河波 昌先生

念仏と空-大乗仏教の本質(第16期スクーリング)

2003年6月 6日 第16期開講式特別講演

仏塔崇拝から大乗仏教へ
仏像造られた念仏行法も

 大乗仏教とは何かという問題をこれから 「念仏と空」 と題して追求していきます。 実は大乗仏教の根幹を語るにはこの言葉でもう尽きていると思います。 普通、 念仏といいますと、 浄土宗とか浄土真宗、 ですから法然上人とか親鸞聖人の教えの中核をなすものです。 ところが 「空」 と申しますと、 全然違いまして、 例えば禅宗などで、 「空」 を説く経典は、 『般若心経』 なんかがその代表的なものです。 特に日本仏教は宗派仏教で、 浄土宗は浄土宗、 禅宗は禅宗と縦割りで説きますから、 お念仏はお念仏で、 「空」 は 「空」 ということになっていきます。 ですが、 お念仏の中に般若波羅蜜の悟りが開いてこなければ、 大乗仏教ではありません。 また、 般若波羅蜜と 「空」 の実践の中にお念仏が出てこなければ、 それも嘘だと思います。 そういう二つの関係に論究しながら、 改めて大乗仏教とは何かという問題の本質をついていきたいと思います。
 簡単に申しますと、 念仏が 「空」 の世界を開き、 「空」 の世界が、 またお念仏の世界を開いていった。 この二つは表裏一体のもので、 一つのものです。 それがある段階で、 二つに分かれていったんです。 これは大乗仏教にとっての悲劇で、 結果として大乗仏教の本質が見えなくなったと断言してもいいくらいです。
 大乗仏教はいつごろ起こってきたかという問題ですが、 大体、 紀元前一世紀の後半だと考えてください。 それで最初の大乗仏教の経典は何かといいますと、 サンスクリットの経典の中に 『八千頌般若経』 というお経がありまして、 これが大乗仏教の出発点になります。 このお経の中に初めて 「大乗」 という言葉が登場します。 「マハーヤーナ」 という言葉です。 それ以前はなかった言葉ですからこの経典こそいわば大乗仏教宣言の書と言ってもいいです。
 それから 「空」 という言葉が、 また初めて出てくるんです。 ですからこの二つの言葉をもって、 この 『八千頌般若経』 というお経が大乗仏教の最初の経典ということになりました。 それからもう一つ、 漢訳に 『小品般若経』 というお経がございます。 これはほぼ 『八千頌般若経』 が漢文に訳された形です。 だからこの辺を押さえていきますと、 大乗仏教の一番の原型が出てくるわけです。
  「空」 という言葉がどうして出てきたかが問題になります。 これは案外はっきりしているようで、 はっきりしていないんです。 非常に難しい問題ですが、 大乗仏教が起こってくる一つのエレメント、 契機として仏塔崇拝があります。 私は恐らくそれが関係していると思います。
 仏塔崇拝が始まる前の仏教はどういう仏教かといいますと、 僧院仏教なんです。 僧院の中にこもって、 専門のお坊さんたちが難しい勉強をやる。 倶舎論などで、 阿毘達磨といいまして、 お釈迦様が説かれた法というもので分析していくんです。 でもそんな分析をしたって、 一般大衆には関係ないですよね。 何百年間か、 僧院仏教が続きますけれども、 一般大衆とは全く無関係だったとは言えませんが、 大体無関係なところで、 今でいえば 「象牙の塔」 です。 一般大衆はそんな難しいことはわからないけれども、 お釈迦様が亡くなられて、 もちろんもう灰になって、 どこにもおわしまさないけれども、 何とはなしにお釈迦様の本当の命というものが在すはずだという方向へ向いていきます。
 歴史的な仏様はなくなっても、 仏様の命は永遠だという思想が、 一般大衆に出てきます。 それを一つの人格として拝むことができる、 それが仏塔です。 ストゥーパと言いますが、 仏塔と申しますのは、 実はお釈迦様の舎利、 お骨が祀られているところです。 お骨が祀られているところにお釈迦様がましますというのは皆さんでもそうですね。 亡くなったご先祖様はもうわからないけれど、 例えば亡くなったお父様のお墓に参ると、 何とはなしにやっぱりお父さんと出会えそうな気になります。
 仏塔崇拝を通して初めて、 目には見えないけれども人格的な如来様、 そこではまだ阿弥陀様という言葉はまだ出てきませんが、 お釈迦様とそこで出会う。 ストゥーパに参り、 そこで一生懸命祈りを捧げる。 これはもう自然の情だと思います。
 そういうわけで、 一般大衆を中心にして、 ストゥーパ即ち仏塔崇拝が起こってまいります。 これは僧院仏教とは一応別なもので、 ここで僧院仏教と一般大衆の仏教という、 質の異なる大きな二つの流れが出来始めたということが言えると思います。
 仏塔への想念の集中ということは、 これはもう、 実は念仏のことです。 お釈迦様は数百年前に亡くなったけれども、 お釈迦様の命が仏塔のところに現前している、 そういう存在観念です。 そこで祈りが深まっていくことになります。 そして仏塔に即して仏様を拝むときに、 「空」 になっている、 そういうお経の文章が 『華厳経』 などに出てきます。 これは後になってから出来た経典ですけれども、 それはまさに、 その本質をついているわけです。
 やがて仏像というものがギリシャから入ってきます。 それはどういうことかと言いますと、 アレキサンダー大王がインドにやってきたのは、 紀元前三二七年です。 間もなく特にインドの西北部はギリシャ文化の支配下に置かれました。 そこを支配するのは、 ギリシャの王様です。 当然、 貨幣が必要です。 その表側はギリシャ語で書かれているんです。 裏側はカローシュティー文字といった、 その当時のインドの言語が刻まれています。 貨幣の次元まで、 ギリシャ語とインドの言葉が一つになっているということは、 よくよくのことです。 少々の人数のギリシャ人だけでしたら、 そんな必要はないのですが、 大人数のギリシャ人が本当にインドに入ってきて、 もちろん学問のレベルでもそうですが、 生活のレベルでもコンタクトをし始めますと、 全面的に両者の文化の出合いが起こってきます。
 ギリシャ人というのは、 神像をつくるわけです。 例えばアポロンの神様で在す神像。 その神像のところにアポロンの神様が現に在す。 そういうのがギリシャ人の考え方です。 神様ご自身は目に見えないといえば目に見えないわけですが、 ギリシャ人は、 神様は必ず目に見える形であらわれてくるという、 そういう文化です。
 日本人は、 神様の像を伝統的にあんまり重視しませんでした。 もちろん、 仏教の影響を受けて神様の神像がどんどん出来てきますけれど、 本来は神道というのは、 拝むときに神様という形がないんです。 西行法師の歌ですが、 「何事のおわしますかは知らねども、 ただありがたさに涙こぼるる」、 そういう歌があります。 「何事のおわしますかは知らねども」、 神様の名前もわからない。 お姿もはっきりしない。 でも何かありがたくてしようがない。 こんなのを西洋人が聞いたら、 変に思うでしょうね。 わけのわからないものに出会って、 感激して涙を流している。 日本人って一体何だと思うかもしれませんが (笑)、 ギリシャ人ははっきりした形をつくって、 その神像に対して拝むわけです。
 インド人にもその習慣がありませんでした。 形あるもの (色) は壊れるという考え方があるんです。 形あるものは壊れるから、 そんなものが仏様であったら困るのです。 だからインド人は決して仏様の像をつくらなかった。 そこにさきほどのようなギリシャ人がやってきて、 インド仏教に出合い、 無数のギリシャ人が仏教徒になっていきます。 そして肝心なのは、 出家するギリシャ人たちさえもが出てくるんです。 ギリシャのお坊さんです。
 ギリシャ人が仏教を信仰するとどうなるかというと、 仏様を拝むときに、 アポロン神像を拝んでいたようにやっぱり仏像を拝むようになるんです。 ギリシャ的なやり方で仏様を拝むようになります。 それが念仏三昧になっていきます。 すなわち、 仏塔崇拝から仏像崇拝へと転換していくその過程で、 念仏三昧という行法が一層明確に確立していきます。 そしてそれが一貫して現在まで続いているわけです。 法然上人でも専修念仏といってお念仏ばかりされていたわけです。 そしてそれは二千年にもわたる一貫して行じられてきた念仏三昧の実践ともなっていたわけです。 後に禅とかができるもっと原始的な段階での念仏三昧でもあります。
 ところでギリシャ人はどんな仏様を拝んでいたのでしょうね。 結局、 アポロンの神様を拝んでいるのです。 アポロン仏という、 アポロンの形をした仏様です。 「それはアポロンの神様じゃないか」 と言っても、 ご本人は、 「いや、 それはあくまでお釈迦様だ」 と言います。 これはもうしようがないんです。 自分たちの顔に似せて、 仏様をつくるしかないのです。 それは宿命的でさえあります。 けれども、 そういう形で、 実は念仏三昧という行法が出てきたのです。

念仏こそ実践の原点

 大乗仏教は紀元前一世紀の後半にできましたけれども、 突然出てきたわけではなくて、 まだ 「空」 とか 「大乗」 という言葉を使う以前の段階で、 実は大乗仏教というのは始まっていたんです。 紀元前一世紀の前半で、 「原始大乗仏教」 という言葉を使います。 そこでは 「大乗」 とか、 「空」 という言葉は使わないけれども、 既に大乗仏教的な雰囲気が漂っていたというんです。
  『三品経』 というお経がありますけれど、 これは実は現在ではもうありません。 『三品経』 というお経そのものは、 早い時点でなくなっていたのですが、 三品とは何かといいますと、 懺悔、 勧請、 そしてもう一つは随喜ということです。 大乗仏教が起こってからもこの三つの要素は、 展開されていくことになるのですが、 三品という言葉ができた段階では、 まだ大乗仏教ではありません。 大乗仏教が起こってくる以前に、 こういう行法があったのです。 一般の信者の人たちも、 仏様の前に、 まだ仏像はできていませんから仏塔・ストゥーパの前で懺悔して勧請して随喜していたのです。
 随喜というのは、 例えば他人の喜びを自分が喜ぶ、 仏様の功徳を我が事のように喜ぶ。 これはなんでもないようですが、 やがて般若波羅蜜の実践へと展開していきます。 随喜というのは、 対立がなくなっていくのです。 相手がいいことをすると、 一緒になって喜ぶ。 隣に倉が建つと、 こちらに腹が立つということではなくて、 ともに喜ぶということです。 随喜の功徳は、 そのご本人よりもすぐれるという言葉が 『般若経』 に出てきます。 例えば百万円を寄付するでしょう。 それを喜びますと、 百万円を寄付したよりももっと功徳が大きいというので、 貧乏人の我々にとってはありがたい修行ということになります。 そういうことでそこで対立が超えられ、 般若波羅蜜の実践になっていきます。
 仏塔の前で仏様に対して祈りを捧げていきますと、 仏様の不思議な力が私の中に入ってくる。 これは後になりますと加持という形でさらに展開していきます。 加持というのは、 祈りの中で、 何か不思議な力が加わってくることです。 加持といいますと、 真言宗の専売特許のようですけれども、 紀元前一世紀からもう始まっていたのです。
 そういう懺悔、 勧請、 随喜を通して、 一般の大衆は、 おのずとお念仏の世界に入っていたんです。 それは、 法をアカデミズムの中で分析するのではなくて、 実践を通して既に大乗仏教の世界、 すなわち念仏の中に入っていたと思います。 むしろ、 そういう大きな実践の中で、 すでに大乗仏教というものができております。 それは大乗仏教以前の大乗仏教であって、 如来様が現実にましまして、 それとかかわっていくということです。 念仏というのは、 そういうことです。
 そういうものを土台にして、 やがてはっきりとした形で大乗仏教の修行が確立していきます。 それが 「般舟三昧」 です。 それと大月氏国という国があって、 それを背景に大乗仏教が広がっていくわけです。
  「般舟」 って、 どういうことかといいますと、 サンスクリットで 「プラティウトパンナ」、 仏前現立、 という意味です。 プラティとは、 現前に相対して、 あるいは、 近くに、 という意味です。 「ウットパンナ」 は現前する、 あるいは現前に立ちたもうということ。 訳すときは、 「仏現前立三昧」 と訳されたりもする。 いろんな訳があります。
 これも如来様に心を集中していくということです。 それが大乗仏教の実践の原点となります。 本当に生きた仏様に出会うなんていうのはできない相談ですが、 でも、 そこに仏様がいらっしゃるという気持ちが大切なんです。 『般舟三昧経』 というのは、 そういう経典です。 文字だけを考えていますと、 難しそうですけれども、 私たちに非常に身近です。 仏様は我々を超越した方ですが、 時間空間を超えた仏様としてある。 それがそこに現前するということです。 その構造も一貫しています。
 例えばずっと後半になって、 『観無量寿経』 というお経ができてきますが、 宇宙全体が仏様で満ち満ちてましますけれども、 そんな宇宙全体を包含する仏様なんて、 我々はとらえどころがないですよね。 でもそうでなくて、 宇宙を包含する仏様は今、 ここに現前する。 これなら私たちも分かりますね。 それで大乗仏教の多くの経典に貫通しています。 例えば 『華厳経』 というお経があります。 「仏身は法界に充満する」、 大宇宙全体が仏様の御心である、 あるいは御体である。 それが今、 私の前に現前するという考え方ですね。 『華厳経』 は大乗仏教の中心的な経典ですが、 大乗仏教というのは、 どの経典も、 言葉は違ってもその繰り返しばかりです。 「仏身は法界に充満し」、 もう宇宙全体が阿弥陀様に充たされてということです。
 そして 「あまねく一切の群生」、 私たち衆生のことです。 一切群生というと、 何か他人のことに思いますが、 実は私たち一人一人の問題です。 一切群生の前にあらわれているということです。 ただ漠然と神様、 仏様を拝んでいても、 心が集中しないでしょう。 それが仏塔へ、 さらには仏像へと転換していくのです。 これが、 大乗仏教が展開していく、 一つの決定的な要因となります。 現在は日本のお寺のどこに行っても、 仏像があります。 それは飾りのようにさえなっていますが、 そこへ我々の心が集中していくということで、 それを 「般舟三昧」 といいます。 そうすると仏様が拝めてくる、 仏様が見えてくる、 あるいは顕現するという。 これは大乗仏教、 特に初期の大乗仏教の決定的な契機となりました。 見仏ということ、 生きた如来様にお会いできるようになる、 そういうことです。
 ところで、 仏様を拝めるようになると、 「空」 の世界が開けてくるというのです。 『般舟三昧経』 を読みますと、 三昧を得ると 「空」 であることを知る。 そこから 「空三昧」 とか、 「空定」 という言葉が出てきます。 大乗仏教の原初的段階で成立したお念仏を説く経典の中に、 最初から 「空」 が出てくるのです。 これが非常に大切なのです。
  「空」 は一体どこから来たかといいますと、 実は念仏三昧の中から出てきたのです。 お経をずっと拝見していきますと、 ストゥーパ塔を拝んでいると 「空」 になっていくと言う人もありますが、 より積極的に、 仏様の姿に心を集中していくときに、 そこに 「空」 が経験されてくる。 「空三昧」 が開けてくる。 この三昧を得れば、 「空定」 なることを得る、 とか言われ、 念仏と 「空」 とがセットになっている。 ここが非常に大事です。
 例えば 『般若心経』 というお経があります。 これはたくさんの訳がありますが、 一番最初に訳したのは、 鳩摩羅什三蔵 (くまらじゅうさんぞう) という方です。 それからもう一人は玄奘三蔵です。 二人の訳は最初が違っています。 鳩摩羅什訳は 「観世音菩薩」 で、 玄奘訳は 「観自在菩薩」 です。 だからこの菩薩様は全然違う人だと思うでしょう。 ところが、 サンスクリットの原典からいえば、 全く同じなのです。
 元々の原語は 「アヴァローキテー・シュヴァラ」 と言います。 これをアヴァローキタ、 で切りますと、 玄奘訳です。 イーシュヴァラというのは 「自在」 という意味です。 アヴァローキタは 「観」 です。 英語のルック (look) と似ているんです。 もともと英語もサンスクリットも、 もとは一つですから。 この 「イー」 を切り離した 「シュヴァラ」 ですと、 音です。 だから 「観音」、 鳩摩羅什の 「観世音菩薩」 となります。 ですから 「観自在菩薩」 は 「空」 を説くし、 「観世音菩薩」 は念仏を説くと決まっているようですけれども、 『般若心経』 に関していえば、 両方とも 「空」 を説いているのですが、 「観世音菩薩」 という方は、 そもそも念仏をしていた人なんです。 「観世音菩薩」 が念仏をする主体でありながら、 「空」 の主体であるということです。
 それは例えば、 中国に入っても全く同じです。 『般若経』 (これは無数の経典から出来ている) というと 「空」 しか説いていないと思われがちですが、 実は念仏ばかり説いていると言えるほどです。 また見仏ということを説いているので、 例えばサンスクリットの 『八千頌般若経』 を読んでみますと、 「空」 を悟って般若波羅蜜が実現していくと、 「十方一切の諸仏を見たてまつる」 という言葉が出てきます。 「般若空」 を体験すると仏様が見えてくるというのです。 我々には見えませんね。 我々はエゴイズムが壁のごとくありますから。 その我々のエゴイズムから空へと解放されてきますと、 そこに仏様が見えてくる。 当然のことですね。
 また 『般舟三昧経』 は、 三昧を得れば仏様とお会いし、 「見仏」 するときには、 そこで空が悟られていく。 だから一見、 念仏と空は別々に思えますが、 実は表裏一体で、 一つのものです。 そこで、 インド大乗仏教が中国に入ってきて、 そこからやがて禅というものができていきます。

縁起の構造下で実践を

 インド大乗仏教は中国に入ってきて、 その一つとして禅が成立していきますが、 最初は禅宗なんて無いのです。 禅宗のお坊さんもみんなお念仏をしていたのです。 禅宗史でははじめの六人の祖師方が出て参ります。 その最初が達磨さんで、 さらにその第四祖に道信という人がいました。 禅宗はこの人から歴史的にはっきりと押さえることができるのですが、 実を言えば、 この道信という方も念仏をして悟っていったのです。
 中国の初期禅宗の歴史を調べる上で決定的に重要なものに、 『楞伽師資記』 という本があります。 そこには、 道信は一行三昧によって悟っていったということが書かれています。
 一行三昧というのはどういう経典にあるかといいますと、 『文殊般若経』 という短い経典で、 『七百頌般若経』 とも言われたりもしますが、 それを読んでみますと、 やっぱり念仏三昧が述べられているんです。 般舟三昧そのものです。 一行三昧 ekavyuha-samadhi というのは、 玄奘の訳によりますと一相荘厳三昧、 すなわち如来のお姿に集中するということです。 そうすると、 忽然として 「空」 の世界が開けてきたと書かれています。 姿も何もなくなっていくのです。
 だからこの 「空」 という悟りが出てくる背景に、 やっぱり念仏があるということになります。 そして念仏ということは、 実は縁起の構造に基づいているということです。 皆さんは、 自分があって自分が仏様を念じていると思うでしょう。 自分の心があって、 その自分の心が仏様を念じていると思うでしょう。 そう考えたら、 マルクスに観念論だといって徹底的に批判されます。
 でもそうではないですね。 念仏とは、 どこまでも仏様と私とが縁起の構造に立っての上でのことです。 仏教は縁起だといいます。 でも縁起を考えるときに、 普通はまるで縁起を見る視点が切れたところで縁起を見ていますから、 縁起にならないんです。
 縁起とはどういうことかというと、 「これあるがゆえに、 かれあり」 でしょう。 また 「彼あるがゆえに、 此れあり」 でしょう。 それが縁起の構造です。 英語で訳せば interdependence、 お互いが相手によって出てくるということです。 ただ一方的に出てくるのでは、 縁起ではありません。 圧倒的に存在して、 我々を支配するキリスト教の神様とは違います。
 しかも 「これあるがゆえに、 かれあり」 という縁起の構造を考えるときに、 私がここにいて客観的に縁起を考察している間は、 縁起にならないのです。 自分は固定して、 ああだこうだ、 というのは学問の世界です。 縁起とはそんなものではない。 そういう立場に立った途端に、 縁起という構造は消えてしまいます。 今の学問は全部そうです。 お念仏というのは、 私と仏とがましまし、 その両者の縁起の構造に立つことをいいます。
 そのことは、 『般舟三昧経』 という大乗仏教の最初の経典でもはっきり説いているんです。 「仏を縁ずることに心を向ける」。 仏を縁ずるということは、 仏を対象的にいろいろ考えるのではなくって、 自分を、 仏を縁ずるという状況に置くということです。 最初は自分がお念仏をしている。 自分が念仏をしていると思っている。 しかし本当はそうしているうちにいつのまにか縁起の構造に入っていくんです。 本来はそうなのですから。 それで道信という人は、 お念仏をしていると一切皆空になっていくということが、 『楞伽師資記』 には書いてあります。 それからまた、 こうも言っているんです。 「心を離れて別に仏あることなく、 仏を離れて別に心あることなし」。 お念仏が集中していきますと、 根源的な縁起の目覚めという状況になります。
 私たちも念仏をするときは、 心が働いています。 心を離れて別に仏様がいらっしゃるわけではない。 また念仏ですから仏様を念じているんですが、 「仏を離れて別に心あることなし」。 お念仏をしているうちに、 いつのまにか仏様と私とが縁起の構造の中にあることになる。 そうして縁起の構造の中にあることで、 実体としての自分がなくなっていることにもなる。 ただ 「空」 だ 「無」 だと言うのではなくて、 むしろ念仏のただ中で、 「空」 の世界が開けていくということです。
 私の古い友人で、 最初の 『般若経』 の 『八千頌般若経』 がどうしてできたかを追求している人がいます。 京大の仏教学出身の方で、 そこでしか考えようがないと論じていました。 すなわち如来を讃嘆し、 如来様と一体化し、 そして瞑想し、 そして法?していった人たちの中に、 般若波羅蜜の世界ができていった。 最古の般若経典である 『八千頌般若経』 (漢訳では 『小品般若経』) というのは、 そこからできていったと言っています。
  『八千頌般若経』 ができたのは紀元前一世紀頃です。 その後無数の 『般若経』 ができるんです。 『大品般若経』 『大般若経』 『文殊般若経』、 それから何とか般若経、 何々般若経。 そして最後に 『般若心経』 ができるのは、 紀元四百年ころです。 ですから我々は、 最後の最後の 『般若経』 を読んでいるわけですが、 その最後の最後の 『般若経』 のしかも 「空」 のところだけを読んでいるから、 一見したところ念仏がないんです。 極端に簡略化されていますので念仏が出てこないのです。 でもずっと読んでみると、 本当は念仏の中の 「空」 の世界なのです。 「空」 を離れて念仏はなく、 念仏を離れて 「空」 はない。 そこの処がわかるんです。 念仏を省略して 「空」 だけを説いているのが 『般若心経』 ですが、 四百数十年の 『般若経』 の歴史を知らないものですから、 念仏と 『般若心経』 の空とは別々だと思っているんです。 しかし本当はお念仏をしている中に般若波羅蜜の世界が開けていくのです。
 それからまた玄奘訳では 「行深般若波羅蜜多時」 とあって、 「般若波羅蜜多」 が目的格になっているでしょう。 観自在菩薩が般若波羅蜜を行じたもうというところの漢訳では、 目的格になっています。 ところがサンスクリット経典ではそうなっていないんです。 甚深なる般若波羅蜜の中で、 般若波羅蜜に包まれてその中で行ずる、 というのです。 サンスクリットには格が八つあり、 場所の格 (於格) というのがあります。 それを玄奘三蔵がこの於格のところを目的格に解釈したために、 般若波羅蜜と空の実践とが分かれてしまった。 これは大問題です。
  「心を離れて別に仏あることなく、 仏を離れて別に心あることなし」。 これはまた縁起の構造でしょう。 ところが第四祖道信から心と仏とのこの二つが分かれていくんです。 「心を離れて別に仏あることなし」 と言っているから、 心が大切だということで心の面に集中していったのが禅宗です。 これに対して 「仏を離れて別に心あることなし」。 これは念仏です。 仏を離れて別に心があるわけではないと言っているのに、 浄土宗の人たちにとっては、 心がどこかに行っちゃったんです。 しかしこれは両方とも片手落ちです。 やっぱりお念仏をしているときに、 仏との縁起の関わりにおいて我々自身の心が限りなく開けてくるところがあります。
 西田幾多郎や京都大学の哲学科の人たち (京都学派) の多くはやはり禅宗的な傾向が強いので、 心のほうへ重点が行って、 仏様がどこか浮き上がっていくんです。 逆に、 「仏を離れて別に心あることなし」 と言われているのに、 浄土宗あるいは浄土真宗の人は、 心の問題がどこかへ行ってしまい、 死んだら極楽へ行くということばかり言う。
 道信という方は、 六世紀の終わりから七世紀にかけて、 ちょうど中国に禅宗ができるころにお出になって、 最初は念仏をして、 「空」 の悟りを開かれたけれども、 一旦、 「空」 の世界が開かれてきますと、 そこで 「空」 というか、 心の立場が強調されていって、 他のほうが消えていきます。 禅宗と浄土宗との分岐点は、 私は道信にあったと思います。 それから禅宗と浄土宗とが分かれていく。 日本に来てもやっぱりそうです。
 ここでもう一度、 縁起という仏教の根源的な地平に戻って、 そこで考えることが必要です。 日本の仏教は宗派仏教といって、 浄土宗だ、 真宗だ、 禅宗だ、 その宗派の中だけしか考えることができないでしょう。 どうしても部分的になって、 全体が見えなくなっていきます。 そういう問題が、 わかっている人はわかっているんですけれど......。 大乗仏教という一つの大きなつながりの中で、 一番肝心な問題が消えていきます。 『般若心経』 で 「空」 だ 「空」 だと言って唱えることは大事ですけれども、 念仏によって、 その 「空」 が体得されて、 その人の上に空が働き出してこないといけない。
 お念仏をしていますと、 般若波羅蜜の世界が開けていく。 また、 「空」 の実践をしている中でお念仏が出てくる。 二つは一見、 表面的に違うようですが、 一つの事柄です。 お念仏をして 「空」 の世界が開けてきますと、 解放されていくんです。 そのときに、 実は皆さん一人ひとりが観自在菩薩になっていくわけです。 自在というのは解放という意味です。 一人ひとりが解放されていく。 観自在菩薩というどこかに一人の特殊な偉い人がいて、 般若波羅蜜を行じていると書かれていますけれども、 本当は皆さん一人ひとりが観自在菩薩になっていって、 初めて大乗仏教になっていくのです。
(昨年6月6日、 東大仏青でのご講義から。)

= おわり =

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