藤井正雄先生

死生観と葬儀の行方(第16期スクーリング講義録)

2003年6月20日 第16期スクーリング講義録

学問の在り様と日本仏教

 私は最近では、 葬儀、 それから命という問題を扱っておりますが、 まず、 物事をどう見るかということを、 ちょっとお話し申し上げたい。
 学問というのは、 物事を客観的に見なければいけないという、 一つの見方がございます。 それに対して、 主観的に見ようという見方もある。 それにたとえばキリスト教と仏教を比較する場合、 ともに世界宗教ですから共通性あるいは同質性を中心に見ていく人と、 どこがどう違うのだろうと異質性を見ていく立場がある。 そうすると学問というのはこの四つの分野から生まれてくるわけです。
 さて仏教です。 それを学び研究する上で大事なことは日本の仏教は確かにインドでうまれたものだけど、 中国などを経由して日本という土壌に根づいたものだということです。 仏教は在来の信仰と一緒になり、 民俗と溶け合って仏教の民俗化という現象を起こしているわけですね。 そこでは、 見える宗教と見えない宗教というものも出てくる。 これはキリスト教の場合だって同じことです。
 こうした点を踏まえてお葬式のことを考えるとき、 お釈迦様はどう説いているのかと、 中村元先生の 『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経』 という本をみると、 そこでは、 お葬式のことは、 在家に任せればよろしいと言われていると。 「それなのにいま仏教徒は、 お葬式をやっているじゃないか、 あれは全然違うんだ」 と。
 この問題はどういうことかというと、 私は先に、 仏教の民俗化、 民俗の仏教化と言った。 キリスト教でも、 同じことなんです。 旧約聖書の中に、 お葬式はかくかくこういうふうにしなさいなんて書いていない。 全然書いていない。 亡くなった人を丁重に葬るということは書いてあるけれども。
 ですからそうしたことは、 歴史的産物なのです。 要するに目に見えない現象というのは、 どういうものを吸い上げ、 どういうものを文化に与えてきたか。 そうすると仏教というのは、 インドで発生した、 それが中国に渡った、 中国でその集合形態が生まれるわけです。 閻魔様 (えんまさま) 一つとらえてみても、 えんまというのはサンスクリット語では 「ヤマ」 ですよ、 夜の神。 それが中国に行くと、 閻魔大王様で、 審判でしょう。 そうするとひげを生やして、 それが日本に伝わって、 閻魔様という像になってくる。
 お坊さんの服装にしても日本では、 白衣を着てその上に衣を着て、 袈裟をつけるんでしょう。 でもインドで見ると、 「キャーシャ」 ですよ。 というのは、 糞掃衣 (ふんぞうえ) ということで、 これは捨てられたものを拾ってきて、 つづら折りに合わせて一枚の布にしたものを体にまとったのです。 これが衣でしょう。 それが中国に行くと、 衣と袈裟に分かれるわけですね。 もともと袈裟であったものが、 衣と分離する。
 さらに日本へ来ると、 平安期の、 冠位十二階を制定されたあの聖徳太子から時代を下って、 平安期に我々は見ていますけれども、 みやびやかな宮廷文化というものが華と咲いた。 そこでの色は 『日本書紀』 や 『古事記』 なんかを見ても白が基本です。 例えば白鹿が生まれたというので、 それを天皇に献上したという記録が出ている。 そうすると、 年号を直すところまで及ぶわけです。 ですからお坊さんが白いものを着るというのは日本人の工夫というものです。
 そういう工夫が様々な場面で採り入れられるわけです。 たとえば、 お葬式に関しても、 何時何分に亡くなったということで占ってもらうと、 夜中にお葬式をしなければならない。 夜中の二時ということで困ってしまうと、 どういうふうに工夫したと思いますか。 お寺のお坊さんというのも、 昔は頭がよかったんですね。 普通のお寺の時計というのは、 皆さんの時計とちょっと違って。 それに合わせて何時にするというと、 真夜中ではなく、 昼間の二時にやれるんですね。 時計を変えちゃう。 それからお正月を迎えないのに暮れに死んじゃったというと、 これはお正月を迎えられないから、 もう正月は来ちゃったんだということで葬式を出したり。
 このように日本人は、 ものごとをどういうふうに転換するかということで、 世の中とを生きてきたのです。 だからそういう生活の知恵というものを発掘し、 それを現代にどう生かしたらいいかということを考えていくべきです。

葬儀は哀惜と恐怖の中和

 お葬式というものは、 その構造、 機能の点から客観的にとらえた場合、 どういうことが言えるでしょうか。 まず、 心理的に見た場合は一体どうなのか。 特に配偶者の死。 これはもう、 長年連れ添っていたものと別れなければならないのですから非常に悲しいものですね。
 お釈迦様は最初に言われた。 人間には生老病死の四苦をはじめ八つの苦しみがある。 その一つに、 「愛別離苦」 ということも言っている。 これは、 いとしい者と別れなければならない苦しみであり、 「愛惜」 ですね。 「哀惜」 と書いてもいいです。 なぜ死んでしまったのか。 もう少し長く生きてもらいたかった。 こういう気持ちがお葬式の基本でしょう。
 今はそうじゃないんですね。 だんだん年とって死にそうになると、 隣で遺産をどうするか、 なんて話を始める。 遺産なんて全部寄付してしまえばいいですね。 私は、 父のときにはそういうことで、 全部寄付してしまった。 皆さんとのいろいろな縁によって生まれたお金だから、 返すのが当然だと。 でもそう考える人は、 何人もいない。 だから人に言われましたよ。 「悪しき慣例を残すと、 あとの人が困る」。 それに、 そんなことより何より、 「家が傾いているじゃないか、 修理代として幾らかとっとけばいいのに」 とも。 でもね、 人間はそんなものに執着したらいけないのです。
 日本ではなぜ乞食 (こつじき) の思想というものが受け継がれなかったのか。 仏教が生まれたインドは、 暑いんです。 暑いから、 調理をしたものはもたないんです。 ですから余ったものは分けてやる。 日本の場合はちゃんと冷蔵庫があり、 余ったものでも冷蔵庫に入れておけば食べられるでしょう。 分ける必要がない。 だからだめなんですよ。 だからそこに、 ものへの執着が生まれる。 そういうことを断ち切りなさいというのが仏教ですが、 配偶者などに死なれると、 哀惜の念を断ち切れない。 だから泣き叫ぶのです。
 もう一つは、 恐怖感というものがある。 人間の肉体は、 死ぬと腐敗していきますからどうしても恐怖感に包まれるんです。 これは嫌悪感。 今でいえば、 嫌な感じがするんです。 この二つの相反する両面的感情というものに包まれる。 そうすると心理的にはどうしたらいいかというと、 その二つの感情を中和しなければいけない。 だからなぜ葬儀を営むかというと、 それは、 心理的には中和をするということです。
 次に社会的にはどうかということですが、 人間は死ぬと腐敗するので葬らなきゃならない。 放っておいたら大変なことになる。 その際穴を掘って埋めるということを一人でやるのは容易ではない。 ですからお葬式というのは、 共同体でやらなければいけない。 そこにお葬式の社会的な意味というものが出てきたわけです。
 たとえば村八分という言葉があります。 村のすべての機能を十とすると、 残りの二分というのは何かと言いますと、 火事とお葬式です。 それ以外は、 あの人とは口をきいていけない、 おつき合いもしてはいけない。 村の掟 (おきて) を破ったのだから、 無視する、 ということです。 だから村八分というのは差別でしょう。 ところが火事で焼け出された、 死人が出てお葬式だという場合には、 それはすべて無しにするということです。 火事とか葬式の場合には、 みんなで協力しなきゃどうにもならない。 そうすると、 お葬式というのは村の行事であったということがわかります。
 村の行事であったお葬式でどういうことが行われたか、 と言いますと、 後継者を承認することです。 それはその家の長男で、 喪主としてあいさつし、 一番先に焼香し、 葬列では位牌を胸に抱く。 ですから家に男の子が生まれないときには養子をもらい、 長男がまだ幼い時にはおじさんが代わりにあいさつするけどそのあいさつの中でそれなりに後継者を紹介する。 現代でもたとえば会社の社葬なんていう場合には、 次期社長が 「先代の社長の遺志を継いでこの会社を何とか盛り立てていきますから、 皆さんご協力願います」 と。 これなども昔からの葬式の社会的役割を踏襲していることになるのです。 ところが最近は変わって来ましたね。 子供が小さいときには奥さんが喪主になる。 それは家制度が崩れてきた表れであり、 それでまた葬式のやりかたも変わるようになったわけです。

葬儀も歴史的産物

 家制度が崩れて地域社会のコミュニティーが崩壊してくると、 葬儀の仕方も変わってきます。 コミュニティーが担っていたことをかわりにやるために、 ビジネスとして乗り出したのが葬儀屋さんです。 早桶とか早篭とか、 最初はそういう屋号でできたのが、 今の葬儀屋さんになります。 早おけというのは、 早く棺桶をつくる。 それから、 それを乗せるものをかご屋さんがつくった。 だから早かごという。
 お葬式のときには八百屋さんに関係があるでしょう。 だから山形県なんかでは八百屋さんの奥に行くと、 ちゃんと棺おけが置いてある。 熊本県では乾物屋さんというように地方によって全部違うんです。
 漁村などでは漁に出るときは、 忌明けまでの四十九日の間は出られない。 そして忌明けのときに何を食べるかというと、 生魚。 生臭いものを食べると日常生活に戻れるということで、 時には四十九日より前に生魚を食べてしまうんです。 東京なんかの場合にはいま、 お通夜のときにおすしを出すでしょう。 なぜ通夜のときに生を出すのか。 あれはもう、 幕末のときの記録でも、 ちゃんと食べているんです。 尾頭つきだとか。 お通夜というのは最後のお別れなんですよ。 だから故人が好きだったから、 皆さんお酒を飲んでくださいと。
 また今は祭壇をつかいますが、 いつごろからかといいますと、 昭和二十七年に、 あの祭壇が売り出される。 それまでは祭壇ではなくて、 棺桶を花で埋めたりしていました。 お寺に行けば、 お施餓鬼のときに施餓鬼棚というのがあって、 「三界万霊」 と書いた位牌を置いてお施餓鬼をするでしょう。 あれは何段かの段になっていますね。 それでお棺を前にして段をつくって、 そしていろいろな供物や何かを置いてやったのが始まりだから、 葬儀屋さんは祭壇のことを棺前と言っている。
 ではお葬式はどう行われるかというと、 まず自宅でお葬式をし、 それからお寺の本堂へ行く。 本堂でお経を挙げて、 そして墓場に向かうんですね、 基本は。 それが今は、 自宅式だとか、 露地式だとか何とか、 いろいろ出てくるでしょう。 それを簡略化した形で、 一つにまとめ上げる。 だから自宅を中心にしてまとめ上げた場合と、 それから露地式を中心にまとめ上げた葬儀式というのは変わってくるのです。 だから本山で学ぶ儀礼の仕方と、 自分の地方の仕方というのは違うんです。 ということです。 だからお葬式というのは、 地方性が強いし、 歴史的産物でもあるわけです。
 今は死んだら樹木になろうということで、 岩手県では樹木葬が行われている。 これは東京では絶対に認められない。 というのは昭和五十八年から、 許認可の権限が機関事務から団体事務に移管され、 岩手県が認可したもので、 東京都は絶対に許さない。
 それから最近では宇宙葬とか、 月面葬というのが話題になっています。 遺骨をいれたカプセルを積んだ衛星を月まで飛ばして、 月をお墓にしようという計画をアメリカでやりだした。 その代理店を募集中なんだそうです。 遺骨を粉にすればカプセルには七グラムまで入るんだそうです。
 こうしたことはいわば葬儀のハード面の変化ですが、 ソフト面はどうかと言いますと、 今は形式的になりましたが、 お坊さんは亡くなった人の髪の毛にかみそりを当て、 「流転三界中、 恩愛不能断、 棄恩入無為、 真実報恩者」 という偈文 (げもん) を唱えて、 三帰戒というのを授けることになる。 なぜ髪の毛に当てるかというと、 昭和七年でしたか、 柳田国男さんが全国の資料をとったことがあるんですが、 実は死んでからすぐに頭をそっていたという歴史があるからなのです。
 頭をそって顔もきれいにして白衣、 経帷子を着て、 巡礼姿になったところをみると、 ああ、 この亡くなった人は生前悪いことをしたけれども・・・・ということになる。 だから、 お葬式がずっと伝わってきたという一面もあるわけです。
 お葬式も歴史的産物ですから、 どんどん変わってこなければならないが、 新たにお葬式をどう考えていくかということ。 皆さんの手によって新しい葬式を仏教の教えに従ってつくっていくこと。 これが大事だということになろうかと思います。

= おわり =

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