藤井正雄先生

死生観と葬儀の行方(第18期スクーリング講義録)

2005年6月20日 第18期スクーリング講義録

相反する感情の中和

 今日は宗教概論ということで、現代の宗教状況についてお話を申し上げようと思っております。人間には一般的に、愛と憎しみのような二律背反の感情があり、事あるごとに二つの感情が対立する。葬式とか人の死の場合を考えるとやはり、二つの相矛盾する感情が生まれる。特に肉親の死に遭遇すると、二律背反感情が一番よくあらわれてくる。若い人が亡くなったときには、なぜこんな早く死んだのかという思いというのがあるわけです。それは愛惜という感情ですね。
 たとえば東南アジアの中部タイの例を見ますと、特に若い人のお父さんが亡くなった場合、遺族は遺体に取りすがって泣き叫ぶ。涙を流します。そうすると涙が遺体に降りかかった場合には、亡くなっているほうにも感情というのがあるというのです。そして遺体のほうも執着心が起こって、なかなかあの世に行きたがらない。だからそれを監視する人がちゃんといるんです。それで若い娘が泣きそうだと思ったら、すぐに引き離す。そうじゃないと、遺体がなかなかあの世に行けない。こういう風習のようなものがあります。
 それに死んでしまっていくらものを言わなくなっても、温かい生身の体が冷たくなっていくまでに三時間ぐらいかかる。亡くなってすぐにひげをそったって、ひげの細胞は六時間生きており、ひげの濃い人はどんどん生えてくるんです。江戸時代なんかはこんなこともあった。もうこれは亡くなったというんで、ひげをそって納棺したと。それで後でおじさんがやってきたと。そうすると「ひげぐらいそってあげろよ」。「いや、そってから入れたんだ」。こんなふうに昔は、生きていたのか死んだのか、わからなかった。今になって、わかるようになった。
 もう一つは、どうしても腐敗していく恐怖心というのがあるんです。ですから亡くなったとき、残された人の感情は、愛惜の念と、恐怖感とが入り混じっているわけです。
 人は死んでしまうと大体、三時間で血流が下がる。それでもう一つ大事な特徴は、死斑です。死斑というのは、血流がとまるから血というものが点となって出てくる。それが集まって死斑を形成する。大体六時間から十二時間ぐらいまでになる。それからもう一つは、死体が硬直していく。こういう死後の変化に対応して現代ではさまざまな処置がとられます。
 死体硬直というのは、生きている間の肩こりのように筋肉が凝り固まる状態なのです。だから葬儀屋さんは熱いタオルを当てるかマッサージをして硬直をほぐし、遺体を整えてあげる。それに口元も五ミリぐらい開けておかないと、グッグッグッとかんじゃうんです。寝てるとき歯ぎしりする人がいますが、歯ぎしりというのは、歯に重圧がかかって起きるのです。死体と同じなんです。ウーエッとかんでる。だから少し開けておけばいい。エンバーミングといって、ま、世界中ではやっており、日本でも年間一万体ぐらいやっている。
 ただ医師法というのはおもしろいもんでして、お医者さんが生身の人間に注射をして昏睡状態にさせて、メスを入れるんでしょ。やくざがやると傷害になりますが、どうして違いがでてくるかというと、お医者さんの場合は、病気を治すという前提があり、その目的に従って、麻酔をしてメスを振るうんです。殺人行為の場合には、相手を傷つける。行為そのものは同じだけれども、目的によって違うんだということで違法性が阻却される。
 それはともかく、初めて死というものに直面するとどうしても感情が高ぶってしまう。しかも一つは愛惜であり、もう一つは恐怖感。死に対して人間に生じるこの二律背反の感情を中和して元の状態に戻してあげる。人の死というものによって見舞われた非日常の状態を、日常の状態に戻してやる。それが、宗教を除いて機能面からみた一般的な葬儀の役割なんです。
 それでどうするかということですが、感情の中和というのは心理面の問題であり、技術的空間的な対応も考えられるわけです。さきほどのエンバーミングもそうですが、葬儀社がやってくると部屋中が線香の煙と臭いで一杯になる。これなんかも実はそのための手だての一つという一面もある。つまり死臭を消すことによって非日常を日常に戻すという機能が果たすのです。

日本人の知恵

 空間という一時的に出現する非日常の世界を、いかに日常の生活に戻してあげるか。その点に葬儀の意義があるわけですが、もう一つは何かというと、葬儀そのものというのは、死んでからじゃないと自分が主役にならないでしょ。結婚式だとかそういうのは、新郎新婦として、ちゃんと生きている人がなる。皆さん、お葬式の場合にはやってもらうよりほかないでしょ。そうすると、どういうことが言えるんですか。残された遺族の問題でしょ。
 亡くなった人が社会的に大いなる地位を持っていたならば、例えば市長さんだとか区長さんだとかという人が死んだ場合には、各家ごとに一人は必ず出なさいというおふれが回るんです。そうすると一つの村なら村全体が出る会、それから上組だけ、下組だけ、あるいは上と下に分けない、上をまた二つに分割して、何にもしていない人が亡くなった、子供だった、だからうんと小さな葬儀をするという場合には、限定されてきた。そういうふうに見てみると、葬儀というのは社会的集団として行われる。
 今では差別用語になったものに村八分というのがあります。村八分ですから、二分残されている。二分とは何かというと、火事とお葬式なんです。火事の場合には、冬なんかに焼け出されて寒空にひとりで震えていたら、それこそ死んでしまう。それからお葬式のときだって大変です。たとえばじいさんとばあさんが二人きり残った。それでじいさんが死ぬと、大体ばあさんのほうが残りますからね。重いですよ。私だって家内から見れば、ガターッとなった場合には、七十キロ近くになる。それをグイグイ引っ張っていくっていうのは大変です。
 そうするとどういうことかというと、ひとりではお葬式ができない。個人的なものじゃなくて社会的なものなんだ。だからそれまでは差別をしていた、口もきいちゃいけないということだったけれども、お葬式と火事の二つだけは例外だとしたのが村八分なの。差別から逃れられるのは、昔から火事とお葬式という二分だけ。後は差別ですからいけないことですが、ある意味では日本人の知恵なんです。そういうことになると思います。
 ご存知のように檀家制度というものがあります。これは江戸時代のとんでもない歴史的産物ですが、あれは、江戸幕府がそういう制度を利用しただけなんです。どういうことかと言いますと、江戸時代よりずっと昔、荘園制というのがありました。それまで開墾というのは、最初は口分田というのが国のものだったでしょ。それが開墾は自由であるということで、平家だとか源氏だとかといったものが警護に当たる。それが武士の起こりです。これは正しいんです。ところが一四六七年応仁の乱が始まって日本全土が戦場となると、荘官などという一番えらい人はみんな逃げちゃうんです。逃げちゃって、しょうがないから村をつくろうというので郷村制に移る。現在の村の組織、いわゆる自治組織が生まれてくるんです。
 それでお坊さんの中でも遊行僧をつかまえては、亡くなった人を供養してくれということでお寺というのができてくる。最初は、真言だとか天台のお寺だった。それがだんだんと臨済宗や曹洞宗がはやってきて、日本中みんな禅宗になってしまう。これはいけないというんで出した法律が、新寺禁止令です。そんな話は歴史で出ないでしょ。新しい寺をつくってはいけない。
 それからどっちが勝っても負けても釈迦の恥であるというので、法論というものはやめる。ということは新しい宗派をつくってはいけないということです。そこで寛文五年になると、「寺院法度」というのをそれぞれの宗派に出してくる。それで宗教統制が非常に強化されてくる。これはわかる。
 ところがこの時点に関して、荘園制から郷村制に移った。自主的に村をつくらざるを得なかった。そういったところで、檀家組織のようなものが芽生えてきた。そうするとこの中で亡くなった人を弔う、供養するということが必要になってきたんだね。それが日常生活をよりよいものにする。だから庶民の知恵としていろいろなことが考えられてきたわけで、それを為政者が利用すれば「制度」というものになり、歴史にもなるわけです。

「無記」の真意

 お釈迦様のことを釈迦牟尼と言いますが、シャキャというのは釈迦族出身という意味で、牟尼というのは沈黙という意味です。ではお釈迦様は何に対して沈黙されたのかということが問題なのですが、いま話をしているのはお葬式ですからその面で考えてみましょう。
 お葬式というのは、死んだ人があってなりたつものですが、死んでから帰ってきた人はいないわけですから、お釈迦様としても、これはもう知り得ないことになるわけです。このように仏教では、記述することも実証することもできないものは「無記」と表現された。『大乗起信論』に無記の実例が示されています。たとえば子供を産めない女性と性的不能な男が結婚した場合に、どういった子供が生まれるか。そういうことは論理的に成り立たないと書いてあるんです。
 乳牛からはでお乳が出るわけですが、そうすると、角の中にもお乳があるだろうと考える。角をギュッと砕いた場合、何升のミルクがとれるか。これと同じだというんです。湖底に沈んだを浮かび上がらせることができるなら、だれ一人として死ぬ人はいないということをいうんです。だから仏教というのは、正しく物事を見なさい、知り得ないことを知ったかのように話すことはやめなさい、ということで、そうした問題については「無記」としているのです。
 もう一つは、お釈迦様は苦行でも快楽でもない、中道というものにお悟りを開いた。ところがお釈迦様は「自分の目的は、生き死にを解決することである。私は修行のときに、人に対して説こうとかという気持ちは一切なかった。だから私は人のために法を説かない」。これを心配したのが天の神様である梵天なんです。梵天がわざわざ人間界に降りてきて、お釈迦様を説得した。これが梵天勧請と呼ばれる神話になっています。
 要するに、人間が死んだらどうなるのか、霊魂というものがあるのかないのか、そんなことはだれ一人として知ることはできないと。だから、それは肯定もしなければ否定もしない。それよりももっとやることがある。人間はどうして生きていったらいいのか、それをまず我々が獲得することだ、というのがお釈迦様の考えだったのです。
 しかし、人間というのは、その文化状況によっていろいろ異なる。英語でいうとコンテキスト。脈絡とか、前後関係のことですが、このコンテキストを重んじなければいけない。「これこれこうだ」としゃくし定規に決めることはたやすいんです。一般化して決めるのはたやすいけれども、状況によって物事は決まってくる。だから事物がどういう状況に置かれているかで考えていかなければいけないということになるんです。
 そういった状況の中で死生観というのを考えてきた場合に、死んだといってもすぐ分かるのは医学的な死でしょ。それでも自分の肉親、例えば親なんかが死んでしまった場合に、死というのをすぐには肯定したがらない。温かい、生き返るかもしれない、ということで脳死論議にもつながった。
 明治三十年、一九〇六年ですからちょうど百年前に旧医師法ができたのですが、そのころは、人間の死というものが分からなかったんです。分からないところに乗っかって出てくるのが習俗なんです。だから、習俗を研究しなければ宗教は分からない。要するにお釈迦様はこう言った、ああ言ったというのは教義仏教だけど、我々が生活している仏教というのは違うんです。死んだらお葬式でお茶わんを割れというのは、経典に書いてありますか。書いてないですよ、そんなことは。
 お釈迦様は、死んだ後お葬式はどうするかと聞かれた。そうしたら、マツラ族というのがやっているから、そっちに任せておけばいいとおっしゃった。だからお釈迦様は、インドの理想的な王様と同じようにして葬られた。ですから経典にはいろいろ出てくるけども、それがどういう形でインドならインド、それから日本なら日本に出てくるかという状況が違うんです。だからインドの仏教と日本の仏教は違うんです。今度は、日本仏教がアメリカに渡った。アメリカの場合の仏教というのは、違うんです。それを一緒くたにして論じようといっても、無理なんです。

必要な背景への視点

 昔は死ぬということが分からなかった。それはお墓なんかを見ると、よくわかるんですね。まず、死んだか死なないか、わからない。そういう場合に掘り返すといったら、どうしておいたらいいですか。浅く埋めるんです。浅く、パラパラと土をかけておく。それで息が苦しいだろうって、死んじゃったら息をしないんだけど、それでも苦しいだろうというので、息つき竹というのを差した。昔はホースなんてなかったから、そのかわり節を抜いた竹をズバッと差したんです。
 それと三本の木を交差させて鈴をつるし、それを手に握らせるんです。すると、「おい、生き返ったぞ。助けてくれ」とガンガン鳴らす。それから息つき竹で息ができる。昔の人はこう考えた。
 悪いやつだったらなるべく深く埋める。山のように砂を積んでもまだ安心できないというんで、石を積む。さらに堀をめぐらせる。あれは二度と帰ってきてはいけないという気持ちからなんで、さっきの鈴の代わりに、今度カマをつける。鈴は愛惜の念が強いことの表れだし、カマは恐怖心が強いから。
 それに、中国の死の儀式書である「礼記」などを読むと、死後三日目にして葬るということが書いてある。今でも三日でしょ。死んだときは、まずお坊さんを呼んで枕経。その次にお通夜。それで三日目になるとお葬式でしょ。そうするとこれは中国の伝統を引き継いでいるんです。
 お通夜の席で子供たちは、親が死んで悲しんでるのに、みんな寄ってたかって生ものを食べて、お酒を飲んで騒いでいる。理屈では「何事か」ということになるのかも知れないが、分かっていないからそんなふうにしか思えない。違うんです。それは最後のお別れなんです。死んでると考えることがダメなの。生きているか、死んでいるか、分からない。最後のお別れだから、故人が好きだったお酒をうんと飲んで、というのが一般的。お葬式のときにお寿司を出したらバカですけど、通夜の席で生ものを出すというのは、最後のお別れ、最後の晩さんなのです。
 今の若い人にそんな話をしたってわからないですよ。今はお墓にお参りに来た人はこのスイッチを押してくださいというので押してみると、テープが回り出すんです。お参りをしていると、「私は今、極楽にいます。早くあなたが来るのを待ってます」なんて。意地悪な人は生きているうちにやってしまうんです。お墓のところに名刺受けがあるでしょ。だれが墓参に来たかわからないから、後でお礼をするためにつくられたんですが、。だんだんと工夫が高じて、そんなことも実際にあるようになった。
 お葬式でも、ゴルフなんかをやってる元気なころの映像をうつして「いやあ、皆さんよく私のお葬式に来てくれました。私は死んで、もう今は平穏な生活を送っています」などとテープで流す。そういうフェアもあったんですけど、はやらなかったね。
 いろいろ工夫されるようになってはきたけど、亡くなった時点では死ということが分からない。それでさまざまな習俗がでてきたわけです。
 最近、少子化が問題になっている。先祖供養の観点から言うと、無縁になっていく人がふえていくということです。だから、実際には無縁になっても、無縁にならないような形にしなければいけないということで、いまお寺では永代供養碑を建てなければいけなくなってきた。結婚のあり方など大分違ってくるということを念頭に置いた場合に、現代の仏教のあり方というのも大分変わってきている。
 散骨だとか、戒名の要らない葬式をしよう、お墓は要らないといった場合に、どう対処していくか。今ホテルなんかでは、しのぶ会というのがはやってきた。お葬式というよりもふだん着のままでできるしのぶ会のほうがふえつつある。
 こういうことで、世の中は変わってきた。現代の特徴をよくつかむには、コンテクストを踏まえること、これが大変重要になってくる。だから今までの歴史というものを素直にそのまま受け取るのではなくて、背景や前後の流れを眺めるといろいろ違った面も見えてくる。歴史観にはそんなことも必要だということをどうか分かっていただきたい。

= おわり =

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