっと移動していきましてこの葉っぱが終わりますと、次の葉っぱへまた移動していく、ちょうどこれと同じようなことだと。虫というのはアートマンであって、葉というのが我々の肉体であり、我々の肉体というものが死というものを迎えたときに、アートマンというものは次の肉体へ移っていくのだと。こういうふうにして魂の移動ということを考えてきたわけです。
 この辺までは非常に現実的に見た観察の中で出てくるわけでありますが、さらに「ウパニシャッド」の哲学者たちは考えてまいります。それが世に言うところの五火二道説というもので、人間は死ぬと五段階を経て輪廻転生を繰り返すのだというのです。
 まず火葬にされる。火葬にされた煙というものは、私も経験があるのですが、田舎の火葬場、今は違うと思いますが、三、四十年も前の火葬場の場合には夕方、火をつけます。一晩じゅう焼くわけです。夕方というのは大体、無風状態になるのです。そうすると、煙突の煙がボーッと上へ上がってまいります。この煙が真っすぐ上がっていくんですね。まことに不可思議な現象ですが確かにそうなんです。インドの哲学者たちも、荼毘に付された人間の様子というものを観察していたのでしょう。
 煙になってどこへ昇っていくのか。そこで第一番目の段階が、「月」に入る。月に入ったものはどうするのか。月の世界は灼熱地獄とは違って非常に涼しそうに見えますから、ある意味では理想世界です。ここでしばらくとどまっている者もいるし、あるいは理想世界から落ちてしまう者もいる。落ちるという現象は、気象現象から考えれば、ヒマラヤのほうでは雪が降りますけれども、インド全体で考えれば一番簡単なのは雨です。そこで月に入った魂というものが、「雨」となって地上へ下ってくる。そして、雨の中に入った魂というものは、次に「食物」となる。大地の下の水分というものはいろいろな草木に吸われてまいります。草木になって食物になるということです。食物となって、次にそれは「精子」となるんだと。
 このあたりからアートマンというか、魂は道が分かれてしまいます。これが豚の精子となったものは、来世は豚に生まれてきてしまうわけです。人間の精子となったものは人間に生まれてくるだろうし、人間にもいろんな段階があるのでしょうけれども、ともかく精子となる。精子となったアートマンは次に「母胎」に入る。この五段階で輪廻転生を繰り返すのだということです。
 二道というのは、一つは「天道」、あるいは神の道とも呼びますが、日ごろきちんと政をして規律正しく生きていた者は、このような輪廻転生を繰り返さないで月の世界に入って、理想世界で永遠に楽しむことができる。しかし一般的な魂というものは、「祖道」といって輪廻転生を繰り返すと言います。そのあたりからまさに輪廻転生というものの考え方が定着してくるわけです。
 ここでもさらに問題が起こります。月の世界に入れば理想世界ですから、悪いことをやった者もしばらくはここにいられるのかどうかということです。極悪人もここにいられるのか。善人も、特に良い者は日数が長いかもしれないし、そうでない者は短いかもしれないけれども、しかし極悪人までここに行けるとなると、やや問題が起こるのではないかと哲学者は考えたわけです。そこで、極悪人はどうするのかというと、このような段階を経ずに、直ちに虫けら等に生まれてしまうと。輪廻転生には違いありませんが、この五段階の五火二道説を経ないのだと言うのです。こういうような哲学をするという生活慣習の中に、まさに仏陀は生まれるわけです。

四聖諦と説法

 お釈迦様はカピラ城の王子でしたが、妻子をおいて城を出てしまいます。当時は学生期、家住期、林住期、遊行期からなる「四住期」という考え方があり、お釈迦さまも家住期を終えて林住期に入ろうとなさったとも考えられます。仮に二十九歳で出家したとしますと、悟りを開かれたのは三十六歳。何を悟ったのかということも研究テーマとして残っております。今は、「四聖諦」を悟ったのであろうと言われております。
 この現実世界には、八つの苦しみがある、という「苦諦」。原因は無明、渇愛であるという「集諦」。これを滅すれば理想世界に入れるという「滅諦」。そういう涅槃に行き着くためには八正道があるという「道諦」の四つです。こういう「四聖諦」というものを悟りまして、初めはそのまま涅槃に入ろうかと思っていたのだけれども、神々たちがこの世の人々のためにぜひそれを説いてくれということで、法を説かれ始めたということであります。
 お釈迦様はそれから後ずっと、八十歳で亡くなるまで法を説かれていますが、初期の仏教教団は一日一食主義です。なぜ一食なのかといいますと、仏教教団は朝早く起きて坐禅をし、朝ご飯をつくるころになりますと托鉢に出るわけです。村々にまいり、得られたものは教団に持ち帰って正午を過ぎないまでに食べるということが原則です。托鉢でたくさんもらったときにはどうするのかということですが、食べ残ったものはすべて捨てることになります。今考えるともったいないような気がいたしますが、しかし保存の方法がないのです。日中三五、六度から四〇度近くになりますから腐ってしまいます。
 それに仏教教団は、今は一応菜食主義ということになっていますが、お釈迦様は基本的には菜食主義ではありません。いただいたものは何でも食べようという立場です。いつごろから菜食主義に変わってしまったのかといいますと、それは一つには大乗仏教という流れの中なのです。大乗仏教では生きとし生きるものに皆、仏性というものがある。仏性のあるものを殺してそれを自分が口にするということは好ましくないということから、菜食主義に走る。
 お釈迦様は例えば魚というものがあって、自分のために魚を殺す、あるいは魚を料理するということを見たり聞いたりしたものでなければ、用意されたものを食べるという点においては、それは構わないという立場をとっています。そもそも乞食生活では、どのようなものが出されるかわかりませんから、非常に緩やかであるわけです。緩やかではありますが、お釈迦様が特に重要視いたしましたのは、悟りを開くということであって、生活慣習というものに縛られるということを目的としてはいないということです。
 よく中道という言い方をいたしますが、ある時に説法の座にあって居眠りをしてしまう弟子がおりました。その弟子はお釈迦様から怒られて、自分は生涯、目を閉じまいという誓いを立ててしまうのです。そして木の枝で目玉を押さえまして絶対にまぶたを閉じないようにしている。お釈迦様が、そんなことをしたら目がつぶれてしまうからそんなことはするんじゃないと言うのですが、自分はお釈迦様に怒られた、自分はうかつにも居眠りをしてしまった、そういうことが二度とあってはならない、それで誓いを立ててこういうふうにしているんだと。最後にはとうとう目をつぶしてしまいます。目がつぶれてしまったのですが、そのことによって肉眼は失っても法の眼というものは得られたのだ、と経典にはあります。
 修行というものに対してお釈迦様はこういう例え話をします。琴の弦は張りすぎても良い音がしないし、また緩すぎても良い音はしない。ちょうどいいときにすばらしい音を奏でるものだ。苦行主義は、それはそれで尊いことだけれども、苦行主義というものが悟りに結びつくというわけではない。かといって快楽主義に陥って、一切そういうものは捨ててあるがままに生きていればいいかというと、。これはまさに自堕落主義であると。ですからきちんと一つの慣習に則って生活をするということ。良き慣習に染まるということが大事なのだと言いまして、苦行主義も快楽主義も捨てられたということであります。

戒律の始まり

 仏教徒は次第次第に当時のインドの慣習を取り入れて、仏教徒の規律をつくってまいります。殺生をしない、盗まない、邪淫を行わない。当たり前のことです。当時のインドの社会でももちろんそうです。うそをついてはいけない。当然のことです。仏教徒であるかないかの問題ではない。酒を飲んではいけない。インド人はもともと酒を飲まないです。暑いところですからちょっと飲めば酩酊してしまいます。この五つを仏教徒の戒律と言いますが、世間一般的にやってはいけないことはしてはいけないのだという立場です。
 日本では、戒律はあまり厳しくありません。人や動物を殺したりする人はいないわけですが、しかし蚊に刺されればピシャンとやってしまうし、ゴキブリを見ればポーンとたたいてしまうこともあります。ところが台湾の仏教徒は、殺生は一切しないのです。ですから蚊取り線香さえ使わない。
 客員教授でよばれたとき、ちょうどサーズ(SARS)がはやっているころで、蚊が媒介するなんとかウイルスという危ない病気も、空港の近くではやっているという噂を聞いたものですから、蚊とり線香を持って、ベープマットを持って、完全防備で行ったのですが、私も結局一カ月間使いませんでした。帰国する際に置いてこようと思ったのです。「これは何ですか」と言うから「蚊とり線香だ」、「蚊とり線香って何ですか」「蚊を取るものだよ」、「それは要りません。蚊を殺してしまいます」、「蚊を殺しちゃうといっても病気になって、日本脳炎だってあるんです」、「いや、我々仏教徒は戒律を守っています」。
 お釈迦様はいろいろ戒律というものをつくっておりまして、最終的に比丘(男性の僧侶)は二百五十戒、女性の僧侶は五百戒ということになっています。が、初めから二百五十戒あったわけではないのです。随犯随制と言いまして、問題が起こったときに定めるという考え方です
 あるときにスコールが降ってまいりました。そうしますと水が足りないときに雨が降ったものですから、ふだん埃まみれのお坊さんたちが喜んで、お釈迦様自身もそうなのでしょう、みんな裸になって体を洗っていたのです。そのときに女性の信者がお釈迦様を、食事に招待しに来たのです。招待しに来たら裸形外道たちが体を洗っているのを見たと言って、仏教教団は、(お釈迦様は)いなかったと報告したのです。その食事に招待した女主人は、おかしいな、お釈迦様はあの森の中にいらっしゃるはずなのにと。今度は自分が行ったら、お釈迦様たちが体をきれいに洗って座っているのを見て、「実は召使を遣わせたのですが、こういうことを言われました」と。それで「お釈迦様、体を洗うときにはどうか裸にならずに、浴衣を着てください。私たちがお布施として差し上げます」と言ったことがあります。そこで仏教教団では水浴をする場合に、肌をあらわにしてはいけないという戒律をつくるのです。
 またお釈迦様は一切過ちを犯さなかったかというと、そうではない。逸話の一つとして紹介しますと、雨季の三カ月間、普通は外に出ないのです。ところがお釈迦様が悟りを開きましても、仏陀であるとはだれも認知しておりません。食事を持ってきてくれる人もいないものですから、雨季でも托鉢に出かけていったのです。そうしましたら村人から、あそこの修行者は何だろう、と批判されてしまうのです。
 そこで信者の一人がお釈迦様のところへ行きまして、「雨のときには木々や草々が新しく生まれ変わり、多くの生き物が生まれてきます。そのときに歩くということは多くの命を損なうことになります。ですから雨季の三カ月間は一カ所にとどまってください。私どもがお食事を供給いたします」と言いました。
 お釈迦様は王子として生まれていますから、生活慣習がわからなかったこともあるのでしょう。そこで安居(あんご)といって、雨季の三カ月間は一つのところにとどまって、信者たちの布施によって生活をしなさい、托鉢をして生きとし生きるものの命を奪ってはいけないという戒律をつくられた。こういうものも新たにでき上がっていくわけです。

基本的な教え

 仏教教団は、試行錯誤の後に次第に大きくなってまいります。お釈迦様は弟子たちに、「それぞれの土地に行って法を説いてきなさい。二人して行くな。サイの角のように一人して歩みなさい」と言いまして、修行者たちを各地に散らばせていきます。こんなこともあって教団が大きくなったのでしょう。そのころの教団は一千人の規模ですから、そういう教団が十人、二十人、三十人、あるいは百人という単位で移動してまいりますと、やはり大きな社会的不安を起こすということから、それぞれの親類縁者を頼って弟子たちを散らばせ、そして経済的な不安を社会に与えないようにして教団の維持を図るということで、「サイの角のようにして歩みなさい」とおっしゃったのだと思います。
 お釈迦様の教えにはいろいろありますが、お釈迦様は基本的に三法印ということを説いております。諸行無常、諸法無我、涅槃寂静。そこに一切皆苦というのを加えて四法印という場合もありますが、お釈迦様の教説はこれが主体になっております。必ずどこかに諸行無常が説かれておりますし、諸法無我が説かれているし、涅槃寂静が説かれている。
 そしてお釈迦様の考え方は、物事を正しくありのままに見よということです。正しく見るということが基本である。正しく見るというのは何かというと、縁起をみるということです。縁起というのは因縁生起ということで、物事はすべて直接的な原因と、間接的な原因である条件つまり縁とが合わさって起きる、すなわち結果があるのだということです。ですから結果だけを見ないで原因というものを追究しなさいというのがお釈迦様の考え方です。
 これに対して誤った見解、邪見といわれるものは何かというと、宿命論です。あらゆるものは前世に決まっていて、我々はどうしようもないのだというのが宿命論です。こういう考え方というのは間違ったことである。これでは人間の発達ということはあり得ない。今まさに暗く、前進的に物事を考えないようになってしまう。宿命論というのはだめです。
 それから偶然論。あらゆるものには原因がなくて、たまたま偶然的に成り立っているのだという考え方。これもだめだと。これはまさに棚からぼた餅をねらうようなもので、決して人間を向上せしむるものではない。
 そして一因論。あらゆるものには原因があると。縁起論に似ております。原因があるというのですが、一というのは何かというと、神というもので、全知全能なる神がすべてこの世をつくったという考え方です。これも間違ったものの考え方です。もし慈愛あふれる神、全知全能の神がこの世をつくったというのであれば、なぜこのような不都合なことをつくったのであろうか。みんな顔かたちも違うし、それがためにいろんな問題を起こしているわけです。こういうふうにして一因論(一神論)、この考え方もだめなんだと。
 キリスト教の人と話をしてみるとおもしろいですね。なぜ水が流れるのか。それは我々の常識からいえば、水が流れるというのは上から下に重力があるし、そういう法則によって流れるようになっています。しかしキリスト教の人たちの考え方は違います。水が流れるという第一原因は神がそのようにせしめるから水が流れるのだと言うのです。このあたりは原因という、確かに因というものを考えましても、そこに一因論と縁起論というものの考え方というのはやはり違いがあります。
 こういう邪見ではなくて三法印とか縁起などのような物の考え方があれば、それはすべて仏教であるというのがお釈迦様の考え方です。ですからお釈迦様は決して自分の考え方だけが絶対だというのではなくて、自分が歩んでいる道は過去の仏陀たちが歩んだ道、それを自分が発見して歩んでいるだけだという言い方をしております。ですから仏教といいますと、この後に大乗仏教というのが起こってまいりますが、大乗仏教というものも基本的にこの考え方があって、その修行がきちんとできているものが説いているものであるならば、それもまた仏教と呼んでよろしいという立場をとっております。お釈迦様だけが仏教だという限定的なことではないのです。

今後への課題

 お釈迦様は、自分の考え方だけが絶対だというのではなくて、自分が歩んでいる道は過去の仏陀たちが歩んだ道、それを自分が発見して歩んでいるだけだという言い方をしております。そんなこともあってお釈迦様が八十歳で入滅するまでの間の説法はさまざまな物語を産みました。中には日本の『今昔物語集』やヨーロッパの『ローマ七賢人物語』などにつながったものもあります。
 お釈迦様の入滅は、中村元先生によると紀元前三百八十三年になります。それから六十年ぐらいたったころに、有名なアレキサンダーが西北インドのほうに侵入して来てヘレニズム文化が仏教に入ってくるようになり、仏像が出現するようになります。さらにメナンドロスという王様があらわれまして、ナーガセーナという比丘と話をしたアリストテレス流の王様の考え方と、ナーガセーナという僧侶の考え方で、いわゆる西洋の哲学と仏教の智慧とが対話をするということが出てまいります。
 そのような仏教も、十三世紀初頭にイスラム教が侵入することによって、実質的にインドから姿を消すようになってしまうわけです。チベットや中国にすでに伝わっていましたが、中国では道教の影響をかなり受けてまいります。特に今、日本仏教にあります一周忌だとか三回忌だとかというような法事だとか、位牌あるいはお札というのは皆、道教の考え方なのです。仏教は基本的に死者を弔うということはしないのです。この苦しみをどのようにしたら解脱をするかということを考えていたのがインド仏教です。チベットの仏教もそうです。
 なぜ中国に来た途端に変わってしまうのかというと、これは葬儀の方法の違いなのです。インドでは荼毘に付しますと、基本的にはガンジス川に流してしまう。流すことによって輪廻転生をするものですから、遺灰だとか遺骨だとかというものは、もう必要がないわけです。チベットでも鳥葬によって遺体を食べさせてしまいます。あとは何も残りません。ところが中国の道教では土葬です。土饅頭の下に故人が寝ているのです。そうすると人間の情として、亡くなった人を何とか幸せにしてあげたい。そしてちょうど去年の今ごろに亡くなったのだなということになれば、みんなが集まってきて何かしてあげたいという気持ちになる。そういうものが仏教に入ってきて、現在の法事というような慣習になります。
 今、仏教は非常に大きな曲がり角に来ていまして、位牌も遺骨も要らない、坊さんも呼ばないで葬儀もしてしまう。そういう流れの中で今後、仏教運動はどうしなければいけないのかということが問題になります。
 台湾では一人の尼さんが、貧しい山岳民族のために募金活動をして、病院や看護学校をつくるという運動を起こしたのです。そこにはがん病棟があって、今にも亡くなるという人の部屋があります。ところが、産院もあって赤ちゃんが生まれる。日本ではちょっと考えられないですね。仏教は生死一如という考え方をもとにしているようでしたが、ベッド数が三千ほどあり、大勢のお坊さんやあるいはボランティアの人たち、仏教信者の人たちがみんなでやっている。地下の霊安室では、壁は花模様で天井では星がまたたいていたりする。いよいよ亡くなるときにはここへ連れてくる。そしてみんなでお念仏を唱えてあげる。こういうところで息を引き取ったら本当に楽だろうなと。なるほどこのような運動があるのかと感心させられたわけです。
 終末医療に関してはキリスト教にはホスピスがありますが、仏教にもビハーラという運動があります。仏教が取り扱ってきたのは生きるという問題だとして、ややもすると原始仏教に帰れということを簡単に言う人がいますが、文化というものは長い歴史の中でいろいろな要素というものを包み込んできてでき上がってくるものです。それは必要性のあるものがいろいろな形になってくるものだと思います。死んだ者はもう要らないんだと、物質として捨てるのではなくて、それについても慈しみの心を持つ、思いやりを持つというのも一つの考え方であろうかと思いますし、そして終末医療として死を迎える人たちに心安さを与えるというのも、やはり仏教の生き方かもしれません。

= おわり =

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