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    <title>仏教入門　東京国際仏教塾｜過去の講義記録</title>
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    <updated>2011-12-23T01:05:57Z</updated>
    <subtitle>僧侶への道　仏教宗派の枠を超えて、通信教育と体験修行（座禅など）で仏教を学ぶ。</subtitle>
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    <title>霊魂観、業・因果観念の問題と仏教（第24期スクーリング特別講義）</title>
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    <published>2011-12-22T07:19:50Z</published>
    <updated>2011-12-23T01:05:57Z</updated>

    <summary>一、現代の不安と霊魂観念の構造 　東京の品川区、港区、大田区辺りに配られていた、...</summary>
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        <![CDATA[<h4>一、現代の不安と霊魂観念の構造</h4>
<p>　東京の品川区、港区、大田区辺りに配られていた、たたり鎮めチラシを読んでみます。「人間はどんな因縁を持っているか。水子の因縁、家運衰退の因縁、中途挫折の因縁、運気浮沈の因縁、我が子の運気剋する因縁（子供を駄目にするという意味らしい）、夫婦縁障害の因縁、夫婦縁破れる因縁、肉体障害の因縁、横変死の因縁、脳障害の因縁、癌の因縁、循環器系統障害の因縁、色情の因縁、財運衰の因縁に、頭領運（リーダーじゃないかと思うんです）、それから子縁の薄い因縁、産厄の因縁。」</p>
<p>　出産で死ぬ人は日本でも毎年十人以下は今でもいるんです。フィリピンとかアフリカ、南米では年間千単位です、出産で死ぬ人は。産褥熱、出産のときに出血し、そこから雑菌が入るんです、それで母親が死ぬんです。その他に因縁の現れる病気、中年の女性で夫婦がうまくいかなくなったり、あっちこっち体の具合が悪くなる、ホルモンのバランスが崩れて。そういうときに、折り込み広告、それで引っ掛かるんです。ただ、こういうものも最近は、新聞を買わないうちが多くなったから、他の方法で。訪ねてくるか手紙でくるか、電話でくるそうです。　</p>
<p>　今度の津波でもそれが出てくるかも知れません。こういうのが現代人の不安と結び付いておりまして、これが盛んになるのが一九七五年ぐらいから。一九七五年から盛んになる宗教。</p>
<p>　こういう宗教に共通しているのは霊魂なんですね。新新宗教。新しい新しい宗教と書きます。共通しているのは、その背景に仏教の因果とか業とか輪廻とかいう言葉が使われる。こういう問題が日本人の中にあって、これが現代の不安、家族の不安定、それから病気、そういうものと結び付いている。</p>
<h4>二、日本人の霊魂観念の構造</h4>
<p>　人間の中の悪。悪といっても負い目やら、トラブルです。「なんで」というと、「それはあんた水子が」とか何とかいうんです。そういうのは<strong>荒魂</strong>といいます、落ち着かない魂という意味、たたる魂です。たたるというのはあなたの心の悪、つまり「あなたの根性が曲がってる」とか、「嫁が素直じゃないから」とか、それと荒魂が共鳴する、それをたたるというのです。つまりそれは荒魂が人間を支配しているという意味なんです。「どうしたらいいの」って、「そりゃ、あんたね供養が足らないんだよ」という。供養っていうのは反省の印なんです。そこで霊界を供養するのです。それを浄化の作業というのですが、また別の言葉で霊界操作というのです。そうすると荒魂が<strong>和魂</strong>に変わっていくのです。和魂というのはめでたい魂、「和」という字を書きます。めでたい魂というのはご先祖のことで、これは恩恵を与える神様なのです。　</p>
<p>　荒魂が和魂になると人間の病気を治すというかたちで恩恵を与える。そういうかたちで人間界を支配している。つまり、たたりと病気治しはどっちも人間界の支配なんです。それに対して人間界が霊界を操作するわけですね。この支配と操作。この関係でできているというのが、民俗学などの研究の成果なのです。最近、ここ二十～三十年の間、これでいいということが確認されるのが。この荒魂、落ち着かない魂、異常な死に方をした人たちは、落ち着かない魂だっていうところで終っているのがフィリピンの文化だそうです。ところがこれが、和魂とはご先祖さまである。そのご先祖さまという霊魂は、山に住むと考えるのが北方文化だそうです。恐らく焼き畑やなんかじゃないですか。</p>
<p>　ですから、昔から墓地には必ず木を植えました。特に揚子江沿岸はそうです、墓地には必ず木が植わってます。日本もそうです、縄文時代からあるのです。草葉の陰っていうでしょう。つまり緑のところに霊魂が宿るという考え方。そして、これがその下に今度は③の恩恵の神、これは河南の稲作文化。ご先祖さまというのは恩恵を与えるという神様なのです、だから病気を治してくれるとか。だから皆さん病気になるとお墓に行って「おじいちゃん、守ってやって下さい」とかいうんですね。おじいちゃんは神様になっているんです。そうすると荒魂の段階と神様になった段階では違うでしょう。神様になった段階をご先祖さまというのです。これは恐らく縄文時代ぐらいからこの構造があったろうといわれています。それを悪用するのを霊感商法というのです。</p>
<p>　そうすると、霊界には段階があるということが分かるでしょう。つまり荒魂からご先祖という神様があって。その神様の上に今度はカタカナで書くカミ様がいて、さらにその上に漢字で書く神様がいて、最終的に天照大神のような神様がいて。そうするとどうですか、たたり霊から天照大神まで段階があるでしょう。これを発見したのが和辻哲郎という人です。日本書紀を研究して、日本の神様、霊魂には段階がある、支配関係であると。</p>
<p>　これが儀礼と重なっていくのです。まず荒魂の段階に対応する儀礼が中陰七、七、四十九日。インドのお釈迦様以前からある民間信仰です。人間は亡くなって最初の七日間で生まれ変る。天界に生まれ変わったり地獄に生まれ変ったり、動物に生まれ変ったりという意味のようですが。これが最大七を七回、四十九日の間にどっかに生まれ変る、こういう考え方です。この七を七回やることがものすごく癒しのリズムにぴったりしていた、だから廃れないんです。これをキリスト教の人たちはいうんです、仏教はいいねって。キリスト教と神道は五と十でしかない。一、五、十ですから、五十日祭、百日祭です。仏教は七日、七日、ですからすごく癒しにいいんです。問題は七を七回というところに重要な癒し。これは家族を失った人にとってはちょうどいいリズムなんです。</p>
<div class="imgRight">
<span><img style="WIDTH: 398px; HEIGHT: 147px" alt="154-3.jpg" src="http://www.tibs.jp/lectures/154-3.jpg" width="1133" height="372" /></span></div>
<p>　これがインドにあって、それが中国へ、西暦一世紀以降に中国に入ってきました。中国にあったのが百日と一周忌と三回忌なんです。これが儒教、孔子さまの教え。孔子さまというのは、子どもは親を敬わなきゃいけないんです。なぜかというと一番上が天の神様、天帝。その委嘱を受ける王さま、王さまの下に役人がいて、家庭でいうと父親がいて子どもがいて、という縦の系列の秩序を乱さないっていうのが中国の倫理の大本で、社会を維持する。ですから天の神様からずっと真っすぐ。だから子どもは親を供養しなきゃいけない。これが社会のルールがきちっと生きるということなんです。だから百日、一周忌、三回忌があったんです。そうするとこの四十九日の七と、これ三つを足すと十になるでしょう、それで中国の道教。道教というのは友引とか大安吉日とかそれから神社の造りだとか。道教の人たちがそれを十仏事というものにまとめたんです。山東省に泰山という山があり、その地下に地獄があって死者はそこに行くと、その七、七、四十九日と百日と一周忌と三回忌で、十王に罪を審判されるということをいったんです。この十仏事という儀式が平安時代日本に入ってきました。</p>
<p>　その後、日本のお坊さんたちが七回忌と十三回忌と三十三回忌をつくったんです。これで十三になります。十三仏というのを鎌倉時代になって日本のお坊さんが考えるのです。お葬式を出したときにお寺さんから掛け軸を借りてきまして、そこに阿弥陀様とか観音様とかお不動様と、十三の仏さんが書いてあります。それをしばらく掛けておくのです、これが十三仏仏事といいます。お金持ちは自分のうちで持っているうちもあるのです。問題なのは三十三回忌なのです。なんで三十三回忌ができたのか。東洋大学の西山茂先生がいっているのですけれども、三十三回忌に当たる儀式が縄文時代にもうすでにあったのです。せがれや娘が若いうちにおやじやおふくろが亡くなります。三十年もたてば、せがれや娘が死ぬ時期になります。そうすると死んだおやじやおふくろを覚えている人はいなくなる。それまではその息子にとって、父親、母親は人格のある死者なんです。短気な人だったとか、酒飲みだったとか。死んだ人がずっと人格として覚えていられるのは大体、息子や娘にとって三十年ぐらい。そうすると息子や娘は最後の儀式をやって死ぬと孫たちにとって、じいちゃん、ばあちゃんは知らないでしょう、個性がないんです。つまり三十三回忌過ぎた霊魂には個性がない。そこで三十三回忌から先祖一般というんです、個性のないご先祖です。</p>
<p>　こういうことが元々縄文時代に日本にあったから、日本人の坊さんたちが、三十三回忌を平安時代につくったんです。それに当たるものは前にあったということだそうです。そうするとこの霊魂という、たたる霊から先祖霊というこの関係が実はやっぱり日本に元々ある儀礼、インドに古くからある儀礼、それと仏教の説明がくっつき、中国の儒教がくっつき、道教がくっつき、日本の神道がくっついて、今のような儀礼につながっている。その背景には霊魂観念がある。それを悪用すると、いろんなたたり信仰などになるのです。</p>
<p>　お医者さんで、息子が医学部に何べん受験しても受からない。もう四回も受からない、ことし失敗したら五浪になっちゃう。それで母親は、開業医で息子が医者になってくれなきゃ困ると思うから、それが頭の中いっぱいでデパートに行ったそうです。エスカレーターをすーっと昇って、降りたらそこにテーブルがあって、易断なんでも相談って書いてあり、思わず近づいていったら紙が出てきた。それで相談人の生年月日それから職業、保護者の職業。医者っていうところに丸付ければ、医者は小金を持っているでしょう、飛んで火に入る夏の虫。</p>
<p>　それで、「ああ、この方はことしは大学駄目かも知れません。」「どうしてですか」。「何白水星だか何とかで方角がふさがっております。」「どうしたらいいでしょう。」もう頭の中、真っ白です。大学受験だけは絶対ですから、医学部に入ってくれなきゃ困るんだから。「どうしたらいいんでしょう」っていったら、方祓いといってお祓いをして方角を開かなきゃいけない。「それはおいくらぐらいなんですか。」「一年掛けてお祓いをいたします、三十万円です。」「一年なんて待ってられません、受験すぐそこだから。」「特急というのがございます。毎週木曜日に私の道場でやっております。百万円です」。<br />　とうとう木曜日の朝になって、庵主さんのところに電話してきた。そしたら庵主さんが「あんた何寝ぼけているか、すぐにお寺に来なさい」。医者の奧さん飛んできたそうです。それで本尊様の名前で般若心経読んで、お願い事というのは任せること。仏様に任せなさいといってお説教して、その医者の奧さん百万円無駄遣いしないで済んだ。</p>
<p>　明覚寺というのが茨城県から出て、三十年前ぐらいに関東近県、その後中京地区で、すごい被害を出している。明らかに宗教ではないと裁判所が判断して活動停止になったのが明覚寺問題、もう三十年以上前ですね。サンデー毎日が取材した中にあるんです。まずチラシ、折り込み広告で、悩みや、心配事があったら電話を、相談があったら来て下さい、相談料一回五百円。</p>
<p>　それで電話して。そうすると、「子どもが受験でうまくいかなくて、親のいうこと聞かなくて、非行グループ入って、亭主は交通事故でおととし死んじゃって、だから子どもの教育大変なんです」って。「渋谷、新宿。どこでもいいから寄って下さい」。寄ると実はファクス回っていますから、男の人が出てきて、「ああそうですか大変ですね、じゃ先生に観てもらいましょう」といってマンションの一室に案内すると、そこに幔幕が張ってあって、お不動さんかなんか祭ってあるんでしょう。そこに紫の衣を着て白い頭巾をして、水晶のお数珠かなんか巻いている女の人が座っていて、「それじゃ見てあげましょう。...お宅さまには何か五つ程見えます。これは浮かばれない魂です。」「どうしたらいいでしょうか。」「お祓いしなきゃいけません。一霊百万円です。銀行においでになるときは職員が付いていきますから。」その女の人が全部かつての被害者。被害者が一番人間の心、女の心の恐怖とか心配とかっていうの分かっている。非常に現代的な問題です、霊魂というのは。被害は今だって年間恐らく百億は下らないんじゃないですか。</p>
<h4>三、先尼外道の見批判にみる民俗と仏教の戦い</h4>
<p>　道元禅師の正法眼蔵に出てくるんですけれども、天台本覚法門といいます。仏教の学術用語でいう本覚とは中身がぜんぜん違うんです。平安末期から日本の一部のお坊さんが言い出したことで、「死んだらみんな霊界。霊の海に行くんだから、この世は波と同じでみんな区別、差別がある。私は荘園の主であんた方から取り立てます。あんた方荘園で働いて貧乏してます。でも、死んだらみんなここに帰るんです、死んだら平等です」と。これが天台本覚法門といって平安時代から室町期にかけて日本中を席巻した考え方。これは搾取する側が民衆に対していう言葉。だから非常に差別的です。これに対する批判が正法眼蔵の中にたくさん出てくるのです。</p>
<p>　宝智房証真。この人が比叡山の総学長で、霊魂観念を批判している論文と道元禅師の正法眼蔵は全く同じです。</p>
<p>　道元禅師十五歳のときに、その恩師の証眞さんが亡くなったので、比叡山から三井寺に質問に行くんです。ここで出てくる重大な問題、それは先尼外道といいまして、お釈迦さん時代のセーニカという人の論理と同じなんです。日本人の今の霊感商法とかなり共通しているんです。つまり、現実の不条理を霊魂で説明するのを説明原理というのですけど、納得しちゃうんです。「うちの子どもがどうして登校拒否直らない、私のこの更年期障害、病気治らない。」「私、水子なんかないわよ。」「あんたがなくたって...」「そういえばおばさんが中絶していたな。そうか、私の体の調子の悪いのは水子のせいだ」と説明が付いちゃう。それを説明原理というのです。こういうようなかたちで仏教の業とか因果とかという言葉が利用されて、霊感商法にくっついてしまう誤りが流行るのです。</p>
<h4>四、知性と感謝が恐怖霊を智慧に昇華する</h4>
<p>　金子先生という宗教学者が調べたんですけれども。人間は十歳までは親が絶対ですから霊魂なんていうのは心配ないんです。ところが四年生ぐらいになると疑問を持つのです。姉ちゃんは背が高いのに妹の私は背が低くて足が太いとか。女の子や男の子が小学校の高学年から中学生ぐらいの時に、一番関心を持つのは自分の体なのです。特に自分の存在に対して劣等感を持つと説明が付かない。そのときに宗教とか哲学を考える力がありませんから、何が説明付けるかというと霊魂だそうです。だから小学校四年生から雑誌には霊魂や神様や、そういうのがいっぱい出てくるんですって。小学校三年生までは絶対ない。こういうことが分かったんです。つまり四年生以降はカミや霊で説明しているわけです。だから学校の怪談っていうのがいつでもはやっているんですって。説明原理、自分の不条理を説明する。放課後生徒がいなくなって、あそこの廊下を通ると何枚目の板がはがれて、あそこから吸い込まれるとか。われわれの時代だったらこっくりさんとか。それを学校の怪談というんです。これ、子どもの不条理に対する説明原理。こういうことが起こる。</p>
<p>　そのときにその金子先生が調査した結果が、私たちは年齢と共に人生論がだんだん出来ていくのですけども、そのときに先祖祭りは、これとくっついてゆくのです。先祖は感謝型です。<br />　昭和四十年ころ経済成長したらお葬式がすごく盛んになったのです。そんなの迷信だからなくなるぞと思ってたらなくならなかったんです。</p>
<p>　それに対してタタリ型が迷信なのです。十八歳ぐらい過ぎて、人生論ができると迷信は消えていくんです。人生論がちゃんとできないと迷信が中心になってしまうんですって。そうすると先祖供養と迷信が合体して、人生論が不十分になると。これが今霊感商法にいったりなんかする青年たちの傾向です。</p>
<p>　こういうことが社会調査で分かったんです。ですから問題は人生論なんです。人生論がちゃんとできれば迷信っていうのは消えていくんです。そして感謝型の先祖祭りは人生論とつながるのです。<br />　こういうことが分かってきまして、このたたり霊問題というのは知性の問題だということなのです。それから知性のためには家庭が安定してなきゃいけないです。</p>
<h4>五、過去を背負って現在を生きる仏教の業論</h4>
<p>　これは仏教でいう因果と業ですけれども、簡単にいうと因果というのは縁起という仏教の言葉を時間的にいうと因果といいますが、まず、①<strong>依報</strong>といいます。存在のよりどころとなる環境。私たちは地球環境、それから日本という文化の環境、家族という環境、そこに生まれてくるでしょう。①の２、正報というのは個体です。私たちは環境の名に支えられて個体として生きているわけです。自然環境も社会環境も家庭環境も含めて。②が<strong>旧業</strong>と書いて「くごう」と読みますが命のことです。つまり行為と心の原点は命なのです。人間だから二本足で歩いている。男に生まれ、女に生まれたから男性ホルモン、女性ホルモンって。ゴキブリはゴキブリというかたちに生まれたからゴキブリで満足しているのです。犬は犬というかたちで満足しているのは、犬という命をいただいたから。それを旧業っていうんです。行為と心の原点は生命です。もちろんホルモンによって、その日その日によって違うじゃないですか。風邪ひいたらお粥に梅干し食べたい。治ったらビフテキ食べたい。だから命が行為を決定付ける。</p>
<div class="imgRight">
<span><img style="WIDTH: 409px; HEIGHT: 262px" alt="154-6.jpg" src="http://www.tibs.jp/lectures/154-6.jpg" width="586" height="354" /></span></div>
<p>　それから③<strong>宿業</strong>というのはコンプレックスです。習慣、コンプレックス。親がしょっちゅう金のことで文句いうと、子どももそうなるでしょう。これを宿業という。子どものときにいじめに遭っている、火事に遭っている、津波に遭っている。育つ盛りでのコンプレックスというのは私たちの心や行動をかなり影響する。それを宿業といいます。</p>
<p>　④、<strong>共業</strong>というのは、個人の責任でなく社会や環境の影響による戦争とか、それからスギ花粉症、これ社会環境の問題です。本人の責任じゃない。文化もそうです、こういう社会共通の業、共業。それに対して、④ー２、不共業というのは本人の責任。父ちゃんが人殺しをしたために、息子がそこに住んでいられないっていうのは共業です。だけど人を殺して刑務所に行くのは父ちゃん一人ですから、これは不共業です。自業自得というんです。</p>
<p>　それから⑤が<strong>異熟業</strong>。原因から結果というのは、物理学的にいうと等しくなければいけないけれども、子どもが父ちゃんに向ってばかなんていうと、お父さんが何いっているんだ、ぼこん、なんてやるでしょう。そうすると原因と結果は違うじゃないですか。異熟業っていうのは心を通すと異なって熟す、それが人間の中にある。</p>
<p>　それから⑥、<strong>三時業</strong>というのは、行為の影響力は時間差で現われるというんです。ａ今やったことは今すぐ現われる、ｂしばらくしては現われる、ｃずっと後に忘れた頃に現われる、とこういうふうにいうんです。お釈迦さんはミルクのようにって。ミルクはかき回していくとすぐに固まる部分と、しばらくして固まる部分と、なかなか固まらない部分、三つに分れていくそうです。だから人間の行為の影響力は三つの時間差、ミルクのようだと。</p>
<p>　そして、⑦、<strong>新業</strong>っていうのはこれら①から⑥までを全部しょって、⑦の新しい行為を朝から晩までやっている。レストランに入って何食べようかしら。夕べ、天ぷら食べたから、きょうは盛りそばにしようかしらなんて命と相談しながらやっているでしょ。それで夫婦けんかだろうと、さまざまなものがみんな過去をしょって。</p>
<p>　その新業が⑦の１。迷いと苦しみの輪廻、再生です、繰り返し。また夫婦げんかしちゃう、こういうのあるでしょう。それを引業って、過去を引っ張って引きずるんです。それから、そこで夫婦げんかはいけないと気付いて、それで心にブレーキをかけて夫婦げんかをしまいと気付くと、これを⑦ー２、別解脱っていうんです。別っていうのは一つひとつ、夫婦げんか一つ、解放されるんです。自分で自覚することによって、それをハラダイモクシャという。そうすると新業は輪廻の方を選ぶ新業か、解脱の方を選ぶ新業か。つまりあなたの自己責任ですよということです。行為はあなたの主体性です。何かに支配されているわけじゃありません。</p>
<p>　<strong>「これを車となして因果を運載す」</strong>という言葉があります。私たちは過去をしょっている。だから肺癌になって、おれ、たばこ吸い過ぎたからしょうがない。だけど、たばこはやめないよ、やっぱりおいしいんだものしょうがねえんだよっていって吸っている人いるでしょう。これ因果しょって、自己責任だってしょって、吸っているんです。</p>
<p>　「これ」というのは仏真実、命の真実で、それを車として、その上にお互いに現実のしがらみ載っけて、そこを丁寧に生きていこうとしているんです。運載すなんです。だから因果ていうのはそういう、私たちが自己責任で生きているということです。ですから何も業とか因果って、たたりと受け取らないで欲しいのです。そうじゃなくて、あくまでも「あなたはどう生きようとしているんですか」という問い掛けです。自己責任を問うているのです。</p>
<h4>六、　六因・四縁・五果（仏教の因果を理解するために）</h4>
<p>　これは、原因というものがあって、それからそれを助ける縁があって結果がどういうふうに分類しているかって、仏教はこういうことちゃんと分類しているのです。その中で特に大事なことは五果の異塾果。さっきもいった異熟業。人間は努力したら結果が異なる、原因と結果は異なる。それが４番の士用果、努力すると、回りの評価が変わったり貧乏人が金持ちになったりするでしょう。</p>
<h4>七、逃げずごまかさず責任を持って生きる</h4>
<div class="imgRight">
<span><img style="WIDTH: 405px; HEIGHT: 285px" alt="154-7.jpg" src="http://www.tibs.jp/lectures/154-7.jpg" width="605" height="464" /></span></div>
<p>　あるものは花であり、あるものは牛であり、あるものは人間であるというのは、それは生まれつきの問題であって本人の責任じゃないでしょう。ところが同じ人間が商人であったり農民であったり、学者であったりするのは本人が選んだ生き方です。だから、命の因果と業というのを、過去のたたりのようにいうのは間違いです。その人なりに頂いている掛け替えのない在り方だと。それなのに、それをたたりで説明しようとするのは、自分の命に劣等感を持って、なぜって思うもんだから、霊界で説明したくなるのです。そういうのは間違っている、あなたがそのように生きているから、農民といい、商人というんです。ということは自己責任ということです。</p>
<p>　深信因果あるいは不昧因果。不昧の昧は暗いという意味で、不昧はごまかさないという意味です。因果をごまかさない。私たちは因果を、責任を背負っていくものですと。自分の肉体という因果を皆さん背負って生きているわけでしょう。</p>
<p>　あるお寺さんへ講習会で行ったら住職が「おかげさまで弟子（息子）が永平寺へまいりまして。」「それはおめでとうございます」といったら、「三カ月ほどたちましたけど実は入院しまして。心臓が悪くて」というんです。「いやわしも実は心臓が悪くて、私の母親も心臓が悪いんです。」つまり弟子が永平寺で心臓病になったのは血筋だっていってるんです。弟子が永平寺で入院してとがっかりしつつ、実は自分のアイデンティティー話している。</p>
<p>　自分の髪の毛だってみんな私たちは不昧因果、頂いたご縁はごまかしようがないんです。それを大切に生きるしかない。それを不昧因果とか深信因果というのです。因果というのはそういう自己責任という問題を含んでいる、仏教の大事な生き方だと思うのです。それをたたりのようにいわないで下さい。</p>
<h4>八、さとりを念じ、仏を念じ安らぎを祈る</h4>
<div class="imgRight">
<span><img style="WIDTH: 406px; HEIGHT: 270px" alt="154-8.jpg" src="http://www.tibs.jp/lectures/154-8.jpg" width="600" height="464" /></span></div>
<p>　<strong>「さきにおのれのおかせる悪業をいまや善業をもっておおう者はあたかも雲間を出でし月のごとくこの世間を照らすであろう。」「長老偈経」</strong></p>
<p>　つまり反省して、私は人を殺しました申し訳ありませんでしたと自白する、自首する、謝罪する。それがまた社会を照らすというんです。私は間違っていましたと表明し、社会のために反省して、そうするとそのこと自体が社会を照らす。犯罪は社会を汚すけど、同時に犯罪者が社会を照らすことができる。これは、お釈迦さんの言葉。すごいでしょう。</p>
<p>　私たちは因果というのは、罪とか、さまざまな問題があったとき、それをどう自己責任で良きものに、人生良かったといえるように変えていくのかという意味なのです。</p>
<p>　<strong>「多くの聖なる河で愚かなる人々は常に浴すれども、その悪業は浄めらるることなし。内に悪しき思いをいだける者、また罪あやまちをおかせし者の悪業の深きを、河は浄めじ。」「心きよき者には常に、春祭り（喜び）あり。思いきよき者には常に布薩（ごめんなさい）あり。心きよく、行いきよき者にこそ加行おのずから成就せらるるなり。」 </strong>「水浄梵志経」</p>
<p>　キリスト教もヨルダン川で洗礼をします。モルモン教は有栖川公園の下、あそこにアジア本部がありますけど、プールがあって洗礼するんです。先祖の霊を浄めるためだっていわれて。それから神主さんは朝必ず水をかぶるか、入らなかったらお祓いはできないんです。お釈迦さんは人間の心の中の悪を浄めることはできないっていっている。水で浄めて、それで済むんだったら。仏教は心の問題なのです。</p>
<p>　たたり霊なんかを水で浄められて、それで心が清まるんだったらそんな楽なことはない。仏教というのは心の宗教です。</p>
<h4>あの世ってどんなもの</h4>
<p>　まず<strong>「生有」</strong>というのは授精から、おぎゃーと出産、自発呼吸するまでを生有というのです。有というのは存在。それから<strong>本有</strong>というのは、こうやって個体が自立している状態。赤ちゃんとして産まれてから死ぬまでです、皆さん今、本有です。それは<strong><ruby><rb>依<rp>（<rt>え<rp>）</rp></rt></ruby>報</strong>、<strong><ruby><rb>旧<rp>（<rt>く<rp>）</rp></rt></ruby>業</strong>、<strong>宿業</strong>、<strong>三時業</strong>、<strong>異熟業</strong>を背負っているわけでしょう。そしてそれが<strong>死有</strong>になる。大体、心臓が衰えてきて心臓が止まるまでが死という存在、死有といいます。このときに私たちは<strong>中有</strong>を見ると仏教ではいうんです。道元禅師もこれを重視しているんです。あの世というか、いろんなかたちでそれは見るでしょうね。あの世を見るというわけです。そこのところに面白いのは、これは大智度論を引用しているんですけど正法眼蔵は。中有というところの説明がａは悟りにあこがれていると<strong>解脱</strong>の中なんです、喜びの中です。</p>
<p>　だから田中好子さん（スーちゃん）の最後のメッセージ。「震災の人たちのことを思うと肝がつぶれる。あの人たちのために働きたい、けれど私も頑張っているけれど頑張りきれないかも知れない。だからあの世で復活してあの人たちのために働きたい。」あの方にとってこの世とあの世ははっきりと連続した一つ。私は人のために働きたいという、すごいでしょ。すると、あの世というのは本人が見るものなのです。お釈迦さまの教えの中でも、あの人は解脱したとか天に行ったというのですけれども。本当に悟りを信じ、善きものを信じていた人は、ああ、あの人はいいところに行ったってお釈迦さんはいうのです。</p>
<p>　ですからやっぱりあの世というのは、実はそういうふうに見たらかなり単純なのです。問題なのは、ｂのところ。<strong>喜びの中有</strong>へというのと、それからｃのところ、<strong>恐怖</strong>の人は地獄のという中有へ行くと。問題はｄとｅとなのですが、例えば過去の三時業、過去の罪、そういうものを背負っている人が死に直面したときに、<strong>地獄の中有</strong>が現われたりする、恐怖心が現われたりする。そのときに反省して私はやっぱりいけないことして、あんなことしたからと反省したら、その反省が善ですから、たちまち地獄の中有が消えて、<strong>喜びの中有</strong>が現われたということを、大智度論から引用して道元禅師が正法眼蔵で取り上げているのです。そうすると私たちの主体性によって死ぬときの心のイメージ、あの世のイメージっていうのはどんどん変わるということなんです。だから良かったといえるようにしようよ、あこがれましょうよ。</p>
<p>　それからｅのところ、やっぱりこの人は悪人だったんだけど、さっきの三時業、三つの時間差の関係でいいことをしてたもんだから天の中有が現われた。おれはこんな悪人なのに、なんでこんないいあの世が見えるんだろうって。お釈迦さんがいったのは、あれはうそだったんだなといって不信感を持ったために、たちまち天の中有が消えて<strong>地獄</strong>になってこの人は地獄へ行ったと。少なくとも精神世界にあるでしょ。地獄や天とか。</p>
<p>　そうすると、私たちがどういうものを祈り、どういうように生きようとしているかによって、あの世というのは明らかです。ニーチェだったかヤスパースだかがいっているんですけど、人間のあの世っていうのは必ず善悪と結び付く。そして、それは実存主義なんです結局、私がどう思うかによって。それによってまた私の喜びは変わるんです。だから因果とか業とかやってくると、最終的に死ぬときに良かったといえるものにしましょうよと、こういうことなのです。</p>
<p>　十五歳の少年僧が祇園精舎で亡くなりそうになって、お釈迦さんに会いたいというからお釈迦さんが行くのです、アーナンダを連れて。そうすると吐瀉物がいっぱいあって汚いんです。「君は、看護人はいないのか」。「私は遠くの村から一人で来て、お釈迦さんの弟子になったから看護人はいません」とこういうんです。それでアーナンダに水をくんでこさせて、お釈迦さんが自分でお掃除するんです。そして、その少年の体を洗うんです。それでその少年に質問するんです。「私に会いたいっていうけど何を聞きたいんだ」っていうと、「私は弟子になったばっかりでまだお釈迦さんの教えがよく分からない。特にあの世が分からない」といった。つまりもう自分の死を覚悟しているのですね。</p>
<p>　「あの世が分からない」っていったら、お釈迦さんがそこで話をして聞かせるのが、般若心経の心の問題、五蘊縁起とか十二縁起とかって、心というのはどういうふうにできているかっていう話をするんです。そうすると、その少年がものすごく感動するんです、十五歳の少年僧が。そうするとお釈迦さんが何といったかというと<strong>、「君のあの世は良いとこだ。」</strong>あの世の話、何にもしてないんです。その少年が、自分が出家して坊さんになって、人生って、人間って、生きるとはどういうもんだっていうことを聞いて。ああそうか人間ってこうなんだって、それで喜んだわけです。だから君のあの世は良いとこだと。あなたはその心であの世に行きますよと。</p>
<p>　ですから因果とか業というのを人間の心と別個に、そういう霊界のようなものがあるとか、そういうふうに外見だけで対象化してものを見ないで。人間が心でどういう世界を求めているのか、どういう世界を見ようとしているのかということなんです。そこが因果や業という仏教を理解するときに大事にしていただきたい、というわけでございます。（終）</p>]]>
        
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    <title>日本仏教史　第24期スクーリング講義録（ダイジェスト版）</title>
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    <published>2011-10-20T04:48:52Z</published>
    <updated>2011-11-01T01:12:03Z</updated>

    <summary>日本の仏教史上における時代区分 　歴史学、特に古典史を専門にしておられる吉田一彦...</summary>
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        <name>管理者</name>
        
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        <category term="蓑輪顕量先生" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.tibs.jp/lectures/">
        <![CDATA[<h4>日本の仏教史上における時代区分</h4>
<p>　歴史学、特に古典史を専門にしておられる吉田一彦先生が、日本の仏教を三つぐらいの時代区分に区切るとうまく理解できるのではないかと提唱され、私もそれでいいんではないかと思っております。</p>
<p><strong>（一） 伝来仏教　六～八世紀</strong></p>
<p>　『元興寺伽藍縁起』という資料などに基づきますと、日本への仏教伝来は五三八年。朝鮮半島の情勢等から考えていくと、百済の聖明王が日本に使いを遣わすのが、五五〇年前後ぐらいが一番ふさわしい。『日本書紀』に出てくる五五二年説が伝来の時期としてはいいのではないか思われます。</p>
<p>　その後、日本に本格的な仏教が入ってくるのは、約百年ぐらいたって、六六〇～七〇年ぐらいです。道昭というお坊さんが、中国に渡り、玄奘の下で勉強して帰ります。そして日本に初めて、当時存在していた経典のほぼ全部と、実際の修行の体系を伝えました。</p>
<p>　仏教が伝わって行くというのは、経典が伝わったことをもってするのか、お坊さんたちがそこの地域に行き僧伽が成立したことをもって伝わったとするのかで二つの意見に分かれます。</p>
<p>　東南アジア等に伝わっている仏教の伝統の中ですと、仏教を実践しているお坊さんたちの集団、僧伽が自分たちで拡大再生産ができる最低限の人数、五人以上の僧伽がその地域に成立し、そこに根付いたことをもって仏教が伝わったとしているようです。道昭という方によってそれが日本の仏教界において可能になったと伝わっています。</p>
<p><strong>（二）古典仏教　九～十五世紀</strong></p>
<p>　その後、奈良朝期までは、中国から朝鮮半島経由で伝えられてきた仏教が、日本の社会の中に定着して行く時期、その後から戦国期までは独自の形態をもって大きく展開していく時期だと整理ができるのであります。</p>
<p>　奈良を中心として南都六宗が存在しました。律宗とか倶舎宗、三論、華厳、法相、成実宗という六つがありますけれども、それぞれの経典を勉強する学派というのが成立し、特に大きな勢力になったのは法相系と三論系でした。</p>
<p>　奈良朝期、最初のときに日本全国の国衙のあったところに国分寺と国分尼寺ができ、それ以外にも有力な貴族の人たちが自分たちの先祖の菩提を弔うことを目的に、氏寺というのを造ったりもします。奈良の地に於いて法相または三論の勉強をして、かつ修行もするお坊さんたちが出来上がります。平安時代の初期に、最澄が天台宗を開き、空海は真言宗を開きますが、南都系のお坊さんたちと天台・真言系のお坊さんたちとが日本全国に存在するようになっていったと考えられます。</p>
<p>　お坊さんになるにはどうするかというと、鑑真さん以降ですけれども天下の三戒壇という、戒を受けるための場所が国立で造られました。東大寺の戒壇院と下野の薬師寺と筑紫の観世音寺です。その後、比叡山の延暦寺にも戒壇ができます。この四つが国の建立した戒壇となりまして、お坊さんたちの再生産を可能にしてきました。そういう戒壇で受戒をした人たちは朝廷から正式なお坊さんとして認められて、経済的保障があるというようになっていくわけです。</p>
<div class="imgRight">
<span><img style="WIDTH: 323px; HEIGHT: 226px" alt="153-13.jpg" src="http://www.tibs.jp/lectures/153-13.jpg" width="916" height="660" /></span></div>
<p>　日本全国津々浦々まで南都六宗と天台や真言を学ぶお坊さんたちによって占められた時代というのが、九世紀ぐらいから始まって十五世紀、室町末のころまで続いたわけであります。この時代の仏教を古典仏教というふうに呼んでいいのではないかと思います。その古典仏教の中でどういう営みがなされていたのでしょうか。実は法会という名前で呼ばれる営みが盛んに行われていました。</p>
<p>　古典期仏教の特徴は、顕密体制という言葉で呼ばれますが、多くのお坊さんたちが顕教と密教の両方を学んで修行をしていました。お坊さんたちは悟りを目指して行の世界に励みました。教というのは仏教を理解することはできるけれども、悟りにはつながっていないと考えていたようです。</p>
<p>　行の中身というのは何かといいますと、念仏と印を結び真言を唱えることでした。行をすることが悟りにつながっていくと考えていたようであります。古典期時代の大きな特徴として、教えという字で書く教と、もう一つは行、修行の行ですけど、その二つの視点でものを考えることが、古典期の仏教の中に見て取ることができます。</p>
<p>　<strong>教</strong>と<strong>行</strong>、あるいは学問の学という字を取って<strong>学</strong>と<strong>行</strong>、そういう二つの視点から仏教を見るのが古典仏教の内実だと思います。どちらにウエイトが置かれていたのかですが、その時代の仏教では教理の方にウエイトが置かれていました。</p>
<div class="imgRight">
<span><img style="WIDTH: 329px; HEIGHT: 218px" alt="153-14.jpg" src="http://www.tibs.jp/lectures/153-14.jpg" width="604" height="392" /></span></div>
<p>　仏教は朝廷にとって非常に重要な存在であり、国の安泰と五穀の豊穣を祈るのが重要な役目でした。そういう役割がお坊さんたちに期待されていました。僧伽を朝廷がしっかりとサポートするというのと、その僧伽をきちんとしたものとして保っていく、浄化をするというような感じで考えてみてもいいのですが、その支持と浄化という二つの局面を朝廷側は役割として持っていたのだと思うのです。</p>
<p>　朝廷は、お坊さんたちの世界に官職の職名を与えました。律師、それから僧都、僧正という官職名を付与して、それに任命される人は、<strong>僧正</strong>は一人、<strong>僧都</strong>は二人、<strong>律師</strong>は四人。ですから日本で七名しか選ばれない官職が存在していまして、その官職に選ばれた人たちは僧綱という名前で呼ばれました。</p>
<p>　朝廷の方は玄蕃寮というお役所がこの僧綱の所轄官庁になります。今でいうと文化庁宗務課になります。僧綱といっているのが今でいうと各宗派の宗務院のトップみたいなもんですね。こういうシステムを作って日本の仏教界を玄蕃寮の方たちが支配しながら仏教界のサポート役になり、ときには悪いことをしたお坊さんがいたら、処分するというようなシステムが出来上がって行くのであります。</p>
<p>　そのような僧侶の育成のために法会の講師を経験しているのかどうかが問われました。法会では論義が行われましたが、仏教教義をしっかりと理解してないと論義できない。ですから法会の場において論義をさせて、問答をしっかりと理解をしている人たちを法会の講師に任命する。そして、重要な法会の講師を勤めた人を僧綱の律師に年功順に任命していくという制度を作るのであります。</p>
<p>　平安時代の初期においてはどういう法会が大事な法会であったかといいますと、十月に興福寺の<strong>維摩会</strong>というのがあり、そこにおいて講師を勤めた人が、次の年のお正月の宮中の<strong>御斎会</strong>の講師を務めました。御斎会の講師を勤めた人が今度は二月に行われる薬師寺の<strong>最勝会</strong>の講師を務めました。三つの講師を勤めた巳講の人の中から年功序列で任命するんです。ここで律師になると、お坊さんたちの世界で権限を持っている僧綱の一員となりました。</p>
<p>　平安時代の初期から中世初頭まで、お坊さんたちの中で特に勉強が大好きだという方が、出世できるようになります。この法会のときの論義のための勉強というものをするようになっていくんです。仏教を学ぶということは実は学問であるというような、イメージが出来上がっていったのが、この古典期の一つの特徴ではないかと思います。</p>
<p>　奈良の法会だけではなくて、京都の方にも重要な法会が出来上がっていきます。その上に、講という名前で呼ばれる、三つの講、三講が出来上がります。法勝寺で行われる御八講、宮中で行われる最勝講、それから退位した天皇、院の仙洞において行われる最勝講です。そういうところで論義をして優秀な成績を修めた人たちが、同じように律師や僧都、僧正とか、法印、法橋、法務に昇進していく制度なんです。</p>
<p>　また十一世紀のころはお坊さんの世界の中にも身分差ができていた時代なんです。生まれによって、私たちふつうの人たちを凡人。貴族、いいところの出の人たちは良家。それから天皇家や摂関家の出身の方たちが貴種と呼ばれました。平安の末の院政期のころから、お坊さんの世界の中に歴然とした生まれによる区別があったというのも分かってきました。</p>
<p>　それからお坊さんたちの中にも職分による区分みたいなものが明確に出てきます。学侶とそれ以外です。学侶というのは勉強をもっぱらにしていくお坊さんです。修行も少しやっているようなんですけれども、基本的に勉強を中心としていくお坊さんです。それ以外の人たちは堂衆とか、禅侶という名前で呼ばれたりします。</p>
<p>　大学院に進学するような子たちが、古代の仏教界の中では学侶、寺院の中の中心になります。しかも仏教の中心は勉強だという意識を多くの人たちが持っていたんだと思います。その背景を作ったのが桓武天皇じゃないかなと思います。</p>
<p>　その古典期の仏教が一番栄えていた時代が、中世の時代です。ところが、どうも何かおかしいんじゃないのかなって思うお坊さんたちが登場してくるのであります。どんなに勉強ができてしっかりしている方が登場しても、生まれが良くないと出世できないということが、院政期ぐらいから実際に出てきます。身分差があるというのと、それからお寺さんの中でも<strong>学侶</strong>と、<strong>堂衆</strong>という、二つの階層に分かれてしまいました。また、こういう状況の中で、時代的にもちょうど、末法の危機感が生じてきます。</p>
<p>　そういう中で本当に学問のための勉強をやっていて良いのだろうか、身分差がある、そういう寺院の世界は問題があるのではないかと考え、改革運動を起こしていく人たちが、これが十二世紀の後半ぐらいから日本の仏教界のいろんなところに起きてきます。その人たちは、お寺の中で遁世という言い方をされた人たちから輩出されました。</p>
<p><strong>（三）新仏教（遁世門）　十六～二十一世紀</strong></p>
<p>　さまざまな新しい遁世門のお坊さんたちが、新しい仏教運動みたいなのを起こしていきます。法然も大変な学僧さんですけども、出世の方よりは、その時代の大きな末法に対する危機感を非常に強く持って、独自の世界観を打ち立てていきました。奈良の地においては貞慶、西大寺を拠点にして活動した叡尊、そういう方たちが遁世門として登場してきます。叡山の方では、<strong>栄西</strong>、<strong>道元</strong>がそちらの方に入りますし、<strong>日蓮</strong>もそのつながりの上に登場します。</p>
<p>　鎌倉時代の十三世紀に、ほぼ遁世門の祖師になる人たちは登場いたしますが、その人たちの勢力が社会的に大きなものになっていくには、少し時間がかかりました。室町が終わって戦国時代ぐらいには、中世の時代に登場した遁世門のお坊さんたちを中心としたグループが、社会的にも大きな勢力になっております。そしてその勢力と、伝統的な勢力というのが同居しながら継承され、現代を迎えると考えていいのだと思います。</p>
<p>　古典期の仏教の中で現代も命脈を保っているものに、華厳宗、三論宗、法相宗もありますが、大きいのは<strong>天台宗</strong>と<strong>真言宗</strong>です。天台宗は日本全国では二千カ寺ぐらいあります。真言宗はいろんな派に分かれていますが、合わせると一万位でしょうか。中世の時代に登場した遁世門系の仏教で一番大きいのが禅宗で、<strong>曹洞宗</strong>と<strong>臨済宗</strong>です。二つ合わせますと二万近くなります。<strong>浄土宗</strong>それから<strong>浄土真宗</strong>も東西両方合わせると全部で二万くらいの数になります。<strong>日蓮宗</strong>が今五千ちょっとですか。社会の中に存在している寺院の勢力関係が逆転していくのが、十五～六世紀頃からと考えられます。現在では遁世門系の宗派の方が勢力としては大きいと思います。</p>
<p>　なぜ遁世門のお坊さんたちが登場してきたのでしょうか。これは恐らく法会のための論義ではなく、自己、私にとっての仏教とは何かを追求していたようです。その人たちは、学の方の世界を踏まえながら行の世界の復興を考えたような形跡があります。</p>
<p>　鎌倉時代に起きた仏教の中で、何が大きな背景として存在しているかと言いますと末法意識があったことでしょう。お釈迦さまの時代からしばらくの間は正法の時代といって教、行、証（悟り）が、三つとも残っていた時代です。ところが、千年たつと証（悟り）がなくなります。そして末法の時代になると行の方もなくなるといわれるのです。</p>
<p>　それを一番認識したところが浄土系と日蓮系だと思います。浄土真宗では、一番大事なものは本願を信じることではないかとなり、日蓮宗教の場合には法華経を信じられるかとなります。</p>
<p>　遁世門の人たちは新仏教運動を起こしていくわけですけれども、浄土宗以外のところでも、行がなくなってしまったというわけではなくて、戒・定・慧という三つの視点から仏教を考えようというのが正面に出てくるような気がいたします。</p>
<p>　戒・定・慧、伝統的に三学という言葉で表現されますが、戒めを守り、自らの心を見つめ、そうして自然と知恵が生じてくる。その三学の視点から仏教を復興していこうというのが、中世の時代の仏教者たちの特徴ではないかと思います。</p>
<p>　そういう視点を持ちながら動き始めて、奈良の解脱房貞慶や叡尊は戒のところを強調します。叡尊は、律宗の復興をしたと評価されたりしますが、実際には真言宗のお坊さんとしての側面が結構強いんです。また実際に修行として面白いものを作り上げていました。ですから行の視点もちゃんと持っていたと考えられます。</p>
<p>　禅宗の方たち、栄西も道元も戒をすごく大事にします。そういうことによって悟りの世界が開けていくのだという立場を大事にしました。浄土宗は信が強く外に出ます。日蓮も信を大事にしたんです。</p>
<p>　それらの宗派は、その行の部分、いろんな形態を取りますが、現代に伝えていると思います。それを示すために行の基本を、次にお話ししたいと思います。</p>
<h4>行の基本　</h4>
<p>　行の基本は<strong>止</strong>と<strong>観</strong>です。インドでは観察の対象をどう分類するかで四念処に分けられました。中国に入り、天台大師チゲは観察の対象を歴縁と対境に分けました。一番大事なのは、心の働きを一つの対象に結び付け、それに気付き続けていくことです。</p>
<p>　行の基本を表現する経典が、パーリ語で書かれた原始仏教の経典の中にあり、具体的な形のものが伝わっております。仏教というのは何のためにあるか。 <strong>「比丘たちよ、ここに一本の道がある。有情たちを浄化し、もろもろの憂い悲しみを乗り越え、もろもろの苦しみ、悩みを終わらせ、正しい道を証得し、涅槃を作証するためのものである。」</strong></p>
<p>　<strong>「それは四つの思念を起こすこと」</strong> 四念処という名前で呼ばれています。<strong> 「四つは何か。比丘は世間の貪欲による心の悩みを調伏して、身体について身体を観察し、熱心に正しく知り、思念を持って住する。...」</strong> 体を観察の対象にして、それをあるがままに知っていく、例えば歩いているときには歩いていると知る。立っているときには立っていると知る。座っているときには座っていると知る。これが<strong>「正しく知る」</strong>という内容です。</p>
<p>　ですから自分の身体を観察の対象にする、これを身念処といいますが、朝起きてから眠るまでずっと気付き続けていく対象にすることができます。今、皆さん、座ってますね。<strong> 「座っている」</strong> と気付くことができるはずです。</p>
<p>　朝起きてから眠るまで、歩いている、あるいは立っている。立っているときに心の中で、 <strong>「立っている」</strong> とつかまえるだけです。歩くときにも、<strong> 「歩いている」</strong> なんですけど、すぐ心というのは慣れてきまして、今していることを気付き続けることができなくなります。すぐ他のところに心が飛んでいってしまいます。終わったらどっか行こうとか、いろんな考えがすぐぽっと浮かんできます。そういうときには自分は <strong>「考えている」</strong> と気付いて、元のところに戻ってくればいい。</p>
<p>　それも慣れてくるとやっぱり余計な考えが生じてくることがありますから、もう少し観察の対象を細切れにしていきます。</p>
<p>　右足、左足。足を上げる、それから、下ろす、そういうふうに二つぐらいに区切る。慣れてきましたら、今度は三つに区切る。上げる、出す、それから、下ろす。というように心の中で最小の動きですけれども、動きを気付く対象にして、一つ一つ気づいていくことをやります。</p>
<p>　座っているときに気付くのに一番いいのは呼吸なんです。心を集中させて、 <strong>「入る」</strong> 、<strong> 「出る」</strong> っていうふうに気付いていけばいいんです。繰り返していきますと、実は生滅を、生じたり滅したりしているものを観察の対象にして気付いていくことをやっていますと、実はあらゆるものが生じては滅していくものなのだなと気が付いていきます。非常に大事な気付きになります。知恵の世界になっていくわけです。</p>
<p>　それからもう一つは、入る、出るっていうふうに気付いているときに、実は入るって気付くには、風の動きのようなものがあったとき、心が、入るってラベルをはるように気付いているんだなってことにも気が付いていきます。つまり気付かれる対象が生じているときに、気付くという心の働きが生じているんだなということも突然分かるようになることがあるんです。一つの動きだと思われていたものが、二つのものに分けられます。捕まえられるものと、捕まえているものに分けられる。捕まえられるものが生じたときに捕まえている心があります。それが滅すると、捕まえている心も滅する。</p>
<p>　仏教の中で一番大切な教説とされている縁起の基本的なパターンが、この瞑想の呼吸の観察から。生滅を繰り返しているものを気付き続けるところから出ています。</p>
<p>　それから、<strong>四念処</strong>と言いますが、観察の対象として感覚、暑いとか寒い、あるいは音を聞くとかっていうのも大事なものになってきます。身体の感覚も、例えば触れているというのも大事な感覚です。触れるとか痛いとか、かゆいとか、こういうのも気付く対象になります。例えば触れているときには、 <strong>「触れている。」 </strong>痛いときには、 <strong>「痛い」</strong> というように気付くんです。すごく大事なことでありまして、実は私たちの心というのは、外からの刺激を受け止めるというのがあるんですけど、受け止めて、普通の状態ですと、それが切っ掛けになって次から次へと心の働きが生じて、先に行ってしまいます。</p>
<p>　あるときバングラディッシュのお坊さんと調査旅行をしたのですけれども、空港で他のお客さんが急いでいて、カートがお坊さんの足にぶつかりました。お坊さん、足の親指のつめをはがしてしまいまして、大きなけがをしてしまったんです。</p>
<p>　そのときお坊さん、どうしたと思いますか？じっと耐えた。「痛み」、「痛み」、と心の中で気付き続けたのです。怒りとかそういう感じではなくて、とにかく足をけがしましたので、空港の医務室まで一緒に来てくれますか、という穏やかな感じで応対をします。偉いなと思ったんですけど、そういうふうに実際の私たちが何かの刺激を受けて、私たちの体が感じるものがあったら、それを捕まえるのが、実は瞑想の一番大事なところなんです。そして、その訓練をしていると心が走らなくなってきます。</p>
<p>　外からの刺激を受けて、ある認識が生じて、その次に、第二の矢という言い方をよくするのですけども、その第二の矢が生じます。それは憂いであったり、悲しみであったり、怒りであったりするわけですけども、そこまで行かないように私の心が少しずつ変わっていくんです。その変わっていくための大事な修行、練習法がこの止観の観の方です。実際に私たちが気が付いて、受け止めているものを一つ一つ気付いていくことによって可能になっていきます。</p>
<p>　例えば音も、聞いているとき、<strong> 「聞いている」 </strong>と気付くことができるはずです。ところが実際に私たちは、音を聞いたらすぐ瞬間にもう意味まで来てるんです。その後の反応は、例えば罵声であったり、自分を非難する言葉であったりすれば、嫌な気持ちが生じたりします。</p>
<p>　音を聞くというときに、聞いているで気づくことも実は可能なんです。例えば皆さんがまったく知らない言語を聞いたとき。例えば「エーナンバヤチバハナンガチャパーンシナガッシヤーンビハーン」（サンスクリット語）と聞いても、意味は伝わりませんね。変な音だけが聞こえたと思うんですね。まったく知らない言語は、音として聞くことができるんです。意味は付随してないんです。</p>
<p>　ところが日常では、ものを見たら、すぐそのものが何かっていうところまで行っちゃうんです。そこのところで止まるように、観の練習をして、例えば見ているとか、聞いているとか、触れていると気付くような練習をしていくと、それがその先まで行かないように少しずつ変わっていきます。これが実はとっても大事な部分だと思います。</p>
<p>　お釈迦さまの行の基本、思念を起こす経典の中では、四つのものを気付きの対象にしています。これが<strong>四念処</strong>です。<strong> 「身」</strong> それから <strong>「受」</strong> 。心に生じたもの <strong>「心」</strong> 。それからもう一つが<strong> 「法」</strong> です。これも誰の心にでも生じてくる感情です。これらを気付きの対象にして、生じるものをすべて気付き続けていくというのが、観の内容になります。</p>
<p>　日本にそういう止や観の体系は間違いなく入っています。例えば浄土系ではお念仏を取り上げます。一つは中国の善導の念仏が、五台山を介して日本の天台宗に入ります。日本の天台宗に入った念仏は、例えば<strong>五会念仏</strong>とか<strong>引声念仏</strong>という言い方をするんですけれども、比叡山の中に伝統的に伝わっていきます。中世の時代にも念仏の伝統が伝わっていまして、<strong>常行三昧</strong>という言い方で呼ばれることが多いんですけど、比叡山で学んだ鎌倉時代の遁世門の新しい宗を興していくお坊さんたちは、その常行三昧の影響を受けてると思うんです。</p>
<p>　お念仏を唱えるとき伝統的にはゆっくり唱えます。南無阿弥陀仏、普通にはナンマンダブ、ナンマンダブっていうふうに言ってしまうところがありますけども、ナームーアーミーダーっていうような感じで、ゆっくり唱える伝統が残っています。念仏をゆっくり唱えるというのが、心の働きを静めていく方に入ります。お念仏でもゆっくりと唱えているとそうなります。例えば、良忍さんが始めました<strong>融通念仏</strong>。ナームアーミーダー、ナームアーミーダー。ゆっくりなんです。ゆっくり唱えるというのは、実は瞑想修行の中の一つとして入っているんです。</p>
<div class="imgLeft">
<span><img style="WIDTH: 172px; HEIGHT: 206px" alt="153-15.jpg" src="http://www.tibs.jp/lectures/153-15.jpg" width="361" height="443" /></span></div>
<p>　奈良の地に中世の時代に出来上がった有名なものに<strong>釈迦念仏</strong>というのがあるんですけど、ものすごくゆっくりです。ナアー、ムウー、アーというような感じです。ゆっくりと唱える伝統が残ってるんです。日蓮宗のお題目もゆっくり唱えなさいというように伝わってきているんです。ゆっくり唱えることによって心を静める方に働きます。</p>
<p>　伝統的な宗派から分かれて、遁世門になり、新たな運動を展開し、そして末法の世の中だというので教の方が強調されてくる中で、伝わっているお題目やお念仏の唱え方を見てみますと、伝統的な行の視点がきちんと入っています。日本の仏教というのは行の視点から見ていけば、インド仏教からの伝統の止と観というのをきちんと伝えているのではないでしょうか。ですから皆さんがどの宗派を習うというのは、それぞれ行の部分では少し違いますが、どれが一番納得がいくかでいいと思うんですけど、お念仏を唱える、お題目を唱える、それ以外の念仏を唱えてもいいですし、あるいは心を見つめるだけの止の勉強に行ってもいいですけども、実はやっていること、目的としていることはほとんど同じです。その辺りを認識していただけたらいいんじゃないかなと思います。</p>
<p>　日本仏教を眺める視座は、実は学問だけではない。この行の世界というのがとても大事なものとして存在しています。歴史的な経緯があって今のような形になりましたけれども、大事なものはいろんなところにきちんと残っています。</p>
<p>　ところで、念仏を唱えたりするのも早くするバージョンがあります。日蓮宗の中にもお題目を早くするバージョンがあるんです。唱題行として伝わっているんですが、南無妙法蓮華経の途中でナムミョウホウレンゲキョ、ナムミョウホウレンゲキョってすごく早くなる。こうなると実は心が静かじゃなくてハイテンションになります。ハイテンションになって、またゆっくりしてくると、また心が落ち着きます。伝統的な流れは心を静かにしていく方なんですけども、ものによっては心を一回ハイテンションにして、それから静かな方にするという。新しい工夫が生じているというのも現実であります。　（終）</p>]]>
        
    </content>
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    <title>宗教概論　第24期スクーリング講義録（ダイジェスト版）</title>
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    <id>tag:www.tibs.jp,2011:/lectures//3.237</id>

    <published>2011-10-20T04:10:09Z</published>
    <updated>2011-11-01T01:14:44Z</updated>

    <summary>宗教とは何か （一）宗教の定義 　古今東西さまざまな宗教者、宗教学者、哲学者、文...</summary>
    <author>
        <name>管理者</name>
        
    </author>
    
        <category term="渡辺浩希先生" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.tibs.jp/lectures/">
        <![CDATA[<h4>宗教とは何か</h4>
<p><strong>（一）宗教の定義</strong></p>
<p>　古今東西さまざまな宗教者、宗教学者、哲学者、文学者などが、宗教の定義を試みております。よく引用される岸本英夫先生の定義は、 <strong>「宗教とは、人間生活の究極的な意味を明らかにし、人間の問題の究極的な解決にかかわると人々によって信じられている営みを中心とした文化現象である」</strong> 「信じられている」というところが宗教としてはミソかなと思います。「究極的な意味を明らかにし、究極的な解決にかかわる」と言い切ってはいないわけです。 <strong>「ただし、宗教には、その営みとの関連において、神観念や神聖性を伴う場合が多い」</strong> というものです。</p>
<p>　例えば、原始仏教は、超越的な存在を必ずしも語りません。臨済宗の祖である臨済義玄は「仏に逢うては仏を殺す」とまで言っており、そういう敢えて絶対的な存在を積極的に否定するような宗教も「宗教」として認めてもよい、そういう含みを持たせた上で、「伴う場合が多い」としてあるのだと思います。</p>
<p>　ちなみに仏教は、一神教、多神教という宗教の一つの類型論に関しては、これをトータルに考えたとき、いずれにも分類されない、一神教、多神教という二分法では、どちらにも分類されにくいというふうに私自身は考えています。原始仏教は超越的な存在を必ずしも語りません。仏陀の死後には、仏陀自身の神格化ということが起こってきます。さらには、ヒンドゥー教の神々が、随分仏教の中に守護神として入ってきたりもする。さらには、いろいろな仏、いろいろな菩薩が語られるようになる。ところが、例えば日本の親鸞に至っては弥陀一仏というふうに、西洋の宗教改革を始めたルターの神と親鸞の阿弥陀仏は似ているといったような比較研究もあり、一神教的な色彩まで出てくるようになります。時代や地域によって、仏教というのは非常に多様なありようを示しています。</p>
<p>　岸本先生の定義に戻って、この中で核心となるのは、人間の問題を究極的に解決してくれる、それを求めていく営みの中に宗教はあるということだと思います。それでは一体哲学とどこがどう違うのかというような疑問も、当然出てくるかと思います。先ほど「信じられている」という言葉を強調させていただきましたけれども、結論的にいうと線は引けない。難しい。あるヨーロッパの仏教学者などは、「仏教は宗教ではなくて哲学である」とまで言い切っていたりもします。</p>
<p>　この一線を引くという問題は、それほどこの時点で拘泥する必要はなく、棚上げして、だいたい岸本先生の定義を一応踏まえた上で、皆さん自身がイメージするところをもって、先へ進んでいっていただいて結構かなと思います。</p>
<p>　一線を引いてしまわない方が、平和といいますか、幸福であるという考え方もできるかもしれないと思っています。例えば、日本の戦前戦中、公的に認められた宗教があって、それ以外は類似宗教というふうに呼ばれ、監視され、場合によっては弾圧を受けるというようなことがありました。また、数年前のレポートで、現状が今もこのままなのか定かではないのですが、インドネシアでは、「国家は唯一至高神の信仰に基礎を置く」と憲法で規定しており、国民に無信仰を容認していない、無神論者でいることは許されていないわけです。さらに、イスラーム、カトリック、プロテスタント、ヒンドゥー教、仏教、儒教の六つの宗教を公認し、そのいずれかを国民に選択することをある意味義務づけています。戦前戦中の日本を含めて、特に国がこの一線を引いたりすると、ろくなことにならないと思ったりもします。</p>
<p><strong>（二）世界の宗教人口と世界三大宗教</strong></p>
<div class="imgRight">
<span><img style="WIDTH: 311px; HEIGHT: 547px" alt="153-3.jpg" src="http://www.tibs.jp/lectures/153-3.jpg" width="601" height="1017" /></span></div>
<p>　世界の三大宗教は、<strong>キリスト教、イスラーム、仏教</strong>の三つです。一覧表を御覧いただいておわかりのように、それは信者数の多寡で決まっているわけではありません。キリスト教、イスラーム、仏教というのは、世界宗教、普遍宗教であって、一民族を超えて世界に広まり、世界史の中で、人類の長い歴史の中で演じてきた役割というのが非常に大きい、影響力が強い、それが今日までも続いているという観点から、世界の三大宗教といったときには、この三つを挙げることが普通になっています。基準が何かというのは非常に大事な問題です。</p>
<p><strong>（三）宗教の類型</strong></p>
<p><strong>①世界（普遍）宗教／民族宗教／民俗宗教　世界宗教</strong>というのは、普遍宗教ともいいまして、キリスト教、イスラーム、仏教などを指します。例えば十三位に入っているバハイ教なども、まだ世界全体の信者数は少ないですけれども、候補になり得るかなとも思われます。</p>
<p>　<strong>民族宗教</strong>は、基本的には一民族に限定された宗教で、世界宗教、普遍宗教以外の宗教。広い意味においては、古代エジプト、オリエントなどの古代宗教、アフリカ、オセアニア、アメリカ先住民の未開宗教を含むというふうに、辞書的には説明されます。例えば、ヒンドゥー教とかユダヤ教などが、民族宗教の典型例ということになります。</p>
<p>　世界宗教が民族宗教から区別されるのは、単に信者が多いからではありません。すべての人間を救うことを目的として、実際に一民族を超えて、世界的に広がっている、現世よりも来世における幸福を求めるなどの特徴のためであります。</p>
<p>　<strong>民俗宗教</strong>は、神学者や聖職者、祭司であるとか僧侶等々のいわゆるエリート、達人の宗教に対する民衆の宗教の意味です。村落の生活に密着した習俗が中心となります。内容は多岐にわたっていて、豊穣、多産祈願や厄除けの行事、あるいは呪い、山や木などの自然に対する崇拝、祖先の供養、シャーマンを通じての異界との交信など、古くからの伝統、慣習を保つという保守的な面と、エリート、達人の宗教に対抗して改革運動を起こすという革命的な面の二つを併せ持つというふうにされています。</p>
<p><strong>②創唱宗教／自然宗教　創唱宗教</strong>というのは、特定の個人、教祖とか創唱者によって始められた宗教をいいます。先ほど挙げた世界の三大宗教、キリスト教、イスラーム、仏教は、いずれも創唱宗教になります。多くの新宗教もまたそうです。単に創唱者があるというだけではなくて、その宗教における創唱者の特別な働きや位置付けによるものであるというふうにされます。</p>
<p>　<strong>自然宗教</strong>は、決して自然を崇拝する宗教ではなくて、特に教祖といわれる創唱者がいない、自然発生的に成長した、そういった宗教をいいます。例えば、日本の神道などもここに含まれると思います。</p>
<p><strong>③一神教／単一（交替）神教／多神教　一神教</strong>の典型的な例は、唯一神を信仰するところのキリスト教であったり、イスラームであったり、多神教の典型例はヒンドゥー教であったり、あるいは日本の神道です。</p>
<p>　古代インド、ヴェーダの宗教が、<strong>単一神教</strong>、交替神教です。<strong>多神教</strong>世界で、ある祭式において特定の一神が主神の地位を一時的に獲得し、その祭式、儀礼、儀式行事が行われている間に関しては、その特定の一つの神が、最上級の宗教的讃辞等、信仰者の全ての宗教的関心を集め、唯一至上の神であるかのように見なされる宗教現象をいいます。祭式というのがたくさんあって、それぞれの儀式行事で祀る神様が違ってきます。ですから、交替神教といわれたりするわけです。</p>
<p><strong>④文化宗教／制度宗教／組織宗教／個人宗教／会員宗教</strong>　一つめの<strong>文化宗教</strong>は、文化的な枠組みとして存在している宗教をいいます。例えば、初詣に行く、お盆になると帰省をしてお墓参りをする。どういう神様が祀られているのか、宗旨は何か、御本尊は何かは知らないけれども、年中行事的な、その中でも宗教的な事柄にかかわる行動様式を文化宗教というふうに名づけます。そもそもの宗教的意味合いが脱落、あるいは希薄化している状態です。例えば七五三や年忌法要、地鎮祭などもこれに含めてよろしいかと思います。</p>
<p>　<strong>制度宗教</strong>は、地域や家族の制度に基づいて存在している宗教をいいます。例えば、神社であれば、氏子区域という地域、制度と一体化している。あるいは、檀家、すなわち家族制度に支えられている寺院。こういったものを制度宗教と名づけます。</p>
<p>　<strong>組織宗教</strong>は、教祖を中心に新たに組織した宗教、新宗教等をいいます。例えば鎌倉仏教も、今でこそ日本の中で伝統仏教といわれるようになっておりますけれども、当時は組織宗教であったといってよろしいかと思います。</p>
<p>　<strong>個人宗教</strong>とは、宗教書や文学、芸術等によって、個人の内心に営まれる宗教をいいます。教団というようなものに束縛されるのは嫌だ。けれども、自分なりの人生観、世界観というものは求めたい。こういったものを個人宗教というふうにいいます。</p>
<p>　<strong>会員宗教</strong>は、教団に入るわけでもないが、個人でというわけでもない。例えば、カルチャーセンター、寺院などが行う会員制の文化講座のようなもの。文化講座は聞きに行くけど、檀家としてはかかわらない。入信、教団に入る、属するというのではなくて、参加という言い方がよいかと思います。<br />　日本の社会全体を見渡したときに、この類型論は、とても有効な類型論であると思います。</p>
<h4>在家と出家</h4>
<div class="imgRight">
<span><img style="WIDTH: 229px; HEIGHT: 155px" alt="153-4.jpg" src="http://www.tibs.jp/lectures/153-4.jpg" width="599" height="402" /></span></div>
<p>　『総合佛教大辞典』によれば、「在家とは生業を立て結婚して家庭生活を営む普通人のこと。或いはそのような状態をいう。出家とは家庭的世俗的な執着・束縛を離れて家を出て、家の無い環境の中にあって道を求める修道者のこと、およびそのような状態をいう。」換言すれば、在家というのは、社会にあって、敢えて言えば、社会的義務を果たしている人、出家というのは、結婚せず、労働にも携わらない、いわば社会的義務を放棄している人とも言い得るわけです。出家集団というのは、在家の人々に食事などの布施を受けることにより存立している。また結婚しない、子孫も残さないわけですから、在家の人から常に人的補充も受けなければいけない。在家から出家に転じる人がいなければいけない。そうしないと、在家集団はそのうちになくなってしまいます。そのことによって、初めて在家集団というのが存続し得るということになります。ただ、日本におきましては、出家者の戒律が必ずしも尊重されなかったり、あるいは、親鸞が僧侶でありながら肉食妻帯、お肉を食べて妻を娶る、いわゆる非僧非俗の立場を主張し、実践をしまして、在家と出家の区別が非常にあいまいになっているとは思います。</p>
<div class="imgRight">
<span><img style="WIDTH: 231px; HEIGHT: 153px" alt="153-5.jpg" src="http://www.tibs.jp/lectures/153-5.jpg" width="602" height="351" /></span></div>
<p>　特に出家のあり方というのは、仏教に限らず宗教全般にかかわる非常に根本的な問題です。例えば、オウム真理教、あるいはいわゆるカルト教団といわれる教団においても、出家あるいはそれに類する状態が、大きく社会問題として取り上げられてきています。</p>
<p>　ここで、『マタイによる福音書』から引用してみたいと思います。「イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、『わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう』と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った」とあります。</p>
<p>　せっかく育て上げて、稼業を手伝うようになるまでになったよい働き手を、ごっそり持って行かれちゃうわけです。ついて来なさいといわれて、ついて行っちゃう。残された親御さん、家族にしたら、たまったものではありません。これが出家です。これが宗教なのです。そういうことがあって、今日のキリスト教があるということです。</p>
<p>　それから、丘山万里子さんという方が『ブッダはなぜ女嫌いになったのか』という本の中で、あくまで筆者自身の解釈と想像であると断わって、次のように書いています。「ブッダは、生まれたばかりの子と産んだ母、つまり妃をうち置いて、その夜、突如、城を出たという。赤子と、産褥に疲れて眠る妻とをながめた後、一人の従者とともに馬に乗り、そっと森へ抜け出した。二十九歳のことである。」生まれたばかりの子どもと自分の奥さんを捨てて、言ってみれば家出しちゃうわけです。そこに至るまで、仏陀自身の中にはさまざまな苦悩があり、懊悩があり、出家に至るわけですけれども、側から見れば、単なる家出です。家族を捨てちゃうわけです。「三十五歳で大悟（悟りを得る・成道） したブッダは、その後、故郷カピラヴァストゥを訪れ、立太子式と結婚式を終えたばかりの（異母弟である）ナンダを強引に出家させている。」「ブッダはこのあと、ナンダばかりか自分の息子、幼いラーフラまでをも出家させ、故郷を去ってゆく。これは、父王の血を受け継ぐ者たちを、自国から奪うことだ。（中略）家系断絶を招くふるまいではないか。」</p>
<p>　価値観さまざまですから何とも言えないところがあります。しかしながら、そういう家族の犠牲の上に、彼のこの家出がなければ、仏教は生まれなかったわけです。そして、仏教は世界の三大宗教となり今日に至ります。これが出家です。これが宗教です。</p>
<h4>日本人の宗教意識</h4>
<p><strong>（一）日本の信者数の怪</strong></p>
<p>　ある地域、ある国において、信者数がどのぐらいいるかということを調べるときに、大別して二通りの方法があります。一つは、教団に聞くというものです。あなたの所に信者さんは何人いますかと聞いて、返ってきた答えを足し上げていく。もう一つは、個人に聞く。多くの場合サンプリング調査ということになると思いますけれども、個人一人一人に対して、あなたは何を信仰していますか、宗教を持っていますか、持っていませんかというようなことを聞いていく。</p>
<p>　この二つの方法で聞いた結果が、日本の場合は大きく異なっている。文化庁の調査は、教団に聞くという方法で行われたもので、一年前のものになりますが、合計すると、何と日本の信者数が二億を超えます。日本の人口が今一億三千万弱ぐらいでしょうか、それなのに二億を超えるのです。ところが一方、個人に聞くと、宗教を持っている、信じている人が二十七％、持っていない、信じていない、関心がないが七十三％、これは統計数理研究所のデータです。あるいは、読売新聞が行った調査によると、信じているが二十六・一％、信じていないが七十一・九％ということで、だいたい二割から三割の人しか宗教を信じていない。その他の人は、言ってみれば無宗教なわけです。</p>
<p>　どうして教団に聞くと二億を超えて、個人に聞くと二ないし三割になるのか。文化庁の数字は神道系およそ一億、極めて大ざっぱにいって仏教系一億というところだろうと思います。強勢を誇ろうとして過大に報告してくる教団もあれば、初詣の参拝者をすべて崇敬者として報告している神社もあります。</p>
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<span><img style="WIDTH: 307px; HEIGHT: 343px" alt="153-6.jpg" src="http://www.tibs.jp/lectures/153-6.jpg" width="500" height="567" /></span></div>
<p>　そういう家庭は今少なくなっているかもしれませんが、家に帰れば、同じお茶の間の空間に仏壇もあれば神棚もある。お墓参りにも行けば、初詣にも行く。本人が自覚しているか否かにかかわらず、いまだにかなり多くの日本人が氏子として、あるいは檀家として、神社や寺院の信者名簿に載っている。教団からすれば、氏子をやっていて、檀家をやっていて、何かあれば参拝に来る、お墓参りに来る。あるいは、寄付を募ればお金を出してくれる、毎年毎年一定額を納めてくれる。そういう人たち、あるはその家族、これを信者としない理由はありません。教団にとってみれば、信者以外の何者でもないわけです。だから、教団にあなたの所の信者さんは何人いますかというと、二億を超えちゃうわけです。</p>
<p>　ところが、一人一人に向かって、「あなたは今神社にお参りに行きましたね、あなたは神道の信者ですね」あるいは、「お寺さんにお墓参りに行きましたね、あなたは何々宗の信者ですね」というふうに聞くと、「えっ、いや、そうじゃないですよ」と答える。改めてあなたは何か宗教を信じていますかと聞くと、二割から三割ぐらいの人しか「はい」と答えない。個人の側では信者意識が非常に低くても、教団側からすれば、当然うちの信者さんということになるわけです。これが二億と二ないし三割を説明する理由になります。こういう有り様を説明してくれるのが、文化宗教、制度宗教の概念ということになります。</p>
<p><strong>（二）習俗・風習・慣習</strong></p>
<p>　一人の人間が初詣に行き、節分もやり、お盆もやり、クリスマスパーティーもやる。無節操なのか寛容なのか。読売新聞の調査においては、仏壇と神棚の両方が置かれていること、あるいは信者でもないのに初詣に行くこと、あるいはクリスチャンでもないのにクリスマスを祝うことを、特に何とも思わない人がそれぞれ八十六・五％、九十二・二％、八十三・三％という数字になっています。およそ九割前後の人々が、今いったことを何とも思っていない。例えば、唯一神信仰の強いイスラーム教徒などからすると、これはとても考えられないと思います。そういう行動や考えを日本人はしている。おおらかといえばおおらか。文化宗教という概念なしには、日本人の宗教意識、宗教行動を理解することは不可能だと思います。</p>
<p><strong>（三）困ったときの神頼み</strong></p>
<p>　これも読売新聞の一つ前の調査になりますけれども、あなたはこれまでに神や仏にすがりたいと思ったことがありますか。あるが五十三・九％、ないが四十四・二％です。宗教を信じていないと答えた人の中でも、すがりたい人は四十七％になります。信じているかと聞かれたら信じていないと答えるけれども、でもすがりたいと答える人が四十七％いる。不思議な国民といえばいえるかもしれません。国学院大の石井研士先生がコメントをしていまして、兜町で株価が下がれば、近くの神社に詣でる人が増えるなど、現世利益は都市文化でもしっかり生き残ったといっています。</p>
<p>　平安末期の歌人西行は、次のような歌を残しています。 <strong>「なにごとのおはしますをばしらねども、かたじけなさに涙こぼるる。」</strong> この歌の意味は、実は伊勢神宮を訪れた西行が、この神宮には一体どのような神がおいでになるかは知らないが、ありがたい気がして、なぜか涙がこぼれてしまいますというものです。ところで、仮にも西行は出家した身であり、仏門に入っているのです。にもかかわらず、神道の伊勢神宮で感動して涙を流している。西洋的な宗教観からいえば、不思議なことではないでしょうか。しかし、西行のこのような心は、日本人の読者には何となくお分かりになるのではないかと思います。実はこの心の中に、日本人の宗教観の原点があるのですというふうに、加藤智見先生は書いていらっしゃいます。</p>
<p><strong>（四）『オーラの泉』</strong></p>
<p>　最初は深夜帯だったものが、しばらく前までゴールデンタイムで放映していた『オーラの泉』という番組がありました。こういうものが流行る素地が日本にはある、そういうものを求める感覚が日本人の多くの中にあるということも、皆さんには知っておいていただきたいと思います。</p>
<p>　最近はパワースポットのブームなどもありますけれども、スピリチュアリティ、あるいは精神世界という言葉も、一九七〇年代、八〇年代からこっち、随分言われてきたりもしています。「おもに個々人の体験に焦点をおき、当事者が何らかの手の届かない不可知、不可視（知ることができない、見ることができない）存在（例えば、大自然、宇宙、内なる神、自己意識、特別な人間など）と神秘的なつながりを得て、非日常的な体験をしたり、自己が高められるという感覚をもったりすること」と、辞書的には説明をされます。</p>
<p>　例えば現世利益を求める行為であるとか、超越的なものにすがりたいという気持ちというものは、なくなるどころではない。また、スピリチュアリティ的なものが、社会に横溢する。世界的な動向としても指摘されています。宗教は嫌いだけれども、スピリチュアリティには興味を持つという人々、つまり、制度的な宗教には疑問がある反面、霊的なものには関心が高い人が、世界的に増えているという流れがあることも、さまざまな調査結果から明らかになってきています。</p>
<h4>二十一世紀の日本の仏教者に期待されるもの</h4>
<p>　「ひとつの言語しか知らない人は、ひとつの言語も知らない」という文豪ゲーテの言葉をもじって、 <strong>「ひとつの宗教しか知らない人は、いかなる宗教も知らない」</strong> とマックス・ミューラーは言っています。<br />　グローバライゼーションの世界にわれわれは今日生きています。情報や人、さまざまなものがさまざまに行き交い、われわれ一人一人の時々刻々の生活というものは、そのグローバライゼーションの中で、何らかの制約を受けています。例えば、中東で何か事がある。石油の値段が上がる。石油なしにはわれわれの一分一秒たりとも生活が成り立ちません。衣食住、すべて石油に絡まないものはありません。そういう意味でも、グローバライゼーションの世界にわれわれは生きています。</p>
<p>　今回の大震災、福島の原発の事故を受けまして、随分本国へ帰ってしまった人もいるようですけれども、日本は既に移民社会である。ヨーロッパやアメリカなどとは比べものに勿論なりませんけれども、かなりの人々が入って来て、住み着いて、そこで自分たちなりの宗教活動というものをしています。皆さん自身、私も含めてですが、例えば今後介護であるとか看護であるとかいう場面で、インドネシアから来たムスリム、イスラーム教徒、あるいはフィリピンから来たキリスト教徒のお世話にならないとも限らない。今、そういう医療や介護の現場、それから農業、漁業、水産業、あるいはさまざまな工場等でも、外国人の手がなければ成り立たない社会に、既に日本はなりつつあります。</p>
<p>　言ってみれば、イエス・キリストも、お釈迦様も、あるいはイスラームの創唱者であるムハンマドも知らなかったようなことを皆さんは知っていて、知りつつあって、社会のありようも、科学的知見も、進化とはいえなくとも、少なくとも変化をしている。そのようなことを踏まえて、二十一世紀を生きる日本の仏教者として、視野を狭くすることなく、より広く、より深く、諸々の宗教、諸々の宗教的な事象、社会全体、世界全体を見、考えていっていただきたいと思います。　（終）</p>]]>
        
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    <title>大乗仏教論　第24期スクーリング講義録（ダイジェスト版）</title>
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    <published>2011-09-08T05:45:20Z</published>
    <updated>2011-09-08T06:30:27Z</updated>

    <summary><![CDATA[空観と慈悲&nbsp;  　紀元前後から大乗仏教運動というのは起こり、それからず...]]></summary>
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        <![CDATA[<p><font style="FONT-SIZE: 1.25em"><strong>空観と慈悲</strong></font>&nbsp; </p>
<p><br />　紀元前後から大乗仏教運動というのは起こり、それからずっと続きます。今、二〇一〇年も過ぎてますから、それを一時間で話すということですから、所詮、無理なことはよくお分かりだと思います。ですから、大乗仏教論として話すことができるのは、その中のほんの一つだけ、それを取り上げて話すということになります。そこで今回は、大乗仏教の「空」という考え方を中心に進めていきたいと思います。</p>
<h4>１、空の語義</h4>
<p>　空という言葉は片仮名でシューンヤといいます。英語ではエンプティー、ガソリンの目盛りがカラになった、エンプティー。つまり、からっぽって意味ですね。<strong>空というのはある物がない状態、からっぽの状態、これを意味するわけです。</strong></p>
<p>　私たちが普通、使っている算用数字というのはアラビア数字を起源にしてると心得ていらっしゃると思いますけれども、実はここに示したようなアラビア数字と、このナーガリーというのが今、実際にインドで使われている数字です。</p>
<p>　しかし、アラビア数字といっても、このインド系の数字が、実はアラビアに伝わって、アラビアからヨーロッパに行ってそれが世界中に広まると、こういうものなんです。ですから、このアラビアの数字よりもナーガリーの方が古いんです。そして、このインド人の最大の発明というのはこのゼロを発明したということです。他の数字を見ても一から始まりまして二、三、この辺りはどうでしょうか。今の私たちが使っている数字とちょっと似てるんじゃないかなというのはお分かりだと思います。あとは少し違うと思いますけれども、九なんかはよく分かりますね。</p>
<p>　空って何かっていいますと、この丸で記されたゼロのことなんです。数字でゼロというのは、インドの数字ではシューンヤ。今、二〇一一年。二〇〇〇の二の後にゼロをいわないとまったく何のことかわかりません。位取りが違ってしまいます。この位取りのゼロを発明したというのは本当に偉大な発明ですね。実はそのゼロ、つまり、空というのをインド人が数字の中で、そして、思想の中で考え出した。これこそがインド人の最大の発明の一つといってもいいかと思います。</p>
<p>　例えば、座標軸を考えますと、横軸も縦軸もプラスがあってマイナスがあると、そういうことを考えると、このゼロというのはプラスでもなくてマイナスでもない。だけれども、これがあることによって、プラスがあり、マイナスもあるというような、基軸になるものです。まさに空というのはこの数字のゼロに対応します。考え方としては基盤になるものというふうに考えたらいいと思うんですね。</p>
<p>　仏教の多くの大乗の経典や論書の中では何かが空であるという言い方がよく使われます。そればかりか、世界が空であるとか、人が空であるとか、こういう言い方もするんですね。その場合に例えば、このコップが空であるというのは、このコップがないということではないですね。世界が空であるといっても、それは世界がまったくないんだといってるわけではありません。</p>
<p>　しかも、「ない」といっても、それも実体ではありません。あるということがあるんだったら、ないということもあるでしょう。あるということがないんだったら、ないということもない。つまり、こちらをＡとしたら、ノンＡ（－Ａ）といって、逆の概念です。こういうように対立するような、「ある」とか「ない」というのだったら、これはあくまで仮定的なものというふうになるかと思います。</p>
<p>　ところが、最初、中国人はそのシューンヤという言葉を、訳語がなかったので、無というふうに訳したんです。ただ、無というと、今、いったように、有と対立するようなものになってしまいます。そこでやがてこれは無だとどうも表現しきれない、そして、無の場合には中国では仏教が入る前に既に、道教の思想がありました。そういうところではこの無というのが有と対立するような無ではなくて、あらゆるものを生み出すような、そういう世界の根源のようなもの、つまり無からすべてが、宇宙とか世界とか、人間も含めて生み出される、無から有が出てくるよという、こういう対立とは違うような考え方を持ってたんです。</p>
<p>　その場合どうしても中国思想に限定された無の解釈に引きずられてしまいます。そこで仏教の独自性を出すために、やがて空っていうふうに訳したんです。そういう歴史が実はあります。だけども、今、いいましたように、これが空であるっていうことは仏教の考え方ですと、縁起によるものとされます。コップも、今、ここで音を聞いたり、いろいろ考えたりしている、こういう人間の存在っていうのもすべて、仏教であればこれは縁起だっていうふうにいいますよね。その縁起であるということを実は空だっていうふうに言い換えてるだけなんです。その縁起であるという私たちの在り方というのを、空であるってことは当然、私たちが縁起して在るとか、すべてが縁起だということが、同じ、空であるということを意味しているとすれば、空が何もないということをいってるはずはありませんね。すべてが縁起的な存在なんだ、これは仏教の前提です。</p>
<p>　無常もそうです。無常観っていいますと情緒的な感じが入ってきます。ですから、本来の仏教の無常とは少々異なるような語感をもって日本人は考えています。仏教の本来の無常、仏教徒が最初、説いていた無常というのは刹那に滅するってことですね。刹那滅ということです。刹那というのは一つの時間の単位です。そして、刹那の時間っていうのが連続して、そして、その連続が私たちを作っているという考え方に過ぎません。だから、恒常じゃないんだけれども、それが変化しながら、一瞬一瞬が変化しながら、そして、連続しているのが刹那滅。滅であれば次には生じますから、生、住、滅を瞬時に繰り返す。これが無常のそもそもの考え方です。これがインドにおける仏教徒の考え出した無常という考え方です。</p>
<div class="imgRight">
<span><img style="WIDTH: 431px; HEIGHT: 138px" alt="152-15.jpg" src="http://www.tibs.jp/lectures/152-15.jpg" width="829" height="258" /></span></div>
<p>　繰り返しますが、刹那というのは時間の単位です。そのクシャナという、一番短い時間の単位の中で存在するものが、とにかく生じて、少しの間、とどまっている、そして、滅していく、その時間の単位が連続する。前の刹那が次の刹那に影響してるんです。これは私たちの日常的な感覚でもそうですけども、存在はまったく関係がなくて在るんじゃなくて、前の存在がその直後の存在に影響し続けながら連続していくと、こういう考え方です。だから、恒常ではなくて無常なんだと。そして、その無常が縁起という考え方と結びついて、もうちょっと平易に、簡単に説明されてきたわけです。私がいった、こういう考え方はブッダがすごく簡単に説いたものを二百年、三百年たって、仏教徒たちが詳しくていねいに理論的に説明しだしたという、そういうものですから。ただ、基本的にはこういうような考え方が広まって、仏教の教義、教えの骨格を作ってきたんですね。それが私たち日本人が考えているような無常観にまで展開したということなんです。</p>
<h4>２、空の用法</h4>
<p>　空の代表的な用法というのを見ますと、実は初期仏教の中にも、つまり仏教の一番最初のころにも空という言葉は使われています。これは大乗の専売特許ではありません。どういうふうに使われてるかという例題を三つだけ出しておきました。①は、「スッタニパータ」といってブッダ時代にたどれる、もっとも古い仏典ですね。「経集」というふうに訳されますが、それによれば、<strong>「自我に執着する見解を破り、世間を空として観察せよ」</strong>とあります。自我に執着する見解を破るためという効果を空の観察に認めているようです。そして、実際は空だという在り方を見なさい、観察せよと、こういう言い方です。</p>
<p>　②は、<strong>「世間は空なんだ。私も、そして、我所（私に属するもの）、それも空なんだ」</strong>というわけです。例えば、私がつけているこの眼鏡、これは一応、私が買ったもんだから、私のものだって思ってますよね。だから、これはある意味では私に属するもの、我所っていうのは私に属するものっていう意味ですね。私には二人の子どもがいます、妻も一人います。ふだんはちっとも属してるなんて思えない存在ですけども、一応、場合によっては、私に属するものとも言えます。</p>
<p>　私という個人であれば、私の個人に関係するものが我所なんです。こういうようなものは変わるんですけれども、変化して、必ずしも自分が思ってるようにはなりません。私とか私に属するものというようなものはある程度、恒常的に自分のものだっていうふうに思い続けていますよね。こういうようなものがある意味では、自分と自分の関係する世界をお互いに作っているわけです。これがここで我についても、そして、我所、私に属するものについても空であるというわけです。世間が空だ、そして、自分も世間の一つですから、そして、自分が得られている、自分に関係するもの、これも空なのです。あるのです。あるのですけれども、そのあるものの在り方、見方を空だっていうふうに言い換えているだけです。</p>
<p>　③は、<strong>空虚な家屋</strong>、シューンヤです。例えば、この部屋は今、皆さんが六十人いる。でも、象さんはいませんね。象さんがいないとすれば、この象さんはこの部屋にはいませんから、それを「この部屋は、象さんについては空である」という言い方ができるのです。そして、空虚な家屋というのは、何かが在る、部屋の中に何かがいる、そういう存在を想定して、そういうものがない、それが空です。そういうような、何もない部屋をイメージして心を鎮める、こういうふうにも考えられます。あるいは、静かな部屋に入って瞑想するということもあるでしょう。</p>
<p>　今、いったような空の解釈と、何もない部屋をイメージして静かに瞑想するという観察、それを空観といいます。空の観法というんですね。これを実際に行って訓練していたわけです。そして、世間の無常ということを理念や考え方だけではなく、実際にそれを体感するような訓練をしていた。これが初期仏教の空についての原初的な説明です。</p>
<p>　それでは、その次の空の表現と発展を説明します。例えば、（一）<strong>Ａはシューンヤだ。</strong>例えば、このコップが空であると、こういう言い方については、さっきいいましたですね。</p>
<p>　もう一つ、（二）<strong>「ＡはＢのシューンヤなものだ。ＡはＢを欠いている。」</strong>つまり、これはＡとＢは違うわけですから、この例えは、この教室には象さんが欠けているというふうになるんです。（三）<strong>「ＡはＡのシューンヤなものだ。」</strong>この例は、コップはコップがシューンヤなものだというものです。これが大乗仏教の経典の一番中心的な表現になってくるのです。コップはコップが空なのだ。ようやく本題となりました。『般若心経』を通して、もう一度、この意味を考えてみたいと思います。</p>
<h4>３、般若心経の空</h4>
<p>　<strong>「観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空」</strong>とあります。これは玄奘という人が訳した般若心経の一つです。そこで一行目に出てくる、観音菩薩のことなんですね。その菩薩が般若波羅蜜多（般若というのは知恵、波羅蜜多というのは完全性を示します。）完全な知恵、悟りの知恵を行ずる、即ち実践をしているときまでです。完全な知恵を実践するとは、どういうことでしょうか。</p>
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<span><img style="WIDTH: 442px; HEIGHT: 175px" alt="152-20.jpg" src="http://www.tibs.jp/lectures/152-20.jpg" width="1006" height="324" /></span></div>
<p>　ものの在り方をきちんと見つめる、そういう知恵のことです。そういうような深き知恵を実践していた。そのときに、五蘊は皆、空であると見通した、照見したというふうにあります。ここで五蘊というのが出てきます。なんで般若波羅蜜多の実践をするときに五蘊が空だっていうことを見通すんでしょうか。これがこの経典の最初の、投げかけた大きな意味です。しかも、そのときに空を照見し、一切の苦しみ、さまざまな厄災を除去した、度したというわけです。</p>
<p>　その次に「舎利子よ」、つまりシャーリプッタよという、仏弟子のことですね。<strong>「舎利子。色不異空。空」</strong>と続けてしまいます。色は空と別ではないといってるんでしょう。そして、空は色と異ならずといっていますから、まったく主語と述語を逆転しているだけです。②番、<strong>色は即ちこれが空なのです。</strong>そして、また逆転します。<strong>空こそが即ち、色なんです</strong>といってます。③は、「受想行識もまたかくの如し」といっています。ということは、ここで色があって、その後に受想行識があるので、これを色、受、想、行、識という五蘊のことになります。</p>
<div class="imgCenter">
<span><img style="WIDTH: 544px; HEIGHT: 603px" alt="152-17.jpg" src="http://www.tibs.jp/lectures/152-17.jpg" width="907" height="933" /></span></div>
<p>　五蘊というのは仏教の基本的な存在の分け方です。私たちは五蘊よりできている、世間も五蘊から成るんだという、そういう分類の仕方を仏教はいたします。その五蘊というのは色、つまりこれはルーパといいます。これは色（いろ）ではありません。これは形、物質性。もちろん、色（いろ）もその中に含まれます。受というのは感受作用、想というのはイメージ、概念化の作用。行というのは意思の作用。最後の識、これは認識の識ですから、これこそがもっとも中心になる、私たちの識別作用ということになります。つまり、この受、想、行、識というのは精神の作用だというのが分かります。このように、この五つから私たちがなるんだということは、五蘊というのは人間を中心に五つに分類して、私たちの心身のうち、特に身体の方はこのルーパ、色からなり、受、想、行、識というのは精神性を四つに分けたというだけです。</p>
<p>　①は「色は空に異ならない」といって、③に「受想行識もまた、かくの如し」とあるのは、結局、五蘊のことをいってるのです。五蘊というのは結局、色と異なりません。空こそがまた五蘊なんだといってることです。ということは、私たちが空であって、空であること、空である状態、それが五蘊なんだといってるわけです。そして、とりもなおさず、五蘊というのは私たちの存在が五蘊からなると考える前提がそこにはあるわけです。そこで五蘊が空だといったんでは五蘊が欠けていると、とらえかねませんけれども、そうじゃなくて、このコップはそういうようにいろいろな、コップとして物質性があったり、コップのデザインがあったり、コップの機能として誰かが考えるわけですよ。この机もそうですよね。こういうような机は物質性があって、誰かが考えてデザインがあって、イメージを作ります。私たちもそうです。私たちの存在性もこのように空であって、さらに、そのような空であることこそがこの現実の私たちの世界なんだということをあえて逆転して、強調している。こういうことになるかと思いますね。なんでこんなことをしたんでしょうか。</p>
<p>　④は、<strong>「舎利子よ、この諸法は空相なり。」</strong>空の特徴を持っているものだという意味です。そして、それは<strong>「不生不滅、不垢不浄、不増不減」</strong>だというふうにいってますから、この諸法、もろもろのものの在り方、これは空の特徴を持っているものであり、それは生ずることもなく、滅することもなく、けがれも清らかなること、増えることも減ることもない。実は、減ったり増えたりしてるわけですけれども、それをあえてこのように表現したわけです。例えば、海の水が風によって波ができたりしますよね。だけど、海全体の水の量は変わらない。波という現象は多様に現れては滅するけれど、総体としては変わりません。このような意味でしょう。そして、その後、このゆえに空の中に色はない、受想行識もない。そして、<strong>「眼耳鼻舌身意」</strong>、目、耳、鼻、舌、感触、心の働き、こういうような六つの感官もありません。また、その対象となる<strong>「色聲香味觸法」</strong>、色（いろ）、声、香り、味、触れられるべきもの、意識の対象、そういうものもありませんと、こういうふうに続いております。</p>
<p>　これは結局、五蘊の下に感覚器官というのが図示してあります。まず、「眼耳鼻舌身意」というのがありましたですね。これは六根といいまして、六つの感覚器官ということになります。根というのは感覚器官ですね。眼根というのは視覚のこと、耳根というのは聴覚。鼻根、これは臭覚。四番目、舌根は味覚ですね。そして、五は、この身根というのは、これは触覚ですよ。この固いの、柔らかいの、でこぼこしてるの、そういう感覚、そういうのを触れて感ずる、そういう触覚ですね。そして、最後に意根というのがありますが、これは考える機能ですから、ちょっと別扱いにするんですね。つまり、この上の五つは五感といってもいいわけです。五感の対象になるっていう言い方を日本語でもすると思いますよね。第六感という言い方もするでしょう。これが六番目に対応します。</p>
<p>　そして、この六つの感覚を六根っていいますが、その六根の対象が六境です。これは視覚の対象は物質性ですから、赤い薔薇だとか茶色い机だとか、こういうように視覚の対象がありますね。これが、物体と書いておきましたけども、そのようなものですね。聴覚の対象は、これは響きですから音声。臭覚の対象は、かぐものですから香りですね。これを香と、本当のパフュームの香って書いてありますが、これは香りのことです。そして、味覚の対象は味でしょう。風味です。そして、触覚の対象は、触れるもの、それに対する感官ってことですね。この五つの対象という意味で、五境といいまして、それに加えて、心の対象つまり意識の対象を含めて六根に対して六境というんです。そして、仏教ではこの六根と六境が触れることによって初めて、六識が生まれます。例えば、赤い薔薇ですと、視覚と視覚の対象というのがありますから、それによって、これは赤い薔薇だという識別作用が出てきます。それをここでは眼による識別作用、眼によってこれはこういうもんだというふうに認識できる。そういうようなのを眼の識別である、眼識となります。あとはもう省略しますが、眼耳鼻舌身、そして、最後は意識の対象、これが普通、私たちが「意識」といっている元の言葉の意味です。この意識というのは、つまり、意根と法の接触によって生ずる判断の作用ということになります。つまり、これらを「六識」というんです。こういうふうにして認識作用というのができていくと仏教徒は考えたんです。</p>
<p>　そうしますと、元の般若心経に帰ってください。結局、ここでいおうとしてるのは、色受想行識もなく、そして、眼耳鼻舌身意もないというのは何をいっているのでしょうか。ここで取り上げたすべての六根、六境、六識、このことをいっているというのがここでお分かりになったと思います。つまり、私たちを含めて、私たちのすべての感官の対象とか、そこによって生ずるような認識作用、あらゆるものが空なんだといってるに過ぎません。色はその中の代表に過ぎません。この一番左上がその表の中では色だったわけですね。それと同じようにという表現がありましたように、このように私たちはあらゆるものを空として見てるんだよということになります。そういうことを観自在菩薩が般若の知恵でもって実践をしてるときに、その五蘊は皆、空だということを見通したというのは、この現象のことをいってるわけですね。　かたちあるものは空の性質と別ではなく、空の性質はかたちあるものと別ではない。かたちあるものというんだから、色のことでした。およそかたちあるもの、色、それが空の性質をもつものでありまして、空の性質をもつもの、空の性質であるもの、それがかたちあるものなんですということです。③は、これと同じように感受作用、表象作用、意思の作用、認識作用、受想行識もまたまたかくの如しというのは空の性質をもつものなのです。④は、<strong>「シャーリプトラよ、この世では、すべてのものは空であることを特質といたします。それらは生じたものではなくて、滅したものでもなく」</strong>云々とありますが、それらは充足したものでもないと、このように否定辞を重ねるわけです。</p>
<p>　空とはサンスクリット語でシューンヤ、パーリ語ではスニャといい、空虚や欠如、膨れ上がって内部がうつろな状態を意味する形容詞です。数字のゼロ、このゼロという数によって十進法も可能となり、マイナスもプラスも確立します。いうなれば、空はすべての存在の根拠となるような概念です。ただし、本経では、この空を、空の性質をもつ、シューニヤターという抽象名詞で扱っています。空の言葉の意味については、しばしば実体がないというように訳す人が多いと思います。多分、皆さんも実体がないという形で読まれた本もあると思います。抽象的な意味を与えることが多いんですけれども、それでは十分とはいえません。</p>
<p>　初期の仏典でも<strong>「自我に執着する見解を破り」</strong>云々としたり、<strong>「空虚な家屋に入って心を鎮める」</strong>というように古くから用いられてきました。またブッダが<strong>「私は以前にも、また今も、空性の住まいに何度も住んでいる」</strong>と言っています。ここはちょっと重要です。空性の住まいに住んでいるっていうんですよ。つまり、空性を何度も何度も実践していた、感得するように実践してたということが分かります。当時の僧団では、繰り返し空であることを瞑想する実践が行われていたようであります。</p>
<p>　このような空性を観察する瞑想とは、実際には修行僧が外的な対象に心を奪われてはいけない。そのように悟りをめざす実践でして、思想的にいえば、すべてのものに実体はなく、カラであることを存在論的に指摘するものですと、シューンヤはからっぽの状態を意味しますから、英語でエンプティーやヴェイキャンスィと訳されますけれども、ここからはちょっと新しいところですね。</p>
<p>　ガソリンがからっぽなどと同じ意味であります。ただ、この言葉は最初から否定的な文脈で考えても意味はないと思います。どうしてでしょうか。このタンクにガソリンがないという場合には、やっぱりガソリンが充足されている満杯の状態を想定しなければなりません。そういうことで初めてこの言葉は意味を持つわけです。つまり、充足した状態に対する否定概念が空です。しかしながら、対概念であるのでしたら、もともとの概念を想定しなければ具体的なイメージもわくはずはありません。空虚だったり、からっぽだったりというのは、何かが欠如して空であるということを指示するものだからです。そもそも空とはこのような機能を持っていますから、肯定の世界に生きる私たちにとってのみ意味を持つわけです。</p>
<p>　ここでガソリンがカラということをもう一度考えてみますと、まず、このガソリンのタンクにガソリンが満杯の状態に対してカラというんですから、タンクはガソリンという点でカラです、というふうにいいます。つまり、カラなのはガソリンというよりも実は容器、タンクです。これに対して、ここに赤い薔薇があるとします。目の前に咲いている赤い薔薇を想定してみます。この場合、赤い薔薇が空である、という言い方を仏典では普通にします。これはどういうことかといいますと、そういうようなガソリンに当たるものが薔薇にもあります。コップにもあります。それは何かというと、タンクが薔薇です。そして、ガソリンが薔薇であること、つまり薔薇の本質、薔薇性です。薔薇を薔薇というふうに私たちが考える、薔薇性とは何か、それ自体とは何か、そういうようにものの本質とか、ものの在りようを考える根本的本質です。タンクに満たされたガソリン、それが赤い薔薇の存在を充足する、薔薇という性質です。つまり、「五蘊が空である」というときに、五蘊によって形成されるものが、その固定的な存在性をなくすことを意味していることを、さらに論理的に説明するようになると、このようになるのです。</p>
<p>　特に般若経なんかで普通に出てきます。それは資料の「空の表現と発展」のことをいっているのです。真ん中から下の方に空の表現と発展（大乗仏教）とあるのをご覧になってください。ここに一、赤い薔薇は空である、これはＡがシューンヤだということです。簡単にはこのようにはいうわけです。仏教は、最初はこのようにいったわけです。「あなたは空だ」というのは、もう説明する必要がない、ぱっと分かるような表現であったかもしれません。ところが、二番目は、「ＡはＢのシューンヤなものだ」、これは「この教室は象という意味では空なんだ」というように、ＡとＢが違う場合です。Ｂはない、Ｂは欠けているよっていう、そういう表現ですね。</p>
<p>　三番目は、「ＡはＡのシューンヤなものだ」という表現がまとまって出てきます。これが完成形です。つまり、赤い薔薇は、赤い薔薇というものが空なんだっていうんです。つまり、ＡはＡの本質を持ってはいない。今、Ａが机でしたら、机は机としての機能がありますよね。しかし、これは机ではなくてベッドにもなり得ます。そして、もしこれが、このコップが固いガラスで、これでガツンと頭を打ったら傷つきます。すると、このコップは確かにコップではありますけども、あなたにとっての凶器ですね。だから、机はベッドにもなりますし、また、凶器になる。つまり、それは、私たちも同じように、すべてのものが同じようにいつも機能してるとは限りません。</p>
<p>　そして、赤い薔薇は赤い薔薇の本質を欠いているという、その（三）番目、ＡはＡのシューンヤなんだということは、私たちがこれはこうだというふうに考えてるような、そういうものが本当に恒常的にずっとあるということを反省させようとしているんですね。これがＡはＡのシューンヤなものだと、こういう表現になるかと思います。もちろん、最初から赤い薔薇が空だっていって、そういうことがすぐに感得できるような理解があればそれで問題ないんですけども、この表現が一体、何を意味してるのかというのが分からなくなると、やがて赤い薔薇の本質というような補足をして、空とはこういうようなことが欠けているということを、多くの大乗経典で言うようになるんです。ということは、空の考え方もそのように深まってきたといいますか、進展してきたということがいえます。</p>
<p>　このことを明らかにするためには、仏教では自性という概念を強調しました。初期の般若経では、薔薇が空であるという教えを遠離とか幻影とかを交えながら表現していましたが、やがて、薔薇が空だとか薔薇として空だというようになって、さらには、薔薇という本質や自性として空なんだと。私自身もそうですけども、私は私という人間なんだっていうことを考えます。そういうものに基づいて自分の生き方や行動なんかも規定します。だから、それは自己の本質を作っている、人格性というのを作っているという意味で、この自性に近い考え方かもしれませんですね。薔薇は空である。この主張にはあらゆるものにはそれを成り立たせる自性があるという考え方が前提になっています。そのような現象の根本要素を是認する立場があって、それに対しては般若経ではその根本要素が欠けていることを主張するために、空であるといったわけです。</p>
<p>　私たちは空であるこの世界に生きています。しかし、それは空無の世界ではありません。空である世界こそが私たちの実在のこの世界。しかしながら、この世界と別の世界はありません。だから、それを、空の性質を持つもの、それがかたちあるものなんだと逆転させたのです。迷いも悟りも、同じこの世界の中でのことです。悟ったとしてもこの世界の中で悟るわけですから、私たちはこの空である世界以外に生きる基盤はありません。その意味で五蘊は空と別ではなく、空性こそが五蘊なんだ、すべてのものは空であることを特質とするというのは、このような意味であるというふうに考えているわけです。</p>
<h4>４、縁起と空（龍樹の空性思想）</h4>
<div class="imgRight">
<span><img style="WIDTH: 315px; HEIGHT: 350px" alt="152-19.jpg" src="http://www.tibs.jp/lectures/152-19.jpg" width="623" height="627" /></span></div>
<p>　この空の考え方を発展させたのが中観派といわれる人たちのグループです。この中観派は日本では三論宗という形で伝わりました。三論宗というのは朝鮮半島から日本に初めて伝わった仏教です。この考え方を奉ずる人たちが日本仏教の最初の人たちです。では、どういうようなものなのかといいますと、ここで取り上げたのはその学祖のような位置づけにある龍樹という人で、なんと二世紀から三世紀頃のインドの人です。日本人はこの二世紀から三世紀ごろって一体、何をしてたでしょうか。ものすごい古い時代でしょう。そのときにもうこのナーガールジュナ（龍樹）という人が仏教の根幹になるような教えを説いていたのです。</p>
<p>　彼の主著は「中論」という彼自身の最初の作品です。最初の帰敬偈に<strong>「滅することなく、生ずることなく、断滅ではなく、常住ではない。同一でもなく、異なっているのでもなく、来ることも去ることもなく。｣</strong>つまり、「不」と言う否定辞が八つあります。これは生滅断常一異去来という四組の否定辞で八不といわれてるものです。これは<strong>「戯論が寂滅していまして、めでたい、吉祥である、そのような縁起」</strong>にかかるように、すべて縁起のことをいってるのですよ。そのような縁起を説かれた方、それを正しく悟った方というふうに言い換えているわけです。それはブッダのことです。「<strong>ブッダは諸々の説法者の中でもっともすぐれた人であるとして私は敬礼いたします。」</strong>　つまり、ナーガールジュナはブッダを尊敬して、ブッダの最大の特徴とは縁起を説いたことだと言います。そして、その縁起は八つの否定でもって示されるとナーガールジュナは考えたのです。</p>
<p>　二番目の用例にいきます。<strong>「縁起であるもの、それは空であると私たちはみなします。それは相対する概念であって、それが中道なんだ」</strong>と、このようにいうんですよ。つまり、空というふうに、わけが分からないようなことをいってきましたけれども、それは縁起なんだ、そして、それが仏教の肝要である中道なんだ、中（ちゅう）の実践なんだと、このようにいうわけです。これは難しいといえば難しいですけども、非常にオーソドックスな仏教の考え方です。だって、仏教は縁起によってものを説明するわけですから。私たち自身もいろいろな原因や条件によって今、ここに縁起によってこうして在るわけです。</p>
<p>　さっき、お昼に食べたものが天ぷらそばだったとしましょう。天ぷらなんていうのはみんな、輸入品ですよね。タイからの輸入品のエビ天だったら、タイの漁師やタイの海、タイの気候、そして、どこかの商船に乗って運ばれて、それがたまたま揚げられて私の口に入ったわけです。そばは日本で取れることも多いですけども、カナダからの輸入品も結構ありますよね。今、食べた天ぷらそばは、タイの漁民の働き、タイの海、タイの気候、カナダの空や大地、そういうようなものが一瞬にして私の体に入っているということです。関係のないものは一つもない。私たちが今、こうして生きているっていうのは、そういう全世界の、宇宙やら世界やらのあらわれと結びついて在るんだということはすぐに了解されます。それを詳細に分析する原理が縁起、つまり縁りて起るということです。縁起という考え方はすべての存在がお互いの条件とか、さまざまな影響とかによって成り立っていると考えるわけです。そういうような成り立ち以外に私たちの在り方っていうのはないんだというわけです。これは実は空の考え方と一緒なんです。そういうような在り方を逆転させて、縁起だからこそ、空なんだとします。この立場は固定的な在り方に対する執着を打ち破ります。空と縁起は同じなんですと、ここでいってるのはそういう意味だと思います。そして、それが偏らない中（ちゅう）の実践、中道を歩むことになろうかと思います。</p>
<p>　三番目の例は、<strong>「あなたが縁起と空とを破壊するのならば、世間における一切の言葉を破壊することになるでありましょう」</strong>こういってるわけです。ここで大体、はっきりしたと思います。こういう意味で空が使われているわけなんです。ただ単に否定するわけじゃないんです。それを逆転させて、縁起というものの意味っていうのを考えさせようとしている。縁起と空の同義性を強調し、それがあるから世間の言葉がなり立つとさえ言います。</p>
<p>　そして、四番目<strong>「すべてが空でないならば、生成も生滅もなく、仏教の中心思想である四聖諦もありません。そして、四聖諦もないんだったら、正しい教えもないでしょう。そして、それに基づいて修行する僧団もなければ、それによって悟るものもいない、仏もいない。従って、三宝も破壊されてしまいます」、</strong>このようにいいます。つまり、空こそがものの在りようの根源なんだよっていうことをはっきりとここでいっているわけです。</p>
<h4>５、空と慈悲</h4>
<p>　ナーガールジュナの著作とされる『大智度論』には、慈悲には三種があるといっています。</p>
<p>　（一）<strong>衆生縁</strong>、衆生に対する慈悲で凡夫にも実践できるもの。（二）<strong>法縁</strong>。個体を構成する諸法、それを対象とする慈悲で、修行者、声聞や一人でのみで悟る縁覚の実践するもの。それから（三）<strong>無縁</strong>。縁（対象）のない慈悲、これは空の理を対象とする慈悲です。ちょっと難しいかもしれません。でも、ここで空の在り方を対象とする慈悲だっていってます。すなわち、どのような対象にも限定されないであらわれる絶対の慈悲、これが大乗の諸仏、諸菩薩の慈悲であるとします。こうように慈悲を三つに分けています。</p>
<p>　さらに悟りの根源としての慈悲、これは慈と悲に分けられます。<strong>慈</strong>はマイトリィー、他者に利益や安楽を与えるという働き。<strong>悲</strong>はカルナーといって、これは語源に震えることを含意します。うめくことです。カルナーというのは他人の、他者の苦に同情して、これを救おうとすることです。ですから、同じ『大智度論』にこういいます。慈悲は仏道の根本なんだ。なぜか。衆生がもろもろの苦しみに悩むのを見て、菩薩は大慈悲を生じ、このような苦しみから救い出し、その後に発心する。慈悲を根源にして心を起こす。その心は何かというと、阿耨多羅三藐三菩提といって、最高の悟りを求める、そういう発心です。ですから、慈悲という条件で悟りに直結するというような見解をここで提示しています。</p>
<h4>６、世間への憐愍と共感</h4>
<p>　共感、同情、憐愍、この慈悲のもう一つの原語、アヌカンパーという言葉があります。アヌ、これは何々に従ってです。カンパーというのはカンプという、震えるという動詞から来た言葉です。アヌカンパー、だから、これは「ともに震える」という意味を持った名詞です。憐愍とも訳されます。これは大乗経典でこのように使われます。世間を憐愍するということは共感をもって実践するものだと、『法華経』にあります。世間を利益すること、これは社会に対して、世間に対して、利益をもたらすということ、共感をもって実践するものと同義だというふうに言い換えてるわけです。</p>
<p>　世尊曰く、<strong>「なぜなら、スブーティーよ、彼ら、悟りが近い菩薩摩訶薩は多くの人々の福利、幸福のため、世間へのアヌカンパー（憐愍）のために修行しているのだ。彼らは大いなる利益のため、福利、幸福のため、さらに神々や人間をアヌカンパー、憐愍・共感するものとして、あるいは共感のために、無上にして完全な悟りを現等覚したいと思っている。」　</strong></p>
<p>　（八千頌般若）。ここには驚くべきようなことが書いてありますね。憐愍です。さっきの言葉を使ったら、慈悲に基づいた発心があり、ここではアヌカンパーという社会や他者とともに震えたり、ともに共感するという働き、これがその無上にして完全な悟りを現等覚するということにつながってるんだといっているんです。今、ここで引用したのは『般若経』です。さっきの『大智度論』というのは実は、『般若経』の注釈なんですよ。</p>
<h4>７、ダライラマの慈悲の引用</h4>
<p>　ダライラマは、説法を始めるときに必ず次ぎの言葉を唱えます。<strong>「慈悲の心に基づいて、すべての誤った見解を断つために、正しい法を説き示されたブッダに礼拝、敬礼いたします。」</strong></p>
<p>　慈悲の心に基づいて、これは実はナーガールジュナの著作ではないんだけども、ダライラマが注釈によって付け加えてるんです。それは、「大悲を根本となし、如来の智恵が生まれる原因である初発心、初めて悟りたいというような心が、悟り、阿耨多羅三藐三菩提心を起こすことの基盤になる、如来の智恵が生まれる原因なんだっていうんです。これなくして、仏教はない、悟りはないっていうふうに解釈できます。ただし、それは大悲を根本とするという条件づきです。ないし、般若波羅蜜の誤りのない説法方法に通暁している尊いナーガールジュナ（龍樹）がカルナー、悲によって他者を悟らせるためにこの『中論』をあらわされた。この『中論』の注釈（チャンドラキールテイ）を使っておられるのです。これこそがダライラマの一つの思想でもあると思います。さらに、この慈悲とか縁起と空というのは、仏教全体の、さらには、ダライラマのチベット仏教に通ずる教えでもあるというわけです。（終）</p>]]>
        
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    <title>仏教概論　第24期スクーリング講義録（ダイジェスト版）</title>
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    <published>2011-09-08T02:37:21Z</published>
    <updated>2011-09-08T05:44:12Z</updated>

    <summary><![CDATA[釈尊の生きた時代とその教え&nbsp;  １、 仏陀の生存年代 　日本では、漢訳...]]></summary>
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        <category term="高橋堯英先生" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<p><font style="FONT-SIZE: 1.25em"><strong>釈尊の生きた時代とその教え</strong></font>&nbsp; </p>
<h4><br />１、 仏陀の生存年代</h4>
<p>　日本では、漢訳経典を重視するという立場から、中村元先生の北伝の資料にのっとった、ＢＣ四六三年からＢＣ三八三年という説をとっている先生がほとんどです。</p>　インドでは、パーリ語の史料にのっとってお釈迦様はSixth Century BC・紀元前六世紀の方であるという説が有力です。歴史上の確かなポイントから北伝、南伝の経典の伝える仏滅までの年数を遡って計算しています。紀元前五世紀の方であったという説と、紀元前六世紀の方であったという二つの説が、行われています。<br />　 
<h4><br />２、 仏陀の時代以前の展開</h4>
<p>　そこで、紀元前五世紀、六世紀に至るまでのインドの、文化的、思想的な展開ですが、まず、インダス文明が栄えたということが有名です。その最盛期はＢＣ二一五〇年ぐらいから一七五〇年ぐらいでした。インダス川流域地帯に、焼きレンガで造られたモヘンジョ・ダロとハラッパーという二つの、拠点となる都市を中心とする都市文明が栄えてきたのですが、ドラヴィダ人、ムンダー人、サンタール人というような、もともとインドに住んでいた原住民たちがインダス文明を作り上げていたといわれています。</p>
<p>　その先住民の文化の中へ、ＢＣ一二〇〇年ぐらいに、アーリア人といわれる、インド＝ヨーロッパ語族の人たちが、ヒンドゥークシュ山脈を越えてやってきたといわれています。もともと、ヨーロッパのコーカサス地方にいたアーリア人は、遊牧民ですので、牧草を求めて南下をし、一部はギリシャへ出たり、カスピ海の沿岸地域に来ていて、その一部の人たちがヒンドゥークシュ山脈を越えて、インドにやってきて、現在のインド文明の柱となるような文化を作り上げたといわれております。</p>
<p>　このインド・アーリアン、インドに入ってきたアーリア人の持っていたのがリグ・ヴェーダというヴェーダ聖典です。ヴェーダの言語と、ゾロアスター教の古聖典であるアヴェスターの言語が非常に似通っているというような研究もありまして、イランに入った人々と、インドにやって来た人々とは、もともと一つのグループだったといわれています。インド・アーリアンはインダス川の流域地帯から、徐々に、東に進んで、新たな文化圏を切り開いていったといわれております。</p>
<p>　そのアーリア人はリグ・ヴェーダの宗教、即ち日本の古神道のような、いろんな自然現象を神として崇める宗教を持っていました。それらの神々のほとんど、仏教の護法神として位置付けられているのです。</p>
<p>　帝釈天、これはインドラという神様で、雷の神様であります。川の女神のサラスワティーが弁財天になったりとか、ヴァルナという水の神様がありましたが、水は必ず高いところから低いところへ流れるという法則性を示すということから、天の法則性を司る神様として考えられました。それが日本に入ってきますと、水天さんとしてお祭りされるようになるわけです。</p>
<p>　こういうインドの神様たちは、その天空地に三十三の神々が数えられたり、自然現象ですから、同じ太陽でも朝の太陽、昼の太陽、夕方の太陽というように、別の面をとりますと三，三三九の神々がいると考えられました。そういった神々に対して、供物を捧げてお願いをし、恩寵を願うという宗教が行われていたといわれております。</p>
<p>　そのアーリア人は、インダス川の流域地帯からガンジス川の上流域、現在のインドの首都、ニューデリーあたりに、移動したのですが、そのプロセスでいろんなことが起こってくるわけです。特に原住民との混血が進んでくる。そうすると、血の純潔を守るために法律を作ったりして、身分制度みたいなものを確立をします。</p>
<p>　アーリア人の中に貴族階級としてのバラモン（司祭階級）とクシャトリア（戦士階級）がいて、その他に庶民階級がいた。そして、自分たちが占領した地域の先住民たちを、どんどん自分たちの社会の最低辺に入れてゆき、奴隷的なセクションができたといわれます。バラモンとクシャトリア、ヴァイシャ、そしてシュードラというような、ヴァルナと呼ばれる四姓制度が成立したといわれます。</p>
<p>　それと同時に、このバラモンという宗教を司る人たちの権威が非常に高くなってくる。彼らが行う火の祭り、真言密教の護摩を焚くような儀式、その儀式を非常に複雑化し、どういう場面で、どういう詔を述べ、どういう讃歌を歌って、どういう手順でこれを行うというような、きっちり儀祀を作り上げていく。</p>
<p>　ひとたびその手順が確立されると、お願いしている神様と対象領域である自然現象は、火の祭りを通じて意のままに動いてしまうというようなシステムを作り上げて、「祭り」というものを中心とする宗教で、インド社会を牛耳ってしまったわけです。</p>
<p>　そうしたところ、「それはおかしいじゃないか」と思う人々がいたようで、ＢＣ八〇〇年からＢＣ五〇〇年ぐらいになってくると、新しい考え方を、徐々に、秘密の法として述べるというようなことが行われていった、といわれております。それが何かといいますと、一つが梵我一如の思想です。</p>
<p>　火の祭りが重要だとしてバラモンが独占してるんだけど、それによってバラモンが絶対的な権威を持っている。しかし、それはバラモンが偉いからじゃなくて、火の祭りを、祭りとして成立させてる本当の理法、真理、それが重要なんだという主張がおこってくるのです。</p>
<p>　だから、その理法を知るということが重要であると、絶対真理、大宇宙の真理を知るということを強調する傾向が非常に強くなってきて、この大宇宙の真理であるブラフマンと、小宇宙である私たち人間を人間たらしめているアートマンとは、この宇宙真理そのものであるという思想が説かれたのです。</p>
<p>　もう一つが輪廻の思想。死後について、二つの道が説かれました。一つは修行者の道で、修行者は、死んだ後もう絶対輪廻転生しないということを心に誓い、ブラフマンと合一するという意思を固めて、自分の肉体を徹底して苦しめることによって浄化するという苦行を実践し、その苦行の中で死に至ると、必ずやブラフマンに合一することができるんだと考えられました。</p>
<p>　もう一つが、一般の敬虔なバラモン教徒の道で、死後、火葬の煙と共に天界に上がり、月の世界に行ってしばらく安住を楽しむのですが、インドの雨季の雨のような激しい雨と共に大地に戻ってきて、大地の作物に付着して、その作物を男性が食べると男性の体内に宿り、そして男性と女性が結びあうことによって女性のお腹の中に宿って、そしてまた生まれてくるといわれました。これが本当の人間の死後のサイクルなんだということを、プラヴァーハナと呼ばれるクシャトリアが、バラモンの哲人に説くという内容の話しが、プラヴァーハナの五火二道説といわれます。</p>
<p>　こういう輪廻の説が説かれて、人間は必ず輪廻転生するんだということが、バラモン教の世界でお墨付きを得たのです。</p>
<p>　もともと、インド・アーリアン人は、人間死ぬと、南の方角に先祖の霊が宿る死者の国があって、そこに行って先祖の霊と楽しく過ごすことができるんだという死後観しか持ってなかったのです。しかし、ＢＣ八〇〇年かＢＣ五〇〇年ぐらいの時代に、五火二道という秘密の法が説かれた文献の中で、先住民の輪廻転生の思想がアーリア人の文化の中にしっかりと位置付けられたといわれています。</p>
<p>　これ以後、この輪廻を超越するということが、人生の究極の目標となるわけです。そしてバラモン教の方では、ブラフマンと合一することによって輪廻転生を止める、ということが一つの方法として説かれるわけですが、お釈迦様もやはり輪廻を脱するということ、解脱と申しますが、それを目標としました。インド哲学の世界では、六派哲学という六つの哲学学派が四世紀ぐらいに成立してゆきますが、それら学派すべてが、この輪廻からの解脱ということを究極の目標としています。</p>
<p>　輪廻の思想が説かれ、人間は生まれ変わり、死に変わりする存在であるという思想が生まれ、その輪廻を超越するということが、ブラフマンを知るという形で説かれたました。こういうバラモン教の思想が出てくると、その思想の影響を受けた人たちがあらわれ、自分の中のアートマンを見つけようとしたのです。ヨーガの内観、即ち、自分の中を内観することによって、自己のアートマンを見出そうという行が行われたりして、いろんな修行者が輩出したといわれます。</p>
<p>　それが、「沙門」、自由思想家と呼ばれる、バラモン以外の出家者たちで、真理を求めて活動をした人たちであります。中でも代表的な者たちが六師外道という形で、中村元先生の本にも紹介されています。唯物論、十二要素説、七要素説とか、運命決定論―人間はあらかじめ解脱の時期が決められてるから、良いことを行っても解脱の時期が早まることもないし、悪いことをしても、その解脱の時期が遅くなることもないと説いた人もいました。</p>
<p>　ゴータマ・ブッダ、あるいはジャイナ教という宗教を立ち上げたマハーヴィーラという人が、こういう沙門の代表として考えられています。</p>
<h4>３、 仏陀の時代</h4>
<div class="imgRight">
<span><img style="WIDTH: 334px; HEIGHT: 391px" alt="152-4.jpg" src="http://www.tibs.jp/lectures/152-4.jpg" width="767" height="974" /></span></div>
<p>　紀元前五世紀、六世紀の古代インドの時代はどんな時代であったのか?</p>
<p>　お釈迦様が、なぜ出家して大いなる真理を体得しようと思ったのかを考えますと、その要因の一つに大きな戦乱の時代であったという要素があったんじゃないかなと、私は思います。</p>
<p>　当時、十六大国が栄えていたといいます。アフガニスタンにはカンボージャっていう国があり、現在のパキスタンにはガンダーラという国らありました。</p>
<p>　ニューデリーの辺には、クル国という国がありまして、あるいはスラセーナ国、パンチャーラ国という国があったとされます。西インドには、アヴァンティ国があり、西インドからちょっと下がったゴーダヴァリー川の辺には、アシュマカ国という国がありました。</p>
<p>　そしてガンジス川の中流域の辺ですけども、そこにコーサラ国が、ヒンズー教の聖地ベルナレスの辺にカーシー国が、そして、更に東南にマガダ国やアンガ国がありました。アンガ国はインダス川の河口にあったチャンパーという都市を都とする国でした。その北には、八つの部族が連合して、一つの共和的な国家を形成していたといわれているヴリジ部族連合があったといわれています。</p>
<p>　このような十六の国々は、いろんな部族を中心として都市国家みたいなものができ、それらから展開していった。十六大国は徐々に、マガダ、コーサラ、アヴァンティ、ヴァッサという四つに融合されていって、最終的には、コーサラ国とマガダ国が相対立するという形になったといわれています。</p>
<p>　こういう動きは古代インドの政治学の書物の中で、「大きな魚が小さな魚を喰う」という言葉で表現されているのですが、まさに大国が小国をどんどん併合していった時代であったようです。お釈迦様の生まれた釈迦族の都・カピラヴァストウも、コーサラ国の属国であったといわれております。こういう大きなうねり、戦乱があり、人々が非常に混乱していた時代であったようです。そんなこともあって、いろんな宗教者が輩出した時代だったのです。</p>
<p>　ガンジス川の中流域は、非常に豊かな場所であったといわれます。複数の牛に範をかけて、それに鋤を引かせて田を耕す農法が行われていたとされます。そういう農法が行われ、しかもその鋤の歯に鉄が利用されて、深掘りが可能となり、非常に生産が進んだ時代であったといわれています。</p>
<p>　アンガ国の首都チャンパー、マガダ国の首都ラージャガハ、それからコーサラ国の首都のサーヴァッティ、サーケタ、コーサーンビー、バラーナシーという六大都市が釈尊の時代にはあって、そういう都市に裕福な人たちが住んで、「居士」（グリハパテイ）と呼ばれる在家の資産者たちが、自分の持っているお金を運用して、経済活動に関与するというようなことが行われたと考えられております。</p>
<p>　そういうお金持ちがブーガと呼ばれる「組合」に自分の持ってるお金を託すわけです。そして組合がそれを運用して、原材料を一括購入して、農機具を一括購入して、組合員に分けて生産させ、組合員が生産したものを回収して、ほかの都市に持っていって売ったのです。</p>
<p>　大体ヨーロッパのギルドというと、手工業者の組合というイメージがあるのですけど、インドのギルドは、生産だけでなく、流通業までの全部をカバーをしてたというのが、Ｒ・Ｓ・シャルマという人の本の中に出ていましたけども、そういう組合の利用によって、富がもたらされていたといわれます。</p>
<p>　在家の資産家たちが、お金持ちになっていくとともに、交易の発達は通商路の発生をもたらした。マガダ国の首都・ラージャガハ（王舎城）から、ガンダーラのタキシラまで、ヒマラヤ沿いにずっと上がっていくウッターラー・パタ（北道）、そして、アラハバードという都市あたりからデカン高原の方に下がっていって、パイタンっていうところまで行く、ダッキナー・パタ（南道）といわれるルートがあったといわれます。</p>
<p>　その結果、商人たちは安全な活動を保証してくれるクシャトリアである王族との関係を密接にし、さらに商人たちは王族に財政的に援助をするという形で、徐々に領域国家が強くなっていったといわれています。</p>
<p>　そうやって新たな社会というものが作り出され、「たとえシュードラであっても、財宝、米穀、金・銀に富んでいるならば、クシャトリヤ（王族）でも、バラモンでも、庶民でもかれより先に起き、後に寝て、進んでかれの用事を務め、かれの気に入ることを行い、かれに対して好ましい言葉をかけるであろう」というような、富を尺度とする社会が到来し、バラモン教の考え方を否定するような傾向が大変強かったといわれます。</p>
<p>　ガンジス川の中流域は、もともとバラモン教の影響が少なかったところですので、混血もどんどん進んでいったらしい。後の法典ではヴァルナ間の結婚によって、いろんな不可触賤民と呼ばれる四姓に属さない階層が生まれてきたんだという形で、雑婚によって不可触民の誕生を説明することが、行われています。</p>
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<span><img style="WIDTH: 276px; HEIGHT: 189px" alt="152-5.jpg" src="http://www.tibs.jp/lectures/152-5.jpg" width="814" height="557" /></span></div>
<p>　仏典には、プックサ（汚物清掃人）という、汚いものを片づける仕事に結びついた人たちや、マータンガという人たちの存在が出てくるのですが、彼らに対して、仏陀は四姓平等を説きました。戦乱が続き、社会が大きく揺れ動き、社会的にも、経済的にも、大きなうねりの中で様々な価値観がぶつかりあうような、そういった時代が、釈尊が活躍した時代であったということが推測できます。</p>
<p>　しかも、貨幣経済が発達し、銀を測って、それを熱して柔らかくなったところに刻印をボンと押す、パンチ・マーク・コイン（打刻印コイン）が経済活動をさらに活発にしたといわれています。王様たちだけではなく、都市とか、組合（ギルド）が貨幣を発行して、貨幣が商取引に使われていた。この時代が激動の時代となった原因のひとつが、打刻印コインの利用であったと思われます。</p>
<h4>４、釈尊の教え</h4>　様々な要因により価値観が大きく変わっていく、そんな時代に釈尊は生きておられた。出家の理由に関しては、釈尊伝を読んでますと、釈尊自体の個人的な悩みもあったようです。自分を生んでくれたお母さんを知らないで育ち、そして<strong>「若さのおごり」</strong>、<strong>「健康のおごり」</strong>、<strong>「生きているというおごり」</strong>という「おごり」の存在に気がつかれたといいまう。自分の中に「おごりたかぶり」なんかはないと思ってたけども、年寄りを見て、いやだなと思ってしまう気持ちとか、病人を見て、「ああはなりたくないな」と思ってしまうような気持ちが自分の中にあることを知ってしまった。 
<p>　あるいは、死者を見て、「死というのは私にも訪れるのか」と思って、それを「嫌なものだ」と思ってしまう気持ち。霊柩車を見て「縁起でもない」と思うような気持ちです。釈尊は、私たちよりも感性の鋭い方だったようで、そういう方が自分の中に「おごり」を見てしまったのだといいます。その他、これは推測でありますけども、釈迦族という部族の後継者として生きるべきなのか、あるいは、何かもっと価値あるものを求めて、自分の人生を全うしようと考えられたのか、そのような悩みもあったのでしょう。</p>
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<span><img style="WIDTH: 274px; HEIGHT: 191px" alt="152-6.jpg" src="http://www.tibs.jp/lectures/152-6.jpg" width="764" height="528" /></span></div>
<p>　こういう大きな社会のうねりの中にあって、大きな決断をされ、最終的には出家をし、ヨーガとパタス、瞑想と苦行という、当時行われていた修行法を全部やって、そして最終的には瞑想にもう一回返って、非常に深い禅定の境地で、自分は「悟った」、「悟っているんだ」ということが分かる知恵を体得されたといわれています。</p>
<p>　いろんな修行して、「法」を悟られたというのですね。インドの伝統では、この現象界の背後に何か普遍的な理法が働いていると考えます。</p>
<p>　<strong>ダルマ</strong>という言葉、達磨大師のダルマです。ドウリという、「保つ」という動詞から作られた語で、人間を本来の姿に保つべきものという意味です。釈尊は、修行の結果、知恵を得て、宇宙の、あるいはわれわれの世界の真理を体得された。そして、それがダルマであって、そのダルマがいろんな形で表現されるわけです。</p>
<p>「縁起の理法」という形で、このダルマを説明することが一般的に行われています。</p>
<p>　<strong>縁起</strong>とはどういうことかというと、経典には、老死に象徴される苦の原因をずっと考えていって、もともと人間の奥底にある、<strong>「無明」</strong>という根本的な無知の存在に行きつき、その「無名」があるから、すべての事象が生じている。この原因と結果の理は、この世の全ての現象にかかわっていて、この世の一切は互いにかかわり合っている、という事を示しています。すべてのものが関わり合っているということを示しているのが、縁起の理法であるといわれております。</p>
<p>　一般的に仏教の世界では、縁起がお釈迦様の悟りだ、といわれています。</p>
<p>　この縁起というのは関係性というような言葉でも説明できます。私たち一人一人は、一人で生きているようだが実は、一人で在るのではなくて、いろんな人々との、事象との関係のもとに成り立っている。それが私たちであるというのです。学生さんがいるから教員としての私がある。大学の教員という私の立場はあくまでも一つの仮の姿。私自身、相対的な存在で、また、生物学的にも、私の父と母がいなければ私はいなかっただろうし、というように、いろんな関係の上に自分自身というものが成り立っているというのです。人間関係だけでなく、様々な現象にも、この理がはたらいている。</p>
<p>　そうすると、何をもって私というものがあるのかということを考えると、なかなかはっきりいうことができないです。一切が関係性の上に在るのが、この世の常です。その悟りの内容をなんとかお釈迦様は分かりやすい言葉で表現されようとしたんだと思います。釈尊は悟りの境地に達した後、数週間、瞑想していらっしゃいます。悟りの余韻を楽しまれたとか経典には書かれているけども、中村先生は、自分の体験的な知恵をなんとか言葉に写す作業をそこでされていたと述べられてまして、その言葉に写したものが何かというと、我々が学ぶ三法印であり、四諦八正道という形の教えなのです。</p>
<p>　　　（三法印）<br />　<strong>「苦の教え」</strong>というのは何か。われわれは、欲望に促されて、欲望の餌食になって、我を忘れて、そして欲望の置き換えをしながら、常に欲望の中に生起している。それが人間の存在であるというふうに、われわれ一人一人のありようというものを、しっかりと見極めなさいという教えが、この「苦の教え」であります。</p>
<p>　それから<strong>「無常の教え」</strong>。私たちの生活で、一瞬一瞬が過ぎていくんだけど、どうしても、やはり過去の自分にこだわったり、あるいは未来に対する過度な恐怖というものを抱いていて、今、やらなきゃいけないことをやっていないっていうようなことがよくあります。だから、一所懸命、今を生きるということを実践すべきであるとていうことが、この「無常の教え」です。</p>
<p>　そして、<strong>「無我（非我）の教え」</strong>。すべては一瞬、一瞬変滅して、刹那、刹那、変わっている。そういう世界に我々は生きている。それはなぜかというと、「縁起」の世界であるから。条件も結果も、何もかもが、一瞬、一瞬変わっていく世界にあっては、本当に固定的、不変なものというのはあり得ないわけです。しかし、人は、それを「おれのもの」にしようとか、「我がもの」にしようとする。すると矛盾が生ず。従って、しっかりとこれは「我がもの」ではないということを見極めて、この自分の欲望をコントロール、制御するということが非我の教えであります。後にこの無我の教えは、バラモン教で説かれる人格主体、アートマンの否定という解釈に変わってしまいました。お釈迦様自体は非我の教えを説かれたのです。</p>
<p>　このように三法印に示される内容は、人は、ポジティブに、前向きに、一生懸命生きていきましょうということを釈尊は述べられたのです。そして、自分の欲望に流されることなく、しっかりと自分を見極めて、自分自身をその都度その都度チェックしながら前向きに、真の意味での自分が自分の主体として生きていこうというメッセージを、釈尊は私たちに残してくださったんじゃないかなと思えてならないわけです。</p>
<p>　　　（四諦八正道）<br />　そして、そういうお釈迦様の教えが、この四諦八正道という形で述べられています。この「苦の教え」である<strong>苦聖諦</strong>。なんで苦の状態になるのか？　それは私たち一人一人の心の奥底にある、タンハー（渇愛）と呼ばれる根源的な無知の働きが原因としてあるからであるという「苦の原因の真理」。<strong>集聖諦</strong>。その原因が取り除かれれば、必ず心が静まった、ニルヴァーナと呼ばれる体験ができるんだというのが、次の<strong>滅聖諦</strong>です。そして、そのニルヴァーナに至る方法論、修行法、それが<strong>道聖諦</strong>です。そして、それが八正道であるということで、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定というこの八つが述べられているわけです。</p>
<p>　ただ、この八正道でありますが、割と日本の仏教では大事にしないところがあります。お釈迦様の教説として聞くから、みんな覚えるのですけど、私は、解脱の方法としてお釈迦様が私たちに八正道を残してくださったのですから、自分なりにしっかりと考えておく必要があると思います。</p>
<p>　それでいつも、皆さんに、釈尊の基本メッセージというタイトルでレポートを書いていただいているのです。この八正道について、いろんなことがいわれています。いろんな解釈があります。<strong>正見</strong>、正しい見解とは四諦の理解をしっかりした上での、正しいものの見方をしていきましょうということです。そして、正しい物の見方、正見をもとに、新しい考え方の実践をしていきましょうといいます。</p>
<p>　即ち、自分を邪なものから離れさせ、人格完成者に向けさせるべく、前向きな考え方をしていこうというのが<strong>正思惟</strong>だと思います。そして、<strong>正語</strong>。正しい言葉づかい。荒々しい言葉、そしる言葉を退けて、やさしい言葉づかいをしましょうというものです。</p>
<p>　一昨年、タイのタンマガーイというお寺で、頭剃し、出家得度させていただいて、お坊さんの修行を一週間でしたけどもさせていただきました。指導者のタイのお坊さんたちは、日本語が堪能で指導をしてくださったのですが、三十代の若い人たちでしたが、やさしいのです。怒らないのです。もとキャバレーの店長をやってたというおじさんが出家仲間にいたのですが、このおじさんは、ちょっと時間がたつとすぐ世俗的な話に戻っちゃうんです。娑婆ではこうだったとか、今の女房は何人目だとか、そういう話になると、タイのお坊さんがやって来て、「何々さん、今、あなたは身に法衣をつけてます。あなたはお坊さんですから、もうちょっと考えて話しましょうね。」と、すごくやさしく語って指導するのです。</p>
<p>　そうすると、キャバレーの店長だった人が、ころっと、「すいませんでした」と謝ってしまう。「何を！」って、けんかするのかなと思ったら、逆にやさしくいわれたがために、直ってしまったのです。そういうことで、非常にやさしい言葉づかいというものはどんな時でも必要なんだなと痛感しました。</p>
<p>　次は、<strong>正業</strong>です。正しい生き方。殺生せず、邪な行いというものを一切捨てた、正しい行いを実践していくことです。そして、この正業にのっとった正しい生き方、<strong>正命</strong>を実践していく。そして、<strong>正精進</strong>。まさに前向きな努力を行うということです。精励努力です。原語はビールヤというのですけど、「勇気」というような意味で、正しいうことやるには勇気が必要ですし、また何か、きょうはかったるいななんて思ってるときに、ぐっと自分を奮い起こすのも勇気が必要ですよね。そういう前向きな、常に自分のモチベーションを高めるような努力をしていくことを意味します。</p>
<p>　そして、次が<strong>正念</strong>です。邪念を除き、心をしっかりと保ち、忘れないといいます。一種の集中と、悪い心を取り除く心をしっかりと自分の中に記憶しておくことであるいわれます。最後は<strong>正定</strong>です。正しい精神集中力によって、心を一つの対象にくぎ付けにするっていうことです。</p>
<p>　いろんな解釈ができると思うのですけども、また皆さんも、お一人お一人の立場から、この八正道を考えてみてください。というのは、日本の仏教では日蓮宗でしたら、日蓮聖人の言葉、「御遺文」というのがありまして、それが信仰の指針となっています。それぞれの祖師を通じて、親鸞聖人を通じて、日蓮聖人を通じての仏教の理解が重要になります。やはり直接的に、こういう非常に明快な解脱の方法が明確に述べられているわけですから、これを自分なりの理解を進めるということは、重要なことじゃないかなと思います。</p>
<div class="imgRight">
<span><img style="WIDTH: 395px; HEIGHT: 245px" alt="152-8.jpg" src="http://www.tibs.jp/lectures/152-8.jpg" width="601" height="394" /></span></div>
<p>　そして、こういう教えにのっとって、生きるということが述べられたわけですが、特に一般の人々には、五戒に則った自分の人格の向上の努力というものを釈尊は述べ、そして、昇天の果を目指すというようにと述べられました。天界は輪廻の世界の一番高いところにあるとされます。ちなみに、この図は、奈良康明先生の『仏教と人間　主体的アプローチ』という本に出てくる図です。輪廻の世界には、地獄、餓鬼、畜生、アスラ、人間、天の世界があるとあります。在家者はその天の世界を目指すべく、正しく生きるということを、五戒に則った生き方の実践を通じ行って、自身の人格向上に努めることが要請されたのです。</p>
<p>　そして、自分の欲望を避けるということ、即ち、離欲を一所懸命心がけなさいと、お釈迦様は私たちに伝えてくださったのです。</p>
<p>　ある程度、この昇天の果を目指す努力ができるようになった人には、実は天の世界というのは最終目標ではなく、その上に涅槃界という本当の目標があって、そのためには出家が必要だ、という形で、出家を促されたといわれます。ひとたび、出家、ようするに世俗を離れると、ヒンズー教の世界でサンサーラという、様々な通過儀礼から一切離れて、自分を孤独にし、質素にし、そして常に学び、常に瞑想し、自らの人格向上のための修行を行わねばなりません。それは、大変な困難を伴う生活だったようです。</p>
<p>　『スッタニパータ』に出てきますけど、常に五つの恐怖即ち、虻、蚊、は虫類、四足獣、そして人間に立ち向かわねばならないのです。人間とは、追いはぎや強盗なんかで出家を悩ませたりするので出ているのです。</p>
<p>　私が指導をタイのお坊さんに聞きましたら、その方が初めて出家したとき、最初の一年間は野外のテントで過ごさせられたとのこと。そうすると、でっかい蚊がやってきて剃った頭がみなボコボコになるというのですね。そこまで蚊や虻は大問題なのだそうです。蚊が嫌いな臭いのする塗り薬をつけて、蚊を遠ざけることはするんだけど、不殺生ですから蚊取り線香はつかえないので、ただじっと耐えなきゃならない。</p>
<p>　こういう徹底した衆家生活をして精励努力をする。そして、最終的には「空」の境地というべき一切の思いからの解放というものを、自分の心に確立させるということが、究極の目標というのであります。</p>
<h4>『スッタニパータ』</h4>
<p>　（蛇の章　出家の心構え）　最古の仏典とされる『スッタニパータ』に古代インドの出家修行者の姿や心構えが描かれています。第五六偈には、<strong>「貪ることなく、詐ることなく、渇望することなく、覆うことなく、濁りと迷妄とを取り除き、全世界において妄執のないものとなって、犀の角のようにただ独り進め」</strong>とあります。</p>
<p>　第五八偈には、<strong>「学識豊かで、真理をわきまえ、高邁・明敏な友と交われ。いろいろと為になることがらを知り、疑惑を除き去って、犀の角のようにただ独り歩め」</strong>とあります。</p>
<p>　もっと優秀な、自分が学ぶことができる人と常に一緒にいて、そして自分の知識の向上というものを常に考えなさいと述べておられます。</p>
<p>　（田を耕すヴァーラドヴァージ）　第七七偈では、<strong>「わたしにとって、信仰が種、苦行が雨である。知恵がわが範と鋤であり、慚が鋤棒である。心が縛る縄である。気を落ち着けることが、わが鋤先と突棒である。」</strong>。第七八偈では、<strong>「身をつつしみ、言葉をつつしみ、食物を節して過食しない。わたくしは真実を守ることを草刈りとしている。柔和がわたくしにとって牛の範を離すことである」</strong>等々、仏道修行というのがどういうものなのかということを、農作業になぞらえて説明をしています。</p>
<p>　（小なる章）　第三四二偈に<strong>「無相のおもひを修せよ」</strong>という言葉が出てきますが、ようするに、瞑想をして心を空っぽにするという、無念、無相、あるいは空の境地といいましょうか、そういう境地を実現すべきであると述べられています。</p>
<p>　（大いなる章）に、真のバラモンとは如何なる存在か、ということが述べられています。</p>
<p>　第六二〇偈、<strong>「われは、バラモンの女の胎から生まれ、バラモンの母から生まれた人をバラモンと呼ぶのではない」</strong></p>
<p>　第六二一偈<strong>「すべての束縛を断ち切り、怖れることがなく、執着を超越して、とらわれることがない人―かれをわたくしは〈バラモン〉と呼ぶ。」</strong></p>
<p>　第六二四偈、<strong>「怒ることなく、つつしみあり、戒律を奉じ、欲を増すことなく、身をととのえ、最後の身体に達した人、―かれをわたくしは〈バラモン〉と呼ぶ。」</strong>ようするに、務めに励み精進し、自分の人格向上のために、常に精励努力する人こそが真のバラモンであると、はっきりと述べています。</p>
<p>　（蛇の章）の「こよなき幸せ」の部分は、よく結婚式の前の夜に、新郎新婦の両方のところでお坊さんがお呼ばれして、読まれるといいます。ですから、在家の人たちに幸せとは何ぞや、あるいは自分の心構えはどうあるべきなのか、ということを説いた教えでもあるようです。</p>
<p>　第二五九偈<strong>「諸々の愚者に親しまないで、諸々の賢者に親しみ、尊敬すべき人を尊敬すること。」　</strong>第二六二偈<strong>「父母につかえること、妻子を愛し護ること、仕事に秩序あり混乱せぬこと」</strong>第二六三偈<strong>「施与と、理法にかなった行いと、親族を愛し護ることと、非難を受けない行為」</strong>第二六五偈<strong>「尊敬と謙遜と満足と感謝と適当な時に教えを聞くこと―これがこよなき幸せである。」</strong>　非常に前向きに自分の知識を増やし、あるいは自分の人格を向上させる機会を常に持つべきだということが、しっかりと述べられているようであります。</p>
<p>　最後に、（八つの詩句の章）　出家の目指したもの（「空」の境地）が述べられます。第八七四偈に<strong>「ありのままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、想いなき者でもなく、想いを消滅した者でもない。―このように理解した者の形態は消滅する。けだしひろがりの意識は、想いにもとづいて起こるからである。」</strong>これは、欲望は何から生ずるのかという議論の中で、快・不快という気持ちから起こるといい、その快・不快は何から起こるのか？　それは、われわれには感官があって、感官と対象領域が接触するからである。ということは、対象領域の名前とか形態というものはどうやって生起するのかという議論の後に述べられているのがこの文章です。ようするに、自分の想念からの解放といいましょうか、「無」の境地というものは、たしかにすべての欲望の制御に繋がっていくという意味で述べられているという点で重要だと思います。</p>
<p>　中村先生は、『ゴータマ・ブッダ』の中で、釈尊がヨーガを学んだウッダカ・ラーマプッタというヨーガの先生が体得した境地とされる非想非非想処は、まさに『スッタニパータ』の八七四偈の境地であると仰っています。すなわちこれが、原始仏教のお坊さんたちが目指した境地で、ウッダカ・ラーマプッタに結びつけられて説かれるようになったのだと書いていらっしゃいますが、まさに想いからの解放、すべての想念からの解放が目指されていた。後に「空」が説かれ、それを座禅で実現しようとするとする大乗仏教の流れのルーツともいえるような思想が、原始仏教のお坊さんたちが究極的に目指したものであったということが、ここからわかるのです。（終）</p>]]>
        
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    <title>生きる道としての仏教　－無常を観る－　（第24期開講記念講演）</title>
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    <published>2011-06-24T03:40:31Z</published>
    <updated>2011-07-06T07:27:21Z</updated>

    <summary>　知人七～八人と集まって、勉強会やっていた時に、「今回のような災害にり（・）災し...</summary>
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        <![CDATA[<p>　知人七～八人と集まって、勉強会やっていた時に、「今回のような災害に<ruby><rb>り<rp>（<rt>・<rp>）</rp></rt></ruby>災して、苦しみ悩んでいる人に、仏教ではどう言葉を掛けたらいいんですか」という質問が出ました。「仏教徒として」私はこう話しかけたい、ということなら出来るが、「仏教では」というと、教理的な、公式的な教えみたいなものをしゃべらざるを得ないし、今、苦しんでいる人に理念を説いても無意味ではないでしょうか、と申し上げました。そしたら、その公式的なことでいいから、仏教ではどう答えるのかと聞かれました。</p>
<p>　本日、無常ということを、お釈迦さんが、そして仏教が、無常ということをどういうふうに考え、受け止めているのかということを、おさらいの意味も含めて、少し申し上げてみます。　<br /></p>
<h4>無常性から無常感へ</h4>
<p>　無常という言葉は、常ならずということでしょう。万物はすべて移り変わり、とどまるところがない。すべては移り変わっていくものであり、固定的な実体などはない。</p>
<p>　中学生のころの化学ですか、物理ですか、原子とか分子というのは、これ以上分割できない実体であると習ったですね。これ以上分割できない実体である原子、分子を認めるならば、無常ということに当てはまらないではないかなどと考えたこともありました。最近になり、物理学が更に発展し、分析が進んで、量子論では、ものの本質、存在の本質とは、こちらから見るとエネルギーで、向こう側から見ると波動だなどというのだそうです。　</p>
<p>　波動であり、エネルギーであるとすると、動いているものですし、固定的な実体じゃない。仏教の世界観、無常というのは、科学的な面からも、真実として受け止めていいものだと思うのですね。<br />　外国人と話してますと、「仏教に魅力があります、非常に科学的だから」という答えがよく出てきます。私は科学的だからいい宗教だとは毛頭思わないのですが、しかし無常が科学的だということは、たしかに結構なことでしょう。</p>
<p>　「科学的無常性」というのは、たしかに無常の重要な特徴です。しかし、無常については、科学的無常性だけではなくて、「はかない」という理解もあります。</p>
<p>　「おごれる平家、久しからず。」日本の古代、中世文学の基調にあるのは無常感なのですが、この無常感は、決して科学的な無常性そのものではありません。無常なる現象を、私どもが感覚としてどう受け止めるかというところに「詠嘆的無常感」があるわけでしょう。その無常感というのは感心するの「感」であります。この無常感が、現在の無常という言葉が一番普通に使われる用法かと思います。はかないという言葉で代表されますね。</p>
<p>　きのうまで元気だった人が急にいなくなってしまう。「人の命って分からないね。無常だね。はかないね。」こういう使い方がありますでしょう。</p>
<p>　無常だから人が亡くなっていきます。栄えたものが滅びていきます。バブルがはじけて、無一文になったりします。私ども、感覚的には、生きているものが亡くなっていく、栄えていたものが滅びていく、あったものが無くなっていく、そうした一種の滅びのときに限って、無常だね、はかないねって、普通使うんでありまして、逆に、新しく命が生まれたとか、お金がもうかったよとかいうときには、あんまり無常という言葉は使わないんですね。</p>
<p>　でも、科学的無常性ということからいうならば、とにかくすべてが変化していくのが無常でしょう。ですから、例えば、知り合いの方に赤ちゃんが生まれました。病院へ出産のお祝いに駆けつけます。「赤ちゃん生まれたんですってね。おめでとう。世の中、無常ですね」って言ったって構わない、理屈としては。無常だからこそ、お腹の中の赤ちゃんが大きくなって、おぎゃあって生まれたわけですから。しかし、こういう言い方はなさらないほうがよろしい。誤解されますから。</p>
<p>　客観的無常性。すべては無常だよという厳然たるものごとの真実と、それを私どもがどう受け止めるか。はかないねという受け止め方。無常性と無常感とは、分けて考えておいた方がよろしいですね。これは、インドにおいても同じで、お釈迦さんの時代にも無常性はそれなりに受け止められておりまして、「アニテイヤ」、常ならざるもの、というインドの言葉もございまして、変化する物事の本質は知られていたのです。ただ、それが、科学的無常性としてのみ古代インドでも理解されていたかといったら、決してそうじゃない。日本と同じで、物事が滅びていくときにとくに無常性が感じられるという、そういう意味での無常も受け止められておりました。</p>
<p>　<strong>「ああ、短いかな、人の命よ。百歳に達せずして死す。たとえこれよりも長く生きるとしても、また、老衰のために死ぬ。」</strong>（『スッタニパータ』八〇四）。古代インド人も、日本人と同じ感覚を持っていたことを知ることができるのですね。</p>
<p>　現在、無常というと、だいたい、この客観的無常性と、はかないという詠嘆的な無常感だけが理解されているように思います。無常ということはこの二つで考えられているのではないでしょうか。しかし、この二つで終わったら、仏教の無常は理解できません。お釈迦さん、そして、代々のお祖師さん方が、説き、教えてこられた無常ということには触れずに済んでしまいます。それこそが、実は、仏教独自の無常に対する見方であり、それに基づく生き方ということになるのです。</p>
<h4>　　　　　<br />無常感から無常観へ</h4>
<p>　<strong>「たったこれほどの小さな存在でも無常ならざるものはない。もし無常でないなら、清浄の行を修し、苦を滅することはできない」、</strong>（『相応部経典』二二，九七）。これはパーリ語仏典の比較的古層に属する文章で、恐らく、お釈迦さんの生の言葉であると見ていいものです。</p>
<p>　お釈迦さんが侍者和尚の阿難さん（アーナンダ）を連れて歩いていました。お釈迦さんは腰をかがめて、地面から小さな土の塊を取りまして、爪の上に乗せました。親指の上かなにかに乗せたんでしょうね。それを阿難さんに示しまして、「これっぽっちのものでも、無常でないもの、常なるものというのがあるかね」って聞くんです。そうすると、阿難さんは、「たとえこんなちっぽけな土の塊でも、無常ならざるものはない」と答えるわけです。するとお釈迦さんから「これほどの小さな存在でも、無常ならざるものはない。もし無常でないならば、清浄の行を修し、苦を滅することはできない」、こういう言葉が続いて出てきます。つまり、客観的無常性とか、はかないね、ならば、苦を滅し、それを修行するなどということが出てくる余地がないのです。</p>
<p>　ところが、すべてが無常なんだから、だからこそ、清浄の行を修するならば、苦を滅することができるんだという教えなんですね。実は、こうした考え方が、少し後の仏教の公式になってきます。すなわち、すべてのものは「無常であり、したがって苦であり、無我である」と説かれます。「無常・苦・無我」という三点セットで説かれるのです。無常なるものは苦であるっていうのは説明が付くのです。ところが、苦なるものがなんで無我なのかというと、これは、難しいのですね。無我のことは別といたしましょう。</p>
<p>　「十二縁起」という教理があります。一種の公式のようなものです。しかしこれは、お釈迦さん自身が「十二縁起」としてそのままのかたちで説いたわけではありません。私どもがお釈迦さんの教えとして学んでおります三法印、四諦八正道なども同様で、公式ですし、仏教の基本です。しかし、お釈迦さんがそのままの形で説いたわけではありません。お釈迦さんの教えを聞いた弟子たちが、時代がたつにつれて、次第に教理としてまとめられてきたものです。それじゃ、お釈迦さんの思想とは関係ないのかというと、そんなことはないのです。お釈迦さんは、そこまで教理的なかたちでまとめて講義したわけじゃないのですが、こうした教理の中核を成している基本的な考え方をいろいろな脈絡で自由に説いておられます。だから、中核になってる教えはお釈迦さんの思想なんですが、それが次第に、後でまとめられてきたものだということは、理解してください。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h4>苦はどうして生じるのか</h4>
<p>　この十二縁起も、なんでこの人生は苦なるものであるのかを説明する公式です。「人生は苦なり」といいますが、その苦がどうして発生してくるのかというプロセスを、十二の項目を並べて説明したものです。ＡがあるによってＢがある。ＢがあるによってＣがある。......と、ずっといって、最後の老死、すなわち、苦が生じるのだという説明形式なんですね。これも、実は、一筋縄で解釈できる公式ではなく、教理としてまとまってくる間に、いろいろな思想がその中に入り込んできておりまして、これをまともに理解しようと思ったら、半年ぐらい大学の仏教学部でもかかるような、難しい問題があるのです。</p>
<p>　しかし、その十二縁起、なんで苦が生じるのかということの中核にある基本的なものだけをピックアップしてみれば分かりよくなります。十二縁起は、まず「無明」というところから始まります。「無明」によって「行」あり。「行」によって「識」あり、うんぬんと続いていくのですが、無明ということは、何によって無明ありとは説かれません。ということは、無明が人間の愚かさの基本であり、根本的なもので、人間は生まれつき無明ということになっていると、こういうふうに理解してください。</p>
<p>　無明とは、言葉とすれば、知識がないということですが、知識がないんじゃなくて、知恵がないということです。というより、人間の本来的な愚かさのことを無明といいます。私どもは、おぎゃあって生まれたときから無明の存在なんだと、こう理解してください。それは、縁起とか無常などという真実を知る知恵がないことです。</p>
<p>　そして、すこしあとには、「渇愛」という言葉が出てくるのです。普通、これは「愛」と訳されるのですが、loveではありません。むしろ、渇きという意味です。原語ものどの渇きという言葉を使っておりまして、夏、暑いときに無性に水を飲みたくなりましょう。それにも似て、私ども人間は何かを欲しがって、欲しがり抜いていく本能的な働きが備わっている。そういう本能的な働きを「愛」といいます。のどの渇きに似ているものですから、渇愛などという言葉を使います。</p>
<p>　それは本能的な働きでして、それだけじゃ実際に何が欲しいってことにならない。なにかの対象と結び付く必要がある。その本能的な、根源的な欲望が対象と結び付くことを「取」と申します。「執着」ともいいます。この二つがあるからこそ、あの子が欲しいという、私どもの欲望が働き出ます。私どもが普通欲望といっているものを、ここでは本能的な、根源的な欲望の働きと、それが対象と結び付くことの二つに分けて考えたのだと、お考えいただいても構いません。</p>
<p>　その次に出てくるのが、「有」ということです。これは、存在という訳も付く言葉なんですが、これは人間存在とは、とかいう時の存在一般の意味ではありません。そうではなくて、迷いの世界、迷いの存在のことをいいます。和辻哲郎先生などは「輪廻の中の存在」といういい方もしてるのですが、中村元先生は「迷いの存在」という言葉を使っています。原語は「バヴァ（bhava）」といいます。存在一般のときには、「バーヴァ（bhava）」と母音が長くなる言葉で区別して考えてください。この存在とは何かというと、渇愛＋取ということで、自我欲望にふりまわされている存在のことです。</p>
<p>　仏教では、欲望ということを必ずしも否定しません。</p>
<p>&nbsp;人間に欲望があり、便利になろう、ないものを作ろうと、一生懸命努力してきたから文明が進み、これだけ便利な世の中になりました。だから、欲望を否定する必要はない。欲望があるからこそ文明が進歩した。これは疑いようもない事実でしょう。ただ、仏教で問題にするのは、あくまでも人生苦なんです。人生苦に欲望がかかわっているのです。問題は苦なんです。</p>
<p>　その苦を考えていくときに、私どもの欲望がどういうふうに働くかといいますと、欲望には二つの特徴があるのです。これは私なりの言い方ですが、欲望というのは、「ないものをねだる」ということと、「かぎりなくねだる」というものです。私どもに苦をもたらし悪さをする欲望は、ないものをねだるということと、限りなくねだるという、この二つにつきます。二つとも、百％手に入れることできませんから欲求不満をもたらします。</p>
<p>　手に入らないのが判っているときには、欲しがりません。死にたくないなどと言うのは、ないものをねだってるわけでしょう。死ぬのが分かってるから、あんまり皆さんもおっしゃらない。しかし、皆さんがもうちょっと年を取られて、お医者さんに「あと三カ月の命ですよ」っていわれたら、「冗談じゃないよ、俺、死にたくない」って、きっとおっしゃるだろうと思います。そうすると悩むじゃありませんか。やっぱり、ないものねだりですよね。</p>
<p>　大学の普通の学生さんは卒業して、プロ野球の選手になって、何千万という契約金が欲しいなどということは誰も言いません。できっこないのは分かってますから。普通の学生にとっては、プロ野球の選手というのはないものねだりではありません。求めないのですから。ところが、トップクラスの大学野球部の選手にとっては、プロ野球の選手っていうのはそこまで手が届いてる。だから、欲しいんです。プロに行きたいんです。それで、一生懸命やって行けないと、絶望するわけですね。ないものねだりをして、思いどおりにならないから悩むんです。</p>
<p>　スポーツ関係の選手というのは、こうした競争が激しくて、思いどおりにならないという現実にもろにぶつかることが多いから、絶望する場合も多い。絶望し、それをまた乗り越えていくから、人間的には強くなります。文化系のクラブにいた連中よりはその意味では鍛えられますし、人生をある程度分かってきている面は確かにあります。企業が、大学で四年間スポーツ関係やり抜いてきた子を好むというのは、そういう面もあるんだろうと思います。</p>
<p>　限りなくねだる。人間というのは、豊かになるに連れて、欲望は増長いたします。前は欲しがらなかったものが、たまればたまるほど欲しくなります。学生時代にポケットに千円札一枚あったのを友人と二人で分けて、五百円のラーメン一杯づつ食べた人が、少し財産を持ってくると、びた一文、人には渡さないなんてことになってくる。ものが増えれば増えるほど人間の欲望は増長しますから。アメリカの、確かカーネギー財閥の御大が「お金と灰皿は、たまればたまるほど汚くなる」と言いました。灰皿は、吸い殻がたまればたまるほど汚くなる。お金も、たまればたまるほど散じていくのがおっくうになって、使い方が汚くなる。言い得て妙ですね！</p>
<p>　ないものをねだる。限りなくねだる。ないものをねだる典型的なのが、老・病・死の反対の永遠の若さと、病気しないことと、死なないことですね。お釈迦さんが悩んだのは、老・病・死というのですけど、私はお釈迦さんが悩んだのは死の問題だと思っているのです。死にたくないっていう自我欲望があり、死なねばならぬという現実がある。一般的にいうならば、思いどおりにしたいという自我と、思いどおりにならない現実、この二つの間でお釈迦さんの自我が引き裂かれ、悩んだものと私は思ってます。思いどおりにしたいという自我と、思いどおりにならない現実、わたくしどもにとっても常に抱えてる問題じゃないかと思いますね。</p>
<div class="imgRight">
<span><img style="WIDTH: 256px; HEIGHT: 206px" alt="151-5.jpg" src="http://www.tibs.jp/lectures/151-5.jpg" width="798" height="559" /></span></div>
<p>&nbsp;</p>
<h4>私どもは無明の存在　　　　　　</h4>
<p>　そうなったときに出てくるのが無明という問題です。無明というのは、知恵がないことだと申しましたけれども、具体的にいうと、真実を知らない無知です。その真実とは何かといったら、具体的には、例えば、無常であり、無我であり、縁起であり、空などと言われている宇宙のハタラキ、仏教の方でこれぞ真実だといわれているものを知らない、無知のことであります。つまり、すべては無常なのだと本当に知っているならば、永遠に生きたいという欲望がないものねだりであることがはっきりしてきます。そうすると、ないものはねだらないで済みますから、それだけ心安らかになるのではないかと、理屈をいえばこういうことです。</p>
<p>　そういうふうに、すべては無常ですよ、移り変わっていくんですよ、永遠の命なんてないのですということを、頭で理解しようと思えばできます。皆さんもそれは理解していると思う。しかし、頭では納得しても、心が納得しないんです。知識として頭で分かっていても、心が納得しない。「判かっちゃいるけどやめられない」っていうことは仏教でもキリスト教でも、共通の問題だと私は受け止めています。みんな、理屈は分かっているんです。それが、やめられないんです。それをやめさせてくれるのが宗教信仰だと思います。</p>
<p>　すべては無常です。永遠になんか生きられっこない。しかし、お医者さんのいうように、お前さんはあと三カ月の命だっていわれたら、それが素直に受け入れられるかといったら、受け入れられません。だからこそ、人間は無明の存在だというんです。有名な学者が、無明は四諦八正道のような仏教の真実を知らないことであるなどとおっしゃっているのですが、誤解を招きやすい。真実を知らないっていう意味は、知識として知らないっていうふうに取ったら、とんでもない間違いですね。知識なんかいくらでも理解できるんです。人間、無常で、永遠になんか生きられないという知識は、皆さん、今でも既にお判かりになってる。それじゃ、無明が明に転じて心で納得しているかといったら、転じていませんね。つまり、無明という私どもの本性的な愚かさ、物事の本当の在り方を素直に受け入れかねる無明性があり、欲望の働きがある。だから、私たちは迷いの存在だというのです。</p>
<p>　それを心に納得させるにはいろいろな考え方があると思うのです。私ども学生のころにはやった学生言葉がございました。友人が失恋いたします。俺、失恋しちゃったって、ぼやき、悩んでいます。ふんふんって聞きながら慰めるわけですね。どういうふうにして慰めたかっていいますと、「捨てちゃえ、捨てちゃえ、どうせ拾った恋だもの」。　</p>
<p>　自分の持っていた自我欲望がないものねだりなんだよと、そんなもの気にするなと、さっさとそんな執着捨てちまえっていう意味に通じるではありませんか。</p>
<h4>　　　　　　　　<br />人生は苦なりの意味</h4>
<p>　私どもは全く可能性のないものは望まないけれども、それでもいろいろに、ないものをねだり、限りなくねだっています。それが真実というものを無視したかたちでいうから、望みが達成されないということがあるわけでしょう。私どもは、常にそういう人生、毎日を繰り返してます。そういう私ども人間の現実を、お釈迦さんは「人生は苦なり」といったのです。</p>
<p>　人生は楽しいこともあるじゃないですか、という反論がありましょう。たしかに人生は、楽あれば苦あり、苦楽入り乱れる人生で、それはそのとおりなんです。しかし、「人生は苦なり」とお釈迦さんが言ったときには、苦もあれば楽もありという相対的な苦の部分だけを取り出して、人生は苦なりといっているのではないのです。「人生に苦あり」というならばまだ話は分かる。しかし、人生に苦ありといったら、人生に楽もあるじゃないかということになります。苦と楽が対照的な苦楽の中から苦だけを取り出すから、おかしいってことになる。外国人の仏教研究者が必ず引っ掛かるのはここなんですね。</p>
<p>　そうではないのです。無明という、生まれつき、私どもに備わった愚かさがある。それにまどわされて、自我欲望をふりまわし、ないものをねだり、限りなくねだっていく。それを常に繰り返している人生だから、常に迷いの存在の中にいて、欲求不満でアップアップしているではありませんか。そういう人間の在り方を、「人生は苦なり」といってるんですね。「人生に苦あり」じゃなくて、「人生は苦なり」ということを、ご承知おきください。同時に、人生は苦なりというその苦をどう乗り越えるかというのが、実は、お釈迦さんの、そして、仏教の教えであるわけですね。</p>　そういう意味で、無常というものを、お釈迦さんは、すべては無常ですね、はかないねって、一般にいわれていた内容を宗教的真実にまで高め、昇華したのです。無常という真実があるからこそ、それを本当に知らないで、欲望を振り回すからこそ苦というものがでてくるのだし、それをひっくり返すならば、無常とか、縁起とか、苦という言葉で表現される真実を、実際の生活の上で苦労しながら自らに納得させていくことで、心を安んじていく。これは、頭で理解したって駄目なんです。やはり、手を合わせ、仏祖に祈りながら、毎日を努力していく生き方の中において、初めて、無明性と自我欲望は、少しずつ、少しずつ抑制されていくのです。それを一遍に、魔法の杖を振って、さっと悟りを開いたなんて、そんな悟りはありません。そんな悟りがあったら、仏教はいらないんです。誰も悩みなんかないんですね。そうじゃなくて、「判っちゃいるけどやめられない」ものを、やめる努力をしていくのが信仰の生活だし、それを地道に繰り返していくところに「<ruby><rb>安心<rp>（<rt>あんじん<rp>）</rp></rt></ruby>」がある。心安らかといっても、親しい人が亡くなる、津波で家がつぶされた、などというとき、心安らかであるはずがありません。家がつぶれた、親しいものに死なれた、涙をこぼしながらでも、俺は無常の現実にぶつかっているんだ、逃げては駄目なんだと、それを乗り越えていくことを決意し、強く生きていくプロセスこそを、「<ruby><rb>安心<rp>（<rt>あんじん<rp>）</rp></rt></ruby>」心安らかに生きると仏教ではいうのです。<br />　　　　　　<br />
<h4>無常を生きる、無常を観る</h4>
<div class="imgRight">
<span><img style="WIDTH: 183px; HEIGHT: 267px" alt="151-7.jpg" src="http://www.tibs.jp/lectures/151-7.jpg" width="338" height="508" /></span>ティラウラコット</div>
<p>　「スッタニパータ」は原始仏典の中でも一番古い層に属するもので、お釈迦さんの言葉が多く含まれています。</p>
<p><strong>　「世間の人は老と死に傷つく。だから、賢者はこの世の真の有様を知って悲しまない。あなた方はいたずらに泣き悲しむ。泣き悲しむことでなんらかの利益があるなら、賢者もそうしていい。しかし、泣き悲しむことによって心の安らぎは得られない。一層苦が生じ、体がやつれるだけである。そうしたからといって死んだ人は返らない。嘆き悲しむのは無益である。悲しむのをやめないとますます苦悩が襲う。人が死んで亡くなったら、もう私のところには戻ってこないと思い定めて、嘆き悲しみよ去れ。自分を幸福にしたい人は自らの煩悩の矢を抜け」。　</strong>（『スッタニパータ』五八一―五九二）</p>
<p>　ずいぶん冷たい言い方じゃありませんか。しかし、この言葉は老と死という無常の事実への対応を教えています。悲しまないというのは、悲しむという心の動きがないというふうに取らないでください。これは、一つの表現なんです。この辺が仏典の分かりにくいとこなんですね。悲しまないと言っても、親しい人に死なれて悲しまないわけがないのですね。涙は流すかもしれないし、悔しがるかもしれないけれど、悲しまないというのは、その悲しみをのりこえたという意味で取ってください。</p>
<p>　誰も、泣き悲しむことによって利益があると思って泣いている人などいません。悲しいから泣くのでありましてね。それをこういう言い方をするのですね。死んだ人は返らないというのが知識としては納得できるのに、心が納得するにはどれだけ私どもは苦労していかなきゃいけないのかという現実をいつも考えてください。泣きたいのを我慢して泣くな、というふうに取ると、まったくお釈迦さんのいう意味が違ってきてしまいます。泣いてもいいんです。嘆いてもいいんです。ただ、嘆きっぱなし、泣きっぱなしじゃ困ると言っているのです。</p>
<p>　私の知人の明るい女性ですが、二十二歳のときに生まれて一歳ぐらいの赤ちゃんを、ＳＩＤＳ（乳幼児突然死症候群）で亡くされました。お母さんの苦しさは大変なものだったにちがいありません。</p>
<p>　わが子に死なれた悲しさに、仏教ではどう対応しろと教えるのですかと聞かれました。私は答えました。厳しい言い方かもしれないけれども、無常の現実に出会っていることを見つめて、いわば、逃げ出さずに、前向きに生きていくことです。彼女はまた聞いてきました。前向きに生きていくにはどうすればいいんですか。私は仏に祈っていくより仕方がないのではないかと申し上げたのですが、彼女は肯んじませんでした。彼女は、同じような境遇で赤ちゃんを亡くしたお母さん方の相談相手になり、慰め、励ましていくボランティアの会で自分の苦しんだ体験を語り、慰め、励ましながら、それによって自分も慰められながら生き抜いてこられたようです。あの子に死なれた悲しさを本当に克服できたと思うまでに二十五年かかりましたと、そのお母さんは言われていました。そうだろうと思います。</p>
<p><strong>　「人が死んで亡くなったら、もう私のところに戻ってこないと思い定めて、嘆き悲しみよ去れ。自分を幸福にしたい人は自らの煩悩の矢を抜け」。</strong>お釈迦さんは、そう言うんです。言いたいことをずばりいっているんです。だけど、そのまま文言どおり受け取ると誤解します。そこが、仏典、経典を読む読み方なんです。</p>
<p>　これは、あくまでも、三人称でしゃべっている。一般論なんです。苦しんでるのは私なんですね。主語を一人称に変えなきゃいけないんですね。</p>
<p>　しかし、お釈迦さんはそこまで親切には言いません。あるいは、代々のお祖師さん方もそこまでは言いません。かくあるべきということをずばりとおっしゃってるわけですね。それが仏典の教えであり、それが論理化された場合、教理になってきます。教理は、あくまでも、理論であり、端的にいえば、骨格でしかありません。血も流れていなければ、肉も付いてないんです。教理で説かれていることは、万物無常、すべては無常である、客観的真実だということです。はい、それは分かりました。今度は、すべては無常であるという、その「すべては」という三人称の主語を「私は」に変えなきゃ駄目なんです。私が無常なんです。私は、無常の現実に、今、ぶつかってるから、地震で家が流された、子どもに死なれた、入学試験に落ちたなどということになってくるわけですね。そうすることで、いろいろな教えが現実の生活の場で理解されてきます。</p>
<p><strong>　「熱時には闍梨を熱殺し、寒時には闍梨を寒殺すべし」。</strong></p>
<p>　これは中国の洞山良价という禅僧の言葉です。ここで熱、寒というのは、人生の暑さ寒さです。雲水さんが来て、人生、暑い寒いがあるけれども、暑いとき、寒いときにはどうすりゃいいんですかと良价に問うたら、暑さ寒さのない国へ行ったらよかろうと答えます。雲水さん、勇んで問い掛けていきます。寒暑のないところなんてあるんですか。それに対する答えがこの一句です。</p>
<p>　闍梨っていうのは阿闍梨の意味で、修行僧、おまえさん自身をというほどの意味です。寒いときには、寒さでおまえさんを殺しちまえ、というのですが、この「殺」というのは、強めの言葉で、実際に殺すことではありません。端的にいえば、寒いときには寒さに入りきれ、暑いときには、暑さから逃げるなということです。暑い、暑いと言いながらも、胸をはって歩いていくよりしょうがない。それが暑さ寒さを乗り越える道だと言ってるのです。暑いときには汗が出ますから、汗をふきふき歩いていくんです。寒いときには、寒いなって肩をすぼめてもいいから、しかし、前を向いて歩いていく。</p>
<p>　良寛さんが、越後地震があったときに、文学者仲間の山田杜皐さんのお見舞いに対して、返事を出しています。　<strong>「災難に<ruby><rb>逢<rp>（<rt>あ<rp>）</rp></rt></ruby>う時節には災難に逢うがよく候。死ねる時節には死ぬがよく候。これはこれ災難をのがるる妙法にて候」</strong>　と。つまり、災難に遭ったら、逃げるな、災難にぶつかれ。無常の現実にぶつかってるのだと、もろに受け止めて、つらいな、悲しいな、しんどいなっていいながらでも逃げることはするな、立ち向かえといってるのです。じゃ、逃げないでどうするかっていったら、前向きに生きていくよりしょうがないのです。</p>
<p>　八木重吉は、明治から大正にかけての文学者で、クリスチャンです。キリスト教徒もまったく同じことをいうんです。</p>
<p>　<strong>「苦しいことに入りきったら、苦しさはなく、ただ生くるということばかりだった」。</strong></p>
<p>　何か苦しいことがあったんでしょう。苦しい、苦しいと思っていたけど、苦しさの中に飛び込んだら、ただ前向きに生きていくことしかなかったというのですが、順序としては、前向きにいきていくプロセスの中に苦しさをのりこえる力が出てきた、と理解する方がわかりよい。無常の現実にぶつかったときに、逃げずに生き抜いていく。そのためには、つらいことも耐えていかなきゃいけないし、涙をこぼして構わないし、じだんだ踏んで悔しがっても構わない。しかし前向きに生き抜いていくという生き方をこそ、お釈迦さんは、そして、仏教では教えているわけですね。それが「無常を観る」ということだし、「無常を生きる」ということなんです。</p>
<p>　道元禅師の言葉で、　<strong>「無常迅速なり、生死事大なり。しばらく存命の間、ただ仏法を行じ、仏法を学すべきなり」</strong>というのがあります。単に災難に遭ったとか、死ぬ時節に遭ったとかいうことだけじゃなくて、仏様に、無常という真実、仏の命、そうしたものに生かされているがゆえに、今というものをそれなりに一生懸命生きていく。ということは、具体的には、毎日の生活をきちんと努力しながら生きていくということです。その大切さをいっているものです。そこに自分なりに納得できる人生が開けてくる。これも「無常を生き」ていく最終的な結論です。しかし、むづかしいし、理想どおりに現実の生活はいきません。</p>
<p>　本日、最初に、「大震災に遭われた方にどういう言葉をかけたらいいかって聞かれたと申し上げました。「仏教」では、ときかれると答えようがないと申し上げた意味は、今、述べてきた通りです。</p>
<p>　一般論で言っても、恐らく、り災者の人は納得していただけないと思います。一人一人の方に、それぞれの人間関係の中で、今申し上げたようなことを、自分の言葉で申し上げていくより仕方がないだろうと思いますね。それは、人間対人間の心の通い合いの中での言葉です。どうも、言葉でいうと冷たいものになってしまいます。しかし、仏祖の教えというものは、やはり言葉です。教理には違いない。もちろん教理は大切です。それで仏教を学んでいくのですから。でも、現実に、自分に生きるということにかかわってくるときには、主語を一人称に替えて、自分の問題として引き受けていくよりしょうがない。それが仏教を学び、仏教を生きていくことだと思っています。<br />（終）<br />「文責　編集部」</p>]]>
        
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    <title>鳩摩羅什三蔵法師　余話</title>
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    <published>2011-04-25T02:13:49Z</published>
    <updated>2011-07-06T07:18:11Z</updated>

    <summary>鳩摩羅什三蔵と聖徳太子 　日本文化における鳩摩羅什の影響は多大なものがあります。...</summary>
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        <category term="大洞 龍明塾長" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<h4>鳩摩羅什三蔵と聖徳太子</h4>
<p>　日本文化における鳩摩羅什の影響は多大なものがあります。中国・五胡十六国の時代（四～五世紀）、朝鮮半島へ仏教を伝えたのが前秦の苻堅王で、三七二年頃のことでありました。百済より日本に仏教が伝来したのは五三八年といわれております。五九三年に聖徳太子は摂政になられた後、高句麗の高僧慧慈から仏教の講義を受けておられます。太子は冠位十二階と一七条憲法を制定され、六〇〇年に第一回の遣隋使を遣わしておられます。</p>
<div class="imgLeft">
<span><img style="WIDTH: 142px; HEIGHT: 181px" alt="150-4.jpg" src="http://www.tibs.jp/lectures/150-4.jpg" width="259" height="338" /></span>｢上宮太子画像｣より聖徳太子</div>
<p>　鳩摩羅什が長安へ入ったのは四〇一年ですが、彼が正式な大乗仏教の経典約三百巻を中国にもたらし、それが朝鮮半島に渡り、さらに日本に伝わって、勝鬘経義疏、維摩経義疏、法華経義疏といういわゆる三経義疏を聖徳太子が著されたのは六一一年～六一五年の頃でした。</p>
<p>　そうしますと聖徳太子は玄奘三蔵の影響は受けてないと言わざるを得ません。そして日本の仏教界の経典、例えば天台宗、それから日蓮宗関係で使われている経典―妙法蓮華経、これは羅什が伝え漢訳したものです。維摩経、般若経は禅宗系統で使いますが、これも羅什が伝え翻訳したものです。それから浄土系で大切にされている仏説阿弥陀経は四〇二年十二月二十日に羅什が長安へ到着するや早々に漢訳した経典で、日本の浄土系仏教宗派が必ず依用している重要な経典です。</p>
<p>　そういうことから見ますと、羅什が聖徳太子の国づくりの哲学や中心的な思想に非常に大きな影響を与えていることは明かです。玄奘三蔵ではなく、羅什の影響なんです。日本の国づくりの根本というのは、そういうことになってくるんじゃないかと私は思うのです。</p>
<p>　それで羅什のことを伝える数少ない伝記の中で『梁の高僧伝』というのがあります。<ruby><rb>慧皎<rp>（<rt>エコウ<rp>）</rp></rt></ruby>という人がこれを著しています。その『高僧伝』に従って少し羅什の余話ということでお話を致しましょう。</p>
<h4>
<div class="imgCenter">
<span><img style="WIDTH: 567px; HEIGHT: 834px" alt="150-5.jpg" src="http://www.tibs.jp/lectures/150-5.jpg" width="1334" height="1906" /></span></div>鳩摩羅什の誕生</h4>
<p>　三四四年にキジ国の王子として生まれたということが最近では確定しており、亡くなったのは、四一三年ですから七十才であったことになります。</p>
<p>　それに従いますと二〇一三年が亡くなって一六〇〇年の記念すべき年にあたります。その年に私は『鳩摩羅什三蔵法師記念館』を生誕の地・クチャに建てようと思います。それから『生誕の地記念碑』を古代キジ国の王城址に建てるという企画もしております。</p>
<p>　羅什の父・<ruby><rb>鳩摩羅炎<rp>（<rt>クマラエン<rp>）</rp></rt></ruby>はインドのとある国の宰相の子供でありました。ところが宰相に就く直前に出家して国を出て、仏道に専念してしまった。それを聞きつけた古代キジ国の白純王が国師としてキジ国に招いたわけです。国王には二十歳になる妹・ジーダがいまして、大変きれいで頭の切れる人でした。ひとたび経文を聞けば、全てソラで覚えてしまい、どんな難しい教義でもすぐに理解してしまいました。それに加えて身体に赤いアザがありました。おなかにある赤いアザは「聡明な子供を生む印だ」という伝説があります。シルクロードのオアシス都市の王様達は、競って王妃または皇太子妃に迎えようとしました。がジーダは興味を示しませんでした。</p>
<p>　ところが二十歳になったジーダが国師として招かれた鳩摩羅炎を一目見るや、たちまち虜になってどうしてもこの人と結婚したいと思いました。けれども鳩摩羅炎はお坊さんですから結婚するわけにはいきません。そこで白純王に「あの人を還俗させて私と結婚させてください」と強引に訴えました。ついに白純王が命令を下して、鳩摩羅炎を還俗させジーダと結婚させたのです。そして生まれたのが羅什でした。</p>
<h4>ジーダの出家</h4>
<p>　羅什が七歳のときに母・ジータが出家得度したいと急に言い出しました。そして、「もし私を出家得度させてくれないんだったら、私はこのまま断食して死んでしまいます。」と夫の羅炎を脅して、実際に断食に入ってしまったのです。</p>
<p>　ジーダは断食のため、今にも死にそうになりました。仕方なく、羅炎はジーダの出家得度を認めるに至りました。母ジーダの出家と同時に羅什も<ruby><rb>沙弥<rp>（<rt>しゃみ<rp>）</rp></rt></ruby>になりました。</p>
<p>　九歳のとき羅什は、母ジーダに従って、険難なパミール高原を超え、ガンジス川を渡って、カシミールへ留学をし、そこで小乗仏教を究めます。</p>
<h4>北山での予言</h4>
<p>　小乗仏教（説一切有部）を究め尽くした羅什は、十二歳になったときにキジ国へ帰るため、母ジーダと共にカシミールを出ます。そして大月氏の北山に至った時、一人の<ruby><rb>羅漢<rp>（<rt>ラカン<rp>）</rp></rt></ruby>に出会いました。</p>
<p>　その人が羅什の顔を見て母に<br /><strong>「常に當に守護すべし。此の<ruby><rb>沙彌<rp>（<rt>しゃみ<rp>）</rp></rt></ruby>若し三十五に至るまで、破戒せずんば、當に大いに佛法を與し、無数の人を度うこと、<ruby><rb>優波掘多<rp>（<rt>ウバクッタ<rp>）</rp></rt></ruby>と異なること無かるべし。若し戒全からずんば、能く爲すこと無く、止だ才明俊芸の法師たる可きのみ。」</strong>という予言をするわけです。</p>
<p>　三十五歳までに破戒をしなかったら、アショカ王がインド全土を征服した時に、アショカ王を教化して仏教に帰依させ、仏教をインド中に弘めた人が、優波掘多という人で、その人と同じぐらい大きな仕事をすると予言したわけです。</p>
<h4>大乗への回心</h4>
<p>　北山をあとにして、カシュガルまで辿り着きます。</p>
<p><strong>「什説法の暇を以って、乃ち外道の經書を尋訪して、善く圍陀・含多論を學びて、多く文辭・制作・問答等の事を明らかにす。又博く四圍蛇の典及び五明の緒論を覧る。隠陽・星算、悉く盡くさざるは莫し。吉区に妙達し、言符契の若し。」</strong></p>
<p>　羅什はこのカシュガルで、仏教以外の外道の知識や、インドの四つのヴェーダに精通し、音楽・論理学・天文学その他の科学を学びました。さらに占いの術に精通して吉凶を占いますが、それはまさに二つの譜がパッと合う、本当にピタッと合うようにみごとな占いをやってのけたので皆がビックリしたということです。</p>
<p>　この地カシュガルで羅什は小乗仏教から大乗仏教への<ruby><rb>回心<rp>（<rt>えしん<rp>）</rp></rt></ruby>を果たします。それまでキジ国でもカシミールでもカシュガルでも彼が学んだ仏教は小乗仏教の説一切有部をもっぱらにしていました。<br />　ときにヤルカンドの王子でスリヤソマという人がいて、人々に大乗仏教の教えを伝えていました。<br />　ソマは羅什のために一切皆空の大乗仏教の教えを説いていくわけです。そして大乗仏教に利があるということを羅什は悟ります。</p>
<p><strong>「吾昔小乗を學べるは、人の金を<ruby><rb>識<rp>（<rt>し<rp>）</rp></rt></ruby>らずして<ruby><rb>鍮<rp>（<rt>とう<rp>）</rp></rt></ruby>石を以って妙と爲すが如し。」</strong></p>
<p>　その意味は金の輝きを知らないで銅の輝きが一番美しいと思っていたのと一緒だというわけです。銅の輝きというのは小乗仏教のこと、金の輝きは大乗仏教の輝きのことをさしています。</p>
<h4>二十才で正式な僧侶に</h4>
<p>　やがてキジ国へ帰り、白純王から丁重にもてなされました。</p>
<p><strong>「時に王女尼と爲る。字は<ruby><rb>阿竭耶末帝<rp>（<rt>アカツヤマツテイ<rp>）</rp></rt></ruby>。博く群經を覧、特に禅要に探し。己に二果を證すと云いて、法を聞きて喜踊し、<ruby><rb>迺<rp>（<rt>すなわ<rp>）</rp></rt></ruby>ち更に大集を設けて、方等の經奥を聞かんことを請う。」</strong></p>
<p>　ということは、白純王の王女、<ruby><rb>阿竭耶末帝<rp>（<rt>アカツヤマツテイ<rp>）</rp></rt></ruby>が仏法を尊び尼僧となっていました。羅什を招いて、大法要を設け、諸法皆空なる大乗の教えを説いてもらった。そしていろんな人が羅什の説く大乗仏教になびき、オアシス国家の諸王達もこぞって法会に参列をしました。</p>
<p><strong>「年二十に至りて、戒を王宮に受く。<ruby><rb>卑摩羅叉<rp>（<rt>ヒマラシャ<rp>）</rp></rt></ruby>より十誦律を學ぶ。」</strong></p>
<p>　羅什は二十才になって<ruby><rb>卑摩羅叉<rp>（<rt>ヒマラシャ<rp>）</rp></rt></ruby>から十誦律を受けて正式な僧侶になります。</p>
<p>　そのころ母ジーダは、羅什が立派な僧に育ったことを見極めて、自らの修行を深めるためはインドに渡ることを決心したわけです。その時ジーダは兄の国王白純に向かって<br /><strong>「汝の國<ruby><rb>尋<rp>（<rt>つ<rp>）</rp></rt></ruby>いで衰えん。吾其れ去らん。行きて天竺に至り、進みて三果に登らん。」</strong>と告げました。この時ジーダは中国の軍隊がやがてキジ国に責めてくることを予感していたようです。</p>
<p>　次に羅什に対して<br /><strong>「<ruby><rb>方等<rp>（<rt>ほうとう<rp>）</rp></rt></ruby>の深き教え、<ruby><rb>應<rp>（<rt>まさ<rp>）</rp></rt></ruby>に大いに眞丹に闡すべし。之を東土に傅うるは、唯だ爾の力なり。但だ自身に於いては利無けん。其れ如何にす可きや。」</strong>と言います。</p>
<p>　方等というのは大乗仏教のことをさし、眞丹というのは中国のことをさします。</p>
<p>　大乗仏教を中国に伝えてほしい。中国に大乗仏教を伝えるのは鳩摩羅什、あなたをおいてほかには誰もいません。ただしこれはあなた自身にとっては何の利にもならないでしょう、あなたはどうしますかと聞きます。</p>
<p>　そうすると羅什は、<br /><strong>「大士の道は彼を利して<ruby><rb>躯<rp>（<rt>み<rp>）</rp></rt></ruby>を忘る。若し必ず<ruby><rb>大化<rp>（<rt>たいげ<rp>）</rp></rt></ruby>をして流傅し、能く<ruby><rb>曚俗<rp>（<rt>もうぞく<rp>）</rp></rt></ruby>を洗悟せしめば、復た身 炉かくの苦に當たると雖も、恨み無けん。」</strong></p>
<p>　大乗の菩薩道は、わが身を犠牲にしてでも人々に利するということをはかる、そういう道であります。</p>
<p>　もし中国へ渡って人々を教化して、心に悟りを得しめることがあるということになれば、わたしの身は爐下...ぼうぼうと燃えるいろりの火の上にかけられたなべの上で焼かれるような、そういうような苦しみを得るということがあったとしても決して後悔することはありませんと、答えたのでした。</p>
<h4>前秦苻堅王・呂光を派兵</h4>
<div class="imgRight">
<span><img style="WIDTH: 386px; HEIGHT: 181px" alt="150-7.jpg" src="http://www.tibs.jp/lectures/150-7.jpg" width="782" height="278" /></span></div>
<p>　当時、中国は五胡十六国の時代、五胡というのは五つの異民族（<ruby><rb>匈奴<rp>（<rt>キョウド<rp>）</rp></rt></ruby>・<ruby><rb>鮮卑<rp>（<rt>センピ<rp>）</rp></rt></ruby>・<ruby><rb>羯<rp>（<rt>ケツ<rp>）</rp></rt></ruby>・<ruby><rb>氐<rp>（<rt>テイ<rp>）</rp></rt></ruby>・<ruby><rb>羌<rp>（<rt>ショウ<rp>）</rp></rt></ruby>）のことで、漢民族以外の異民族が争って、華北（黄河の北）をせめぎ合って覇権を争って漢民族を支配していたのです。その中の一人で前秦という国をたてたテイ族の苻堅王が、関中（長安を中心とした地域）を制して天下に号令しました。</p>
<p>　ときに、苻堅王は名僧道安の奨めによって、遙か西域のキジ国に住する鳩摩羅什を長安に招こうとしました。</p>
<p>　苻堅王は使者をキジ国王白純に送り、羅什をさしだすように伝えました。白純王はその求めを拒否したため、苻堅王は呂光将軍に七万の兵を与えて、遙かなるキジ国を征服するよう命じました。その時、苻堅王が送別するにあたって、呂光に申しました。<br /><strong>「夫れ帝王は天に應じて治む。子のごとく蒼生を愛するを以って本と爲す。豈に其の地を貪りて、之を伐たんや。」</strong></p>
<p>　本当の帝王というものは、民衆を子供のごとく愛するものである。ただ単に敵対するものを討って、その土地を占領し征服するだけのことをするのは本当の帝王じゃないんだ、と言います。<br />また<br /><strong>「朕聞く、西国に鳩摩羅什有り。深く法相を解して、善く陰陽を<ruby><rb>閑<rp>（<rt>なら<rp>）</rp></rt></ruby>して、後學の宗と爲ると。朕甚だ之を思う。賢哲なる者は國の大宝なり。若し亀慈に剋たば、即ち<ruby><rb>驛<rp>（<rt>えき<rp>）</rp></rt></ruby>を馳せて什を送れ。」</strong>といいます。</p>
<p>　キジ国を征服したら、まず第一に鳩摩羅什を長安へ送れと、命じた訳です。<br />ちょうどそのころ羅什はキジ国の白純王に次のように述べています。<br /><strong>「國運衰えたり。當に<ruby><rb>勍敵<rp>（<rt>けいてき<rp>）</rp></rt></ruby>有るべし。日下の人東方より來らば、宜しく之を恭しく承くべし。其の鋒に抗すること勿かれ。」</strong></p>
<p>　キジ国の国運は、衰えているので、強い敵と戦ってはいけません。東方から来る人を恭しく迎えて抵抗してはいけません。こういうふうに羅什は白純王に忠言したのです。</p>
<p>　しかし白純王はキジ国の財力にものをいわせてタクラマカン砂漠周辺のオアシス国家に援軍を求め、その数は七十万人に達しました。</p>
<p>　さすがに、激戦の後、関中を制した前秦苻堅王の主力部隊であっただけに呂光将軍の戦略の方が、白純王の連合軍よりも格段に勝っていました。</p>
<p>　羅什の忠言に従わずして戦い、結局<br /><strong>「光遂に<ruby><rb>亀茲<rp>（<rt>キジ<rp>）</rp></rt></ruby>を破りて純を殺す。」</strong></p>
<p>　呂光はついに白純王を殺して、その弟の震をたてて王としました。</p>
<h4>羅什、捕虜となる</h4>
<p>　呂光将軍はキジ国を征服してすぐに苻堅王の命令に従って羅什を捕虜としますが、羅什の本当の賢さというものが理解できませんでした。<br /><strong>「年歯尚お少なきを見て、乃ち凡人として之に戯れ、強いて<ruby><rb>妻<rp>（<rt>めあわ<rp>）</rp></rt></ruby>すに亀茲の王女を以ってす。」</strong></p>
<p>　年が若く凡人なのに、皆が敬うのを見てからかうことを楽しみました。</p>
<p>　それで白純王の王女を妻にさせようとします。羅什はこれを拒んでこれを受けませんでした。<br /><strong>「辞すること甚だねんごろに到る。」</strong>と書かれています。<br /><strong>「道士の操は先父に<ruby><rb>踰<rp>（<rt>こ<rp>）</rp></rt></ruby>えず。何ぞ固辭す可けん。」</strong></p>
<p>　呂光は、羅什に向かって、あなたはそんなに貞節なのですか。あなたのお父さんは僧侶であったけど還俗してあなたのお母さんをめとったではないですか。どうしてそんなに固辞するのですか。といいました。</p>
<p>　そして、お酒を羅什にいっぱい飲ませて、王女と一つの部屋に入れて、出られないようにしたのです。<br /><strong>「什逼らるること既に至り、遂に其の節をかく。」</strong></p>
<p>　ここに羅什は破戒をしたということが書いてあるわけです。</p>
<p>　また呂光は羅什を牛に乗せたり、荒馬に乗せて走らせて、落馬させたしました。すると羅什は全く顔色も変えず平然としていましたので、呂光は<ruby><rb>慙愧<rp>（<rt>ざんき<rp>）</rp></rt></ruby>して、からかうのをやめたと記されています。</p>
<p>　呂光は羅什を捕虜にしたばかりか、キジ国のほとんどの財宝を手中にしました。このキジ国というのはタクマラカン砂漠のちょうど真ん中あたりで、天山山脈からの雪解け水が豊富に流れてきて、農業に適するオアシス都市だったばかりでなく、金や銅や鉄などの天然資源に恵まれ、特に鉄は二十数カ国あったというオアシス国家に輸出して、莫大な富を蓄えていました。それらの財宝のほとんどを取り上げた呂光は、羅什を連れて得意満面に長安へ凱旋しようとしました。</p>
<p>　その途中、ある山の下に軍を置いた時、羅什は呂光に、「ここに軍をとどめてはいけない。必ず悪いことがあるから、早く軍を谷底から丘の上に移しなさい。」と忠告しましたが、呂光は耳を貸しませんでした。</p>
<p>　果たして夜にいたって大雨が降り、洪水がにわかに起こって、死者が数千人出ました。このことがあって、初めて呂光は羅什に一目を置くようになったということです。 </p>
<h4>呂光・後涼国王となる</h4>
<p>　帰国を急ぐ呂光の軍勢はカラシャール・ウルムチ・トルファン・敦煌を経て、河西回廊に入って姑蔵（現在の武威）に到った時、自分の主君である、前秦の苻堅王が殺されているということが初めて分かりました。</p>
<p>　河西回廊というのは、黄河の西側で、バダインジャラン砂漠とキレン山脈にはさまれた回廊のようなところです。このあたりは当時、前涼が滅ぼされて前秦苻堅王が命じた張天錫氏が姑蔵城を中心として支配していましたが、五万の兵で呂光と戦った張天錫氏は酒泉の戦いで敗れました。呂光は姑蔵城を攻めて、辺り一帯を治め後涼国を立てて王となりました。羅什はこの姑蔵城で呂光とその子孫の王に仕えて十六年間幽閉されることになります。</p>
<p>　呂光一族が羅什を尊重したのは、羅什が占いの才や兵法に優れていたので、軍事顧問的に使われていたからです。</p>
<h4>呂光一族の悲劇</h4>
<p>　呂光が三九九年に没して、その子の呂紹が王位に就きましたが、数日後に腹違いの兄弟である呂簒が呂紹を殺し自らが王位に就きました。<br />　晋書烈女伝によると呂紹の妻の張氏は、大変貞節感があり、呂紹が死ぬと同時に尼になりましたが、呂簒が張氏を一目見て気に入り、彼女に迫って操を汚そうとしました。張氏は楼閣に昇り、仏の経典を口ずさんで投身自殺をしております。<br />　この頃すでに河西回廊では仏教が浸透しつつある事が窺われます。<br />　呂簒は、いとこの呂超に殺され、呂隆が王位を継ぎます。呂簒の妻の楊氏は美しくつややかで、激しい正義感を持っていました。呂超は楊氏の美しさに惹かれて彼女を娶ろうとしました。楊氏が自殺するのを恐れて、楊氏の父を「もし楊氏が自殺したら一族を皆殺しにする」と脅しましたが、楊氏は正義感を貫いて呂超に娶られる前に自殺しました。<br />　晋書に記される呂光一族の悲劇を、羅什はどのような思いで眺めていたことでありましょうか。 
<h4>後秦国王姚興と鳩摩羅什の長安入り</h4>
<div class="imgRight">
<span><img style="WIDTH: 335px; HEIGHT: 213px" alt="150-9.jpg" src="http://www.tibs.jp/lectures/150-9.jpg" width="762" height="506" /></span></div>
<p>　後秦国初代の王・<ruby><rb>姚萇<rp>（<rt>ヨウチョウ<rp>）</rp></rt></ruby>というのは、もともと前秦国王・苻堅の家来でしたが、謀反を起こして、前秦国を滅ぼし後秦国を興しその王となった人です。</p>
<p>　姚萇が関中（長安あたり）を支配するに及んで、高名なる羅什が後涼国にとどまっていることを聞いて長安に迎えたいと思いました。ところが、呂光の一族は羅什が知略・軍略をもって姚萇のために仕えることを恐れ、もし後秦国に羅什を渡したならば、羅什の兵法の才をつかって後涼国は滅ぼされるのではないかと恐れて、姚萇の要請を断りました。</p>
<p>　やがて弘始三年（西暦四〇一）に、後秦国二代目の王である<ruby><rb>姚興<rp>（<rt>ヨウコウ<rp>）</rp></rt></ruby>は、姚碩徳将軍に六万の兵を与えて呂隆王の後涼国を討たしめました。呂隆は戦いに敗れ降伏しました。</p>
<p>　これによってようやく、羅什は関中に入り、長安の都に国師として迎えられることになりました。四〇一年の十二月二十日のことです。</p>
<p>　長安についてすぐに羅什は仏説阿弥陀経と坐禅三昧経を翻訳しております。そしてその後、四一三年に亡くなるまでの間に、三十五部二九四巻の経典を漢語に訳出しました。</p>
<h4>羅什訳の特徴</h4>
<p>　<strong>「什毎に<ruby><rb>叡<rp>（<rt>エイ<rp>）</rp></rt></ruby>の爲に西方の辭体を論じ、同異を商略して云う。天竺國の俗 甚だ文製を重んず。其の宮商の體韻、絃に入るを以って善しと爲す。」</strong></p>
<p>　インドでは、一般的に文章は意味を伝えるだけではいけなくて、文章自体がきれいであることを重んじています。その宮商の體韻とは文章の響きや調子のことを指し、従って経典は弦楽器と一緒に演奏できるようなものがいいとしているのです。</p>
<p>　例えば、国王にお会いする時は必ず王の徳を讃嘆します。仏さまにお会いするときは歌で讃美するのがよしとされます。だから仏典の中の偈文はみんなその形式になっています。ただ、サンスクリット語を漢語（秦）に翻訳するだけでは、その本当の良さを失ってしまう。意味は通じるかもしれないけれど、文章の流れや美しさ、それに伴って感じられる経文の意味の深さなどが壊れてしまいます。</p>
<p>　それはあたかも、<br /><strong>「飯をかみて人に与うるがごとき有り。」</strong></p>
<p>　食べ物をかんで人に与えるのと同じようなものです。ただ、味を失するだけでなくて、吐き気をもよおすようなことになります。だから、羅什は文章の韻とか、宮商とか、そういうものを重んじたんですね。単にサンスクリット語を漢文に置き換えただけでは駄目なんです。音楽的な表現、文章の美しい表現というものを愛したわけです。　</p>
<h4>臭泥の蓮華</h4>
<p>　<strong>「大師聴明にして、超悟なること天下に二莫し。若し一旦後の世とならば、何ぞ法種を嗣ぐ無からしむ可けん。<br />　遂に妓女十人を以って、迫りて之を受けしむ。」</strong></p>
<p>　と姚興は羅什に、「あなたのような方は二人とおりません。あなたがもし、居なくなったら、あなたの法種、法の種を継ぐ者がなくなってしまいます。」と言い、若い舞姫を十人与えて羅什にむりやり受け取らせました。子孫を残させようとしたのです。</p>
<p><strong>「僧坊に住らず。別に廨舎を立てて、<ruby><rb>供給<rp>（<rt>ぐげ<rp>）</rp></rt></ruby>せらるること<ruby><rb>豊盈<rp>（<rt>ほうえい<rp>）</rp></rt></ruby>なり。」</strong></p>
<p><strong>　</strong>そのときから、羅什は僧坊にはとどまらず、別に官舎を建てて、豊穣な供養を受けました。</p>
<p><strong>「講説に至る毎に常に先ず自ら説く。」　</strong></p>
<p><strong>　</strong>講説に至るというのは、長安大寺などで講話をしたり、お経を翻訳したりするわけですけども、<br /><strong>「譬喩うれば、臭泥の中に<ruby><rb>蓮花<rp>（<rt>れんげ<rp>）</rp></rt></ruby>を生ずるが如し。但だ蓮花を採りて、臭泥を取ること勿かれ。」</strong></p>
<p>　例えば、汚泥の中から蓮花の花が美しく咲くようなものです。あなたがたは蓮花の花だけを取って、臭泥を取ってはいけませんよと、いう前置きをしてから、講義にかかりました。と言いますのは、自分が清廉潔白な、自戒無垢の清僧ではないということをまず皆に言い、講義を始めたということです。<br /><strong>「法相の<ruby><rb>遇殊<rp>（<rt>ぐうしゅ<rp>）</rp></rt></ruby>に因りて、未だ<ruby><rb>伊<rp>（<rt>こ<rp>）</rp></rt></ruby>の心を盡くさず。方く復た後世せんとす。<ruby><rb>惻愴<rp>（<rt>そくそう<rp>）</rp></rt></ruby>何をか言わんや。自ら闇昧を以って、<ruby><rb>謬<rp>（<rt>びゅう<rp>）</rp></rt></ruby>傅譯に充つ。凡そ出所の経論三百余卷、唯だ十誦一部のみは、未だ煩を刪るに及ばざるも、其の本旨を存して、必ず<ruby><rb>差<rp>（<rt>たが<rp>）</rp></rt></ruby>い失すること無けん。」</strong></p>
<p>　羅什は、危篤状態になり、僧たちに別れを告げます。自分は愚かなので訳出した経や論には過ちが多くあるでしょう。翻訳した三〇〇余巻の中で、十誦律の一部だけはまだ余分なところを削ることをしていないが、主旨には誤りはないと思います。と言い、そして<br /><strong>「願わくは、凡そ宣譯する所、後世に傅流して<ruby><rb>咸<rp>（<rt>みな<rp>）</rp></rt></ruby>共に弘通せんことを。」</strong></p>
<p>　どうかわたしが翻して説いた大乗仏教の教えを後世に広く伝えてほしいということをいっています。これは最後の遺言ですね。<br /><strong>「今、衆前に於いて誠を發して實に誓う。若し傅うる所謬無くんば、當に身を焚くの後、舌をしてしょう爛せざらしむべし。」</strong></p>
<p>　今、皆の前で、心から誠の願いを述べ誓います。もし、わたしが説いたところに誤りがなかったら、私を火葬にした後、全部、灰になるんだけども、わたしが説いた舌、この口の中のこの舌だけは焼けただれないでそのまま残るはずであると、こういうふうにいったんです。</p>
<p><strong>「偽秦の弘始十一年八月二十日を以っ、長安に卒せり。是の歳、晋の<ruby><rb>義煕<rp>（<rt>ぎぎ<rp>）</rp></rt></ruby>五年なり。即ち逍遙園に於いて、外国の法に依り、火を以て屍を焚く。薪滅し形砕くるも、唯だ舌のみ灰とならず。」</strong></p>
<p>　羅什は、四〇九年八月二十日に亡くなり、逍遙園において外国の法（インドの習慣）によって火葬にされました。 薪が燃え尽き、身体は焼け崩れたが、ただ舌だけは灰とならなかった。と梁の高僧伝には書かれているのです。</p>
<p>　羅什が訳出した仏典は広く東アジア全域に伝播し、今日に至るも多くの人々を救済し続けています。</p>
<h4>舌舎尊師</h4>
<div class="imgRight">
<span><img style="WIDTH: 147px; HEIGHT: 221px" alt="150-10-1.JPG" src="http://www.tibs.jp/lectures/150-10-1.JPG" width="534" height="712" /></span>武威　舌舎尊師の扁額</div>
<p>　河西回廊の姑蔵というのは現在の武威市にあたります。ここは姑蔵城のあったところですけども、私はその武威を（二〇〇七年十月）訪れ、羅什の足跡を辿りました。河西回廊は、山脈の氷河から流れ出る水利によって、肥沃な土地として知られています。</p>
<p>　姑蔵城は、呂光が前涼の張氏一族の居城を攻めとった上にキジ国で奪った財宝で更に堅固・豪華に築いた城です。</p>
<p>　羅什が十六年間幽閉されていたという姑蔵城の址を捜しましたがそれらしき形はなく、姑蔵城が建っていたと思われる場所に鳩摩羅什寺が存在していました。一九六六年に始まる文化大革命の時、ほとんどの伽藍が壊され、鳩摩羅什寺もことごとく破壊され、境内地は市の刑務所になりましたが、中にあってただ一つ壊されなかったのが、十三重の塔だけでした。</p>
<div class="imgRight">
<span><img style="WIDTH: 149px; HEIGHT: 222px" alt="150-10-2.jpg" src="http://www.tibs.jp/lectures/150-10-2.jpg" width="314" height="412" /></span>草堂寺　鳩摩羅什舎利塔</div>
<p>　現在では、鳩摩羅什寺全体の復興が計画されて、刑務所は移転し、本堂や山門、鐘楼坊舎などが仏教徒の寄附によって再建されつつあります。</p>
<p>　その塔の前にお参りして、ふと見上げると、澄み切った青空を背景に立ち上がった十三重の塔の正面に「舌舎尊師」と書かれた扁額が掲げてあるではありませんか。これはひょっとしたら長安の逍遙園で焼け残った羅什の舌をここに埋めてあるのですかと、同行してくださった武威博物館の楊福館長に尋ねたところ、まさにその通りですという答えが返ってきました。</p>
<p>　羅什は、姑蔵に非常に縁が深かったので、姑蔵の人たちが長安へ行き、舌を持って帰って塔を建てたということになります。舌はちゃんとここに埋まっているんだということがわかりました。　このことは日本でも案外知られていないことのように思います。</p>
<p>　それで、私は羅什没後一六〇〇年にあたる二〇一三年に、『鳩摩羅什記念館』を羅什の生まれ故郷であるクチャに建てるにあたって、草堂寺にある舎利塔と同じ形の舎利塔を作り、武威の鳩摩羅什の舌を埋めたという土と、草堂寺の舎利塔の土とを納めたいと思っております。</p>
<h4>慧遠文集</h4>
<p>　廬山の慧遠が鳩摩羅什に出した書簡を記録したものがあります。</p>
<p>　重與鳩摩羅什書<br />「日有涼気、比復何如。去月法識道人至、聞君欲還本国、情以悵然。先聞君方當大出諸経、故来欲便相諮求。若此傳不虚、衆恨可言。（後略）」</p>
<p>それを次のように翻訳してあります。<br />（木村英一編　慧遠研究　遺文篇より）</p>
<p><strong>　重ねて鳩摩羅什に与える書<br />「日々に涼気を感ずる季節となりましたが、この頃はまた如何お過ごしですか。先月、法識道人が来られて、あなたが本国に還ろうとされていると聞き、悵然たる情になりました。以前、あなたが佛典を大規模に訳出するであろうと承っていましたので、質問もまだ差控えていたのですが、もし（本国に還られるという）この噂が本当だとすれば、人々はどんなに嘆き悲しむことでしょう。」</strong></p>
<div class="imgRight">
<span><img style="WIDTH: 286px; HEIGHT: 258px" alt="150-11-1.jpg" src="http://www.tibs.jp/lectures/150-11-1.jpg" width="616" height="535" /></span>慧遠が白蓮社を結成した廬山国立公園風景(江西省)</div>
<p>　廬山の慧遠という人は、釋道安の弟子で、羅什が四〇一年に長安へ入ってから、経典に関しての質疑応答を往復書簡で交わしています。その書簡集が『大乗大義章』として残っています。私はそれを見まして、鳩摩羅什はやっぱり生まれ故郷のキジ国へ帰りたかったんだなと思いました。だから、草堂寺の土と、それから武威の鳩摩羅什寺の舌舎尊師の土とを、故郷であるクチャまで帰してあげたい、古代キジ国まで帰してあげたい、こういうふうに思ったわけです。</p>
<p>　羅什亡き後は後秦の国力は次第に衰え、姚興も死し、国も四一七年に滅びました。しかし、羅什が遺言したとおり、彼が訳出した仏典は広く東アジア全域に伝播し、日本における諸宗派の根本経典として今に至るも多くの人々を救済し続けているのです。</p>
<p>　慧遠の書簡によると、羅什は晩年、本国へ帰りたいという言葉を漏らしていたことが伝えられています。生涯の最後にあたって、彼を高僧に育てようと幼少のころから熱心に仏教教育を施し、みずからも一緒にカシミールや西域諸国へ修行の旅に同行した母、羅什が独り立ちできたと見届けるや中国への大乗仏教流布を託して一人天竺へ旅だった母・ジーダの面影が懐かしく去来したのでしょうか。</p>
<h4>結び</h4>
<p>　大乗空観を根本原理とする日本仏教の諸宗派は、動乱の中国、五胡十六国の時代に、彗星の如く現れて去っていった羅什の存在があってはじめて、今現在成立しているといっても過言ではないでしょう。</p>
<p>　羅什という存在がなければ、東アジアは、小乗（上座）仏教の国になっていたかもしれません。中国も朝鮮半島も日本もです。</p>
<p>　またインド、カシミールからの帰りに、羅什がスリヤソマに出遇って、小乗から大乗への回心を果たしたことが、その契機になったことも忘れてはなりません。</p>
<p>　鳩摩羅什は最後の最後までお母さんのことを懐かしく偲んで、誕生の地・クチャ、古代キジ王国へ帰りたかったんだというふうに私は思っております。</p>
<p>　幼い日々を過ごしたきらびやかな王宮や、白い雪を頂く美しい天山の峰々、壮大なショウコリ大寺、そしてラピスラズリをふんだんに使った壁画が描かれた洞窟の数々...。</p>
<p>　生誕の地・クチャに鳩摩羅什記念館を作り、草堂寺と舌舎尊師の土を運んで、鳩摩羅什の最後の願いに応えて差し上げたいと思っております。<br />（了）</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3>余話　晋書　烈女伝</h3>
<p><strong>時呂紹妻張氏亦有操行、年十四、紹死、便請為尼。呂隆見而悦之、欲穢其行、張氏曰･･「欽樂至道、誓不受辱。」遂昇楼自投於地、二脛倶折、俄然而死。</strong></p>
<p>（ときに呂紹の妻の張氏もまた品行があった。十四のとき、呂紹が死ぬと、即座に尼になろうと願い出た。呂隆が彼女を見てよろこび、彼女の操を汚そうとした。張氏は「悦楽をつつしむことこそまことの道です。誓って辱めは受けません。」といった。かくして楼閣に昇って自ら地に身を投げると、二本の脛はともに折れ、仏の経典を口ずさむと、にわかに死んでしまった。）</p>
<p><strong>呂纂妻楊氏、弘農人也。美艶有義烈。纂被呂超所殺、楊氏與侍婢十数人殯纂於城西。将出宮、超慮斎珍物出外、使人捜之。楊氏厲声責超曰･･「爾兄弟不能和睦、手刃相屠、我旦夕死人、何用金宝！」超慚而退。又問楊氏玉璽所在、楊氏怒曰･･「盡毀之矣。」超将妻之、禍及卿宗。」桓以告楊氏、楊氏曰「大人本売女與氏以園富貴、一之己甚、其可再乎！」乃自殺。</strong></p>
<p>（呂纂の妻の楊氏は、弘農郡の人である。美しくつややかではげしい正義感を持っていた。呂纂が呂超に殺されると、楊氏と召使いの女たち十数人は城西で呂纂の殯をおこなうことにした。<br />宮殿を出ようとすると、呂超が珍奇な宝物を与えようと思って外出し、人にこれを捜させていた。楊氏は激しい声で呂超を責めて「あなたたち兄弟は仲良くすることができず、手ずから刃で殺し合いました。わたしはもまなく死ぬ人間ですから、どうして黄金の宝がいりましょうか！」といった。呂超は恥じて引き下がった。<br />　また玉璽の所在を尋ねると、楊氏は怒って「粉々にしてしまったわ。」といった。呂超は彼女をめとろうとして、その父の楊桓に「后がもし自殺したら、禍はおまえの一族に及ぶぞ」といった。楊桓がこのことを楊氏に告げると、楊氏は「父上はもともと富貴をはかるためにむすめを売ってテイにあたえました。一度はすでに我慢しましたが、再び耐えることができましょうか！」といって、自殺した。）</p>
<div class="imgCenter">
<span><img style="WIDTH: 557px; HEIGHT: 230px" alt="150-8.jpg" src="http://www.tibs.jp/lectures/150-8.jpg" width="940" height="391" /></span></div>
<h3>余話　晋書　列伝</h3>
<p>　草堂寺において、姚興をはじめ、その家来や沙門千有人が静かに羅什の講義を聴いておりました。その時、にわかに羅什が高座を下りて姚興にむかい「私の肩に二人の幼子が登りました。............」<br />　姚興は宮女を召して、羅什に勧めました。<br />一たび交わりて二子を生みました。<br />姚興はかつて羅什にこう言いました。<br />「あなたさまは聡明超悟なること、天下に二人とおられません。どうして、その法種をして嗣ぐために、子孫を残していただけないのでしょうか」<br />　そして、伎女十人を羅什に受け取るように迫り、とうとう一緒に住まわせることを承諾させました。羅什はその後、僧坊に住むことはなく、別に官舎を立て住みました。</p>]]>
        
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    <title>坐禅について（第23期スクーリング特別講義［講演録］）</title>
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    <published>2011-03-04T05:25:27Z</published>
    <updated>2011-03-04T06:58:20Z</updated>

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        <category term="中野東禅先生" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<p>　瞑想は、スリランカ、ミャンマー、タイにもあります。日本では、真言宗は阿字観といい、天台宗は止観といいます。瞑想というのは仏教の基本なのです。お釈迦さまは坐禅でお悟りをされました。ただ、メディテーションの中身が問題なのですね。</p>
<p>　坐禅というのは仏教の基本なんですが、禅というのは、インドの言葉でジュハーナ。これを中国語で、音写いたしますと禅那と書くのです。座るから坐禅となるのです。瞑想の中身は、気持ちが定まることだから禅定、それを基本にするから禅宗というのです。禅という字には意味がないのです。発音だけ写したものです。</p>
<h4>仏教で教える「心と自動思考」の仕組み</h4>
<p>　般若心経に出てくる五蘊縁起という言葉があります。人間は、五つの条件の集まりであると。</p>
<div class="imgRight">
<span><img style="WIDTH: 229px; HEIGHT: 240px" alt="149-2.jpg" src="http://www.tibs.jp/lectures/149-2.jpg" width="555" height="598" /></span></div>
<p>　<strong>曼画（図１）</strong>のお花のところに、①色って書いてあるでしょう。中国語では、色っていうのは物質とか肉体という意味なのです。お花という物質。だけど、この男の人の肉体もありますから、男の人の肩のところに色と書いてありますね。つまり、物質としての肉体が、わたし自身にあり、外界にもあるでしょう。お花という物質があって、目で②感受するわけです。目、耳、鼻、舌で感受いたしまして、感受するという条件がなければ、縁起ですから、条件の調和です。</p>
<p>　それから、頭の上に想。③想というのは、記憶に照らすということです。わたしたちは一四〇億の脳のたんぱく質を持っていて、赤ちゃんのときの記憶、ないですよね。大体、四～五歳まで記憶がない。脳のたんぱく質はあっても、情報がないから、記憶にならなかったんです。それを赤ちゃんのときに、親が、まんまよ、あっちよ、って何遍も教えていって、情報が一億から二億たまってくると、記憶になるのです。だから、われわれの記憶は、脳みそが一四〇億あっても、記憶は四～五歳からできるのです。つまり、その基礎情報がなかったらいけないということです。想というのは、基礎情報と考えてください。</p>
<p>　記憶という情報があって、それは物を見た瞬間に、赤いバラ、信号が黄色というふうに判定する能力は、この想の段階。そして、判定をいたしましたら、耳の下に④行と書いてあるでしょう。これ、価値判断です。つまり、危険か、危険でないか、損か、得か、好きか、嫌いかということです。そうしたら、今度は、ハートの中に意識の⑤識と書いてあって、これが自意識。わたしはどうしたらいいんだ。ブレーキを踏むか、アクセルを踏むかという判断を下す、行動を下す。これが色受想行識といって、般若心経に出てくる五蘊縁起。この五つの条件が集まって、わたしたちの価値観や行動や、夫婦げんかしたり、いろんなことをやっている。これが般若心経に出てくる、最初のお釈迦さまの人間論です。</p>
<div class="imgRight">
<span><img style="WIDTH: 231px; HEIGHT: 234px" alt="149-3-1.jpg" src="http://www.tibs.jp/lectures/149-3-1.jpg" width="626" height="604" /></span></div>
<p>　そこで問題なのは、今度は左上の<strong>曼画（図２）</strong>を見てください。十八界縁起といって、男の人が居まして、眼、耳、鼻、舌、皮膚、それから心、これを六根といいます。六つの能力。山に登るとき、六根清浄というでしょう。この感覚がけがれていると、山の神様をけがして、事故が起こるから、感覚器官を清らかに登りましょうというので、六根清浄といって山へ登るのです。</p>
<p>　これに対し、外界は、これ、一応競輪場のつもりです。外界に声とか、色とか、それから最後のふんい気というのは、全体の意味世界ですね。この六根に六境がつながって、それで頭の後ろのほうに、眼の世界、耳の世界とあるでしょう。これは六識といって、意味世界が自分にできる。いわゆる六つの感覚器官と、六つの外界とつながって、わたしの記憶とか、趣味とか、そういうものができている。これは十八界縁起。これもお釈迦さまの教えです。</p>
<p>　次は、お釈迦さまのお説教の中の<strong>十二因縁、十二縁起（図３）</strong>です。人間は、この十二の条件で、好きになったり、嫌いになったりするんです。まず、男の人の頭のところの①無明というのがあります。知恵がないっていう意味です。根本的に、人間はエゴなんですね。瞬間的に自分を守ろうとし</p>
<div class="imgRight">
<span><img style="WIDTH: 230px; HEIGHT: 232px" alt="149-3-2.jpg" src="http://www.tibs.jp/lectures/149-3-2.jpg" width="642" height="606" /></span></div>
<p>ますね。本能的なエゴということです。エゴがなかったら、人間は生きていられませんから。バイキンをやっつけるのも、エゴがあるからバイキンをやっつけるのですからね。エゴという生命力がないと、人間は個体として生きていられませんから、エゴは基本なのです。じゃあ、エゴというのはいいのか。エゴは悪さをしますね。エゴに気付けばいいというのです。お釈迦さまのいう悟りは、エゴをなくすのでなくて、エゴに気付きなさい。エゴに気付いたら、他人を傷つけることはできないと、いったんです。気付きのことを知恵というのです。エゴをなくすことじゃないんです。エゴは必要なのです。エゴがエゴのまんま働くから、おかしくなるのです。エゴに気付いていれば、事件は起こらないのです。だから、この無明というのは、エゴのことです、いってみれば。根本的な生命力としてのエゴ。②行というのは、生活習慣です。エゴに基づく生活習慣。</p>
<p>　女の人の上に④色。彼女というものがあります。そして、わたしの⑤六入、さっきの六根ですね、耳、鼻、舌。そういうものから外界が入ってきます。六根と六入は同じこと。わたしたちは、眼、耳、鼻、舌の感覚で彼女と出会いまして、そして触れ合うこと、⑥の触という条件がそこにできると、⑦の感受。それらをひっくるめて、③の識、意識化する。そうすると、男の人の背中のところ、⑧で愛、愛欲が生じますね。⑨取がこだわり。気になってしようがない。彼女が気になってしようがない。それで、⑩の有というのは、我という自覚。わたしはあの子が気になる、好きだという自覚です。花束の上に⑪生と書いて生きがい。仕事するのが生きがい、会社経営するのが生きがい、肉体が生きがい、恋が生きがい、野球やるのが生きがいなど。この場合は、彼女にプロポーズするという生きがいをやっております。そうしたら、老死。生きがいをやったら、それ相応の苦労がついてくるというのが、⑫の老死。生きがいの中の一番基本は、自分の命です。自分の命という生きがいをやると、それ相応の苦労って何ですか。老いと病と死です。お互いに自分の命と生きがいの結果、年をとったり、死の恐怖を持ったりするわけです。これが、お釈迦さまがいう十二縁起といいまして、わたしたちが、なんである人を好きになり、あるスポーツは好きになり、というのは、こういう十二の条件の集合だといったのです。</p>
<p>　そうすると、さっきの五蘊縁起と十八界縁起と十二縁起、これらによって、人間というものは、なんである物に怒りを感じ、ある物には怒りを感じない、ある物には愚かになりというような苦悩の原因が、この仕組みの中にある。だから、わたしたちは、気付けばそこから自由になる。気付いて距離を置いて見られたら、自由になる。その気付きの根底は、落ち着きなのですね。</p>
<div class="imgLeft">
<span><img style="WIDTH: 415px; HEIGHT: 238px" alt="149-4.jpg" src="http://www.tibs.jp/lectures/149-4.jpg" width="929" height="562" /></span></div>
<p>　次の表の<strong>人間の行為（図４）</strong>。左の縦に、惑、業、苦と書いてあります。惑というのは、心が迷うことです。その下のほうへ業。行為です。迷いによって行為を行った結果、苦。苦というのは、意思に逆らうという意味です。自分の髪の毛、お互い同年代の方、白い人も居れば、はげてる人も居る。思春期のころに白髪一本見つけてショック。自分の肉体が自分の意思に逆らっているのです。苦というのは意志に逆らうという意味なのです。</p>
<p>　自分の意思に逆らっていながら、自分には自尊心を持っている。うまくいかないと、それが意思に逆らって苦になる。苦というのは、そういう意味なのです。</p>
<p>　迷いがあって、その結果、行為をして、その結果、苦になったと。こうなっている。そこで業、行為の中身が、まず、①が依報、環境のことです。お互いに社会環境、家庭環境、自然環境の中で、個体として生きている。②が、旧業と書いてクゴウと読みます。これ、命のことです。命という条件があって、わたしたちは行為になるんですね。例えば、男は男として、女は女として。皆さんも、風邪引くと、おかゆに梅干しがいいなんていうでしょう。　治ったら途端に、ビフテキ食べたいっていうんですよ。つまり、我々はホルモン物質によって、行為が決定づけられている。仏教で、行為の原点は生命ですといってるのです。</p>
<p>　③番が、宿業。夜を過ごす、本人が気付かないうちにという意味です。ですから、習慣、コンプレックス、子どものときに火事に遭ってるとか、親に虐待されたコンプレックスとか。それを宿業。本人が気付かないうちに習慣づいているものです。</p>
<p>　その次が④共業、不共業といいまして、社会に原因があって、本人が影響を受けている。社会に責任がある。共有した行為の結果、個人が苦しむんで、これを共業といいます。不共業、自業自得のことです。親父が人殺しをして、親父一人が刑務所に行きます。これを自業自得というんです。だけど、親父が人殺しをしたから、女房、子どもが住んでいられなくなったというと、これは共業になりますね。つまり、共業と不共業という関係性も、われわれは持っている。</p>
<p>　それから⑤、三時業。行為の影響力は、三つの時間差で表れるとお釈迦さまはいったんです。今の行為の影響は、すぐ現れる。しばらく後に現れる。ずうっと忘れたころに現れる。これはミルクのようだ。ミルクはかき回すと、すぐに固まる分と、しばらくして固まる部分と、なかなか固まらない部分に分離していくんだとお釈迦さまはいってるんです。これが三時業。三つの時間差で影響力が表れる。</p>
<p>　そして、⑥が、異熟業といって、行為は原因から結果です。人間の因果関係は、そうならないのです。子どもが親に向かって、馬鹿なんていって、親にぶんなぐられたりしてね。原因と結果、違っちゃうじゃないですか。それを異熟。心を通すと異なって熟する。</p>　その次が、⑦の新業、新しい行為を朝から晩までやってるんです。それが⑦の１、再び迷いを繰り返すの輪廻といいます。愚かさを繰り返すのを、輪廻といいます。それに対し⑦の２、迷いと輪廻への自覚によって、愚かさを再生しない。夫婦げんかをするまい。してはいけないと、こういうふうに自分に知恵が働く。それを別解脱というんです。一つ一つ開放される。夫婦げんかを一つ開放する。こういうふうに、これが人間の愚かさと、行為と、意志決定の関係なのです。そこから自由になって人生を勝ったりするのが、救いの基本行動なのですね。 
<p></p>
<h4>念の方向が心治療の原動力</h4>
<div class="imgRight">
<span><img style="WIDTH: 299px; HEIGHT: 98px" alt="149-5-1.jpg" src="http://www.tibs.jp/lectures/149-5-1.jpg" width="626" height="205" /></span></div>
<p>　草木心、慮知心、積聚精要心。禅宗では、この三つの心によるこころ学が中心になるのです。<strong>（図５）</strong>草木心というのは、体と連動する心で、つまり、頭に血が上る、それから心理的にいらいらするとか、これは草木心です。</p>
<p>　積聚精要心は、目的を実現するために知識を働かせること。労働するために、あるいは、人を助けるためにも、知識を働かせる。</p>
<p>　質多心は、目的意識です。だから、夫婦げんかをして、二度と夫婦げんかをしたくないという目的意識を持つ。あるいは、落ち着いた心になりたいという目的意識を持つ。この慮知心の目的意識によって、体の生理的な心、草木心も変わるし、積聚精要心で知識を働かせる心も変わるわけです。重要なことは、質多心、目的意識。これが、人間が救われるか、悟るか、悟らないかという問題の根源になる。</p>
<p>　なんで自分は、肉は好きだけど豆腐は苦手とか、そのうちに、六十、七十ぐらいになったら、豆腐料理に何千円も出して食べに行ったりするでしょう。体が変わったから。人間が、好きになったり、嫌いになったり、トラブル起こしたりっていうのは、全部、今、申し上げたような人間の心と体の仕組みによってできてということが、仏教の基本なんですね。</p>
<h4>仏教の存在論と人間の現実</h4>
<div class="imgLeft">
<span><img style="WIDTH: 415px; HEIGHT: 134px" alt="149-5-2.jpg" src="http://www.tibs.jp/lectures/149-5-2.jpg" width="974" height="317" /></span></div>
<p>　まず、<strong>（図６）</strong>左の縦の列、存在の真理。縁起と書いてありますが、起は存在という意味だと思ってくれればいいと思います。縁は、条件の集まり。存在とは、条件の集まりである。肉体もそうだし、地球もそうだし、太陽系もそうだし、皆さんの夫婦の関係も条件の集合ですし、心がいらいらするのも、条件の集合です。それが縁起。だから、縁起は無常である。常という字は、変わらないという字ですから。条件が変わるんです。皆さんだって、かわいい赤ちゃんだった。夫婦の関係だって、条件変わったんじゃないでしょうか。それを無常というのです。無常というのは変わるという意味ですね。お釈迦さまは、縁起なるものは無常である、無常なるものは無我であるといった。</p>
<p>　無我の説明は、簡単にいうと、自分のご都合じゃないといったらいいでしょうね。その条件の集合によって、自分という意識が生きて働いている。それを無為といいます。為というのは損得という意味ですから、無為は損得ではない。皆さん、損得でなく生まれてきて、損得でなく死んでいくんです。縁起、無常、無我、無為というのは一つの概念です。同じことをいいます。それを空といったんです。空というのは、こだわりようがなくて、自由に変化するという意味ですね。</p>
<p>　ところが、その真ん中のところを見ていただくと、今度は、迷いの現実。妄縁起、汚れた縁起。好きだ、嫌いだ。そして、そこから物を見ると、常という錯覚。自分の健康は変わらない、部長や課長のいすは変わらない、結婚したら夫婦は変わらないと錯覚していますけど、ある日、突然、あなた、別れましょうよなんていわれたりしてね。ですから、常という錯覚。変わらないという錯覚ね。我という錯覚、我ありという錯覚。ところが、認知症の家族を看護したら、よく分かるでしょう。我というのは簡単になくなるんですよ。だから、我ありという錯覚、これも錯覚なんです。有為というのは、損得でしか行動しない。人に物をやるんでも、損得で物をやってますからね、我々。有というのは、我が物という錯覚で、空の反対です。</p>
<p>　その結果、わたしたちは、迷いの輪廻を繰り返しているんですが、そこで右の縦の列を見ると、人生修行、気が付くんですね。愚かさや、夫婦げんかに気が付いて、そこで、縁起を悟る。あるいは、妄縁起を悟るんです。そして、無常を悟る。お互いに、いつまでも居られるんじゃないと。</p>
<p>　お互い、無常を悟る。無我になる。自己主張がやめられる。無為で生きられる。損得でなく生きられる。空になる。それから、解脱する。自由になる。心がせいせいとする。愚かさから開放される。こういうように、これで大体、仏教の基本の真理、存在、宇宙という存在の真理が、左の縦の列。現実の人間が、真ん中の迷いの現実。そこから自由になって、生き方が人生修行のところ。これで大体、仏教の全体像の仕組み、人間の迷いと悟りの仕組みが分かりますが、これを百丈懐海という人のいった言葉が、<strong>「これを車となして因果を運載す」</strong>という言葉。これというのは真理です。真理を土台として、その上へ現実の因果、現実のご縁を乗っけて、運載すっていうのは、そこで、良かったといえるように生きる人生修行という意味です。仏の命、神の御心の上に、現実のお互いのしがらみをのっけて、そこで人生修行して良かったにしようという意味なのです。こういうふうに見ると、わたしたちが、迷いの現実からどういうふうに自分を開放して、良かったにすることができるかという全体像が分かりますね。</p>
<h4>坐禅は「仏陀の涅槃」に直結する</h4>
<p>　禅は、お釈迦さまのお悟りを開いた涅槃寂静といいます。ニルヴァーナといいますが、それが、お釈迦様、三十五歳の十二月八日の悟りの中身です。</p>
<p>　<strong>「仏道をならうというは、自己をならうなり。自己をならうというは、自己をわするるなり。自己をわするるというは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるというは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり」。</strong>道元禅師の有名な言葉で、いろんな宗派の人たちも引用する言葉なのです。仏教を学ぶということは、自分とは何かを学ぶことだ。<strong>仏道をならうというは、自己をならうなり。自己をならうというは、自己をわするるなり。</strong>結局、わたしたちは、自分のコンプレックスやら宿業、さっき申し上げた宿業やら、さまざまな思いの自分でしょう。概念、観念。それから自由にならなければ、自己も本物の自己が出てこないというわけですよ。人に勝つより、己に勝て。美空ひばりの歌。あの世界です。<strong>自己をわするるというは、万法に証せらるるなり。</strong>万法というのは、物事にあらしめられる。ご飯を食べるときは、ご飯をていねいに。料理をするときは、料理がていねいじゃないといけないのです。</p>
<div class="imgLeft">
<span><img style="WIDTH: 318px; HEIGHT: 225px" alt="149-7.jpg" src="http://www.tibs.jp/lectures/149-7.jpg" width="859" height="567" /></span></div>
<p>　臨済宗の典座和尚さん、台所和尚さんが書いた本に、下手は手切らず、上手は手切らず。料理人の初心者は絶対手を切らないそうです。それから、本当のプロも手を切らないそうです。中途半端な人が、包丁で手を切るんですって、慣れによって。だから、わたしたちが本当にその物事に集中して、真剣勝負のときは、下手は下手なりに手は切らない。上手はもちろんプロですから、何をやっても、神経が太いというか、大丈夫。中途半端になるときには、一番危ないっていうんですけどね。わたしたちは、自己を忘るるというとき、料理人が、包丁を使ったり、何かしながらも、そこのとこに無理に意識を働かせないで、しかもちゃんと包丁を扱える。まさにこれは、自己をわするるとき、万法に証せらるるなり。あるがままにあらしめられて、やれるということです。わたしたちは無理してやってますからね。万法に証せらるるというは、自己の身心および他己の身心。自分と相手ということです。自分と相手。妻であったり、上司であったり、友人であったり、それから物であったり、大根だったり、さまざまです。自分と相手のことを脱落、つまり、いちいち意識しておったら、相手の、つまり、材料であろうと、包丁であろうと、一体となりつつ、なおかつ、そこのところに自由に働いていけるでしょう。そこの関係が、<strong>自己の身心および他己の身心を脱落せしむるなりということなのです。</strong>そのものになり切って、しかもそこのところにゆとりがあって、こだわらないで自由に働く。これが空という世界なのです。これが、涅槃寂静になった人が現実に働くと、自己をわするるなりになるのです。われわれのこの状態が固定的にあると思ったら、いけないのです。この落ち着きの心が日常のすべてに働いてくるということが、ここでいう自己をわするるという意味なのですね。</p>
<p>　六祖慧能という人の言葉ですが、<strong>「外、一切の相を離るるを無相という。」</strong>外界の姿、それから自由になる。わたしたちは、見た瞬間に、あら、美人だ、あの人、着てる物、趣味悪いわとか、いちいちわれわれは外界の物にこだわるでしょう。それから自由になること。それを無相という。<strong>「諸境に心の染まざるを名づけて無念という。」</strong>すぐ染まるんですよ。特に男の人は、見ると、ああ、いい女だってするんですけど。<strong>「前境を思わず相続せざる即ち無住という。」</strong>前を引きずるんですよ、わたしたちは。それで、いつまでもそれに刺激されてしまう。</p>
<p>　六祖慧能は、この心の仕組みをいったのですけども、そこからどうやってわたしたちが本当に落ち着いた世界に行くか。南岳懐譲という人、六祖慧能のお弟子です。馬祖道一という人が一生懸命、坐禅してるのです。お師匠さんが、「君はよく坐禅するなあ。坐禅して何になるんだ」といったら、はい、仏になろうと思います、悟りを開こうと思いますといったら、お師匠さんが、そこにあった瓦のかけらを拾ってきて、石にあてがって研ぐんですって、ごしごし。馬祖が、「お師匠さんは何をするんですか」。「鏡をつくろうと思ってなあ。」「お師匠さん、瓦を磨いても鏡にはならないんですよ。」「ああ、そうかい、じゃあ、坐禅したら、仏になるんかい」って。人間が坐禅して、仏になるわけないじゃない。人間がいくら努力したって、人間と仏は違いますから。</p>
<p>　じゃあ、仏って何なんだ。仏っていうのは、真実、悟りの世界、完全なる静寂。その静寂が信じられて、そこに落ち着いたら、坐禅は完成するんです。人間と仏は別物と考えると、駄目な人間が努力して悟りにいくというと、努力した人だけは救われる。頭のいい人だけが救われるんです。いい学校を出た人も居れば、最初から、大学出たり、高校出た段階で就職できなくてなんていうでしょう。努力した人だけが救われる悟りだったら、大乗仏教じゃない。</p>
<p>　悟りって、何なんだ。これは、汚れる前というんです、悟りというのは。静寂涅槃ですから、命と心が静寂な状態を寂静といいます。その性質を仏性ともいうんですね。仏の命、仏の心ともいいます。凡夫というのは、寂静が見えてない状態で、エゴになっている状態。その凡夫の根底が、寂静なのです。つまり、悟りというのは、命も心も、汚れる以前なのです。のぼせる以前なんです。そうしたら、みんな、これ、仏性、悟りなのです。気付いてないのです。凡夫だから、気付かない。だけど、わたしたちの命の根源は、みんな、真実です。犬は、犬という真実をやってるじゃないですか。みみずは、みみずという真実ね。凡夫は頭にのぼせてます。寂静涅槃というのは、のぼせが下がった状態です。向こうへ努力してるようだけど、実は元に戻ってくるんです。これとこれが違うんだと分けて考えた努力は、危ない。すべての人は、元は静寂ですから、みんな、救われる大乗仏教。大乗仏教というのは、そういう意味なのです。</p>瓦を磨いて鏡になるというのは、努力主義じゃないですか。坐禅の意味は、そうじゃなくて、元に戻る、自分の根源が信じられる。そうしたら、わたしたちは救われるという話なのです。 
<p></p>
<h4>　寂静に帰る調身・調息・調心の徳</h4>
<p><strong>一、寂静・不染汚を回復する坐禅の要点</strong></p>
<p>　道元禅師の普勘坐禅儀。<strong>「（一）たずぬるにそれ、道本円通、いかでか修証を仮らん。」</strong>道というのは、この涅槃寂静の仏性のことです。仏性は、すべてに行きわたっている。みんな、真実だ。みんな、仏さんであるのですよと。修証というのは、努力ということです。わざわざ努力を必要としないのですと。元に戻ればいい。元に戻り、信じられることね。それを信じられないから、わたしたちは戻れられないのです。</p>
<p>　<strong>「（二）善悪を思わず、是非を管ずるなし」</strong>というのは、選り好みから自由になるということです。わたしたち、選り好みして、あれが悪いとか、こうしなきゃいけないとか、いうでしょう。それをまず捨ててみて、<strong>「（三）心・意・識の運転をやめ、念・想・観の測量をやめ。」</strong>心は考える主体です。意は外界と心をつなぐ働き。識は、自意識。念は心の方向ですね。さっきの質多心です。念仏の念です。心の方向と、想というのは、これは考えをいろいろ、ああでもない、こうでもないと考える働き。観は思い詰めること。そうやってわたしたちは、悟りとは何か、煩悩とは何かと、いろんなことを考えてしまう、それをまずやめてみなさいと。</p>
<p>　どうやったらやめられるか。その次が、<strong>「（四）作仏をはかることなく、」</strong>仏になろうなどというような空想を持って、理想にしてしまうと、変な理想主義になるから、作仏をはかることなく、そして、問題は<strong>「（五）姿勢の調え方。」</strong>調身、身を整えるといいます。<strong>「呼吸を調えること」</strong>を、調息。<strong>「心を調えること」</strong>を、調心。問題なのは、姿勢がきちっとできると、。下腹に圧力がこもって、腰や背中や首筋の力みが抜けるのですね。そうすると、頭ののぼせもおさまって、深い呼吸ができるようになります。それで、下腹で深い呼吸をすると、慣れてくれば、皆さんは大体一分間に二十回呼吸をしていますが、慣れれば一分間に三回の呼吸ですみます。そうすると、酸素を充分取り込んで自律神経が落ち着いてくると、脳みそが無駄な酸素を使わなくなります。これが、坐禅の重要な点ですね。</p>
<p>　そういたしますと、心意識の運転をやめて、無理に考えることをやめようとしたら、おかしくなりますよ。人間は、考える人間ですから。ところが、ここで、呼吸に心を込めてると、頭の考えることは、呼吸のほうに向いてくる。下腹のほうへ意識が向いてます。そうすると、頭のほうは楽になるんです。わたしたちは、呼吸は勝手に呼吸させといて、頭で考える。そうじゃなくて、呼吸そのものに心を集めて考えるのです。そうすると、まず、頭のほうがずうっと楽になってきます。その次は<strong>「（六）箇の不思量底を思量し、不思量底いかんが思量せん。」</strong>思量というのは、考えるということです。不思量ですから、考えてないところを考えなさい。ということはどういうことかというと、考えるというような対象のないところですから、一番いいのは呼吸なんです。呼吸に心を向けて、呼吸を考えるんです。そうすると、考えるということが自然に楽になっていきます。そういたしまして、考えないでいることがどんなにいいものかというと、喜ぶことです。静かで落ち着いていいなあと喜ぶ。</p>
<p>　それを、<strong>「（七）非思量」</strong>考えであって、考えでないというのです。その中身が何だというと、道本円通の道に戻ってくるんですね。つまり、その静寂が、命と心の完全なる静寂。お釈迦さまの涅槃。</p>
<p>　だから、天台宗の人は天台の止観をやるでしょうし、日蓮宗は、最近、お題目の前に息を整えますね。仏教というのは、基本的に宗派が違っても、何らかの形で瞑想が入ってますから、実はここに戻ってくるのです。ですから、東南アジアも、チベットも、みんな、やってます。瞑想というのは、素人的にいったら、静寂はいいものだなあ、こんなに充実して、いいものだなあと喜んだらいいんです。その喜びは、考えであって、考えを超えているんです。わたしたち、ああでもない、こうでもないっていうのが考えだと思うでしょう？　そういう考えじゃない。喜ぶこと。体と心の芯から落ち着いた静寂を喜んでいただいて、そのうちにそれも忘れますから。</p>
<p>　それは、わたしは「でも坐禅」というんです。坐禅でもしてみたい。写経でもしてみたい。聖書の勉強会でも行ってみたい。大いに結構。看板見て、坐禅でも、写経でもと思ったときに、無心の徳が働き始めると。でもは大事なのです。本人は気付かないけど、看板見て、わたしも何か坐禅でもしてみたかったわって。気持ちが動いて、まだ迷っているけど、実は、もう本心は働いているのです。</p>
<p><strong>二、仏陀の「九次第定」にみる寂静の実現</strong></p>
<div class="imgLeft">
<span><img style="WIDTH: 445px; HEIGHT: 203px" alt="149-9.jpg" src="http://www.tibs.jp/lectures/149-9.jpg" width="1290" height="564" /></span></div>
<p>　<strong>九次第定（図７）</strong>というのが、お釈迦さまの坐禅。インドの人というのは、こういう点がすごい。お釈迦さまは、アーラーラ・カーラーマという人や、ウッダカラーマ・プッタという人たちから教わったのです。第八番目までは、教わった。第九番目をお釈迦さまが確立するのですね。</p>
<p><strong>三、自我を超えた世界に「出会う」自己</strong></p>
<p>　今の東南アジアなんかでやってるような瞑想法というのは、お釈迦さまのこういうものをきちっと踏まえています。これが今、アメリカも、マインドフルネスという認知療法の精神医療で取り入れられて、チベットの人たちが亡命してアメリカへ行き、日本のお坊さんたちが、一九六〇年代にアメリカで坐禅を始めて、そして、ベックという人が考えた認知療法という治療法の弟子たちが、アメリカのサンフランシスコで坐禅をして、これはベックのいっている認知療法じゃないかというので、お釈迦さまの坐禅が、アメリカの認知療法、認知行動療法の基本に入ってきてるのです。つまり、日本へ逆輸入ですね。今、医療現場では、この坐禅というものが根源的に人間回復の道として評価されている。そういうふうな時代になってきております。</p>
<p>　お釈迦さまのごく基本の瞑想というものが、結局、精神医療の治療法や、予防医学などとつながっているということが、評価されてきてるのです。ですから、難しい悟りの禅なんて考えないで、禅というのは人間回復、人間の根源を回復する、そういう瞑想なのです。</p>
<p>　ただし、だからといって自分勝手に解釈すると、これまた間違ってしまう。そういうふうに学んでいただくと、日常に生きて働いてきます。それが、禅というものの魅力なのですね。</p>
<p>　ですから、仏教に関係ないキリスト教の修道士は、このメディテーションをやります。キリスト教と禅の交流は、長いことあるのです。修道院に行き、日本に来て、坐禅堂で勉強した修道士もたくさん居るのです。ですから、世界の宗教の基本は、このメディテーション、瞑想というのがあるのです。あまり形式的なことで、おれのところはこうだ、これはこうでなきゃいかんとかという前に、まず一人の人間として、自分がそこでどれほど喜びを感じるかというふうに学んでいただくとありがたいと思いますね。そうしたら、必ずお役に立ちます。のぼせから開放されるというようなことが、この坐禅というものの特徴でございます。（終了）</p>]]>
        
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    <title>日本仏教史（第23期スクーリング講義録[ダイジュスト版]）</title>
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    <published>2010-11-18T01:20:05Z</published>
    <updated>2010-11-18T01:40:08Z</updated>

    <summary>　日本の仏教を考えていくとき、大きく、三つぐらいの時代に分けることができるのでは...</summary>
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        <![CDATA[<p>　日本の仏教を考えていくとき、大きく、三つぐらいの時代に分けることができるのではないかと思っています。</p>
<h4>伝来仏教の時代</h4>
<div class="imgRight">
<span><img style="WIDTH: 251px; HEIGHT: 335px" alt="147-12.jpg" src="http://www.tibs.jp/lectures/147-12.jpg" width="761" height="983" /></span></div>
<p>　最初は六世紀から九世紀の伝来仏教の時代です。仏教が日本に紹介されたのは五三八年と言われます。最近では古代史の先生方が、五五二年説の方が史実に近いのではないかと述べています。朝鮮半島の状況を考えると、百済の王朝が周辺の諸国から圧迫され、海を渡った日本に援助を求めたというような状況が生じてくるのが五五〇年前後です。五五二年に百済の聖明王が日本に使いを遣わしたというのは、非常によく理解ができるのではないかと思います。『日本書紀』の記述に基づき五五二年説が正しいのではないか、という見解が主流になりつつあります。五五二年頃に正式な形の伝播、いわゆる公伝があり、日本の社会の中に定着していくようになります。おそらくは、日本にそもそも存在していた山岳信仰、そういうものと結びつきながら仏教が理解されていったと考えられます。</p>
<p>　日本にお坊さんたちが揃った僧伽の形態を作り上げていく最初の方が、道昭といわれています。中国に渡り、玄奘三蔵に師事し、玄奘さんから仏教の教理学は非常に難しい、禅法を伝えるのが一番良いといわれ、禅法を学んで日本に伝えたと伝記に書かれている方です。六百年代の半ば、初めて本格的な仏教僧伽が日本の社会の中に成立し始めました。</p>
<p>　当時の社会の中心にいる方が天皇家の方たちですが、七世紀の半ばから個人的に仏教を受容するという時代が始まります。</p>
<p>　その後、朝廷をあげて仏教を採用するという時代がやってきます。そして、一番最初に作った官立の寺院が大官大寺です。別名、百済の大寺という名前でも呼ばれています。官寺は、七世紀の後半ぐらいから出来上がってきます。国家を安泰に導くもので仏教に勝るものはない、というような位置づけがなされ、奈良の薬師寺、東大寺とかが出来上がってくるわけです。</p>
<h4>古典仏教の時代</h4>
<p>　九世紀から十六世紀ぐらいまでですが、伝わってきた時代の仏教と、平安時代の初期に日本に伝えらた天台宗と真言宗の二つが社会の中で非常に大きな勢力になって続いていく時代がやってきます。南都六宗すなわち倶舎宗、法相宗、三論宗、成実宗、律宗、華厳宗がありますが、教理を中心とした仏教が、伝来ののち勉強されました。そういう宗派に属するお坊さんが日本全国に少しずつ寺院を作っていきます。また朝廷が、国を守るのに仏教に勝るものはないと考えて、日本の各地に国分寺とか、国分尼寺というのを作っていきます。</p>
<p>　それに合わせて、地方豪族が寺院を作っていきます。そこに、今度新たに天台宗と真言宗が、最澄さんと空海さんによって伝えられてきます。伝来し日本全国に散らばった寺院と、それから六宗といわれるような教理を勉強するお坊さんたち、そこに新たに天台と真言の人たちが加わって、独自のお寺を作っていきます。そんな感じの仏教界が、平安時代から鎌倉時代、そうして室町の時代まで、社会の中でかなり主流を占めていきます。</p>
<p>　この古典仏教の時代に、お坊さんたちの大事な営みは一体何であったかという問いがあり、一つはやはり鎮護国家です。国家の安泰のために、さまざまな法会を執行します。これは非常に大事なものとして位置づけられてきます。</p>
<p>　法会というよりは法要だとか、法式とかいった方が分かりやすいと思います。現在に残っている法会のイベントみたいなものは、例えばお正月の修正会とか、あるいは彼岸会とか、あるいは盂蘭盆会とか、施餓鬼会とか、なんとか会と呼んでいるものがあると思いますが、あの形のものが出来上がって、重要なものであると位置づけられた時代です。</p>
<p>　法会を中心とする仏教のあり方が、中国から渡ってきた仏教が最初から持っていた特徴と考えられます。中国のどの地域の仏教の影響を受けたか。実は南方の地域の仏教の影響を受けています。中国の仏教界は、中原を中心とした北の方の仏教と、今の長江の流域を中心とした南の方の仏教と、大きく二つに分けられますが、日本に入ってきた仏教は、南の方の仏教だったのです。</p>
<p>　古代、山東半島を経由して朝鮮半島に、南地系の仏教が入ります。そして、その仏教が日本に最初にもたらされる仏教になるんです。その故に私たちは、仏教を中国の南の地の音であります呉音で読むという慣習を作り上げていきます。普通の漢音と違って、別の音を使って読みますので、分かりにくいところがあるんです。例えば、生まれる、という字は、普通はセイと読みますよね。学校の生徒さんとかいいますけど、日用語に入っている言葉では、例えば誕生日。ショウって読むんですね。</p>
<p>　仏教は呉音読みをするという伝統を持っています。私たちの日本語の中に入っていった言葉、仏教起源の言葉がたくさんあります。その言葉は呉音読みで読みます。ですから日常の言葉の中に漢音で読まない漢字が入っているのは、その言葉が実は仏教起源の言葉であるということを表しています。広辞苑の初版を作ったときに、仏教起源の語彙がどのくらいあったか。仏教起源の言葉、ほぼ五割近くだったそうです。</p>
<p>　その南地の仏教は、どういう特徴を持っていたかといいますと、講経の伝統を持っていたと言われています。お経の意味を伝えるために、何らかの儀礼的なことをやり、経典を講じて、それに対して聞いている人たちが質疑応答をします。そういう形式を持った仏教が、日本に伝えられてくるのです。</p>
<p>　中国では漢の頃から皇帝が儒教の経典を講義するというのがあったようですけども、中国の南朝の中でもそれが盛んに行われていたようであり、経典を講じ、質疑応答をして、その経典が主張していることをきちんと理解する。これが、仏教界にとって大事な営みだという仏教が日本に伝わってきたのです。その影響を受けて、十五～十六世紀くらいまで日本の社会の中で主流になる仏教というのは、経典を講じる法会というのを非常に大事な要素として伝えていきます。</p>
<p>　さて九世紀の前半、日本の仏教界に非常に影響を与えた天皇が登場します。桓武天皇です。桓武天皇は、お坊さんの世界を統治していくために、お坊さんの世界で行われている法会を利用します。その法会において、講師を務めた人たちをお坊さんの世界の代表者にしていこうという制度を作り上げていくんです。奈良の都で行われました重要な法会がいくつかありますが、そのうちの一つが興福寺の維摩会、それから、宮中で行われる御斎会、天皇家の氏寺といわれました薬師寺で行われる最勝会です。この三つが非常に格式の高い法会と呼ばれ、のちに、南都三会と呼ばれます。この南都三会の講師を務めた人を巳講と呼び、巳講の人から律師、僧都、僧正という名前で呼ばれる、お坊さんの世界のいわば管理的な役割を果たす地位に任命していくという制度を、桓武天皇が確立するのであります。</p>
<p>　お坊さんの世界の代表者である僧正に上がっていくためには、法会の席できちんと講師、経典の講義ができなければいけません。その講師に選ばれるためには、論義といわれるんですけど、仏教学の問答があり、それを経ていなければ、講師に選ばれることはありません。そして、このことが、仏教を学ぶということは、経典を勉強すること、仏教学の教理を学ぶことだという傾向を、生み出していったのであろうと考えられるのです。</p>
<p>　ところが仏教には経典を勉強するだけではなくて、実際に自分の身に行うべきものというのもあります。これは、瞑想を中心とした行という名前で呼ばれるんですけれども、そちらの方も体験しなければいけないという伝統があります。南都の仏教界の中に顕著に見られるんですけれども、仏教を学ぶということは、教と行、あるいは学と行といういい方をしますが、学問的な勉強と、瞑想を中心とした修行、この二つをバランスよくやるというのが、仏教を学ぶことだ、という伝統がずっと残り続けます。他の地域でも、比叡山とか、高野山とか、その傾向というのは残っています。しかし、お坊さんたちにとって、律師、僧都、僧正と上がっていくためには勉強をしっかりしなくてはいけない。その勉強をしっかりする人たちは、学侶という名前で呼ばれるようになっていくんですけれども、その学侶系のお坊さんたちの方が、お坊さんの世界で上に見られるという価値観が出来上がっていきます。</p>
<p>　それを実際によく伝えている史料が、十一世紀初頭の栄華物語という有名な藤原道長の繁栄を伝えている史料です。その中に当時のお坊さんたちの状況というのが出ています。</p>
<p><strong>　「この経をかく読ませたもうのみにあらず、世の始めよりして、年ごとの五月には、やがてその月の朔日より始めて晦日までに、無量義経より始めて、普賢経に至るまで、法華経二十八品を、一日に一品を当てさせたまいて、論義にせさせたもう」<br />　「南北二京の僧網、凡僧、学生数をつくしたり。やんごとなくおとななるは僧正、あるいは聴衆二十人、講師三十人召し集めて、法服配らせたもう。論義のほどなど、いとはしたなげなりや、ここらの上達部、殿上人、僧どもの聞くに、山にも奈良にも、学問にかたどれるをば、老いたる若き分かず召し集むれば、ただいまはこれを公私の交じらいの始めと思い、召さるるをば面目にし、さらぬをば口惜しきものに思いて、学問をし、心あるは灯火をかかげて経論を習い、あるは月の光に出でて法華経を読み、あるは暗きには空に浮かべ誦じ、ひねもすによもすがらに営み習いて参り集まりたるに」</strong></p>
<p><strong>　</strong>招請されるのを面目躍如というふうに考えて、声が掛からなかったのを残念だ、というふうに思っていたということなんです。ここに非常によく表れていますが、法会の場に招請される、講師として呼ばれるというのは大変な名誉なことだ、という伝統が出来上がって行くのです。</p>
<p>　ですので、古典期の仏教というのは、法会の中の講師を務めてしっかりとやれた人たち、学侶の方たちですけども、この人たちがお坊さんの世界の重要な役職についていくという体系ができあがった時代といっていいと思います。なお、実際には日本の仏教を考える時には、そういうお坊さんたち、顕教の勉強を中心にして考えているんですけど、密教という弘法大師が伝えてきた教えの方も、非常に大事なものになりまして、落とすことができません。それで、古典期の仏教は、教理的な用語を使って、顕密というふうに二つ、くっつけて呼ぶことが多いのです。</p>
<h4>遁世門仏教の時代</h4>
<p>　ところが、仏教はそのように勉強をして、教理問答をして、そして優秀な成績を収めてお坊さんの世界のトップに立つ、というのが本当に仏教者がやることだろうか、ということを、真摯に反省する人たちが登場してくるのです。</p>
<p>　この人たちが遁世門という名前で呼ばれるようになっていきます。遁世というと、世をのがれる、この世俗世間から外に出たいと思って、普通は出家をするはずなんですけども、出家をしても、そのお坊さんたちの世界の中に、出世のコースが出来上がっている。そんなことやっても、あんまり意味がないんじゃないか、というふうに感じたお坊さんたちが登場してくるのであります。</p>
<p>　院政期と呼ばれる時代に仏教界にも大きな変化が表れてきます。出家をしたはずのお坊さんたちが、出家をする前の世俗の身分によって、修行した後の出世のスピードが変わってしまう、こういう時代が十一世紀頃には起きています。出自が出家後にも影響するということが起きます。実際に血筋、どういう血筋だったかといいますと、天皇家の方と、摂関家の出身の方、貴種といわれます。貴種の生まれの方は、お坊さんの世界に入っても非常に大事にされるんです。貴種の人たちの中には、やっぱり優秀な方が多いんです。そういう環境の中で育っていますから、血筋は争えず、というような感じで、非常に優秀な方が登場してきます。ですので、実はお寺のお坊さんたちの方でも、貴種の方が入ってくると、その人たちが結婚をして子供を残していくというのは、寺門の繁栄に繋がる、というふうに考えていた部分もあるんです。</p>
<p>　十一世紀ぐらいから、当時のお坊さんたちの中に、結婚をする方たちが登場して参ります。よく、仏教界で最初に妻帯を認めたのは親鸞さんだと言われたりしますが、そんなことはないのでありまして、貴種出身の人たちに結婚してもらって子種を残してもらうのが寺門の繁栄に繋がる。それは優秀な人達が概して多いからだ、というような意識が存在していました。<br />　其の次の出自の良い方たちは良家と呼ばれます。これは普通の貴族です。良家の人たちもお坊さんの世界に入ってくるんですけども、貴種は出世が早いんですけど、こっちは少し遅いんです。それから圧倒的多数は凡人。なんとお寺の世界に、こういうふうに血筋が影響を与えるという状況が生じていました。</p>
<p>　一生懸命勉強したお坊さんたちの中に、出世はあまり期待できない、そういう人たちがお坊さんの世界の名聞利養を求めるあり方から離脱していこうと考えて、遁世と呼ばれる行為をやっていきます。この遁世をしたお坊さんたちは、遁世門というようないい方で史料の上に登場してきます。何から逃れたのか。お坊さんの世界の名聞利養から逃れたのです。真剣に仏教とは何かというのを求めていくようになったとも考えられます。仏の教えの一番大事なことは何なのか。仏教とは何か、というのを求めていきました。このお坊さんたちの中の一番最初が、法然さんではないかと思います。法然さんあたりの頃から、遁世門の仏教みたいなものが各地に生じてきまして、比叡山の中からも、遁世のお坊さんたちが出てきて、集団を作ってきます。南都、奈良でも遁世のお坊さんたちが登場して集団を作ります。南都の遁世のお坊さんたちは、解脱上人貞慶とか、覚盛、良遍、叡尊とかいう方たちでした。</p>
<p>　叡尊は奈良の西大寺を復興したお坊さんとして、庶民の救済とかで有名な人です。それ以外には、禅宗の栄西とか円爾弁円という方がみえます。禅宗も実は、遁世のお坊さんとして始まっています。<br />　あとは、日蓮さんがそうですね。また叡山には直接かかわらないですけど、一遍さんが播磨の書写山から出発していきます。</p>
<p>　古典期の仏教を学んで、そのころ行われていた伝統的な仏教のあり方に、大いに疑問を感じて、名聞利養を求めるあり方から逃れて、新しい運動を起こしていく人たちは、だいたいみんな遁世門のお坊さんとして出発していきます。この遁世のお坊さんたちは、どういう活動をしていくか、その中で一つ大事な活動になるものが葬儀です。お葬式を正面から受け止めてやっていきます。</p>
<p>　顕密のお坊さんたちの方は、葬儀をやるんですけど、当時タブーとして、死穢というのがあり、汚れが付着してしまう。そうすると、重要な護国の法会等に出席するまでに何日間か休まなくてはいけないという規定が存在していました。伝統的な顕密のお坊さんたちは、葬儀に関わりますと、死穢の影響を受けて困ってしまうんです。ところが、遁世のお坊さんたちは、独自の考え方をしていて、そういう死穢に影響されないということを主張して、積極的に葬儀とかを行っていきます。</p>
<p>　これはその当時の社会状況の中で考えていきますと、非常に意味を持った行動をしていると思うんです。葬儀は、非常に大事な要素の一つとして、遁世門のお坊さんたちの中で、行われていきます。ある時期まで、特にインドの仏教では、お坊さんたちは葬儀をしない、なんていう意見がありましたけれども、最近訂正されつつありまして、お釈迦さんが亡くなられたあとも、お坊さんたちは、何らかの形の儀礼には関わっていました。それから、東南アジアの上座仏教のお坊さんたちも、葬儀というのは非常に大事な要素として受け取っています。カンボジアなんかに行きますと、お寺のすぐ近くに火葬場を持っていまして、お坊さんは、その遺体を迎えに行って、実際に遺体に触れることはしないようですが、遺体の四隅をお坊さんたちが立って守るような感じで火葬場まで運んできて、そして火葬のときに、ずっとそのそばにいます。</p>
<p>　そういうことが行われていまして、上座仏教の国々においても、葬儀というのはお坊さんたちにとって大事な儀礼の一つとして位置づけられています。日本の古代においても、顕密の仏教者の方も葬儀はやっていますが、死穢に影響されちゃうんです。遁世の人たちは、死穢に影響されないという立場を取り、積極的に葬儀の方にも関わっていきました。</p>
<p>　この遁世のお坊さんたちのグループというのが、社会の中で大きな勢力を占めるようになってくるのは、十五～十六世紀です。やがて、この遁世門の仏教が仏教界の主流になっていきます。いま寺院の数で比べてみましても、天台系というのは二千カ寺くらい、真言宗はちょっと多いですけど、南都系の寺院というのは、数百です。それに比べて、遁世門の仏教というのは、曹洞宗だけで、一万二千カ寺ぐらい、浄土真宗は東西両本願寺を合わせると約二万ぐらいです。いま日本全国で活動している寺院の数が、約七万五千寺と言われますが、そのうちの、五万を超えるぐらいの数がこの遁世門系だと思います。</p>
<p>　ところで、近世の仏教は、檀家制度のすべての人が家の宗教として仏教徒になり、明治以降はキリスト教の影響もあって、信を中心とした宗派（浄土真宗系、日蓮宗系など）が正面に出されました。</p>
<h4>三　学</h4>
<p>　では、遁世門の人たちは実際にどういう点に関心を持っていたのでしょうか。特に学侶系のお坊さんたちは、貞慶のほか、良遍だとか、叡尊だとか、そういう方たちは、三学という視点から仏教を考えようと主張していました。三学というのは、戒、定、慧です。戒めを守り、瞑想をし、そこから得られる知恵、それを得て、大切にしていこうというのが三学です。では、三学の視点で仏教を考えていきましょう、っていうことを特に南都系の人たちは、主張しています。これがインド、中国、朝鮮半島を経て伝わった仏教の一番基本的な原則だと思います。戒めを守り、瞑想体験をします。</p>
<h4>戒</h4>
<p>　実際にそれを実践していくのが仏教者なんですけど、そうすると、知恵も出て参ります。戒めといわれるものの中で、一番基本になるものはなんでしょうか。在家の方たちにとって、また、出家者の人たちにもそうですけど、まず仏教者になるというのに、一番最初に存在しているものが戒です。その最初が三帰依なんです。仏様に帰依します、仏様の説いた教えに帰依します、それを伝えているお坊様たちに帰依します、仏法僧の三宝に帰依しますというのが戒の一番最初です。</p>
<p>　それから在家の人たちは五つの戒を守ります。不殺生、人の命を取らない。最近、日本の社会はちょっとその辺が崩れてきています。不殺生というのはとても大事な、一番目の戒めです。　それから不偸盗、人のものを盗まない。それから、不妄語、嘘をつかない。不邪淫、邪な性関係を結ばない。それから最後に不飲酒、お酒を飲まない。</p>
<h4>定</h4>
<p>　そして、この定の実行が、中世の時代に少し大きな運動になっていきます。南都のお坊さんたちもそうですし、それから、叡山系から分かれていきますが、禅宗もそうですね。中世の時代の禅宗というのは、だいたい京都五山だとか、鎌倉五山といいますように、幕府が庇護した大きな寺院があるんですけども、五山と呼びます。それ以外は、叢林の下の民衆に支えられた寺院なんですけど、林下といいます。ですから、鎌倉時代から室町にかけて、禅宗というのはひとくくりにされ、五山か林下か、という二つの区分で呼ばれていました。林下の中の有名な寺院が二つありますが、妙心寺と大徳寺です。現在の臨済宗の中で、勢力が強いのは、実はこの妙心寺派と大徳寺派です。民衆に支えられた寺院のほうが、長い歴史を生き抜いています。　</p>
<p>　最近私が関心を持っていることは定の世界でありまして、『仏教瞑想論』という本を出させていただきました。心を見つめていく瞑想です。仏教の瞑想というのは、止と観という二つの世界から成り立っています。　</p>
<p>　<strong>止</strong>は、心の働きを鎮めるという目的を持っています。現実にどういうふうにすると、心の働きが鎮まっていくのでしょうか。心の働きを一つのものに結びつけると心が静かになっていくといいます。なぜそうなるのか、よく分からないのですが、体験の知恵、臨床の知恵だと思います。</p>
<p>　心の働きを一つのものに結び付けるときに、呼吸に結び付けたらいいんじゃないかと考えたんです。ゆっくり自分の鼻のところに、気持ちを持っていって観察してみますと、息が入っていく、出ていく、というのが分かるんです。鼻のところにちょっと精神を集中して、鼻の中を入っていくそのときに入る、というように心を結び付け、出ていくときに、出る、というように結び付けます。これを一番最初の練習として行ないます。入る息と、出る息を見つめる。そういうような観察の仕方を入息出息念というふうに訳しています。</p>
<p>　入るっていう動作があるときに、入ると捕まえ、出ていく動作があったときに、出る、と気づく。これをずっと続けていく、それだけなんです。これやってみるとすぐ分かると思うんですけど、皆さんの心は、いつも動いてますから、あっという間に別のことを考えてしまう。雑念、思いと言ってもいいかもしれないですね。</p>
<p>　思っても別にいいんです。それに気づいてください。気づいて、あ、考えてる、考えてる、っていうように、気づいて、また呼吸の観察の方に戻っていきます。これをやっていくだけなんです。座りながらやっていると、他のことが、足が痛くなってきて、ああ、痛いな、っていうのを思うときもあります、そういうときには、ああ、痛い、これを気づきます。痒いな、と思ったら、痒み、というふうに気づきます。そうして、また痒みがなくなって......。これ、気づいていくとなくなるんです、不思議なことに。本当に痛いときにはなくなりませんので、掻くしかないときもありますけど。気づくとだいたいなくなります。</p>
<p>　なくなった段階で、また元の呼吸の観察に戻ってきまして、入る、出る、っていうのを見つめ続ける。心を一つの対象に結び付けているのでして、それに気づき続けます。気づいてどっか心が飛んでいったときには、最初のものに常に帰り続けていく。これをやっていきますと、心の方が次第次第に静かになる。その心の働きを静かにするという目的のもとに観察をしている場合、これを止という名前で呼ぶことになります。</p>
<p>　<strong>観</strong>の方はどうでしょうか。やってることをひとつひとつ気づくことには変わりありません。座っているだけではなくて、動いているときにもですね、観察の対象というのはできてきます。私たちは、歩いていますけど、歩くことも気づく対象になります。動かずにいると、立っている、と気づくわけです。歩くときにも、実は私たちの行動というのは、私たちの心の中に生じてくる意志によって起こされていると考えていますから、歩く前には、「歩きたい」というように気づきます。歩いてですね、右足、それから、左足、というふうに、気づきながら歩くことができます。このときにも、動作に自分の心を結び付けることができます。細かく動きを分けることができるんです。</p>
<p>　一番最初は、右足、それから左足と気づきます。ところが、少し慣れてきますと、今度は動作をもう少し細かく切るようになります。上げる、それから、出す、出したところで実は止まります。それで、下ろして、同じように上げる、出す、止まって、それで上げる、出す、というふうに気づいていきます。慣れてくると、心が動いて飛んでいっちゃいます。そしたら、今度は上げる、出す、おろす、それからまた同じように、上げる、出す、おろす、というように、動作を細切れにして一個一個気づくことをやっていきます。歩く瞑想といいますけれども、六つの動きに分けることができます。</p>
<p>　これは日本の禅宗の中にも伝わってますけども、経行という名前で呼ばれるものは、実は、瞑想の意味合いをちゃんと持っています。大事な点は気づくことなんです。心を一つの対象に結び付けて、それを一個一個気づいていく。気づく対象というのは、実は私たちの行動だけではなくて、外界から刺激を受けて、聞いているもの、見ているもの、触れているもの、これを全部気づくこともできます。</p>
<p>　音がしたときには、聞いている、というふうに気づくことができる。いま集中して聞いている人は、ご自身が自分のお尻が椅子に触れているという感覚は気づいてないと思うんですけど、ちょっとお尻の方に気持ちを持っていけば、触れている感覚が分かりますよね。その感覚を気づく。このようにいま実際に自分が受け止めている外界の刺激を全部、ひとつひとつ気づきます。見ている、聞いている、触れている、食べていたら味わっている、こういうふうに、五感の対象になっているものを、全部気づき続けていく瞑想もあるんです。これが観と呼ばれるものなんです。</p>
<p>　観は、やってることは一つの対象に心を結び付けているんですけど、止は呼吸を中心に見ていくときには、心が飛んでいっちゃったら戻っていきますけど、観の場合には、いま実際にやっているものを全部、気づき続けるという方向に行きます。観は結構心が忙しいんです。見ている、聞いている、触れている、とか、それから息を吸っている、歩いている、いろんなものを全部気づいていくというふうにやります。現実には、いっぺんにいくつぐらいのものを気づけるかと言いますと、一日に、実は気づく対象を一つ以上増やしてはいけないんです。一日目に一個のものが気づけるようになったら、次の日に二つのものを気づけるように、徐々に増やしていきます。それをきちんと気づけるようになったら、その次の日に三つのものを気づくように、というふうに、ちょっと時間が掛かってきます。東南アジアの瞑想指導の中では、だいたい十日をひとつの区切りとして行っていきます。</p>
<p>　なんでそういうことをするのかと言いますと、観というのは実はとても大事な瞑想だと思うんですけど、私たちが外界の刺激を<strong>受</strong>け止めて、どういうことを行っているか、っていうところから入っていくんだと思うんです。受け止められる対象になっているものがあり、それをまず受け止めるという心の働きが生じて、そこに今度は作りなおそうとする働き（行）が生じて、その働きによってイメージ（<strong>想</strong>）が出来上がるんです。</p>
<p>　想ができたあとに、これは何々だ、っていう判断が生じてきます。<strong>色、受、想、行、識</strong>。五蘊という名前で呼ばれる心の働きです。縄を蛇と見間違えるというのを、皆さん経験したことがあると思います。</p>
<p>　日没に、藁縄みたいなものを見たときに、あ、蛇だ、と思ってびっくりすることってありますよね。そういう経験、大体皆さんあると思います。この時、まず、そういうのが落ちている、ぐにゅっとしているものが目の前に落ちている、っていうイメージが心に生じます。その生じたときに、これが蛇だ、っていうふうに判断するのは、ここの識のところで判断しています。ぐねっとしているものがあるっていう思い、イメージが出来上がります。それが今までの経験に照らし合わせて蛇だ、っていうふうに見ていきます。この時、<strong>行</strong>という名前で呼ばれている、記憶だとか、さまざまな過去からの積み上げによって出来上がっている力によって、そのイメージが形づくられていきます。</p>
<p>　そして、何々だと判断する<strong>識</strong>が最後に生じます。実は気づくというのは、これらの心の働きを押さえていることだと思います。止める、といった方がいいかも知れないですね。止めている、気づくというのは、それらの働き、実際には識だと思いますが、それに気づいているのです。蛇を見たら、逃げなきゃいけないとか、あるいはこれは困った、というような心が生じます。例えば、悪口、私に対する悪口を聞けば、なんだこの人と怒りの気持ちが生じます。ところが、ひとつひとつ観の練習をして気づいていると、感情だとか、そういうものが、ここの段階のところで、止まると考えられます。</p>
<p>　道を歩いていて、人と人との肩が触れたら、痛いと感じる。肩と肩がぶつかったら、痛い、というふうに気がつけると、こういう人は、観の練習できちんとできていることになります。これによって、私たちは自分たちの生活の中で、感じているさまざまな憂い、悩み、悲しみから、脱却することができるようになります。私たちは、自分たちが生きてきた間に作り上げた心の反応のパターンに常に支配されて、困っています。それなら、この観の練習をすることによって、学習で一連の心の反応を走らないようにしていきます。ここのところに、たぶんお釈迦さんは気がついて、こういう瞑想をきちんと始めたんじゃないかな、と思うんです。</p>
<p>　そういうものを、遁世門のお坊さんたち、あるいは禅宗のお坊さんたちは改めて大切なものとして、やってるんです。因みに、禅宗で用いられる公案は、答えを出すためじゃないんです。心をそこに結び付けるためなんです。つまり、止の練習として作られた工夫なんです。心のなかに、例えば、犬に仏性ありや、というふうに考えて、答えを出すんじゃなくて、そこに心を結び付けるんです。他のところに行かない、そのための工夫として作られてきたのが、実は絶対矛盾の公案なんです。答えを出させようと思って参禅させて、本来は、心を鎮めていく工夫のひとつなんです。</p>
<p>　口管打坐といっている場合にも、ただ単に坐禅をしなさい、座りなさい、じゃなくて、本当に心にひとつひとつ学び続けている、気づき続けている、ということだといってもいいと思うんですね。そういう意味で、インドからの止観の伝統の上に、禅宗を始めとして日本の仏教の諸宗派は乗っています。</p>
<p>　仏教を学ぶというのは、実は、教理教学を学ぶことではなくて、実際に自分の心をどう見つめていくのか学ぶことになるのではないかと思います。</p>]]>
        
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    <title>宗教概論（第23期スクーリング講義録[ダイジュスト版]）</title>
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    <published>2010-11-18T01:02:59Z</published>
    <updated>2010-11-18T01:38:56Z</updated>

    <summary>宗教とは何か （一）　宗教の定義 　宗教の定義というのは難しくて、古今東西さまざ...</summary>
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        <name>管理者</name>
        
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        <category term="渡辺浩希先生" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.tibs.jp/lectures/">
        <![CDATA[<h4>宗教とは何か</h4>
<p><strong>（一）　宗教の定義</strong></p>
<p>　宗教の定義というのは難しくて、古今東西さまざまに定義されてきていますが、ここでは有名な岸本英夫先生の定義をあげておきます。「宗教とは、人間生活の究極的な意味を明らかにし、人間の問題の究極的な解決にかかわると人々によって信じられている（「信じられている」というところが宗教としての肝かなと思いますけれども）営みを中心とした文化現象である。ただし、宗教にはその営みとの関連において、神観念や神聖性を伴う場合が多い。」　岸本先生も苦心してこの定義をつくられたのかなと思われるわけですけれども、必ずしも神観念や神聖性のようなものを伴うとは限らない、例えば、原始仏教などではいわゆる超越的な存在というものは必ずしも語りません。</p>
<div class="imgRight">
<span><img style="WIDTH: 369px; HEIGHT: 243px" alt="147-4.jpg" src="http://www.tibs.jp/lectures/147-4.jpg" width="1312" height="790" /></span></div>
<p>　仏教というのは、時代、地域によってさまざまな展開をしていて、非常に多様な面を持っています。例えば、宗教の類型論の一つであるところの一神教と多神教ということをいった場合、仏教をトータルに考えたときには一神教、多神教、そのいずれにも分類されないというふうに私は考えています。原始仏教というのは、必ずしも超越的な存在というものを語りません。後に仏陀の神格化ということが一方で起きてくると、これは、ある意味、一神教的といえなくもない。ところがまた、ヒンドゥー教からたくさんの神々が仏教の守護神として仏教のなかに取り入れられてくる。さらには、さまざまな仏、菩薩が語られるようになる。こうなると、多神教っぽい側面もなくはない。さらに、日本の浄土真宗の開祖、親鸞聖人になりますと、弥陀一仏ということで、これはまた一神教的な色彩を帯びているというふうに指摘する学者もあって、仏教というのは極めて多様な有り様を呈しています。</p>
<p>　宗教と哲学と、いったいどこがどう違うのかというような問いを立てたとして、結論的にいうと、ここからここまでは宗教、こっからあっちは哲学というように、明確な一線というのはどうやっても引きにくい。そこは皆さんが、どのように宗教全体、宗教という言葉、それが現す現象をどのように捉えているか、おひとりおひとりがそれぞれイメージしていただければよいのではないかと思っています。特に原始仏教を意識してかとは思いますけれども、あるヨーロッパの仏教学者などは、「仏教は宗教ではなくて哲学である」と断言をしています。</p>
<p>　宗教とは何かというのは、ギリギリ詰めていくと難しい問題があって、逆にいえば、あまりこだわらなくてもよろしいのではないかなと考えます。きっちりした定義にこだわり続けているとそこから一歩も前に進めなくなってしまう、だいたいこんな感じかなというところでいろいろな勉強を続けていく、それでよいのではないかなと思っています。ただ、折りに触れて、この岸本先生の定義に戻って考えてみることはとても有益なことだろうと思います。</p>
<p><strong>（二）　宗教の類型</strong></p>
<p>　先ほど、その一つとして、一神教と多神教という類型論も一つあげましたけども、その他には、例えば世界宗教と民族宗教などなど、宗教に関してはさまざまな類型論があります。そのなかで、宗教社会学者の井門富二夫先生が前半の四つについては最初に唱えられて、それを受けてさらに竹村牧男先生が五番目の個人宗教を付け加えられた、そういった類型論を紹介したいと思います。</p>
<p><strong>①文化宗教</strong>　文化的な枠組みとして存在している宗教です。例えば、初詣に行く、あるいはお盆になると帰省をしてお墓参りに行く。初詣には行くけれど、その神社にどういう神さまが祀られているかは知らない。お墓参りには行くけれども、そのお寺の宗旨を知らない、御本尊を知らない。日本人全体を考えると、実はそういう人のほうが圧倒的に多い。いわば、年中行事的な、そのなかでの宗教的な事柄にかかわる行動様式を文化宗教というふうに呼びます。さらには、七五三だったり、あるいは年忌法要だったり、あるいは地鎮祭なども、この文化宗教に含めてもよいかもしません。</p>
<p><strong>②制度宗教</strong>　地域や家族といった制度に基づいて存在している宗教です。具体的にいえば、氏子区域という地域なる制度と一体化しているところの神社神道系の神社。あるいはまた、檀家、すなわち一種の家族制度に支えられている寺院。神社や寺院のそういった側面をとらえて制度宗教というふうに名づけます。</p>
<p><strong>③組織宗教</strong>　多くの場合は一人の、場合によっては複数のこともありますけれども、教祖を中心に新たに組織された宗教をいいます。いわゆる新宗教。例えば鎌倉新仏教、法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗、日蓮の日蓮宗等々ですけれども、この鎌倉新仏教も、その当時、彼ら自身が活躍して、教勢を少しずつ広めていった、その当時は組織宗教であったといえます。これが、室町時代を経て、江戸に至って寺請制度という制度が幕府によって全国に施行されて、そうして制度宗教化し、かつ文化宗教化していくというふうに、一つの流れをつくるわけです。また、キリスト教なども、それが生まれた当時は、ユダヤ教社会におけるカルトであったということも可能かと思います。</p>
<p><strong>④個人宗教</strong>　宗教書や文学、芸術等によって個人の内心に営まれる宗教をいいます。自分なりの人生観だとか価値観だとかというものを、どうも人間は求めたがる生き物らしい。求めるに際しての有り様、その様態ですけれども、教団というようなものに束縛されるのは嫌だ。だけれども、自分なりの、自分自身のそういった価値観であるとか人生観だとかというものは求めたい。それを個人で、宗教書や文学、芸術等々によって営んでいく。そういうようなものを個人宗教というふうに名づけました。</p>
<p><strong>⑤会員宗教</strong>　教団に入るわけでもないけれども、個人でというわけでもない。例えば、カルチャーセンター、あるいは寺院などが行う会員制の文化講座などです。お寺がやっている文化講座を聞きに来ているのも、住職のお話が面白いから、あるいは集まってくる人と語り合うことが楽しいからということで参加するけれども、檀家としてはかかわらない。教団に入る、属するということではなくて、いつでも参加できて、いつでも辞められる。そういうものを会員宗教というように名づけています。</p>
<p><strong>（三）　宗教的か否かを分かつもの</strong></p>
<p>　先ほど、どこからどこまでが宗教で、どこからどこまでが宗教じゃないという一線というのはなかなか引きにくいというお話をしました。人間がする何らかの行動、行為が宗教的であるのか、宗教的でないのかという問題ですが、これまた、一線を引くのはとても難しいというお話をしたいと思います。</p>
<p>　ボランティア活動あるいはエコロジー運動としてのごみ拾いと、神の国の実現の一環としてのごみ拾い、やっている行為そのものはごみ拾いとして変わりがありません。また例えば、大きな災害などのときなどに、ユニセフだったり関連する諸団体等々に寄付をする、そういう日本の教団もたくさんありますけれども、宗教とは関係なく、いわゆる募金活動というのはあって、それをする人も日本にはたくさんいます。寄付をする行為そのものは、それ自体は宗教的であるか否かというのは、外見上からだけでは判断できないわけです。さらには、災害の現場で炊き出しをする人々がいる。任侠の人々も炊き出しをするし、ムスリム、イスラーム教徒が炊き出しをして、それがニュースになった例もありますし、一方で宗教には何らかかわりのないおばちゃんたちによる炊き出しもある。そのご飯をもらう側としては、そのご飯にはそういう意味では色はついていませんから、行動自体だけでは宗教的か否かというのは実はなかなか判断できません。</p>
<p>　では何をもって判断するか。一つは動機です。目的意識といってもよいと思います。その行為をしている人が、心のうちで何を思ってその行為をしているか、それによって宗教的であるかないかという判断をするというわけです。</p>
<p>　もう一つは結果です。ごみ拾いを続けていってそれが本当に神の国の実現になるのかというのはなかなか微妙な問題があるかもしれませんけれども、どのような結果が付随するかによって、その行為が宗教的か否かを判別する。そういう基準を宗教学ではいいます。</p>
<p><strong>（四）　信じる者は救われる？</strong></p>
<p>　これは、宗教とは何かというよりも、人間とは何ぞやっていうことにより深くかかわる問題かなとも思います。三年ぐらい前になりますか、紀元会という教団の内部で集団リンチによる殺人事件がありました。その際に報じられた紀元水というものの問題について考えてみたいと思います。</p>
<p>　ある関係者の証言によると、この紀元会を創設した男性に神が降りて、群馬にある水を皆に分け与えなさいというお告げを得た、それが紀元水の始まりだといいます。これを不治の病に効くなどの宣伝文句で、どんどん信者に売りまくった。疑問を持った人が成分調査を依頼したところ、単なる水という結果が出た。ところが、紀元水は売れまくって、信者も増えていく。逮捕されたある女性信者の知人は、女性ですが、子どもができないことに悩み、紀元水を飲めば授かると聞いて、夫と一緒に入信した。教団幹部から別れなさいといわれ、信者である別の男性と結婚した。夫も別の女性と結婚して、両方とも子どもに恵まれたということがあったそうです。あるいはまた、このときの事件で親族を逮捕された八十二歳の男性は、三十年前に直腸がんと診断をされて、教祖に手術はするなといわれ、その言葉を信じて、紀元水を毎日飲んだり体に塗ったりしていたところ、十日前後で便に混じった血がなくなった、下腹の痛みも消えた。それから病院には行っていない。今も元気でぴんぴんしている。勿論、紀元水を飲んでも病気が治らずに亡くなってしまった人もたくさんいるようですが、こういうようなことが実際にあったといいます。</p>
<p>　これなども、いわゆるプラシーボ効果の一例というふうにみることもできるのではないかと考えています。プラシーボ効果というのはどういうものかというと、ある重篤な病気になった人が、信頼するお医者さんに、例えば小麦粉の塊を、これは効くからといわれて、その医者のいうとおりに飲んでいたところ、その重篤な病気が本当に治っちゃった。信じて服用することによって、何らかのメカニズムによってか、免疫力が劇的にあがるのだかどうだか、詳細はまだまだなかなか明らかになっていないようですけれども、世界的にそういう事例はたくさんあって、さまざまな研究がなされています。それこそ、信じる度合いが強ければ治ってしまうものなのか、まさに信じる者は救われるのか。人間というのは非常に不思議な生き物だなというふうに思うわけです。</p>
<h4>在家と出家</h4>
<p>　在家、出家というのは、もともと仏教用語です。敢えていえば、在家というのは、社会にあって社会的義務を果たしている人、出家とは、結婚もせず、労働にも携わらない、言葉が過ぎるかもしれませんが、社会的義務を放棄している人ともいえるわけです。出家集団は、在家の人々に食事などの布施を受ける、結婚もせず労働にも携わらない人ばかりが世のなかに蔓延してしまったら、いずれその集団は絶えてしまいますので、当然、人的補充も在家から受けることになります。そうやって出家者集団は存続しうるわけです。ただ、日本の、特に伝統仏教においては、出家者の戒律が必ずしも尊重されなかったり、浄土真宗の開祖である親鸞は僧侶でありながら肉実妻帯をする、いわゆる非僧非俗という立場を主張して実践したりということもあって、この出家と在家の区別が非常にあいまいになっているという現状もあるわけですが、この在家と出家、あるいは在家的な、出家的な様態というのは、宗教全般にかかわって根本的な問題であるというお話をしたいと思います。</p>
<p>　オウム真理教の問題が騒がれたときにも、出家ということが大きな問題として取り上げられました。あるいはまた、いわゆるカルト教団といわれるような教団において、広い意味での出家、あるいはそれに準ずるような状態が大きな社会問題として騒がれたこともあります。例えば、有名人の子どもが信者になってしまって、親であるその有名人が絶対に取り戻すというような記者会見を開いたりということもありました。そういったことがこの日本にもずいぶんある。</p>
<p>　ここで、キリスト教の聖書の『マタイによる福音書』から紹介をしたいと思います。「イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。そこから進んで、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父親のゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、彼らをお呼びになった。この二人もすぐに、舟と父親とを残してイエスに従った。」</p>
<p>　先ほどの組織宗教のところでお話したように、キリスト教もその初めの頃にあっては、ユダヤ教社会におけるカルトだったといいうる。今でこそ、世界宗教の一つとなって、ここに引用した、このとき連れて行かれてしまった人たちは使徒となって、尊崇の対象になっていたりするわけです。ですが、考えてもみてください。手塩にかけて育てて、やっとよい働き手となった若い息子二人を突然、わけのわからないことを唱えてうろうろ歩き回っている奴が連れていっちゃったわけです。親御さんにしてみたらたまったものじゃない。これが出家なのです。これが宗教なのです。</p>
<p>　さらに、最近出版された、丘山万里子さんの『ブッダはなぜ女嫌いになったのか』という本から、仏教の開祖である仏陀のお話をしたいと思います。</p>
<p>　彼、ゴータマ・シッダールタはシャカ族の王子として生まれます。次代の王となるべく育てられ、成人し、結婚して、子どもももうけます。ところが、その途端に家出しちゃうのです。彼は、生まれたばかりの子どもと生んだ母、つまり妃をうちおいて、突如、城を出てしまいます。次の王になると期待されていた王子が家出しちゃったわけですから、王様であるお父さんとしては非常に困るわけです。そこで、仏陀の異母弟であるところのナンダというのを次の皇太子として立てるわけです。ところが、仏陀は、立太子式と結婚式を終えたばかりのこのナンダを強引に出家させてしまいます。さらには、自分が家を出る前にもうけた息子までをも出家させてしまいます。いってみれば、これは、父親である王の血を受け継ぐものたちを、その国から根こそぎ奪ってしまうということです。まさにそういうことを仏陀はやっているわけです。さらには、後に仏陀の侍者となるアーナンダを含め、若く有能な人々、シャカ族の未来を担う人々をことごとく出家させている。王家にとっては大打撃です。年老いた王さまである父、それからその妃、そして仏陀自身の妃がひっそりと取り残されることになるわけです。</p>
<p>　もし、現在、皆さまがたの肉親がそういうふうに出家をした、しかも何やらわからない団体とかかわって出家をしたとしたならば、それを皆さんは是として送り出すことができるでしょうか。けれども、彼の、この、親泣かせ、妻泣かせの出家がなければ、仏教は生まれることはありませんでした。これが出家です。これが宗教です。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h4>日本人の宗教意識</h4>
<p><strong>（一）　日本の信者数の怪</strong></p>
<p>　一つの国や地域に宗教の信者数がどのぐらいあるかということを調査する方法に、大別して二通りあります。一つは教団に聞く。それぞれの教団に対して、あなたのところには信者さん何人いますかと聞いて返ってきた答えを積み上げていく。それからもう一つが個人に聞く。往々にしてサンプリング、抽出調査ということになると思いますけれども、個人を捕まえて、あなたは宗教を信じていますかと聞く。この二つの方法による結果というのは、実は世界的に見ても一般的に乖離しやすいものであるということが知られています。日本の場合はこれが特に甚だしい。そこに、日本人独特の宗教意識が見られると思います。</p>
<p>　教団に聞くという方法による結果を見ると、そこに文化庁の『宗教年鑑』から数字を出してありますけれども、日本の人口が一億三千万弱であるにもかかわらず、何と合計が二億を超えます。一方個人に聞くと、信仰を持っている、何か宗教を信じているというのはおよそ二十％台、調査によっては一割前後の人しか宗教を信じてない。残りの八割あるいは九割が信仰を持っていないと答えた。自分は無宗教だと答える。にもかかわらず、教団に聞くと二億を超えるのです。どうして教団に聞くと二億を超えて、個人に聞くと二十％そこそこの数字なのか。ここで注目すべきは、その文化庁の統計のなかであげた神道系と仏教系です。神道系がおよそ一億、きわめて大雑把にいって、仏教系がやっぱりおよそ一億、これが要するに二億をなす主因になっております。この二億と二十％台という数値の差異の大きな部分を説明するのが、先ほどお話しした文化宗教、制度宗教の概念です。これらが、この不思議な謎を解く鍵になります。</p>
<p>　勿論、幾つかの教団は、自らの教勢を誇ろうとして、自分のところの信者数を過大に報告してくる。逆に、伝統仏教の末寺のなかには、本山からの課賦金を抑えるために、実際の檀家数よりも少なく本山には報告しているというところも結構あったりもします。そういう凸凹は確かにありますが、全体としてみて、この二つの一億には意味があります。それは、文化宗教、制度宗教の概念によってこそ説明されるというふうに考えます。</p>
<p>　例えば、家に帰れば、同じお茶の間の空間に仏壇もあれば神棚もある。お墓参りにもいけば初詣にもいく。調査によっては七割、八割、ものの調査によれば日本人の九割が初詣もし、お墓参りにもいきます。そういう国民なのです。ところがそれは、先ほどいったように、祀られてる神を知らない、どんな宗派か知らない。でも初詣にもいくし、お墓参りにもいくのです。伝統的な氏子制度、伝統的な檀家制度というものは、ある意味、ある程度、崩れてきているところはあろうかと思いますけれども、それどもなお、本人が自覚しているか否かにかかわらず、多くの日本人がいまだに氏子として、檀家として神社や寺院の信者名簿に載っている。教団からすれば、氏子をやっていて、檀家をやっていて、何かあれば参拝にくる、行事には参加してくれる、法要があればお金を出してくれ、本堂の修理をしたいといえばお金は出してくれ、七五三やってくれる、車を買えばお祓いもしてくれる、地鎮祭に呼んでくれる、毎年毎年、一定額のお金を出してくれて、お札を買ってくれる。そういう人たちは当然うちの信者さんということになります。教団にとってみれば、信者以外の何もでもないわけです。ところが、一人一人に向かってあらためて、あなた、今、神社にお参りにいきましたね、神道の信者ですか、何か宗教を信じてますか、お寺さんへお墓参りにいきましたね、何々宗の信者ですかと聞くと、七割から八割、調査によっては九割方の人が、いや、私何も信じていないですよと答える、それが日本人なのです。こういう有り様を説明してくれるのが、文化宗教、制度宗教の概念ということになります。</p>
<p><strong>（二）　習俗・風習・慣習</strong></p>
<p>　一人の人が初詣にいき、節分をやり、お盆にお墓参りにいき、さらにはクリスマスパーティーを開く。クリスマスパーティーを開いたからといって、クリスマスパーティーの参加者全員を数えあげて、キリスト教系の教団が自分たちの信者だというふうに主張することはありませんけれども。そんなことをしたらおそらく文化庁の統計は三億を超えてしまうでしょう。これは一つ前の読売新聞の調査の項目にあったものですけれども、一つの家のなかに仏壇と神棚の両方が置かれている、それを何とも思わない人が八十六・五％、信者でもないのに初詣にいくことを何とも思わない人が九十二・二％、クリスチャンでもないのにクリスマスを祝うことを特に何とも思わない人が八十三・三％。排他的な一神教の教徒などからすると、とてもではないけれども考えられない、そういうことを平気でやっている。そういう国民だということです。文化宗教という概念なしには、日本人の宗教意識、宗教行動についての説明が不可能なのです。</p>
<p><strong>（三）　困ったときの神頼み</strong></p>
<p>　これも一つ前の読売新聞の調査ですけれども、あなたはこれまで神や仏にすがりたいと思ったことはありますか、あるが五十三・九％、過半数を超えます。宗教を信じていない七割、八割の人のなかでも四十七％はすがりたいというふうに答えています。信じていないのにすがりたいとは思うということです。國學院大学の石井研士先生が紹介してる話ですけれども、兜町で株価が下がると近くの神社に詣でる人が増える。現世利益というものは今の日本の文化のなかにも根強く生き残っているという話をされています。</p>
<p><strong>（四）　スピリチュアリティ</strong></p>
<p>　一時期ゴールデンでやっていた『オーラの泉』という番組、いわゆるスピリチュアリティというふうにいわれるものです。辞書的な定義をいえば、主に個々人の体験に焦点を置き、当事者が何らかの手の届かない不可知、知ることができない、不可視、見ることができない存在、例えば、大自然、宇宙、内なる神、自己意識、特別な人間などと神秘的なつながりを得て、非日常的な体験をしたり、自己が高められている感覚を持ったりすることというものです。そういうものが流行ったり、ブームになったりする。そういう側面も、今の日本にはあるということは知っておいていただきたいと思います。それを、宗教の定義に照らして、宗教と呼べるかどうかは置いておくとして、現世利益を求める行為、超越的なものにすがりたいという思いはなくなるどころではなく、さらにはまた、今申し上げてるようなスピリチュアリティ的なものが社会には存在している。実は日本だけの話ではなくて、このスピリチュアリティに関しては世界的な動向として指摘をされています。いわゆる宗教、特に伝統的な宗教では嫌いだけれども、スピリチュアリティには興味を持つという人々が世界的に増えているという流れがあることも、さまざまな調査結果から明らかにされています。</p>
<h4>二十一世紀の日本の仏教者に期待されるもの</h4>
<p>　私が皆さんに期待することとして最後に少しお話をします。宗教学の祖ともいわれるマックス・ミューラーという人は、一つの宗教しか知らない人は、いかなる宗教も知らないといいました。それから、その次に、レジュメには「グローバライゼイションの世界に生きる」と書きましたけれども、私たちが日常、食べるもの、着るもの、日本のなかだけで完結しているものは一つもありません。例えば、地産地消といっても、トラックで運べばガソリンを使っています。世界とどっかでつながってます。何らかのかかわりを持っています。そういう世界に皆さんは生きているということを忘れないでいただきたい。さらにいうと、アメリカは勿論、さまざまな問題が今いろいろ出てきているヨーロッパなどと比べても比べものになりませんけれども、日本にはすでにかなりの移民が実は入ってきています。例えば、台湾系であったり、韓国系であったり、あるいはブラジル系であったり、あるいはロシア系であったり、あるいはイスラーム系の諸団体等々が宗教法人をつくりたいといってきてる。すでに宗教法人になっているものもかなりの数があります。人によっては、お向かいさんがイスラーム教徒で、お隣がロシア正教徒で、三軒先が一貫道を信じているなどという状況にお住まいになってる方もいるかもしれません。さらにいえば、少子高齢化の世のなかで、私自身を含め、どうなるかわかりませんけれども、例えば、インドネシアからきているイスラームの女の子に、あるいはフィリピンからきているキリスト教徒の人に、介護をしてもらうことになるかもしれない。そうでもしないとやっていけない現実が、実は今の日本にはあるわけです。そういう状況もあって、いってみれば、ジーザズ・クライストもゴータマ・シッダールタもムハンマドも知らなかったような世界に、私たちは生きています。いろいろな科学的知見というものも広く深く浸透していきつつあるなかで、社会が、進化とはいわないまでも、大きな変化はしている。そういったことを踏まえて、視野を狭くすることなく、より広く、より深く、諸々の宗教、諸々の宗教的な事象あるいは社会全体、世界全体を見、考えていっていただきたいというふうなお願いをして、お話を終わりたいと思います。<br /></p>]]>
        
    </content>
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    <title>大乗仏教論　- 智慧と慈悲 -　第23期スクーリング講義録</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.tibs.jp/lectures/watanabe_s/-_-23.html" />
    <id>tag:www.tibs.jp,2010:/lectures//3.184</id>

    <published>2010-09-16T02:32:18Z</published>
    <updated>2010-09-16T04:14:09Z</updated>

    <summary> １、お経とは 　お経とは、ブッダ以来の仏教聖典の総称である。それは広く言えば、...</summary>
    <author>
        <name>管理者</name>
        
    </author>
    
        <category term="渡辺章悟先生" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.tibs.jp/lectures/">
        <![CDATA[<h4>
<div class="imgRight">
<span><img style="WIDTH: 318px; HEIGHT: 211px" height="336" alt="146-12.jpg" src="http://www.tibs.jp/lectures/146-12.jpg" width="508" /></span></div>１、お経とは</h4>
<p>　お経とは、ブッダ以来の仏教聖典の総称である。それは広く言えば、ブッダの教えであるダルマ（経）、僧団の運営規範であるビナヤ（律）、この両者の解説や思想書であるアビダルマ（論）からなり、これを初期仏教や部派仏教（小乗仏教）では、経・律・論の三蔵という。</p>
<p>　しかし、大乗仏教では、後代に登場した大乗経典や論書などを組み入れ、これらを「大蔵経」として再分類した。これが中国文化圏やチベット文化圏訳などに見られる仏典である。したがって、これら三蔵や大蔵経などのすべてがお経といってもよいのであるが、狭い意味では三蔵のうちの経蔵、大蔵経でも「○○経」というタイトルを持った、経典に限定される。</p>
<p>　この意味での経典の数は、陀羅尼を含めると、漢訳ではおよそ１４００経典、チベット語訳ではおよそ１０００部以上にものぼる。その中でも、最も良く読まれてきた経典は、南アジアではスッタニパータ（経集）、ダンマパダ（法句経）などの小部経典や四つのアーガマ（阿含経典）であり、東アジアでは般若経、法華経、涅槃経、浄土三部経、大日経をはじめとする大乗経典である。</p>
<p>　歴史的に展開した仏教のすべての学派や宗派は、この何れかの経典を拠り所にして成立している。その意味では経典こそが仏教の本質と言えるのである。 </p>
<p>　これらの真意を一言で表すことは困難であるが、いずれもブッダの教えをくみ上げて纏められたものであり、少なくともその精神を継承している。ここではその具体的な例として、日本人に最も良く知られている『般若心経』と『観音経』について、簡単に述べておきたい。</p>
<p>　ここでいう「智慧の経典」と「慈悲の経典」というのは、『般若心経』と「観音経」のことです。前者は空性を見通す般若の智慧を説き、後者は観音菩薩の信仰とその慈悲を説きます。この二つの経典は、東アジアで最も良く流通した経典と言えますが、共通する点がある。 </p>
<p>　それは両者ともに観自在菩薩（観音菩薩）を説くことである。ただし、『般若心経』の主題は空と真言という二つの柱があり、「観音経」は『法華経』の一部であり、観音の三十三化身や〈五観〉や〈五音〉などといった観音の妙智力を説くことで知られている。 </p>
<p>　今回は大乗の代表として、空の智慧と慈悲の観音というテーマで、大乗仏教の教えを考えてみたい。</p>
<h4>
<div class="imgCenter">
<span><img style="WIDTH: 509px; HEIGHT: 705px" height="2742" alt="146-11.jpg" src="http://www.tibs.jp/lectures/146-11.jpg" width="2056" /></span></div>２、『般若心経』には二種類ある </h4>
<p>　『般若心経』（プラジュニャー＝パーラミター＝フリダヤ・スートラ）とは「般若経の核心（フリダヤ）」というタイトルが示すように、般若経のエッセンスを説いたものである。そもそも般若経とは、真実を見通す悟りの智慧をテーマとする経典であり、紀元前後に始まった初期大乗の経典から、密教系の儀軌などを含めて、四十種類ほどもある多彩な経典群の総称である。それらを代表する経典が「大般若経」であり、ここに説かれていた空性思想と神秘的言語思想という二面から構成された綱要経典が『般若心経』である。</p>
<p>　ただし、本経には大本と小本の二つの系統がある。大本は小本に序分と讃嘆文（流通分）を加えたものであり、比較的新しいサンスクリット写本や、訳出年代の遅いチベット訳や漢訳に見られることから、はじめに小本が成立してから、通常の形式を備えた大本が成立したものと推定される。</p>
<p>　内容構成から言うと、小本（略本）は「観自在菩薩が甚深なる智慧の完成を実践しているとき」から始まり、「ギャテー、ギャテー、ハーラーギャテー、ハーラソーギャテー、ボーディ、ソワカー」の真言に終わる形式。これが私たちにとって、なじみのある『般若心経』である。 </p>
<p>　大本（広本）は、この小本を挟んで、冒頭に「このように私は聞いています。あるとき世尊はラージャグリハの霊鷲山に......」という序分、末尾に「神々や人間やアスラやガンダルヴァたちを含む世界の者たちは、世尊の言葉に歓喜した」などという結びの言葉（流通分）で終わる。つまり、経典の形式を整えたものである。現存する大部分の資料は実はこちらの系統である。 </p>
<p>　なお、小本をサンスクリット原典では「十四頌般若」、大本を「二十五頌般若」と韻律の形式（頌数）で呼んで区別することもある。この呼び方は、インドやチベットの伝統では一般的だが、漢訳の伝統にはない。この頌の数は、わが国における三十一文字の短歌にあたると考えたらよいだろう。 </p>
<h4>３、『般若心経』の内容&nbsp; </h4>
<p>　『般若心経』の前半は、五蘊・十二処・十八界という世界の構成要素や、十二縁起・四諦という伝統的な仏教の哲学を空性の立場から再説したものであり、小本では冒頭に「聖なる観自在菩薩摩訶薩は、深遠な智慧の完成を実践しつつ、［存在するものの］五つの構成要素（五蘊）がある。そして、それらはもともと空であると見通された。」（觀自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五&lt;lb n="0848c08"/&gt;蘊皆空。）と説く。</p>
<p>　ここで言及される五蘊とは、世界の内実を示す構成要素であり、世界そのものといってよい。観自在菩薩はこの五蘊からなる自己と世界が、もともと空であると見抜くという。経（玄奘訳）ではそのことを、以下のようにさらに詳しく述べている。 </p>
<p>　「シャーリプトラよ。かたちあるものは空の性質と別ではなく、空の性質はかたちあるものと別ではない。およそかたちあるもの、それが空の性質をもつものであり、空の性質をもつもの、それがかたちあるものなのである。これと同じように、感受作用（受）・表象作用（想）・意志作用（行）・認識作用（識）も、空の性質をもつものなのである。」（舍利子。色不異空。空不&lt;lb n="0848c09"/&gt;異色。色即是空。空即是色。受想行識亦復如&lt;lb n="0848c10"/&gt;是。） </p>
<p>　観自在菩薩が般若波羅蜜の瞑想の中で、見極めた真実、すなわち「自己を形づくる五つの構成要素（五蘊）が空性であり、その空性という表れこそが五蘊に他ならないこと」を明瞭に説く箇所である。『般若心経』といえば、大多数の人がこのフレーズを思い浮かべるほど、よく知られた教えでもある。これこそが本経の真意である。</p>
<p>　後半はこの智慧の教え（般若経）が、諸仏を生ずる悟りに導く「明呪」（ヴィディヤー）という機能を持つものであり、限りない功徳をもつという教説である。これも経典の威力を讃嘆する「大般若経」に繰り返し説かれていたものである。</p>
<p>　ただし、「般若心経」では、他の大乗仏教で広宣された「明呪」ではなく、「真言」（マントラ）と変えられている。さらに、経末では「掲諦掲諦...」という呪句が付加されているが、これは「完全な智慧の真言」（般若波羅蜜多呪）と言われ、全体で般若波羅蜜という「完全な智慧」を讃えた真言という構造をもっている。 </p>
<p>　本経はこの二つの教説を柱として、当時人気の高かった観音菩薩を説法主に、智慧第一と称されたシャーリプトラ（舎利子）を聴聞者に採用したこと、そして思想的に深みのある空性の教えに密教的なマントラを結びつけたことに最大の特色がある。</p>
<p>　また、全体が読誦用の経典として構成してあることから、古来より広く流行し、多くのサンスクリット写本が現存する。また、玄奘訳をはじめとする八種類の漢訳の他、チベット語訳、モンゴル語訳、ウイグル語訳などもあり、注釈書もすこぶる多い。現在でも最も人気のある経典と言ってもよい。</p>
<h4>４、観音とは</h4>
<p>　観音とは「慈悲・救済を特色とした菩薩の名であり、現存サンスクリット原典に拠れば、サンスクリット語名はAvalokite?vara（「観察することに自在な」の意）とされる。</p>
<p>　鳩摩羅什訳の『妙法蓮華経』には、〈観世音〉と共に〈観音〉という訳語が用いられることから、観音は観世音の略称と考えられる。また、羅什以前には〈光世音〉と訳され、隋唐時代（五八一～九〇七）には〈観自在〉と訳出される。これらは原語の違いに基づくものと考えられ、上記サンスクリット語名は、avalokita（観）と??vara（自在）との合成語よりなるが、古くは後半が-svara（音）という原語のテキストがあった。中央アジア発見の法華経断片にはAvalokitasvaraと記されているものがあり、これならば〈観音〉と訳され得る。また、光世音に関しては前半が-loka（光明）であった可能性もある。なお、〈世〉は原語中のloka（世界）に関連があると考えられるが、詳細は未詳である。</p>
<p>　観世音菩薩には異名として〈救世（クセ）菩薩〉〈救世浄聖（ジョウショウ）〉〈施無畏者（セイムシャ）〉〈蓮華手（レンゲシュ）〉〈普門（フモン）〉〈大悲聖者（ダイヒショウジャ）〉などがあり、その種類も多く説かれる。 </p>
<p>&nbsp;<strong>●六観音</strong> <br />　地獄・餓鬼などの六道世界に輪廻する衆生を救うために六体集成された観音像。中国で天台大師智顗の提唱した大慈・大悲以下の六観音が最初だが、わが国では雨僧正・仁海（ニンガイ）が用いたとされる「聖（ショウ）観音（地獄道）、千手観音（餓鬼道）、馬頭観音(畜生道)、十一面観音（阿修羅道）、准胝（ジュンデイ）観音（人道）、如意輪観音（天道）の六尊が主に造型された。天台宗では准胝観音のかわりに不空羂索（フクウケンジャク）観音を立てる。また、両尊を含めて〈七観音〉と称することもある。 </p>
<p><strong>（一）</strong>聖観音［s：?rya-avalokite?vara］...《正観音》とも書き、通形の観世音菩薩のこと。多面多臂を持たない変化しない二臂の観音。</p>
<p><strong>（二）</strong>千手観音［s：Sahasra-bhuja］...〈千手千眼観（世）音〉〈大悲観（世）音〉とも称し、その救済力のすぐれたところから蓮華部の王&lt;蓮華王菩薩&gt;とも呼ぶ。胎蔵曼荼羅には二十七面千手が描かれ、両脇に婆藪仙と功徳天があらわされている。合掌手を除いて大きい四十本の手に持物があり、余手の九五〇数本は光背状の小手として表現する。</p>
<p><strong>（三）</strong>馬頭観音［s：Hayagr?va］...観音信仰の広がりの中で最も異教的な内容を加えて変化した観音。その忿怒の顔容から&lt;馬頭明王&gt;の名もあって八大明王の一ともされる。魔障や煩悩を馬口のように食いつくして衆生を救済する。 </p>
<p><strong>（四）</strong>十一面観音［s：Ek?da?a-mukha］...原語は、十一の顔を持つ者という意味。観音信仰の広がりの中で最も早くヒンドゥーの神と接点を持って変化した観音。頭上に十の小面をつけ本面と合わせて十一面を持つ。これは観世音菩薩の、あらゆる方角（十方）に顔を向けたもの、という救済者として持つべき能力を具体化したもの。正面三面が慈悲面、左三面が瞋怒面、右三面が狗牙上出（クゲジョウシュツ）面、後方暴悪大笑（ボウアクダイショウ）面、頂上仏面である。『陀羅尼集経』や『十一面神呪経』の漢訳に伴って中国・日本でも広い信仰を集めた。</p>
<p><strong>（五）</strong>准胝（堤）観音［s: Cund?］...ヒンドゥー教の土俗的信仰（女神ドゥルガー）と習合したもので、七倶胝仏母（しちくていぶつも）、「サプタコーティブッダ・マートリ」（七千万の仏の母）とも呼ばれている。彼女（これは女性名詞）が、人を悟りに導いて数限りない仏を誕生させる宇宙の神性の擬人化であることを示す。</p>
<p><strong>（六）</strong>如意輪観音［s：Cint?ma?i-cakra］...如意宝珠と輪宝を持って一切衆生の願望を満たし、苦を救うという変化観音。多くは六臂像に表される。</p>
<p><strong>（七）</strong>不空羂索観音［s: Amoghap??a］...大慈大悲の羂索を以て生死の苦海に浮沈する一切の衆生を済度することを本願とする変化観音。形像は多くは一面三目八臂に表され、手に羂索などを持ち、肩には鹿皮を着ける（鹿皮観音）。その所依とする『不空羂索神変真言経』（三十巻、菩提流志訳）は体系化された教理的な経典として有名。 </p>
<p><strong>●三十三観音</strong> <br />　法華経（普門品）に説かれる観音の三十三応現身【注１】の数に合わせて三十三種の観音を集め総称したもの。詳細は後述。 </p>
<p>①インド成立の観音...青頸観音、葉衣観音、多羅観音 <br />②中央アジア成立の観音...楊柳観音、水月観音 <br />③中国成立の観音...馬郎婦観音、白衣観音<br />④日本成立の観音...子安観音、悲母観音、マリア観音&nbsp; </p>
<p>【注１】　法華経（普門品）に説かれる観世音菩薩の三十三種の変化身をいう。観世音菩薩は普現色身三昧力により変現自在にその姿を変えて、衆生の機根に即して出現し、それぞれに応じた仕方で法を説くとされる。〈普現色身三昧〉とは、種々の身体を現し生きとし生ける衆生を導く三昧である。三十三身とは、１仏身、２辟支仏身、３声聞身、４梵王身、５帝釈身、６自在天身、７大自在天身、８天大将軍身、９毘沙門身、１０小王身、１１長者身、１２居士身、１３宰官身、１４婆羅門身、１５比丘身、１６比丘尼身、１７優婆塞身、１８優婆夷身、１９長者婦女身、２０居士婦女身、２１宰官婦女身、２２婆羅門婦女身、２３童男身、２４童女身、２５天身、２６竜身、２７夜叉身、２８乾闥婆身、２９阿修羅身、３０迦楼羅身、３１緊那羅身、３２摩ゴ羅伽身、３３執金剛身。</p>
<h4>５、観音経とは</h4>
<p>　『般若心経』にも登場する観自在菩薩（アヴァローキテーシュヴァラ）は、鳩摩羅什によって観世音菩薩と翻訳される。特に、羅什訳『妙法蓮華経』（法華経と略）「観世音菩薩普門品」第二十五章（サンスクリット本では第二十四章）は、この菩薩について最も詳細に描かれているため、観音経と呼ばれ、観音信仰の所依の経典となっている。ただし、本経はもともと観世音菩薩の信仰にもとづいて流通していたのが、後代に『法華経』【注２】の中に編入されたものと推定され、その起源は古い。 <br />　『般若心経』は、観自在菩薩は世界の観察者として描かれていたが、この観音経では、観世音菩薩の名を唱えることによって危機を脱することができるという現世利益的な面が強調される。最初にその代表例を「普門品」の偈頌から挙げておく。 <br />&nbsp;<br />　或いは怨賊の繞（かこ）みて、各（おのおの）刀（つるぎ）を執りて害を加うるに値わんに、彼の觀音の力を〈念ぜば〉、咸（ことごと）く即（ただ）ちに慈（いつくしみ）の心を起さん。（大正蔵五十七頁下） <br />&nbsp;<br />　以上のように、これは「念彼観音力」（ねんぴかんのんりき）の句でよく知られているが、サンスクリット原文でも「観音を心に念ずれば（スマラト）」という慣用句が繰り返されている。要するに、いかなる時でも私たちが念ずることによって、救済の手をさしのべてくださるというのが、この菩薩の性格である。 <br />ただし、「普門品」では散文部分と韻文部分では性格が異なる。先の偈頌と異なり、その後に述べられ散文の箇所では、一心に観音の名号を称えることを述べる。 <br />&nbsp;<br />善男子よ、若し無量百千万億の衆生ありて、諸の苦悩を受けんに、この観世音菩薩を聞きて、一心に〈名を称うれば〉、観世音菩薩は、即時にその音声を観じて、皆、解脱することを得しめん。（大正蔵五十六頁下） <br />&nbsp;<br />　ここにあるように、偈頌では観音は「念ずること」によって救済する菩薩であるが、散文部分では「大声で呼ぶこと」「名を称えること」によって救済するとある。つまり、この菩薩の性格は、韻文では念（スマラ）と結びつけられ、散文では声、音（スヴァラ）と結びつけられている。その相違の理由は、この経典が伝えられた西北インド方言のガンダーラ語の音声表現に由来するからである。</p>
<p>　ところで、観自在菩薩の原語（アヴァローテーシュヴァラ）は「アヴァローキタ」（観ること）と「イーシュヴァラ」（自在）の合成語であり、「観〔ることが〕自在〔な〕菩薩」と言われる。しかし、古くは「アヴァローキタ・スヴァラ」という名であった。「普門品」が成立した地方の言語（ガンダーラ語）では、このスヴァラは「声、音」と「念」の両方の意味を持つし、音韻も類似することから、スマラ（念）と結びつけて解釈されたのである。そのため、「声を観る者」（聞き取る者）と「念を観る者」という二つの理解が生まれ、「観音」と言う訳語や、念を観察する菩薩と言う解釈も生まれたのである【注３】。 ともかく、このような衆生の救いへの願いに応えてくれる菩薩が「観音さま」なのである。</p>
<p>&nbsp;【注２】　『法華経』（ほけきょう）は、大乗仏教の経典「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ（Saddharmapu??ar?ka-s?tra）」（「白蓮華のような正しい教え」の意）。一般的に「法華」だけでは、「ほっけ」と発音する。それぞれの意味はsad＝「正しい」「不思議な」「優れた」など、dharma＝「教え」「真理」、pu??ar?ka＝「白蓮華」、s?tra＝「経典」。この経典に対する漢訳は十六種類が行われたとされるが、完訳が現存するのは『正法華経』（竺法護訳、二世紀）、『妙法蓮華経』（鳩摩羅什訳、五世紀）、『添品妙法蓮華経』（闍那崛多・達磨笈多共訳、七世紀）の三種である。漢訳仏典圏では、鳩摩羅什訳の『妙法蓮華経』が、「最も優れた翻訳」として、天台教学や多くの宗派の信仰上の所依として広く用いられており、「法華経」は「妙法蓮華経」の略称として用いられる場合もある。なお、鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』観世音菩薩普門品第二十五は観音経として普及している。以下は羅什の訳本の全二十八章の構成である。 <br />第一...序品（じょほん）第二...方便品（ほうべんぼん）第三...譬喩品（ひゆほん）第四...信解品（しんげほん）第五...薬草喩品（やくそうゆほん）第六...授記品（じゅきほん）第七...化城喩品（けじょうゆほん）第八...五百弟子受記品（ごひゃくでしじゅきほん）第九...授学無学人記品（じゅがくむがくにんきほん）第十...法師品（ほっしほん）第十一...見宝塔品（けんほうとうほん）第十二...提婆達多品（だいばだったほん） 第十三...勧持品（かんじほん）第十四...安楽行品（あんらくぎょうほん）第十五...従地湧出品（じゅうじゆじゅつほん）第十六...如来寿量品（にょらいじゅうりょうほん）第十七...分別功徳品（ふんべつくどくほん）第十八...随喜功徳品（ずいきくどくほん）第十九...法師功徳品（ほっしくどくほん）第二十...常不軽菩薩品（じょうふきょうぼさつほん）第二十一...如来神力品（にょらいじんりきほん）第二十二...嘱累品（ぞくるいほん）第二十三...薬王菩薩本事品（やくおうぼさつほんじほん）第二十四...妙音菩薩品（みょうおんぼさつほん）第二十五...観世音菩薩普門品（かんぜおんぼさつふもんほん）（観音経）第二十六...陀羅尼品（だらにほん）第二十七...妙荘厳王本事品（みょうそうげんおうほんじほん）第二十八...普賢菩薩勧発品（ふげんぼさつかんぼつほん）</p>
<p>【注３】　竺法護訳では「光世音」、羅什訳では「観世音」、玄奘訳では「観自在」と訳している。 </p>
<h4>&nbsp;６、三十三観音</h4>
<p>　「普門品」には観世音菩薩が三十三種の変化身を持つことが説かれている。そこでは、観世音菩薩は「普く身体を現すという瞑想の力」（普現色身三昧力）によって、衆生の機根に応じ、変現自在にその姿を変えて教えを説くという。これを三十三応現身【注４】という。この数に合わせて三十三種の観音を集め総称したものが三十三観音である。 </p>
<p>　西国・坂東などに開創された三十三観音霊場の信仰も、この三十三という変化身（応現身）の数に由来するもので、各所の観音はそれぞれ各応現身に見立てられている。</p>
<p>　三十三観音の名称は、楊柳・竜頭・持経・円光・遊戯（ユゲ）・白衣・蓮臥・滝見・施薬・魚籃・徳王・水月・一葉・青頸・威徳・延命・衆宝・岩戸・能静・阿耨・阿摩提・葉衣・瑠璃・多羅・蛤蜊（コウリ）・六時・普悲・馬郎婦（メロウフ）・合掌・一如・不二・持蓮・灑水。この多くは成立不明で「経軌」に説かれるものはわずかである。</p>
<p>&nbsp;【注４】　法華経（普門品）に説かれる観世音菩薩の三十三種の変化身をいう。観世音菩薩は普現色身三昧力により変現自在にその姿を変えて、衆生の機根に即して出現し、それぞれに応じた仕方で法を説くとされる。〈普現色身三昧〉とは、種々の身体を現し生きとし生ける衆生を導く三昧である。三十三身とは、１仏身、２辟支仏身、３声聞身、４梵王身、５帝釈身、６自在天身、７大自在天身、８天大将軍身、９毘沙門身、１０小王身、１１長者身、１２居士身、１３宰官身、１４婆羅門身、１５比丘身、１６比丘尼身、１７優婆塞身、１８優婆夷身、１９長者婦女身、２０居士婦女身、２１宰官婦女身、２２婆羅門婦女身、２３童男身、２４童女身、２５天身、２６竜身、２７夜叉身、２８乾闥婆身、２９阿修羅身、３０迦楼羅身、３１緊那羅身、３２摩ゴ羅伽身、３３執金剛身。 </p>
<h4><br />７、観音の五観と五眼</h4>
<p><strong>（一）</strong>五観と慈悲観 <br />　「〈真の観、清淨の観、廣大なる智慧の観、<u>悲の観、慈の観</u>あり。〉常に願い、常に瞻仰るべし。無垢清淨の光ある、慧日は諸の闇を破り、能く災の風と火を伏して、普ねく明らかに世間を照らすなり。<u>悲の體たる戒は、雷の震えるがごとく、慈みの意は妙なる大雲のごとし。</u>甘露の法雨を（そそ）ぎて、煩惱の焔を滅除す。」（『妙法華経』大正蔵No.二六二、第九巻、五十八頁上） </p>
<p>仏・菩薩が衆生を苦しみから救い、福楽を与えるということ。慈悲のうち、前者が〈悲〉（カルナー karu??）にあたり、後者が〈慈〉（マイトリィー maitr?）に相当すると解釈される。「大慈与一切衆生楽、大悲抜一切衆生苦」『大智度論』（２７）<br />&nbsp;<br /><strong>●慈悲の三種 <br /></strong>　三種の慈悲として、一、衆生縁、二、法縁、三、無縁がある。一は衆生に対する慈悲で凡夫にも実践出来るもの、二は個体を構成する諸法を対象とする慈悲で、声聞・縁覚二乗の実践するものをさすのに対し、三は空の理を対象とする慈悲、すなわち、自他の対立を廃棄して、いかなる特定の対象ももたずに現れる絶対の慈悲で、これが大乗の菩薩の慈悲であるとする（『大智度論』（４０）【注５】、月称の『入中論』など）。 </p>
<p>【注５】　「無縁とは、この慈はただ諸仏にのみあり。何をもっての故に、諸仏の心は有為・無為性の中に住せず。過去世・現在・未来世に依止せず。［中略］この諸法實相の智慧を以て、衆生をしてこれを得しむ。これを無縁と名づく。」&nbsp; </p>
<p><strong>（二）</strong>五音と慈眼 <br />　「諍訟して、官處を經、軍陣の中に怖畏せんに、彼の<u>觀音の力</u>を念ずれば、衆の怨（あだ）は悉く退散せん。〈妙なる音・世を観ずる音・梵の音・海潮の音・彼の世間に勝れたる音〉あり。是の故に須からく常に念すべし。 </p>
<p>念念に疑を生ずる勿れ。觀世音の淨き聖は、苦惱と死厄に於て、能く爲めに依怙と作らん。一切の功徳を具して、<u>慈眼をもって衆生を視（みそなわ）す。</u>福の聚れる海は無量なり。是の故に應に頂禮すべし。」（大正蔵五八中） </p>
<p>　以上のように観音さまの慈悲のはたらきは、戒として身に備わったもので、にじみ出るような行為として働くものである。そのようなはたらきを雷が震えるように、あるいは大きな雲のように我々を覆って下さるものである。しかし、それは一心に観音菩薩を念ずればこそ、それに慈眼をもって答えてくださるというものである。「普門品」は我々の困難な状況に際して、そのような慈悲への信頼といった生き方が求められている。（終） </p>]]>
        
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    <title>仏教概論　第23期スクーリング講義録（ダイジェスト版）</title>
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    <published>2010-09-09T02:49:31Z</published>
    <updated>2010-09-09T04:03:17Z</updated>

    <summary>１、タイ國での出家体験 　タイのタンマガーイというお寺で短期出家のコースがあり、...</summary>
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        <name>管理者</name>
        
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        <category term="高橋堯英先生" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<h4>１、タイ國での出家体験</h4>
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<span><img style="WIDTH: 330px; HEIGHT: 231px" height="344" alt="146-3.jpg" src="http://www.tibs.jp/lectures/146-3.jpg" width="510" /></span></div>
<p>　タイの<strong>タンマガーイ</strong>というお寺で短期出家のコースがあり、昨年八月の一週間、参加させて頂きました。私自身は日蓮宗の僧籍があります。小学校五年生の時、清澄山に連れていかれ出家をいたしました。いま、大学でインド仏教史を教えていて、具体的に分からないのが、原始仏教時代のお坊さんの生活なので、それを体験させていただきました。</p>
<p>　南方仏教のお坊さんは、雨期の三カ月間は定住修行をします。この安居という定住修業の期間に、昨年より日本人対象の短期出家コースを行うことになりました。ご存じのように日本には非常に多くタイ人が住んでいますが、日本の男性と結婚されたタイ人の女性には、ご亭主も一生のうちに一度はお坊さんにならないと一人前じゃない、という思想があるようで、ぜひこういうのを作ってくださいというリクエストを受けてこのお寺が短期出家コースを実施することになったようです。</p>
<p>　タンマガーイというお寺ですが、外国人対象の短期出家コースを行って、瞑想修行の素晴らしさを積極的に広げようという活動をしています。</p>
<p>　八月十七日に入国しその夕方、いきなり剃髪の儀式がありました。最終的に眉毛まで剃り落とすんですね。翌日、白いシャツと白い腰巻に着替させられ、お堂の中で受戒の儀式に挑んだわけです。お釈迦様の前に壇がありまして、大体二十人のお坊さんが座りまして、真ん中に戒師の偉いお坊さんが後でいらっしゃるんです。</p>
<p>　まず自分が用意したサフラン色の衣（三衣）。腰巻とその上の中衣と大衣を持って、沙弥としてまず出家させてくださいということをお願いします。持っていった衣を一度その戒師のお坊さんに渡して、お坊さんから授けられるような形で三衣を頂き、沙弥としてサンガに参加することを認められるわけです。腰巻を着て、右肩が出るシャツのようなものを着て、その上に中衣をまとい、そして大衣は肩から垂らすような形で身につけて帯で結わえるのが、タイの僧侶の正装になります。</p>
<p>　そして、鉢を携えて本堂に行って、今度は正式な、二二七戒という戒に則って生きる許可を懇請する儀式に移ります。まず最初に十の、例えば、健康上問題はないのか、負債はないのか、王様の軍隊の兵隊ではないのかなどと問われ、そして「こういう人がサンガに参加したいといってるけど、どうでしょうか」と上座にある人がそれを、戒師を含めたサンガの皆さんにプレゼンテーションする。そして、今度は鉢を持って戒師の前に行って、これから受戒を頂戴する、というそういう儀式が続くわけです。</p>
<p>　鉢を頭から掛けていただいたり、戒律二二七戒に則って生きていきます、ということを、みんなに誓う。どうぞ出家させてください、と懇請するのです。そのあと、サンガの二十一人のお坊さんたちが集会を開き、許可を決議して、最終的にめでたしめでたしになって、記念撮影をしたのです。</p>
<p>　その後、まず在家の信者さんがご供養をしてくださるんですね。黄色いハンカチがありまして、それをそこに敷いて、その上にお布施を置いていただく。そのハンカチを自分の方に引き寄せることで、布施を受けたことを示すのです。お布施をもらったら必ず、お経を唱える。ですから、短いパーリ語のお経を覚えてなきゃならないんですけれど、それが間に合いませんでした。日本式で、「願わくばこの功徳をもって、あまねく一切に及ぼし、我らと衆生と皆共に仏道を成ぜんことを」という普廻向の言葉を唱えまして、うやうやしくその場を終わったわけです。そのあと、教団の実際の運営に携わっている副住職の先生が面談をしてくださいまして、タンマガーイの瞑想についてのお話をしてくださいました。　</p>
<p>　一般的に南方仏教では、自分の心を穏やかにし、そして自分の各部所を観ずる、観る、といった<strong>瞑想</strong>をするようなのですが、このタンマガーイ寺では、むしろ大乗仏教の観仏のようなといいましょうか、心の中に何かを観るというような瞑想をするのです。よく水晶の球をヴィジュアライズします。瞑想の中で、心の中に水晶の球を観るという瞑想についてお話をいただきました。最終的に心をおくところが丹田だとあまりにも力が溢れてしまうことがある。したがって丹田より二指上のポイントに心を置くようにすると、パワースポットみたいなものを活性化しないで、心を穏やかにすることができるんだ、ということを教えてくださいました。</p>
<p>　そのあと、チェンマイの山奥にお寺、研修所があり、そこに移動し修行をいたしました。四時ごろ起床し歯磨きをすませ、五時から六時に講堂で朝の勤行、お勤めをし、そのあと瞑想を行ないます。そして六時から七時に、分担をして、托鉢に行くもの、本堂の掃除をするもの、法衣を洗濯するもの、便所の掃除をするものに分かれて作務を行います。そして七時から朝食。八時から九時までの間は自由時間で、自分の日記を整理したりします。九時から十時五十分ぐらいまでまた瞑想をしまして、十一時にお食事をいただきます。南方仏教は戒律で、十二時までに食事をしなければならないのです。また一時半から三時ぐらいまで瞑想の時間になり、三時から六時ぐらいまでの自由時間があります。シャワーを浴びたり、洗濯物を取り込んだりとかしてすごします。そして、六時二十分から九時ぐらいまでに夕方のお勤めと、法話、そして瞑想があって、二十二時に消灯になります。こんな毎日をすごしました。</p>
<p>　私どもが生活した部屋には、一人一個プラスティックケースが与えられ、それにサブの衣を頂戴しておりまして、そしてその手前側にマットレスが一枚ずつありました。寝るときそのマットレスを敷いて、そこに寝ます。チェンマイの山の中ですから、結構寒くて、夜は皆さんは黄色いサフラン色をしたトレーナーを着ていました。それでも寒い、寒い、っていって帽子をかぶったりしてる人もいました。こんな僧院生活を体験させていただきました。</p>
<p>　托鉢は大変です。サンダルをぬぎ、裸足で一歩一歩自分の一挙手一投足を意識しながら歩くのです。それから、ときどき午後に公園のようなところに連れて行ってくださいまして、野外で瞑想をしたり、あるいは法話を聞いたりしました。携帯電話も取り上げられ、何もすることがないわけです。お経を読誦したり、瞑想をしてればいい、そういう毎日だったんでですが、逆にありがたかったです。こういう生活を、大体南方仏教のお坊さんたちはしていることを学びました。</p>
<h4>２、原始仏教におけるサンガ（僧伽）の生活</h4>
<p>　まず沙弥として十の戒律を覚え、それに則って生きることを誓い修行し、そのあとパーリ律で二二七戒の戒律に則って生きるというのが、南方仏教のお坊さんたちの生活なのです。　お釈迦様の時代からそうだったかというと、若干違う。出家した人たちが一つの集団<strong>（サンガ）</strong>を作って集団生活をしていた。サンガには現前僧伽と四方僧伽という二種があります。例えばこの東京国際仏教塾の二十三期生のみなさんが現前僧伽でありまして、他のお寺で活動しているみなさんや、宗派の人たちもみんな仏教徒なんですという意識が、強いて言えば四方僧伽という意識なのです。</p>
<p>　お釈迦様の時代はどうだったのかといいますと、基本的に比丘は<strong>一所不住の生活</strong>をしていました。雨期の三カ月間だけは定住修行（安居）するんだけれども、この時期以外はみな、町から町へ、遊行をしながら布教をする。しかしながら、お釈迦様の晩年ぐらいから、有力者の寄付もあり定住修行が目立ってくるわけです。祇園精舎、あるいはマガダ国の竹林精舎、大金持ちは、自分が持ってる園林を仏教教団に寄付しました。彼らは寄付をして、管理もメンテナンスもすべて行っていました。仏教教団に属する人はそういう園林で生活をし修行をするという形態がお釈迦様の晩年ぐらいから既に始まるのですが、そしてそうやって集団生活をしはじめると、いろんなルールが必要になってくる。</p>
<p>　町から町へ遊行していた当初は<strong>「頭陀支」</strong>という基本的な衣食住のルール、食（じき）は「乞食」、着るものはボロ布を集めて、そしてそれをリサイクルして作った衣に身を包むという「糞掃衣」、そして、寝るところは「樹下石上の生活」を行う、という「頭陀支」が最低限のルールとしてあったけれども、集団生活していくと、いろんな軋轢があったりなんかして、いろんなトラブルのケースが生じてきたりしたわけです。そうすると、ケースバイケース、「お釈迦様がこのように制定された」っていう形で次から次へとこの戒律っていうものが作られていったわけです。</p>
<p>　それと同時に<strong>布薩</strong>なんていう儀礼も発展をしてきます。満月と新月のときに、戒律の条項を確認して、反省をする、というような儀式も行われるようになる。</p>
<p>　次第にそういうときに在家の人たちがお寺にやってきて法話を聞いて、そのときにこのお坊さんたちに供養をする、「食」を供養するという、そういうお祭りになってきたのですね。雨期の三カ月間の定住修行の一番最後に反省会、「自恣」なんていう儀礼が整ってきたり、その中でよく修行をした人に、<strong>「迦絺那衣」</strong>、（カティーナ）という衣を授ける、なんていう儀礼が整ってきたりしていったといいます。</p>
<p>　そして、徐々にそういう僧院、もともとアーラーマという園林であったものに、恒常的な建物が建てられたりして、サンガラーマ<strong>（僧伽藍）</strong>という僧院が整備されてまいります。一般的には、これはデカン高原の辺ですね、西インドでは、石窟寺院が多いんですけれども、北インドでは、平たいところに建てられた建物「精舎」が僧院の姿になっていきます。</p>
<p>　それから、戒律の整備というものは、<strong>随犯随制</strong>、いろんなトラブルが起こるたびに戒律が整えられていきました。こういうケースがあって、こういう、お釈迦様が裁定をされましたという形で戒律条項がどんどん増えていくわけですね。最終的に、小乗二五〇戒なんていう言葉がありますように、これは四分律に則ってですけれども、男性の場合は二五〇戒、比丘尼の場合は三四八戒（パーリ律では二二七戒、比丘尼は三一一戒）が成立します。なぜ女性の方が多いのか？それはやはり、女性は妊娠するので、出家する前に一定期間をおかなきゃいけないなどといったこともあるからです。</p>
<p>　いろんな禁止条項が整うわけですけれども、その中でも特に四つの大罪が、即僧院追放になる大罪で<strong>波羅夷法</strong>といわれます。殺生、不与取、非梵行、妄語がそれです。要するに、生き物の命を奪うこと、人のものを盗む。非梵行、これは要するに性的な行為を行うということ、それから、妄語、自分が悟っていないにもかかわらず、俺は最終解脱者だなんてうそをいうこと。これらが即僧院追放になるような四つの大罪と考えられるようになりました。中にはもちろん、一緒に食事をしているときに、飯粒を口の中に入れてしゃべっちゃいけませんよ、っていうような、普通のエチケット的なことまで戒律の条項には入っているんです。</p>
<p>　戒とはシーラっていう言葉で、自分で自分を戒めるということ。そして律は、集団生活上のルールです。<strong>戒律</strong>とは誰かに与えられたルールですけれども、本当は自分で自分を戒めなければならないものなのです。この二二七の戒律もすべてシーラの精神に則って運営されなきゃならないのです。布薩の一度に、自分の過ちを告白する、そういう儀式が行われました。自分で自分を、こういうことがありましたということをみんなの前でするから<strong>懺悔</strong>（サンゲ）が成り立っているのです。</p>
<p>　ですから、そこには「戒の精神」、即ち、自分で自分をウォッチしていくという機能が働いて、「律」（ルール）というものが働いていたわけであります。</p>
<div class="imgLeft">
<span><img style="WIDTH: 308px; HEIGHT: 210px" height="309" alt="146-4.jpg" src="http://www.tibs.jp/lectures/146-4.jpg" width="516" /></span></div>
<p>　一概にサンガ<strong>（僧伽）</strong>と申しますけれども、おおまかに七つに分かれておりました。比丘、二十歳以上の男性の出家。そして比丘尼、即ち二十歳以上の女性の出家。それから沙弥が二十歳未満の男性の出家者です。そして沙弥尼は二十歳未満の女性の出家者です。また五番目に、式叉摩那というものがあります。比丘尼になる前に、女性の場合は二年間、この式叉摩那という段階を経なきゃならなかったそうです。比丘尼になったあと赤ちゃん生まれたりじゃ、まずいっていうのがあって、こういうワンステップおくんだということです。それから、六番目、七番目は在家の仏教信者、即ち男性の優婆塞と女性の優婆夷とされます。</p>
<p>　大体、伝統的仏教、上座部仏教では、出家と在家というのはまったく別であるとされ、比丘と沙弥が比丘僧伽を形成し、比丘尼と沙弥尼、叉式摩那が比丘尼僧伽をつくります。そして、この比丘僧伽をつくるには最低四人の正式な比丘が必要であるとされます。それから、新たに仏教僧に出家させるためには十人以上の正式な比丘が必要であるというルールがあります。</p>
<p>　それから、最初私どもが頂戴した<strong>沙弥の十戒</strong>でありますけれども、不殺生戒、不偸盗戒、不婬戒、不妄語戒、不飲酒戒、不非時食戒、不塗飾香鬢戒、不歌舞観聴戒、不用高床大床戒、不受金銀戒です。十番目にあるのが、お金を受け取りませんという戒です。七番目にあるのが自分を飾り立てませんという戒。八番目は歌舞音曲を楽しみませんという戒です。これらを戒師の述べる直後に唱えなきゃならないんですが、なかなか覚えるのが大変でありました。</p>
<p>　式叉摩那は、特に六法を遵守するとか、あるいは在家者は<strong>五戒</strong>、即ち、不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不飲酒を守るとされます。たぶんにジャイナ教の影響があるといわれますが、ジャイナ教の場合は不飲酒の代わりに、無所有が入ります。</p>
<p>　それから在家者は、毎月六回、あるいは四回（一、八、十五、二十三日）、僧のように終日禁欲生活を送り<strong>八斎戒</strong>をまもるということがあります。今回こうやって出家させていただいたんですけれども、最終日に在家に還俗する儀式がありまして、そのときに、還俗するんだけど、次にこの八斎戒を授けられまして、以後、仏教徒として生きて、八斎戒を大事にしながら生きてくださいということを指導して下さったお坊さんから、指示されました。</p>
<p>　この僧伽の生活でありますけれども、いくつかの特徴があります。まず第一が、<strong>平等の精神</strong>です。出家する前の身分（インドの場合ではヴァルナ、あるいはカーストっていうのもあります）や地位といったものは一切度外視して、僧伽のメンバーになったら、もう先輩後輩の違いしかありません。出家してから何年目になるのかという、法臘という違いしかない。同じときに出家したら、年上の方が上になります。ですから、今回タイの僧院で食事をするときでも、何テーブルかあるんですけれど、そのテーブルの座り方も出家の早い人が上になり、沙弥の方はお坊さんとは別のテーブルに座りました。</p>
<p>　ただ、インドの現状を考えますと、便所掃除の人は一生便所掃除なのです。私は大学時代に、デリー大学のキリスト教系のカレッジで勉強していましたんですけれども、キリスト教系のカレッジだから、そういう区別が一切ないのかな、と思ったらですね、サーバント、学生寮の職員さんたちにも二種類あったのです。</p>
<p>　私の部屋に入って、へやのお掃除をできるサーバントと、その人たちが廊下に出したゴミだけ集めてくる人。そしてその後者の人は便所の掃除も担当していました。このようにランク付けがあって、それはもともとのカーストの違いというものが基準でありまして、そうったことが、ずっと残っていたんです。しかも、その便所掃除の仕事ですけど、その息子がその跡をとり世襲しました。そういうインドの現状を見ると、この僧伽での血筋を問わない、先輩が後輩の面倒をみる。後輩は先輩の指導を受けて、先輩を尊敬する、という非常に合理的な考え方を、紀元前五世紀、六世紀の時代にお釈迦様が、僧伽の中で実現しようとしたということは、画期的なことだったと思います。お釈迦様自身の言葉の中で、「バラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラというけれども、バラモンとは生まれによってバラモンになるんじゃないよ」と仰る。</p>
<p>　要するに、自己改革を一生懸命努め励む人が、真のバラモンだ、という立場を取られますから、一切そういった差別を否定して、平等の精神というものに則って、この仏教教団というサンガを運営しようとしたという特徴があります。</p>
<p>　それから、戒と律に則った生き方を実践いたします。本当に二二七の戒律に則って生きるわけですから、大変です。戒律に違反しますと懺悔をします。実際には一連の儀式化したお経があり、それに則り<strong>懺悔</strong>を行います。先輩と後輩の二人がペアになって、まず後輩が先輩に懺悔の経をとなえて懺悔をし、次に先輩が後輩に懺悔をするという形で相互に、お互いに悔い改めましょうという儀式を行います。これは一般の在家の人たちの前では絶対やりませんけど、お坊さんの中ではそれを行います。例えば、タイのお坊さんは女性がぶつかっただけでも戒律違反になります。スチュワーデスさんが意識せずにボンと、お坊さんにぶつかったとします。ぶつかられた方は被害を受けたんだけれども、そのお坊さんは戒律違反になるから、その晩、自分の先輩と組んで懺悔をしなくてはなりません。</p>
<p>　そのとき行う懺悔でありますけれども、一定の儀式化したお経の文句があって、それを唱える形になっていますが、しかし基本的に、やはりそこには自分に対する反省というものが根底にあるので「慚愧の念」という言葉がありますですね。これも仏教用語です。五力、信、勤、念、定、慧に慚と愧が加わって七力といわれます。「慚」は自己に対して恥じ入ることであるといい、「愧」は他に対して恥じた気持ちを示すことであるといいます。こういう精神というものが、即ち自己反省がやはりサンガの生活の中にあるのです。ですから、「仏教は反省から」ということが、日々の生活の中に、僧伽の生活の中に、存在すると思います。「出家」は一段上になっていますですけども、こういう「自己反省」、あるいは「ダルマ」という絶対なるものに対して自分自身を照らし合わせて自己反省するということが、南方仏教の世界では強制的に戒律に則って生きるということの中で、行われていると思われます。</p>
<p>　布施に対して日本のお坊さんはだいたい布施をされるとありがとうございましたと合掌したりなんかしたりするんですけども、一切そういうことをしちゃいけない。南方仏教のお坊さんは布施されて当たり前だといって胸張っている。このように映ります。</p>
<p>　それには訳があります。<strong>福田思想</strong>というものがあります。福の田と書きますけども、要するにお坊さんという存在は、在家者が自らの徳を積む場所であるっていう考えなのです。在家者が財施を出家者に対してするのですが、それに対して、「法」の布施を出家者が在家者に対してするのが、当たり前とされています。「財施」に対して「法施」という、ギブアンドテイクがあるわけです。在家者の布施に、ありがとうございますと言った段階で布施の功徳がなくなってしまうと考えられるのです。</p>
<p>　托鉢に行くと小さな子どもがお母さんと一緒に道端にひざまずいて、お布施してくれるのですが、坊さんは立っていて、鉢が腰の位置ですから子どもは背伸びしてもなかなか供物を鉢に入れられないときがあります。それでも、平然と相手を背伸びさせても鉢の中へ入れさせるというのがルールなんだそうです。僧が軽く膝をまげるだけでも在家者の供養の功徳がなくなってしまう。財施に対してお坊さんは、必ず法施をする。その托鉢の際には、確か慈悲行の一節だったと思うのですけど、その言葉を必ず唱えてました。そういう財施に対する法施の精神が生きていました。</p>
<p>　こういう戒律にのっとった生活が目指すものは一体何かと申しますと、<strong>人格の陶冶</strong>という言葉でまとめられるんじゃないかなと思うのです。私どもの立正大学にも建学の精神があり、仏教の精神に則った教育によって人格の陶冶を実現することをかかげていますが、自分を磨くっていうことが、戒律にのっとった生活によって実践できるのではないかと思います。</p>
<h4>３、釈尊の教え（メッセージ）</h4>
<p>　基本的にお釈迦（しゃか）様の教えは、<strong>「三法印」</strong>あるいは<strong>「四法印」</strong>、<strong>「縁起」</strong>、<strong>「四諦八正道」</strong>という形で伝えられています。</p>
<p>　この目指すものは一体何かといいますと、わたしたち自身が仏陀（ぶっだ）になることであると思います。仏陀になるってことはどういうことなのか？　悟りの境地に達するってことはどういうことなのか？　わたしはよく思い出すのですけど、「如来」という言葉を「人格の完成者」と、中村元先生は訳していらっしゃいます。要するに、わたしたちは自分たちをこのお釈迦樣の教えにのっとって、無常の教え、無我の教え、あるいは、苦の教えっていうものを、あるいは四諦八正道っていう形で整理された教理、それをしっかり頭で理解するだけではなくて、全人格的にそれらを反映させるような、そういう存在になっていかなきゃならないじゃないということです。それが、お釈迦様がわたしたちに残してくださったメッセージであると思います。みんなが、一人一人が人格完成になっていけば、平和な素晴らしい社会が作られていくだろうという、こういうことを、お釈迦様は意図されたんじゃないかなと思うのです。</p>
<p>　そして、そういう観点からいうと、僧院の生活っていうもの二二七戒にがんじがらめに縛られた生活ですけれども、その目指すところは一体何かというと、八正道の示すバランスの取れた中道の精神にのっとった生き方なのだと考えられるのです。仏教の修業論として三十七道品といいます。四念処観、四正勤、あるいは、四神足、五根、五力、七覚、八正道、これを全部足すと三十七になります。だから、四念処観、即ち、身受心法の無常をしっかり理解できれば、それでもう解脱はできるというのですけれども、四諦八正道説の中で八正道の実践が解脱に至る道であると述べられているので、われわれとしてもこの八正道を大切に生きていく必要があると思います。</p>
<p>　僧院内で行なわれる戒律に則った生活と同じことはできなくても、少しでも八正道に則った行き方ができるようになるように、少しずつレベルアップしていこう、というのが、お釈迦様のわれわれに残してくださったメッセージではないかなと私自身は思うわけであります。</p>
<p>　原始仏教の経典にある言葉に、青蓮華、あるいは赤蓮華、あるいは白蓮華が水の中に生じ、水の中で成長し、水の中から現れ出でて、しかも水に汚されないでいるように、そのように人格を完成した人、如来は世間で成長し世間に打ち勝って、しかも世間に汚されないでいるという、如蓮華在水という精神が述べられています。これは何かというと在家主義というものを示している言葉だと思います。ですから、在家にあっても八正道の精神というものを自分の中にやはりしっかりと反映させて、そして、日々の生活の中で充実した生活を実現していくという行き方が、まさにわれわれに課せられた一つの道ではないかなと思えてならないのです。</p>
<p>　<strong>八正道</strong>は正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定です。わたしも昔、仏教学を勉強したときに十二因縁を、無明、行、識、名色、六入、触、受、愛、取、有、生、老死、と毎朝、起きたら一番最初に教科書を開いてそれを大きい声で唱えておぼえました。父親に言われたんです。朝起きたら一番最初に、頭がボーっとしてるときにでっかい声でそれを唱えてごらん。一週間やってごらんと。確かに、口が動いてくる。口が覚えてくる。次に、漢字を確認していくと覚えることが出来たのです。正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定。まさに正しい見解、無常の理なり、縁起の理、そういったものを基に自分の判断をしていく。また、正しい信仰、正しい思い、決意、正語（正しい言葉遣い）、正しい身体的行為、正しい生活を行い、自分の良いとこをどんどん伸ばして、悪いとこを極力抑えるという努力を行うこと。そして、正念、正しい意識、即ち、自分がやってることを意識的にやっていこうと、こういうことを心がける。そして、瞑想（めいそう）、メディテーションによって心を一つにくぎ付けにする。</p>
<p>　私がお会いしたお坊さんたちは、非常に穏やかな方たちでした。冥想によって人格というものはつくられるのだと思いました。中村先生が、<strong>「如来」</strong>は<strong>「人格完成者」</strong>と訳されましたが、人格の陶冶という、こういうことが、やはり仏教の修行によって達成されていくと思います。</p>
<p>　私がかってヨーガを習った時のクラスメートにインド陸軍の中佐の人で、印パ戦争で何人も人殺してるという、すごくおっかない顔した人がいました。その人が一年間一緒にヨガを行い瞑想を行ったら、眉間のしわが全部なくなって、非常に穏やかなすごく、いい顔になったのです。だから、瞑想修業というものは意義あるんだなと思います。わたしたちを人格完成に導くものがお釈迦様の残してくださったいろんな教えであり、また、その教えにのっとった日々の生活、即ち、八正道に則った生活なんだと思います。日々の生活の中に「八正道」を実践していこうということが、釈尊が我々に与えてくださった修行だと思います。皆さんもご精進いただいて、この東京国際仏教塾でいろんな宗派の修行を体験され、将に人格完成を目指して「八正道」の実践に大いにがんばっていただきたいと思います。（終）</p>]]>
        
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    <title>生きる道としての仏教～与えるということ　布施～（第23期開講記念講演）</title>
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    <published>2010-07-15T00:44:50Z</published>
    <updated>2010-07-15T01:43:17Z</updated>

    <summary> 　今日は、与えるということ　布施　を中心にお話したいと思います。インドで生活し...</summary>
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<p>　今日は、与えるということ　布施　を中心にお話したいと思います。インドで生活し、いろんな出来事にぶつかっている間に、仏教の教理学はひとつの枠組みとして、とても大切なんですけれども、反面に教理学だけですと、現実の社会に生きていくときに、習った仏教の世界観、教えというものがどういう意味があるのか、考えざるをえない体験もありました。仏教というのは生きる道でなけりゃならないとずっと考えて来ていますが、そうした総合テーマの中で、布施　与えるということを、お話したいと思います。</p>
<h4>両面通行の布施</h4>
<p>　インドの言葉でダーナというのは与えること、あるいは与える物ですね。このダーナという言葉が中国の仏典で翻訳されれば布施なんですけれども、音写されたのが檀那（だんな）という言葉です。</p>
<p>　ダーナや布施というのは、何でもいいから人さまに与えること、与える行為です。ご法事のときにお寺さんに差し上げるものも確かに布施には違いありませんけれども、それだけではありません。与える行為そのもの。仏教は、二本の柱がありまして、知恵と慈悲ですね。他者に対して及ぼすものが慈悲ですから、何か物を与えるにしても、お金を与えるにしても、優しい心遣いを与えるにしても、慈悲というのは与える行為そのものにかかわってくるわけです。</p>
<p>　いまから五十年ぐらい前、インドのカルカッタ大学に留学をして、三年半過ごしていたんですけれども、いまだに忘れない出来事があります。インドは貧しい国でした。いまではかなり豊かになりましたけど。こじき（おこもさん）がたくさんおりました。子どもから老人までいる。インドの暑い夏の午後、大学で授業を受けまして、下宿へ帰ってくるとき、年を取ったおこもさんがそばに寄ってきて、一ルピー恵んでくれといいました。留学生でお金もありませんでしたし、ことわりました。</p>
<p>　「あげないからね」と言って、私は背中を向けて歩きだしました。暇なおこもさんなんですね。黙って後ろをついてくるんです。単についてくるだけじゃありません。手を差し伸べながらついてくる。おまけに皮のスリッパを履いてて、コンクリートの歩道を引きずるように歩くんです。ぜんそく気味なんですかね。のどがヒュー、ゼーって鳴るんです。後ろを見ますと、年取った、やせたおこもさんが手を差し伸べながらついてくる。ヒュー、ゼーってのどの鳴る音とスリッパをひきづるペタッという音がして、これがリズムをつくるのですね。ヒュー、ゼー、ペタッ。ヒュー、ゼー、ペタッっていうのがずっとついてくる。後ろ見るとそっぽ向きながら、手を出して歩いている。</p>
<p>　さすがにちょっとやりきれなくなって、後ろを振り向いて、私としては珍しく強い声で、「やらんって言ったらやらん」っていったんです。びっくりしたような顔をして手を引っ込めましたけれども、そのときつぶやくように言ったんです。「一ルピーぐらい出せないわけないじゃないか。私も助かるが、あなた自身の功徳が増すってこともあるだろうに」っていう言葉でした。大変ショックを受けたんです。</p>
<p>　インドでは他人さまに何か物を与えること、つまり布施ですが、ダーナといいます。これは単に与えっぱなしで一方通行的にくれてやるよとか、かわいそうだから恵んでやろうとか、いわば自らを高いところにおいて、相手を低く見て、くれてやるという姿勢は、与える姿勢ではないのですね。両面通行なのでして、与えるということは、必ず自分も何かを受け取っているんだという考え方が大昔から現代にいたるまで不変の考え方です。それじゃあ、何かを与えて、与えた人が何を受け取るか。今日は果物一つお返ししますって、そういう意味じゃない。物を与えるということ、貧しい人、困ってる人に物を与える布施ということは、その行為によって功徳を積むことができる。恵むことによって、功徳を与えられるんだという。いうなれば、布施と功徳の交換です。</p>
<p>　それじゃあ、功徳を積んでどうなるんだといいますと、現代インドにまで人々の間に信じられている輪廻転生の考え方がありまして、仏教では六道輪廻などといいます。</p>
<p>　社会というものは、常に不条理、不合理なものです。しかし、今世で布施をし、功徳を積むと、来世にいい所に生まれるからというのですね。生まれ変わり死に変わりすることが実体的に、物理的に信じられている世界においては、いま栄耀栄華を誇ってる人は前世にいいことをしたんだ。いま私はつらい生活なんだけれども、いま、努力をすれば来世にいい所に生まれる。いい所っていうのは天の世界であり、あるいは人間の世界のお金持ちの家に生まれることだというのです。</p>
<p>　功徳を積んで、良き後生を願うという考え方が、インドでは非常に強い。そうしたことから、布施をするということは、同時に自分の功徳を積ませてもらうのだという考え方が強いのです。その考え方が仏教にも入り、信者さん方は仏教教団の比丘たち、出家たちに喜んで食事を布施し、衣を布施いたします。<br />　なんでお布施をするのかというと、宗教修行者に対する敬意は無論あります。しかし、もう一つ奥には、お布施をすることによって、自分の功徳が積めます。功徳は銀行のバランスシートみたいなもので功徳の蓄積が多いほどいい所に生まれる。悪いことばかりしてると地獄に落ちることになります。</p>
<p>　ですから、仏教教団に対する布施というのは、信者さんにとっては、功徳を積ませてもらう行為なんですね。そして、同時に仏教教団は、そこにお布施をすれば、功徳、福徳が積めるからそれを福田思想といいます。功徳を生み、くみ取ることができる田んぼということで、それを福田（ふくでん）と申します。そうした考え方が、中国から日本にも来て、禅宗のほうでは衣のことを福田衣（ふくでんえ）というんです。衣を着てることが、自ら功徳を積み、そして、その方と接触し話を聞くことが功徳を積む行為になるんだという。</p>
<p>　あるいは、禅宗には福田会（ふくでんかい）という会がある。そこでは、お坊さんが身に付けるおけさを一生懸命、自分で針を持って縫って、それをお寺さん方に差し上げる。大きな功徳を積む行為であると同時に修養の会でもあるので、そうした形で日本にも伝わっています。</p>
<p>　現在でも東南アジア、あるいはインドでもそうなんですけど、宗教者に何か布施をする、与えるということは、くれてやるんじゃなくて、功徳を積ませていただきますという感覚が強いんです。ですから、現在の東南アジアへ行っても、きのうまで総理大臣やってたなんていう白髪の立派なおじいさんが、そこに五～六人、比丘の方がいらっしゃると、そこの前へ行って、いちいち食事を盛ったお盆を、これをあなたに差し上げます、というジェスチャーをする。あなたに差し上げるんですよという意思表示を明らかにするんです。意思表示しないと差し上げたことにならない。</p>
<p>　日本ですと、どなたかから何かいただくと、どうもありがとうってお礼を言うし、合掌するじゃないですか。むこうではそれを、やっちゃけいけないんです。向こうのお坊さんは、偉い人が何かくださる。十六～十七の小僧さんが、ふんっていうような顔で平然とそれを見てるんです。端で見てるわたしのほうがおかしくなっちゃって、偉い方が布施します、というジェスチャーをすると、その若いお坊さんのかわりにわたしが頭さげちゃったりね。そんな雰囲気になってしまう。サンキューの一言ぐらいいったらいいじゃないかって聞いたら、とんでもないと。せっかくこのお布施によって、十の功徳が積めるはずなのに、サンキューなんていったら、それが七つ、六つに減っちゃうと、そういう考え方が与えるという行為の基本にあるんです。</p>
<p>　ですから、「１ルピーぐらいおまえさん、出せないわけないじゃないか。それで、私も助かるが、同時に、おまえさん自身も功徳が積めるじゃないか」と生活の場において、おこもさんから、いわば、たしなめられたいうことが、大変なショックで、いろいろと考えさせられました。</p>
<h4>与えなければならない</h4>
<p>　仏典からそういう思想に裏付けられた言葉をご紹介しましよう。人は収入に応じて、布施をしなくてはならない。いくらとはいわない。でも、収入に応じてなすべきだと釈尊は教えています。 <strong>「正しい方法で稼ぎ、よく働いて富を得たなら、請う者に飲食物を与えて喜ばせよ」。</strong>（インド原始仏典「イテイヴッタカ」）人の物を取ったり、詐欺をしたりということではなく、正しく稼いで、そのお金を人に布施せよ、というのです。</p>
<p>　<strong>「蓄えが少しならそれに応じて少しの物を、中程度なら中くらいを、たくさんあるなら多くの物を与えよ。与えないということがあってはならない」</strong> （インド原始仏典「ジャータカ」）という言葉もあります。現在でもインドではっきりと自覚され、実行されております。インドには私は学生時代に三年半いましたし、その後も向こうで仕事したりして、インドの滞在は五年半を超えるんですけど、商社、外交官、ジャーナリストの方々は、アメリカやヨーロッパへ派遣された人は喜んで赴任するんです。しかし、インドへ赴任された方は、なんでおれはインドに飛ばされたんだって考える方が少なくないんです。暑いですしね、インドを知ろう、インドの文化を学ぼうなどという気をおこす方はあまりいません。</p>
<p>　ですから、インド人とのお付き合いにしても、表面的なところしか見ない。例えば、自分の家でベアラーと呼ばれている人を使っています。いろいろな雑用をさせる人です。そういう人に比較的安い給料で仕事をしてもらっているのですが、その人たちが金に汚いとか悪口をいうんです。しかし、日本の方は安い給料で働いているベアラーという人たちが、より貧しい人たちにかなりのパーセンテージで、何らかのかたちでお金や物を与えていることをご存じない。</p>
<p>　また、インドにはカースト制度があって、トイレなどを掃除する人は階級が下の人になります。その人たちの給料は非常に低いんです。その掃除をしてる人が、さらに貧しい人にまたそれなりに与えています。</p>
<p>　みんながそういうかたちで与えてるから、飢え死にする者もなく、みんなが生きていられると、こういう面もある。イスラムの世界に行きますと、ザカートという一種の税金みたいなものを、やはり収入に応じて出しますし、それでもって貧しい人を救うという相互扶助のシステムがあるんです。</p>
<p>　こうして布施は両面通行でなければならないということなんですけれども、この両面通行というインドのその考え方は、幾分かたちを変えまして、中国、日本にも入っておりまして、それが、「おかげさまで」という言葉にかかわってるということを申し上げたい。</p>
<h4>おかげさまで</h4>
<p>　布施のインド語は、先ほどいいましたとおりダーナ（dana）です。それを中国で布施と訳し、檀那と音写しました。檀那とは布施、そして布施をする人の意味に用いられます。檀家（だんか）というのは、お寺を布施によって保持していく檀那の仕事をする家という意味で檀家でありますし、檀那寺なんていう言葉もご存じのとおりです。旦那とも書きます。</p>
<p>　昔の大きなお店のご主人などは、旦那って呼ばれました。給料与える人ですから、旦那でいいわけです。奥さん方は、ご主人を旦那様って呼ぶ習慣があったことはご承知の通りです。外へ行って稼いできて、奥さんに給料を渡しますから与える人なんで、旦那でいいんです。</p>
<p>　最近、共稼ぎの方が多いですから、二人でもって一緒に稼いで、家庭を支えている。すると、どっちが旦那だ、なんていうことになる。二人で一生懸命働いて、両方が稼いで、それで一家を保っているのですから、夫が妻を旦那さんと呼び、妻も夫を旦那さんと呼んだら、和やかな雰囲気になるんじゃないですかね。</p>
<p>　ずいぶん前ですが、日本語を勉強してるアメリカ人に聞かれたことがある。先生、日本語はとても優しくて美しい言葉です。だから、とても好きなんですけども、時々、非論理的なことがあると言うのですね。何故？と聞いたら、「おかげさまで」という言葉を出しました。</p>
<p>　「こういうことなんです。私が、例えば鈴木さんなら鈴木さんという方に、この国際仏教塾で会います。三日後に、御茶ノ水かどこかの駅で会いました。「ようやく暖かくなりましたね。おばあちゃんはお元気ですか」。と声をかけます。そういうふうにいわれた鈴木さん、つまり皆さんは、どうお答えになりますか。「どうもありがとう。おかげさまで丈夫にしております」と答えるじゃありませんか。日常の会話として、おばあちゃまがいると聞いてたから、お元気でやってますかと、社交辞令として、声を掛けました。それに対して、気を遣ってもらったもんだから、どうもありがとうというのは論理的である。</p>
<p>　しかし、「おかげさまで」とはなんだというのですね。「会ったこともない、おせんべい一つあげたことのない人に、おかげさまっていわれる道理はない」っていうんですよ。皆さん、そういう質問を受けたら、お答えになれますか。おかげさまでって、英語にならない言葉なんです。英語で、favorとか、ごひいきにという意味の言葉はありますけど、これは、商売かなにかで具体的に物やお金の取引があって、商売が成り立ってるから、おかげさまでという用法です。しかし会ったこともない人におかげさまでっていう用法はない。だから、英語にならないんです。</p>
<p>　例えば、私が大工さんにお願いして、塀をつくってもらいます。大工さんは私のところに来て、「旦那、おはようございます。」って言います。私はお金を与えるんですから旦那です。それじゃあ大工さんは、私に何もくださらないのかっていうとそんなことはない。ちゃんと塀をたててくださるでしょ。なんでもいいからくださる方が旦那なんだから、わたしはお金を与える旦那だし、大工さんは塀を下さるんだから、やはり旦那でいい道理じゃありませんか。つまり、両方旦那なんです。</p>
<p>　そして、これは職人さんだけじゃなくて、商売人であれ、サラリーマンであれ、一家の主婦であり、社会というのはみんなそれぞれに分業してるわけでしょ。それぞれ仕事を分担しながら、一生懸命生きてるわけです。大工さんが、一生懸命大工の仕事をするということは、それも社会に与えてるわけでしょ。パン屋さんだって与えている。パンをつくって売っているんですから。金を払うからパンをくれるのは当たり前だって、これは理屈です。お金を与えればすぐ出来上がったパンがスーともらえるような一つの流通のシステムというのができていて、そうしたときに、金をやったからパンをよこせじゃあなくて、お金を与えるのも布施ならば、パンを与えるのも布施じゃないですか。分業しているこの社会で、すべての人が一生懸命仕事をやっている。それは、すなわち、布施をしている行為だと受け止めるべきなんです。</p>
<p>　これは同時に、社会のすべての人の布施をうけて、私どもも生きていけるのですから、それに対して感謝しなければならないのではないのか。お金と物の交換じゃなくて、布施と布施の交換なんです。お互いに一生懸命生きているんですね。「おかげさまで、私も生活が成り立っているんですよ」という考え方が出てきてもおかしくない道理なんです。これは昔からの日本人の考え方と仏教の考え方が出会って出来てきた用法で、おそらく江戸の中期から後期ぐらいじゃないかといわれるているんです。その辺から「おかげさまで」という言葉が出てきてるんです。</p>
<p>　道元禅師の『正法眼蔵　菩提薩捶四摂法』の中に、 <strong>「船を置き橋を渡すも布施の壇度なり、治生産業、もとより布施に非ざること無し」</strong>という言葉があります。川があります。橋も何にもありません。そこへ橋を架けました。社会事業ですね。偉大なる布施行じゃありませんか。この船を置く、渡し船のシステムをつくりました。これも布施行です。</p>
<p>　しかし、それだけじゃない。治生産業というのが、簡単にいえば私たちが日常を生きていること。なりわいを行っていくこと。つまり、私どもの社会でいろいろの仕事をしながら生きていくということ自体が、実は、布施にほかならない。</p>
<p>　こういったように同じ社会にみんなで共に生きていく。それぞれに仕事をしているということは何か社会に与えてる道理である。したがって私どもは常に社会のすべての人の布施を受け取っているから、「おかげさまで」と感謝しなくちゃいけないし、同時に自分のやってる仕事というものは社会に対する布施行だという自覚があってしかるべきだろう。こういうのが道元禅師のいわんとする意味なんですね。仏教の布施ということの考え方は、そうした相互互恵の関係というものが基本的になっています。</p>
<h4>四摂法（慈悲行としての布施）</h4>
<p>　ここで、<ruby><rb>四摂法<rp>（<rt>ししょうぼう<rp>）</rp></rt></ruby>という言葉をご紹介します。これはインド仏教の原始仏典以来ずっと説かれています。</p>
<p>　「仏教はあんまり社会的に何かをしないではないですか」などといわれるのですけど、この四摂法は、はっきりと社会に布施をする、社会に何かを与えていく際の基準となる教えを述べたものです。衆生をすくい取る四つの手だてというほどの意味です。布施、愛語、利行、同事という内容です。</p>
<p>　<strong>布施</strong>は、先ほどからのダーナ、<strong>愛語</strong>というのは人さまのためになる言葉を語るという意味です。ですから、いろいろな愛語があるんです。あくまでもその人のためになる意味で、いわば慈悲の心で相手に語る言葉が愛語です。何か仕事をさせる。寒い所を帰ってきて、「ご苦労さんだったね、寒かったろう」という言葉をかけるのも愛語です。反面に、嫌われるのは承知の上で、上司が後輩に、「おまえさんのやってることはよろしくない。こういうことでは経営にも差し支える。人さんの心をも傷つける。その辺のことをよく反省して、自分の行為を考え直してご覧なさい」と、いわば、叱る言葉も愛語です。</p>
<p>　ただし、相手をやっつけちまえっていう叱り方は愛語にはなりません。あくまでも慈悲が基本にある言葉だとご理解ください。</p>
<p>　<strong>利行</strong>というのは人さまのためになる行為という文字通りの意味です。だから、相手をいたわる行為も、人さんのためになる行為はすべて利行です。</p>
<p>　<strong>同事</strong>という最後の言葉ですが、「同じ事」と書きます。自分を他人と同じ立場に立たせるということです。両面通行でありますから、両方が同じ立場に立つのは当然でしょう。慈悲というのは、他人さまを自分の身にひきあてて、なんとかその人のためになるようにという温かい心を及ぼすことです。布施であれ、愛語であれ、利行であれ、具体的な布施には違いないんですが、それを行う基本的な考え方として同事が説かれます。つまり、自分と他人を同じ立場におくということです。</p>
<p>　これが、一番典型的に経典に説かれてるのは観音経なんです。法華経の中の、観音経の散文の部分に、　<strong>「婆羅門を救うには婆羅門となり、王様を救うには王様となり、商人を救うには商人となり」</strong>というような言葉がずっと並んでいます。これも仏・菩薩が人を救うときに、仏様がでんと座っていて、おまえさん、それじゃあ駄目だよって口先だけで言ったんじゃ、これは救うことにならない。自分が同じ婆羅門となって、慈悲の心にあふれて、その中で人を救っていくということです。</p>
<h4>法身仏と化身仏</h4>
<p>　同事というのは仏様の「はたらき」です。大乗仏教になるとブッダという考え方が、お釈迦さまの原始仏教の時代のブッダと変わってきています。お釈迦さまの時代にブッダというのはお釈迦さましかいませんでした。ブッダとは目覚めた人ということです。何に目覚めたのかというと法に目覚めた。真実に目覚めたのです。一言でいえば、縁起とか、無常とか、空とか、そういう言葉でいおうとする、この宇宙の大きなはたらき。それを仏教では真実、法としてお釈迦さまがとらえてくれました。</p>
<p>　真実、法に目覚めたのがブッダなんです。そうすると仏教とはみんながブッダになろうという教えですし、私が法を実践しなきゃいけない。私がどうやって正しく生きたらいいんだというと真実、法を実践することです。だから、これは皆さまご承知の自燈明、法燈明という教えがあるわけですね。自らをともしびとし、よりどころとして、法、真実をともしびとし、よりどころとして生きていく。</p>
<p>　つまり、自分が法を実践する。法は私が実践することによって、具体的にはたらきだす。大乗仏教になってくると、悟った人間もさることながら、法、真実そのものが重視されるようになりました。そして法そのものをブッダと見る考え方が出てきました。これを法というものを身体とする仏という意味で法身仏というようになりました。『法華経』の久遠実成の仏というのは<strong>法身仏</strong>とみてよろしい。</p>
<p>　ですから、『法華経』を説いた「仏陀」というのは、インドで亡くなったお釈迦さま、「ブッダ」とは違う。はるかかなた、未来永劫にわたって、永遠に法を説きぬいているのが久遠実成の仏。そういう仏陀を中心に大乗仏教の思想的、そして宗教的発展があったのです。</p>
<p>　そうすると八十歳で亡くなったお釈迦さまは何なのでしょう。法というものを基本とする法身仏が具体的なかたちをとって、西暦前5世紀に釈迦族の王子として生まれて法を説いたのがお釈迦さまで、応身仏または<strong>化身仏</strong>といいます。この考え方は、ヒンドゥ教でも同じ考え方があって、それをアバターラ（権化）といいます。</p>
<p>　つまり、お釈迦さんは、法身仏から具体的な釈迦族の王子として修行して、悟りを開いて、法を説いた化身仏だ。いろんな仏様が大乗仏教では出てまいりました。永遠の仏というのは、相手に応じて、相手と同じに立場に立って救ってくださるという同事の考え方があるからこそ、お釈迦さんは人間として生まれて、人間を救ってくださったじゃあないかということなんです。王様を救うには王様の立場に立って。つまり、常に相手と同じ立場に立って、目線を相手と同じ所において、人に物を与える、与えられのだということです。</p>
<p>　欧米社会におけるphilanthropy博愛とは明らかに視点が違います。常に相手と同じ立場に立つんです。</p>
<h4>無私の布施は可能か</h4>
<div class="imgRight">
<span><img style="WIDTH: 180px; HEIGHT: 191px" height="382" alt="145-7.jpg" src="http://www.tibs.jp/lectures/145-7.jpg" width="335" /></span>菩提樹</div>
<p>　そういう立場に立ったときに、仏教のほうでは極端と思われるような布施行が説かれます。ジャータカはお釈迦さまが前生に菩薩として、こんなに素晴らしい行いをしたんですよ。その功徳によって、釈迦族の王子として生まれ、出家、修行し、悟りをひらかれたのだ、と説かれています。私どもにはなかなか悟りは開けない。一生懸命やっても悟りは開けない。お釈迦さまを見てみろ。お釈迦さまは、二十九歳で出家して、三十五歳でお悟りを開いたじゃないか。いや、そう言われても困る。たしかにお釈迦さまは偉い方だけど、お釈迦さまもこの世で修行しただけじゃないんだ。前世にも菩薩として良い行いを積んで、功徳を積んで、積んで、積んできたから、そのおかげでこの人生の中で悟りが開けたんだよって、俗にいえば、そういう考えがあります。</p>
<p>　当時のインドにいろいろな説話もたくさんありました。その説話を仏教徒が取り上げて、その中の素晴らしい行いをした人を前世のお釈迦さまだと説いたのが前生物語、ジャータカという一群の作品です。</p>
<p>　その中で<strong>シビ</strong>（Sibi）ジャータカという有名なジャータカがあります。シビ王という方がおりまして、庭を歩いていたら、タカに追われてハトがやってきて、王様の懐に入りました。タカがおれの獲物だから返してくれと要求します。王様は、懐に入ったハトをおまえに渡して、殺させるわけにはいかん。森へ行けば、死んだ鳥がたくさんいるから、それを食べたらよかろう。いや死んだ動物の肉は駄目なんだ。このハトを食べないと、私は飢え死にしてしまう。王様は仕方がないから、それじゃあ私の肉を与えるから、このハトの命を救え、といった会話がつづきます。</p>
<p>　タカはオーケーして、このハトと同じ重さのあなたの肉をくださいといいます。はかりを持ってきました。肉をそぎ取っても、なかなかハトの重さにならない。片足を切って、乗せてもバランスがとれない。最後に思い付いた王様が、自らがはかりの上にのったらバランスがとれた。よし、分かった。それじゃあ、私を殺して、わたしの肉を食べよ。こういうストーリーなんです。</p>
<p>　実は、そこでほんとに王様がタカに食い殺されたんじゃ、ちょっと話が陰惨すぎるんでありまして、このタカというのは実は帝釈天の化身である。そこで本身が示されて、王様の徹底した無心、私心のない布施行というものが称賛されたというストーリーです。人を救うために自分の命を捨てるというモチーフです。</p>
<p>　<strong>捨身飼虎物語</strong>も同じです。三人の王子が飢えたトラの親子を救うために、三男坊が自ら竹ぐしで首を刺して、トラの親子の前に身を投げたというテーマです。</p>
<p>　<strong>雪山童子物語</strong>というのもあります。ヒマラヤ（雪山）地方で、少年が仏法を求めて修行していました。すると、どこからか<strong>諸行無常、是生滅法</strong>、「諸行は無常なり、これ生滅の法なり」という詩の前半がきこえました。素晴らしい言葉だなあ。あとの半分を聞きたいと願うのですが、それを説いたのが、夜叉でありました。おまえの体を食わしてくれれば、あとの言葉を教えてやろう。そこで約束をして、あとの法の<strong>生滅滅已、寂滅爲樂</strong>と教えてくれました。雪山偈と普通いわれるんですけれども、その若者は、その辺にこの言葉を書き付けて、夜叉の前に身を投げるんです。これも救われるというストーリーになるんです。モチーフとすれば、他を救うために命を捨てるというのと、法のために命を捨てるというのです。</p>
<p>　『法華経』にも焼身供養の例が出てまいります。『法華経』の薬王菩薩本事品第二十三。一切衆生憙見菩薩という長い名前の菩薩がおりまして、この人が、法を敬え、仏を敬うために自らの身を焼くという焼身の行をおこないます。これは、決して焼身自殺というべきものではなくて、焼身供養という言葉で普通いわれています。</p>
<p>　１９６３年６月１１日、ベトナムのティック・クアン・ドックというお坊さんが、旧サイゴンの目抜き通りで「焼身供養」を行いました。周りにお坊さんがたくさん控えていました。</p>
<p>　焼身供養をする決心は、仏教会の人は、みんな知っていました。ベトナム戦争の前の時代で、ゴ・ディン・ジエム政権は、仏教徒を迫害し、虐待していました。一月ほど前に、仏様の誕生を祝う会で、軍隊が出てまいりまして、子ども七人、女性一人を射殺してるんです。それに対する抗議集会を開くことになったんですけれども、そのときにクアン・ドックさんは、そうした為政者の過ちを自覚させるために、そして、事態を改善するために、私は焼身供養をしたいと仏教会に届け出ています。仏教会は認めなかったんですが、とうとう最後に認めました。</p>
<p>　軍隊が介入して、途中で妨害されないようにとお坊さんが周りを取り囲んだりしながら、外国の報道関係者も含む衆人環視の中、目抜き通りでケロシンオイルをかぶって、焼身供養をいたしました。</p>
<p>　つまり、焼身供養ということが現実に行われたこともあるんです。これは極端な例です。仏教は焼身供養を勧めているとは思わないでください。勧められません。こんな事件はめったにおきません。命の尊重とは、対極にあります。ただ、身命を賭して法を求める、人のためになるものを与える。仏教における布施の重さと多面性の例として申し上げたかったんです。</p>
<h4>三輪清浄</h4>
<p>　大乗仏教になって、三輪清浄ということが説かれるようになりました。空（くう）の思想に裏付けられた思想ということになっています。施す人、お布施をうける人、与える物、この三つが何のわだかまりもなく、ためにするところがない。それが清浄なる布施というものです。私はこの三輪清浄という言葉を、あまりしゃべったことがないんです。与える人も、もらう人も、施物も、何のわだかまりもなく与えられ受け取られるって、そんなことあるのかと思ってましたから。自分で納得できないことは人に説けません。</p>
<p>　しかし、最近、少し考え方が変わってきて、角膜移植などというのはそれに近いかなと思ったりしています。自分が亡くなったら、アイバンクに角膜を寄付するよう遺言しておく。これも布施ですが、もらうほうの人もありがとうございますいいながら、誰からもらったかは分からない。三輪清浄の例にあたるかなと思いました。</p>
<p>　また、みんなが納得する布施っていうふうに言い換えたらどうかなとも思うようになりました。あんまり理屈っぽく、すべてが清浄とはなにか、などといわずに、みんなが納得する布施ということでいいんじゃないのかと考えています。</p>
<p>　そうしたことから、最近は無財の七施という言葉を、しきりに考え直しているんです。無財の七施というのは、お金や物がなくても与えられる七種類の布施ということで、これは『雑宝蔵経』という、中国の漢訳仏典に載っているんです。眼施、和顔悦色施、言辞施、身施、心施、牀座施、房舎施といいます。</p>
<p>　優しい目つきでほほ笑んであげるというのが<strong>眼施</strong>です。<strong>和顔悦色施</strong>というのは、にこやかな顔で人に接する布施です。私のよく存じ上げ大変敬愛しているカトリックのシスターであられる、渡辺和子先生、最近、新聞にお説法集の広告が大きく出ていますが、先生に会ったら、「奈良さん、仏教の和顔悦色施っていうのはいいわよ。不機嫌な顔をしてるっていうのは、環境破壊じゃありませんか」ですって。</p>
<p>　<strong>言辞施</strong>というのは、優しい、いたわりの言葉をかける。厳しくてもためになる言葉をかける。心を施す。これ思いやりです。心遣い。<strong>牀座施</strong>というのは、席を譲ることです。<strong>房舎施</strong>というのは、泊めてあげることです。</p>
<p>　なるほど、これならば何にも持ってなくても、人さまに与えることができますよね。何にもなくても出来る布施というところにポイントを置いて、考えていたんですけれども、そうか、三輪清浄もこれと結び付けていいんじゃないのかなと思っています。</p>
<p>　私たちに慈悲の心というものがあるならば、おのづと人さまに良かれと願う。にっこりと、優しい言葉をかける。特に代償を求めることもなければ、代償を払ってるわけでもない。そういう布施が、無財の七施の具体的な例として、三輪清浄につらなるんではないでしょうか。</p>
<p>　そして同時に、最近は自分のことばかり考え、エゴがはびこっている世の中になっています。人間は自分なりに納得して、生きていかなければいけない。それが幸せだと思うのですが、それにはやはり他人に対して与えていくことがなければならない。</p>
<p>　人間とは「人の間」ということで、自分一人で生きているわけではない。自も他も共に幸せにということは、自は他に与えなければならない。あまりに他者に与えることが少ない社会だからこそ、バラバラ社会になっている。<br />　そういう関係はお釈迦さまの教える布施に大きくかかわっています。お互いに身近なところから考えていかないと、自分なりに納得する人生もできないし、他も良くならない。そんなことをしきりに考えているわけでございます。（終）</p>]]>
        
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    <title>信仰と人生　わたしたちはなぜ仕事をするのでしょうか？</title>
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    <published>2010-04-30T00:00:00Z</published>
    <updated>2010-05-13T07:03:41Z</updated>

    <summary>　今日は「信仰と人生」について、お話したいと思います。サブタイトルは「なぜ仕事を...</summary>
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        <name>管理者</name>
        
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        <category term="野坂法行先生" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<p>　今日は<strong>「信仰と人生」</strong>について、お話したいと思います。サブタイトルは<strong>「なぜ仕事をするのか」</strong>としましたが、「何のために生きているのか」という問いでもあるのかなと思うんです。「日々の糧を得るためである」とか、「家族を養うためである」とか。でも、実はこの仕事という言葉の中にすでに答えがあるのです。仕事という言葉は、極めて宗教的センスがあって出てきてる言葉です。「働く」なんていういい方もしますね。仕事という言葉の中に、もうすでに答えがあるということを、まず頭の隅にとどめておいてください。</p>
<h4>日本人の精神性と仏教</h4>
<p>（一）　宗教というのは、人間が人間として人間らしく生きるための根本の教えです。</p>
<p>　大本、根っことか、あるいは人生設計の基礎部門といっていいですね。</p>
<p>（二）　日本は仏教国と言われます。そして日本仏教の祖は聖徳太子だといわれています。</p>
<p>　聖徳太子が十七条の憲法というのをつくって、それに従って国の運営の根幹を定めていこうとしたわけですが、その第一条になんて書いてあるかというと、<strong>「和をもって尊しとする。」　</strong>みんな、おれが、おれがという自我を主張しないで、互いの持ち味、違いを認め合って、平和に仲良く調和して暮らしていく。このことが大事ですよっていうことを定めてるんです。すごいことだと思います。和をもって尊しとする。では、その和が保たれるためにどうしたらいいかというと、第二条に、<strong>「篤く三宝を敬え。」　</strong>三宝を篤く敬いなさいっていうことを督励してるわけです。三宝というのは、仏様と、仏様の書かれた法と、そして僧なんです。</p>
<p>　僧というのはお坊さんのことじゃない。仏法を求める仲間のことですね。その三つをみんなが敬いなさいっていうんです。敬うことによって、和というものが成り立つんだということです。</p>
<p>　聖徳太子は<strong>三経義疏</strong>というのを書きました。三つのお経を取り上げて、それに対する注釈を加えたということです。聖徳太子は、十人の人が一遍にものをいっても全部それを聞き分けたのですごいといわれてますが、もっとすごいのは、仏教はインドから中国に渡って、朝鮮半島から日本に伝わってきたとき、膨大な仏典が来てるわけですが、その中からあえて法華経、勝鬘経、維摩経の三経を選んだということです。</p>
<p>　<strong>法華経</strong>というのは、仏教の中心的な経典だといわれてます。これは中国の天台大師によって仏教が体系化されて、その中でも法華経が仏教の中心に据えられました。日本に伝来したとき、聖徳太子も膨大な経典の中の法華経が中心になるということを思ったんでしょう。法華経をまず取り上げた。それと、維摩居士という普通のいろんな社会の仕事をしながら仏法を求める男性のために書かれたのが<strong>維摩経</strong>。それから勝鬘夫人という、在俗の生活をしながら仏法を求めるという女性のために説かれたのが<strong>勝鬘経</strong>ですね。何千、何万という経典が入ってきた中で、聖徳太子が三つをあえて選んだという眼力ですね。三つのお経を取り上げて、なおかつ自分が注釈を加えたわけです。内容を熟知してなければ注釈を加えられないわけで、その洞察力に感服いたします。</p>
<p>　私たちが何かでアンケート取ると、日本人は無宗教だとみられたり、いろいろ経済事件を見てると、無宗教かなと思ってしまいたくもなるんです。高度経済成長を支えて、もうかることはいいことだだけで突っ走ってきていた方々が、今いろいろ問題起こしていると思います。皆さんもたぶん経済大国日本の基盤を若いころから支えてこられた、経済発展に貢献してきたし、会社のもうけのために一生懸命働いてきた。だけど、それでよかったかなというふうに思ってる人も結構居るみたいですね。さらに仏法をより所としたいというふうに思う人がどうも多くなってきている。それは日本民族がずっと聖徳太子以来、仏教を基軸として生活をしてきたからです。だから日本語、あるいは日本の文化から仏教的な物の見方、考え方、表現方法、これを抜いたら、たぶん日本語も日本の文化も成り立たないといっていいです。</p>
<p>　建物一つ取ってもそうです。五重塔などというのはまったく仏法の教えが象徴されている建物です。もうあらゆることが想定されている。誰か想定外だなんてアホなことを言った人が居ましたけどね。全部想定してるんです。何があってもいいという状況の中で、五重塔というのは建てられている。仏教は、すべてのことを想定している。人間は生まれた以上、死ぬと。いつも大地が安定してるわけではない。大きな揺れが来ることもある。それらのことを全部想定して五重塔は建設されている。</p>
<p>　宗教の中で仏教の教えが説かれている書物をお経といいます。そして、お経の経というのは縦糸という意味です。つまり、<strong>人生の縦糸</strong>、これを持たないと人生、一本筋が通らないということです。日本人の精神性というものを形成してきたのはまさに仏教ですよ。わたしたちは、何気ない言葉の中で、例えば仕事というのも仏教的センスがないと出てこない言葉です。あるいは人が動くと書いて働くという大和言葉も、たぶん仏教がないと出てこない。ただ人が動いて、何で働くというふうに読むのか。<strong>はた（傍）を楽</strong>にするということです。</p>
<p>　ともかく仏教は一神教と違って重層、多重ですから、日本人は宗教を持ってないように思われるんですがそんなことはないです。外国に行ったら一神教ですから、唯一絶対のアラーの神だの、ゴッドだの、エホバの神だの、そういうことを信じるわけです。単純明快なんですけども、日本人は、すでに物の見方、考え方の中には仏教が染み込んでるんです。お金を借りることを無心といいますね。無心ってどういう意味かと思いますか。いずれにしても目的があって、お金をためてるわけでしょう。そこを突然やって来て、「お金貸してよ」という。貸すには、一つの計画があってためてきたものですから、その計画を一回ちゃらにしないといけない。無心にならないとお金って貸せないということです。だから、仏法は無我にて候とか、無心だとかいってますけど、そういう仏教の考え方は、いつでも心をフラットにする。先入観とか、思い込みとか、こうあらねばならないとか、そんなようなものをいつでもさらっと捨てて、あるがままに生きられるというそういう状態、そういう仏教の基本的な物の見方、考え方、それがその人を本当の意味で幸せにするんです。そういうような教えがなかったら、「お金を無心する」なんて言葉も出てこない。この言葉一つ取っても、日本人の精神性を形成してきたのが仏教だと言って過言ではないと思います。</p>
<h4>四大―私たちの命をつくるもの</h4>
<p>（三）　その仏教の教えの中からいくつか紹介したいと思いますが、一つは、<strong>脚下照顧</strong>です。禅寺などに行くと、上りはなに書いてありますね。履物をそろえて脱げよ！　こういってることでもありますが、それはあくまでも表面的な話。何に支えられてわたしは今生きているのかということに気づくことが必要だということです。命の足元をよく見てみなさい。スリッパをそろえると、皆さんの心もそろう。足元に注目するのと同じように、自分の命の足元に注目してみたらどうですかということです。</p>
<p>　<strong>地、水、火、風、</strong>これを四大といいます。どれが一つ欠けても、命が成り立ちません。</p>
<p>　大地がいろいろなものを育んでくれるおかげで、わたしたちは食事ができるわけでしょう。いろんなものを育んでくれるから、母なる大地といいます。大地がなかったら、わたしたちは生きていけません。自分が息する場所がないんです。宇宙空間には生命は成り立たないんですね。この地球という生命維持装置があるおかげでわたしたちの生命が成り立っている。</p>
<p>　皆さんの体の約七十五パーセントから八十五パーセントは水でできている。キリスト教でも洗礼を受けるとき、水を使うでしょう。水というのは命の大本です。</p>
<p>　火というのは、煮炊きする火と思ってくれるとちょっとイメージが違う。太陽です。太陽の光というのがなかったら生命が成り立ちませんね。植物の炭酸同化作用というものは、光合成ですから。光がなかったら、植物が育たない。植物が育たないってことは、われわれ、動物、人間も生きられないということです。</p>
<p>　風というのは空気があるから、風が起きるわけでしょう。空気のない所に風はないんです。風っていった場合には、空気ということです。これもないと生命が成り立ちません。</p>
<p>　四つの重大なファクター、要素。どれ取ったって、少なくとも人間がつくりあげたものでないことは確かです。「おれがおれの力で生きてる」なんていうことは、ちょっと物が分かってきたら、絶対にいえない言葉です。足元を見ると、わたしたちはおれの力で生きてたと思ったのは、それはあまりにも傲慢な考えです。不思議な力に促され、いろんなものに支えられ、いろんな要素にサポートされて、わたしたちは不思議にも生かされていたんですね。</p>
<p>　<strong>縁起</strong>でもないとか、縁起がいいとかいいますが、縁起にはいいも悪いもないんですよ。いろんなかかわりの中で私のこの命があるということです。さっきの地、水、火、風です。両親が結婚してくれたという不思議なご縁で私たちは生まれました。その結果、両方のＤＮＡを引き継いで、新しい生命が誕生してきたという、これもご縁。両親が本当に手塩に掛けて育ててくれた。両親がいとおしんで育ててくれた。生まれたばっかりの赤ちゃんなんか、どうすることもできないです。牛や馬はすぐ立ち上がって自力で歩きますけど、人間の赤ちゃん、一年以上駄目です。</p>
<p>　もうおむつを取り替えたり、お乳を与えたり、離乳食も与える。お母さんなんかはうんち見て、「ああ、きょうはきれいなうんちだ」っていうでしょう。母親はそう見るんですね。そういう、母親、父親の愛情に支えられ、さらに高校にやってくれたり、大学にやってくれたりして、教育を付けて、社会人として恥ずかしくないような内容を身に付けさせてくれたおかげで皆さんがたの今日があるっていうことです。「いや、おれは苦学しながら自力でやった」という人も中には居るかもしれませんが、苦学するようなところまで育ててくれたのは誰ですかってことになるわけですね。</p>
<p>　空間的には地水火風もあれば、いろんな両親も含め、あのときあの先生に会わなかったら今の自分はないだろう。あるいはあのときあの上司の下で働かなかったら、今の自分はないだろうとか、そういうご経験は、皆さん、沢山あるんじゃないでしょうか。そういう相互依存関係になっているというのが世の中です。</p>
<p>　会社なんかでもそうですよ。その会社が作った製品を利用してくれるカスタマー、顧客が居るから、会社って成り立つんです。あるいはサービスを提供する、サービスを提供するのを受け取ってくれる、いわゆる消費者が居るから、会社が成り立つんです。不特定多数の大勢の人たちの幸せのために商品も開発して売るし、サービスも提供するというのが本来の仕事なんでしょう。社会的な役回りというものを忘れた目先の利益を得るために消費期限の切れたものを平気で使ってコストを下げた。これを発想した人は、「おまえはなかなか賢いやつだ」と、目先だけの話ではいわれると思います。でも、待てよ。うちは何をする所だ。国民が日々健康で、それぞれが十分にその存在価値を生かしきって、元気で生活をし、仕事をしていくためのエネルギーを供給する会社だった。そういうことが根本的に分かっていれば、ああいうことはしないわけです。ほかの分野でもそれは全て同じです。</p>
<p>　電力会社が臨界事故を起こしました。臨界事故が起きたってことは、もう核爆発寸前だったっていうことですよ。極めて危険な状態です。核分裂を一挙にやるのが原子力爆弾。技術を用いて、じわじわ核分裂をさせて、そこから出てくる熱を利用して、蒸気を発生させタービンを回しているのが原子力発電ですよ。</p>
<p>　原発から出てくる放射線廃棄物を無害にすることできないから、ガラスに固化してステンレスの容器に入れて地下深くに埋設する。人間の見えるところから閉め出してしまおうということです。しかし地殻の変動が起きる可能性が大で、プルトニウムの毒性が半滅しないで二万年、ステンレスのキャスターが持ち続けるかどうかは疑問だと言われているわけです。負の遺産を今の私たちは後からくる人間に残しているっていうことです。</p>
<p>　命を営むもとになっている空気、それから命をはぐくむ大地、水も汚染するんです。四つの命の支えるファクターの中の三つまで、放射線廃棄物は汚染していくのです。加えて汚染されたものを、私たちが吸収していくことを考えるととても恐ろしいことです。もっと自然のエネルギー、クリーンなエネルギーが望まれます。</p>
<p>　ともかく、この世のすべてのものはお互いにかかわり合い、支え合い、助け合い、補い合って存在しているんです。いずれとも何のかかわりなく存在しているものはこの世の中に何もないと言い切っていいと思います。「元気ですか」って言われて「おかげさまで」と応答します。陰の様というのは、目の前には見えないけれども、見えていないところで、いろんな人が、諸々のものが、いろんな働きをしてくれているお陰でこの私が生きていられるということです。</p>
<p>　ここに建物があるということは、百数十年前の大工さんのおかげ。これだけの材料は山の木のおかげ。それから、これだけの建物を造るために、その当時の多くの寄付された人々のおかげ。黙ってここで座って話を聞いているだけで、百数十年前の恩恵を受けている。</p>
<p>　皆さんの衣類もそうです、食べ物もそうです。そして、日々、先人のいろいろな工夫とか知恵によって、私たちは、快適な生活をさせていただけるということです。感謝しなきゃいけないですね。</p>
<p>　こういうことを縁起の法と言っているんです。すべてのかかわりの中で、私たちは存在できているのです。いわば私たちはそれぞれ網の目の一つだと思います。網っていうものは目がいっぱいあってお互いに連携しているから網という機能を果たしているわけです。この世の中もおんなじです。四方八方につながっているわけです。皆さんが単体で存在しているわけではありません。仏法は実に科学的ですね。</p>
<p>　仏とか<strong>妙法</strong>は言葉を変えれば自然の摂理です。南無妙法蓮華経というのを縮めると妙法になるんです。道元禅師は万法とか言ったりしてます。同じことです。この世の中のすべてのものをそのようにあらしめている根源的な働き、パワー、これが実は仏あるいは妙法です。</p>
<p>　法華経の久遠の本仏というのは、すべてのものをそのものたらしめている根源的パワー、これを擬人化して仏といいます。法のほうからみたら妙法とか、万法とかっていう言い方になると思います。ともかく妙法とはこの世のすべてのものを、そのものたらしめている根源的な働きパワーです。</p>
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<span><img style="width: 300px; height: 174px;" alt="" src="http://www.tibs.jp/lectures/img/144-5.jpg" height="200" width="360" /></span></div>
<p>　私たちが生きていられるのは生命維持装置・地球のおかげです。実はこれが天体の運行とも密接に関係しています。地球は自分で三六五回転する間に、太陽のまわりを一定の距離を保ちながら、レコード盤のように一周しています。この宇宙の運行がある日突然狂ちゃった。「ばかばかしくってやってらんねえ、毎日おんなじことを繰返し、何億年という時間をおれはぐるぐる回っている。だからもういいかげんこの軌道から外れたい、もういやだ」って地球が思って、そこから外れちゃったら地球上の生命が成り立たないですよ。</p>
<p>　たとえば地球が金星のところまで出て行ったら地表温度が約五〇〇～六〇〇度。と、命のもとになる水が水であり得ないのです。だから、あっという間に命はなくなっちゃう。火星のところまで地球が並んでいったりすると、地表はマイナス五十度とか六十度になると言われている。水があったとしても凍り付いちゃって水の用をなさない。ともかく大地の上に、植物が繁茂できないわけです。地球の宇宙的運行とわたしたちの命とは直結しているっていうわけです。勝手に地球が回っているんだろうってことでは済まされないわけです。地球がそういうふうに気まぐれを起こさないで、同じ間隔をとって太陽の回りをめぐってくれるという、運行をしてくれているおかげで、この私の命があるということです。そういうことを含めて根源的な働き・パワー、妙法（仏）、自然の摂理というものがあると思われるのです。</p>
<p>（四）　仏法の側からじゃなくて、物質ができている理を明らかにする物理学者のほうからも言われています。<strong>「もの皆の奥に一つの法（のり）ありと日にけに深く思いけるかな」</strong>と湯川秀樹さんは辞世の句の中で言っています。アインシュタインも<strong>「この世界は単なる物質の機械仕掛けではなく、一つの思惟、意志のようなものによって貫かれている」</strong>と言っているんです。</p>
<p>（五）　秋山というＴＢＳの宇宙特派員がいて、ソユーズに乗って、宇宙空間に行って、ソ連の宇宙船の中で一週間ぐらい滞在して、また地球に戻ってこようとする時に、アナウンサーから「秋山さん、宇宙から地球に帰ってくるにあたって、最後に地球の皆さんに何か言うことありませんか？」と聞かれたときに言ったのが「今更、神がかって言うわけではないが、<strong>人間をはるかに超えた神仏のようなものの存在を、宇宙空間に来てひしひしと感じた</strong>」と言ったのです。</p>
<p>　宇宙空間に行くとみんな感じるみたいです。アメリカの宇宙飛行士なんかはみんな帰ってくると、聖職につく人もいれば、環境問題研究家になったり、社会活動家になったり、平和運動家になったりするんですよ。「こんな神秘的な生命維持装置は、何らの意味なく、何らの目的もなく偶然に出来上がったなどということはとても思えない」ということを大体言っていますよ。宇宙飛行士は地球にいて当たり前だと思っていたことが、全然当たり前じゃないってことを、宇宙空間に行ってよく分かるんですね。大がかりな維持装置を着けて、やっと生命が保たれている。地球にいては何もそんなものいらないわけです。生命を維持するために必要なものは全部与えられているからです。「これはすごいな」と思います。</p>
<p>（六）　日蓮聖人のお言葉で、<strong>「吹く風ゆらぐ木草流れる水の音までも妙法の五字を唱えずということなし」とあります。道元禅師は「山の色、谷の響きも、みながら我が釈迦牟尼の声と姿と」</strong>と言っています。</p>
<h4>仕事とは</h4>
<p></p>
<div class="imgLeft">
<span><img style="width: 246px; height: 324px;" alt="" src="http://www.tibs.jp/lectures/img/144-6.jpg" height="447" width="350" /></span></div>
<p>（七）　生かしめられている自分に気付いたらその恩に報いたい。自分の存在を何かのために生かしていきたい、また生かさなかったら申し訳ないと思うのが自然の姿。それが仕事ですよ。仕事っていうのは仕えるってことでしょ。金もうけなんてことは仕事の言葉からなんにも出てこないです。仕事というのは自分の存在を社会のために、いろんな人のために生かしていくってことです。だから食品会社だったら、その食品をもって大勢の人のお役に立っていく。エンジニアだとか、手先が器用な人だったら、たとえば大工さんなどという仕事をとおして、いい家を建てて、そこに住む人に快適な生活をしてもらうことに貢献する。いかなる地震が来ても倒れないような家を建てることです。</p>
<p>（八）　自分は技術者だ、設計図が書ける、建築家だっていったら、その建築家としての技量を大勢の人の幸せのために役立てていく、仕えていくということが本当の仕事です。</p>
<p>　こうしたこころもちでいる時に思わず出るあいさつ言葉が<strong>「おかげさま」</strong>とか<strong>「すいません」</strong>という言葉なんです。おかげさまっていうのは自分もいろんなおかげを被っていますということです。「すいません」というのは、いろんな人からいろんな恩恵、いろんな物からいろんな恩恵うけているけれども、その恩返しが済んでいないということです。無数の恩を恵を被って生かされていますが、まだその恩に報いること、仕事がまだまだ済んでいません、申し訳ないことです、すいません、という謙虚な心境を表しているのがこの「すいません」という言葉なんです。</p>
<p>（九）　働くって言っていますけど、人が動くと書いて何で働くなのか。人が動く、それは自分のもうけのためじゃないんです。人が動くということは、はたらく、傍（はた）を楽にするためなんです。要するに自分の存在を何かのために、社会のために、誰かのために生かす。そのように心がけることで、自分も成仏するということになると思います。自分がおよそ、もう役立たずだと思った時に人間は生きる力がなくなるんです。自分の存在が何かのために役立っていると実感できた時に、「ああ、おれも生きていていいんだ、生まれてきてよかった、おれの人生いい人生だ」と思えるわけです。そう思えた時が仏教でいう成仏です。</p>
<p>　成仏ということは死ぬことではありません。「ああ、あいつもとうとう成仏しちゃったか」という言葉だけは、絶対皆さん使わないでくださいね。成仏というものは「ああ、おれの人生いい人生だったな、おれは本当に生まれてきてよかったな、おれもこの世の中に存在していていいんだな」という実感をつかめたときに、それを仏教では成仏というわけです。そういうことで、みんなのためになっているのかどうかってことが、やっぱり自分が本当に生きているかどうかということです。</p>
<p>　池上本門寺ではイキイキ推進運動っていうのやっているんです。イキイキするためには自分が自ら主体的に動いて、自分の存在を何かのために生かして、「ああ、あなたが居てくれたおかげでよかった」って言われた時に、「ああ、おれもなんか役に立ってるんだ」っていう実感が持てて「ああ、おれも生きていていいんだ、おれも存在していいんだ、おれも生まれてきてよかった」と思えてイキイキするわけです。</p>
<p>　それが人をだまくらかして、うまいことやって金もうけしている人はそういう実感は持てないはずです。一番の不利益を被るのは、実は自分自身なんです。おれが存在していてもいいんだという実感が持てない。そういう状況は極めて生きずらい状態だと思います。</p>
<p>（十）　そういうことで一流の経済人はやっぱり同じことを思っています。平岩外四という元経団連の会長が、<strong>「共存共生の時代、一人勝ちは許されない、共に生きる喜びを持つことが大事だ」</strong>って言っているんです。その道を極めた人は違うなって思います。自分一人だけ、自分の企業だけよければということは法とかダルマ、真理に反することなのです。</p>
<p>　勝ち組、負け組なんて言葉は、絶対に仏教上からは出てこない言葉です。口先だけで情報を操作して投機をかけて、ほとんど働かず額に汗することなく、何億っていうお金を手にしたわけでしょう！　これは捨て置けないということになったわけです。　</p>
<p>　仏教国日本の外交が今のままでいいのかというのも、仏教徒にとっては重要な問題です。</p>
<p>　世界全体が調和にして平和に生きるための戦略が描けるのは私たち日本人だと思っています。仏教思想を基盤としている日本人だからこそ、すべてのものが存在していい、すべてのものがその違いを認め合って、お互いに仲良く存在し合うことが大事だと言えるのです。聖徳太子の作った憲法第一条の「和を持って尊しとする」という考えの基盤、そのバックボーンになっているのが仏教思想です。そういう思想を伝統的に持っている日本人は、世界を平和に導く本当の戦略を立てることができると思います。仏教は非常に重層多重です。いろんな人がいていい、いろんな役割の人がいていい。それがお互いに違いを認め合って、調和していくというところに平和がある。</p>
<p>　武力でもって世界に平和を築くんじゃなくて、互いの違いを認め尊重するというファンダメンタルコンセプトを持って外交を行い、世界の平和を築いていこうと明確に宣言したのが憲法第九条だっていうように私は受けとめています。憲法っていうのは理想です。政治家が理想を失ったらただの政治屋です。政治家は人類の理想を求めなきゃいけない。少しでも理想に近づく努力をしなければいけないと思います。だから政治のことをほとんど宗教的な言い方で祭りごとって日本では言っているわけです。こうした摂理にもとずいてみんなが調和していくという方向性を持って政治のかじ取りをし、法案を作っていく、そういうことをしなかったら、いつまでたっても人間は欲のために戦い合う。欲のために戦うんだったら武力が強い方が勝ちですよ。勝ち組だの負け組だのってことは仏法上はないのです。</p>
<p>（十一）　お経というのは、人間が生きていくより所です。縦糸があって横糸を通したら反物が出来上がるように、我々人間も縦糸というしっかりしたもの、つまりお経にある教えがあって、それにのっとって日々の生活を営むとき、それぞれの人生というすばらしい反物が出来上がります。また<strong>法・道理にのっとって世をおさめ、民を救う</strong>というのが、日本語の「経済」という意味です。法にのっとり、理にかなう個人、ならびに企業は大勢の人の信用を得て繁栄する。おかげの心を忘れずに日々誠実に仕事に励んでいくということが信心ある経営・生活になるんだと思います。</p>
<p>（十二）　仕事というのは<strong>仕えること</strong>、働くというのは<strong>傍を楽にする</strong>ということ、それが本当の実は信仰者のあり方だと思います。信仰と人生ということで言えば、どういう心根を持って、どういう生き方をすることによって、本当の意味での人生、誰にも取って代わることのできないかけがえのない人生を生きたことになるかということです。</p>
<p>　自分がよりよい人生を過ごすためには何が大事かということを、皆様が感じていただけたら有り難いと思います。（終）</p>]]>
        
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    <title>殻を破る　死の鏡に照らして生を見る</title>
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    <published>2010-03-02T02:18:15Z</published>
    <updated>2010-03-11T03:46:38Z</updated>

    <summary>釈尊の悟りと救済の原理  　古代インド民族の精神的深化は、「苦悩の世界に生きる己...</summary>
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        <category term="大洞 龍明塾長" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<h4>釈尊の悟りと救済の原理 </h4>
<p>　古代インド民族の精神的深化は、「苦悩の世界に生きる己身の解脱を目的とする」という方向に進んでいきました。</p>
<p>　仏教はこの精神環境の中に咲いた精華であります。すなわち、仏教は徹底的に、「苦悩からの解脱」を目指す宗教です。</p>
<p>　釈尊における苦悩からの解脱の道は、苦悩の原因を、十二因縁の中の無明において発見し、この無明を滅するところに達成されたものです。</p>
<p>　苦悩からの解脱ということが課題である。その苦悩から解脱するためには、無明を滅するというところにたどり着く。これが、苦集滅道という、お釈迦様の初転法輪、一番最初にお説教された教えであります。</p>
<p>　人生は苦である。苦の元は無明である。その無明を滅するということが大事だということを、四つに分けて説いていらっしゃるんです。この無明を滅するところに、解脱の道を達成されたものであります。</p>
<p>　無明とは何であるかというと「不如実知見」。難しい言葉を使ってますが、それは、縁起の道理を如実に知らないこと。釈尊における、苦悩からの解脱は、不如実知見を否定して、縁起の道理を如実に知見することにほかなりません。</p>
<p>　次に、縁起の道理とは何を意味するかというと、より本質的には、具体的な人間存在に関する相依相対の関係を意味しているのであります。</p>
<p>　縁起の道理は、存在が相依相対になるがゆえに、自存的に独立性をもって存在しないという、いわゆる存在の無常であり、空であるという、存在性そのものの否定の原理であるからであります。</p>
<p>　この原理に背いて、物の事象に執着し、物の上に変わらない常住性を欲求するとすれば、それは必然として、苦悩に陥らざるを得ないのであります。ここに苦悩がどうして起こってくるかという原因を、お釈迦様は明らかにされてあるのです。</p>
<p>　われわれの世界を縁起の世界ととらえることによって、そこに空の悟りを実現しようとすることは、仏教の根本的な態度でありますが、さらに大乗仏教は、この態度に対する反省を深めていったものであります。</p>
<p>　縁起の世界は有の世界でありつつ、同時に、縁起であるがゆえに、空の世界に他ならないから、われわれは有無の偏見に陥るべきではありません。</p>
<p>　われわれの有的な世俗の世界、これを世俗仮設というんですけどね。世俗の世界をただちに無的な勝義の世界（空勝義諦）への媒介の基盤たらしめること。これが、大乗仏教の教学の指向する根本理念であります。</p>
<p>　そこに自利利他円満する大乗の菩薩行が現れる。知と悲の相即する境地に対する強い願い、すなわち本願があらわされ、浄土の建立がなされ、衆生救済の原理が成立したのであります。非常に原理的なものだけここで示しておきました。</p>
<h4>&nbsp;美しい女性を見て 美しいと思うのは罪 </h4>
<p>　絶対価値と相対価値の話を少ししてみましょう。人間は、その時その時に価値、自分に役立つものを判断しつつ、行為、行動をします。人類が出現して以来、一時も、今、私が言う価値判断を欠いたことがありません。それは、人間に限らず、動物一般についてもいえるはずです。個体の生命維持、種の保存のために、バクテリアだって価値判断をしているはずです。ただ、人間は脳の発達によって、価値の価値たるゆえんにまで考えを及ぼすようになったことから、その面で他の生物とは絶対的といってよい地位を占めるようになりました。それの代表例が、高度に発達した科学技術といえるでしょう。</p>
<p>　一方、一個人においても、価値判断を瞬時も欠くことはありません。それには、生命の危機が迫ったときの瞬時の判断もあれば、安売りで自分にとっての掘り出し物を探す行為もあります。安売りの場合を考えると、同じ商品が、つまり、同じ値段の商品がどのお客にとっても同じ価値のものとは限りません。むしろ、百人のお客が見れば、百の価値判断があると考えた方が良いでしょう。厳しいビジネス世界で、何十年にもわたって生きてこられた皆さん方に、一人の僧侶でしかない私がこんな話をするのはおこがましいかもしれませんが。</p>
<p>　では、美しい女性、好ましい男性という場合の価値判断はいかがでしょうか。これについても、皆さんにはそれぞれ一家言あるに違いありません。</p>
<p>　「美しい女性を見て美しいと思う。そのことが罪なんですよ。」</p>
<p>　四十年前、大谷大学の教室で聞いた教授の声が、今も耳の底に残っています。先生のお名前は、名畑応順先生。ご専攻は真宗学。そのとき先生がおっしゃられたのは、こうです。「一人の女性を見て美しいと思うのは、一人の人間を美醜という対立した概念で見ることにほかならない。人間をそのような、自分で勝手につくった対立観念でとらえ、しかも、自分の見方にとって好ましい方を選択する。これは罪である。美・醜という対立概念を立てて人を見ること。そのこと自体が罪である。仏教を学ぼうとする者はまず、そうした対立概念でものを見る見方を捨てなければならない。」その講義は、教養課程の真宗学概論でしたが、そのときの先生のお話を聞いて、私は胸を打たれました。皆さん、美しい女性を見て美しいと考えたらいけません。罪なのですよ。（笑）</p>
<h4>&nbsp;幸か不幸かは、相対的なこと </h4>
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