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    <title>仏教入門　東京国際仏教塾｜過去の講義記録</title>
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    <updated>2010-07-15T01:43:17Z</updated>
    <subtitle>僧侶への道　仏教宗派の枠を超えて、通信教育と体験修行（座禅など）で仏教を学ぶ。</subtitle>
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    <title>生きる道としての仏教～与えるということ　布施～（第23期開講記念講演）</title>
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    <published>2010-07-15T00:44:50Z</published>
    <updated>2010-07-15T01:43:17Z</updated>

    <summary> 　今日は、与えるということ　布施　を中心にお話したいと思います。インドで生活し...</summary>
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        <![CDATA[<div class="imgRight">
<span><img style="WIDTH: 278px; HEIGHT: 226px" height="437" alt="145-4.jpg" src="http://www.tibs.jp/lectures/145-4.jpg" width="552" /></span></div>
<p>　今日は、与えるということ　布施　を中心にお話したいと思います。インドで生活し、いろんな出来事にぶつかっている間に、仏教の教理学はひとつの枠組みとして、とても大切なんですけれども、反面に教理学だけですと、現実の社会に生きていくときに、習った仏教の世界観、教えというものがどういう意味があるのか、考えざるをえない体験もありました。仏教というのは生きる道でなけりゃならないとずっと考えて来ていますが、そうした総合テーマの中で、布施　与えるということを、お話したいと思います。</p>
<h4>両面通行の布施</h4>
<p>　インドの言葉でダーナというのは与えること、あるいは与える物ですね。このダーナという言葉が中国の仏典で翻訳されれば布施なんですけれども、音写されたのが檀那（だんな）という言葉です。</p>
<p>　ダーナや布施というのは、何でもいいから人さまに与えること、与える行為です。ご法事のときにお寺さんに差し上げるものも確かに布施には違いありませんけれども、それだけではありません。与える行為そのもの。仏教は、二本の柱がありまして、知恵と慈悲ですね。他者に対して及ぼすものが慈悲ですから、何か物を与えるにしても、お金を与えるにしても、優しい心遣いを与えるにしても、慈悲というのは与える行為そのものにかかわってくるわけです。</p>
<p>　いまから五十年ぐらい前、インドのカルカッタ大学に留学をして、三年半過ごしていたんですけれども、いまだに忘れない出来事があります。インドは貧しい国でした。いまではかなり豊かになりましたけど。こじき（おこもさん）がたくさんおりました。子どもから老人までいる。インドの暑い夏の午後、大学で授業を受けまして、下宿へ帰ってくるとき、年を取ったおこもさんがそばに寄ってきて、一ルピー恵んでくれといいました。留学生でお金もありませんでしたし、ことわりました。</p>
<p>　「あげないからね」と言って、私は背中を向けて歩きだしました。暇なおこもさんなんですね。黙って後ろをついてくるんです。単についてくるだけじゃありません。手を差し伸べながらついてくる。おまけに皮のスリッパを履いてて、コンクリートの歩道を引きずるように歩くんです。ぜんそく気味なんですかね。のどがヒュー、ゼーって鳴るんです。後ろを見ますと、年取った、やせたおこもさんが手を差し伸べながらついてくる。ヒュー、ゼーってのどの鳴る音とスリッパをひきづるペタッという音がして、これがリズムをつくるのですね。ヒュー、ゼー、ペタッ。ヒュー、ゼー、ペタッっていうのがずっとついてくる。後ろ見るとそっぽ向きながら、手を出して歩いている。</p>
<p>　さすがにちょっとやりきれなくなって、後ろを振り向いて、私としては珍しく強い声で、「やらんって言ったらやらん」っていったんです。びっくりしたような顔をして手を引っ込めましたけれども、そのときつぶやくように言ったんです。「一ルピーぐらい出せないわけないじゃないか。私も助かるが、あなた自身の功徳が増すってこともあるだろうに」っていう言葉でした。大変ショックを受けたんです。</p>
<p>　インドでは他人さまに何か物を与えること、つまり布施ですが、ダーナといいます。これは単に与えっぱなしで一方通行的にくれてやるよとか、かわいそうだから恵んでやろうとか、いわば自らを高いところにおいて、相手を低く見て、くれてやるという姿勢は、与える姿勢ではないのですね。両面通行なのでして、与えるということは、必ず自分も何かを受け取っているんだという考え方が大昔から現代にいたるまで不変の考え方です。それじゃあ、何かを与えて、与えた人が何を受け取るか。今日は果物一つお返ししますって、そういう意味じゃない。物を与えるということ、貧しい人、困ってる人に物を与える布施ということは、その行為によって功徳を積むことができる。恵むことによって、功徳を与えられるんだという。いうなれば、布施と功徳の交換です。</p>
<p>　それじゃあ、功徳を積んでどうなるんだといいますと、現代インドにまで人々の間に信じられている輪廻転生の考え方がありまして、仏教では六道輪廻などといいます。</p>
<p>　社会というものは、常に不条理、不合理なものです。しかし、今世で布施をし、功徳を積むと、来世にいい所に生まれるからというのですね。生まれ変わり死に変わりすることが実体的に、物理的に信じられている世界においては、いま栄耀栄華を誇ってる人は前世にいいことをしたんだ。いま私はつらい生活なんだけれども、いま、努力をすれば来世にいい所に生まれる。いい所っていうのは天の世界であり、あるいは人間の世界のお金持ちの家に生まれることだというのです。</p>
<p>　功徳を積んで、良き後生を願うという考え方が、インドでは非常に強い。そうしたことから、布施をするということは、同時に自分の功徳を積ませてもらうのだという考え方が強いのです。その考え方が仏教にも入り、信者さん方は仏教教団の比丘たち、出家たちに喜んで食事を布施し、衣を布施いたします。<br />　なんでお布施をするのかというと、宗教修行者に対する敬意は無論あります。しかし、もう一つ奥には、お布施をすることによって、自分の功徳が積めます。功徳は銀行のバランスシートみたいなもので功徳の蓄積が多いほどいい所に生まれる。悪いことばかりしてると地獄に落ちることになります。</p>
<p>　ですから、仏教教団に対する布施というのは、信者さんにとっては、功徳を積ませてもらう行為なんですね。そして、同時に仏教教団は、そこにお布施をすれば、功徳、福徳が積めるからそれを福田思想といいます。功徳を生み、くみ取ることができる田んぼということで、それを福田（ふくでん）と申します。そうした考え方が、中国から日本にも来て、禅宗のほうでは衣のことを福田衣（ふくでんえ）というんです。衣を着てることが、自ら功徳を積み、そして、その方と接触し話を聞くことが功徳を積む行為になるんだという。</p>
<p>　あるいは、禅宗には福田会（ふくでんかい）という会がある。そこでは、お坊さんが身に付けるおけさを一生懸命、自分で針を持って縫って、それをお寺さん方に差し上げる。大きな功徳を積む行為であると同時に修養の会でもあるので、そうした形で日本にも伝わっています。</p>
<p>　現在でも東南アジア、あるいはインドでもそうなんですけど、宗教者に何か布施をする、与えるということは、くれてやるんじゃなくて、功徳を積ませていただきますという感覚が強いんです。ですから、現在の東南アジアへ行っても、きのうまで総理大臣やってたなんていう白髪の立派なおじいさんが、そこに五～六人、比丘の方がいらっしゃると、そこの前へ行って、いちいち食事を盛ったお盆を、これをあなたに差し上げます、というジェスチャーをする。あなたに差し上げるんですよという意思表示を明らかにするんです。意思表示しないと差し上げたことにならない。</p>
<p>　日本ですと、どなたかから何かいただくと、どうもありがとうってお礼を言うし、合掌するじゃないですか。むこうではそれを、やっちゃけいけないんです。向こうのお坊さんは、偉い人が何かくださる。十六～十七の小僧さんが、ふんっていうような顔で平然とそれを見てるんです。端で見てるわたしのほうがおかしくなっちゃって、偉い方が布施します、というジェスチャーをすると、その若いお坊さんのかわりにわたしが頭さげちゃったりね。そんな雰囲気になってしまう。サンキューの一言ぐらいいったらいいじゃないかって聞いたら、とんでもないと。せっかくこのお布施によって、十の功徳が積めるはずなのに、サンキューなんていったら、それが七つ、六つに減っちゃうと、そういう考え方が与えるという行為の基本にあるんです。</p>
<p>　ですから、「１ルピーぐらいおまえさん、出せないわけないじゃないか。それで、私も助かるが、同時に、おまえさん自身も功徳が積めるじゃないか」と生活の場において、おこもさんから、いわば、たしなめられたいうことが、大変なショックで、いろいろと考えさせられました。</p>
<h4>与えなければならない</h4>
<p>　仏典からそういう思想に裏付けられた言葉をご紹介しましよう。人は収入に応じて、布施をしなくてはならない。いくらとはいわない。でも、収入に応じてなすべきだと釈尊は教えています。 <strong>「正しい方法で稼ぎ、よく働いて富を得たなら、請う者に飲食物を与えて喜ばせよ」。</strong>（インド原始仏典「イテイヴッタカ」）人の物を取ったり、詐欺をしたりということではなく、正しく稼いで、そのお金を人に布施せよ、というのです。</p>
<p>　<strong>「蓄えが少しならそれに応じて少しの物を、中程度なら中くらいを、たくさんあるなら多くの物を与えよ。与えないということがあってはならない」</strong> （インド原始仏典「ジャータカ」）という言葉もあります。現在でもインドではっきりと自覚され、実行されております。インドには私は学生時代に三年半いましたし、その後も向こうで仕事したりして、インドの滞在は五年半を超えるんですけど、商社、外交官、ジャーナリストの方々は、アメリカやヨーロッパへ派遣された人は喜んで赴任するんです。しかし、インドへ赴任された方は、なんでおれはインドに飛ばされたんだって考える方が少なくないんです。暑いですしね、インドを知ろう、インドの文化を学ぼうなどという気をおこす方はあまりいません。</p>
<p>　ですから、インド人とのお付き合いにしても、表面的なところしか見ない。例えば、自分の家でベアラーと呼ばれている人を使っています。いろいろな雑用をさせる人です。そういう人に比較的安い給料で仕事をしてもらっているのですが、その人たちが金に汚いとか悪口をいうんです。しかし、日本の方は安い給料で働いているベアラーという人たちが、より貧しい人たちにかなりのパーセンテージで、何らかのかたちでお金や物を与えていることをご存じない。</p>
<p>　また、インドにはカースト制度があって、トイレなどを掃除する人は階級が下の人になります。その人たちの給料は非常に低いんです。その掃除をしてる人が、さらに貧しい人にまたそれなりに与えています。</p>
<p>　みんながそういうかたちで与えてるから、飢え死にする者もなく、みんなが生きていられると、こういう面もある。イスラムの世界に行きますと、ザカートという一種の税金みたいなものを、やはり収入に応じて出しますし、それでもって貧しい人を救うという相互扶助のシステムがあるんです。</p>
<p>　こうして布施は両面通行でなければならないということなんですけれども、この両面通行というインドのその考え方は、幾分かたちを変えまして、中国、日本にも入っておりまして、それが、「おかげさまで」という言葉にかかわってるということを申し上げたい。</p>
<h4>おかげさまで</h4>
<p>　布施のインド語は、先ほどいいましたとおりダーナ（dana）です。それを中国で布施と訳し、檀那と音写しました。檀那とは布施、そして布施をする人の意味に用いられます。檀家（だんか）というのは、お寺を布施によって保持していく檀那の仕事をする家という意味で檀家でありますし、檀那寺なんていう言葉もご存じのとおりです。旦那とも書きます。</p>
<p>　昔の大きなお店のご主人などは、旦那って呼ばれました。給料与える人ですから、旦那でいいわけです。奥さん方は、ご主人を旦那様って呼ぶ習慣があったことはご承知の通りです。外へ行って稼いできて、奥さんに給料を渡しますから与える人なんで、旦那でいいんです。</p>
<p>　最近、共稼ぎの方が多いですから、二人でもって一緒に稼いで、家庭を支えている。すると、どっちが旦那だ、なんていうことになる。二人で一生懸命働いて、両方が稼いで、それで一家を保っているのですから、夫が妻を旦那さんと呼び、妻も夫を旦那さんと呼んだら、和やかな雰囲気になるんじゃないですかね。</p>
<p>　ずいぶん前ですが、日本語を勉強してるアメリカ人に聞かれたことがある。先生、日本語はとても優しくて美しい言葉です。だから、とても好きなんですけども、時々、非論理的なことがあると言うのですね。何故？と聞いたら、「おかげさまで」という言葉を出しました。</p>
<p>　「こういうことなんです。私が、例えば鈴木さんなら鈴木さんという方に、この国際仏教塾で会います。三日後に、御茶ノ水かどこかの駅で会いました。「ようやく暖かくなりましたね。おばあちゃんはお元気ですか」。と声をかけます。そういうふうにいわれた鈴木さん、つまり皆さんは、どうお答えになりますか。「どうもありがとう。おかげさまで丈夫にしております」と答えるじゃありませんか。日常の会話として、おばあちゃまがいると聞いてたから、お元気でやってますかと、社交辞令として、声を掛けました。それに対して、気を遣ってもらったもんだから、どうもありがとうというのは論理的である。</p>
<p>　しかし、「おかげさまで」とはなんだというのですね。「会ったこともない、おせんべい一つあげたことのない人に、おかげさまっていわれる道理はない」っていうんですよ。皆さん、そういう質問を受けたら、お答えになれますか。おかげさまでって、英語にならない言葉なんです。英語で、favorとか、ごひいきにという意味の言葉はありますけど、これは、商売かなにかで具体的に物やお金の取引があって、商売が成り立ってるから、おかげさまでという用法です。しかし会ったこともない人におかげさまでっていう用法はない。だから、英語にならないんです。</p>
<p>　例えば、私が大工さんにお願いして、塀をつくってもらいます。大工さんは私のところに来て、「旦那、おはようございます。」って言います。私はお金を与えるんですから旦那です。それじゃあ大工さんは、私に何もくださらないのかっていうとそんなことはない。ちゃんと塀をたててくださるでしょ。なんでもいいからくださる方が旦那なんだから、わたしはお金を与える旦那だし、大工さんは塀を下さるんだから、やはり旦那でいい道理じゃありませんか。つまり、両方旦那なんです。</p>
<p>　そして、これは職人さんだけじゃなくて、商売人であれ、サラリーマンであれ、一家の主婦であり、社会というのはみんなそれぞれに分業してるわけでしょ。それぞれ仕事を分担しながら、一生懸命生きてるわけです。大工さんが、一生懸命大工の仕事をするということは、それも社会に与えてるわけでしょ。パン屋さんだって与えている。パンをつくって売っているんですから。金を払うからパンをくれるのは当たり前だって、これは理屈です。お金を与えればすぐ出来上がったパンがスーともらえるような一つの流通のシステムというのができていて、そうしたときに、金をやったからパンをよこせじゃあなくて、お金を与えるのも布施ならば、パンを与えるのも布施じゃないですか。分業しているこの社会で、すべての人が一生懸命仕事をやっている。それは、すなわち、布施をしている行為だと受け止めるべきなんです。</p>
<p>　これは同時に、社会のすべての人の布施をうけて、私どもも生きていけるのですから、それに対して感謝しなければならないのではないのか。お金と物の交換じゃなくて、布施と布施の交換なんです。お互いに一生懸命生きているんですね。「おかげさまで、私も生活が成り立っているんですよ」という考え方が出てきてもおかしくない道理なんです。これは昔からの日本人の考え方と仏教の考え方が出会って出来てきた用法で、おそらく江戸の中期から後期ぐらいじゃないかといわれるているんです。その辺から「おかげさまで」という言葉が出てきてるんです。</p>
<p>　道元禅師の『正法眼蔵　菩提薩捶四摂法』の中に、 <strong>「船を置き橋を渡すも布施の壇度なり、治生産業、もとより布施に非ざること無し」</strong>という言葉があります。川があります。橋も何にもありません。そこへ橋を架けました。社会事業ですね。偉大なる布施行じゃありませんか。この船を置く、渡し船のシステムをつくりました。これも布施行です。</p>
<p>　しかし、それだけじゃない。治生産業というのが、簡単にいえば私たちが日常を生きていること。なりわいを行っていくこと。つまり、私どもの社会でいろいろの仕事をしながら生きていくということ自体が、実は、布施にほかならない。</p>
<p>　こういったように同じ社会にみんなで共に生きていく。それぞれに仕事をしているということは何か社会に与えてる道理である。したがって私どもは常に社会のすべての人の布施を受け取っているから、「おかげさまで」と感謝しなくちゃいけないし、同時に自分のやってる仕事というものは社会に対する布施行だという自覚があってしかるべきだろう。こういうのが道元禅師のいわんとする意味なんですね。仏教の布施ということの考え方は、そうした相互互恵の関係というものが基本的になっています。</p>
<h4>四摂法（慈悲行としての布施）</h4>
<p>　ここで、<ruby><rb>四摂法<rp>（<rt>ししょうぼう<rp>）</rp></rt></ruby>という言葉をご紹介します。これはインド仏教の原始仏典以来ずっと説かれています。</p>
<p>　「仏教はあんまり社会的に何かをしないではないですか」などといわれるのですけど、この四摂法は、はっきりと社会に布施をする、社会に何かを与えていく際の基準となる教えを述べたものです。衆生をすくい取る四つの手だてというほどの意味です。布施、愛語、利行、同事という内容です。</p>
<p>　<strong>布施</strong>は、先ほどからのダーナ、<strong>愛語</strong>というのは人さまのためになる言葉を語るという意味です。ですから、いろいろな愛語があるんです。あくまでもその人のためになる意味で、いわば慈悲の心で相手に語る言葉が愛語です。何か仕事をさせる。寒い所を帰ってきて、「ご苦労さんだったね、寒かったろう」という言葉をかけるのも愛語です。反面に、嫌われるのは承知の上で、上司が後輩に、「おまえさんのやってることはよろしくない。こういうことでは経営にも差し支える。人さんの心をも傷つける。その辺のことをよく反省して、自分の行為を考え直してご覧なさい」と、いわば、叱る言葉も愛語です。</p>
<p>　ただし、相手をやっつけちまえっていう叱り方は愛語にはなりません。あくまでも慈悲が基本にある言葉だとご理解ください。</p>
<p>　<strong>利行</strong>というのは人さまのためになる行為という文字通りの意味です。だから、相手をいたわる行為も、人さんのためになる行為はすべて利行です。</p>
<p>　<strong>同事</strong>という最後の言葉ですが、「同じ事」と書きます。自分を他人と同じ立場に立たせるということです。両面通行でありますから、両方が同じ立場に立つのは当然でしょう。慈悲というのは、他人さまを自分の身にひきあてて、なんとかその人のためになるようにという温かい心を及ぼすことです。布施であれ、愛語であれ、利行であれ、具体的な布施には違いないんですが、それを行う基本的な考え方として同事が説かれます。つまり、自分と他人を同じ立場におくということです。</p>
<p>　これが、一番典型的に経典に説かれてるのは観音経なんです。法華経の中の、観音経の散文の部分に、　<strong>「婆羅門を救うには婆羅門となり、王様を救うには王様となり、商人を救うには商人となり」</strong>というような言葉がずっと並んでいます。これも仏・菩薩が人を救うときに、仏様がでんと座っていて、おまえさん、それじゃあ駄目だよって口先だけで言ったんじゃ、これは救うことにならない。自分が同じ婆羅門となって、慈悲の心にあふれて、その中で人を救っていくということです。</p>
<h4>法身仏と化身仏</h4>
<p>　同事というのは仏様の「はたらき」です。大乗仏教になるとブッダという考え方が、お釈迦さまの原始仏教の時代のブッダと変わってきています。お釈迦さまの時代にブッダというのはお釈迦さましかいませんでした。ブッダとは目覚めた人ということです。何に目覚めたのかというと法に目覚めた。真実に目覚めたのです。一言でいえば、縁起とか、無常とか、空とか、そういう言葉でいおうとする、この宇宙の大きなはたらき。それを仏教では真実、法としてお釈迦さまがとらえてくれました。</p>
<p>　真実、法に目覚めたのがブッダなんです。そうすると仏教とはみんながブッダになろうという教えですし、私が法を実践しなきゃいけない。私がどうやって正しく生きたらいいんだというと真実、法を実践することです。だから、これは皆さまご承知の自燈明、法燈明という教えがあるわけですね。自らをともしびとし、よりどころとして、法、真実をともしびとし、よりどころとして生きていく。</p>
<p>　つまり、自分が法を実践する。法は私が実践することによって、具体的にはたらきだす。大乗仏教になってくると、悟った人間もさることながら、法、真実そのものが重視されるようになりました。そして法そのものをブッダと見る考え方が出てきました。これを法というものを身体とする仏という意味で法身仏というようになりました。『法華経』の久遠実成の仏というのは<strong>法身仏</strong>とみてよろしい。</p>
<p>　ですから、『法華経』を説いた「仏陀」というのは、インドで亡くなったお釈迦さま、「ブッダ」とは違う。はるかかなた、未来永劫にわたって、永遠に法を説きぬいているのが久遠実成の仏。そういう仏陀を中心に大乗仏教の思想的、そして宗教的発展があったのです。</p>
<p>　そうすると八十歳で亡くなったお釈迦さまは何なのでしょう。法というものを基本とする法身仏が具体的なかたちをとって、西暦前5世紀に釈迦族の王子として生まれて法を説いたのがお釈迦さまで、応身仏または<strong>化身仏</strong>といいます。この考え方は、ヒンドゥ教でも同じ考え方があって、それをアバターラ（権化）といいます。</p>
<p>　つまり、お釈迦さんは、法身仏から具体的な釈迦族の王子として修行して、悟りを開いて、法を説いた化身仏だ。いろんな仏様が大乗仏教では出てまいりました。永遠の仏というのは、相手に応じて、相手と同じに立場に立って救ってくださるという同事の考え方があるからこそ、お釈迦さんは人間として生まれて、人間を救ってくださったじゃあないかということなんです。王様を救うには王様の立場に立って。つまり、常に相手と同じ立場に立って、目線を相手と同じ所において、人に物を与える、与えられのだということです。</p>
<p>　欧米社会におけるphilanthropy博愛とは明らかに視点が違います。常に相手と同じ立場に立つんです。</p>
<h4>無私の布施は可能か</h4>
<div class="imgRight">
<span><img style="WIDTH: 180px; HEIGHT: 191px" height="382" alt="145-7.jpg" src="http://www.tibs.jp/lectures/145-7.jpg" width="335" /></span>菩提樹</div>
<p>　そういう立場に立ったときに、仏教のほうでは極端と思われるような布施行が説かれます。ジャータカはお釈迦さまが前生に菩薩として、こんなに素晴らしい行いをしたんですよ。その功徳によって、釈迦族の王子として生まれ、出家、修行し、悟りをひらかれたのだ、と説かれています。私どもにはなかなか悟りは開けない。一生懸命やっても悟りは開けない。お釈迦さまを見てみろ。お釈迦さまは、二十九歳で出家して、三十五歳でお悟りを開いたじゃないか。いや、そう言われても困る。たしかにお釈迦さまは偉い方だけど、お釈迦さまもこの世で修行しただけじゃないんだ。前世にも菩薩として良い行いを積んで、功徳を積んで、積んで、積んできたから、そのおかげでこの人生の中で悟りが開けたんだよって、俗にいえば、そういう考えがあります。</p>
<p>　当時のインドにいろいろな説話もたくさんありました。その説話を仏教徒が取り上げて、その中の素晴らしい行いをした人を前世のお釈迦さまだと説いたのが前生物語、ジャータカという一群の作品です。</p>
<p>　その中で<strong>シビ</strong>（Sibi）ジャータカという有名なジャータカがあります。シビ王という方がおりまして、庭を歩いていたら、タカに追われてハトがやってきて、王様の懐に入りました。タカがおれの獲物だから返してくれと要求します。王様は、懐に入ったハトをおまえに渡して、殺させるわけにはいかん。森へ行けば、死んだ鳥がたくさんいるから、それを食べたらよかろう。いや死んだ動物の肉は駄目なんだ。このハトを食べないと、私は飢え死にしてしまう。王様は仕方がないから、それじゃあ私の肉を与えるから、このハトの命を救え、といった会話がつづきます。</p>
<p>　タカはオーケーして、このハトと同じ重さのあなたの肉をくださいといいます。はかりを持ってきました。肉をそぎ取っても、なかなかハトの重さにならない。片足を切って、乗せてもバランスがとれない。最後に思い付いた王様が、自らがはかりの上にのったらバランスがとれた。よし、分かった。それじゃあ、私を殺して、わたしの肉を食べよ。こういうストーリーなんです。</p>
<p>　実は、そこでほんとに王様がタカに食い殺されたんじゃ、ちょっと話が陰惨すぎるんでありまして、このタカというのは実は帝釈天の化身である。そこで本身が示されて、王様の徹底した無心、私心のない布施行というものが称賛されたというストーリーです。人を救うために自分の命を捨てるというモチーフです。</p>
<p>　<strong>捨身飼虎物語</strong>も同じです。三人の王子が飢えたトラの親子を救うために、三男坊が自ら竹ぐしで首を刺して、トラの親子の前に身を投げたというテーマです。</p>
<p>　<strong>雪山童子物語</strong>というのもあります。ヒマラヤ（雪山）地方で、少年が仏法を求めて修行していました。すると、どこからか<strong>諸行無常、是生滅法</strong>、「諸行は無常なり、これ生滅の法なり」という詩の前半がきこえました。素晴らしい言葉だなあ。あとの半分を聞きたいと願うのですが、それを説いたのが、夜叉でありました。おまえの体を食わしてくれれば、あとの言葉を教えてやろう。そこで約束をして、あとの法の<strong>生滅滅已、寂滅爲樂</strong>と教えてくれました。雪山偈と普通いわれるんですけれども、その若者は、その辺にこの言葉を書き付けて、夜叉の前に身を投げるんです。これも救われるというストーリーになるんです。モチーフとすれば、他を救うために命を捨てるというのと、法のために命を捨てるというのです。</p>
<p>　『法華経』にも焼身供養の例が出てまいります。『法華経』の薬王菩薩本事品第二十三。一切衆生憙見菩薩という長い名前の菩薩がおりまして、この人が、法を敬え、仏を敬うために自らの身を焼くという焼身の行をおこないます。これは、決して焼身自殺というべきものではなくて、焼身供養という言葉で普通いわれています。</p>
<p>　１９６３年６月１１日、ベトナムのティック・クアン・ドックというお坊さんが、旧サイゴンの目抜き通りで「焼身供養」を行いました。周りにお坊さんがたくさん控えていました。</p>
<p>　焼身供養をする決心は、仏教会の人は、みんな知っていました。ベトナム戦争の前の時代で、ゴ・ディン・ジエム政権は、仏教徒を迫害し、虐待していました。一月ほど前に、仏様の誕生を祝う会で、軍隊が出てまいりまして、子ども七人、女性一人を射殺してるんです。それに対する抗議集会を開くことになったんですけれども、そのときにクアン・ドックさんは、そうした為政者の過ちを自覚させるために、そして、事態を改善するために、私は焼身供養をしたいと仏教会に届け出ています。仏教会は認めなかったんですが、とうとう最後に認めました。</p>
<p>　軍隊が介入して、途中で妨害されないようにとお坊さんが周りを取り囲んだりしながら、外国の報道関係者も含む衆人環視の中、目抜き通りでケロシンオイルをかぶって、焼身供養をいたしました。</p>
<p>　つまり、焼身供養ということが現実に行われたこともあるんです。これは極端な例です。仏教は焼身供養を勧めているとは思わないでください。勧められません。こんな事件はめったにおきません。命の尊重とは、対極にあります。ただ、身命を賭して法を求める、人のためになるものを与える。仏教における布施の重さと多面性の例として申し上げたかったんです。</p>
<h4>三輪清浄</h4>
<p>　大乗仏教になって、三輪清浄ということが説かれるようになりました。空（くう）の思想に裏付けられた思想ということになっています。施す人、お布施をうける人、与える物、この三つが何のわだかまりもなく、ためにするところがない。それが清浄なる布施というものです。私はこの三輪清浄という言葉を、あまりしゃべったことがないんです。与える人も、もらう人も、施物も、何のわだかまりもなく与えられ受け取られるって、そんなことあるのかと思ってましたから。自分で納得できないことは人に説けません。</p>
<p>　しかし、最近、少し考え方が変わってきて、角膜移植などというのはそれに近いかなと思ったりしています。自分が亡くなったら、アイバンクに角膜を寄付するよう遺言しておく。これも布施ですが、もらうほうの人もありがとうございますいいながら、誰からもらったかは分からない。三輪清浄の例にあたるかなと思いました。</p>
<p>　また、みんなが納得する布施っていうふうに言い換えたらどうかなとも思うようになりました。あんまり理屈っぽく、すべてが清浄とはなにか、などといわずに、みんなが納得する布施ということでいいんじゃないのかと考えています。</p>
<p>　そうしたことから、最近は無財の七施という言葉を、しきりに考え直しているんです。無財の七施というのは、お金や物がなくても与えられる七種類の布施ということで、これは『雑宝蔵経』という、中国の漢訳仏典に載っているんです。眼施、和顔悦色施、言辞施、身施、心施、牀座施、房舎施といいます。</p>
<p>　優しい目つきでほほ笑んであげるというのが<strong>眼施</strong>です。<strong>和顔悦色施</strong>というのは、にこやかな顔で人に接する布施です。私のよく存じ上げ大変敬愛しているカトリックのシスターであられる、渡辺和子先生、最近、新聞にお説法集の広告が大きく出ていますが、先生に会ったら、「奈良さん、仏教の和顔悦色施っていうのはいいわよ。不機嫌な顔をしてるっていうのは、環境破壊じゃありませんか」ですって。</p>
<p>　<strong>言辞施</strong>というのは、優しい、いたわりの言葉をかける。厳しくてもためになる言葉をかける。心を施す。これ思いやりです。心遣い。<strong>牀座施</strong>というのは、席を譲ることです。<strong>房舎施</strong>というのは、泊めてあげることです。</p>
<p>　なるほど、これならば何にも持ってなくても、人さまに与えることができますよね。何にもなくても出来る布施というところにポイントを置いて、考えていたんですけれども、そうか、三輪清浄もこれと結び付けていいんじゃないのかなと思っています。</p>
<p>　私たちに慈悲の心というものがあるならば、おのづと人さまに良かれと願う。にっこりと、優しい言葉をかける。特に代償を求めることもなければ、代償を払ってるわけでもない。そういう布施が、無財の七施の具体的な例として、三輪清浄につらなるんではないでしょうか。</p>
<p>　そして同時に、最近は自分のことばかり考え、エゴがはびこっている世の中になっています。人間は自分なりに納得して、生きていかなければいけない。それが幸せだと思うのですが、それにはやはり他人に対して与えていくことがなければならない。</p>
<p>　人間とは「人の間」ということで、自分一人で生きているわけではない。自も他も共に幸せにということは、自は他に与えなければならない。あまりに他者に与えることが少ない社会だからこそ、バラバラ社会になっている。<br />　そういう関係はお釈迦さまの教える布施に大きくかかわっています。お互いに身近なところから考えていかないと、自分なりに納得する人生もできないし、他も良くならない。そんなことをしきりに考えているわけでございます。（終）</p>]]>
        
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    <title>信仰と人生　わたしたちはなぜ仕事をするのでしょうか？</title>
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    <published>2010-04-30T00:00:00Z</published>
    <updated>2010-05-13T07:03:41Z</updated>

    <summary>　今日は「信仰と人生」について、お話したいと思います。サブタイトルは「なぜ仕事を...</summary>
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        <name>管理者</name>
        
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        <category term="野坂法行先生" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.tibs.jp/lectures/">
        <![CDATA[<p>　今日は<strong>「信仰と人生」</strong>について、お話したいと思います。サブタイトルは<strong>「なぜ仕事をするのか」</strong>としましたが、「何のために生きているのか」という問いでもあるのかなと思うんです。「日々の糧を得るためである」とか、「家族を養うためである」とか。でも、実はこの仕事という言葉の中にすでに答えがあるのです。仕事という言葉は、極めて宗教的センスがあって出てきてる言葉です。「働く」なんていういい方もしますね。仕事という言葉の中に、もうすでに答えがあるということを、まず頭の隅にとどめておいてください。</p>
<h4>日本人の精神性と仏教</h4>
<p>（一）　宗教というのは、人間が人間として人間らしく生きるための根本の教えです。</p>
<p>　大本、根っことか、あるいは人生設計の基礎部門といっていいですね。</p>
<p>（二）　日本は仏教国と言われます。そして日本仏教の祖は聖徳太子だといわれています。</p>
<p>　聖徳太子が十七条の憲法というのをつくって、それに従って国の運営の根幹を定めていこうとしたわけですが、その第一条になんて書いてあるかというと、<strong>「和をもって尊しとする。」　</strong>みんな、おれが、おれがという自我を主張しないで、互いの持ち味、違いを認め合って、平和に仲良く調和して暮らしていく。このことが大事ですよっていうことを定めてるんです。すごいことだと思います。和をもって尊しとする。では、その和が保たれるためにどうしたらいいかというと、第二条に、<strong>「篤く三宝を敬え。」　</strong>三宝を篤く敬いなさいっていうことを督励してるわけです。三宝というのは、仏様と、仏様の書かれた法と、そして僧なんです。</p>
<p>　僧というのはお坊さんのことじゃない。仏法を求める仲間のことですね。その三つをみんなが敬いなさいっていうんです。敬うことによって、和というものが成り立つんだということです。</p>
<p>　聖徳太子は<strong>三経義疏</strong>というのを書きました。三つのお経を取り上げて、それに対する注釈を加えたということです。聖徳太子は、十人の人が一遍にものをいっても全部それを聞き分けたのですごいといわれてますが、もっとすごいのは、仏教はインドから中国に渡って、朝鮮半島から日本に伝わってきたとき、膨大な仏典が来てるわけですが、その中からあえて法華経、勝鬘経、維摩経の三経を選んだということです。</p>
<p>　<strong>法華経</strong>というのは、仏教の中心的な経典だといわれてます。これは中国の天台大師によって仏教が体系化されて、その中でも法華経が仏教の中心に据えられました。日本に伝来したとき、聖徳太子も膨大な経典の中の法華経が中心になるということを思ったんでしょう。法華経をまず取り上げた。それと、維摩居士という普通のいろんな社会の仕事をしながら仏法を求める男性のために書かれたのが<strong>維摩経</strong>。それから勝鬘夫人という、在俗の生活をしながら仏法を求めるという女性のために説かれたのが<strong>勝鬘経</strong>ですね。何千、何万という経典が入ってきた中で、聖徳太子が三つをあえて選んだという眼力ですね。三つのお経を取り上げて、なおかつ自分が注釈を加えたわけです。内容を熟知してなければ注釈を加えられないわけで、その洞察力に感服いたします。</p>
<p>　私たちが何かでアンケート取ると、日本人は無宗教だとみられたり、いろいろ経済事件を見てると、無宗教かなと思ってしまいたくもなるんです。高度経済成長を支えて、もうかることはいいことだだけで突っ走ってきていた方々が、今いろいろ問題起こしていると思います。皆さんもたぶん経済大国日本の基盤を若いころから支えてこられた、経済発展に貢献してきたし、会社のもうけのために一生懸命働いてきた。だけど、それでよかったかなというふうに思ってる人も結構居るみたいですね。さらに仏法をより所としたいというふうに思う人がどうも多くなってきている。それは日本民族がずっと聖徳太子以来、仏教を基軸として生活をしてきたからです。だから日本語、あるいは日本の文化から仏教的な物の見方、考え方、表現方法、これを抜いたら、たぶん日本語も日本の文化も成り立たないといっていいです。</p>
<p>　建物一つ取ってもそうです。五重塔などというのはまったく仏法の教えが象徴されている建物です。もうあらゆることが想定されている。誰か想定外だなんてアホなことを言った人が居ましたけどね。全部想定してるんです。何があってもいいという状況の中で、五重塔というのは建てられている。仏教は、すべてのことを想定している。人間は生まれた以上、死ぬと。いつも大地が安定してるわけではない。大きな揺れが来ることもある。それらのことを全部想定して五重塔は建設されている。</p>
<p>　宗教の中で仏教の教えが説かれている書物をお経といいます。そして、お経の経というのは縦糸という意味です。つまり、<strong>人生の縦糸</strong>、これを持たないと人生、一本筋が通らないということです。日本人の精神性というものを形成してきたのはまさに仏教ですよ。わたしたちは、何気ない言葉の中で、例えば仕事というのも仏教的センスがないと出てこない言葉です。あるいは人が動くと書いて働くという大和言葉も、たぶん仏教がないと出てこない。ただ人が動いて、何で働くというふうに読むのか。<strong>はた（傍）を楽</strong>にするということです。</p>
<p>　ともかく仏教は一神教と違って重層、多重ですから、日本人は宗教を持ってないように思われるんですがそんなことはないです。外国に行ったら一神教ですから、唯一絶対のアラーの神だの、ゴッドだの、エホバの神だの、そういうことを信じるわけです。単純明快なんですけども、日本人は、すでに物の見方、考え方の中には仏教が染み込んでるんです。お金を借りることを無心といいますね。無心ってどういう意味かと思いますか。いずれにしても目的があって、お金をためてるわけでしょう。そこを突然やって来て、「お金貸してよ」という。貸すには、一つの計画があってためてきたものですから、その計画を一回ちゃらにしないといけない。無心にならないとお金って貸せないということです。だから、仏法は無我にて候とか、無心だとかいってますけど、そういう仏教の考え方は、いつでも心をフラットにする。先入観とか、思い込みとか、こうあらねばならないとか、そんなようなものをいつでもさらっと捨てて、あるがままに生きられるというそういう状態、そういう仏教の基本的な物の見方、考え方、それがその人を本当の意味で幸せにするんです。そういうような教えがなかったら、「お金を無心する」なんて言葉も出てこない。この言葉一つ取っても、日本人の精神性を形成してきたのが仏教だと言って過言ではないと思います。</p>
<h4>四大―私たちの命をつくるもの</h4>
<p>（三）　その仏教の教えの中からいくつか紹介したいと思いますが、一つは、<strong>脚下照顧</strong>です。禅寺などに行くと、上りはなに書いてありますね。履物をそろえて脱げよ！　こういってることでもありますが、それはあくまでも表面的な話。何に支えられてわたしは今生きているのかということに気づくことが必要だということです。命の足元をよく見てみなさい。スリッパをそろえると、皆さんの心もそろう。足元に注目するのと同じように、自分の命の足元に注目してみたらどうですかということです。</p>
<p>　<strong>地、水、火、風、</strong>これを四大といいます。どれが一つ欠けても、命が成り立ちません。</p>
<p>　大地がいろいろなものを育んでくれるおかげで、わたしたちは食事ができるわけでしょう。いろんなものを育んでくれるから、母なる大地といいます。大地がなかったら、わたしたちは生きていけません。自分が息する場所がないんです。宇宙空間には生命は成り立たないんですね。この地球という生命維持装置があるおかげでわたしたちの生命が成り立っている。</p>
<p>　皆さんの体の約七十五パーセントから八十五パーセントは水でできている。キリスト教でも洗礼を受けるとき、水を使うでしょう。水というのは命の大本です。</p>
<p>　火というのは、煮炊きする火と思ってくれるとちょっとイメージが違う。太陽です。太陽の光というのがなかったら生命が成り立ちませんね。植物の炭酸同化作用というものは、光合成ですから。光がなかったら、植物が育たない。植物が育たないってことは、われわれ、動物、人間も生きられないということです。</p>
<p>　風というのは空気があるから、風が起きるわけでしょう。空気のない所に風はないんです。風っていった場合には、空気ということです。これもないと生命が成り立ちません。</p>
<p>　四つの重大なファクター、要素。どれ取ったって、少なくとも人間がつくりあげたものでないことは確かです。「おれがおれの力で生きてる」なんていうことは、ちょっと物が分かってきたら、絶対にいえない言葉です。足元を見ると、わたしたちはおれの力で生きてたと思ったのは、それはあまりにも傲慢な考えです。不思議な力に促され、いろんなものに支えられ、いろんな要素にサポートされて、わたしたちは不思議にも生かされていたんですね。</p>
<p>　<strong>縁起</strong>でもないとか、縁起がいいとかいいますが、縁起にはいいも悪いもないんですよ。いろんなかかわりの中で私のこの命があるということです。さっきの地、水、火、風です。両親が結婚してくれたという不思議なご縁で私たちは生まれました。その結果、両方のＤＮＡを引き継いで、新しい生命が誕生してきたという、これもご縁。両親が本当に手塩に掛けて育ててくれた。両親がいとおしんで育ててくれた。生まれたばっかりの赤ちゃんなんか、どうすることもできないです。牛や馬はすぐ立ち上がって自力で歩きますけど、人間の赤ちゃん、一年以上駄目です。</p>
<p>　もうおむつを取り替えたり、お乳を与えたり、離乳食も与える。お母さんなんかはうんち見て、「ああ、きょうはきれいなうんちだ」っていうでしょう。母親はそう見るんですね。そういう、母親、父親の愛情に支えられ、さらに高校にやってくれたり、大学にやってくれたりして、教育を付けて、社会人として恥ずかしくないような内容を身に付けさせてくれたおかげで皆さんがたの今日があるっていうことです。「いや、おれは苦学しながら自力でやった」という人も中には居るかもしれませんが、苦学するようなところまで育ててくれたのは誰ですかってことになるわけですね。</p>
<p>　空間的には地水火風もあれば、いろんな両親も含め、あのときあの先生に会わなかったら今の自分はないだろう。あるいはあのときあの上司の下で働かなかったら、今の自分はないだろうとか、そういうご経験は、皆さん、沢山あるんじゃないでしょうか。そういう相互依存関係になっているというのが世の中です。</p>
<p>　会社なんかでもそうですよ。その会社が作った製品を利用してくれるカスタマー、顧客が居るから、会社って成り立つんです。あるいはサービスを提供する、サービスを提供するのを受け取ってくれる、いわゆる消費者が居るから、会社が成り立つんです。不特定多数の大勢の人たちの幸せのために商品も開発して売るし、サービスも提供するというのが本来の仕事なんでしょう。社会的な役回りというものを忘れた目先の利益を得るために消費期限の切れたものを平気で使ってコストを下げた。これを発想した人は、「おまえはなかなか賢いやつだ」と、目先だけの話ではいわれると思います。でも、待てよ。うちは何をする所だ。国民が日々健康で、それぞれが十分にその存在価値を生かしきって、元気で生活をし、仕事をしていくためのエネルギーを供給する会社だった。そういうことが根本的に分かっていれば、ああいうことはしないわけです。ほかの分野でもそれは全て同じです。</p>
<p>　電力会社が臨界事故を起こしました。臨界事故が起きたってことは、もう核爆発寸前だったっていうことですよ。極めて危険な状態です。核分裂を一挙にやるのが原子力爆弾。技術を用いて、じわじわ核分裂をさせて、そこから出てくる熱を利用して、蒸気を発生させタービンを回しているのが原子力発電ですよ。</p>
<p>　原発から出てくる放射線廃棄物を無害にすることできないから、ガラスに固化してステンレスの容器に入れて地下深くに埋設する。人間の見えるところから閉め出してしまおうということです。しかし地殻の変動が起きる可能性が大で、プルトニウムの毒性が半滅しないで二万年、ステンレスのキャスターが持ち続けるかどうかは疑問だと言われているわけです。負の遺産を今の私たちは後からくる人間に残しているっていうことです。</p>
<p>　命を営むもとになっている空気、それから命をはぐくむ大地、水も汚染するんです。四つの命の支えるファクターの中の三つまで、放射線廃棄物は汚染していくのです。加えて汚染されたものを、私たちが吸収していくことを考えるととても恐ろしいことです。もっと自然のエネルギー、クリーンなエネルギーが望まれます。</p>
<p>　ともかく、この世のすべてのものはお互いにかかわり合い、支え合い、助け合い、補い合って存在しているんです。いずれとも何のかかわりなく存在しているものはこの世の中に何もないと言い切っていいと思います。「元気ですか」って言われて「おかげさまで」と応答します。陰の様というのは、目の前には見えないけれども、見えていないところで、いろんな人が、諸々のものが、いろんな働きをしてくれているお陰でこの私が生きていられるということです。</p>
<p>　ここに建物があるということは、百数十年前の大工さんのおかげ。これだけの材料は山の木のおかげ。それから、これだけの建物を造るために、その当時の多くの寄付された人々のおかげ。黙ってここで座って話を聞いているだけで、百数十年前の恩恵を受けている。</p>
<p>　皆さんの衣類もそうです、食べ物もそうです。そして、日々、先人のいろいろな工夫とか知恵によって、私たちは、快適な生活をさせていただけるということです。感謝しなきゃいけないですね。</p>
<p>　こういうことを縁起の法と言っているんです。すべてのかかわりの中で、私たちは存在できているのです。いわば私たちはそれぞれ網の目の一つだと思います。網っていうものは目がいっぱいあってお互いに連携しているから網という機能を果たしているわけです。この世の中もおんなじです。四方八方につながっているわけです。皆さんが単体で存在しているわけではありません。仏法は実に科学的ですね。</p>
<p>　仏とか<strong>妙法</strong>は言葉を変えれば自然の摂理です。南無妙法蓮華経というのを縮めると妙法になるんです。道元禅師は万法とか言ったりしてます。同じことです。この世の中のすべてのものをそのようにあらしめている根源的な働き、パワー、これが実は仏あるいは妙法です。</p>
<p>　法華経の久遠の本仏というのは、すべてのものをそのものたらしめている根源的パワー、これを擬人化して仏といいます。法のほうからみたら妙法とか、万法とかっていう言い方になると思います。ともかく妙法とはこの世のすべてのものを、そのものたらしめている根源的な働きパワーです。</p>
<div class="imgRight">
<span><img style="width: 300px; height: 174px;" alt="" src="http://www.tibs.jp/lectures/img/144-5.jpg" height="200" width="360" /></span></div>
<p>　私たちが生きていられるのは生命維持装置・地球のおかげです。実はこれが天体の運行とも密接に関係しています。地球は自分で三六五回転する間に、太陽のまわりを一定の距離を保ちながら、レコード盤のように一周しています。この宇宙の運行がある日突然狂ちゃった。「ばかばかしくってやってらんねえ、毎日おんなじことを繰返し、何億年という時間をおれはぐるぐる回っている。だからもういいかげんこの軌道から外れたい、もういやだ」って地球が思って、そこから外れちゃったら地球上の生命が成り立たないですよ。</p>
<p>　たとえば地球が金星のところまで出て行ったら地表温度が約五〇〇～六〇〇度。と、命のもとになる水が水であり得ないのです。だから、あっという間に命はなくなっちゃう。火星のところまで地球が並んでいったりすると、地表はマイナス五十度とか六十度になると言われている。水があったとしても凍り付いちゃって水の用をなさない。ともかく大地の上に、植物が繁茂できないわけです。地球の宇宙的運行とわたしたちの命とは直結しているっていうわけです。勝手に地球が回っているんだろうってことでは済まされないわけです。地球がそういうふうに気まぐれを起こさないで、同じ間隔をとって太陽の回りをめぐってくれるという、運行をしてくれているおかげで、この私の命があるということです。そういうことを含めて根源的な働き・パワー、妙法（仏）、自然の摂理というものがあると思われるのです。</p>
<p>（四）　仏法の側からじゃなくて、物質ができている理を明らかにする物理学者のほうからも言われています。<strong>「もの皆の奥に一つの法（のり）ありと日にけに深く思いけるかな」</strong>と湯川秀樹さんは辞世の句の中で言っています。アインシュタインも<strong>「この世界は単なる物質の機械仕掛けではなく、一つの思惟、意志のようなものによって貫かれている」</strong>と言っているんです。</p>
<p>（五）　秋山というＴＢＳの宇宙特派員がいて、ソユーズに乗って、宇宙空間に行って、ソ連の宇宙船の中で一週間ぐらい滞在して、また地球に戻ってこようとする時に、アナウンサーから「秋山さん、宇宙から地球に帰ってくるにあたって、最後に地球の皆さんに何か言うことありませんか？」と聞かれたときに言ったのが「今更、神がかって言うわけではないが、<strong>人間をはるかに超えた神仏のようなものの存在を、宇宙空間に来てひしひしと感じた</strong>」と言ったのです。</p>
<p>　宇宙空間に行くとみんな感じるみたいです。アメリカの宇宙飛行士なんかはみんな帰ってくると、聖職につく人もいれば、環境問題研究家になったり、社会活動家になったり、平和運動家になったりするんですよ。「こんな神秘的な生命維持装置は、何らの意味なく、何らの目的もなく偶然に出来上がったなどということはとても思えない」ということを大体言っていますよ。宇宙飛行士は地球にいて当たり前だと思っていたことが、全然当たり前じゃないってことを、宇宙空間に行ってよく分かるんですね。大がかりな維持装置を着けて、やっと生命が保たれている。地球にいては何もそんなものいらないわけです。生命を維持するために必要なものは全部与えられているからです。「これはすごいな」と思います。</p>
<p>（六）　日蓮聖人のお言葉で、<strong>「吹く風ゆらぐ木草流れる水の音までも妙法の五字を唱えずということなし」とあります。道元禅師は「山の色、谷の響きも、みながら我が釈迦牟尼の声と姿と」</strong>と言っています。</p>
<h4>仕事とは</h4>
<p></p>
<div class="imgLeft">
<span><img style="width: 246px; height: 324px;" alt="" src="http://www.tibs.jp/lectures/img/144-6.jpg" height="447" width="350" /></span></div>
<p>（七）　生かしめられている自分に気付いたらその恩に報いたい。自分の存在を何かのために生かしていきたい、また生かさなかったら申し訳ないと思うのが自然の姿。それが仕事ですよ。仕事っていうのは仕えるってことでしょ。金もうけなんてことは仕事の言葉からなんにも出てこないです。仕事というのは自分の存在を社会のために、いろんな人のために生かしていくってことです。だから食品会社だったら、その食品をもって大勢の人のお役に立っていく。エンジニアだとか、手先が器用な人だったら、たとえば大工さんなどという仕事をとおして、いい家を建てて、そこに住む人に快適な生活をしてもらうことに貢献する。いかなる地震が来ても倒れないような家を建てることです。</p>
<p>（八）　自分は技術者だ、設計図が書ける、建築家だっていったら、その建築家としての技量を大勢の人の幸せのために役立てていく、仕えていくということが本当の仕事です。</p>
<p>　こうしたこころもちでいる時に思わず出るあいさつ言葉が<strong>「おかげさま」</strong>とか<strong>「すいません」</strong>という言葉なんです。おかげさまっていうのは自分もいろんなおかげを被っていますということです。「すいません」というのは、いろんな人からいろんな恩恵、いろんな物からいろんな恩恵うけているけれども、その恩返しが済んでいないということです。無数の恩を恵を被って生かされていますが、まだその恩に報いること、仕事がまだまだ済んでいません、申し訳ないことです、すいません、という謙虚な心境を表しているのがこの「すいません」という言葉なんです。</p>
<p>（九）　働くって言っていますけど、人が動くと書いて何で働くなのか。人が動く、それは自分のもうけのためじゃないんです。人が動くということは、はたらく、傍（はた）を楽にするためなんです。要するに自分の存在を何かのために、社会のために、誰かのために生かす。そのように心がけることで、自分も成仏するということになると思います。自分がおよそ、もう役立たずだと思った時に人間は生きる力がなくなるんです。自分の存在が何かのために役立っていると実感できた時に、「ああ、おれも生きていていいんだ、生まれてきてよかった、おれの人生いい人生だ」と思えるわけです。そう思えた時が仏教でいう成仏です。</p>
<p>　成仏ということは死ぬことではありません。「ああ、あいつもとうとう成仏しちゃったか」という言葉だけは、絶対皆さん使わないでくださいね。成仏というものは「ああ、おれの人生いい人生だったな、おれは本当に生まれてきてよかったな、おれもこの世の中に存在していていいんだな」という実感をつかめたときに、それを仏教では成仏というわけです。そういうことで、みんなのためになっているのかどうかってことが、やっぱり自分が本当に生きているかどうかということです。</p>
<p>　池上本門寺ではイキイキ推進運動っていうのやっているんです。イキイキするためには自分が自ら主体的に動いて、自分の存在を何かのために生かして、「ああ、あなたが居てくれたおかげでよかった」って言われた時に、「ああ、おれもなんか役に立ってるんだ」っていう実感が持てて「ああ、おれも生きていていいんだ、おれも存在していいんだ、おれも生まれてきてよかった」と思えてイキイキするわけです。</p>
<p>　それが人をだまくらかして、うまいことやって金もうけしている人はそういう実感は持てないはずです。一番の不利益を被るのは、実は自分自身なんです。おれが存在していてもいいんだという実感が持てない。そういう状況は極めて生きずらい状態だと思います。</p>
<p>（十）　そういうことで一流の経済人はやっぱり同じことを思っています。平岩外四という元経団連の会長が、<strong>「共存共生の時代、一人勝ちは許されない、共に生きる喜びを持つことが大事だ」</strong>って言っているんです。その道を極めた人は違うなって思います。自分一人だけ、自分の企業だけよければということは法とかダルマ、真理に反することなのです。</p>
<p>　勝ち組、負け組なんて言葉は、絶対に仏教上からは出てこない言葉です。口先だけで情報を操作して投機をかけて、ほとんど働かず額に汗することなく、何億っていうお金を手にしたわけでしょう！　これは捨て置けないということになったわけです。　</p>
<p>　仏教国日本の外交が今のままでいいのかというのも、仏教徒にとっては重要な問題です。</p>
<p>　世界全体が調和にして平和に生きるための戦略が描けるのは私たち日本人だと思っています。仏教思想を基盤としている日本人だからこそ、すべてのものが存在していい、すべてのものがその違いを認め合って、お互いに仲良く存在し合うことが大事だと言えるのです。聖徳太子の作った憲法第一条の「和を持って尊しとする」という考えの基盤、そのバックボーンになっているのが仏教思想です。そういう思想を伝統的に持っている日本人は、世界を平和に導く本当の戦略を立てることができると思います。仏教は非常に重層多重です。いろんな人がいていい、いろんな役割の人がいていい。それがお互いに違いを認め合って、調和していくというところに平和がある。</p>
<p>　武力でもって世界に平和を築くんじゃなくて、互いの違いを認め尊重するというファンダメンタルコンセプトを持って外交を行い、世界の平和を築いていこうと明確に宣言したのが憲法第九条だっていうように私は受けとめています。憲法っていうのは理想です。政治家が理想を失ったらただの政治屋です。政治家は人類の理想を求めなきゃいけない。少しでも理想に近づく努力をしなければいけないと思います。だから政治のことをほとんど宗教的な言い方で祭りごとって日本では言っているわけです。こうした摂理にもとずいてみんなが調和していくという方向性を持って政治のかじ取りをし、法案を作っていく、そういうことをしなかったら、いつまでたっても人間は欲のために戦い合う。欲のために戦うんだったら武力が強い方が勝ちですよ。勝ち組だの負け組だのってことは仏法上はないのです。</p>
<p>（十一）　お経というのは、人間が生きていくより所です。縦糸があって横糸を通したら反物が出来上がるように、我々人間も縦糸というしっかりしたもの、つまりお経にある教えがあって、それにのっとって日々の生活を営むとき、それぞれの人生というすばらしい反物が出来上がります。また<strong>法・道理にのっとって世をおさめ、民を救う</strong>というのが、日本語の「経済」という意味です。法にのっとり、理にかなう個人、ならびに企業は大勢の人の信用を得て繁栄する。おかげの心を忘れずに日々誠実に仕事に励んでいくということが信心ある経営・生活になるんだと思います。</p>
<p>（十二）　仕事というのは<strong>仕えること</strong>、働くというのは<strong>傍を楽にする</strong>ということ、それが本当の実は信仰者のあり方だと思います。信仰と人生ということで言えば、どういう心根を持って、どういう生き方をすることによって、本当の意味での人生、誰にも取って代わることのできないかけがえのない人生を生きたことになるかということです。</p>
<p>　自分がよりよい人生を過ごすためには何が大事かということを、皆様が感じていただけたら有り難いと思います。（終）</p>]]>
        
    </content>
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    <title>殻を破る　死の鏡に照らして生を見る</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.tibs.jp/lectures/ohora/post.html" />
    <id>tag:www.tibs.jp,2010:/lectures//3.140</id>

    <published>2010-03-02T02:18:15Z</published>
    <updated>2010-03-11T03:46:38Z</updated>

    <summary>釈尊の悟りと救済の原理  　古代インド民族の精神的深化は、「苦悩の世界に生きる己...</summary>
    <author>
        <name>管理者</name>
        
    </author>
    
        <category term="大洞 龍明塾長" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.tibs.jp/lectures/">
        <![CDATA[<h4>釈尊の悟りと救済の原理 </h4>
<p>　古代インド民族の精神的深化は、「苦悩の世界に生きる己身の解脱を目的とする」という方向に進んでいきました。</p>
<p>　仏教はこの精神環境の中に咲いた精華であります。すなわち、仏教は徹底的に、「苦悩からの解脱」を目指す宗教です。</p>
<p>　釈尊における苦悩からの解脱の道は、苦悩の原因を、十二因縁の中の無明において発見し、この無明を滅するところに達成されたものです。</p>
<p>　苦悩からの解脱ということが課題である。その苦悩から解脱するためには、無明を滅するというところにたどり着く。これが、苦集滅道という、お釈迦様の初転法輪、一番最初にお説教された教えであります。</p>
<p>　人生は苦である。苦の元は無明である。その無明を滅するということが大事だということを、四つに分けて説いていらっしゃるんです。この無明を滅するところに、解脱の道を達成されたものであります。</p>
<p>　無明とは何であるかというと「不如実知見」。難しい言葉を使ってますが、それは、縁起の道理を如実に知らないこと。釈尊における、苦悩からの解脱は、不如実知見を否定して、縁起の道理を如実に知見することにほかなりません。</p>
<p>　次に、縁起の道理とは何を意味するかというと、より本質的には、具体的な人間存在に関する相依相対の関係を意味しているのであります。</p>
<p>　縁起の道理は、存在が相依相対になるがゆえに、自存的に独立性をもって存在しないという、いわゆる存在の無常であり、空であるという、存在性そのものの否定の原理であるからであります。</p>
<p>　この原理に背いて、物の事象に執着し、物の上に変わらない常住性を欲求するとすれば、それは必然として、苦悩に陥らざるを得ないのであります。ここに苦悩がどうして起こってくるかという原因を、お釈迦様は明らかにされてあるのです。</p>
<p>　われわれの世界を縁起の世界ととらえることによって、そこに空の悟りを実現しようとすることは、仏教の根本的な態度でありますが、さらに大乗仏教は、この態度に対する反省を深めていったものであります。</p>
<p>　縁起の世界は有の世界でありつつ、同時に、縁起であるがゆえに、空の世界に他ならないから、われわれは有無の偏見に陥るべきではありません。</p>
<p>　われわれの有的な世俗の世界、これを世俗仮設というんですけどね。世俗の世界をただちに無的な勝義の世界（空勝義諦）への媒介の基盤たらしめること。これが、大乗仏教の教学の指向する根本理念であります。</p>
<p>　そこに自利利他円満する大乗の菩薩行が現れる。知と悲の相即する境地に対する強い願い、すなわち本願があらわされ、浄土の建立がなされ、衆生救済の原理が成立したのであります。非常に原理的なものだけここで示しておきました。</p>
<h4>&nbsp;美しい女性を見て 美しいと思うのは罪 </h4>
<p>　絶対価値と相対価値の話を少ししてみましょう。人間は、その時その時に価値、自分に役立つものを判断しつつ、行為、行動をします。人類が出現して以来、一時も、今、私が言う価値判断を欠いたことがありません。それは、人間に限らず、動物一般についてもいえるはずです。個体の生命維持、種の保存のために、バクテリアだって価値判断をしているはずです。ただ、人間は脳の発達によって、価値の価値たるゆえんにまで考えを及ぼすようになったことから、その面で他の生物とは絶対的といってよい地位を占めるようになりました。それの代表例が、高度に発達した科学技術といえるでしょう。</p>
<p>　一方、一個人においても、価値判断を瞬時も欠くことはありません。それには、生命の危機が迫ったときの瞬時の判断もあれば、安売りで自分にとっての掘り出し物を探す行為もあります。安売りの場合を考えると、同じ商品が、つまり、同じ値段の商品がどのお客にとっても同じ価値のものとは限りません。むしろ、百人のお客が見れば、百の価値判断があると考えた方が良いでしょう。厳しいビジネス世界で、何十年にもわたって生きてこられた皆さん方に、一人の僧侶でしかない私がこんな話をするのはおこがましいかもしれませんが。</p>
<p>　では、美しい女性、好ましい男性という場合の価値判断はいかがでしょうか。これについても、皆さんにはそれぞれ一家言あるに違いありません。</p>
<p>　「美しい女性を見て美しいと思う。そのことが罪なんですよ。」</p>
<p>　四十年前、大谷大学の教室で聞いた教授の声が、今も耳の底に残っています。先生のお名前は、名畑応順先生。ご専攻は真宗学。そのとき先生がおっしゃられたのは、こうです。「一人の女性を見て美しいと思うのは、一人の人間を美醜という対立した概念で見ることにほかならない。人間をそのような、自分で勝手につくった対立観念でとらえ、しかも、自分の見方にとって好ましい方を選択する。これは罪である。美・醜という対立概念を立てて人を見ること。そのこと自体が罪である。仏教を学ぼうとする者はまず、そうした対立概念でものを見る見方を捨てなければならない。」その講義は、教養課程の真宗学概論でしたが、そのときの先生のお話を聞いて、私は胸を打たれました。皆さん、美しい女性を見て美しいと考えたらいけません。罪なのですよ。（笑）</p>
<h4>&nbsp;幸か不幸かは、相対的なこと </h4>
<div class="imgCenter">
<span><img height="390" alt="" src="http://www.tibs.jp/lectures/img/143-3-1.JPG" width="520" /></span>敦煌莫高窟第328窟西壁　釈迦説法図</div>
<p>　わたしたちが普段、あまり深く考えないで価値判断をしているわけですが、それらのほとんどは、対立的な別の言葉で言えば、相対的な価値判断です。その際、無意識のうちに使っているのが、二項対立（概念）です。それらの例を挙げてみましょう。</p>
<p>　美と醜　・　貴と賎　・　富と貧　・　上と下　・　高と低　・　内と外</p>
<p>　大と小　・　賢と愚　・　優と劣　・　速と遅　・　益と害　・　若と老</p>
<p>　生と死　・　善と悪　・　自と他　・　有と無</p>
<p>　&nbsp;このように並べるなら、二項対立、あるいは対立する概念を取っているものは、お分かりいただけるはずです。わたしたちは上の項を好ましいと考え、下の項を好ましくないと考える。そればかりか、ものごとを対立項でとらえ、無条件で上位のものを良しとすることに何の疑いも抱かないことです。</p>
<p>　例えば、先に考えてみましょう。わが子の出世について、話を例に取れば、わが子が一流大学に合格して、一流企業に就職すれば、人より出世できるはずだし、良家のお嬢さん、それも、一流大学を出た才媛のお嬢さんと結婚できるに違いない。そのお嬢さんが、美人であれば、これ以上申し分ない。こうした内容の会話が、いつもどこかでやり取りされていることでしょう。この話のあらすじを追うだけで、これだけの二項対立が並ぶわけです。</p>
<p>　もちろん、これらの二項のすべてにおいて上位を占める人がいないわけではありません。それはそれで結構です。けれど、その人にも突然の死、あるいは昨今の高級官僚が陥るスキャンダル、その家族の不幸が待ち受けていないという保証はどこにもありません。おしなべて、上位の人が下位に転落する姿を不幸というわけで、上位という行、いわゆる現象は、決して固定しているのではない。諸行無常なのです。</p>
<p>　また、先の二項を並べて、下位の方が多い人は少なくとも上位から下位に落ちることが少ないから幸であるともいえません。今の自分が幸であるか不幸であるかは、相対的なことです。</p>
<h4>&nbsp;相対価値の世界は迷い疑いの世界 </h4>
<div class="imgLeft">
<span><img style="WIDTH: 303px; HEIGHT: 236px" height="300" alt="" src="http://www.tibs.jp/lectures/img/143-3-2.JPG" width="399" /></span>熱心に講義を受ける塾生の皆さん 6/11仏青会館にて</div>
<p>　私たちはこのように、対立的にものごとをとらえ、上位に位置していると幸せを感じるのです。別の言葉で言えば、人は何事においても比較優位を求め、それを手にすれば、幸せになるのです。これを私は「相対的価値の世界で生きている」と表現しているわけです。また、お釈迦様は、こういうわたしたちの姿を、無明（迷い）とおっしゃっている。また、それを娑婆とおっしゃったのでした。</p>
<p>　では、絶対価値とは何か。それは、相対価値を超えたものです。と、ひとまず言っていいでしょう。美醜を超えたもの、貴賎を超えたもの、貧富を超えたもの等々ですね。相対価値の世界は別の言葉で言えば、現実世界です。それを、此岸（こちら側ですね）と言います。とすれば、絶対価値の世界は現世を超えた世界なんです。仏教ではそれを来世、浄土、あるいは彼岸、岸のむこう側といいます。つまり、現世、現実社会のとらわれから、解き放たれた世界です。美醜も富貧も生死も、すべての対立から解き放たれた世界のことであります。そこに住む人が、すべてが清らかな世界、それを浄土というのです。</p>
<p>　現世、相対価値の世界の内容を今一度とらえなおすと、次のような世界です。</p>
<p>　（一）それは、一個の卵の殻の中の世界に例えられます。その殻の中で、さまざまな相対的な価値観がひしめいている世界です。</p>
<p>　（二）その卵の殻の中では、人は相対価値の判断を強いられ、ものごとへの執着、こだわりなくしては生きていられない世界です。</p>
<p>　（三）人はその世界では、ものごとの一面、部分しか見えない。実際、国家、民族、権力、知識、能力、財産、地位、身分、美醜などの価値、対立的で相対的な価値でありながら、その実、絶対的な作用を持つ世界といえるでしょう。</p>
<p>　そしてその世界では、一人ひとりが、お互いが不自由で不平等で、さまざまな差別を強いられていて、さらにまた、それらによって、どうにか成立している世界。これが現世であります。相対価値の世界といって、ほぼ間違いないはずです。</p>
<p>　相対価値の世界はまた、迷い、疑いの世界でもあります。何事も、まず疑いを持って見なければならない世界です。とすれば、不自由、不平等、差別、疑い、それらから解き放たれた世界を人は望みます。ですから、同じ、疑うということですが、そうした絶対価値の世界を望むには、われわれは現実の根底をまず疑ってみなければならないわけです。東京国際仏教塾の九期生の人たちの、ミニ修行を体験しての感想文の中で、和田さんは、一つの疑問を持っていました。少し、引用させてもらいましょう。</p>
<div class="imgRight">
<span><img height="203" alt="" src="http://www.tibs.jp/lectures/img/143-4.JPG" width="312" /></span>草取りの作務をする塾生の皆さん</div>
<p>　「作務での草取りでは、以前からの疑問にまたぶつかることになりました。すべての命を大切にすると言いながら、雑草だけはなぜ抜かれるのか。取り除かれる草の区別はどのようになされるのか。人間の思い上がりではないのか。」「一本の草に人間の勝手な価値基準を押し当てて、雑草と認め、その命を奪う」和田さんの疑問は優れて仏教的感情からのものであります。信を獲るとは、卵の殻が破れる。するとそこに、広々とした、無限の明るく自由自在で無窮の世界があることを知るわけです。これが絶対価値の世界です。</p>
<p>　まず現世というのは、こういう厚い殻に覆われているんですね。その中に対立する美と醜とか、それから善と悪とか、それから上と下とか、ここにずっと書きました、そういう二項対立があって、その中で、われわれは生活してるんですね。ところが、仏教というものは、この殻をぽんと破って、殻を破ったところに、無限に広がる世界、広大無辺な世界がここに広がっている。殻を破れば広大無辺の世界が広がっている。そして、先に申しました美醜とか善悪とか上下とかといって、対立して、差別していたそのことが、ああ、なんて愚かなことをしていたのだろうかということが分かるわけですね。この殻の中からは、外の世界は見えない。だけども、殻の外へ一遍出てみたら、中のことは全部透明に透けて眺められるということだと思うんです。</p>
<p>　信を獲るとは、卵の殻が破れる。するとそこに広々とした無限の明るく自由自在で無宙の世界があることを知ります。それを今言っているわけですね。それが絶対価値の世界。殻の中は、先に言いましたように、さまざまな相対価値観が争っている無明の世界。闇です。一本の草までが、人間の勝手な価値判断によって生命を奪われる。勝利をかけた争いの世界。しかもそのことに少しも気付いていない。</p>
<p>　では、その絶対価値とは何か。この問いに沿う内容は、具体的にこうだといって答えることは大変困難です。言葉で絶対価値とは宗教である、仏教であるといってもいいでしょう。お釈迦様の有難いお話や教えをいくら聞いても信仰は得られない。その教えを無心に信じられる。そうして自分自身を獲得できていなければならないわけで、その信をどうやって獲るのか。確かなその手立てがあるともいえません。一瞬にして信を獲る人もいれば、念仏を称え続けて、一生過ごしていても、死ぬまで信を獲られない人もいます。また、獲った信にも深い、浅いがあります。それらのことは、分からないけれども、信を獲った人の状況はいくつも伝えられています。 </p>
<h4>相対価値の世界の優者ほど殻は厚い</h4>
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<span><img style="WIDTH: 185px; HEIGHT: 234px" height="234" alt="" src="http://www.tibs.jp/lectures/img/143-5-1.jpg" width="300" /></span>竹林</div>
<p>&nbsp;　しかし、現実の殻はそうたやすく破れる殻ではありません。この殻は、われわれが生きるという、そのことの根底に根ざしているからです。だから、相対価値の世界の勝利者、あるいは生来のこうした価値判断の中での優者ほど、殻は途方も無く厚いといえるでしょう。そのことを教える禅僧のエピソードに、「香巌撃竹」というのがあります。</p>
<p>　すごく優秀な禅宗の修行僧がいました。ところが、その殻が破れない。それで、師匠から、叱咤を受けるわけなんですけども、自分が悟りを開くのをあきらめて、もう一人の先師の墓へ行って、そこの墓守をして一生を過ごそうとしたわけですね。そして、一生懸命、掃除をして、そして墓守をします。何年かたって、あるとき、一つの石が落ちていたので、その石をぽーいと投げました。すると向こうの竹林に石が当たって、カーンという音がしました。その瞬間に殻が破れた。それが「香巌撃竹」というお話であります。</p>
<p>　殻が破れることは大変なんです。頭のいい人というか、知識をいっぱい持った知識人であるほどなかなか難しいですね。</p>
<h4>&nbsp;殻を破ることの大切さ </h4>
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<span><img style="WIDTH: 253px; HEIGHT: 194px" height="227" alt="" src="http://www.tibs.jp/lectures/img/143-5-2.JPG" width="303" /></span>警策をいただく塾生</div>
<p>　禅宗には、「卒啄同時」という言葉があります。これは、師と弟子の出会いの機縁をいいます。また、弟子が悟りに至るときの姿をいう言葉です。鳥のひなが卵からかえる時、親鳥が卵の殻を外からつついて砕いてやります。一方、卵の中では、ひなが自分のくちばしで殻を破るためにつつきます。これが、同時でないといけないとされているんですね。いうまでもなく、親鳥が師で、ひなが弟子です。殻をつついて破るのはひな。弟子の仕事であると同時にこれは師弟の同時参加が必要であることをいっているわけです。内と外の殻をつっつくタイミングが一致した時に、さすがの厚くて堅い殻をも破ることができる。何とも含蓄のある言葉ではないでしょうか。これは何も禅宗に限った話ではありません。卒啄同時というのは、浄土門でもいえる、教育一般についても同様のことがいえると思います。禅宗では、卒啄同時の師を正師といいます。その正師を求めて、雲水（修行僧）は、西へ東へと旅を続けたものであります。殻を破るという言葉がいかに大事で、事の本質を極めているかお分かりになると思います。 </p>
<h4>ヘッセの「シッダールタ」を読み寺を継ぐ決意</h4>
<p>&nbsp;　世襲の問題は、私が寺院の住職を継ぐにあたっての悩んだ課題でありました。ある時の春休みには、『大和古寺風物誌　亀井勝一郎』一冊を携えて一人で奈良の古寺を巡りました。ある時期は、ひたすら本を読みました。そうはしながらも、父の姿がやはり気になります。私は、父が四十五歳の時に産まれました。高校時代には、父は六十歳を超えています。病弱でもあったその父が、真夏の暑い時期に自転車に乗り、一人で三百軒の家を汗だくになって回る姿を見ているとそれでも家を離れて東京の方へ行くとはいえません。</p>
<div class="imgRight">
<span><img height="158" alt="" src="http://www.tibs.jp/lectures/img/143-6-1.JPG" width="282" /></span>敦煌　鳴沙山</div>
<p>　高校三年の春休み、ヘルマン・ヘッセの『シッダールタ』という小説を読みました。このシッダールタっていうのは、お釈迦様の早いころの名前なんですけども、お釈迦様と同時代に生きた一人の若者の名前として表現しています。シッダールタの父は、バラモン（ヒンズー教の司祭職）のすぐれた博士で、シッダールタもまた大変、聡明な息子でした。シッダールタは、人生の真実を知らなければならないという考えから親友と家を出て、苦行僧の群れに身を投じます。父は、大変悲しみました。苦行は、何年も続きましたが求める真実を手にすることはできませんでした。折も折、成道した釈尊の評判が高まりシッダールタは、親友と共に苦行僧の集団から離れ釈尊の説教を聞きに行きます。そして、偶然にも林の中で釈尊と話をする機会を得ました。シッダールタは、釈尊に帰依した親友と別れ、大きな町に向かいました。釈尊の弟子になることは、やめたわけですね。それで、たまたま出くわした遊女と恋仲となり彼女の紹介で大商人のパートナーとなって商いの道にいそしみます。そして、酒と女と賭博の世界に身を沈めるのですが、その虚しさに耐えきれず町を去りました。その時、彼女はシッダールタの子をみごもっていました。町を出たシッダールタは、川の船頭のもとに身を寄せ、渡し船の船頭になります。それから、星霜十年余、彼女とその息子が町を離れて釈尊の説教を聴聞する旅の途中で、彼女が蛇にかまれ、息子ともども偶然シッダールタの介護を受けたんです。たまたま、渡し船の所へ来て倒れたんですね。しかし、彼女は死んでしまいます。息子が、シッダールタのもとに残されました。息子は、なめるように自分をかわいがる父に反抗し、軽蔑し、そして、ある日、船旅に出てもとの町に戻って行ってしまいました。その後を船で追うシッダールタが、ふと川面をのぞくとそこには、数十年前に別れたままになっていた懐かしい父の顔が映っていました。</p>
<p>　私は、この小説を読み終えると深い感動に包まれました。人生とは、こういうものか。まだ、そのすべてを見たわけではない。人生には、こういう結末が待ち構えていることもあるのか。ここで私は、父の後を継ごうと決意したのでした。</p>
<h4>&nbsp;ひとえに親鸞一人がためなりけり </h4>
<div class="imgRight">
<span><img height="300" alt="" src="http://www.tibs.jp/lectures/img/143-6-2.JPG" width="168" /></span>中国四川省　黄龍の風景</div>
<p>　浄土真宗の秋安居の時に、麻原彰晃は救われるかというディスカッションをいたしました。そして、みんなの答えは「回心懺悔すれば、救われる」。あるいは、「罪を償うために刑に服せれば、それはいいんだ」とか。いろいろな答えが出ましたが、私はどうもその答えすべてに納得しませんでした。歎異抄の中で、「聖人の常の仰せには、弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」というのがあります。これが、学生時代の私にはどうしても理解できなかった。「阿弥陀様が長い長い間、深く深くお考えになった本願はこの親鸞一人のためだったのだ。」このことで、親鸞は何をおっしゃろうとしたのだろうか。これほど、エゴイスティック、自己中心的な言葉は、古今東西において類を見ないものです。もちろん、学生時代にこれの解を見いだすことはできず、未解決の懸案としてその後もずっと胸の底にわだかまわっていました。ある年の仏教塾の入塾式に向かう新幹線の中で「あっ」と思い当たったんです。石が竹に当たってカーンといったような感じですね。浄土真宗に公案はないけれど、まさに親鸞聖人からいただいた公案に解を得た。そういう気分で、天にも昇る思いをしました。聖人が口にしてやまなかった表白は、聖人の自覚です。この私（聖人）ほどの極悪深重な人間はこの世にはいるまい。この私をお救いになる方途の発見に阿弥陀様はどれほどの歳月、年月を費やし、考えを巡らせ、菩薩行をされたことか。五劫思惟はほかでもない、この親鸞一人のために、最後の一人（聖人）を救おうとされた、そのためのものだったのだ。事実、本願を達成された法蔵菩薩から阿弥陀如来になられた。とすれば、最後に残された最低の人間、私（聖人）そしてこの私が救われてあることに疑いはない。そして、極悪底下の私（極悪人の中の一番底の下に位置する聖人、そして、この私）が救われてあるからには、まだわたしより罪の軽い犯罪者たちもいうまでもなく救われる。これも疑いをいえない。麻原彰晃氏は、回心懺悔することはないかもしれません。しかし、回心懺悔の心をいささかも持たない横着者は、私自身です。このような救われようもない私を如来様は第十八の本願を立てて、その信心の世界の中に摂め取って救ってくださったのです。このことに気づけば、すべての罪人がすでにして救われてあることに思い当たります。「ひとえに、親鸞一人のためなりけり」というお言葉はそういう意味なのです。観経疏の中でもこの言葉が一番難しい言葉ですね。</p>
<h4>&nbsp;一切の悪人は救われる</h4>
<p>&nbsp;　麻原彰晃氏。ある出版社の人が怒ったんです。「あんな悪人をどうして氏をつけて呼ぶんですか。」「どんな悪人でもどんな善人でも何の差別もなく一人の存在する人間として平等に受け止めていくのが仏教者ですよ。」とこういうふうに説明をして、納得してもらいました。多くの人を殺して死刑宣言を受けた刑事犯。あの人たちよりも自分は少しはましである。事実、人を殺したり、人の物を盗んだことは一度たりともないではないか。人はこうした安心があるから毎日を平和に送っていかれるわけでしょう。先に述べた相対価値の堅い殻に守られているともいえるでしょう。しかし、果たして死刑の値する極悪人よりこの私はましなのでしょうか。なるほど、何十人も人を殺したり、サティアンというような勝手な王国を築いたり、弟子をいたぶって死に追いやったり、そうしたことはしていません。していないけれども、これに類したことを心に思い描いたことはないだろうか。気に入らないやつは、死ねばいい。ふと街角で見かけた、きれいな女性に欲情する。それは、聖書の中にもあるでしょう。「欲情の目をもって女性を見る者は、心の中で女性を犯した者である」という聖書の言葉がある。それと同じようなことをいってるわけですよ。気に入らない自分の会社へダイナマイトを仕掛ける。気に入らない上司や部下をいたぶる。好きなだけ借金をしてそれを返さない。これらの中の一つでも一度ならず心に思い描いたことはなかったでしょうか。「現実にはやっていないし空想するのは勝手だと。」こういう反論があるに違いありません。しかし、空想するだけでやっていない。そういう理由も考えたことがあるだろうか。世間体を考えるとそんなことはできない。家庭がある。女房、子供がいる。そんなことをしたら後ろへ手が回る。こうした理由をいくつも挙げることができるでしょう。理由はどうあれ、しかし自分を欺いていることには違いない。いつも自分を欺いている私が、その点では自分を欺かなかった死刑囚よりどうしてましなのか。その私が、死刑囚よりも同等以上では決してない。このことに気づいた時、おのずからすべての人々が救われる道がなければ、わたしが救われていく道はないことを知るでしょう。「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人の為なりけり」この言葉の解を得られるはずであります。</p>
<h4>&nbsp;いかなるふるまいもすべし</h4>
<p>&nbsp;　極悪深重についての歎異抄第十三章に、いまひとつ有名なくだりがあります。ある時、親鸞聖人が常陸河和田の唯円房（歎異抄の著者）に、「私のいうことを信じるか」と聞かれました。「信じます」と答えると、「例えは、人を千人殺せ。しからば往生は一定すべし」と聖人がおっしゃった。唯円房が「私には一人も殺せません」と答えた。すると、聖人は「往生のために千人殺せといわんに、すなわち殺すべし。しかれども、一人にてもかなひぬべき業縁なきによりて害せざるなり。わが心のよくて、殺さぬにはあらず。また、害せじと思うとも、百人、千人を殺すこともあるべし。」極楽往生を遂げるためには、人を千人殺せといわれたら殺しなさい。そういわれたとしてもしかるべき業縁がなければ一人だって殺せはしない。それは、自分の心が良いから殺さないのではない。また、殺してはいかんと思っていても人を百人、千人と殺すこともある。原爆を広島や長崎に落とした人も一人だって殺そうと思ったことはないと思うんです。「さるべき業縁のもよおせば、いかなる振る舞いもすべし」という歎異抄の言葉がそのまま極悪非道の死刑囚が救われる論理とはなりません。業縁によって多くの生命を奪ったからといって罪が許されて救われたのではありません。世界一の極悪深重な私が、弥陀の本願をいただいて救われてある事から一切の悪人が救われてある。これが絶対他力の本願の救済といわれるものです。逆説的に見れば、私が救われたという事実と同時成立に麻原彰晃氏も救われているのです。</p>
<p>　宗教的救済というのは、あくまでも心の中の世界の主体的な体験であって私の救いというもの、わたしが信心を獲るということ、わたしが悟りを開くということを抜きにして他の人々の救いを客観的に論ずるべきものではありません。私がすべての人々の一番底にいると。「凡愚底下の罪人だ」という自覚を親鸞聖人は仰言ってますね。私どももそういうすべての人々の一番下、底の底にいるのがわたしだという自覚というか、そういうことを感覚するのです。「あー、こんな私が救われるんか。救われた。ありがたい」という信心の世界、大信心の世界を開いた。と同時にすべての人が救われる。私が救われたという事実の中にすべてが救われている世界があるということが、それが信心の世界、あるいは悟りの世界になるわけですね。 </p>
<h4>&nbsp;拈華微笑（ねんげみしょう）</h4>
<p>&nbsp;　禅に拈華微笑という公案があります。</p>
<p>「世尊、昔、霊山会上に在りて、花を拈じて衆に示す。この時、衆皆な黙然たり。ただ、迦葉尊者のみ破顔微笑す」。</p>
<p>　霊山とは、霊鷲山のことです。阿闍世（アジャセ）王子の悲劇のあった王舎城の近くにある山です。お釈迦様は、しばしばこの霊鷲山の山頂で大勢の人を前に説法をされました。</p>
<p>　その日も大勢の人が集まって来て、一人がお釈迦様に一輪の金色の蓮華（スイレン）を差し上げました。若い女性です。すると、お釈迦様は受け取って、黙ってその花を聴聞に集まって来た人にふっと、ひねってお見せになりました。群衆は、それが何を意味しているのか分かりません。その群衆の中でただ一人、摩訶迦葉尊者だけがにっこりとほほ笑んだというお話。</p>
<div class="imgLeft">
<span><img height="205" alt="" src="http://www.tibs.jp/lectures/img/143-7.JPG" width="319" /></span>拈華微笑　ホータンで発掘された東洋のモナリザ</div>
<p>　それが拈華微笑っていうんですね。摩訶迦葉は、お釈迦様の第一弟子の人で釈尊が入寂されるとその後を継ぎました。</p>
<p>　この公案のいわれは、お釈迦様が言葉を尽くして説教されてもなお、釈尊が訓された真理は実に微妙なもので字や言葉では言い表されない。その悟りの神髄を一輪の花に託して参集者に示されたというところにあります。</p>
<p>　これが、私の悟りの真髄なんです。こう、花をひねって皆さんに示された。何も言葉をしゃべられない。それが、分かったのは、摩訶迦葉尊者だけで尊者は笑みをこぼしてしまったのです。公案の続きに、「不立文字、教外別伝、摩訶迦葉に付嘱す」と釈尊はおっしゃられたと書かれていて禅宗の有名な「不立文字、教外別伝」は、まさにこの公案に淵源を持つわけです。大谷大学で私が教わった土岐善麿先生。耳をつんざく雷雨の中でも、声調ひとつ変えず講義を続けらた先生ですが、優れた歌人でもおられてこんな歌を詠んでおられます。</p>
<p>「我が庭の花をひねりて遊べども、近所の子らはほほ笑みもせず」</p>
<p>　かっての日、薫陶いただいた先生の面影が彷彿として偲ばれます。 </p>
<h4>私の体も私の命も弥陀の現れ </h4>
<p>　拈華微笑の公案は、禅の世界の話ですが浄土門にとって無縁かといえば、決してそうではありません。私は、お釈迦様は阿弥陀様のお姿を花でお示しになったと解釈しています。阿弥陀様は、その名もいわれが示すように無量寿であり、無碍光です。無限の時間に生きられ、何者も遮ることがない無碍光としての存在です。それは別の言葉で言い表すなら、真如であり、真理であり、永遠です。すなわち、自ら私たちの目に映るすべては、阿弥陀無碍光如来のお姿を現れとしていただいている。私の体も、私の命も阿弥陀（真如）の現れです。だから、私の体も、私の命も、拝める気持ちになるんです。したがって、お釈迦様が私たちに向けられた蓮華を浄土門の私たちは、阿弥陀如来のお姿としてとらえていいのだと思います。</p>
<div class="imgRight">
<span><img style="WIDTH: 308px; HEIGHT: 209px" height="288" alt="" src="http://www.tibs.jp/lectures/img/143-8-1.jpg" width="384" /></span>風が渡りゆく　ススキ野原</div>
<p>　浄土真宗には、聞法という他宗派では見られないひとつの修行の方法があります。聞法とは、一般的には法を説く。その法を聴聞することです。真宗の勉強の原点といっていいでしょう。真宗には、元来禅宗のような坐禅をくむ修行はありません。ひたすら仏のお示しになった真理。それを説く言葉を聞く。これがすべての始まりです。けれども、私にはこれは、現在の浄土真宗の枠に押し込めた狭い解釈のように思われます。</p>
<p>　金色の蓮華が阿弥陀如来であるように、名もない道端の草花、木々そして虫、蛇、蝶々、小鳥。そればかりではなく空の青さ、こずえの音、風、雪、雨。これらすべてが、如来の現れのはずです。その道端の草花、虫、蛇、小鳥、こずえを渡る風のささやき。これが、語る何か。それに、耳を傾けること。これが、聞法であり、聴聞だと私は思うのです。これが、語る何かとは、阿弥陀様の法を説かれる声、救いを約束していただく声のことです。ですから、木の葉一枚でも、萌えいずる若葉もうれしい。</p>
<div class="imgRight">
<span><img style="WIDTH: 161px; HEIGHT: 123px" height="210" alt="" src="http://www.tibs.jp/lectures/img/143-8-2.JPG" width="258" /></span>雪と寒つばき</div>
<p>青葉の姿も美しい。秋の紅葉もありがたい。落ちてゆく枯れ葉の姿も素晴らしい。そして、厳冬の雪にうずもれた野山に立つ裸木。―これも阿弥陀如来の私たちにお示しになっているお姿のはずです。ツバキの花は、生け花の世界では、忌み嫌われてきました。それは、人間の勝手な思惑。打ち首の姿を連想させるという我執の目で見ての意味です。しかし、花瓶に挿したツバキが四～五日たってぽとりと落ちる。その瞬間の姿にも阿弥陀如来の現れ、姿が見られるのです。</p>
<h4>&nbsp;死ぬることがあるのが幸せ </h4>
<p>　浄土真宗にはまた、善知識という他の宗派にはない特別の意味合いを込めた言葉があります。知識とは、仏法のいわれを知っていること。だから、善知識は、先生という意味になります。浄土真宗では、さらに転じて法主、門主を指します。善知識を教える、教えられるという関係の身分や立場でとらえるのは、いかにも狭隘です。虫も、花も、空の青さも阿弥陀如来の現れであるなら、虫は善知識なのだと私は思います。花も善知識。花が枯れていく姿も善知識です。私は百年前に夭折された金子みすずさんの詩集を愛読していますが、金子みすずさんが見た金魚も、海の底のイワシも、善知識なのです。金子さんが金魚の夢を、私に食べられてしまうイワシの命に思いをやる時、みすずさんは善知識に聴聞しています。私は、そのように詩を解釈しました。そうでなければ、現代人の心をこんなに打つわけがありません。</p>
<p>　昭和五十九年に私の母が、八十四歳で亡くなりました。亡くなった前々夜、私は母の部屋に自分の布団を運び入れ母の寝床に並べて一夜添い寝をし、下のものも取り替えるたびに母の苦労をしのび自らの不孝を詫びました。母は、明治三十二年に函館市に生まれ父に嫁いで岐阜市に落ち着きました。幼いころの母の思い出は、いつも針仕事をしている姿と一緒にあります。小学四年生のころ、どういう理由からか、またどういう衝動からか、針仕事をしている母に、「人間は何のために生きているのか」、「人間の幸せって何なのか」そんな意味のことを聞きました。縫い物の手をちょっと止めると母は、こんな返事をしました。「人間にはねえ、死ぬるということがあるのが幸せなのよ。」思いもしない言葉でした。死という言葉にわたしは、たじろいだのでしょうし、それにどういう言葉を返したらよいかを知らずただ、母の次の言葉を待ちました。母は、わずかに顔を上げると眼鏡ごしに私を見上げ、ほほ笑みをたたえた顔を一～二度うなずく様子で静かに振り、また黙々と針の手を動かし始めました。その時、「なぜ」、「どうして」と聞き返さなかったことが、今も残念で仕方ありません。</p>
<p>　ある時、榎本栄一さんの『いのち萌えいずるままに　念仏者の自己発見』を読んでいると榎本さんの｢死｣と題する詩にゆきあたり、どきりとしました。 </p>
<p>　<strong>私に死がくるのは　</strong></p>
<p><strong>　娑婆何十年を浮き沈みしながら</strong></p>
<p><strong>　よく働いてくれましたと　</strong></p>
<p><strong>　如来さまからのご褒美 </strong></p>
<p>　母は、詩を作るということはしませんでした。けれど、この詩がまるで母が作ったように思えたからです。そういうと、榎本さんに大変、失礼にあたります。しかし、何かしきりに気になり、あれこれの空想をしました。そして、ふと思い当たったのです。榎本さんの詩の最後に「死ぬるということがあるのが幸せ」と母の言葉を続けていました。</p>
<p>　私たちは、いつも我を張って毎日を生きています。けれども、八十年も九十年も生きるとちょうど路傍のお地蔵さんのような同じ姿、心のたたずまいになっていくようです。それを幸せと思うかどうかは、その人の心の一つのように思えるのですがどうでしょうか。</p>
<h4>&nbsp;死の鏡に照らして我が生を見る</h4>
<p>&nbsp;人は、執行未定の死刑囚としてこの世に生まれるんだといっては身も蓋もありませんが、実相はそうでしょう。いま少し抒情的にいえば火をともされた一本のろうそく。どこで火か消えるか分かりませんが、火が消えた。そこが寿命です。私のろうそくもせいぜい残り数年の長さでしょう。そこで、生死を超える生き方があるとすれば、たえず死の鏡に照らして我が生を見るということかと思います。榎本さんも母も、そういう言い方をしていないけれども、そういう生を生きたんだと私には思われます。 </p>
<h4>初心忘るべからず</h4>
<p>　平成七年の第八期生入塾式で鎌田茂雄先生（東大の名誉教授）に記念公演をしていただいた際のテーマは、「道を求める姿勢」でした。この講演で先生は、世阿弥を題材にされたわけですがそのお話をかいつまんででご紹介しましょう。</p>
<p>　世阿弥の大切な句は、有名な「初心忘るべからず」です。そして、二番目には「時々初心忘るべからず」です。この時々というのは、たまにというのではありません。その時、その時に。つまり、三十歳の時には、三十歳の時。五十歳の時には、五十歳の時の初心忘るべからずがあるというのです。そして、さらに「老後の初心忘るべからず」。この一句に鎌田先生は、こう解釈を加えられています。「特に重要なのは、年をとってからだというのです。年をとってから初心を忘れずに稽古をしていかなければいけないというのです。世阿弥の説明では、老後の初心忘るべからずとは、命に終わりあり、能には果てあるべからずというのです。この世阿弥がいっている能のところを仏教に置き換えてご覧なさい。仏教には、果てあるべからずとなります。」そして、世阿弥は最後に、老後の初心をなぜ起こすのかと問い。こう答えています。「老後の風体に似合うこと習うは、老後の初心なり」。こういうふうにいってるんです。深い言葉ですね。</p>
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<span><img height="168" alt="" src="http://www.tibs.jp/lectures/img/143-9.JPG" width="300" /></span>天山山脈－機上にて撮影</div>
<p>&nbsp;木の葉一枚でも、もえいずる若葉もうれしい。青葉の姿も美しい。秋の紅葉もありがたい。落ちゆく枯れ葉の姿も素晴らしい。厳冬の雪にうずまれた野山の裸木、これも阿弥陀如来の私たちにお示しになっているお姿のはずである。若葉も、青葉も、紅葉も、落ち葉も、その時その時の命を生きています。どの時期の木の葉が美しくて、どの時期の木の葉が穢いというものではないのです。青春は美しくて、老人は醜いというものでは決してありません。思えば今生きている道、生きていける道がそのまま死への道、死んでいける道となる。そうしたものを求めて、今日を生きる。そうした生き方を願わくば持ちたいものであります。（終）</p>
<h4></h4>]]>
        
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    <title>日本仏教史(第22期スクーリング講義録 [ダイジェスト版])</title>
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    <published>2009-06-20T13:25:07Z</published>
    <updated>2010-02-08T07:02:50Z</updated>

    <summary>古 代　仏教は、西暦五百年代、朝鮮半島から伝えられます。　聖徳太子は、仏教を世間...</summary>
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        <name>管理者</name>
        
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        <category term="西村　玲先生" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.tibs.jp/lectures/">
        <![CDATA[<h4>古 代</h4>　仏教は、西暦五百年代、朝鮮半島から伝えられます。<br /><br />　聖徳太子は、仏教を世間に広めることを重視し、山中で修行する一人の仏教ではなく、世俗に生きる仏教を重視したと考えられてまいりました。「十七条の憲法」の第一条の<b>「和をもって貴しとなす」</b>というのは、非常に有名ですけれど、ほかの文も素晴らしいものであり、第十条を一部ご紹介いたします。<b>「人、皆心あり。心おのおの執ることあり。かれ、是なれば、すなわちわれは非なり。われは必ずしもひじりにあらず。彼、必ずしも愚かにあらず。共にこれ、凡夫。ただ人のみ」</b>。わたしが聖人というわけでもないし、相手が愚かだということでもない。皆、ただの人であるから、一方的に相手を怒ったり責めたりするな。これは、俗人として生きた、太子の声として聞くことができるかと思っております。日本仏教の原点とされる聖徳太子は、<b>「われも人も、共にただ人のみ」</b>といったとされ、その太子が理想とされてきたことを、押さえておきたいと思います。<br /><br />　次に、奈良の六宗が盛んとなります。東大寺や阿修羅像で有名な興福寺が栄えるわけです。その奈良仏教に対し、新しい新興勢力として出てまいりますのが、最澄と空海であり、日本の仏教は、それまでのインド、中国、朝鮮と伝わってきた仏教とは異なる、独自のものになりました。<br /><br />　仏教の戒律には大乗戒と、小乗戒という２種類がございます。もともとインド以来、僧侶は、小乗戒を守ることを基本としておりました。例えば、男性僧侶ですと二百五十戒ありまして、日常生活が細かく規定されます。例えば、午後には液体しか口に入れてはいけない、という決まりがあります。大乗戒は、それに対して精神的な心構えとしての性格が強いものです。<br /><br />　それに対して、最澄は僧侶の戒を大乗戒のみに致します。以後その方法が、日本仏教の基本となり、戒の上では在家と出家の区別がなくなって、出家者であれ在家者であれ、悟りを開いて、仏になる道が開かれました。これは大変なことでありまして、日本仏教の性格を大きく規定しております。日本では、僧侶は大乗戒を基本として生活し、さらにより難しい段階として、人によって小乗戒を受けて守るという、ほかの国の仏教とは完全に逆転した形になりました。<br /><br />　最澄の言葉を見ておきたいと思います。<b>「国宝とは何ものぞ。その戒、広大にして、真俗一貫す。皆、これ在家の菩薩なり」</b>。「真」というのは出家のこと、「俗」というのは俗人のことですが、法華経の思想に基づくもので、聖と俗の区別を分けようとせず、むしろ世俗の中に聖なるものを見ていこうとする思想です。分かりやすくいえば、一種の普遍主義、平等主義かといえます。<br /><br />　最澄は、若いころに自分のことを、<b>「愚が中の極愚、狂が中の極狂、塵禿の有情、底下の最澄」</b>。と言っており、こういった自覚が、すべての者に仏になる道を開く思想につながったかと思われます。<br /><br />　後の鎌倉新仏教の祖師たちは、皆、この天台宗で学びまして、こういった平等主義、普遍主義的な態度が受け継がれます。世俗の中に入っていこうとする姿勢、これがはっきりと形になっていくわけです。しかし、僧侶として修行していく上ではどうなのか。気持ちだけでいいのであれば、現実の人間は、楽な方に流れるだけだというのは、動かしがたい真実かと思われるわけです。実際、日本仏教の歴史は、戒律という歯止めを失いまして、楽な方に流れていく歴史と見ることもできます。<br /><br />　戒律の問題でいえば、大乗戒のみというのを嫌い、進んで小乗戒を受け入れる、少数派のお坊さんもおりました。戒律の「律」に「僧」と書きまして、「律僧」というのですが、中世では叡尊をはじめとする真言律僧が橋を架けたり、らい病や非人の救済を行っておりますし、江戸時代でも、各宗で律僧が存在し、彼らの運動は続きました。律僧は、数は少ないんですけれども、思想的には日本仏教に大きな影響を及ぼしてまいりました。聖と俗、世俗と真理の関係が非常に近く重なっており、その間でバランスを取っていこうとするのが、日本仏教の大きな特徴です。<br /><br />　次に空海ですが、真言宗、真言密教の祖師として、日本に本格的な密教を入れた方であります。空海によって始まった密教は、平安時代に真言宗と天台宗の両方で、天台宗も入っていくわけですが、皇室や貴族の祈とうを行いまして、時代の主流となりました。空海の有名な言葉をご紹介します。<b>「生まれ、生まれ、生まれ、生まれて、生の始めに暗く。死に、死に、死に、死んで、死の終わりに暗し」</b>。『秘蔵宝鑰』という本の最初の部分ですけれども、何回も輪廻転生して、生まれ続け死に続けても、常にわれわれは、暗く迷い続けていくということで、われわれの存在をうがつ言葉であろうと思います。<br /><br /><h4>中 世</h4>　各宗の祖師をはじめとして、多くの宗教者が活躍する時代であります。古代の天皇および貴族による摂関政治から、鎌倉幕府の中世の武家政権へと大きく移り変わる時代です。社会体制が根本的に変わる中で、仏教もまた、人々の願いに応じて、変わってまいります。没落していく貴族の間では、仏教が滅びる末世、末法であると実感され、念仏が新しい祈りの形として唱えられ、一方では新しい勢力であります武士は、実践行である禅を求めてまいります。<br /><br />　新しい思想というのは、二つに分けられると思うんです。まずは仏教の原点に立ち返って、実践性を取り戻そうとする道。貞慶と明恵というのは奈良のお坊さんでありますが、戒律を守って、正しい仏法を回復しようとしました。栄西や道元により、中国から輸入されて確立していく、禅の方法があります。もう一つは、現実に応じて、新しいものを作っていこうとする道であり、法然や親鸞の念仏や、また日蓮の「南無妙法蓮華経」という唱題が生まれます。こうした伝統と革新の二つの流れが生まれて、絡み合って展開しつつ、日本の中世仏教が形成されていきます。<br /><br />　法然という人は、幼くして比叡山に入り約三十年後に、<b>「一心に阿弥陀仏の名前を唱える」</b>という文章に会って、宗教的な改心を得ます。あらゆる実践行、禅や戒律という困難な行に対して、ただ阿弥陀仏の名前を唱えることを選び取るということで、称名念仏を選択して、専ら修すること、誰でも念仏を唱えることにより、極楽に往生できるという信念に基づいて、法然は四十三歳で比叡山を下り、京都で念仏の布教を始めます。貴族から一文不知の尼入道まで広い支持を着々と得てまいります。<br /><br />　それまでの平安時代の仏教は、極楽への往生は、臨終の一念が正しくなければ、乱れたり病気でこん睡状態ではなくて、正しく阿弥陀仏にお願いしなければ、極楽には行けないとなっておりました。これに対して法然の主張、誰でもできること、口で唱える念仏によって極楽に往生できるという、法然の革新性は、革命的なものだったと思われます。法然が最後に残した文章は、<b>「ただ、往生極楽のためには、南無阿弥陀仏と申して、疑いなく往生するぞと思い取りて、申すほかには別の子細候わず。」</b>極楽往生するためには、南無阿弥陀仏と唱えるよりほかに別のことはない。念仏を信じる人は、ただひたすらに何も知らないものとして念仏すべきであるというものです。<br /><br />　法然の思想は、すべての人間が阿弥陀仏の慈悲によって、平等に救われるということと、人間はすべて罪深い凡夫であるという自覚に立っております。その点が決定的に新しく、それまでの比叡山や南都の仏教にとっては、異端でありました。例えば、世界史の近代におきまして、マルクス主義が持っておりました、革新性、革命性に似たものが、当時あったと思われます。功徳を積まなくても、密教の儀礼や何かをやらなくても誰であれ極楽に行けるというのは、非常に革新的なものでありました。こういう人間観と、念仏を唱えればいいという救済の方法は、その後の日本仏教の中心的な思想の一つになってまいります。法然教団は、社会的に非常に強いインパクトを与えまして広い支持を得ました。<br /><br />　法然の教えが広がっていく過程で、念仏を唱えていれば、どんな悪いことをしても、極楽に行けるんだという考える者が、生まれてまいります。専修念仏が一般化し、大衆化していく中で、阿弥陀仏以外の神仏の像を壊したり、犯罪を犯す者が出てまいります。戒律を守る僧侶を軽べつしたりするわけです。法然自身、それらの不心得な者たちへ再三注意しておりますけれども、そういった法然教団の行為が、旧仏教からの法然への批判と弾圧へつながってまいります。<br /><br />　旧仏教側で法然弾圧の先頭に立ちましたのは貞慶。南都、興福寺の高僧でした。貞慶は戒律復興を目指しまして、律僧になっているんですけれども、南都の興福寺から遁世した僧侶で、戒律運動を通して、社会的には念仏聖などの行者などにも影響を与えております。貞慶が法然を批判する理由は、それまでの秩序を乱すものであるということです。その結果、法然は四国に流され、八十歳になって京都に帰り亡くなりました。<br /><br />　貞慶の思想というのは、奈良の法相宗の唯識思想を基盤としております。貞慶のざんげする文章が残っております。<b>「発心修行の計、内と外と共にそむけり。悲しいかな、痛ましいかな。いたずらに暮らし、いたずらに明かす」</b>。自分には、あまりにも仏道を実践する能力がない。朝も、昼も、夜も怠けてばかりいるし、門前にこじきが来れば、慈悲の心もなく嫌だと思うし、犬や、スズメにも哀れみを感じない。とても自分には修行ができない。ここまでは、法然や、親鸞によく似ておりますが、これ以後が違います。法然や、親鸞でしたら、「わたしは凡夫であるから自力ではどうしようもない。阿弥陀仏の慈悲を信じて念仏をする」といくのだと思いますけれども、貞慶は<b>「あくまでも修行を自分でしようとする心を、起こさせてください」</b>というふうに神仏に祈ります。<br /><br />　貞慶も法然も、実際には厳しい戒律を守って、大変な学問をした人たちですので、彼らのこういった弁は、事実というよりも、当時のトップレベルの宗教者の矜持として、彼らの自己反省の弁として、受け止めなくてはいけないかと思います。その上で、他力と自力の違いといいますか、最後の踏み切りの違いが面白いところです。<br /><br />　自力のコースを歩もうとする貞慶の真摯さは、われわれにも、非常に共感できるものと思うのですが、鎌倉仏教の南都側、旧仏教を代表する雄であると思います。新仏教と、旧仏教の違い、さらに日本仏教における各宗の違いというのは、単なる教え、言葉の違いではございません、人間の類型の違いでもあるのです。<br /><br />　第二期の明恵になりますと、もっと思想的なことが前面に出てまいります。明恵は、実際の修行には、口で唱えるという、法然流の実践行の方法を取り入れて、工夫してまいります。法然や親鸞の新しい思想が、明恵に修行への内面的な影響を及ぼす段階にまで及んでいるわけです。このように新仏教の影響を受けつつ、旧仏教の側も、本格的に変化してまいります。<br /><br />　次に、曹洞宗を開いた道元ですが、有名な言葉で<b>「修証一如」</b>といわれます。「修行、座禅がそのまま悟りである」。ひたすら座禅することが求められます。悟りを目的として修行する、座禅するのではないということで、純粋な禅というふうにいわれてまいりました。<b>「かくのごとく道を求むる志、切になりなば、あるいは只管打座のとき、もしくは知識に会わんとき、実の志を持って行ずるとき、高くとも射つべく、深くとも釣りぬべし。／誰人か初心より利なる。必ずすべからく、これ、琢磨し錬磨すべし。自ら卑下して、学道をゆるくすることなかれ」</b>。ここに、道元の修行への姿勢が、よく出ているかと思います。<br /><br />　日蓮は、法華経信仰をもとに現実の社会に積極的にかかわった祖師であります。元寇の前後、北条時頼に<b>「法華経を信仰しないから、天災が起こって、元が攻めてくるんだ」</b>と予言をし、伊豆に流されております。日本の仏教者の中でも、社会へかかわっていこうとする、日蓮の積極性は、非常にまれなものであり、後世に大きな影響を及ぼしています。<br /><br />　<b>「我れ日本の柱とならん」</b>。日本の柱というところからとって国柱会を田中智學がつくり、石原莞爾、宮沢賢治、北原白秋も、かかわりがあったとされておりますが、現実の社会を良くしていこうとする意志と姿勢が日蓮の思想の特徴です。戦後に生まれた新宗教系でも、日蓮系は群を抜いて多いですし、日蓮の現実にかかわろうとする熱い意思は、今も生きているかと思われます。<br /><br />　中世後期には、室町幕府と関わりの深い臨済宗の禅が盛んとなります。戦国時代に入りまして、思想的には、あまり発展がみられないとされております。しかし、大きな地殻変動が起こります。曹洞宗や浄土真宗は、九州や関東、東北といった地方に布教し教宣を拡大しました。例えば、浄土真宗の蓮如は、寂れていた本願寺を復興し、北陸を中心に一代で大きな勢力に育て上げました。蓮如がつくった教団は、一向一揆となりまして加賀の国を支配し、織田信長と敵対するに至ります。<br /><br />　浄土教団も禅教団も、武士と庶民をおさえて、勢力を拡大し、旧仏教と新仏教の勢力は完全に逆転いたしました。それまでの天皇家や貴族、中央の武家政権から、地方の戦国大名へと権力が移る時代、いわゆる下克上の時代に伴う、必然的な宗教構造の変化であったと思われます。<br /><br /><h4>近 世</h4>　一向一揆をはじめとする仏教勢力は、信長や家康という、権力者によって軍事的に打ち負かされ、近世の政治体制を支える役割を担っていきます。今でいう檀家制度です。今の我々は、檀家制度は特定の寺の僧侶がその寺の檀家のお葬式を行うというふうに思っておりますが、当時は、行政的な戸籍制度であり、民衆一人一人がキリスト教徒ではないことを証明する制度でありました。近世以前から、寺に民衆が葬式をやってもらうという関係は、部分的にはあったのですが、全国的な制度として、全国津々浦々にまで行きわたるのは、キリスト教禁止をきっかけとした近世の初期であります。<br /><br />　江戸の時代は、葬式仏教が確立するに伴い、仏教が堕落した時代であったと思われています。この堕落論が出てくる背景としては、明治以降に非常に急速な近代化が求められる中で、その直前の時代である江戸時代を否定しなくてはいけないという、時代的な状況がありました。また実際に、仏教が全国に広がって大衆化し、普遍化していく中で、いわゆる堕落も出てまいります。<br /><br />　中世から近世への転換には、キリスト教の伝来がありました。近世の仏教は、キリスト教や儒教といった、異なる思想と対決し、交流しながら、仏教自身の独自性を模索し、形成していきます。<br /><br />　この時代に入ってくるキリスト教、ローマ・カトリックのイエズス会は、中国でも同時期に伝道しております。唯一絶対のキリスト教の神様への信仰と、孝の思想に基づく祖先祭祀が相いれない、キリスト教においては許されないという清朝皇帝とローマ教皇とのやりとりがあり、一七〇〇年代半ばにキリスト教の宣教師は、公的に追放されるに至ります。<br /><br />　日本では、いわゆる島原の乱、宗教としてのキリスト教が、政治的に現実の力を持ちます。キリスト教は一向一揆と、ほぼ同じような性格になっていきまして、徹底的に弾圧されて、絶対禁止されることになります。キリスト教の思想は、中国では儒教、日本では仏教を相手に対決することになりました。その結果、肝心の一神教は受け入れられませんでしたけれども、彼らのもたらした西洋科学、主に、鉄砲・大砲と暦が歓迎されました。中国では正確な暦がよろこばれ、宣教師が大砲の技術者として歓迎されるという皮肉な結果になっております。<br /><br />　西洋科学というのが、キリスト教の宣教師が持ってきたものなんですが、仏教の宇宙像、世界観というのがあります。それをめぐって、地動説、アリストテレス天文学と論争になります。<br /><br /><div class="imgCenter"><span><img src="http://www.tibs.jp/lectures/img/nisimura02_1.jpg" alt="仏教の宇宙像" height="233" width="407" /></span></div>
        
    
  
<br />　この絵が、仏教の宇宙像であります、須弥山世界といわれるものであります。平らな大地が真ん中に、想像を絶する高さの須弥山という山がそびえております。太陽と月が山の半分ぐらいの高さです。その周りを、山脈が取り囲みまして、周りの円盤上に、人間の世界と書いてありますが、その南側の大陸にわれわれが住んでいるのだというものです。<br /><br />　その下に、水や風の土台があることになっていますが、この須弥山世界は、インド大陸がモデルになったものです。この須弥山がヒマラヤ山脈でありまして、人間の世界があるのが、南側の三角形であり、インド亜大陸の形をしています。これが、古代インドの仏教の世界観であります。つまり、大地は平たいことになります。<br /><br />　日本の江戸時代におきまして、一七三〇年に、キリスト教宣教師のもたらしました西洋天文学の本が中国から輸入されて、出版されます。これによりまして、アリストテレスの天文学と大地が丸いという概念、いわゆる地球の考え方が輸入され、江戸時代を通じてベストセラーになります。儒教の学者たちが仏教を批判する中で、西洋天文学の地球説によって須弥山世界を批判しはじめます。それに対して、仏教側が応じまして、いわゆる須弥山説論争っていうのが始まり、これが近代の明治時代まで続いております。<br /><br />　一七〇〇年代の大阪の学者、五井蘭州や当時の大商人といった世俗の知識人にとりましては、仏教の須弥山説は、仏教側の愚かさを実証するものでありました。また彼らと同時代を生きる僧侶たちにとりまして、世俗の知識人による須弥山説への批判は、僧侶たち自身が抱く疑問でもあって、仏教の意義を問う、痛切な問いでありました。<br /><br />　須弥山説への批判に対して、普寂という律僧が最初に批判に答えております。律僧として、座禅や戒律を行っており、最終的には芝の浄土宗の増上寺の講師になるんですけれども、三十代に諸国を遍歴している間に、突如として、三つの疑問を抱いたというんです。<b>「現実に須弥山が存在するのかどうか。」「大乗仏教は、本当に釈迦の説であるか。」「輪廻することは本当なのか。」</b>というものです。<br /><br />　普寂は、この疑問を解くには、自分の心を悟るしかないのだとしまして、曹洞宗の修行寺、加賀の大乗寺に座禅の修行に参ります。その後、一人で悟り、疑問は解決されたといいます。この五十年後、七十歳の折に、須弥山説批判に答える本を書きます。この本『天文辨惑』が、その後、近代仏教へと影響を及ぼすものであります。<br /><br />　その内容は、地動説を説く西洋天文学は、非常に素晴らしい学問であると、普寂は認めるんです。しかし、天文学のような、西洋科学のような世俗の知恵では、この現実世界の真相は分からず、この苦しみの世界から出られないというふうに批判いたします。普寂は、天文学という西洋科学は、便所に落ちた者が、出ることを考えないまま、穴の大きさを測り続け、穴の広さは分かっても、決して出られないようなものだと辛辣に述べております。<br /><br />　仏教においては現実世界は、いわば原子・分子の集合体であり、すべて無常であって永遠不変のものはないというのが、結論です。これは、仏教において、まさに正統的な見方であります。一方で、須弥山世界は、聖者の瞑想の中に、映像として現れたものであるといたします。仏教の須弥山説及び世界像は、聖者の瞑想中に現されたものであって、彼が瞑想し、悟ったときの体験によっております。　また、仏教の世界像が瞑想中の映像であるというのは、華厳経をはじめとする経典に書いてあることでもあります。こういった、自分の体験と、経論からそういった結論に至るわけです。仏教者が現実世界について論争することは、虚空の花の形や色について言い争うようなもので、まったく無意味であるとされます。<br /><br />　また、富永仲基と並んで普寂の大乗仏説論は、現代の日本の大乗仏教観の直接の根拠になっております。つまり、近代から現代にかけての日本仏教は、江戸時代から延々と獲得されてまいりました思想的な水脈上にあるものです。近世の仏教は、思想的にも制度的にも、近代以後の日本仏教の土台であると同時に、現代のわたしたちの宗教と倫理の基礎を形作った思想の一つであります。日本仏教を、わたしたち自身の思想として考えるために、江戸の仏教は、欠かすことのできない歴史的位置にあり、大きな手掛かりを与えてくれるものです。<br /><br /><h4>近 代</h4>　明治近代は、廃仏棄釈と神仏分離により、幕を開けました。仏教にとってみれば、これは、日本で大規模に行われた、唯一の仏教弾圧政策です。明治政府は、日本が植民地になるのを避けたい訳で、国民意識の一体化を図るためには、インド起源の仏教よりは日本を起源とする神道の方が望ましいわけです。それまでの仏教の退廃は、目に余るものがあり、幕府の高官や知識人は、仏教をほとんど憎んでおりました。そういうわけで、廃仏棄釈が起こったのですけれども、神道一本でいこうという政策にはあまりに無理がありまして、民衆に受け入れられずに、結局すぐに挫折いたします。<br /><br /><div class="imgRight"><span><img src="http://www.tibs.jp/lectures/img/nisimura02_2.jpg" alt="熱心に講義を聞く受講生" height="160" width="215" /></span></div>
        
    
  
　しかし、その後の日本の宗教政策は、長い目で見れば敗戦に至るまで、大日本帝国のイデオロギーである国家神道に収斂されていきます。その中で、仏教思想はなんとか近代化についていくべく、国家との関係を模索してまいります。それは仏教にとって、さらなる世俗化の道でもありました。<br /><br />　その端的な例が近代から始まった、肉食妻帯です。もともと戒律をさほど重視するわけではない日本仏教では、ほかの国の仏教に比べれば、妻帯をさほどタブー視はされてきませんでした。浄土真宗では、僧にあらず、俗にあらずといった親鸞から始まって、妻帯が普通でありました。とはいえ、ほかの宗派では、厳しく禁止されておりまして、江戸時代に女性と関係を持った僧侶は、見つかり次第、日本橋でさらし者になり、島流しにされております。逆にいえば、江戸時代の肉食妻帯の禁止は、世俗社会とは厳密に区別される僧侶、世俗社会の外にある身分の証明でもあったわけです。<br /><br />　近代に入りまして、僧侶は、兵隊にも取られる一般人と同じ身分になります。世俗社会の外にある身分ではなくなったわけです。お坊さんは、僧侶である前に、まずは国民の一人になりました。明治政府が妻帯を禁止する理由はないわけです。むしろ、僧侶には普通の人と同じになってもらわないと困ります。明治維新から五年後に、僧侶の妻帯を許可する法律が出されます。これ以後は、僧侶は肉食妻帯するのは自由であるし、袈裟や衣だけではなく、普通の服を着ていいよというわけです。<br /><br />　以後の日本仏教は、ご存じのように、妻帯の道を選んでおります。肉食妻帯は、よく日本仏教の堕落のようにいわれますけれども、歴史的にみると、仏教が日本で近代化していく過程の一つとして、ある意味で必然的なことでありまして、倫理的に良いか悪いかということは、また別の問題であります。<br /><br />　今のわれわれの考える、鎌倉新仏教や祖師のイメージというのも、明治時代になって、出てきた部分があります。例えば、有名な言葉、<b>「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」</b>という親鸞の言葉とされております『歎異抄』の一節です。この『歎異抄』は、蓮如が禁書として、読んではいけないと禁止しまして、ずっと読まれてまいりませんでした。江戸時代に、ごく一部の学僧の間で講義されたことはありますけれども、一般人が読めるものではありませんでした。明治末期のころ、清沢満之が見つけて倉田百三などを経て、広まったものです。また曹洞宗の『修証義』という、在家のための短い本ですが、道元の『正法眼蔵』の中からのダイジェスト版です。例えば、<b>「我らが行持によりて諸仏の行持見成し、諸仏の大道通達するなり」</b>という言葉、これは、われわれの日常生活及びその行いによって、諸仏の教えがそのまま開かれていくのだという意味になりますが、これも非常に長い『正法眼蔵』の中から、明治中期に選ばれた言葉です。<br /><br /><h4>おわりに</h4>　普遍的な宗教が、現実の中で、どういうふうに人を支えて生き延びていくかというのは、非常に難しい問題であります。その中で、キリスト教、イスラム教、いろいろあるわけですけれども、日本の仏教の特徴としましては、やはり、人に寄り添う姿勢、人の生きる現実を重視して、その生活に寄り添うという、その優しさにあるように思っております。<br /><br />　江戸時代に問題になりました、須弥山説や大乗非仏説なども、原理主義的に頑張れば頑張ってしまえることだったと思うんです。原理的な潔癖さというのは、信仰の問題としては尊いものだと思いますけれども、現実に人を幸せにするにはどうなのかと思います。日本の仏教は、江戸時代から数百年をかけて、近代的な価値観を受け入れて仏教的価値観に昇華させながら、世俗を生きる人々を支える道を選んでまいりました。そういった意味では、聖徳太子や最澄のいった、真俗一貫の道は、紆余曲折しながらも、ずっとつながって、日本人を支えてきたのではないかと思っております。<br /><br /><div align="center">＝　終わり　＝ </div>]]>
        
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    <title>悲嘆の癒し対象喪失と知恵慈悲の支え（第22期スクーリング）</title>
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    <published>2009-06-20T11:45:18Z</published>
    <updated>2010-06-02T00:18:39Z</updated>

    <summary>死別によって起きる悲嘆の現象　わたしたちは愛する者と死別したときに、どういう症状...</summary>
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        <name>管理者</name>
        
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        <category term="中野東禅先生" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<h4>死別によって起きる悲嘆の現象</h4>　わたしたちは愛する者と死別したときに、どういう症状が起きるのか。愛する者に死に別れたときの、現代の日本の大きなテーマは千の風。「わたしのお墓の前で泣かないでください。そこにわたしはいません。朝は、小鳥のさえずりとなる、夕べは星の瞬きとなってあなたを見ています」。「インディアンの詩にあった」という説と、「ドイツから亡命したユダヤ人の娘さんが、残してきたお母さんの死んだのを知って、書いた詩だ」という説とありますが、それを新井満さんが訳して、東京目黒の浄土宗の坊さんのところで新井満さんが自分でギター弾いて、仲間がピアノなんかやって、ＣＤを五十枚作って、仲間に配ったのは五年ぐらい前。そのときの一枚をわたしはもらって、すごくいい詩だなと思ったんですけど、その三年後ぐらいに、家内が突然死して、それで新井満さんのあれを聞いたら、えらい感動しました。あれで救われた。<br /><br />　秋川さんが歌った後はたちまち百万枚以上。「わたしのお墓の前で泣かないでください」っていうのは癒やしの問題なんです。あなたが思い出してくれたらいつでもそばにいますよっていう詩です。お墓を否定してるんじゃない。あなたが思い出してくれたら、わたしはいつでもあなたのそばにいますというメッセージなんです。<br /><br />　死別の次どんな症状が起きるか。一番、<b>「怒り」</b>。運命に対する怒り。あるいは事情に対する、医者がどうだった、救急車があの時こうだったとか、そういう怒り。<br /><br />　二番目が<b>「不信感」</b>。何かこうふわふわして、確信を持てない。自分もすぐ死ぬような気がする。わたしも家内が地下鉄の駅で倒れたときに、真っ先に思ったのが「なぜだ」ですね。そのときに気が付いたのは、本人が一番疑問に思ってるんだから、「なぜだ」っていう問いは本人を苦しめることではないか。「なぜだ」っていう問いをやめようと腹を決めた。若い女の刑事さんがそれを賛成してくれましたね。<br /><br />　三番目に<b>「自責の念」</b>。「あのときこうすれば」「あのとき、わたしがこうなったもんだから」っていうことで自分を責める。これが多くの場合、かなりの方が背負います。ところががんであるとか、何かの手違い、交通事故。これは自責の念が出てくるんです。<br /><br />　四番目が<b>「不安」</b>。自分も同じように死ぬっていう不安です。これはほとんどの研究書には書いてあります。わたしもそうでした。最初のころは特にそうでした。<br /><br />　五番目が<b>「孤独感」</b>。それはもうほとんど、孤独感って家族がいても孤独になるんです。しゃべりたくない。だからお葬式のときだとか、お葬式の前後に若い子供たちや孫たちがワーワーしててもおばあちゃん、自分の部屋から出てこないとか。孤独感なんです。「来たらいいのに」とかって言っちゃいけないんです。そっとしておいてあげなきゃいけない。<br /><br />　それから<b>「疲労感」</b>。とにかく疲れます。やたらだるいんです。唐突な悲しみっていうことはよく言われます。突然「うっ」とこうなるんですね。頭では分かってて、普通にみんなと話ししていても、何かのきっかけで涙が止められないとか。<br /><br />　それから<b>「無力感」</b>。何もしてやれなかったというようなことですね。それから<b>「開放感」</b>。ほっとするというのがあるんですよ。特に長患いをした人、覚悟した人はほっとします。ほっとすると自分を責めるんです。きのうも手紙が来まして、その方は手紙の中で、ご主人ががんが見つかって本人に言わないで半年ぐらい、お亡くなりになるんだけど、結局そこで最後は自宅療養、在宅ホスピスにしよう。開業医が中心になってくれて。自宅でも何日もいられなかったらしいんですけどもね、とにかく自宅に来てから、用事がない限り、ベッドのところに座って、夫婦で、たくさん話したそうですよ。そういう中ですっと亡くなったらしいんですけど、その日から自分は悲しみが感じられなくて、やるべきことやって、お父さんいいとこ行ったに違いないっていうそういう安心感を得た。わたしは悪い女ですって書いてあるんですよ。それが開放感と負い目なんです。開放感持つと同時にやるべきことやったっていう、看護すべきことはやったっていう開放感と同時にほっとすると。わたしは悪い女かしらって、負い目と両方持ってたりするんですが、そこで<b>「安堵感」</b>。その安堵感がまた負い目を作ってる。<br /><br />　それから<b>「無感覚」</b>。これは非常に大事なことです。<b>「空腹感」</b>。やたらおなかがすきます。それからストレスですね。これでやたらお菓子食べたりしますね。胸が苦しい。心臓がやっぱりストレスを受けてるんだと思いますね。<b>「のどが硬くなった」</b>ような感じをする。だからよくせきをします。死別悲嘆の人はせきをする。お葬式なんか行ってね、よく遺族がせきをしたりするのはその一つの症状かもしれません。<br /><br />　<b>「音に敏感」</b>になる。夜中に何かさーっと音がしたりすると、お父さん帰ってきたのかしらとかね。<br /><br />　それから<b>「呼吸が弱く」</b>、息苦しい。腹筋に力が入らないから、腹式呼吸ができなくなるんですよ。緊張しちゃってますからね。そのために呼吸が浅くなるんです。<br /><br />　<b>「力が入らない」</b>。さっきの疲労感がありますからね。<br /><br />　<b>「元気が出ない」</b>。やる気が出てこないっていうことですよ。目的意識を持てないんです。だから買い物なんかに行っても何となくふらふらしだした感じがするんです。自分が自分でないような、何となくふわふわしてて、ちょっと集中力がないっていうことです。<br /><br />　<b>「のどが渇く」</b>。のどっていうのはすごくストレスを受けるらしいんです。<br /><br />　月日がたつと、今度は悲しみから<b>「亡くなった人を慕う」</b>ような感情になってくるという意味です。ここまで来ると、もう悲嘆がかなり薄れたというふうに言うんです。<br /><br />　こういうようなことは、死別悲嘆の症状として言われるので、これだけ知ってるだけでも、家族や友達にこういうことが起こったときにサポートできる、目線ができますから。ですから仏教でいう大事なことは、慈悲ということ言うでしょ。他人の気持ちに対する思いやりのことが慈です。悲っていうのは他人の痛みに共感する力です。その慈悲っていうのは死別悲嘆の人にとってはとっても大事なんです。相手が分かって、見ていてくれる。黙って見ていてくれて、必要なときに必要なことと言ってくれるけど、それ以上のことは言わない。ですから慈悲の実践っていうのはこういうときにはすごく重要なことですね。<br /><br />　一番大事なことは、死者はどこにいるのかっていう問題です。<b>死者の居場所</b>というものをちゃんと作ること。柏木哲夫、大阪の淀川キリスト教病院ホスピスを作った人です。その人と対談したとき、アメリカで日本人の女性がアメリカ人の男性と結婚した人。そういう日本人社会で付き合っていて、配偶者などに死なれた後の態度にどうもいくつかの違いがあると。そのキーワードは<b>「写真」</b>であるということに気が付いた。亡き人の写真を飾ってる人と飾っていない人がいる。日本人は飾る文化、皆さんご自宅にあるでしょ。あの文化があるから日本人は亡くなった人の写真をどっかに飾り窓に置いてあったり、いろんな形でやってますよ。ところが、アメリカ人の文化に合わせて、亡くなった人の写真を置かない日本人女性がいる。写真を飾ってる人にはうつが少ない。写真を飾らない人のほうがうつが多いという結論が出ている、ということを柏木先生が教えてくれたのです。死者の居場所は心でしかないでしょ。だから家内はいつもわたしの背広の内ポケットにいますって写真出す人もいるし、お墓にいるとも言うし、交通事故で亡くなったら、亡くなった場所。<br /><br />　その死者の居場所っていうことが悲しみの悲嘆の上で非常に大事なんです。あなたが思い出してくれたらいつでもあなたのそばにいますっていうのは死者の居場所を言ってるんです。癒やしの中でとても重要な死者の居場所を持つこと。<br /><br />
<h4>死別体験者の対処行動（Ａ・デーケンより）</h4>　[1]<b>「亡くなった人について話すことを避ける」</b>。これは、かなり続きます。聞いてほしい、話したい。特に家族は話したい。ところが他人から聞かれると自分の気持ちが整理ついてないから、触れてほしくない。気にはしてほしいけど、具体的に聞いてほしくないっていう部分があるんですよ。<br /><br />　[2]<b>「仕事や学業にまい進する。」</b>　つまり気を紛らわすんですよ。だから危ないんです。<br /><br />　[3]<b>「現実を忘れる手段として薬物、飲酒、飲食。やたら食べる人。」</b>　女性はこれが結構あるんですよ。ストレスがたまると食べる人。<br /><br />　[4]<b>「死亡の細部にこだわる。」　</b>だから人には話したくないんだけど、もし聞いてくれたときに、あの時こういうふうで、こうだったから、それでもって救急車が遅れてとかね、その細かいことにこだわるんです、当事者は。「親切にお亡くなりになったそうで大変でしたね」って、こう親切に声をかけてくれると細かいこと言い出すんですよ。すると相手嫌になっちゃうね。細部にこだわる。自分の家族の死別の時に起こるんですよ。やたら細かいことにこだわっちゃうんです。<br /><br />　[5]<b>「家を売るとか引っ越す、あるいは新たな関係に加わるなどといった重大な決断を下す」</b>。これが危ないんですよ。家族に死なれたときに、思い切っちまうんですよ。だからローンを組むようなことはとにかく避けなさい、死別悲嘆のときとがんになったとき。とにかくがん告知が必要だってことは、事業をやってる人なんかにローンを組むな、借金するなってことを言うためにがん告知は必要なんです。ところが人間、開き直ってしまうんですよ、家族に死なれたりすると。そのとき非常に危ない。<br /><br />　[6]<b>「罪責感ないしはその救済のためのはけ口として祈りを志す」</b>、というのは霊感商法に引っ掛かるんです。<br /><br />　[7]<b>「孤独と絶望からの救いのために他の人々との接触を求める」</b>。だから変な人のところへ友達ができちゃったり、変な彼氏や彼女ができちゃったりということが起こったりするんです。<br />　このような対処行動は慎重に用いられ、極端でなければ適応的なものであるが、過剰に用いられると、混乱と病的悲嘆に陥ることがある。<br /><br />
<h4>死別体験者の情緒的症状</h4>　キューブラー・ロスというアメリカの女性の心理学者が、がん患者数百人見取ったノートから発見したのが死を受け入れる「五段階」というものを発表したのは、今から四十年近く前。これが近代ホスピスができた後、発表されたんで、がんの死に直面した人や、こういう問題を臨床的に把握することが可能になったんです。<br /><br />　（一）<b>「否認」</b>というのは、うそだってことです。事実を認めたくないっていう意味なんですよ。<br /><br />　（二）<b>「悲しみと抑うつ感」</b>。うつのことですね。愛する人を失って悲しむことは誰でも予想できるし、おそらく抑圧的になることも予想できると。典型的な悲しみと臨床的うつ病とを区別するのは難しい。心底悲しいのと、うつになってるのは、そこのところはあいまいになるから判断が難しいんです。根強い死への願望。遺族の中に自殺願望が出てくるとそういうことです。<br /><br />　（三）<b>「罪責感と怒り」</b>。これは死別体験者が亡くなった人に対して矛盾した関係を持っていた。つまりトラブルがあったんです。夫婦が離婚しようとか、亭主に女ができてとか、遺産相続でどうだとかいうような問題があって、そういう中で死別した。配偶者と死別したとかという。罪意識とは、日本人では負い目と言いますけれども。この負い目は大きな問題になるんです。ですから負い目の少ない死に方をすることが非常に大事です。だから日常の努力が非常に大事なんです。夫婦の関係とか看護とかですね。そこに負い目があると後々うつなどの病気のもとになる。<br /><br />　（四）<b>「安堵の感情」</b>。やれやれと。特に長患いした人の場合、この問題があります。<br /><br />　（五）<b>「亡くなった人の思いに取り付かれる」</b>。町の中で見知らぬ人を亡くなった人と見間違える。これは必ず起こると言います。それからまた夢枕とかそういうこと起こる。これは異常ではないってことです。ごく普通の悲嘆の症状。<br /><br />
<h4>死別による悲嘆プロセス四つの課題</h4>　[1]<b>「喪失」</b>。対象喪失と言います。「対象喪失」という本があります。中央公論新書。対象というのは愛の対象。妻とか夫とか。もう一つ、自分の体を失う。例えばがんで乳房を取る、ぼうこうを取る、抗がん剤で髪の毛が抜ける、これみんな対象喪失です。ペットに死なれるのも対象喪失です。それから受験で失敗するのも。失恋も愛の対象喪失です。つまり失った経験はすべて対象喪失と言います。その世界中の研究を素人に分かりやすいようにした新書なんです。小此木啓吾、慶応大学の先生。日本人で最初に対象喪失を研究した人です。お医者さん、看護婦さん、医療に関係する人、それから坊さん、葬儀屋さん、そういう人たちはぜひ読んでほしい本なんです。<br /><br />　この喪失っていうのは対象喪失のことを言ってます。喪失の現実を否定したい気持ちになる。喪失の現実を受け入れるには時間が必要だ。葬儀のような儀式は遺族が喪失の現実を徐々に受け入れる助けになる。儀礼というのはすごく大事なんです。ごく原則的な儀礼は必要です。「おくりびと」、まさに死者をどのように大事にしてあの世に送っていくかという一つの場面ですけども、それをとおして遺族が安心して納得し、喪失を受け入れるという問題なんです。<br /><br />　[2]<b>「悲嘆の悲しみを乗り切ること」</b>。そこで、例えば、涙を見してはいけないとかなんとかっていうけど、泣くときには泣かなきゃいけない。<br /><br />　（避けたい言葉）「すべて忘れてしまいなさい。」「いずれにしても、お子さんは異常だったんですねえ。」「お子さんは、天使になって天国にいるから大丈夫です。」「早く元気になってください。」「またお子さんができますよ。」「頑張ってください。」「あなたが助かって良かった。」「くよくよしないしないで。」「これで良かったんです。」これらは絶対言ってほしくない言葉。忘れないってことは、とても大事な言葉です。<br /><br />　（励みになる言葉）「誰か必要な人を呼びましょうか。」「私にできることはありませんか。」「ほんとに大変でしたね。」「お気の毒なことでした。」こういう言葉が、すごく遺族を励まし、安心させてくれるということなのです。<br /><br />　[3]<b>「死者のいなくなった環境に適応すること」</b>。親せきの女性が「大丈夫よ、一人暮らしって、すぐ慣れるから。一人暮らしってこんなにいいものか、っていう時が来るから、それまで辛抱しなさい」。ほんとにそうでした。ですけどね、この死者のいなくなった環境に適応することね、慣れてくると、罪意識持つんですよ。でも、結局、一生懸命生きてきてやることは、家内に対する供養でもあるんですね。<br /><br />　[4]<b>「死者に向けていた感情を他に向け直し、新たな生活へ踏み出すこと」</b>。自分が自分の役割をすることは、亡くなった人に対する恩返し。こういう視点を持つことが、このスピリチュアル・ケア、霊的介護っていうんですけども、重要なことです。だから、役割を果たすってことです。孫たちのためとか子どもたちのためとか、その「ため」というのは、非常に死別を癒す。<br /><br />
<h4>死別に関し、人々が信じやすい（間違った）神話</h4>　[1]<b>「時間がすべて癒やす」</b>。それはあり得ない。時間によって、立ち直っていきます。けれど、一生涯覚えていたい。悲しみはずっと続くんです、記念日症候群といって、命日、結婚記念日、相手の誕生日、それから、夫婦で旅行した日とかね、そういう日に落ち込むんです。とても大事なこと。落ち込んでいいんです。そういうときにね、花一つ上げるとか、好きだった甘いもの、供えてみるとか。そういうこと、すごく大事なんです、時間がすべてを癒やすというのは、間違った神話です。一生覚えているのが一番大事なこと。<br /><br />　[2]<b>「悲嘆は、半年から一年くらい続くものである」</b>っていうことはない。一生続くんです。形は変わるんですよ、悲しみの形が変わる。<br /><br />　[3]<b>「喪失について考えないようにするほど、苦しみは少ない」</b>。それはあり得ない。それは、考え、賢くなんなきゃいけないんです。自問自答してる。だけどね、悲しいからといってね、若い人はほとんど聞く耳持ってないからね。本当に体験者は分かってくれるから、言葉は少なくても、こちらが、満足するんです。人に分かってもらおうなんて、思わん方がいいみたいですね。<br /><br />　[4]<b>「喪失に触れない方が、死別体験者を助ける」</b>などということはない。やっぱり、聞いてほしいんです。そうやってだんだん賢くなっていくんだから、聞いてほしいんです。<br /><br />　[5]<b>「怒りと罪責感は、異常な悲嘆反応の中でのみ生じる」</b>。つまり、怒りや罪意識、負い目は異常だという言うんですが、それは間違ってる。罪意識や負い目、怒りというのは、普通のことなんです。<br />　重要な仏教的視点では、がんの病名、告知を受けた病人とか、死別したとかは、仏教の場合は「如実知見」とう言葉がキーワードです。「事実を事実のままに受け入れる力」ということです。「如実」ってのは「事実のまま」。事実を見るしかない。これが非常に重要な問題解決方法です。<br /><br />　そして同時に、仏教の大事なところは「知性」。「知」ということは、非常に大事です。知を支えるのは愛です。愛や信頼が無いと、知性は維持できない。トラブルがあったら、知性は維持できないんです。知恵のもとは情報です。だから、どういう病気で、どういう治療法があって、がんならがんについて。だから、患者は自分で一生懸命、家族に内緒で医学事典なんて調べるでしょ。ああいうのって、知性を維持するんですよ、自立するんです。こういう問題に対応する仏教の大事な点は、「如実知見」と「知」ってことです。知を支えるものに「愛」があるっていうことね。<br /><br />　[6]「<b>泣いたり悲嘆について話すのは、感情を表出せずに、けして悲嘆を口にしたりしない人よりも、ずうっと苦しい時を過ごしている」</b>。つまり、黙っている人よりも、大げさに泣いたり、騒ぐ人の方が苦しいと思うのは間違いだ。黙ってる人はもっと苦しいかもしれない。<br /><br />　[7]<b>「悲嘆は家族をお互いに親密にする」</b>。それはうそですね。家族、ばらばらになるかもしれないし、お互いにしゃべらない、しゃべりたくない。特に何かあった場合にはね。そういう意味で、必ずしも悲しみが家族を結束させるとは限らない。<br /><br />　[8]<b>「子どもたちは幼過ぎるので、死を理解できないから、あんまり死を説明する必要がない」</b>っていうのは、大きな間違いだ。ゴーラーというイギリス人の論文です。三百五十人の遺族を五年間調べた報告書の中にですね、幼稚園児から小学校低学年の幼児に対して。<br /><br />　「おばあちゃんは眠ったのよ」と言う人は、教会にほとんど行かない人に多い。「おばあちゃんは天国へ行ったのよ」って言うのは、教会にやや行く人に多い。「おばあちゃんは死んだのよ」って言うのは、よく行く人に多い。<br /><br />　本当に宗教的な人は、幼い子どもに「おばあちゃん、死んだのよ」という事実を言う。私たちは、事実を受け入れるしかないじゃないですか、命については。自分の顔だって、髪の色だって、背丈だって、事実でしょ。説明つかないんです。あたしはおかめだなんたってね、説明つかないでやってる、そうなんだから。背が低かろうと高かろうと。死ぬのも同じです。自分じゃ選べない。それをはっきりと幼い子どもに言えるのが、やっぱりお説教を聞いてるから、それが言えるってことを言ってる、ここでは。そうでないと、人間は逃げるんです。比喩によって逃げようとする。<br /><br />　[9]<b>「愛する人の遺体を見ないで済ます方がいい」</b>っていうのは違っている。はっきり見なさい。残酷なご遺体は、幼い人やなんかに見せたらいけませんが。普通のご遺体は見るべき、見なきゃ駄目です。そうしないと、人間は納得しないから。百聞は一見に如かず。別れをちゃんとしなきゃいけない。別れをするって、とても大事なことです。<br /><br />　[10]<b>「薬物やアルコールは、悲嘆の痛みを緩和する」</b>。それはうそだ。それはちょっとね、忘れようとする逃げだけです。逃げはかえってマイナスになる。<br /><br />　[11]<b>「悲嘆し過ぎると、健全な精神を失う」</b>。そんなことはない。悲嘆というのは健康な精神の一つの表現だ、って言ってるんです。<br /><br />　[12]<b>「悲嘆が前もって予想される人は楽だ」</b>。これ、先取り悲嘆といいます。先取りした方が楽だっていう。そんなことはない。誰だっておんなじだ。悲しみは同じなんです。死別の後の悲嘆も人それぞれであって、どっちがいいとかなんとかっていうことはない。<br /><br />　[13]<b>「死別を体験している家族は、あまりにも気が動転しているので、病理解剖や臓器移植の求めに応じて話し合うことはできない」</b>。そんなことはありません。日本で臓器提供第一号は、四国の五十四歳の主婦です。真言宗の信者さんですね、お母さんに死んでほしくないっていう気持ちと、如実知見して事実を受け入れていったときに、お母さんは臓器提供という生き方をしたかった、っていうのと両立するんです。「にもかかわらず」、悲しみと臓器提供は成り立つっていうのは、そういうふうに人間を見ないと、人間ていうのは見えてこない、ということなんですね。<br /><br />　[14]<b>「怒りは悲嘆の正常な情緒反応ではなくて、その表出を奨励すべきではない」</b>。それは間違っている。怒り、運命に対する怒り。なぜ、あの時......。とても怒りは大事だ。特に死別のときのね。それはそれで大事です。<br /><br />　[15]<b>「愛する人の喪失を、迅速かつ短時間に受容することは、その人が成熟して、強い意志を持って、悲嘆のプロセスを、うまくやりこなしていることの表れである」</b>。そんなことはない。喪失を早く卒業するっていうのは、けして健康とはいえないっていうことです。表向きは早く元気になってるけど、じゃ、心の中もほんとに怒りが無くなってるかっていうと、そんなことはないし。隠してるかもしれない。<br /><br />　（ゆがんだ悲しみ）　ーバークスワイスー　あつれきの高い夫婦っていうのは、仲の悪い夫婦です。あつれきの低い夫婦っていうのは、仲のいい夫婦です。で、死別直後、仲の悪い夫婦は、結構外出するんです。つまりね、外出度が高いんですね、パーセントが高い。仲のいい夫婦は低い、ってことは、外出しなくなる。つまり、仲の悪かった夫婦は、相手が死ぬとショックが少ないんです。仲のいい夫婦の方がショックは大きいんです、っていうことを言ってるんです。だから、死別悲嘆が激しくていいんです。激しいのは当たり前。死別悲嘆が激しくないのは、賢いよと思ったら、それは案外ね、トラブルがあって、ということがある。で、四～五年後を見ると、うつ状態を見ると、あつれきの高い夫婦・仲の悪かった夫婦は、死別直後は結構平気だったけど、四～五年たつと、うつが高いんです。で、仲のいい夫婦はショックが大きい。けれど、四～五年たつと、うつが低いんです。つまり、回復してる。つまり、仲のいいほど、ショックが多くて当たり前だっていうことです。ショックの少ない人の方がいい、ってことじゃないっていうことです。死別悲嘆っていうのは、ショックが大きくて当たり前っていうことです。<br /><br />　[16]<b>「亡くなった夫とコミュニケーションを続ける妻は、病理的規制で処理している」</b>。つまり、しゃべるんですよ、写真に向かって。それが健康なんです。亡くなった人としゃべってるのは、それは、健康であるってことを言ってるんです。<br /><br />　[17]<b>「自殺者の遺族と話す際には、自殺について話題を持ち出してはならない」</b>。これはね、不必要に持ち出してはいけない。けれど、相手に必要性があるときは、語るべきだっていうことです。<br /><br />
<h4>遺族心理と葬儀</h4>　これは石井千賀子さんっていう人がまとめてくれたものですが、<br /><br />
<h5>一、葬儀が遺族心理に与える影響</h5>　「[1]家族が末期になったので、家族で葬儀について話し合っていたので、心の準備ができた。[2]幼児突然死で子どもを亡くしたアメリカ人の妻は、親族が葬儀や中陰を丁寧にしてくれたことを通して、死の受容ができた。」<br /><br />
<h5>二、遺族心理が葬儀に与える影響</h5>　「[3]母の突然死に、夫が妻を責めた。多くの日本人は、おまえに任しておいたのにってね、おまえに看護させて、自分は逃げて無責任です。それを、夫に責められて、悲しむことができなかった。これ、結構あるんですって。[4]長患いでの死に、家族はホッとした。やれやれと思ったけど、孫がとても悲しんだので、家族は本来の悲しみに戻った。」なかなかいい話。<br /><br />
<h5>三、遺族の家族関係が葬儀に与える影響</h5>　「[5]家出をし、勝手に結婚した画家が事故死をした。お葬式の時に、奥さんが、その画家の友人に弔辞を頼んだんです。そうしたら、夫の父親が、その弔辞を拒否したんです。家出をして勝手に結婚した息子を、認めないってわけです。それで、妻の悲嘆はゆがんでしまった」という事例。「[6]父に反対して職業選択して、キリスト教になっている。ところが、年をとった父親が病気になって、仏式葬儀を希望した。息子と父親は和解して、お父さんのお葬式はちゃんと仏式でやりますと言って、とてもお父さんは安心している」、という事例。<br /><br />
<h5>四、家族の信念が葬儀に与える影響</h5>　「[7]痴呆の母を長いこと看護した。福祉からお世話になったから、福祉への感謝として献体をして、お葬式が終わった後、妻の慰労のために休養旅行をした」。それはとても大事なことですね。それから「[8]中年で夫ががんで死んだ。子どもが無い。夫の家族と交渉が無くて、妻は、この際、家族を確認するために仏式葬儀をやった」。たくさん家族に来てもらって、家族の一員になったという事例。<br /><br />
<h5>五、地域の人々と葬儀</h5>　「[9]地域ケアサポートの人たちが看護を手伝ってくれた。その人たちが不仲の子どもたちとの調整をしてくれた。それで、子どもは愛を回復して、親の葬儀に戻ってきてうまくいった」という事例。葬儀にとって一番大事なことは、人間関係です。<br /><br />
<h4>葬儀の意義</h4>　お葬式とは何か...。これは私が考えたものです。<br /><br />
<h5>一、遺族の状況</h5>　（一）「不条理な事実を受け入れられない混乱」。なぜだ、って。<br />　（二）「感情の不安定」。孤独とか空虚とか、人間関係とか。<br />　（三）「愛の確認欲求」。死んだ人のことを認めてほしい。特に、死んだ人や、死んだ人の配偶者であるおばあちゃんを、子どもたちが排除するようなときは、非常に良くないです。<br />　（四）「負い目とか恐れ」。こういうものも非常に良くない。<br />　（五）「欲望」。息を引き取る前から、遺産相続で争っている。そういうのは非常に良くない。<br /><br />
<h5>二、葬儀の機能</h5>　そうして、その上でお葬式を考えると、<br /><br />　<b>（一）儀礼の機能</b><br /><br />　[1]「宗教儀礼」。法名をもらったりとかお経本とか、これが安心を形成する。つまり、私たちは無条件に生まれてきて、無条件に死んでいくんです。自分の都合でない。そこのところを確認するのが宗教儀礼。神とか仏の重要性です。<br />　[2]「儀礼に参加することで、心の転換を促す。」参加とは、例えば、喪章を付ける、喪服を着るのも儀礼参加ですね。お焼香するのも、お悔やみを申し上げる、お香典を包んでいく、こういうの、みんな儀礼への参加です。<br />　[3]「各人に儀礼的役割を与える」ことで、死者への愛を行動化させる。「お母さん、喪主なんだから、座っててあいさつしなきゃ駄目よ」とかね、「子どもたち、ちゃんとしてね。皆さんみえたら、ちゃんとあいさつしなさい」とか、いろいろな形で役割を持たせること。それは死者との関係を、良くするために非常に大事なことなんです。<br /><br />　<b>（二）慰めの機能</b><br /><br />　[1]「無条件に泣いてくれること。」来てくれる人や親族も、損得抜きに、今までの、遺産相続なんか抜きに泣いてくれるとか。[2]「慰めによる感情の沈静。」 [3]お悔やみの言葉によって、ご愁傷さまですとか、そういうふうに、きちっと定型句を言うことが大事です。決まり切った言葉でいいんです。そこが大事。<br /><br />　<b>（三）祈りの機能</b><br /><br />　[1]「祈りの方向を明示する」。あしたお葬式が穏やかにできますように、とか、特に、お坊さんはそれを言うことが大事なんです。つまり、葬式の間は遺産相続の争いをやめとけ、って意味なんですよ。そういうような機能がある。<br />　[2]「祈りの行動を習慣化させる」。お仏壇に線香上げるとか、そういうのを身に付けさせることが、とても大事。<br />　[3]「不安定要因を、祈りによって自覚化させる」。トラブルがあったりするのをね、お葬式が安らかに行われますように、という言葉によって、それを後回しにしようっていうふうに、意識化させること。<br /><br /><b>（四）意味づけの機能<br /></b><br />　[1]「無常」、人はお互いに死ぬべきもの。理屈じゃなくて、それは生命の宿命ですから。それを納得する機能がある。<br />　それから[2]「神、仏の命に包まれていることの意味付け。」<br />　[3]「神や仏にお任せする。」こういう機能がある。<br /><br />
<h4>死者の祭りと安らぎ</h4>　一、<b>「あなたのことは忘れない」</b>。死者の存在の尊厳は無視されない。<br /><br />　二、<b>「人間的損得を超えた、無条件の存在」</b>。それが、神とか仏とか、自然です。そういうふうに扱うというのは、法名をもらうとか、戒名をもらうとか、儀礼だとわかっていうのは、そういう人間を超えた自然の摂理、神の命、仏の世界の者として扱われることです。<br /><br />　三、「死者を祭ることは、怨念を超えて命の正義に帰らせること」。それは、恐怖を超えること。そういう機能がある。<br /><br />　四、<b>「悟りで飾ること」</b>。お釈迦様は「亡き人への供養は、遠き人に餉するがごとし」と言ってる。餉っていうのは、保存食とかお弁当っていう意味です。向こうの人に、わたしたち、海外に行ってる家族に、名産品送ったりするでしょ。あれと同じように、あの世にいる人に、安らぎというお弁当を送ろうと言ってるんです。あの世の人に対して供養できるのは、安らぎしかないと、お釈迦さんは言っているのですね。<br /><br />　こういうふうにしてわれわれは、人生の意味を、良かったと言って、語るようにする。それが「死別悲嘆が仏教の人生修行の場である」といえる理由でございます。<br /><br />
<div align="center">＝　終わり　＝ </div>]]>
        
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    <title>仏教概論(第22期スクーリング講義録 [ダイジェスト版])</title>
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    <published>2009-06-20T10:16:25Z</published>
    <updated>2010-02-08T06:57:48Z</updated>

    <summary>ブッダの生涯　お釈迦様は、実際に生きていらっしゃった方で、紀元前383年から46...</summary>
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        <name>管理者</name>
        
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        <category term="高橋堯英先生" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<h4>ブッダの生涯</h4>　お釈迦様は、実際に生きていらっしゃった方で、紀元前383年から463年に活躍された方です（中村元先生の説）。ご遺骨が発見され、その一部がタイとの関係から名古屋の日泰寺に納められています。<br /><br />　インドとネパールの国境地帯、釈迦族の部族長の息子として生まれ、自分を生んでくれたマーヤー夫人が一週間後に亡くなられて、母親を知らないで育ったこともあり、非常にナイーブな幼年時代を過ごされたようです。<br /><br />　「若さ」、「健康」、「生きている」という三つのおごりを自覚され、老病死の問題に思い悩まれたと言われています。<br /><br />　わたし自身、病人を見て嫌だなと思ったり、誰かの死の報を聞いて自分でなくて良かったと思ったりすることがあります。最近、息子に加齢臭があるなんていわれ、"若さの暴力"を実感しています。<br /><br />　そういったおごりを、お釈迦様は、真剣に考えて、こういう老病死の問題を、なんとか克服しなきゃいけない。その方法は何かということを模索されたんです。16歳のとき結婚、29歳のとき出家を決意され、6年間の難行苦行を経られる。<br /><br />　当時の思想界では、ヨーガの瞑想とタパスという二つの修行の伝統があった。ヨーガの二人の師匠のもとで修行をし、その体験では満足されず、さらに苦行に専念される。苦行でも、自分の知恵の覚醒ということを自覚できなくて、スジャーターの乳がゆを召し上がって尼連禅河で身を清められて、もう一回瞑想にチャレンジされる。<br /><br />　もともとヨーガのテクニックがあり、苦行ですごい精神集中力と、忍耐力とか、すごい力を得られておられるわけですから、今度はさらに深い境地を得て解脱された。その解脱の境地を、誰にいっても分からないのじゃないか、このまま般涅槃に入ってしまおうかと考えられたけども、ヒンドゥー教の世界で大宇宙をつくりあげたブラフマンという神様がわざわざお釈迦様のところへやってきて、聞く者が一人でもいいから悟りについて説くべきだとお話しされて、布教を決意された。<br /><br />　それから毎年雨期の三カ月をのぞく45年間、北インドの一帯を歩きまわり布教活動をされ、80歳のときに、北インドのクシナガラで亡くなられたんです。<br /><br />　亡くなられる場面については、『大般涅槃経』、あるいは『釈尊最後の旅』という岩波文庫にある経典に詳しく述べられています。老境の、晩年のお釈迦様の心情がよく描かれています。文学作品のようなところもあります。ぜひ、読んでいただければと思います。<br /><br /><div class="imgCenter"><span><img src="http://www.tibs.jp/lectures/img/takahasi04_1.jpg" alt="熱心に聴講する受講生" height="203" width="333" /></span></div>
        
    
  
<br /><h4>ブッダの時代の社会と宗教思想</h4>　お釈迦様が活躍した時代、政治的には、16の大国、いろんな国々が栄えていたものが、四つになり、さらにコーサラ国とマガダ国という二つの国に統合されていく激動の時代でした。<br /><br />　生産性が上がって余剰生産が生じ、それが都市を中心に消費されていく、多くの都市が誕生してきた時代でした。また、都市と都市を結ぶネットワークがつくられて、王舎城すなわちマガダ国の首都から現在のイスラマバードの辺まで、ヒマラヤ沿いにずーっと行く「北の道」という通商路と、コーサラ国からガンジス川沿いの都市を経て南のデカン高原の方に行く、「南の道」という通商路がもう既に存在していました。その当時、貨幣経済がどんどん発達していく。刻印を打った銀貨が使われだしたんですね。それによって、さらに経済活動が活性化し、在家の資産者がすごく力を持った時代でした。在家の資産者は、自分たちの商業活動を王様が保証してくれれば、もっと活動できるわけですから、お金の一部を出し、王様は、自分の警察権を使って、商人の活動を保証した。在家の資産者たちの活動に非常に良かったのはこの仏教の平等思想だったわけなんですね。仏教は、こういう商人たちに支えられて、北インド一帯にどんどん広がっていったわけです。<br /><br /><h5>（１） 思想界の動き</h5>　当時の思想界は、バラモン教という、火の祭りを行う宗教が行われていました。護摩をたいて、アグニという火の神様に人間と神々との仲立ちをしていただいて、お願い事を神々にするという宗教が行われていました。<br /><br />　バラモン教は、ガンジス川の上流域で特に中心だったんですけれども、だいたい農村部を中心に広がっていったんです。その中で、火の祭りの執行者であるバラモンが力を持っていく。どういう儀式を、どういうプロセスでやればいいのかということがしっかりできてきたので、バラモンがちゃんと儀式をやれば、神様たちも動いてくれるんだという解釈まで行われて、バラモンの絶対性が説かれていた。しかし、時代が過ぎていくと、そのバラモンの絶対性が疑われだしていったのです。バラモンが偉いんじゃなくて、火の祭りの背後にある「真理」が重要なんだ。その「真理」を知ればいいんだという批判が起こってきた。<br /><br />　ウパニシャッドという哲学の中で、ブラフマンすなわち大宇宙の理法を知ろう。大宇宙に対して、われわれ人間という小宇宙の、人間の核（アートマン）を瞑想で見いだすことができれば、それは宇宙を知ることである。なぜならブラフマンはアートマンそのものだから。この世界を知ることであるというような批判が起こってきた。<br /><br />　それが、お釈迦様が出てくる直前の時代で、こういった思想の影響を受けて、多くの自由思想家、沙門と呼ばれる活動家たちが出てきた。お釈迦様もその一人でした。<br /><br />　有名な、アジタなんていう唯物論者もいたんですね。世の中すべて、地（硬さ）、水（湿り気）、火（熱）、風（動き）です。この四つの元素がこの世界をすべて作っているんで、人間死ぬと、それぞれはそれぞれの所に戻って何も残さない、こういう唯物論を主張する思想家とか、いろんな思想家がいっぱい出た。お釈迦様は、そういうものに満足できなかったわけですね。ですから、「善なるもの」、自分なりの悟りっていうものを求められたようです。<br /><br /><h5>（２） 業と輪廻</h5>　また、その当時の思想界で行われていたのは、業と輪廻の思想です。人間必ず、行為をする。行為っていうと、なんかボディーアクションを思うんですけども、言葉も行為ですし、自分の腹の中の思いも行為です。ですから、仏教では、身口意の三業。自分の身体的行為、言葉、そして、自分の思いを抑制しようということになるわけです。<br /><br />　こういう行為というものには影響力がある。その行為、影響力をカルマと呼んだのです。そのカルマの影響で、人間は、生まれ変わり、死に変わりしている存在なんだという輪廻の思想が説かれていた。<br /><br />　この輪廻の思想が出てきたのは、もともとインド文化の担い手となるインド・アーリアンは、人間は死ぬと、死者の王の国でヤマの国に行って、そこは先祖の霊が居るとこで、楽しく過ごす。そこは緑が多くて、風が吹いていて、水があって、歌舞音曲があるような楽園。そこに再生することができるという、そんなシンプルな死後観しか持っていなかったのですが、インドに住んでいくうちに、この再生の思想を受け入れるようになったみたいです。<br /><br />　地獄の観念。いいやつと悪いやつが、同じところに、楽園に行けるなんておかしいじゃないかなんていう思想があり、悪いやつは地獄に行くんだという観念が少しずつ出てきて、最終的には、人間は死んだ後でも、もう一回死ぬことがあるという再死の思想が出てきたといいます。<br /><br />　お釈迦様の活動される前、ＢＣ800年ぐらいに、プラヴァーハナの『五火二道説』という思想が説かれ、人間が死ぬと、一般の敬虔なバラモン教徒は、必ず月の世界に行く。亡くなったとき、火葬にすると煙が流れますね。<br /><br />　その煙とともに月の世界に行く。月の世界でしばらく居るんだけれど、雨期の大雨のときに、その雨とともに大地に戻てきて、その雨とともに落ちてきた霊魂が食物に付着し、その食物を男が食べると男の体内に宿って、そして、女性と交わることによって、女性のおなかの中に宿って、十月十日を経て、また再生してくるという。これが一般の敬虔なバラモン教徒の死後の道です。<br /><br />　そうじゃなくて、もう僕は輪廻しないんだっていうことを心に決めて、苦行を実践してそのプロセスで死ねば、必ずや、その苦行者の魂は、ブラフマンの世界、大宇宙の真理と合一して、もう戻ることはない。これが苦行者の道です。このような輪廻再生の思想が説かれ、お釈迦様が生まれたＢＣ5世紀ぐらいの時代には、生まれ変わり死に変わりするのが人間存在である。<br /><br />　だから、生まれ変わり、死に変わりのサイクルから脱すること、超越することが解脱だ、と説かれだした。<br /><br />　しかも、自分のアートマンを見つけようなんていう動きが出てくるわけですから、いろんな、業を否定するような思想家も出ました。人間の人生というのは、あらかじめプレプログラムされた、八百四十万大劫という永遠の時間の間は、輪廻転生しなきゃならなくて、その八百四十万大劫が終わると、輪廻から解脱することができるんだから、その途中に一生懸命、良いことやっても、悪いことやっても、そのプログラムされたものが変わることはない。だから、「今、何をやっても無駄ですよ」という者もいた。いや「一生懸命生きるべきだ。人を殺さないように、生物を正しくはぐくみながら生きるべきだ」なんてことをいう、思想家が数多く出たりしていたわけです。<br /><br /><h5>（３）人生の四大目的とアーシュラマ</h5>　現在のヒンドゥー教の考え方にもあるわけですけれども、人として生まれたからには、四つの目的を満足しなきゃならないといいます。三大目的がダルマ、アルタ、カーマ。もう一つが崇高な目的であるモークシャです。<br /><br />　ダルマ。大宇宙の「理法」とかいう意味で用いられたり、あるいは、社会的な大きな決まり、慣例、慣習というような、いろんな意味合いが含まれます。バラモン教の世界の秩序みたいなものですね。<br /><br />　アルタ。これは実利。要するに、経済的な繁栄を達成していくことが、人として生まれたからには、やっていかなきゃならないこととされます。富の追求です。<br /><br />　カーマ。これは、性愛って訳されますけれども、この欲望とか性愛、情緒的、心理的な満足も、人として生まれた以上は、満足していかなきゃならない。<br /><br />　こういう三大目的に、輪廻転生から解放されるという解脱（モークシャ）を究極的な目標として入れたものが四大目的です。<br /><br />　要するに、欲望を発揮して、欲望を満足させるのと、欲望を制御した果てに得られるものが「目的」としてかかげられている。ですから、このヒンドゥー教の世界っていうのは、相いれないものを、自分一人の人生の中で満足させていくという、非常に合理的な考え方でとらえている。<br /><br />　それをするために何をしたらよいのか？　自分の人生を四つの段階に分けて、それぞれのところで一生懸命、それを追求すればいいんじゃないかというアーシュラマ（生活階梯）の考えが述べられるのです。<br /><br />　最初の学生期は、8歳ないし12歳のとき、家を出て、お師匠さんのバラモンの家に内弟子に入り、そこで、書生生活をし、ヴェーダの学習をしながら、バラモン教世界の秩序を身に付けるわけですね。社会常識を身に付け、自分のものにしていく。<br /><br />　青年になったら、今度は家住期に移って、奥さんをもらい、家長しての義務を果たす。家長としての義務とは、家門繁栄のために自分を奮い立たせて頑張る。それと同時に、子孫を増やしていくんですね。<br /><br />　自分の息子が成長したら、息子に実権を与えて自分は隠居する。これが林住期ですね。奥さんとともに林に住み、世俗を離れた清浄な生活を送る。そのとき、かつて自分が身に付けたダルマをもう一回ブラッシュアップして、モークシャに向けて準備を進め、最終的に、奥さんとも別れて遊行をする（遊行期）。<br /><br />　お釈迦様が出家を選んだのは、こういうパターンがあったからです。ただ、自分の息子が家住期にはいるのを見届けないで、お釈迦様がちょっと早く出家された。出家というのは、インドの場合は世俗の一連の在家者が送る葬送儀礼、結婚式、命名式などという人生のいろんな儀式に一切参加しない。ほんとに世俗生活から離れた生活を志さなければならない。こういう出家というものが社会制度的にあったのです。<br /><br /><h4>釋尊のメッセージ</h4>　（無常・苦・非我）　お釈迦様の修行は、ヨーガを修練し、その後、いろんな苦行をされ、その中で得た精神集中力による禅定によって解脱されましたが、その悟られた内容を、お釈迦様は一生懸命反すうされた。<br /><br />　自分の悟りというものを、なんとか多くの人が理解できるように言葉に移すという作業をされ、布教活動されたわけです。その悟りの内容はお釈迦様の個人的な体験だから分からない。仏教のお釈迦様の後継者たちは、これが釈尊の悟りだなどと、あえて、具体的なものとしてはとらえなかった。<br /><br />　とはいってもいろいろな説がありますが、お釈迦様は縁起の理法を悟られたんじゃないだろうかと私は思います。その縁起をいろんなかたちで口にされたんだと思います。<br /><br />　原始仏教の経典を見ると、まず「無常」についての話がいっぱい出てまいります。縁起の世界は関係性で成り立っていますから、一瞬一瞬変化しているわけですね。ということは、固定的なものは何も無い、常にわたしたち大きな流れの中に生きている。一瞬一瞬変化している世界、要するに無常なる世界にわたしたちは生きています。縁起の世界イコール無常の世界なのです。無常なる世界なのに、わたしたちは何かを恒常的なものとしてとらえがちです。本来無常なるものを恒常的なものとしてとらえようとする。そこにギャップが生じるから、ジレンマに苦しむ。求めても得ることができない。<br /><br />　例えば私なんかもそうですけど、昔カメラに凝ったことがあるんです。こっちの物が手にはいっても、また別のものを求めることによって、満足しようとする。常にそれをずっと繰り返して、しまいました。<br /><br />　そういう人間の習性をなんとかしていかなきゃならない。これは「我が物にあらず」という「非我」を確立しなきゃならない。わたしの物じゃないんだ、すべてが無常なんだということを確立していかなきゃならない。すべてのものは連鎖しているという関係性の上に、わたしたちの世界は成り立っているんだということを確認をする必要があるんだということだと思います。<br /><br />　お釈迦様は人間界の上に天界があるから、そこに再生することを考えて今の生を充実させて、正しく生きていきましょうということをおっしゃる。そしてその天界に生まれるということを目標にしながら、人間性を向上させるため一生懸命頑張っていくと、いろんなかたちで磨かれていくんですよね、人間は。<br /><br />　お釈迦様は、在家者がここまでできるようになったら次に、ちゃんとした輪廻転生からの開放（解脱）という究極的な幸せがあるんだということを教えて、そして、じゃあ出家してみないかと指導されたといいます。<br /><br />　お釈迦様はこのように合理的な布教をされました。そして、お釈迦様を支える多くの人たちが居たわけです。十六大国の時代から、コーサラ国とマガダ国という二つの国が対峙する時代になっていたけれども、その両方の国の王様から尊敬されていました。特に、コーサラ国のプラセナジット王という人は、何をするにつけてもお釈迦様に相談された方でした。<br /><br />　あるときお后様に「后よ、汝にとって一番大事なものはなんぞや」と聞いた。そしたら「殿下、私自身です」と答えた。王様は「殿下です」という一言を待ってたんだけどもそれが無かった。お釈迦様の所にいって実はこういう返答を得たんですよと相談された。<br /><br />　お釈迦様はそれを聞いて、当たり前だよといった。あなたにとってあなた自身が一番大事だろう。お后様にとっても、お后様自身というのが大事だ。お互いに尊敬しあわなきゃ駄目ですよと諭されたといいます。<br /><br />　他者の立場に立ってものを考えていかなきゃ駄目ですよってことを、プラセナジット王に教えた。自分を大切にするってことは、ほかの人を大切にすることなんだ（慈悲）と。<br /><br />　マガダ国のビンビサーラ王は、後に息子に幽閉されたりなんかするんですけど、この方もお釈迦様に竹林精舎を寄進したりし、お釈迦様に帰依していた。釈尊は、当時の王族、貴族に非常に支持されたとともに、多くの在家の資産者たちの支持も受けていたのです。<br /><br />　（生まれによる貴賤の否定）「生まれによって賤しい人となるのではない。生まれによってバラモンとなるのではない。行為によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる。生まれを問うことなかれ行いを問え、火は実にあらゆる薪から生ずる。賤しい家に生まれた人でも聖者として道心堅固であり、恥を知って慎むならば高貴の人となる。」<br /><br />　バラモンは火の祭りを行ったり、宗教を実践するという義務がある。クシャトリアは正義の戦いを命をかけて戦い抜くという義務がある。ヴァイシャは生産に従事するという義務がある。シュードラは上位三段階の人たちに奉仕するという義務がある、そういう大きな枠組みが当時あったわけであります。この枠組みから離れ、どこのカーストにも入らないような人たちも居ました。<br /><br />　先月放送された、ＮＨＫの『インドの衝撃』の中で象徴的な場面がありました。水売りが水を売っているんですけど、水売りの持ってるコップで飲まないで、自分の手を添えて水をゴクゴク飲んでいる人が居る。カースト外の人たちだから、水売りの持っているコップで水を飲めないんです。<br /><br />　わたしがインドを旅行していて、南インドのデカン高原の町のバダーミという村のお茶屋さんに入った時です。外にテーブルが一つあり、縁の欠けたソーサーとカップが置いてあったのです。灰皿の代わりかな？と思ってたんです。ある親子がやって来て、親がお金を払ってですよ、お茶をその壊れたコップでもらっているんです。店主が敷居のうちから煮出したお茶をダーっとコップに入れてやっているんです。それをその親子がソーサーとカップに二つに分けて飲んで、またソーサーとカップをその場に置いて帰るんです。店中に入ってお茶を飲めないのです。これがカーストの現実だなと思って見たんです。<br /><br />　人間は平等ではないということが当然である時代にお釈迦様はそれを否定された。ただ、社会改革の運動をしていたわけじゃなく、その精神を少なくとも、仏教の教団の中では実現されました。当時の沙門の集団は、すべてこういう出家前の自分たちの社会的な階位というものを、一切無視して入信を認めたといいます。原始仏教の教団では、要するに先輩か後輩かというのが物差しでした。自分より早くに出家した人は先輩だから、後輩は先輩を尊敬し指導を受けるのです。また、先輩は後輩の面倒をみるのです。カーストを否定し、教団の中ではすべてが平等であるということを、実践しようとされたわけです。<br /><br /><h4>仏教の社会思想</h4>　お釈迦様の場合、自分を律して正しく生きることを、一生懸命やっている人がバラモンなんだという立場をとられます。そういう自己改革を一生懸命やろうしている人を、大いにヘルプする、そういう姿勢でした。<br /><br />　バラモン教という宗教はだいたい面の世界、農村を中心に広がっていったのですが、仏教は点と線の世界、都市と都市を結ぶ通商路の世界に広がっていきました。そして在家の資産者との結びつきが非常に強いものになっていくんですが、釈尊は、在家の人たちに対してのアドバイスもしています。特に有名なのは財産についてです。財を稼ぐことが悪いとは、お釈迦様はおっしゃっていないのです。財を有効に使いなさいとおっしゃるのです。<br /><br /><b>「財とは、自らを楽しませ、他者を楽しませ、災害のときの備えとなり、親族、客人、先祖、神々、国王、神々への献供を可能ならしめ、真のバラモン、修行者への施物を可能ならしめるものである。」</b><br /><br /><b>「修行僧らよ、世に店主あり。午前に熱心に業務を励み、日中に熱心に業務を励み、午後に熱心に業務を励む。これら三つの条件を具備している店主は、今だ得ざる富を得、またすでに得たる財を増殖することができる。」</b><br /><br /><b>「このように財を集めては、彼は家族のために実によく利益をもたらす家長となる。その財を四分すべし。そうすれば彼は実に朋友を結束する。四分の一の財を自ら享受すべし。四分の二の財をもって農耕、商業などの仕事を営むべし。また残りの第四分を備蓄すべし。しからば窮乏の備えとなるであろう。」</b><br /><br /><b>「施与をなす人は天界に赴く。そこで望みをかなえて喜ぶ。」</b><br /><br />　一生懸命やって布施をする人は必ず天界に行く、そこで楽しいことがありますよなんていうことをおっしゃっています。そして、ほんとはもっとすばらしい、解脱というのがあるんだよということも、おっしゃるのです。<br /><br /><div class="imgRight"><span><img src="http://www.tibs.jp/lectures/img/takahasi04_2.jpg" alt="長者のジェータ林（後の祇園精舎）買取の図" height="160" width="162" /></span>長者のジェータ林<br />
（後の祇園精舎）<br />
買取の図</div>
        
    
  
　祇園精舎を作るきっかけになった豪商の話があります。お釈迦様を招待したい、お釈迦様が来られたときに、ちゃんと居られるような所を用意したいといって探した。そしたら、ジェータという貴族が持ってる公園があった。それを買い取ろうとしたらジェータは拒否するために、「地面におまえの持っている金を全部敷き詰めてくれたら、その金で売ってやるよ」といった。そしたら長者は、「そうですか」といってマネジャーにお金を持ってこさせて、ベタベタそこに並べさせた、という逸話があります。このような在家の資産者たちが仏教を支えてきたのです。<br /><br />　こうして、仏教教団は大きくなっていきました。紀元前三世紀にアショーカ王が出て、全インドを統合することになると、仏教が全インド的に拡がることになります。古代インドの歴史は仏教文化の歴史だと、イギリスの歴史学者が言っていますが、そういう状況が作られていったわけです。<br /><br /><div align="center">＝　終わり　＝ </div><div><br /></div>]]>
        
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    <title>宗教概論(第22期スクーリング講義録 [ダイジェスト版])</title>
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    <published>2009-06-20T07:36:18Z</published>
    <updated>2010-02-08T06:54:48Z</updated>

    <summary>宗教とは何か　古今東西様々な学者、宗教者等々が様々な定義を宗教に対して与えてきて...</summary>
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        <name>管理者</name>
        
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        <category term="渡辺浩希先生" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<h4>宗教とは何か</h4>　古今東西様々な学者、宗教者等々が様々な定義を宗教に対して与えてきておりますけれども、百人いれば百通りの定義があるという言われ方そのままの状況が今日も続いております。一つだけ有名な岸本英夫先生の定義を掲げておきます。「<b>宗教とは、人間生活の究極的な意味を明らかにし、人間の問題の究極的な解決にかかわると人々によって信じられている営みを中心とした文化現象である。ただし、宗教には、その営みとの関連において、神観念や神聖性を伴う場合が多い。」</b>例えば仏教でも、少なくとも原始仏教においては、超越的な、絶対的な存在を必ずしも言っていないと思われます。臨済玄義という中国の禅僧の『臨済録』という書物には「仏に逢うては仏を殺し」とありまして、いわゆる絶対者というものを積極的に否定する宗教というのも実際にあるわけです。<br /><br />　それでは、いったい哲学とどこがどう違うのか。哲学自体の定義も極めて多様かつ複雑微妙なものがあります。明確に規定することは至難の業であるというしかありません。あるヨーロッパの宗教学者は、仏教を指して「あれは宗教ではない、哲学である」と言っています。インドにおいても仏陀の死後、いわゆる仏陀の神格化というものが起こり、そうなると絶対的な、超越的な存在というものがそこに見えてくるわけですが、原始仏教に関しては「あれは宗教ではない」いう言い方も可能になってくるのかなと思うわけです。<br /><br />　いわゆる超越的な、絶対的なものを聖、日常的な世界における物事、考え方を俗というふうに分けて、聖に関わるものを宗教、俗に関わるものを哲学というふうな言い方はもちろん一つの言い方としては可能だとは思います。<br /><br />　仏教の教えの一つに無記というものがありまして、これはすごい教えだというふうに思っておりますけれども、弟子が仏陀に対して、例えば世界は有限であるか無限であるか、霊魂は身体と同一か別離か等々のいわゆる形而上学的な質問をしたところ、それに対して仏陀はそういう質問自体無益にしてそれは涅槃に導くものでは決してないとして、回答しないことをもって回答に代えるということをしている。宗教とは何かということについて、哲学とどこがどう違うのかということについても、急いであまり厳密にぎちぎちとやろうとすることなく、いわば一旦棚上げして、先へ進んでいって、この仏教塾のプログラムを終えたというような時点で、例えば冒頭にありました岸本先生の宗教の定義を読み直して、そのときに今この定義を読んで皆さんが思った事柄、考えた事柄とどれだけどう違ってきているか、その違っている中身が皆さんのその間の成長を示しているというふうに私は考えたいと思っております。<br /><br /><h4>宗教の類型</h4>　宗教に関しては非常に様々な類型論というものが存在します。世界宗教と民族宗教というような分け方、あるいは一神教と多神教というような分け方、様々なものがあってそちらの方が類型論としては基本ではありますが、ここでは、これもまた有名な宗教社会学者の井門富二夫先生などが唱えられている類型論の一つをご紹介したいと思います。<br /><br />（一）<b>文化的宗教</b>　文化的な枠組みとして存在している宗教。例えば初詣に行く、お盆やお彼岸になれば帰省をしてお墓参りをする。初詣に行ったその神社に何が誰がどんなものが神として祭られているか知らない。お墓参りに行く、法事に参加する、けれどもそのお寺の宗旨が何かよく知らない。それでも行くことは行く。いわゆる年中行事的なもの。そもそもの宗教的な意味合いというものが脱落、あるいは希薄化している、そういった類型を文化宗教というふうに名づけています。<br /><br />（二）<b>制度宗教</b>　端的にいえば氏子制度であり檀家制度です。地域や家族といった制度に基づいて存在している宗教。神社であれば氏子区域という制度と一体化している。寺院であれば檀家、すなわち一種の家族制度によって支えられている。そういった観点で観た場合の類型を制度宗教というふうに名づけます。<br /><br />（三）<b>組織宗教</b>　教祖を中心に新たに組織された宗教。多くの新宗教もここに含まれます。ある時期のある地域におけるという限定を付した方が正確かもしれない。例えば、いわゆる鎌倉仏教も初めは組織宗教であった。一人の開祖が現れてその人が中心に布教ということがなされていって、まさに組織宗教の形態から始まってそれが全国的に広まっていって、制度宗教、あるいは文化宗教的な側面を持つようにもなるということです。キリスト教にしてもジーザス・クライストが世に出て人々を引き連れて布教に歩いていた頃は組織宗教以外の何ものでもなくて、当時のユダヤ社会においてはカルト的な存在に過ぎなかった。ローマの帝政の初めの頃には大々的に弾圧も受けた。しかしいつの間にか国の教えとなってしまう。<br /><br />（四）<b>個人宗教</b>　宗教に関する様々な書物、文学や芸術等々によって一人一人の心の内側において営まれる宗教をいいます。教団といったような集団的な、あるいは制度的な形態を持つものに束縛されるのは嫌だ。けれども自分なりの人生観、世界観といったものを求めたい。実際には、一人でやっていたものが二人、三人というふうに集まって勉強会のようなものからスタートして五人、十人、二十人となって、そこに一人のカリスマが現れたりすると途端に組織宗教に変貌したりもします。<br /><br />（五）<b>会員宗教</b>　教団に入るわけでもなく、個人というわけでもない。例えばカルチャーセンターのようなもの、寺院などが行う文化講座のようなもの。文化講座は聞きに行くけれども檀家としては関わらない。いつでも参加できる、いつでも辞められる。個人宗教と組織宗教の中間のようなものといえるかもしれません。<br /><br /><h4>宗教的行為とは何か</h4>　例えば、一方にボランティア活動あるいはエコロジー運動としてのゴミ拾いがり、また宗教団体が神の国の実現の一貫としてやっているゴミ拾いもある。あるいはユニセフ募金と一食を捧げる運動。あるいは災害の現場で炊き出しをしたり様々な救援物資を提供したりする。日本にいるイスラーム教徒の人たちもそういう運動をし、それが新聞に取り上げられたりすることもありました。あるいは宗教には何ら関わりのないような近所のおばちゃんたちによる炊き出し、様々なものを思い浮かべることができるかと思います。それぞれ行動自体だけではそれが宗教的か否かというのは実はなかなか判別できない。<br /><br />　一番大きいのは<b>動機</b>です。その行為をしている人が、内心何を思って行為をしているのか。地球温暖化防止のために植樹をしている人、神の国の実現を意識して植樹をしている人。行為自体を見れば植樹ということには変わりはなくとも、それをやっている人が内心で何を思っているかということによって宗教的か否かを分けるというふうに考えるのが常識というふうにされております。<br /><br />　もう一つは<b>結果</b>です。実際にどのような結果が付随するかということがその行為が宗教的か否かを判別する基準の一つになるという考え方です。<br /><br />　これらは、日本における政教分離に関わる裁判における目的効果基準というものにパラレルに関わってきます。動機が目的、効果が結果ということになりますが、例えば小泉元首相が靖国を参拝した、それが憲法に違反するか否かということが争われたときに、その目的意識を、まあ何回か行っているわけですが、そのうち一回は初詣の形をとって行っている。初詣はみんなするだろう。だから宗教的な目的意識は極めて希薄なんだと。だから憲法に違反しないという議論を展開することは可能ではあります。一方で、小泉元首相の靖国参拝を違憲だとした高裁判決もあるわけです。<br /><br /><h4>日本人の宗教意識</h4><div class="imgRight"><span><img src="http://www.tibs.jp/lectures/img/watanabe04_1.jpg" alt="熱心に聞き入る塾生の皆さん" height="189" width="253" /></span></div>
        
    
  
　ある一定の地域における信者数カウントの仕方には大別二通りあって、一つは<b>「教団に聞く。」</b>宗教団体に対して「あなたのところには信者さん何人いますか」と聞いて、返ってきた答えを足し上げています。<br /><br />　もう一つは<b>「個人に聞く。」</b>インドのように国勢調査のときに個人が信奉、所属する宗教を国民全員に聞いてしまう国もあることはありますが、多くの場合サンプリング調査ということになります。<br /><br />　日本ではいずれの方法による調査も実際にあって、「団体に聞く」方の調査としては、私ども文化庁が毎年行っていて『宗教年鑑』という形で出版しているものがあります。「個人に聞く」の方は、統計数理研究所であるとか、読売新聞であるとか、あるいはＮＨＫの関連の機関とかが何年か毎に行っている調査があります。<br /><br />　この「教団に聞く」という方法で日本の信者数をカウントすると、合計が二億を超えます。日本の人口が一億二～三千万くらいにも関わらず、日本の信者数が二億を超えるんです。それから、「あなたは何か宗教を信仰してますか」と「個人に聞く」と、「はい」と答える人が大体二割から三割。残りの七～八割は何の宗教も持ってない。いったいどういうことなのでしょうか。<br /><br />　読売新聞のこの平成二〇年の調査では、「初詣には行きますか」「お墓参りには行きますか」という質問を同時にしていて、大体七割から八割くらいの人が「はい」と答えています。実際に、多くの日本人が初詣をし、お墓参りをしています。一人の人が両方やっています。いまだに多くの日本人が氏子として檀家として神社や寺院の信者名簿に載っています。教団からすれば、氏子をやっていて、同時に一人の人間が檀家をやっていて、何かあれば参拝に来る、お墓参りに来る、お金も出してくれる。これを信者としないわけにはいかないです。初詣に行った人、七五三やった人、新しく車を買ってお祓いをしてもらった人、あるいはお墓参り行った人、法事に参加した人をつかまえて、「今あなた初詣に行きましたよね。神道の信者さんですよね」と聞く、「お墓参りに行きましたよね。仏教の何々宗の信者さんですよね」と聞く。聞かれた人は「え、いや、私は特に何も信じてません」と答える人が七割から八割。そういうことです。<br /><br />　神道系が約一億、仏教系が大雑把にいって約一億。足し合わせると二億を超える。けれども個人に聞くと二割から三割ぐらいの人しか「私は宗教を持ってる」と答えない。これが二億と二割、三割を説明するおよその答えになります。これの二つの数字ともが、そういう日本人の心持ちのあり方、行動の仕方、実際の行動のありようをうまく説明することのできる重要な数字ということになります。<br /><br />　例えば、これは四年前の前回の読売新聞の調査ですが、仏壇と神棚の両方が家の一つの空間に置かれていること、あるいは信者でもないのに初詣に行くこと、クリスチャンでもないのにクリスマスを祝うことを特に何とも思わないという人が、八十％から九十％以上います。おおらかといえばおおらかといえるかもしれません。また例えば、イスラームのような排他的な一神教を信仰している人からすれば、極めて奇妙というか、無節操というふうに当然映ると思います。一つの家族が初詣に行き、節分をやり、お盆をやり、クリスマスを祝う。それを変なことだとも何とも思わない人が圧倒的に多い。それが日本の今の現実。それは知っておいていただきたいと思います。<br /><br />　同じ四年前の読売新聞の調査の中にあった事柄ですが、「あなたはこれまでに神や仏にすがりたいと思ったことがありますか」という質問に対して、「ある」が五十三・九％、「ない」が四十四・二％です。ある宗教学者が紹介している話ですが、例えば、兜町で株価が下がれば近くの神社に詣でる人が増えるそうです。いわゆる現世利益、困った時に何か、絶対的な、超越的なものにすがりたいと思う。受験を前にした学生さんがお札をもらいに行くような、絵馬を掛けに行くような行為もそういうようなものの一部と考えてよいと思います。<br /><br />　さて、一方で、スピリチュアリティいうことが、世界的に、ここ十年、二十年の間、非常に需要が高まっている、そういう方向性を持つ人が増えているというふうにいわれております。例えば、「オーラの泉」というテレビ番組が、最初は深夜枠だったのがゴールデンに進出して、視聴率を稼ぎ続けている。本を出せばかなりの売れ行きを示す。そういうものを求める気持ちというものが少なからず日本人の中にある。そういう時代でもある、ということも同時に知っておいていただきたいことだと思います。<br /><br /><h4>宗教は必要か</h4>　このような日本の宗教事情を踏まえて、もう少し広く世界的な視点から、人類にとって宗教は必要か否かといったような問題に少し迫ってみたいと思います。<br /><br />　昔は、宗教というものは、教育であるとか、福祉であるとか、医療であるとか、芸術であるとかの様々な分野において指導的な役割を担っていた。これは日本においても、世界的に見ても同様です。そういった役割を、現在は国であるとか、地方公共団体等の団体が行うようになってきています。私立の学校の中には宗教系の学校もたくさんありますけれども、同時に、公的な機関においては、憲法の政教分離の規定に基づいて、いわゆる特定の宗教教育は行ってはならないことになっています。<br /><br />　近代化とか、合理化、都市化という社会の大きな流れの中で、科学的な知見というものが広く、深く浸透していく。それまでの伝統的な、宗教的な世界観、宇宙観などが信頼を失っていく。創造説を、ダーウィンの進化論と一緒に、公的な学校でも教えなきゃいけないという運動をしている人がある一方で、その息子、娘たちは「今どきそんな創造説なんて」と鼻で笑っているというような状況が同時にあったりするわけです。そういう中で、宗教団体の権威が失墜していく。それまで担っていた社会的な様々な側面における活動、先ほど申し上げた教育、福祉、医療、芸術等々のフィールドにおける活動に関しても、かなりの部分が公的な、自律的な団体によって奪い去られた。初詣やお墓参りでの様々な行事に参加することについても、もともとの宗教的な意味合いは失われ、一つの習俗、慣習として残りはするけれども、ある意味、神の存在などは見向きもされなくなる。<br /><br />　そういう状況が進展しいく中で、結局、純粋に宗教的なものというのは消えていかざるを得ない、科学的な知見がますます広く深く浸透していくにしたがって、合理化、近代化ということが進展していくにしたがって、宗教というものは結局なくなっちゃうんじゃないかということが、世界的に、一九六〇年代に多くの宗教学者によって唱えられました。<br /><br />　これに対して、トーマス・ルックマンという学者が「見えない宗教」ということを唱えます。目に見える宗教活動は確かに社会の表面から消えていくかも知れない、社会が宗教性を脱却していく、いわゆる近代化、世俗化ということがそれはそれで進むかもしれないけれども、それがどれほど進もうとも、人間が人間であるからには、やはり何らかの人生観やら世界観といったものを求めいこうとするものではないか。ここで最初に申し上げた宗教の定義を思い出しながら聞いてみてください。それまでの伝統的な宗教的価値観といったものが失われていく、あるいは科学的な知見によって否定されていく中で、それでも人間というものは、個人的に、私的に、自分のよるべき世界観、自分のアイデンティティ、究極的な価値観といったものを求める存在であるということもできようかと思います。<br /><br />　そういうものを求める営みを宗教というのであれば、それは確かに社会の表面からは、役割が薄れていって、見えにくくはなるかもしれないけれども、個人の内面において営まれてはいく、見えない宗教としては残っていく。世俗化というのは教団としての宗教から個人の宗教への変化であるというふうな見方も出て来るわけです。<br /><br />　一九六〇年代の前後くらいから特に、世界各地の様々な世論調査において、先ほど申し上げたような人々の<b>宗教離れの傾向</b>が指摘され、六十年代の半ば頃には世俗化と宗教の衰退ということが、多くの人が認める事実と受け止められるようになっていきます。ところが、同時に、あるいは少し遅れて、いわゆるカルトであるとか原理主義といった現象が世界的に耳目を集めるようになってきます。アメリカにおいては、その六十年代に服装や音楽、政治意識や道徳といったものが若者の間で大きく変化していく。カルトといわれるような様々な新しい宗教グループが生まれ、そういうものにアメリカの青年や、ヨーロッパの青年なども今なお多く惹きつけられていますが、多くの若者がそこに参加するようになっていきます。<br /><br />　一九七〇年代も後半になれば、今度は世界的に、いわゆる<b>宗教回帰の傾向</b>が認められるようになります。政治的にも文化的にも、宗教というものが世界各地で強い影響力を示すようになる。例えば、前のブッシュ政権などは、いわゆるネオコンといった人々、と同時にメガチャーチ、巨大教会といった、いわゆるペンテコスタリズム的な人たち、キリスト教の一つの流れですけれども、が大きく後押しをしてブッシュ政権が成り立っていたというのも一つの事実です。そういうふうに宗教が公的な場面で、結構大きな役割を、かえって果たすようになっていく。こういったカルトであるとか原理主義的な動き、先ほど公的な学校においても進化論と同時に創造説、神が宇宙を創り、地球を創り、人を創ったのだということをちゃんと教えなきゃいけないっていうことが普通にまかり通ってしまう、そういう状況を、ある宗教学者は宗教の復讐というふうに表現をしました。<br /><br />　それを宗教であると呼び得るかどうかは一旦置くとしても、現世利益的なものを求める行為であるとか、超越的なものにすがりたい、そういう気持ちはなくなるどころではなくて、人によってはますます強くなっている。一方でスピリチュアリティ的なものが社会に横溢する。これは日本だけでなく、世界的な動向として指摘されてきています。宗教は嫌いだけれどもスピリチュアリティには興味を持つ、そういう人も多々あります。その場合の宗教は教団的な、伝統的な、あるいは制度的な宗教を、具体的には意味している場合も多かろうと思います。つまり制度的な宗教には疑問がある反面で、霊的なもの、スピリチュアル的なものには関心が高いという人が世界的に増えつつある、そういう流れがあることも、様々な調査結果から明らかになっています。これは日本だけでなく、世界的な動向です。<br /><br />　一昔前には、宗教をやるようになる理由、入信動機として<b>貧、病、争</b>ということがよくいわれました。貧困、病気、人間関係の争いです。ある意味直接的に現世利益的な側面もありますが、ある程度は科学的な知見であったり、あるいは公的な、世俗的な機関などによって解決される面も、もちろんあります。ですけれども、それ自体は今日においてもなくなっているものではない。貧困や争い、病気というものが地球上から、あるいは人間の間からなくなったという話は聞いたことがない。そういう中で、そういうものの解決を望むのも同時に人間であり、自分なりの価値観なり、アイデンティティなりといったものを追求していく、まさしく究極的な意味を求め、究極的な解決を求める営みというものは、やむことはないだろうとも思われます。それは、私たち一人一人が、人として如何により良く生きていくかという、人間の本質に関わる問題であり、そしてそれは、仏陀が八正道の教えなどを通じて語ろうとしたことではなかったかと思います。<br /><br /><h4>人間という不思議な存在</h4>　最後に、信じる者は救われるというお話を少ししたいと思います。これは、一昨年の秋、紀元会という宗教法人の事件が世間を騒がせましたが、この紀元会が、紀元水という、科学的な分析によれば何の変哲もないただの水を、教祖が「これを飲めば万病が治る」「医者に行く必要がない」といって信者などに高く売りつけて大儲けをしていたということです。報道によれば、ある八十二歳の直腸がんと診断された男性が、「手術するな」という教祖の言葉を信じ、その水を毎日体に塗り、飲みもしたところ、便に混じった血の塊が十日前後でなくなり、下腹の痛みも消えた。それから病院には行っておらず、今も元気でいるというのです。治らなかった人ももちろんいます。<br /><br />　医学の場面で<b>プラシーボ効果</b>といわれているものがあります。信頼しているお医者さんに「この薬が効きますよ」といわれて飲む。それがたとえ小麦粉の塊であっても、あらゆる医者が見離したようながんが治ってしまうことがあるそうです。長いこと世界各地で様々な事例が報告され、真剣に世界の最先端で研究されています。治らない人の方が多いとは思いますが、何人かの人は本当に治っちゃうそうです。<br /><br />　極めて不思議な話ですが、治った人は幸せですよね。その人にとってはそれで良かったのだと、もしかしたらいえるのかもしれない。実は、高い壷を売りつけられた人でもそうです。その人は、本当に幸せに死んでいくことができるのかもしれません。<br /><br />　プラシーボ効果というものについてもっともっと研究が進んで、信頼している人から、それが小麦粉の塊であろうと、それをもらったことによって、あるいは脳内物質で何らかの物質が分泌されるとか、何らか特定のホルモンバランスの状態になって、それによってがんが治ることがあり得るということが、本当の意味で科学的に証明される日がくるかもしれません。<br /><br /><h4>２１世紀の日本の仏教者へ</h4>　例えば、キリスト教を始めたジーザス・クライストも、仏教の開祖であるゴータマ・シッダールタも、あるいは鎌倉仏教の祖師たちも知らないような、想像もしなかったような社会に皆さんは生きていて、二十一世紀のこの社会を生きている日本人として、既に皆さんはそれぞれ何らかの程度仏教というものを選び取っていると思われるわけですが、なればこそ、二十一世紀を生きる日本の仏教者として、同時に世界市民の一人として、二十一世紀の日本国民の一人として、視野を狭くすることなく、より広くより深く、諸宗教、宗教だけでなく社会全体、世界全体を見ていって欲しい。宗派とか宗教とかを超えて、様々な人と、老若男女、語り合い、今の、仏陀もまったく予想もしなかったような社会の中で、皆さん一人一人が、皆さん一人一人にとっての仏道を、悩みながら歩まれていっていただきたいというふうに思うわけであります。<br /><br /><div align="center">＝　終わり　＝ </div>]]>
        
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    <title>大乗仏教論(第22期スクーリング講義録[ダイジェスト版])</title>
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    <published>2009-06-20T06:47:13Z</published>
    <updated>2010-02-08T06:52:27Z</updated>

    <summary>　大乗仏教は、どういうふうにして起こったのか、大乗仏教の姿は実はどうなのか、世界...</summary>
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        <![CDATA[　大乗仏教は、どういうふうにして起こったのか、大乗仏教の姿は実はどうなのか、世界の学会でもちゃんとした定説がないんです。歴史的にインド仏教の中でも大乗仏教というのはいったい何なのか、大乗の経典というのはいったい何をいおうとしているのか、本当にこれはブッダの説なのか、とかです。<br /><br />　大乗仏教が信仰されている国から来た留学生は、例えば「大乗経典はブッダが書いたんではありませんよ」っていうと「ええっ」て本当に驚きますね。いつ大乗経典がインドで生まれたか、これは紀元前後ですから、お釈迦様が亡くなって五百年ぐらいたってですから、お釈迦様が直接説いた教えだというふうには歴史的には当然いえないわけです。ただ、それがお釈迦様の教えとまったく別のものなのかというと、必ずしもそうとはいえません。<br /><div class="imgCenter"><span><img src="http://www.tibs.jp/lectures/img/watanabe_s04_1.jpg" alt="熱心に聞き入る塾生の皆さん" height="184" width="352" /></span></div>
        
    
  
<br /><h4>大乗仏教とは</h4>　最初に分かるのは、大乗仏教は紀元前後から起こったインドの改革派の仏教だということ、そして、それ以前の仏教は出家者が中心であったのに対して、在家者が中心だということがよく書かれています。そのために出家者は自己の解脱を中心としている。つまり自らの利益のみを求めていると批判的に言われます。<br /><br />　でも、すぐ変だなっていうふうに思われるんじゃないでしょうか。どうしてかというとブッダは自ら悟るために修行したわけですね。それを目標とする仏教の修行体系っていうのはすべて悟りに向かっていかないとまずいわけです。したがって、救いというのも、自己の悟りと結び付いてるわけです。<br /><br />　しかしながら、出家者が中心で、その出家者が自利であった。それを小乗仏教といって批判したのが新しい仏教の改革派、大乗だという言い方です。<br /><br />　それともう一つ特色があります。ブッダ入滅のあとに、いろいろな理由で仏教はさまざまな分派に分かれます。そういう分派した仏教こそが仏教思想の骨格を実は固めたんです。教団はどんどん発展して、ブッダ在世中に1200人とかに達していました。ブッダも「あなたたちは二人で行くな、一人で行け」っていうふうに、自分の弟子たちにいうんですね。「一人で行って、そして、バラモンの言葉を話すな。その地域の言葉を使って説法しなさい」とすすめます。<br /><br />　そのように弟子たちはブッダに代わってあっちこっちに移動しながら説法するわけです。ブッダの代わりですから、それなりの認可というのを弟子たちに与えなければいけない。初期の仏典を読んでみますと、その認可された最高の人を阿羅漢という言い方をするんです。この阿羅漢というのはやがて部派の仏教、そしてそれに続く大乗になると少し使い方が変わってきます。<br /><br />　わたしたちの情報っていうのは、ほとんど大乗側からの情報ですので、一方的なところがあります。もともとは、ブッダが自分たちの弟子を阿羅漢と呼び、自分の代わりとした。しかしその後の部派仏教では従来の仏教の伝統的な修行者、これを声聞と呼び、その中の最高の弟子を阿羅漢というふうに呼びました。僧院に住んで修行に励む人たち、自分の弟子たちも声聞ですね。<br /><br />　そして、そのような人たちとは別に単独で修行して、そして、悟りに向かうような人たち、あるいはそれを得た人たち、それを独覚、個々に悟る人と呼び区別しました。その声聞と独覚（縁覚ともいう）、ともに阿羅漢という聖者になることを最高の理想としていた。<br /><br />　大乗仏教はこの区別を踏まえて、さらに新しい修行者像を描くのです。<br /><br />　すなわち、革新仏教の信者たちはブッダを理想とした。そして、自らを菩薩と呼んだ。この菩薩っていう言葉も実は、いわゆる小乗仏教の中でも菩薩っていうのは使われているんです。<br /><br />　大乗仏教の始まったところっていうのは、パキスタンとか、ガンダーラ、アフガニスタンといわれます。特にそのガンダーラの地というのは、かつてはインドだったわけですね。そして、そちらの北西の方から大乗仏教は始まります。<br /><br />　この時代になって仏教の形態や思想は大きな変化を遂げるようになった。従来の伝統仏教では単数であったブッダ。ブッダはただ一人のお釈迦様だけです。ただ、ブッダは古い仏教聖典でブッダ自身の言葉でこのようにいうんですね。　「自分のたどってきた道は、これ自分がつくった道ではない。いにしえの聖者たちがたどってきた道を自分はそれを歩んでいく、その道は聖なる道なんだ。それはわたしが開発したのではない、ずうっと以前の聖者たちも同じような修行をして同じ悟りを悟った、わたしも、それを悟ったんだ」。<br /><br />　そして、非常に古い信仰としては、過去にもブッダが居た。それを過去仏っていいます。わたしはその第七番目だというような記述がありますし、はっきりと個性を持った名前として出てきます。しかし、やがて部派の仏教になるとブッダは単数ですね。同一の世界に複数出現することはありません。世界に登場するのは唯一人、ブッダです。最高の礼拝対象はブッダ一人です。お釈迦様以外は崇拝されてない。だから、その伝統をくんだ大乗以外の国々の仏教はブッダを一人としてのみ拝んでるんです。仏像を作ったのも基本的には、ほとんどこの思潮に対応します。大乗以前は仏像も普通は作らなかったんです。<br /><br />　そして、ブッダの代わりに何を拝んだかといいますと、ブッダの仏足石（足跡）、ブッダを象徴する宝輪、そして傘蓋、傘はその下に聖なる人が居るという象徴、あとは菩提樹、ブッダがそこに座って悟ったという菩提樹ですね。こういうものを描くだけで、ブッダそのものの姿は人間としては描かなかったんです。それはブッダへの崇拝というのが非常に高かったからですね。そのような仏教がずうっと続いていたんですね。今、世界中の仏教はほとんど釈迦牟尼仏の姿を描きますけれども、大乗仏教の特色というのは、人間の姿をした仏像の創造というところにもいえるかと思います。<br /><br />　大乗以前の仏教では釈迦牟尼仏がブッダになる前の存在を菩薩といっただけです。だから、釈迦牟尼仏は一人ですから菩薩も一人です。こういうような菩薩の使い方が、長いこと仏教徒に伝わっていました。こういうことだから、複数のブッダが考えられた時点で、複数の菩薩っていうのが生まれてくるんです。ブッダが複数になるっていうのは、大乗仏教の大きな特色でもあるわけですね。このような菩薩についての考え方が、さらに一般的になり、やがて菩提への心をおこした者であれば、それを菩薩というようになるわけです。<br /><br />　大乗仏教が成立したもう一つの理由として、仏塔があげられます。これは、皆さんもご存知と思いますけれども、この仏塔っていうのは、そもそもブッダの亡くなった後にその遺灰を八つに分けて、分骨して、それを聖地にしたという伝承があるわけです。この仏塔はやがてアショーカ王の時代になると、八万四千の仏塔っていうふうに描かれます。つまり、どんどんどんどん分散されるわけですね。この中に含まれるのは、ブッダの骨、あるいは、ブッダの遺物だけとは限らないんです。ブッダの弟子たちのものも、やがて含まれます。<br /><br />　しかし、ここで大事なことは、このストゥーパ（仏塔）っていうのは、単なる塔ではありません。今はないブッダの代わりに崇拝するという信仰がブッダの入滅以降、急速に広まります。そして、この仏塔の周辺は聖地になります。遺骨のようなさまざまなブッダにかかわるものを安置しますと、そこがまさに信仰のバックボーンなわけですね。<br /><br />　それが、どんどん大きくなって立派な礼拝対象の建造物になっていくわけです。今インドでわたしたちが見る八大仏蹟なんかは、ほんとに大きくレンガ造りにして造り替えたものです。これらの多くはアショーカ王の信仰がなせる技です。ここで大切なのが、生きたブッダの核心です。それは何かというと、ダルマすなわちブッダの教えとしての法です。ブッダとは目覚めた者という意味です。ブッダはダルマに目覚めた存在です。そうすると、ブッダをブッダにしたのは、法とか真理、これにほかならないわけです。<br /><br /><h4>大乗経典</h4>　そうすると、仏塔の核心に収めるものは、これはブッダでなくてもいいわけですよ。ここに収められる核心はブッダの説いた教え、言葉です。書写された経典です。こうして大乗仏教になって初めて仏の教えを書くという作業が生まれるんです。それ以前の仏教徒はブッダの教えは書かなかった。大乗仏教の経典には初めて教えを書いて、そして、経巻のかたちにする、それを盛んに勧めるように述べられます。そして、他者にどんどんそれを説明しなさい、説きなさいっていうふうに言うようになります。<br /><br />　当時の書くものというのは紙はほとんど使いません。写本の素材はインドで採れるシュロみたいな葉っぱを、長方形に切って、文字を描いてそこに炭で塗ったりするんです。北インドの方は木の皮をやはり切って、そこに書きます。そういう物を、仏塔に安置したわけです。<br /><br />　こうして仏陀の教えが仏陀そのものというふうに見なされる。仏陀はダンマによって仏陀になったとすると、仏陀とは歴史的な仏陀でなくてもいいわけになります。肉体を持った歴史的な存在を、色身と言います。それに対してダルマ、すなわち教えからなる身、法からなる身体を法身、ほっしんと読みます。最初に、仏陀の身体をこのように二つに分けるようになるんです。そうすると、ここに安置されているのはまさにその仏陀の教えですから、ずっと仏陀が亡くなっても連続し得る、そういう普遍的な機能を与えるようになるわけですね。<br /><br />　この色身は歴史的に亡くなったかもしれないけれども、法としての身体、法からなる仏陀は、ずっとあり続けるという考え方ができてくるんです。これが大乗仏教の思想的な展開の大きな特色です。こうなると、いろいろな仏陀が出てくる要素が開けてくるわけです。ダルマの高みに至れば、その人は仏陀になると考えれば、その他の存在も皆同じような高みに至るとすれば、いろいろな仏陀が登場してもいいわけです。シャーカムニ以外の仏陀が、いろいろな性格を持った仏陀として登場し得るような可能性が、大乗仏教では開けてきたということなんです。<br /><br /><h4>大乗仏教の思想</h4>　シャーキャムニブッダは、シャーキャボサツという言い方をするんです。ボサツはボーデイ・サットヴァ（Bodhi sattva）の省略です。これを菩提薩捶と音訳したわけですね。これを漢訳で菩薩というふうに略していったわけです。Bodhi（ぼだい）というのは悟りという意味、sattva（サットヴァ）は、有情というふうに訳す場合もあるんです。「悟りを求める人、生きとし生けるもの」というような意味を持った言葉なんです。<br /><br />　このサットヴァの一番の特色は何かというと、自分が悟りのために発心する、これが最も重要になります。この発心というときの、悟りへの強い情熱を持った求道心、それが菩提心を発すということです。菩提薩捶というのは、そういう悟りへの強い心をおこすこと、おこしている人、そういう存在です。<br /><br />　そして、元々はこのシャーキャムニブッダのみが一人、仏陀であったわけですから、ボサツはただ一人、シャーキャ・ボサツのみです。そのシャーキャ・ボサツが悟りたいっていう心をおこして、何度もいろいろな生まれかわり、死にかわりをしながら、やがてこういう名前の仏陀になったっていう伝承がインドに出来ていきます。ともかくもともと、この歴史性をもった菩薩という言い方が、最初の使い方だったわけです。だから、菩薩も一人、仏陀もたった一人だった。<br /><br />　しかし、先ほどいいましたように、仏陀はさまざまな存在があり得るんだ、さまざまな仏陀が存在し得るという可能性が、法身という考え方から展開いたします。そうすると、わたしたちのこの世界であるサハー（娑婆）っていう、苦しみの世界のことを中心に他方世界を考えるようになると、重層的な世界が開けます。地球以外にもいろいろな星雲があって、太陽系以外にもこの世界はいろいろありますね。大乗経典を読むと、そういう宇宙観が書いているんです。世界は一つではない。<br /><br />　こういうようなさまざまな他方世界を考えて、多くの仏陀のことを描くようになるんです。つまり娑婆世界にはかつて、釈迦という仏陀がいました。そして、ずっーと西方の極楽浄土がある。それはスッカーバティーと言います。スカっていうのは日本語と同じ、すかっとするという意味なんです。ですから、気持ちがいい国、安楽国と訳されもします。そこで説法をしてるのが、アーミダーバ、つまり阿弥陀仏です。一方、東方の浄瑠璃国にいる薬師仏とか、東方のアビラテイ（妙喜国）の阿閃仏とか、それぞれの仏陀にはそれぞれの国土が考えられているわけです。そこで釈迦牟尼仏が行ったようなそういう歴史的なことが、あちらこちらの世界でも当然あっていいわけだと考えるんです。そうすると、さまざまな世界には、さまざまな仏陀もおられる。さまざまな仏陀がいると、さまざまな菩薩がそこには当然いる。菩薩から仏陀になったのですから。このように考えると、仏陀がたくさんいると、その前の段階である菩薩もたくさんいるということになります。<br /><br />　今この現在で、この発菩提心っていうのを誰かがおこしたとしますね。悟りたいっていうことを心から願う。そうすると、やがていつかこの仏陀になる可能性を秘めた菩薩がやがて仏陀となり、その仏陀の説法によって新たな菩薩が生まれる。そういう命の連続が連綿と続いてゆくことになるわけです。例えばわたしも発菩提心をおこせば菩薩ですし、あなたも悟りたいと思って、そこで菩薩行を実践する、仏陀の世界に入ることを菩薩として実行してゆく。<br /><br />　そうすると、菩薩は、今この中に何人いてもいいってことになるじゃないですか。あなたも菩薩、私も菩薩、みんな菩薩だっていう考え方も、ここから生まれてくるわけです。そうすると、今こういうふうにしてわたしたちが生きてる世界に、さまざまな菩薩がいると、やがて将来にわたって、いろいろな仏陀になっていく。同時に、わたしたちのこの生きてる世界が、一つではなく、いろいろな世界にあることをさまざまに描くようになります。大乗ではこの他方世界を、三世十方世界と言います。いろいろな世界があって、そこにいろいろな仏陀がいて、説法してる。その説法を聞いて発心して、わたしも悟りたいという気持ちをおこす、これが発菩提心。これが次の時代の新しい菩薩、仏陀へつながっていくんだよってことになるわけですね。<br /><br />　こういうふうにして時間的にも空間的にも非常に広がりのある仏陀観・世界観を描くようになる。それが以前の仏教と大きな違いがあるということなんです。<br /><br /><h4>空と般若心経</h4>　大乗仏教の一番初期の教義体系、教えというのを、はっきりと打ち出したのは、智慧の経典として知られる般若経です。般若っていうのは、サンスクリット語でプラジュニャーです。パーリ語ではパンニャーとなります。皆さん、日本語としてご存じですよね。あのおっかない顔してる般若。あれはパンニャーっていう口語で、智慧という意味なんですね。これは悟りの智慧のことです。般若の智慧というのは、初期仏教からずっと使われてきた言葉です。<br /><br />　プラジュニャーのプラっていうのは、皆さんが知ってる日本語で、プロペラとかプロフェッショナルとか言いますが、あれは強めなんです。ジュニャーってのは、これは智慧、知るっていう意味からつくられた言葉。それで全体で根本的な智慧とか、完全な智慧という意味となります。だから、普通の知恵じゃない、総合的に直観的にぱっと見通すような、そういう悟りに結び付く智慧のことがプラジュニャーです。これを音訳して、般若としたわけです。ですから、この般若っていうのは、経典のタイトルになっていますように、智慧を、悟りの智慧を説く経典群の名前なんですね。このような真実を見通す智慧は何かっていうと、あらゆるものを見通す在り方を意味します。この経典では、その対象世界を空っていうふうに表現してるんです。これも今までになかった大乗の特色でもあります。<br /><div class="imgCenter"><span><img src="http://www.tibs.jp/lectures/img/watanabe_s04_2.jpg" alt="インド系数字" height="103" width="431" /></span>〈インド系数字〉<br />
『零の発見－数学の生い立ち』岩波新書、古田洋一より</div>
        
    
  
<br />　この語、空とは、ゼロ（零）を意味します。このゼロを含む数字は、インドからアラビアに行ってそれがヨーロッパに伝わって、世界に広まっています。空というのは、このゼロのことです。確かに何もない、空っぽっていう意味ですが、これは無っていうふうに訳すとおかしいんです。ゼロはインド人が発明した偉大な発見ですね。それがあるために位取りができますし、数学も飛躍的に発展したわけですよね。<br /><br />　これは空っぽという意味ですけども、風船が、例えばぷーっと膨らんでその中に何もない、ああいうような状態でもありますし、例えばコップは空であるとか、この服は空であるとか、机は空であるとか、いうように「一切皆空」という言い方を、経典ではしばしば見受けられますよね。しかし、目の前にある机が空であるっていうのは、この机がないっていうことじゃない。だから無じゃないんです。あるんですよ、わたしたちはあると思って使ってるじゃないですか。だけど、この大乗の教えではですね、机は空であるっていうことを、詳しい説明もなくいうわけです。<br /><br />　机は空である。それは一体どういうことなんでしょうか。そのことをもう少し詳しく考えてみましょう。例えば、この家の中に、象さんはいませんね、象さんがいないっていうのを、この家の中に象が空であるという言い方をします。それは象という点で空だといってるだけで、この家そのものはあるわけです。この部屋はある、けれども象さんはいない。その場合、部屋と象は別物です。だけど「この机は空」というのは、言い方が違います。<br /><br />　そこで資料の「般若心経」の一節を読んでみましょう。「舎利子よ、色は空に異ならず、空は色に異ならず。色即是空　空即是色。受想行識、またまたかくの如し。舎利子よ、この諸法は空の相なり。不生にして不滅、垢ならずして浄ならず、増ならずして減ならず。」<br /><br />　わたしたちが知っている般若心経の空に関する一節です。色は空に異ならないっていうわけでしょ。色というのは、これはこの机もそうですし、わたし自身もそうです。仏教では、あらゆる存在というのを、五つの要素に分けます。これを五蘊といいます。形や色彩も含めて、そういう物質的な要素のことを色といいいます。<br /><br />　だから、それ以外の要素を受、想、行、識とするわけです。つまり、受（感受作用）、想（表象をイメージする作用）、行（意志の作用）、そして識（認識の作用）、このような要素からわたしたち人間が成り立っているんだよ、というのが仏教の伝統的な考え方です。結局そういう五蘊、人間全体が、空なんだといってることにほかならないわけです。そして、色は空と異ならない、空も色と異ならない、主語と述語をまったく逆転させているだけですね。このようなものとして物の在り方というのを考えているわけです。<br /><br />　空とは空っぽの状態を意味するから、英語でempty、vacancyと訳されます。例えば車のガソリンが空っぽっていうような同じ意味で使われますね。ただし、この言葉は最初からそういう否定的な文脈で考えても分かりません。ガソリンがいっぱいある満杯の状態を想定して初めて、ガソリンがタンクにはないんだっていうことが意味を持つわけです。つまり充足した状態に対する否定概念です。最初から否定の中に生きてる人たちにとっては、まったくこのことは意味がありません。肯定があるから否定概念がここでやはり機能しているということですね。<br /><br />　タンクにガソリンが満杯の状態があって、それに対して空だというわけだから、タンクはガソリンという点で空であるということができます。つまり空なのは、ガソリンではなくてその入れ物だということです、入れ物とこれに対して目の前に咲いている赤いバラというのを想定してみてください。<br /><br />　この場合、机が空だとか、バラが空だといった場合に、この「バラが空っぽ」というふうに言い換えても、何のことか分かんないですね。ガソリンであったらタンクという容器がありますけども、バラにはその容器がないからです。じゃ、一体どうして経典ではこういう表現をたくさんいうのか。バラが空だ、バラが欠けてるっていうのはどういうことなのか。実はその容器とガソリンに当たるものがバラにはあります。それは何かっていうと、タンクが「バラ」であって、ガソリンが「バラであること」、「バラである性質」、つまりバラの本質です。バラをバラとする性質ということになりますね。タンクに満たされたガソリン、それが赤いバラの存在を充足するバラという性質だというわけです。<br /><br />　ここまで見てきますと、分かってくると思います。「五蘊が空である」という表現は、「五蘊という構成要素によって成り立っているものは空である」ということです。つまりそれは、五蘊によってつくられるものは、その固定的な存在性をなくすことを意味しています。さらにそれを論理的に説明をするようになると、「五蘊から作られたあるものは、その本質が欠けているから空なのだ」というように語られます。そういう、あるものの本質っていうのを想定しなければ、考えることはできなかったということですね。それを仏教では自性というわけです。<br /><br />　この般若経の言い方は、時計は空であるということからさらに発展して、時計は時計の本質という点が欠けている、だから空なんだよっていう言い方になります。「欠けているんだよ」というのは、「空だ」という意味です。つまり時計が空っぽというのは何かというと、あなたが時計だというふうに執着しているような、そういうようなものの本質は、執着しても駄目なんだということをいいたいんです。時計は時計の本質が空なんだっていうのは、このことなんです。<br /><br />　私達には「色は空である」なんていうのは、よく分かんないですよね。しかし、五蘊というようにいえば、これが全体だなっていうのは分かります。しかし、そういうものが空であるって言っても実感がない。だけど、時計の本質、時計の持ってる本質が空であるっていったらば、それは分かると思います。何にもないんじゃなくて、そのような本質の空虚なことを忘れちゃいかん。そして、そのように空としてあることが、もののありようなのだ、という構造が、色と空の二つの関係であらわされているのです。<br /><br />　悟りとは、解脱とは、修行とはこのようなものだという仏教の伝統的な考え方に対して、このままの考え方では、固定的になっていかんよ。悟りとはほんとにそうなのか。そのような固定化した教えで悟りは可能なのか、救いは達成されるのか、こういった批判を「空」の教えは含んでいるわけです。そこであらゆるものの根拠を見直し、初期の仏陀の精神を受け継いで、本当の仏陀に直結するような修行というのは、今までの煩悩を除去して、一定の修行を実践すれば、そこそこのレヴェルの境地に至るという発想を転回して、まさに発菩提心だけで、つまり菩提心をおこすということだけで、仏陀になり得るような、そういう修行の体系を言明するようになるんです。<br /><br />　発菩提心すれば悟りに至る。その時点で、それはもう悟りなんだというわけですよ。そんなことをいう仏教なんて今までなかったんです。だからそこに大きな発想の転換があったということなんです。今日私がお話した空という教えは、今までの固定的な仏教観を引っ繰り返す装置になったわけです。そういうような教えというのを、大乗仏教の核心である般若経系の経典では、空として説いたのです。<br /><br /><div align="center">＝　終わり　＝ </div>]]>
        
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    <title>シルクロードに鳩摩羅什(くまらじゅう)の足跡を訪ねて</title>
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    <published>2009-06-14T06:52:07Z</published>
    <updated>2010-02-08T10:45:31Z</updated>

    <summary>草堂寺(そうどうじ)にて 草堂寺・舎利塔と羅什への熱い想いを語る ガイドの周さん...</summary>
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        <category term="大洞 龍明塾長" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<h4>草堂寺(そうどうじ)にて</h4>
<div class="imgRight"><span><img src="http://www.tibs.jp/lectures/img/ohora6_1.jpg" alt="草堂寺・舎利塔と羅什への熱い想いを語るガイドの周さん" height="195" width="260" /></span>草堂寺・舎利塔と羅什への熱い想いを語る<br />
ガイドの周さん</div>
        
    
  
「こんなに有難いことはありません。鳩摩羅什(くまらじゅう)さまの舎利塔(しゃりとう)に直接手で触れることができるなんて・・・」感激に涙を浮かべて熱く語るのは、西安(しーあん)の外語大学をその年の春に卒業して、日本語のガイドをしている周(しゅう)さんでした。それは中国西安市の南東、青峰北麓にある草堂寺(そうどうじ)を訪れた時のことです。<br /><br />　中国第一級の国宝である舎利塔を収める小御堂(しょうみどう)は平生鍵がかけられて、厳重に管理されていますが、草堂寺釋諦性(しゃくていしょう)住職の好意で、特別に開扉してもらいました。<br /><br />「どうぞ塔に触って下さい。」というご住職の言葉に従い、千数百年にわたって何百万人と知れぬ人々が鳩摩羅什を慕って手で触れた為すりへっている玉(ぎょく)で造られた舎利塔を撫でた時、ガイドの周さんが言葉を続けて「今の中国は仏教を軽んじてはいますが、私たちは、心の中では仏教を信じています。仏教徒なんですよ。」と訴えました。<br /><br />　草堂寺舎利塔のこの感激的なシーンがなければ、鳩摩羅什への私の理解は通り一遍のもので終わったかも知れません。ふりかえってみれば、この事が契機で、西安から河西回廊(かせいかいろう)、敦煌(とんこう)からクチャに至るシルクロードに「鳩摩羅什の足跡をたどる」私の巡礼の旅が始まったのです。<br /><br /><h4>羅什の生涯</h4><div class="imgRight"><span><img src="http://www.tibs.jp/lectures/img/ohora6_2.jpg" alt="羅什生誕の地・亀茲故城趾" height="198" width="242" /></span>羅什生誕の地・亀茲故城趾</div>
        
    
  
　羅什(らじゅう)の伝記は梁(りょう)の『高僧伝』『出三蔵記集』、『晋書』の鳩摩羅什伝などの記述で、ほぼ尽くされているようにみえますが、今日の歴史研究や考古学的発掘によって新しい事実が次々と発見されているので、いずれ書き換えられることになりましょう。従来の定説に従えば、次のような生涯を送ったことになります。<br /><br />　父は鳩摩羅炎(くまらえん)。インドの宰相の長子で父の位を継ぐ前に出家し修行の旅に出ます。噂を聞きつけたキジ国王の白純(はくじゅん)が国境まで出迎え、国師として王宮に留まることを要請しました。<br /><br />　母は耆婆(じーだ)。キジ国王・白純の妹でその時二十才でした。彼女は賢く明敏で美しさは類い希(まれ)で、ひとめ惚れしたジーダの望みで炎(えん)は王命で結婚し鳩摩羅什が誕生しました。<br /><br />　古代キジ国は、シルクロード天山南路の中央クチャに位置するオアシス国家の一つです。国王は白氏(はくし)と称し、トハラ語（ギリシャ語系）を話す白人種でした。<br /><br />　七世紀に古代キジ国を訪れた玄奘(げんじょう)三蔵は、『大唐西域記・屈支(くっし)国』の中で、「この国は小乗教の説一切有部を信じ、寺院は百余ヵ所、僧徒は五千人」と記しており、王宮は三重の城壁に囲まれ、その壮麗さはまるで神々の神殿のごとくまばゆく美しかったと伝えられています。<br /><br />　羅什の母ジーダは、七才のわが子を沙弥(しゃみ)となし、自らも出家得度して比丘尼(びくに)となります。やがて九才になった羅什を連れて、険難なパミール高原を越え、インドのカシミールに留学し、槃頭達多(ばんずだった)を師として上座仏教を極めさせます。留学三年、キジ国への帰途にパミール高原山中の北山で一人の羅漢(らかん)に会い「もし三十五才までに破戒しなければ、アショカ王を教化した優婆掘多(うばくった)と同じように仏教を興隆させるだろう」との予言を得ます。<br /><br />　時にヤルカンド出身の王子須利耶蘇摩(すりやそま)が出家してカシュガルで大乗仏教を伝えていました。彼が説く大乗の教えは、羅什がキジやカシミールで修学した阿含経を中心とする上座仏教とは相容れないもので、大乗の教えを受け入れることは、羅什にとって過去の自分の全否定につながるため大変な苦悩がありました。<br /><br /><h4>羅什の回心</h4>　羅什は、スリヤソマに従って大乗仏教の教学を学びます。『高僧伝』と『百論疏(ひゃくろんそ)』にそのときの問答が書いてあります。それを少し要約してみます。<br />羅什は、<br />「眼根(げんこん)の実有に執し」<br />スリヤソマは、<br />「因縁、所生にして実有なし」と説きました。<br />二者は「有(う)」と「空(くう)」という立場がまったく異なっていました。「有」と「空」というのは、小乗仏教と大乗仏教の相違です。<br /><br />　ある日、スリヤソマが、羅什の僧房を訪ねてきて、阿耨達(あのくだつ)経を読誦しました。これは一切皆空を説く、大乗仏教です。<br /><br />羅什がそれを聞いて、<br />「その経典はどういう道理で、存在するものをすべて否定するのですか」と問うと、<br />ソマは、<br />「これは大乗経典であり、畢竟空を説くんだ」と答える。<br /><br />また羅什は<br />「眼(げん)によって感覚される諸現象は実在しているのにどうして空なのか」と問うと、<br />ソマは、<br />「眼が実有ならば、何を性質とす。」と問い直す。<br />すると羅什は、<br />「見(けん)、見るということを性質としている。」と答えた。<br /><br />あとはソマの独壇場になります。<br />「眼は見(けん)を性質としているならば、自ら眼を見ることができない。」<br />「眼は一つの極微から成立しているのか、多くの極微から成立しているのか。」<br />「もし一つの極微から成立しているのであれば、一つの極微を見ることができる。もし一つの極微を見ることができないならば、多くの極微を見ることができないはずである。」<br /><br />　ソマはさらに、<br />「もし極微に形があれば、それは広さ、大きさを持つことになる。広さや大きさがあれば、それは極微とはいえないはずである。」<br />「広さや大きさがなければ、形があるとはいえないではないか。」<br />「眼などの感覚で知るあらゆる現象は、真に実在するものではない。」<br /><br />　わたしたちが目で見る現象は実在するものじゃない。そういうことが空観なのです。極微をバラバラにすると何もないけど、それが集まってくると働きが起こってくるということです。<br /><br />　このソマの説に、羅什は反論することができなかった。納得したのです。これが「有部(うぶ)」小乗と、「空観」大乗の柱の論争であり、有部の教学を正当に学んできた羅什は、眼根は有であると考えていたのに、ソマは、眼根は因縁所生のもので、実有なものでないと教えたのです。羅什は、大乗の教えに道理があるところを悟りました。<br /><br />　さて、そういう問答を聞いても難しくて分からないでしょう。それもだんだんと仏教を学んでいただくうちに分かる。そして、私共が価値があると思っていたものが、何の価値もないということが分かる。そうすると物の見方がガラッと変わる。それがやがて真理に導かれるということになるのですが、それはこれからの勉強になります。<br /><br />　そこで、ひとつエピソードを紹介しましょう。あるとき、元東大寺長老の清水公照氏のところへ、一人のドイツの青年が来ました。<br />「仏教にいう無とか、空の思想はいったいどういう意味があるのですか、どういうことなんですか」<br />と聞いたわけです。<br />どういうふうに答えたと思われますか･･･。<br /><br />　それを、面白いことに清水公照氏は一言で答えております。<br />「腹が減ったらなんでもうまい。」<br />するとその青年は理解したか理解できなかったかはわかりませんが、納得したような顔をして帰っていったというお話です。<br /><br />　羅什はついに大乗仏教への回心(えしん)を果たし「今まで小乗仏教を学んでいたことは、たとえば、黄金の輝きを知らないで銅の輝きが最上と考えていたことと同じだった」と述懐しています。<br /><br /><div class="imgLeft"><span><img src="http://www.tibs.jp/lectures/img/ohora6_3.jpg" alt="亀茲故城　城壁趾" height="201" width="269" /></span>亀茲故城　城壁趾</div>
        
    
  
　キジへ帰国して二十才の時、卑摩羅叉(ひまらしょ)を戒師として王宮で受戒し、初めて正式な僧侶となり、大乗の教えを人々に広めます。<br /><br />　この頃、母ジーダは羅什と別離することを決意し、再びインドへの修行の旅に出ます。出発に当たってジーダは「中国に正しい大乗の教えを伝える人はあなただけです。それはあなたの利益とならず苦しいことでしょう。どうしますか。」と問います。<br /><br />　羅什は「この大乗の教えを東方の国々に伝え、悟りに至らしめる事ができるのであれば、自分はいろり鍋で焚かれるような苦しみに遭ったとしても悔いはありません。」と答えました。<br /><br /><h4>五胡十六国時代と仏教</h4>　羅什が生きた四世紀から五世紀にかけての中国は五胡十六国の時代です。五種の異民族が次々と十六の国を建てて漢民族を支配し、華北を占拠してゆきました。<br /><br />　漢民族の王たちは異国の宗教である仏教を採り入れることに消極的でしたが、異民族であるこの時代の覇王たちは仏教の受容に前向きでした。<br /><br />　その中で河北をほぼ統一した前秦三代目の苻堅(ふけん)王は、当時の中国仏教界の第一人者であった釈道安の推挙で、すでに中国にまで名声が聞こえる鳩摩羅什を招き直接教えを聞きたいと考えました。<br /><br />　これを機会に西域支配をも意図していた苻堅王は、呂光(ろこう)将軍に七万の兵を与えて白純王が支配するキジ国征服に向かわせます。<br /><br />　白純王は周辺のオアシス国家に援軍を求め、七十万の大軍でこれを迎え撃とうとしますが、戦略にたけた呂光将軍の前にあえなく落城、白純王を始め一万人のキジ人が殺されて羅什は捕虜にされます。<br /><br /><h4>生卒年時と羅什の破戒</h4>　さて、ここで羅什の生卒年時について触れておきます。誕生は三五〇年、没年は四〇九年、六十才で長安で死を迎えているというのが従来の日本での定説となっています。これは、呂光将軍が亀茲を攻めて羅什が捕らわれの身となり、従姉に当たる亀茲国の王女を無理矢理に妻とさせられて破戒したのが三八四年で羅什三十五才だったからというのです。<br /><br />　インド留学の帰途、北山で羅什の顔を観た一人の羅漢(らかん)が母ジーダに向かって「この沙弥(しゃみ)は三十五才までに破戒しなければアショカ王を教化した優婆掘多(うばくった)のような高僧になるであろう。もし破戒したなら、平凡な僧として終わることになる。」と予言したことに根拠を置いています。<br /><br />　破戒を強いられた三八四年が三十五才に当たる筈だという説に従えば誕生は三五〇年になります。実際には、三四四年に生まれ、四一三年に七十才で没したというのが正しいのではないでしょうか。現在の中国ではそれが通説であり、日本でも鎌田茂雄先生がその説をとられていました。とすると没後千六百年は二〇〇九年から二〇一三年まで延び、羅什を顕彰する期間が長引くことになります。<br /><br />　ところで僧の妻帯は女犯罪として中国仏教では厳しく律せられていましたが、西域の上座仏教では、ごく普通のことであって、さして騒ぎ立てるようなことではありません。羅什は呂光将軍が亀茲へ来る前から妻帯しており、姑藏においてもそうですし、長安においても後秦王・姚興(ようこう)が勧める妓女と晩年を過ごしたことが『出三蔵記集』や『晋書列伝』『高僧伝』の記述からも伺えます。<br /><br />　また西域仏教の僧たちがそうであったように、羅什は有髪であったと思われます。僧の剃髪の習慣は、中国へ仏教が入って、仏教僧が他の宗教（儒教や道教）の指導者達との差別化を際だたせる為に行った一つのファッションと権威づけとして普及して来たと考えられる面があります。羅什のこうした生き方は、日本仏教の中では、浄土真宗の祖・親鸞聖人に伝承されているのではないでしょうか。<br /><br />　羅什とおびただしい財宝を入手して長安への帰路、主君・苻堅王の死を知った呂光将軍は、河西回廊の中ほどに位置する姑藏城を攻め、前涼(ぜんりょう)国を亡ぼし後涼(こうりょう)国を建て、やがて自ら王位に就きました。<br /><br />　羅什が姑藏城に滞在したのは、三八五年九月から四〇一年十二月までの十六年間、呂光一族に軍事顧問的立場で仕えていました。しかし、高僧伝などに言うような「仏教と無縁で徒労に時間を送っていた」のでも、「中国に大乗仏教を伝えるという使命を忘れた」訳でもありません。<br /><br />　中国へもたらされる西域の文物の殆どは河西回廊を経過します。仏教が一番早く中国に根づいたのも姑藏(こぞう)や酒泉(しゅせん)・張掖(ちょうえき)・敦煌(とんこう)でした。河西回廊では張一族を始め王侯貴族には深く仏教が浸透していました。仏教経典も多く伝えられ、早くも羅什の姑藏入りを知った僧肇(そうじょう)など長安からの僧も集まって来ていました。羅什はこの地で深く漢文化を吸収し、自ら温めていた仏教経典の翻訳をも手がけていたと思われます。<br /><br /><h4>長安での訳経</h4>　四〇一年十二月二十日、後秦(こうしん)王姚興(ようこう)が派遣する六万の兵によって後涼国は亡ぼされ、羅什は永年の念願であった長安の都へ入ることになりました。<br /><br />　たちまち訳経を始め、逍遙園(しょうようえん)（現草堂寺）と長安大寺で三十五部二百九十四巻の経論を翻訳しました。<br /><br />　四〇九年八月二十日、羅什は長安で没します。享年六十才。（生卒年時には異論があり後に述べます）<br /><br />　死にあたって彼は「私はよそ者（外国人）であったが、どういう因縁であったか、経典の漢訳に従事し三百余巻を訳出した。どうかその本旨を極めて、間違わないように。また訳した経典を広くひろめ後世に伝えて欲しい。私が翻訳し大乗仏教の真理を伝えたところが正しいことを証明する為に、死後身体は火葬に付されて灰になる訳だが、法を説いた舌だけは、焼失することなく、そのままの形を留める筈です。」という言葉を残します。<br /><br />　彼の言葉通り、遺体は火葬されましたが、舌だけは原形を留め灰にならなかったと伝えられています。死後、彼の願った通り、訳出した仏典は、広く東アジア全域に伝播し、日本においても諸宗派の根本経典として、今日に至るも多くの人々を救済し続けています。<br /><br /><h4>河西回廊を行く</h4><div class="imgCenter"><span><img src="http://www.tibs.jp/lectures/img/ohora6_4.jpg" alt="河西回廊地図" height="356" width="475" /></span></div>
        
    
  
　二〇〇七年十月十七日、甘粛省の州都・蘭州(らんしゅう)の飛行場に降り立った私は、敦煌(とんこう)研究院の王旭東(おうぎょくとう)副所長に出迎えられ、通訳の丁淑芳(ていしゅくほう)さんと運転手と共に千二百キロに及ぶ河西回廊(かせいかいろう)の旅に出発しました。河西回廊というのは黄河(こうが)の西側で、バダインジャラン砂漠とキレン山脈に挟まれた回廊のような地形で、山脈の氷河から流れ出る水利によって、肥沃な土地として知られています。<br /><br />　蘭州から武威(ぶい)までは約二七〇キロ、羅什(らじゅう)が十六年間、呂光(ろこう)将軍の下で滞在した姑藏(こぞう)城とはどんな処であったのかを確かめるのが最初の目的でした。姑藏城は、呂光が前涼の張(ちょう)氏一族の居城を攻めとった上にキジ国で奪った財宝で更に堅固・豪華に築いた城です。<br /><br />　その姑藏城の遺構は何処にあるのか、武威市の地図や案内書のどこを探してもでてきません。<br /><br />　二十年ほど前、講談社から出された宮本輝氏の『ひとたびはポプラに臥す』の中にわずかに記載され、宮本氏は武威の市街地から南東へ約十五キロの処にあるというのです。城趾にカメラマンを同行して「姑藏城趾(こじょうじょうし)」として写真をその本に掲載されていました。<br /><br />　私もその地を訪れて宮本氏が「姑藏城趾」としている城壁らしき場所で写真を撮ったりしましたが、どうも城趾とは思えません。むしろ漢時代の長城や兵の駐屯地のように思えてきました。<br /><br /><div class="imgLeft  heightLine-1"><span><img src="http://www.tibs.jp/lectures/img/ohora6_7.jpg" alt="墓誌発見の党博士" height="203" width="128" /></span>墓誌発見の<br />
党博士</div>
<div class="imgLeft  heightLine-1"><span><img src="http://www.tibs.jp/lectures/img/ohora6_10.jpg" alt="敬徳記の石板武威市博物館倉庫で発見" height="172" width="230" /></span>敬徳記の石板<br />
武威市博物館倉庫で発見</div>
<div class="imgLeft  heightLine-1"><span><img src="http://www.tibs.jp/lectures/img/ohora6_9.jpg" alt="姑藏城の正確な位置の決め手となった墓誌" height="177" width="235" /></span>姑藏城の正確な位置の<br />
決め手となった墓誌</div>
<div class="imgLeft  heightLine-1"><span><img src="http://www.tibs.jp/lectures/img/ohora6_6.JPG" alt="漢時代の長城の一部" height="177" width="234" /></span>漢時代の長城の一部</div>
        
    
  
<br style="clear: both;" />　市街へ戻って武威市博物館の楊福(ようふく)館長にそのことを話すと、私の推定通り漢時代の長城の一部だと告げ、一人の研究者を紹介して下さいました。その方は党寿山(とうじゅざん)博士で近年姑藏城の位地を示す墓誌(ぼし)を発見されていました。<br /><br />　その墓誌には「建元十二年（三七六年）十一月三十日、城の西十七里(・・・・・・)（七･五Km）楊墓の東百歩のところ深さ五丈（十二m）に梁叙(りょうじょ)太守と夫人が葬られた」とあり、この墓誌を党博士が発見されたことによって、姑藏城の正確な位地が判明しました。それを現在の武威市の地図にあてはめて見ると、丁度武威市街地の中心部にあたり、鳩摩羅什寺や大雲寺のある辺りに該当しますが、今はそれらしき跡はありません。<br /><br />　日本では武威に鳩摩羅什寺があり、そこに羅什塔が建っていることは、あまり知られていません。前述の『ポプラに臥す』では、羅什塔は武威市公安局の刑務所の中に受刑者と同じように収容されている(・・・・・・・)と書いてありましたが、それは一九九五年頃のこと。一九六六年に始まる文化大革命によって鳩摩羅什寺はことごとく破壊され、境内地は市の刑務所になりましたが、中にあった羅什塔だけは、破壊されないで残っていたのです。<br /><br /><div class="imgLeft"><span><img src="http://www.tibs.jp/lectures/img/ohora6_5.jpg" alt="仏教徒の寄付によって再建されつつある鳩摩羅什寺" height="199" width="267" /></span>仏教徒の寄付によって<br />
再建されつつある鳩摩羅什寺</div>
        
    
  
　現在では、鳩摩羅什寺全体の復興が計画されて、刑務所は移転し、本堂や山門、鐘楼坊舎などが仏教徒の寄附によって再建されつつあります。<br /><br />　鳩摩羅什寺の羅什塔の前に立った時、私にとっては思いもよらない発見がありました。澄み切った青空を背景に立ち上がった十三層塔の正面に、「舌舎尊師(・・・・)」の扁額が掲げてあるではありませんか。<br /><br />「ヒョッとしたら、長安で荼毘(だび)に付されても焼けなかった羅什の舌は、武威まで運ばれてここに葬られたのではないだろうか。」<br /><br />　羅什寺の僧も、武威市博物館の人々もその通りだと言うのです。日本では、案外知られていないことです。<br /><br />
<div class="imgRight"><span><img src="http://www.tibs.jp/lectures/img/ohora6_8.jpg" alt="舌舎尊師とある羅什塔" height="240" width="180" /></span>舌舎尊師とある羅什塔</div>
        
    

　また武威市博物館の倉庫に案内してもらって調べていると「羅什地基(らじゅうじき)　四至臨街(ししりんがい)　敬徳記(けいとくき)」と刻んだ石板を発見しました。<br />「これは一九三〇年に塔の前から発見されてそのまま倉庫に眠っている」とのこと。敬徳(けいとく)とは、唐の太宗李世民(りせいみん)の重臣として活躍した武将で、この人が姑藏に来た時「羅什のお墓がここに在る。周辺は市街に面している」と石板に刻んで塔の前に埋めたもので、初唐の頃には既に羅什塔が、存在していたことを証明することになります。<br style="clear: both;" /><br /><div class="imgLeft"><span><img src="http://www.tibs.jp/lectures/img/ohora5_4.jpg" alt="仏塔に跪くガイドさん" height="171" width="229" /></span>五体投地する丁さん・羅什塔前</div>
　さてこの羅什塔の前でも、ちょっとした驚きのシーンがありました。蘭州からずっと通訳として付き添って下さっていた丁淑芳(ていしゅくほう)さんが突然、うやうやしく羅什塔に向かって五体投地(ごたいとうち)の拝礼をされたのです。<br /><br />　雲ひとつない抜けるような青空にクッキリと立つ羅什塔は、その時なんとも美しく尊く輝いて見えたことでしょう。<br style="clear: both;" /><br /><h4>敦煌・莫高窟修復</h4><div class="imgLeft"><span><img src="http://www.tibs.jp/lectures/img/ohora6_12.jpg" alt="莫高窟第103窟東壁南側維摩経変" height="218" width="291" /></span>莫高窟第103窟東壁南側維摩経変</div>
        
    
  
　翌年二〇〇八年五月十日に、私は北京から敦煌へ入りました。二〇〇二年から敦煌莫高窟の修復事業を始めており、既に第四五窟、五七窟、二一七窟、三二〇窟の修復が終わりました。敦煌の石窟は全部で四九二窟。それを少しでも、長く保って欲しいという願いでやっております。<br /><br />　今回は第一〇三窟の修復が終わった記念のセレモニーが行われ出席しました。第一〇三窟は、有名な維摩経の経変図があります。維摩に対して反対側に文殊菩薩。維摩と文殊との対話の場面が描かれた経変図です。そのほかにも阿弥陀経や、観無量寿経の経変図なども描かれています。敦煌研究院では、修復供養人の銘板を作って、永久にこの洞窟の中に掲げられます。<br /><br /><div class="imgLeft"><span><img src="http://www.tibs.jp/lectures/img/ohora6_14.jpg" alt="車師前国の王城・交河故城 トルフィン" height="188" width="250" /></span>車師前国の王城・交河故城<br />
トルフィン</div>
<div class="imgLeft"><span><img src="http://www.tibs.jp/lectures/img/ohora6_13.jpg" alt="高昌故城・玄奘三蔵が説法した講堂 トルフィン" height="189" width="253" /></span>高昌故城・玄奘三蔵が説法した講堂<br />トルフィン</div>
<br style="clear: both;" />
　そして敦煌から、烏魯木斉(うるむち)、トルファンへと進みました。<br /><br /><h4>高昌(こうしょう)とアーリア族</h4><div class="imgCenter"><span><img src="http://www.tibs.jp/lectures/img/ohora5_5.jpg" alt="衛星画像による地図" height="255" width="399" /></span>黒海から甘粛省にかけて西安までの航空写真地図</div>
        
    
  
　羅什を伴った呂光将軍が、三八四年三月にキジを発って長安へ向かう帰路、コルラ・カラシャールを経て高昌（現在のトルファン地域）に着いた時、高昌大守(こうしょうたいしゅ)の楊翰(ようかん)は、涼州刺史(りょうしゅうしし)の梁煕(りょうき)に呂光の軍を高昌に止(とと)めるべきかを問うていますが、梁煕の優柔不断によって難なく高昌を通過させています。高昌でも呂光はここに自分の王国を建てる志を懐きましたが、楊翰の策略と部下・杜進(としん)の進言で敦煌に軍を進めました。<br /><br />　高昌は、前漢・元帝の時代に「高昌塁」と呼ばれる軍事基地が設けられ、漢人が住みつくようになりました。もともとこの地には、クチャやカラシャールと同様にインド・アーリア人種がオアシス国家を形成しており、「交河城（ヤルホト・現在の交河故城）」を中心に「車師(しゃし)前国」という王国をつくっていました。高昌塁と交河城は東西に約五〇キロの距離をおいて対峙・共存していました。この状態は羅什がここを通過した三八五年の時も続いています。<br /><br />　やがて、四五〇年に北涼の王族・沮渠(しょきょ)氏が車師前国を亡ぼし、高昌国が成立しています。<br /><br />　トルファン通過の時、羅什は自分と同じインド・アーリア人種に属する「車師前国」が、のちに漢人の手によって滅ぼされゆくことを予見していたでしょうか。それはやがて祖国・亀茲王国の運命に連なることでもありました。<br /><br /><h4>クチャへ</h4><div class="imgRight"><span><img src="http://www.tibs.jp/lectures/img/ohora6_16.jpg" alt="鳩摩羅什ブロンズ像 キジル石窟前" height="323" width="193" /></span>鳩摩羅什ブロンズ像<br />
キジル石窟前</div>
        
    
  
　クチャは、鳩摩羅什の生まれた故郷、古代キジ国です。<br /><br />　敦煌からシルクロードは、北道と南道に分かれます。北道はまた天山山脈を境にして、天山北路と天山南路に分かれます。クチャは天山山脈の南側、タクマラカン砂漠の北側、ちょうど真ん中辺で、交通の要衝にあたるところです。昔、黒海のほとりに、アーリア人種が住んでいました。今から五千年ぐらい前に、一部のアーリア族が移動を開始し、南ロシアを通って、アルタイ山脈にたどり着いて、アルタイ山脈の南側で、ひとつの安住の地を得ていました。<br /><br />　ところが四千年前に、気候の加減か、食料の為か、人口爆発が起こったのか、また大移動が始まります。この時、ヨーロッパの方へ移動したグループと、インドへ移動したグループがありました。そして、やはり前と同じように南ロシアを通ってアルタイ山脈へ行った人たちがいます。千年前に、ここに居住していた人たちは同じ民族ではありますけども、敵同士です。五千年前に、移動して生活していた人たちは、ずっと南下して、楼蘭(ろーらん)の辺りで、安住の地を得ました。<br /><br />　四千年前の人たちは、トルファンあたりに住まいを持ったわけですが、天山山脈を下りてきたグループのひとつが古代キジ国人でした。今から三七〇〇年ぐらい前のさまざま遺跡が、特に青銅器の遺跡がクチャから出土しています。<br /><br />　キジ人たちはアーリア人ですから、目が青く、髪の毛は赤く、肌は白く、鼻は高い。オアシス都市・古代キジ国として国家形成をしたのは、千五百年ぐらい前だろうと思われています。<br /><br /><h4>羅什の容貌</h4>　さて、鳩摩羅什の容貌はどんなふうであったか。キジル石窟の前の鳩摩羅什の銅像は一九九四年に建てられものです。羅什の父はインド人、母はキジ国の王女ということで、想像で作られたものです。しかし、私はこれを見て疑問に思いました。というのは、鳩摩羅什の頭が丸い。平べったくない。これはおかしいんじゃないかと思ったわけです。<br /><br /><div class="imgRight"><span><img src="http://www.tibs.jp/lectures/img/ohora5_9.jpg" alt="木で頭を押さえ扁平頭にする" height="108" width="200" /></span>板で頭を挟み扁平にした<br /><br /><span><img src="http://www.tibs.jp/lectures/img/ohora6_32.jpg" alt="現代人頭蓋  古代亀茲人頭蓋" height="136" width="231" /></span>左：現代人頭蓋<br />右：古代亀茲人頭蓋
</div>
　なぜなら古代キジ国の人は扁平頭(へんぺいとう)でした。特に身分の高い人は、扁平頭だったのです。『大唐西域記』の屈支(くっし)国（クチャ）のところに、「亀茲国は、その習慣として、子どもを生むと木で頭を押さえ扁平にしようとしている」という記述があります。前後に板を頭を挟んで、扁平にするのです。<br /><br />　そこで、私は鳩摩羅什が扁平であったということを物語る六つの証拠をそろえてみました。一つに玄奘三蔵の『大唐西域記』にあった、亀茲国の記述。それから二つ目にキジル石窟などの壁画に描かれた、キジ人の容貌です。みんな扁平なのです。ヨーロッパの学者も、日本の学者も気が付いてなかった。それから三番目に、古代亀茲人の胸像のレプリカがあります。これは、ドイツのルコックが本物をクチャから奪ってドイツへ運んだもので、近年レプリカとして帰ってきています。それを見ると、みな扁平です。さて一番大事なのは、スバシ故城出土の王女の頭蓋骨です。王女の白骨体が一九七八年にスバシ故城のショウコリ大寺の仏塔の北側から発見されました。３世紀から４世紀ころの遺蹟です。鳩摩羅什のお母さんが生まれた頃とほぼ同じです。<br /><br /><div class="imgLeft"><span><img src="http://www.tibs.jp/lectures/img/ohora6_22.jpg" alt="キジル石窟第205窟 亀茲国王(中央)・王妃・僧侶 （4人共に扁平頭、僧侶は有髪） ドイツベルリン民族学博物館" height="158" width="231" /></span>キジル石窟第205窟<br />
亀茲国王(中央)・王妃・僧侶<br />
（4人共に扁平頭、僧侶は有髪）<br />
ドイツベルリン民族学博物館</div>
<div class="imgLeft"><span><img src="http://www.tibs.jp/lectures/img/ohora6_19.jpg" alt="ル・コックがドイツに持ち帰った胸像のレプリカはどれも扁平であった" height="160" width="326" /></span>ル・コックがドイツに持ち帰った胸像のレプリカは<br />
どれも扁平であった</div>
<br style="clear: both;" />
　その白骨体が今のクチャ王府に陳列してあります。それは木の棺に入って発見されました。その中に龍の頭の彫刻があった。それで、王女だということが証明されたのです。はっきりと扁平頭になっています。そこには赤ちゃんの白骨体もありました。だから、お産をしてすぐ亡くなったのではないかと思われます。<br /><br />　この王女は、一七五センチ。白骨だけで一七五センチだから、おそらく一八〇センチ近かったと思われます。現代に出してきても長身の素晴らしい美人であっただろうと思います。これが四番目の証拠。<br /><br /><div class="imgLeft"><span><img src="http://www.tibs.jp/lectures/img/ohora6_25.JPG" alt="キジル美人の扁平頭蓋" height="157" width="210" /></span>キジル美人の扁平頭蓋</div>
        
    
  
<div class="imgLeft"><span><img src="http://www.tibs.jp/lectures/img/ohora6_24.JPG" alt="キジル美人と大洞塾長" height="157" width="117" /></span>キジル美人と大洞塾長</div>
        
    
  
<div class="imgLeft"><span><img src="http://www.tibs.jp/lectures/img/ohora6_23.JPG" alt="王女（キジル美人）出土の仏塔北の穴を説明するオブル氏" height="155" width="207" /></span>王女（キジル美人）出土の<br />
仏塔北の穴を説明するオブル氏</div>
        
    
 <br style="clear: both;" /> 
　五番目に、キジル石窟研究所の特別な倉庫に、人の頭蓋骨が六体ほど格納されていて、今までは外部に絶対に見せなかったものですが、所長の王衛東氏と新疆文物局のオブル氏の特別な配慮で中に入れてもらい、写真におさめることが出来、それら全てが扁平頭であることを確認しました。　<br /><br />　一番最後の六番目が面白い。活気にあふれるクチャのバザールを歩いていたときの発見です。私を案内してくれたオブルさんが、「ちょっと見てください。この子供の頭は扁平でしょう」というのです。横を向きオデコをあげてもらって写真を撮りました。どうして扁平なのかと尋ねると、<br />「今でもクチャの人々は、先祖からの伝承で、母親は子供が生まれたら、骨が柔らかい生後六ヶ月以内に額を手で押さえて平たくする習慣があります。そうすれば、女性は美人になり、男性は格好良くなるといいつたえられているのです」と教えてくれました。<br /><br /><div class="imgLeft"><span><img src="http://www.tibs.jp/lectures/img/ohora6_30.jpg" alt="キジ楽舞を伝えるクチャの踊り子" height="151" width="102" /></span>キジ楽舞を伝える<br />
クチャの踊り子</div>
<div class="imgLeft"><span><img src="http://www.tibs.jp/lectures/img/ohora6_29.JPG" alt="クチャバザールにて、少年の額が扁平" height="152" width="202" /></span>クチャバザールにて、<br />
少年の額が扁平</div>
<div class="imgLeft"><span><img src="http://www.tibs.jp/lectures/img/ohora6_28.JPG" alt="クチャバザール風景" height="151" width="113" /></span>クチャ<br />
バザール風景</div>      
<div class="imgLeft"><span><img src="http://www.tibs.jp/lectures/img/ohora6_27.JPG" alt="キジル石窟研究院に保管される扁平頭蓋" height="152" width="114" /></span>キジル石窟研究院<br />
に保管される<br />
扁平頭蓋</div>
 <br style="clear: both;" /> 
　亀茲人の扁平頭の一考察として、羅什の母だけでなく、羅什自身の容貌がやっとなんとなくつかめてきます。<br /><br />　古代亀茲国は、九世紀にウイグル人に征服され滅亡しました。アーリア系亀茲人の殆どの男達は殺され、亀茲国人が話していたトハラ語もその文字も死語になってしまいましたが、女系の血統だけは、ウイグル人と同化して残っていきます。母親たちは板ではなく手を使って額を扁平にすることを伝承し、代々「扁平頭の文化」は千年の時を越えて伝えられていたのです。<br /><br /><h4>蘇ったキジ国の菩薩たち</h4><div class="imgLeft"><span><img src="http://www.tibs.jp/lectures/img/ohora6_26.JPG" alt="クムトラ新石窟GK21窟　13体の菩薩像" height="283" width="380" /></span>クムトラ新石窟GK21窟　13体の菩薩像</div>
        
    
  
　羅什は亀茲国の王宮に生まれ、沙弥(しゃみ)としてまた僧として、ショウコリ大寺やキジル石窟・クムトラ石窟で学び修行し説法(・・・・・・・)をしていました。<br /><br />　一九七九年に中国軍がクチャの西方約二十キロにあるクムトラ石窟の近くで崩れた崖を修理していた時、偶然に穴があいて、未知の石窟が出現したのです。<br /><br />　千年以上埋もれていたクムトラ新窟の発見でした。<br /><br />　五世紀頃の壁画が色鮮やかに現れたのです。イスラム教徒の偶像破壊行為をまぬがれたギリシャ・ペルシア様式をもつ菩薩像十三体が偶然にも甦ったのです。長い年月埋もれて外の空気にさらされなかった為、壁画の色彩は鮮やかでした。まさに奇蹟の発見という他はありません。羅什はこのような絢爛たる古代亀茲国の芸術・文化の中に囲まれていたのです。<br /><br />　晩年羅什は「天竺へ帰りたい」と長安で周囲に漏らしていたことが慧遠の書翰にしるされています。<br /><br />　幼い日々を過ごしたきらびやかな王宮や、白い雪を頂く美しい天山の峰々、壮大なショウコリ大寺、そしてラピスラズリをふんだんに使った壁画が描かれた洞窟の数々、それにもまして優しかった母ジーダの面影が羅什の脳裏に去来していたのでありましょうか。<br /><br /><h4>結び</h4><div class="imgRight"><span><img src="http://www.tibs.jp/lectures/img/ohora6_31.jpg" alt="鳩摩羅什座像画（草堂寺・石碑の拓本）" height="391" width="199" /></span>鳩摩羅什座像画<br />
（草堂寺・石碑の拓本）</div>
        
    
  
　大乗空観を根本原理とする日本仏教の諸宗派は、動乱の中国、五胡十六国の時代に、彗星のごとく現れて去っていった羅什の存在があってはじめて、今現在成立しているといっても過言でないでしょう。<br /><br />　羅什という存在がなければ、東アジアは、小乗（上座）仏教の国になっていたかもしれません。中国も朝鮮半島も日本もです。<br /><br />　またインド、カシミールからの帰りに、羅什がスリヤソマに出会って、小乗から大乗への回心(えしん)を果たしたことが、その契機になったことも忘れてはなりません。<br /><br />　波乱に満ちた羅什の生涯は、一時間や二時間で語りきれるものではありませんが、私が旅した河西回廊と、クチャでの新しい発見をお伝えして、羅什一六〇〇年の記念すべき年を前に、今、彼の偉大なる足跡を偲んで、威徳を讃えるものであります。 <br style="clear: both;" /> <br /><div align="center">＝　おわり　＝ </div>]]>
        
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    <title>生きる道としての仏教～中道を行く～（第22期開講記念講演）</title>
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    <published>2009-04-24T12:34:14Z</published>
    <updated>2010-06-02T00:23:42Z</updated>

    <summary>　現代というのは、非常に生きていくことが難しい世の中になっており、価値観がすごく...</summary>
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        <category term="奈良康明先生" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[　現代というのは、非常に生きていくことが難しい世の中になっており、価値観がすごく多様になっています。私など、小さいとき、青年時代を経てきて、世の中はこういうもんだとか、こういうふうに物を考えなくちゃいけないとか、教えられてきたものが全部ひっくり返されてまいりました。ちょっとした習慣、動作、ファッション、そうしたものから思想的なものまで、本当に多様性というんですか、それだけ人間が自由になってることはあるんですけれども、まごついてしまうことがあるんですね。<br /><br />　大学に行っておりまして、大学の女子学生がカーディガンを裏返しに着てるんですね。なんか間違えたんだろうと思って、そばに行って、「君、カーディガン裏返しだよ」って小さな声で教えてあげると、キッとにらまれまして、「先生、これファッションです」。<br /><br />　私などの年代では、結婚して、子どもをつくって、そうしたことが国家、社会の発展にもつながるなんて考えてたんですけども、知り合いの教員の方でも、事務の方でも一人の方がかなり多いんですね。「なんで」って聞いたら「先生、面倒くさくって」。<br /><br />　ここは本郷三丁目ですけれども、比較的近くで、昨年六月に秋葉原事件というのがございました。青年が車で突っ込んで、ナイフで人を殺したという。新聞に犯人の青年の言葉が載っておりました。「現実の世界では嫌になることがあっても人に話せない。現実の世界から逃げてネットの世界に入り込んだ。誰でもいいから構ってほしかった」。<br /><br />　現実の世界に、嫌なことはワンサカあるわけですね。それなりに苦しんだり、悩んだり、なんかしながらやってきているわけなんで、それが話せないと。結局、自分の殻の中にこもって、孤独になっちゃいますね。構ってほしかったというような発言。勝手なもんだという感じがしますけれども、半面に社会全体に、何か他人さまといろいろな形で交流していくことが妨げられている状況の多い社会なんだということもいえるかもしれません。<br /><br />　個人だけの問題じゃなくて社会全体に、人間がバラバラになっていて、お互いに心の通い合いがなくなっていて、最近では自己愛なんていう言葉が評論家なんかでよくいうんですね。自分を愛するっていうことがどういうことかというと、自分が目立ちたいと同時に傷つくのが嫌だという。<br /><br />　なんかやろうと思う、いいたい。そういうことがあっても、人にたたかれたり、批判されたりすると自分が傷つくので、ついいわなくなる傾向があるんだそうです。<br /><br />　私のとこへよく遊びにくる大学院を出た子なんですけども、「若くていいね。なんでも好きなことをやれて、いえる年代だからね」っていいましたら、「いや、先生、僕たちはいいたいことがあってもいえません。やりたいことがあってもやりません。たたかれるのが嫌だから周りを見て、みんなが動きだしたのを見て、それについていく」。自分をかわいがっているようで、実は他者との関係を自分で切っているわけですね。社会で他者との関係を切っていったら、まともな社会生活はできないだろうと思うんですが。<br /><br />
<div class="imgCenter">
<span><img height="248" alt="熱心に講義を聞く受講生" src="http://www.tibs.jp/lectures/img/nara04_1.jpg" width="369" /></span>熱心に講義を聞く受講生</div><br />
<h4>善悪の判断</h4>　そうした時代ですので、一体何が善で、何が悪なのかを判断をするのが難しい世の中になってきてると思うんですね。<br /><br />　何が善で何が悪だなんていうの、決めようがないでしょう。人によって、時代によって、社会によって、みんな違うんですね。<br /><br />　うそをつくのはよくないことである。悪いことである。一般論としては、そのとおりなんだけれども、しかし、病気なんかで落ち込んでいる人に向かって、「元気を出せばすぐ治るからね」。こういううそは、善なるうそでありましょう。あんまりばか正直にいうと、人間関係も保てなくなってくる。状況にもよりますし、時代によっても違いましょう。<br /><br />　私など、戦争中は中学生だったんですけども、滅私奉公だとか、忠君愛国だとか、そんなようなことを教えられて、生きてきたんですけれども、現在になりますと、そういう当然のこととされた倫理が現在では通じなくなっている。別に新しい一つの倫理、あるいは物の考え方というのがあって。時代によって、善悪などが変わってくるわけでしょう。<br /><br />　善悪というのは、いろんなことで違うわけで、仏教の祖師の方も、何が善で何が悪だなんていうのを決めかねる、とおっしゃっています。<br /><br />　道元禅師の言葉で、<b>「人の心、元より善悪なし、善悪は縁によっておこる」</b>そのとき、そのときによって善悪違うんだよと。親鸞聖人は、<b>「善悪の二つ惣じてもって存知せざるなり」</b>、何が善で何が悪かなんて、いえっこないんじゃないかと。法然上人は、<b>「げにも凡夫の心はものぐるい、酒によいたるがごとくして、善悪につけて思い定めたることなし」</b>とおっしゃっています。<br /><br />　仏教国で、お釈迦さまにしても同じでございまして、状況によって違うんだけども、やっぱりいいことはしなさいね。悪いことはしなさんなと、教えが説かれます。<br /><br />　何が悪かというと、現在の私どもがこういう難しい世の中にあって、やはり、いいことをしましょう、悪いことはしないようにしましょうって、自分にも言い聞かせ、他人にもいうじゃありませんか。じゃあ一体、何が善で何が悪なんだ。「そんなことは状況によって変わるんだ」、それはそうかもしれないけど、答えにならない。<br /><br />　ところが、お釈迦さま、<b>「悪を行うよりは何もしない方が良い。悪を行えば後で悔いる。単に何かを行うよりは、善を行う方がよい。後で悔いることがない」</b>という。つまり行いは、悪いことはしなさんなよと。悪いことをすると、後で自分で悔いることになるからねっていう教えなんですね。<br /><br />　<b>「ある行為をして、後で後悔し、涙して嘆きながら苦い報いを受けるなら、それは善い行為ではない。ある行為をして、後で後悔をすることなく、喜び、心楽しく報いを受けるなら、それは善い行為である」</b>。善悪ということの、いわば定義みたいなものが、何が善で何が悪だという言い方じゃなくて、善というものは、その行為をして、後で後悔しない、心喜ぶものが善ですよと。後で後悔し、涙して嘆きながら苦い報いを受けるのが悪ですよと。いってることは分かるんですけれども。何が善で何が悪かという、いわば定義を聞かれていて、これ答えになりませんでしょう？<br /><br />　自分で善だと思い、後で喜んだのが善だって。しまったな、まずいことをしちゃったなって、苦い思いをかみしめるのが悪だっていうんですけど、うれしいとか、楽しいとか、よかったっていうのとは、まずったなっていうのは感覚の問題、その人によって違うんじゃありませんか。<br /><br />　社会の中でいろいろな形で人を押しのけてお金をもうけて、おれは商売がうまい、万歳っていってる人だって居るわけですから。そういう人たちは、おれはうまくやった。ばれなきゃいいんだなんていうんで、その辺が、自分で後悔をするのは悪である。自分で喜ぶのが善であるっていうお釈迦さまの教えは、どうも善悪の定義としては弱いですよね。<br /><br />自浄其意<br />　実はお釈迦さまが、後悔するのが悪である。自分で喜ぶのが善であるという教えを説いた、そのもう一つ根底には、条件がある。それを知らないと、お釈迦さまの教えが意味を失ってしまうんですね。真実、あるいは教えというものに誠実に、自己に誠実に正しく生きていこうよという、大乗仏教の言葉でいえば発願。一般的な言葉でいえば、正しく生きていきたいという決意があって、いかにして自分なりに努力を続けていくという前提があった上で、自分で喜ぶのが善である。後悔をするのが悪であるという教えが意味をもってくるんでありまして、それをはっきり示している言葉がございます。<br /><br />　<b>「諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意、是諸仏教。諸々の悪をなすなかれ、諸々の善を奉行せよ、自らその意を浄めよ、これ諸仏の教えなり」</b>。七仏通誡偈と申します。<br /><br />　仏陀というのは、もちろん目覚めた人、悟った人、お釈迦様のことで。仏教というのは仏の教え、「すべての人が仏になる教えです」と、答えてもいいものでしょう。仏というのは、一人である必要はないんであって、だからこそお釈迦さまも悟りを開かれて、仏陀になり、同時にお弟子さん方も仏陀と呼ばれていたことは当時のインドの文献からも知られております。<br /><br />　特に、現在のように大乗仏教の日本になりますと、成仏ということが一つの大きな問題です。誰にでも開かれているものです。お釈迦様一人が現実の問題として仏陀である。少し時代がたちますと、お釈迦様以前に、それぞれの時代を異にして、六人の過去仏がおられたという考え方が出てまいります。その六人の過去の仏さまが居て、七人目がお釈迦様なんだ。全部含めて過去七仏と申します。<br /><br />　いろいろな説がございまして、一つの世界に一人の仏さまが居る。その次の時代に、二番目の仏さまが居る。こういうふうに伝承諸仏として七人の仏様が生まれる。その七人の仏様が全部共通して説かれた教えが七仏通誡偈というんでありまして、仏教とは何かという質問に対して、ずばりお答えになっているのがこの一句なんです。「いいことをしなさいよ。悪いことはしなさんな。自分の心を清めなさい。これが諸仏の教えです。仏様方の教えですよ」と。重要なのは、自らその心を清めるということなんであります。<br /><br />　つまり、善をしなさい、悪をしなさんな。それを下にあって支えるのが、正しくまっとうに人間として生きていきましょうという、自らの決意。そして、その努力というものが自らその心を清めるという一語の中に含まれております。<br /><br />　お釈迦様の教えに従って、法というものをありがたく受けながら自分なりに生きていく。自分なりに生きろって、そんな立派な生き方できないんですよね。善をしなさい、悪を欲するななんていったって、もう少し自分の修行が進んだら、もうちょっとうまくできるかもしれないけども、そんなこととてもできませんよねなんていう質問が出てくるかもしれませんけど、これは、実は仏教を理解するときの基本的な姿勢の誤りなんです。<br /><br />　私の好きな言葉に「及ばずながら」という言葉がございまして、どうも仏教を生きていくというのは、及ばずながらっていう言葉を使わないと、私は自分で生きていけないと思っているんですよ。<br /><br />　私は、寺で育ちまして、あんまり偉い、とてつもなく優れた行いやら考え方、聞かされてきますと、こっちの方が嫌になっちゃって、「そうですか、おれにはとてもついていけませんよね。いち抜けた」っていいたくなってくるじゃありませんか。<br /><br />　しかし、今のお釈迦さまの教えを聞き、私、曹洞宗の人間ですから、道元さんのことなどをだんだん学んでいくうちに、そうじゃないんだなと思うようになったんですね。最初から百点満点の教えを守るなんていうのは、できっこないんですから。そうじゃなくて、教えに誠実に、そして自分に誠実に一生懸命生きていく。それが、及ばずながら生きていくということだと思いますし、その及ばずながらまじめに生きていくことが、お釈迦さまも、道元禅師も、それでいいんだよとおっしゃってますから。<br /><br />　結局、この善悪の問題にしても、最初っから、お釈迦様やら、仏さまに褒められるような善悪の判断なんていうのは、できっこないんですよ。そういうふうに思った方がいいと。今日、ただ今から自分なりにお教えに従って、自分に誠実に及ばずながら生きていく。及ばずながらお教えに従って、悩みながら、これでいいのかな。これはやっちゃいけないんだろうななんていいながら生きていくプロセス。それが、実は心を清めていくということである。心を清めるというのは、ここまで行ったからいいよっていうんじゃなくて、一、二、三から始まって、ここに行くプロセスで考えていかないといけないもんだと、私は思っているんであります。<br /><br />　ですから、そういうふうに考えたときに、仏さまの教え、あるいは七仏通誡偈の教えというのは、私ども全員に開かれた教えになってくると思うんです。<br /><br />　毎日、及ばずながらの法に従い、お教えに従い、自分に誠実に善悪を考え、補っていく。失敗することもある。でも仕方ないじゃありませんか。そういうプロセスがあって初めて、お釈迦さまの善悪の定義「後で後悔するのが悪ですよ。自分が喜ぶのが善ですよ」という教えが生きてくることになりますね。<br /><br />　唐に白楽天という詩人がいました。鳥巣道林禅師という、ひまさえあると一本木の枝が広がって、鳥の巣みたいになってる所へ登って座禅してるっていう変わったお坊さんに白楽天が、「如何なるかこれ仏法の大意」って聞いた。道林禅師がこの七仏通誡偈をもって答えた。白楽天がハッハッハッって笑って、「なんだそんなこと、そのぐらい三歳の子どもでも知ってるじゃないか」って言い返しました。そうしたら、禅師に、「三歳の童子すら知れること、七十の老これを行うことあたわず」って言い返されて、ぺちゃんこになっちゃったと。及ばずながら毎日私どもは努力していくより仕方がないんだと、そういうことになろうかと思われます。<br /><br />　同じことを道元禅師がいってるんです。<b>「いずれを定めて善ととり、悪とすつべきぞ。ほめて白品の中にあるを善という、そしりて黒品の中に置くを悪という」</b>と。<br /><br />　つまり、人が褒めるような素晴らしい人たちの間に身を置いて、正しい、よい生活をしている人と一緒に交わっていくのが善なんだ。人に非難されるような悪い生活をしてる人たちと付き合うのが悪なんだ。これも正しい善悪の一つの言い方じゃないかというんです。<b>「苦をうくべきを悪といい、楽を招くべきを善という」</b>と。<br /><br />　お釈迦さまのいうのと同じなんですよ。後で自分が苦しむのが悪だよと。そして、自分でよかったなと楽しむのが善なんだよと。こういう二つの善悪の教えを道元禅師が、「かくのごとく子細に分別して、真実の善をとって行じ、真実の悪を見てすつべきなり」と。<br /><br />　道元禅師は永平寺の中で修行僧に向かって、<b>「僧は清浄の中より来たれば」</b>修行僧っていうのは、生活を清らかなものとしなければならない。そういう存在なんだから。<b>「物も人の欲を動かすまじき物をもてよしとし、清しとするなり」</b>どんな事柄であっても、人間の欲望を振り回し、欲望を募らせるようなことはしないものをよしとし、清しとするんだよと。つまり、お坊さんに対しては、欲望を募らせて、あれが欲しい、これが欲しいというようなことがないようなものを善だというふうに考えていきなさい。これは、あくまでも修行僧に対する教えとして、道元さんはこう説いてるわけですね。<br /><br />　道元さんの教えを、現在の私どもが受け止めるときには、やはり善悪を本当に見極めて生きていきなさいということは、結局お釈迦さまのお教えと同じになってくるんであります。その中で、昔のお坊さんのように欲望を募らせるようなものは一切捨ててなんていってたら、とても生きていくことができないのであります。<br /><br />　そこは現代に生きる人間として、私どもそれぞれの受け止め方の中で、極力法に従い、教えに従い、自分に誠実に生きていくにはどうしたらいいんだ。そうしたことを、ある意味では迷いながら、悩みながら、生き方を続けていく。そうしたプロセスこそが、実は善悪を正しく行っていく道だし、それが次第に、前にできなかったことでも、慣れてくるとできるようになってくるよと。こういう次第に信仰が深まっていく。そうした生き方を教えることにつながってくるわけですね。<br /><br />
<h4>戒　律</h4>　仏教の歴史の中で善悪、これは戒律という形で、別の形で規定されている言葉。戒律って、一言でいうんですけども、戒と律とは違います。戒というのは、Ｓｉｌａといいます。自主的な判断をするもので、主体的なものであります。お釈迦さまも、お弟子さんがたも、みんな修行僧です。修行僧は、真理を求めて修行する人たちです。そういう自分の立場を考えたら、おのずとしていいことと、していけないこととと分かってくる。こういうふうに自分で判断して自分の行為を選び取っていく。これをシーラと呼びました。ですから、自主的なもの、主体的な選択行為であります。人間ですから、それがうまくいきません。そうしたことに対して反省、さんげということが利用されたのであります。今の日本語ではざんげと呼びますが、このシーラ、戒とさんげはペアになっております。<br /><br />　ところが、教団が成立し、修行僧が増えました。メンバーが増えると、どうにもしょうがないお坊さんもでてくる道理でありました。修行の意欲というものが薄い人が入ってくることは避けられません。お釈迦さまの目から見て、してはいけないことを知らずにやる場合もあるでしょうし、知ってて欲望に負けて行ってしまうこともあったでしょう。それでは教団の修行者集団としての秩序が保てませんから、お釈迦さまは、お弟子さんたちがなんか悪い行為、許されない行為をするたんびに「そんなことをやるのはしょうがないなあ」っていいながら、「何々すべからず」と説いていったのが律であります。ヴィナヤ、導くものという意味でありますし、これはルールであります。他力的なものであります。律に反した場合には罰則がございます。律と罰則、それから、戒とさんげというもの、それぞれのペアになっているもんだとお考えください。<br /><br />　律はルールです。律を運用していく基本が戒でなければなりません。それの基本が、うそをつくなとか、生き物を殺すなとか、盗むなとか、お酒を飲むなとか、男女の関係を正しくしろとか、いわゆる五戒というものでございます。この戒というものを一つ具体的に申し上げていきたいんですが、私、南方仏教のお坊さんがたとお付き合いをするようになって、さすがにきちんとしていて、そして、食事も午前中しか食べませんし、いつも黄色い衣を着て、実にきちんと生活してるんですけど、たばこを平気で吸うんですよね。「たばこ、吸っていいの」って聞いたら、「おお、構わないよ。お釈迦さまが禁止してないもの」、でも、お釈迦さまの時代にたばこがあったら、お釈迦さま、禁止したに違いないと私は思ったですね。<br /><br />　禅宗の方で、江戸時代、山へ行って木を切ったりなんかしていて、ひと区切りついたら雲水さんがひと休みして、キセルかなんかでしょう、すぱっと、なんともいえずおいしかった。「うまいなあ」って思って、同時に、「こんなうまいものを吸っていたら修行にならない」といって、その場でキセルを放り捨てたという話、作り話かもしれませんけれども、大乗仏教の戒と、それからテーラヴァーダ仏教の方で重要視している律というものの違いをよく示してると思うんです。<br /><br />　お酒に関しましては、「お坊さん、お酒飲んでいいんですか」とありましたら、いろんな答えがあると思うんです。「お酒なんて禁止されてんだから、飲んじゃいけないんでしょう」という答えもありましょう。現在日本で使われております五戒は、「酒飲むべからず」と書いてないんですよ。不?酒戒といいまして、酒を造って売ってはいけないって書いてある。これは中国でできたんですけど、私はこれは、中国ではお酒に寛容な文化ですが、ちょっと戒律を曲げていると思うんです。おそらく酒をやめろったってやめられないんだから、せめてお酒を造って売る人に「そういうことをしちゃいけないんだよ」と、お酒を造る人に責任をかぶせているのが不?酒戒だと思うんです。酒飲むなっていうんであれば、「飲むな」というべきでありましたね。<br /><br />　でも、インドでは、暑い国ですし、お酒に対する拒否反応が非常に強くなります。お釈迦さまをはじめ、極めて厳しい姿勢で「酒を飲むな」といっています。中国の方は、気候風土の関係からいっても、お酒に対する文化的な許容度があるんですね。そのことを踏まえてお聞きいただきたいんですが、私が十八～十九の若者であったときに、私の師匠兼父親。たくさんは飲みませんけど、お酒の好きな人でありました。何の気なしに、「父さん、お坊さんってお酒飲んでいいの」って聞きました。そうしたら「よくないなあ。だからなあ、私はお酒を頂くときには、申し訳ないな、ありがたいなっていいながら飲んでるんだ」って答えました。「酒を飲んでいかんというなら飲むな。酒飲むんなら、飲んでいいといえ」父親に食って掛かったことがあります。父親、困ったような顔をして、何かいってました。<br /><br />　「酒は飲むべくそうろうか」と質問した信者さんがいるんです。法然さんは、<b>「まことには飲むべくもなかりけど、この世の習い」</b>と。まあ、お酒に寛大な文化っていうものがあるからねと。つまり、戒というものの受け止め方は、こういう面があるんです。ですから、戒を、例えば、うそをつくなにしても、物を取るなにしても、生き物の命を殺すなにしても、律のように百パーセント正確さを期されたらできっこないんです。あくまでも一つの守るべき基本の在り方として、私なんかもずいぶん教えられております。極力その理想に、目標としながら、自分なりの判断をもってできるときにそれを守っていく姿勢、それが戒というものを守っていく姿勢になってくると思います。<br /><br />
<h4>中　道</h4>　つまり、戒を守るということは、律を守ることと違いまして、主体的であり、自主的であり、従いまして、十人の人が居たら十人その守り方が違うんです。まず、お釈迦さまの教えからちょっと読んでみたいんですが。<b>「修行者は、二つの極端に近づいてはならない。一つは、諸々の欲望において欲の快楽にふけらないことである。他の一つは、自らを苦しめる苦行にふけることである。両者とも我々のためにはならない。仏はこの両極端に近づかないで、中道を悟ったのである。」</b><br /><br />　これは、原始仏典に出ている中道の一番有名な教えなのです。二つの極端に近づくなと。二つの極端っていうのは、苦行と快楽と書かれてます。お釈迦さまが結婚している人であり、出家をしてから苦行、難行の生活もしてます。その苦行でも、安楽に身を任せることでも、どっちに重きを置いても、これは悟りにはいけないと。中道を行かなければいけない。中道の道を歩くことによって悟りを開いたんだと。でも、これ難しいんですよ。苦楽の中道って何ですか。お酒を三合飲みたいんだけども、お釈迦さまの教えがあるから二合で我慢しましょう。これが中道だっていう人も居るかもしれない。<br /><br />　ビガンっていう日本語でいう琴があって、楽器の名手の青年がお弟子さんに入ってきました。非常にまじめな人で、もう朝から晩まで修行、修行で、心身に緊張を加えて修行をしていた。お釈迦さま、その坊さんを呼んで、「おまえはその弦楽器のお琴を弾くのが得意だって、そういってたけども、その楽器の弦を強く締めすぎても、緩めても、正しい音が出ないだろう」と。人間も同じで、修行にしても、あんまり厳し過ぎても良くない。緩んでも駄目なんだ。ちょうどその中道を行かなければいけないと。<br /><br />　音楽ならば、弦を緩めてるのと、締めたのと、一点しかないんですよ、正しいポイントが。ところが、楽と苦の中道っていうのは、人によって広がりがあるじゃありませんか。例えば、苦楽の中道ではなくって、物事の中道ということで、有名な教えがあります。<b>「世間の人々は多くは二つの立場にこだわっている。それは有と無である。もしも人が正しい知恵を持って世間の現れ出ること、成立を如実に感ずるならば、無はあり得ない。また、人が正しい知恵を持って、世界の消滅を如実に感ずるならば有はあり得ない。仏はこの両極端に近づかないで、中道によって法を説くのである」</b>と。<br /><br />　快楽と苦行ということに限らず、有と無、正と不正、白と黒、何でも対立する二つの極端じゃなくて、中道ということで、ど真ん中ということをいってないんですね。どちらにもこだわらずということが、その判断を中道なるものとなってまいります。そこで初めてお釈迦さまの中道っていうもの、生き生きとしたものになってくるんであります。<br /><br />　中道っていうと、皆さん真ん中と思われるかもしれませんけれども、中道とはど真ん中ではありません。私が扇子を持っているとしてください。扇子を開きます。扇子を開きました。右と左があります。ど真ん中っていうのはここが真ん中ですよね。もし中道がど真ん中だとすると、扇子自体が右に傾いたら、中道も右に傾いちゃうじゃありませんか。全体が左に行ったら、中道も左に行っちゃうじゃありませんか。別に中道っていうのは政治的なことをいってるわけじゃないんですけれども、なんか中道っていうのは状況によっていくらでも揺れてしまう主体性のないもんだなあっていうことになりません？<br /><br />
<div class="imgLeft">
<span><img height="220" alt="扇子" src="http://www.tibs.jp/lectures/img/nara04_2.jpg" width="197" /></span></div>　この扇子の要の所を外します。そして、そこに下に重りの付いた時計の針みたいなのを付けて、また要を締め直したとしてください。扇子は開きますとその下に時計の針みたいなものがあって、下に重りが付いてそれがぐるぐる回ると仮定してください。扇子が右に傾きました。その針は下に重りが付いてますから、相対的に左に寄ります。真っすぐ上を指していますよ。扇子が左に傾けば、その真ん中の中道は相対的に右寄りになります。この重りというのが実は律からその心を清め、その法を教えに誠実に、自分に誠実にいろいろ考えながらできていくプロセス。そうしたプロセスをこそ重りというふうにお考えください。中道というのは、そうした重りに常に立ち返りながら、自分でこれが真ん中かなと思うのを選び取っていく、それが主体性なんです。ですから、それが社会全体の目から見たら、相対的に右行くこともあり得るし、左行くこともありますし、これは、社会の問題なんであって、自分の生き方の問題じゃないんだというふうに中道をお考えください。<br /><br />　私が友人と一緒に、あるアメリカ人の学者の家に食事に招かれたことがありました。私はそのアメリカ人に、「いいですか、ヒンドゥー教徒ですよ、バラモンでね」と、そこまではいいました。インドの歴史の専門家ですから分かるだろうと思った。行って楽しくお話をしていて、奥さんが「食事の支度ができました」といって、食堂の方に行きましたらば、なんとお皿にビーフの小さいのをバターで焼いたのがお皿に載ってるんですよ。子どもさんがたが喜ぶようなものが出てきまして、私、それ見たときに、「この友人、ヒンドゥーで、バラモンさんであると申し上げたはずですが、ビーフはおろかお肉も食べたことがない人なんです」。「あっ」ていったっきりその先生と奥さんが立ち往生しちゃった。<br /><br />　先生、「気をつけなきゃ駄目じゃないか」って奥さんを怒り、奥さんは困って、「申し訳なかったわねえ」。場が凍り付いちゃったですね。そのとき私の友人のバラモンの青年が、「いいんです。私はヒンドゥーだけど、うちはモダンな家庭で、ときにはビーフも食べるんです」っていいながら、そこにあったビーフを口に持っていって、かじるまねをして見せました。で、置きましたけど、それを潮に、「申し訳なかったわねえ」って、野菜か何か出してくださいました。<br /><br />　翌日彼に会うと、うちへ帰って大変だったそうです。おじいちゃんが、バラモンともあろうものがビーフを口にするとは何事であるか。真摯なバラモンとして生き抜いてきた人で、孫を怒るのはそのおじいちゃんの中道なんです。私の友人が人を救うためにかじって見せたんだというのも、彼の中道なんです。みんなまじめにヒンドゥー教徒としての生き方を求めながら考えてるんですよね。相反する考え方が中道。状況に応じましてね。<br /><br />　戒律を重んずる教団の若いお坊さんと原坦山という曹洞宗の禅僧が、二人で歩いていたら、夜来の雨で小さな川の橋が流れて、娘さんが渡れずに困ってたところ、原坦山が、「ああ、娘さん、渡れないねえ。困るよねえ」っていいながら、彼女を抱いて、じゃぶじゃぶと水の中に行って向こう岸に渡してあげた。律を重んじる若いお坊さんが、おまえは坊主の癖に律を犯したと。原坦山が「ああ、あれか。おれは確かに彼女を抱いて向こう岸に渡したよと。でも、向こう岸に着いたらおれは彼女をおっぱなしてやった」と答えたという話なんです。抱いていたものを放したとともに、自分の心になんにもわだかまりが残ってないよという意味なんです。原坦山の娘を渡した行為と律宗の青年の若いお坊さんのどちらが正しいか。どちらが正しいとはいい切れませんでしょうね。客観的に見れば、原坦山の方に軍配が上がるでしょう。そのときに渡してあげなかったら彼女、どうしたろうってことがありますから。だけど、両者ともに実はそれぞれの信仰に忠実に生きている一つの生き方であり、中道なんですね。中道っていうのはこういうふうに真ん中じゃないんですよ。<br /><br />　ですから、中道というときに、自分なりに重しがあって判断していくんだけど、実はそこに一つの基本的に慈悲心というもので判断をされ、バランスを取ったものが中道を支えていると。先ほど重しといいましたけど、重しの中には自分の信仰に誠実に生きること、具体的には、知恵と慈悲というものが働いています。それがバランスの取れたものにしていくことになってきます。<br /><br />　中村元先生と中道の話をしてたら、「奈良君、僕はね、中道っていうのは山登りの道だと思うよ」っておっしゃった。急な坂をものともせずいっぺんに登っていく登り方もある。ゆっくり登っていく登り方もある。しかし、ほとんど多くの人が山登りをしていくと、ほとんどみんなが一番歩きいい道というものができてくるだろうと。それが中道なんだ。つまり、みんなが歩きいい道ということは、それなりにバランスが取れ、みんなが納得できる。知恵と律というものが働いてる生き方、これでなけりゃならんということじゃなくて、それが一番正しい、そして自然な道、それが中道なんだと中村先生は考えておられるんですね。<br /><br />　私はさらにそれにくっつけるんですが、そういうふうに道ができたとしても、今度は人によってそういうふうにできた道を真ん中歩く人もあれば、右端歩く人もあれば、左端を歩く人も居るだろうと。ちょっとよそへ出て花を摘んで歩く人なんかも居るかもしれない。あくまでも中道というのは、<b>「人間としてなすべきことにつとめよ」</b>という教えに戻ってくるんだと。そんなふうに私は自分なりに考えているわけであります。<br /><br />
<div align="right">「文責　編集部」<br /></div><br />
<div align="center">＝　終わり　＝ </div>]]>
        
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    <title>日本仏教史(第21期スクーリング講義録 [ダイジェスト版])</title>
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    <published>2008-06-20T13:19:48Z</published>
    <updated>2010-02-08T07:06:32Z</updated>

    <summary>　古代から現代まで、日本の仏教がどのように生まれ、続いてきたか。日本仏教の特徴を...</summary>
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        <category term="西村　玲先生" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[　古代から現代まで、日本の仏教がどのように生まれ、続いてきたか。日本仏教の特徴を考えてみたいと思います。　<br /><br /><h4>古 代</h4>　今から約一五〇〇年前、中国から朝鮮半島を通って、日本に仏教が伝来いたします。古代の仏教でご紹介しておきたいことは、何といっても聖徳太子です。聖徳太子につきましては、今のところ信用がおける歴史的な資料、ないし遺跡といいますか、木簡であれ何であれ、ほとんどありません。何らかのかたちでそういう方が居たとは思うんですが、聖徳太子が何をいったか、彼の思想が何であったかというのはほとんど分からない。しかし聖徳太子が古代から今に至るまで、日本人の信仰と尊敬を集めてきたこと、日本仏教の象徴として信仰されてきたのは、歴史的事実であります。私たちが聖徳太子に何を託してきたか、太子にどういう理想を見てきたかということが大事だと思うのです。<br /><br />　聖徳太子は仏教を世間に広めることを重視し、修行者のみの仏教ではなく、世俗の生活の中に生きる仏教を重視したというふうに見られております。『十七条の憲法』、非常に素晴らしいものでありますが、第十条の一部のみご紹介したいと思います。<br /><br />　「人皆心あり、心おのおの執れることあり、かれ、是なれば、すなわち我は非なり。我必ずしも聖にあらず。かれ、必ずしも愚にあらず。ともにこれ凡夫...」。両方ともただの人である。だから、一方的に相手を怒ったり責めたりしてはならないというものです。この言葉は、一人俗世から離れた聖人のものではなく、世俗の中に生きた聖徳太子の声として聞くことができるかと思っております。日本仏教の原点とされる聖徳太子が、「われも人もともに是ただ人なり」といったとされること、そういう太子が日本仏教で理想とされてきたことを、まず押さえておきたいと思います。<br /><br />　その後南都六宗、奈良の仏教でありますが、皆さまご存じの大仏の東大寺、また興福寺が盛んになります。それに対して平安時代の新しい勢力として、最澄と空海が出てまいります。どちらも中国に留学された方です。<br /><br />　日本仏教の特徴、また思想史を考える上で、最澄は非常に重要であります。最澄によって日本の仏教はインド、中国、朝鮮と伝わってきました、それまでの仏教と異なった独自のものになります。仏教の戒律には、大乗戒と小乗戒の２種類があります。もともとインド以来、出家者いわゆるお坊さんは、小乗戒を守ることを基本にしています。これは僧侶の日常生活、僧団の生活を細かく規定する決まりであります。非常に具体的なものでありまして、その結果、数も多くなるのです。たとえば、男性僧侶は約二百五十戒、女性僧侶は三百四十八戒といわれます。具体的にどういう決まりかといいますと、例えば午後には物を食べてはいけない。液体のみしか口にしてはいけないなどというものです。<br /><br />　これに対しまして、大乗戒は、たとえば日本で一番有名な梵網戒ですと五十八戒と非常に少ない上に、細かい規則というよりは、精神的な側面が強くなってきます。もう少し言いますと、実際には実行することができない、実行不可能な決まりが入ってくるわけです。例えば、「自分の皮膚をはいで、それを紙にして、血を墨にして、骨を折って筆にして、お経を書き写せ」と本当に書いてあるのです。歴史的には実際にこれをやった方もおられるのですが、現実には、普通の人間にはまず不可能であるというものです。つまり大乗戒の中には、精神的な心構えとして受け止めざるを得ないものがあります。<br /><br />　最澄は出家者の戒を精神的な理念、大乗戒のみにいたします。そして以後、その方法が日本仏教の基本になります。つまり得度するときには、大乗戒のみを受けることになるわけです。それまで基本的には具体的な小乗戒を守っていたのが、逆に精神性のみを重視する大乗戒のみを守るということになります。それが日本における出家の姿になります。このことによって、理念的には戒の上では在家と出家の区別がなくなりまして、出家者であれ在家者であれ、悟りを開いて仏になる道が開かれたことになります。これは大変なことでありまして、日本仏教の性格を大きく規定するものの一つです。<br /><br />　「国宝とは何者ぞ、宝とは道心なり、道心ある人を名づけて国宝となす。その戒広大にして真俗一貫す」。法華経の思想に基づく最澄の言葉ですが、聖と俗、出家と在家の区別を峻別しようとせず、むしろ世俗の中に聖なるものを見ていこうとする思想につながっていきます。これは、いってみれば一種の普遍主義、あるいは平等主義といえるかと思います。<br /><br />　こういうことを、なぜ最澄が考えたかということですが、最澄の言葉ですけれども、一番若いころに書いたとされるもので、「愚が中の極愚、狂が中の極狂、塵禿の有情、底下の最澄」。こういった宗教的な内省、自覚がこういった真俗一貫という思想を開くことにつながったというふうに考えております。この平等主義、普遍主義というものは、鎌倉新仏教のうちの各宗の祖師につながっていきます。各宗の祖師は、皆比叡山の天台宗で学んだことがありますので、どこかでやはりつながるわけです。<br /><br />　こう聞きますと、この平等主義は大変よろしいように聞こえるのですけれども、いいことづくめではありません。現実に人間が生活していく際を考えた場合、精神的な決まりだけでいいのか。現実にはわれわれ自身の日常的な細かい規定、具体的な倫理を実行する積み重ね以外に何があるのかという考え方が当然あるわけです。まして僧侶として修行していく上ではどうなのか。気持ちだけでいいのであれば、現実の人間は楽な方に流れるだけではないか。私は自分のことでそう思うんですけども、動かしがたい真実だと思います。<br /><br />　実際、日本仏教の歴史は戒律という歯止めが薄れまして、楽な方に流れていく歴史でもありました。研究者の中には、「本来の仏教から見れば、妥協の積み重ねである」とおっしゃる方もいるぐらいです。その意見が妥当なものかどうかというのは、皆さんがご自身でお考えになることかと思います。<br /><br />　戒律の問題でいえば、歴史的には、大乗戒のみというのを嫌いまして進んで小乗戒、二百五十戒を受けるお坊さんもおりました。戒律の「律」の僧と書きまして「律僧」というのですけども、中世、江戸時代、明治時代にも少数派ながら常におりました。彼らは社会活動や慈善事業を行い、思想的にも非常に大きな影響を及ぼしております。律僧は少数ですが常に存在しており、これ自体聖と俗、真理と世俗の関係のバランスを取っていこうとする日本仏教の特徴の一つであります。　<br />　<br />　空海は、真言密教の祖師として日本に密教を入れた方であります。空海によって始まった密教は、平安時代に真言宗と天台宗の両方で、貴族や天皇家の祈祷を行いまして、時代の主流となりました。天台宗は最澄の段階で密教があまり入ってきませんでしたので、平安時代を通して真言宗に追い付こうとして、何回も中国で勉強してまいります。それが円珍と円仁であります。空海の有名な言葉を紹介しておきます。「生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く　死に死に死に死んで死の終りに冥し」（限りなく輪廻転生し、生まれ続け死に続けても、われわれ生物は暗く迷い続けていく）。<br /><br /><h4>中世－変革の時代</h4>　古代から中世にかけまして、各宗の祖師をはじめとして、多くの宗教者が出ます。古代の貴族政治、摂関政治から鎌倉の武家政権に移り変わる時代ですので、社会体制自体が非常に変わってまいります。例えば貴族が持っていた荘園が変わりまして、武家がその荘園主になっていくわけです。社会体制が根本的に変わる中で、仏教もまた人々の願いに応じて変わります。<br /><br />　没落していく平安貴族たちの間では、今が仏教が滅びる末世、末法であると実感されます。念仏が新しい仏教として出てきまして、新しい勢力である武士は実践行である禅を求めるわけです。中世に関しましては、伝統と革新の二つの流れがあると思います。<br /><br />　まず伝統というのは、それまでの仏教が役に立たなくなってくる。平安時代の密教の儀礼、非常に煩雑なものですけども、お金もかかるし、時間もかかる。とにかく貴族でないと、その財力がないわけです。新しく出てきた武士、庶民はとても無理ですので、どうすればいいか。まず、仏教の原点に立ち返ろうという動きがあります。これは南都の旧仏教、高野山、比叡山ですが、そちらでの戒律を復興しようという動きが出てきます。また、栄西、道元の禅、中国から輸入されてくる禅です。戒律や禅というインド以来の伝統にもう一回立ち返って、われわれの実践行を探していこうという流れが出てまいります。<br /><br />　こういう伝統に対して革新派といいますか、これまでのものが役に立たないのであれば新しいものをつくっていこうではないかという流れも生まれます。<br /><br />　浄土宗の開祖、法然は、幼くして最澄の天台宗比叡山に入り約三十年後、一心専念弥陀名号、念仏を口で唱えるだけで、人は極楽に往生できるのだということを主張するに至ります。あらゆる実践行の中で、ただ阿弥陀仏の名前を唱えるだけでよい、という易しい行を選択しました。すべての人間が誰でも念仏を唱えることで極楽に行けるという信念に基づき、法然は四十三歳で比叡山を下りた後、京都で念仏布教を始めます。貴族の摂関家から、一文不知の尼入道まで広い支持を着々と得ていきます。<br /><br />　誰でも口で唱えるだけでいいという革新性は、革命的なものだったと思われます。法然が最期に残した言葉、一枚起請文、彼の遺言ですけれども、ご紹介しておきましょう。「ただ往生極楽のためには、南無阿弥陀仏と申して、うたがいなく往生するぞと思い取りて申す外には別の仔細候わず」。<br /><br />　法然の思想は、世界の近代史におきましても、大変なことでありました。この人間観と救済の方法は、その後の日本仏教の中心的な思想の一つになってまいります。浄土系の仏教、真宗も合わせますと、浄土系の宗派は日本でもちろん最大であります。<br /><br />　こういった法然の教えが広がっていく過程で、専修念仏の主張が一般化して、大衆化していく中でどうなっていったか。念仏を唱えてさえいれば、どんな悪いことをしても極楽往生できるのだという楽な方に流れて、都合のいい解釈が生まれるわけです。阿弥陀仏以外の仏像を壊したり、戒律を守る僧侶を軽蔑して襲ったとか、あるいは犯罪を犯す者が出てまいります。悪いことをしても極楽に行けるなら、罪を犯した方が得ではないか、というわけですね。法然自身は不心得な者たちに再三注意しておりますけれども、なかなか行き届かない面がある。そういうことも含めて、旧仏教からの法然門下への弾圧へつながってまいります。旧仏教側で法然を弾圧したのは南都、奈良の高僧では、たとえば貞慶です。<br /><br /><div class="imgRight"><span><img src="http://www.tibs.jp/lectures/img/nisimura01_1.jpg" alt="熱心に講義を聞く受講生" width="282" height="217" /></span></div>
        
    
  
　貞慶は、戒律の復興を目指した人で、南都の法相宗、唯識思想を基盤としております。この貞慶が自分のことを反省する文章を読みますと、彼が批判する法然側の思想、専修念仏をする人たちの思想に非常によく似ている部分があるのです。貞慶の言葉ですが、「自分にはあまりにも仏道を実践する能力がない。朝も昼も夜も怠けてばかりいるし、門前にこじきが来れば、それに対して哀れみの心もなく嫌だと思う。また、犬やスズメにさえ哀れみを感じない。とても自分ではどうしようもない。自分は罪障、罪が非常に深い凡夫である。...我進んで道心を請ふ...。」凡夫の自覚以降が、法然や親鸞と決定的に違ってきます。<br /><br />　次に曹洞宗を開いた道元。その主張は修証一如といわれまして、修行、坐禅がそのまま悟りであるというふうにいわれます。悟りを目的として修行するのではない、坐禅すること自体が目的なんだというふうにいわれまして、純粋禅だというふうにいわれております。道元の修行に対する姿勢は、「初心のものでも決して自ら卑下して学を緩くすることなかれ。」という言葉によくあらわれておりましょう。<br /><br />　日蓮はやはり天台宗に学びまして、法華経信仰を元にして、現実な社会に積極的にかかわっていた祖師であります。前の執権でありました北条時頼に法華経信仰を行わないから天災が起こって、元が攻めてくるんだと予言をして、伊豆に流されました。日本の仏教者の中でもこうした積極性、社会的にかかわっていこうという実践の在り方は非常にまれであります。後世に大きな影響を及ぼしております。<br /><br />　日本近代に入り、日蓮主義運動というのが起こります。国の柱の会、国柱会というのは、「我、日本の柱とならん」という日蓮の有名な言葉から取られております。田中智學、石原莞爾、宮沢賢治、北原白秋らが参加しています。現実にかかわろうとする意思と姿勢が日蓮および日蓮宗の特徴であり、戦後に生まれた新宗教系でも日連系は群を抜いて多く、日蓮の現実にかかわろうとする熱い意志は脈々と生きています。<br /><br />中世後期<br />　中世の後期には室町幕府と結びまして、臨済宗の禅が盛んになります。あとは戦国時代で、思想的にはあまり発展が見られません。しかし、この時期の日本仏教には大きな地殻変動が起こります。具体的には曹洞宗、浄土宗、浄土真宗は、九州、関東、東北といった、地方に布教して、教線を拡大いたします。<br /><br />　浄土教や禅宗、それらが新しく起こってきた庶民、また武士を押さえて勢力を拡大し、新仏教の勢力はそれまでの旧仏教と完全に逆転いたしました。これを政治構造、あるいは政治史的にいえば、それまでの天皇家、貴族、また鎌倉幕府といった勢力から、地方の戦国大名へと権力が移る時代、いわゆる下克上の時代に伴う必然的な宗教の変化であったと思われます。<br /><br /><h4>近 世</h4>　中世から近世、江戸時代に移ってきますと、最初にキリスト教が伝来いたします。島原の乱という大規模なキリシタン一揆の後に、幕府は宗門改め、一人一人がキリスト教信徒であるかどうかという検査を行うようになりました。もし、万が一キリシタンであった場合には、仏教のお寺に仏教徒として改宗させられるわけです。<br /><br />　そのときに、一人一人から証明書を取る。「わたしは仏教徒であって、キリシタンではない」という証明書を取るわけです。その証明書が後に一般化しまして、庶民は結婚する場合、また引っ越しする場合、とにかく自分の土地を離れる場合には寺が発行する証明書が必要になりました。<br /><br />　ここで、寺は行政的に戸籍事務を扱う役割を持つことになります。それが江戸時代の最初の、ほぼ一〇〇年間で、全国的に確立してまいります。お寺の半数以上がこの時期にできています。　これだけ大きな制度、全国的に、国民一人一人、民衆一人一人の支配を行う。証明を取る。幕府権力という上からの押し付けだけでは到底できませんし、また定着するのは無理ですね。実際問題として、幕府がなくなった明治以後、今もって寺檀制度はございます。残っているからには、みんなにとって寺檀制度には何らかに積極的な意味、残すだけの価値があったんだろうと思うわけです。<br /><br />　もともと中世の後期から寺の僧侶に葬式をしてもらうことは広がりつつありました。低い身分の庶民にとって、死んだ後に野原に投げ打たれる、あるいは墓にしても一般人が埋めるということではなくて、個人として死後に供養を受けることは、望ましいことでした。また、僧侶によってその霊魂の浄土への往生が保証されるわけですので、死後の安心が得られるということも、それがなかった状況と比べれば、非常に画期的なことでした。<br /><br />　一方、寺や僧侶にとっても、中世後期辺りには民衆と寺、僧侶の相互の必要によって、寺と檀家の関係が地方によってはある程度成り立っていたものだろうことが、明らかになっております。<br /><br />　近世の初めに、幕府はある程度あった寺檀関係の上に乗って、庶民の把握を行うわけです。寺の側としても、その制度によってお寺の数は増え、その存続は制度的に保証されますので歓迎されることでした。民衆一人一人にとっても、死後の安心と日々の心の支えに加えて、お寺にみんなで行くことが娯楽でもあったわけです。行きつけのお寺と行きつけのお坊さんというのが求められるものでありました。<br /><br />　こうして幕府と寺、僧侶、民衆のそれぞれの必要が三位一体になりまして、江戸時代に仏教は全国に広がり、国民宗教となっていきます。江戸時代と同時期の中国や朝鮮では、仏教は社会的・思想的力をほとんど失っています。同じ東アジア文化圏で、日本になぜ仏教が残ることができたのかというのは、やはりその寺檀制度に代表される仏教の国教化と、それに伴う普遍化にありましょう。いいかえれば、仏教は江戸時代に名実ともにみんなのものになった、ということかと思います。<br /><br /><h4>近 代</h4>　近世後半の知識人、具体的には幕府や各藩の武士、高官の多くが、仏教に対して魅力を感じなくなっており、仏教は無知蒙昧な愚民だけがだまされるものだと、言い切っております。<br /><br />　では、彼らは何を信じていたのか、本居宣長や平田篤胤によって始められた国学神道が大きな比重を占めています。古代の素朴な心情が日本人の一番目指すべきものであって、仏教や儒教といった外から来た思想が、日本人の心を汚してきたんだという主張につながってまいります。<br /><br />　その結果、明治近代は、廃仏毀釈と神仏分離によって幕を開けます。これは日本の歴史上大規模に行われた唯一の仏教弾圧策です。明治政府としては、日本が植民地になるのだけはとにかく回避しなくてはいけない。これから国民全体として、欧米列挙の諸国に追い付こうとするのが課題であります。そのとき、国民としての意識の一体化を図るためには、日本を起源とする国家神道の方が望ましいわけでした。<br /><br />　とはいいましても、神道一本でいこうという政策はあまりにも無理がありまして、民衆に受け入れられず、結局、すぐに挫折いたします。その中で仏教は、何とか国家の近代化に付いていこうとして国家と宗教、仏教の関係を模索してまいります。そのあらわれの一つが、肉食妻帯です。近代に入りまして、僧侶は兵隊にも取られるようになります。お坊さんは一人の僧侶である前に、まずは明治国家、日本国家の国民の一人になりました。江戸幕府が禁止していたように、僧侶の妻帯を政府として禁止する理由はないわけです。明治５年、僧侶の妻帯を許可する法律が出されました。<br /><br /><h4>おわりに</h4>　仏教であれキリスト教であれ、イスラム教であれ、普遍的な真実を説く宗教というものが、実際の個別具体的な現実、日本でしたら日本の中で、どのように人を支えて世俗の中で生きていくか、ということは難しい問題です。身びいきかもしれないんですが、いろいろ好条件も重なって、日本の仏教は比較的、聖と俗のバランスをうまく取ってやってきた方ではないかと思っております。その特徴としては、やはり人の生きる現実を重視して人に寄り添う姿勢、現実の中で人を支えるという優しさであるように思います。いってみれば、一番最初にいいました聖徳太子、また最澄の真俗一貫の道は、紆余曲折しながらも今にずっとつながって、人を支えてきたのではないかと思われるのです。<br /><br /><div align="center">＝　終わり　＝ </div>]]>
        
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    <title>臨床的視点からの仏教の死生論（第21期スクーリング）</title>
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    <published>2008-06-20T11:30:27Z</published>
    <updated>2010-06-02T00:21:59Z</updated>

    <summary>｢死｣は自我超越（自我相対化）の場　ホスピスの問題。死の臨床研究会に参加し、お医...</summary>
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        <name>管理者</name>
        
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        <category term="中野東禅先生" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<h4>｢死｣は自我超越（自我相対化）の場</h4>　ホスピスの問題。死の臨床研究会に参加し、お医者さん・看護婦さん・牧師さんと勉強会を始めて２５年ぐらい経ちますが、その運動の中で、いろんなことを発見しました。<br /><br />　その一つの発見が、死は自我超越の場ということでありまして、ある大学の学生に「死」という一文字で作文を書いてもらうということをやり、七百人分の作文がたまったときに分類しました。<br /><br />　（１）そこで、死を考え感じたきっかけを、直接的体験と間接的体験というふうに独断で分類しました。<br /><br />　<b>直接的体験</b>というのは、人格が変わるほどショックを受けたと見られるもの。（Ａ）は、自分の接近したニアレス体験。例えば、心臓の手術をした。あるいは、自動車にはねられた。（Ｂ）家族との死別。若い人でも結構居るんです。（Ｃ）それから、知人、友人。本当に親しい人との死別。（Ｄ）自己の生存の危機体験。本人は覚えてないけども、あんた生きてるの不思議だいう人、結構居るんです。わたしの授業を聞いて、うちへ帰って、「きょう、授業でこういう話を聞いた」っていったら、お母さんが「本当は、あんたはこの世に居ない人だ。医者が生んではいけないといったけど、どうしても一人だけほしい、やっとあなただけ妊娠することができた。」<br /><br />　それから、<b>間接的体験</b>と名前をつけましたが、人格が変わるほどのショックとは思えないもの。例えば、バイクに乗ってるから時々事故を見る、それからスポーツや恋のときに死の不安を感じる。人間、幸せなときに死ぬ不安を感じるんです。生の意味の喪失っていうのは、五月病のようなものですね。孤独、いじめられたとき。第三者の自殺というのは、有名人が自殺すると、後追い自殺する人が出てくるでしょう？　文学や何かで、あるいは、生存の必要を感じなくなること。宗教団体で教育を受ける。神の国がすぐそばにあるといういい方をする。そうすると、すっと死ねる、あの世に行けるような錯覚になっていくというのもあります。ペットの死。手相見に「あなた、長生きしない」っていわれたとか、結構、あるんです。<br /><br />　（２）問題は次なんです。死というのをどう説明するか、間接的体験の人は、いろんなこと書くんです。死ぬのはこわくないとか、おれは悪いことをしてるから地獄へ行くだろうとか、いろんなこというんですが、全部観念です。<br /><br />　ところが、直接的体験の人は、ほとんど書かないんです。死ぬって何だって説明しない。驚いたのは、「死とはあっけないものだ」と書いた人が居るんです。仏教でいうと、これは「如実知見」といいます。事実を事実のままに見る力です。われわれは、なかなか事実は事実のままに見られないんです。観念から見る。自分のものさし、コンプレックス、習慣、そういうもので見てるわけでしょう？　だから、みんな、空想でしか、もの書けないんです、死ぬって。ところが、家族に死なれたり、自分が死にそこなった人は、死ぬっていうのは、説明なんかできないっていうことです。空想でも観念でも説明できない事実だ。例えば、小さい妹が、かぜの菌が頭が入って、一週間ぐらいで、死んでしまったというような体験を持っている人なんかは、死とはどうしようもないということになってしまう。<br /><br />　間接的体験の人は、われわれの既成のものさし、概念でものごとを説明しようとする。ところが、大事な人に死なれた人は、そんな人間のご都合のものさしで説明できない、事実そのものということを、体験で知っちゃった。事実を事実のままに純粋に見られる。ということは、われわれの概念が壊れるということなんです。今まで考えていたものさしが壊れる体験です。これが、この調査の大変な発見なんです。<br /><br />　<b>「無常を観ずる時、吾我の心生ぜず」</b>と。道元禅師が学道用心集の最初の行に書いてあるんです。人間が無常を知るというのは人が死ぬ、それにぶつかったら、エゴが壊れるっていうことです。仏教がなぜいつでも無常、人は死ぬっていうことを最初にいうのかというと、それによって、わたしたちは概念や観念が壊れて、純粋になるからです。これが、重要な点です。<br /><br />　（３）そして、死の前をどう生きるかということですが、間接的体験の人は、「人間はいつ死ぬか分からない、だから、あれをしたい、これをしたい」と書くんです。ところが、直接的体験の人は、「人間はいつ死ぬか分からない」って、同じスタイルで書くんです。ところが、あとが違うんです。だから、部活の友人を大事にしたい、家族を大事にしたい、恋人を大事にしたい、こういうふうになってくる。つまり、自己中になるか、自分を支えてくれている家族とか、恋人とか、友人とかになるかの違いなんです。ほんのわずかな違いのようだけど、大変な違いです。自分がおかげをこうむっている周りの人を中心に見るのか、自分を中心に見るかの違い。人間は死に直面したときに、自我が壊れると道元禅師がいっているのです。エゴが壊れたら、何が見えるか。仏教というのは、そういうようなことを通して、人間がどうやってエゴから開放されていくのか。本当に自由な知恵になっていくのかということが、理屈で勉強することよりも、人生の事実の中で学ぶことができるわけです。<br /><br />　また、わたしは、ここ２０年ぐらい、日本にもデスエデュケーションを広げようという運動をやっているんだけど、なかなか広がらないんです。死から学ぶ教育といったらいいでしょうかね。<br /><br />　別れの手紙。これは、あなたが死ぬ立場になった。ついては、病名を自分で決めなさい。そして余命、あと三カ月とか決めます。病名は、多くの場合、ガンとか白血病とか、そういうのを自分で決めます。それで、大切な人を一人だけ選んで、別れの手紙を書きましょうと、こういう授業を、もう三千人以上やっています。<br /><br />　ある女子学生、お母さんに手紙を書くんです。「お母さん、お医者さんに呼ばれて、わたしの病気はこうこう、だけど、わたしは自分が死ぬのは怖くないから、心配しないでほしい。だけど、わたしがこの年で、学校まで入れてもらいながら、何もしないで先に死ななきゃならないということが、いいことだとはどうしても思えない。なぜならば、自分は親を見送っていかなきゃならない立場なのに、やってないし、第一、わたしはやりたいことがあった」といって、それからやりたいことを延々と書くんです、わら半紙一枚で、横に罫が引いてある。これに、十何行って。恋愛から始まって、部活からテニスのことやら、もうあらゆることを延々と書いていくんです。書いていくうちに、でも、今となって考えてみたら、こういうことは大したことないような気がします。それはなぜかというと、だって、自分で、白血病、余命三カ月なんて書いてみて、それでもって、あれもしたい、これもしたい、恋愛から子育てからずうっと書いていくうちに、無意味だってことが分かったわけです。そうすると、残り時間三カ月しかなかったら、何をすべきかっていうのが、書いていくうちに分かってくるわけです。こういうことはもうどうでもいいことだということに変わっていく。自分で発見していく。<br /><br />
<h4>五つの自我</h4>　こういう研究をしているときに、わたしが直腸から出血をしまして、気づいて、五つの自我という名前をつけました。人間は死に直面したとき、五つの側面で混乱する。ところが、その混乱、症状の分野には、必ず解消の分野があるというのが、わたしの発見です。<br /><br />　（１）まず最初は、<b>生理的自我</b>と名前をつけました。体から来る自我の混乱という意味です。苦痛への恐怖、「ガンだ」なんていわれると、きっと苦しむだろうと。ところが、苦痛に対しては、ペインクリニック、鎮痛医療というものがあって、有名なのは、このすぐそばに順天堂医院ってあるでしょう？　外来で鎮痛、痛み外来というのをやっております。日本は、ずうっとＷＨＯの勧告を無視して、麻酔科医を育ててこなかった。鎮痛を無視してきた。日本人は、鎮痛、モルヒネをやると人間はだめになる、そういう観念からいっている。そうじゃなくて、クオリティ・オブ・ライフ。痛みをとめなきゃいけないというのが世界の潮流で、ようやく厚生労働省が腰を上げ始めたんです。鎮痛医療というものは、あるということを知るだけで、恐怖からかなり開放されます。この苦痛への恐怖に対して解消の分野はあるということです。知識や情報を知ったら、平常心を取り戻す、落ち着くんです。<br /><br />　仏教の大事な点は、智慧の宗教ですから、智慧を取り戻す。智慧を取り戻すためには、平常心でなきゃいけない。さらに恐怖心を解消するためには、愛が必要ですね。それによって、知性、智慧というものが自立する。<br /><br />　次は身体機能を失う恐怖。胃をとられる、あるいは直腸がなくなる、抗ガン剤で髪の毛が抜ける恐怖。それに対し解消の分野は目的意識です。今、自分はそれに対応して手術しなきゃだめなんだという目的意識を持てば、われわれは、耐えられるんです。自分のメンツにこだわっている人は、手遅れになるんです。<br /><br />　もう一つ大事なことは、喪失体験に照らす。家族に死なれたり、試験に失敗したり、失恋をしたり、退職したことがあるとか、という失う体験のある人は耐えられる。一度も挫折したことがない人間が一番だめだっていうのは、慶応大学の小此木啓吾先生の有名な『対象喪失』っていう本に出てくるんですね。だから、高校受験も、大学受験も、就職も、とんとん拍子で、一度も挫折したことがない人が、ある日突然、「奥さん、ガンです」なんていわれたら、ご主人、病院に来なくなっちゃうなんていうのは、出てくるねえ、テレビのサスペンスに。あれは、挫折経験のない人が、対応策ないんです、頭の中に。<br /><br />　その次は、体に痛みやだるさが出てくると、もう死ぬんじゃないかって、ほとんどの方がそういう体験、一回や二回、持っていると思います。ところが、病名がはっきりすると、けろっとするんですよね。正しい知識を持つと、知恵を回復するってことです。だから、知性の回復。反対に、知性を回復できない場合、どうかというと、慢性病。あっちの医者と、こっちの医者がいうことが違う。いくら医者のいうとおりに薬を飲んでも治らないというと、どういうとこへ出るかというと、民間医学、霊感商法。あいまいな病気のときに、人は迷うんです。だから、知性の維持ってことが、非常に大事なんです。知性の維持は、家族の協力や、自分の考える力や、情報によって維持できます。<br /><br />　（２）<b>社会的自我</b>、仕事と経済と家族の問題です。仕事を失う恐怖、経済を失う恐怖。<br /><br />　そこで、人生の意味の回復、つまりゼロからの発想というのは、おかげさまということです。おかげさまと思ったら、そこで百万使うこと、可能なんですよ。ですから、ゼロからの発想、おかげさまがないと、これはとても対応できない。<br /><br />　それから、家族。家族は孤独の問題。患者は、自分の気持ちが混乱してて、言葉にならない。患者自身が苦しんでるのに、全然それを推測してくれないようなことでは、患者は苦しんで死ぬしかないんです。娘も学校で部活やらないで、すぐ帰ってきて手伝うとか、そういうことをしてくれると、患者はすごく安心する。その役割によって、相手のことを慮んばかって、問題を解消していけます。<br /><br />　借金、引っ越し、裁判、人事異動。この四つは、死ぬに死ねないそうです。だから、死にそうな患者でこの四つがあったら、すぐに解決するか、先送りにしなさい。そうしないと、患者が自分の病気に純粋になれないと医者はいうんです。<br /><br />　在宅医療をすすめる会というのがあって、市民法話で話をしてくれというので行きまして、話をして、終わりましたら、反省会をやるっていうんですよ。乾杯が終わりましたら、相当な年配の老人が立ち上がって、わたしは、今年八十になりますけども、家内が六年間寝たきりで、わたしが看護して数年前に見送りました。この家内が、息を引き取る三時間ほど前に突然、「あんた、愛してる？」っていったんですって。「それはね、ほれた、はれたじゃなくて、結婚して良かったか？　という意味じゃないんでしょうか」っていったら、女性たちが「そうだ、そうだ」。「ところで、おじさん、どうしたのよ」。「いや、僕はもう本当に困って、それで、小一時間考えた」って。それでやっと腹が決まって、家内の枕元へ行って、「わし、おまえと一緒になれて良かったよ」っていったら、もう声が出ませんでした。口をもぐもぐするのが精いっぱいで、それから一時間ちょっとして息を引き取りましたと。ある女性が、「おじさん、間に合って良かったね」。<br /><br />　シェイクスピアがいうとおり、終わりよければすべて良し。人生の苦労もみんな、良かったになるわけですよ。「人生ありがとう、良かった」といって死ねたら、あの世も良かったになるんです。ありがとうといって死ねること、これが最大の人生修行でしょうね。<br /><br />　「お墓の前で泣かないでください、そこにわたしは居ませんって。」ということは、あなたが呼んでくれたら、いつでもそこに居ますよ。すばらしい詩なんですよ。「千の風になって大空を吹き渡っています」っていうのは。<br /><br />　わたしたちは、死後良かったといえるようにすること、それが残されたものにとっても、死にゆくものにとっても、人生の清算、けじめのつけかた。それがいえないで死んだら、どうなるか知ってますか。化けて出るんです。だから化けて出ないようにね。が、愛する家族が死んだばっかりのときは、おばけでも会いたいですよ。<br /><br />　（３）<b>生命的自我</b>というのは、自分が断絶する恐怖です。その断絶する恐怖が、死後とか、それから未知への恐怖という形と連動するんです。それで、地獄観念なんかをつくります。断絶という言葉がキーワードです。断絶感を超えるのは、連続感です。だから、あの世に連続感があったら、わたしたちは、死ぬのは怖くなくなるんです。その代表が、ホスピス関係の医者のいうのが、倶会一処という墓。関西は多いんですけどね。倶に一処で会いましょう。一処というのは、阿弥陀様のハスのうてな。つまり、阿弥陀様のお浄土のところで待ってるからねって。時間の約束はないけれどということなんです。ということは、死後と悟りがだぶってるんです。自分の死んだ後と阿弥陀様の悟りと愛する亡き人の居場所とが、だぶっているところが魅力なんです。ヨーロッパやアメリカの人たちも、ガン関係の人も、日本にはこういう墓があるって、知ってるんです。すばらしいんです。自分が死んだ後は、連続感。しかも、そこにはともにですから、親父もおふくろも友達も居る。特に連続感を象徴する非常に大事なお墓として有名なんです。<br /><br />　死の恐怖とは断絶感の恐怖。それを乗り越えるのは、連続感を回復すること。だから、医者にいわせると、墓参りしたら、連続感が回復する。懐かしい人があの世に居たら、あの世は怖くないんです。ところが、それを忘れてるから断絶感になって、死ぬというと恐怖になるんですね。ですから、ハードルをずうっと下げる。連続感があったら、ハードルが下がる。だから、わたしたちは墓参りすると。末期患者が墓参りすると、人間が変わるというんです。<br /><br />　（４）<b>哲学的自我</b>というのは、人は死ぬという原理原則、ところが、みんな、人ごとです。人ごとのことを、三人称の死というんです。家族の死は、二人称の死、自分の死は、一人称の死というんです。原理は人ごと。ところが、その原理が突然自分のことになる。あるお寺にお説教に行ったら、住職が、膀胱ガンでとっちゃった。「最初のときの気持ちはどうですか」って。「ああ、おれの人生、終わったと思ったね」というんですよ。今はストーマというビニール袋つけていますけどね。それが自分のことになると、物すごいショックです。<br /><br />　わたしたちは、自分の命の生まれてくるのも、生きてるのも、死ぬのも、不条理。人間のご都合に関係ない。それが仏教の基本的な視点で、仏教もキリスト教も、そういうのを神の御心、ご縁と言うんです。だって、皆さん、自分で計算して、自分で計画どおりに生まれてきた人居たら、手を挙げてほしい。気がついたら人間だったんですよ。あるものは、生まれてきて気がついたら、ゴキブリだったんですよ。誰も選べない。不条理でしょう。無条件でしょう。死ぬのも不条理であり、無条件。これが仏教でいうご縁ということの一番基本です。キリスト教では、神の愛、神の摂理ともいいます。同じことです。<br /><br />　そして、自分を問われる。おまえの人生、どうだったんだ。自分の人生にけじめをつけなきゃと思ったときに出てきたのは結婚。わたしは東京に弟子にきて、結婚して、ずうっと研究員で十数年。夫婦で食事に行ったなんてこともなかった。それが、自分が死ぬ立場になったときに、けじめつけようと思って、夫婦らしいことをしてないことに気がついたとき、ものすごくこわくなったのです。それで、友達の医者のとこへ電話したんです。そうしたら、医者に即座にいわれた。人間は、夫婦に後悔がなかったら、死を受け入れられます。これはショックでしたね。夫婦に後悔っていうのは、要するに、一番重大なのは、やっぱり夫婦なんですね。そこに負い目があったら、死ねない。こういわれましたね。まさにそうだった。そのときに、自分を問われる。おまえの人生、どうだったんだと、つきつけられる。これが恐ろしいということが分かった。<br /><br />　それから、体と心が一致しないために、考える力が混乱する。体が衰弱してくる、痛みが出る、だるさが出る。ところが、だんだん衰弱してくると、頭のほうもおとろえてくるから、いらいらして、怒りっぽくなって、看護人は疲れてるからますます怒りっぽくなって、夫婦げんかになるんですよ。だから、体の事実と心がうまく一致しないと、考える力が衰えて、それで、結局人生の最後をだめにしちゃうことがある。だから、考える力を維持するというのはとても難しい。それが大事なんです。<br /><br />　（５）それから、<b>宗教的自我</b>というのは、奇跡の期待。これはもう、ほとんどの人がやります。キューブラ・ロスという人が、取り引きといってます。病気治してくれたら、鳥居を寄付するなんてね。神様、仏様と取り引きする。ほとんど患者がやるそうです。それから、罪や罰の恐怖。それは、自分の負い目。人にいわない、女房にもいわない、亭主にいわないような恥ずかしかったこと、嫌なこと、あるでしょう。そういうものは自分の心の中で。<br /><br />　ある大学の先生が、報告を書いている。初老の女性がガンの末期で、それで、話を聞いてあげるボランティア、第一回目の対応のときに、「わたしはもう何もできない。だから死にたい。宗教嫌い」。現在にとらわれている。現状にとらわれている。それで頭がいっぱいだから、何もできないと死にたい。人さまの世話になりたくない、なれないという状況。この人は、過去とか未来を、見えなくなっている。だから、過去と未来を思い考えるきっかけをつくらせたらどうか。第二回目に行きました。そうしましたら、母さんという言葉が出た。そこで、ボランティアは「母さんってどういう人？」と質問をするんです。お料理の上手な人だったって思い出話をたくさん聞いてあげる。<br /><br />　それで、第三回目のボランティアに行ったときに、「わたし、水子が居るのよ。南無阿弥陀仏っていうんですかね」。つまり、人の世話になりたくない。人の世話になれない運命の人だったんですよね。突っ張って生きている。それが、母さんを思い出すことによって、いろいろおかげ、人のおかげ、そういうように柔らかくなって、そのふたがとれた。だから、南無阿弥陀仏っていうんです。つまり謝罪をしているんです。第三者に向かって。死に直面したときに、起こってくるんですよ。それを評価して、それを宗教的にこの人が清算をして死んでいく、そういう準備が可能なんだということが、ここで分かるわけです。<br /><br />
<h4>痛みに共感する徳</h4>　患者や何かの痛みに共感する徳を、四無量心とお釈迦さんはいいました。慈悲喜捨。<br />ともに喜ぶ心、ともに泣く心、喜びの心、許しの心。人を許す、運命を許す。<br /><br />　これが、行動になると四摂法というものになります。これもお釈迦さんのいっていることです。四摂法というのは、布施。自分の持ってるものを人のために役立てることです。愛語、それから利行。人を助ける行い。同事。行動を相手に合わせるということで、医者が患者の立場になる、役人が市民の立場になる、先生が生徒の立場になる、親が子の立場になるというふうに、弱者の立場に合わせながら、専門家は導かなきゃいけない。非常に現代的な問題なんです。<br /><br />
<h4>仏教の宇宙観、死生観</h4>
<h5>仏教の宇宙観・死生観<br />（知恵による死の相対化。そこで修行する）</h5>
<table>
<tbody>
<tr>
<th>Ａ.真理</th>
<th>Ｂ.悟りの立場</th>
<th>Ｃ.迷いの立場<br />（問題発生）</th></tr>
<tr>
<td>a.縁起<br />（存在は条件の調和）</td>
<td>1.智恵<br />（aとｲを悟る）</td>
<td>ｲ.妄縁起<br />（自我に汚れて縁起）</td></tr>
<tr>
<td>b.無常<br />（条件に因って変化）</td>
<td>2.無常を悟る</td>
<td>ﾛ.常<br />（変わらないという錯覚）</td></tr>
<tr>
<td>c.無我<br />（自分の都合でない）</td>
<td>3.無我になる</td>
<td>ﾊ.我<br />（自我ありと錯覚）</td></tr>
<tr>
<td>d.無為<br />（人間的目的でない）</td>
<td>4.無為になる</td>
<td>ﾆ.有無<br />（損得でしか行動しない）</td></tr>
<tr>
<td>e.如実<br />（現実はあるが侭）</td>
<td>5.如実知見</td>
<td>ﾎ.苦<br />（現実と意志と逆らう）</td></tr>
<tr>
<td>f.真如<br />（存在の真理は仏の命）</td>
<td>6.解脱する</td>
<td>ﾍ..輪廻<br />（苦と愚かさを繰り返す）</td></tr>
<tr>
<td>g.空<br />（こだわり様がない）</td>
<td>7.空になる</td>
<td>ﾄ.こだわり</td></tr>
<tr>
<th colspan="3">仏教の死生観</th></tr>
<tr>
<td>h.真理としての生死<br />（生死即涅槃）</td>
<td>8.悟りとしての生死<br />（生死異類）</td>
<td>ﾁ.迷いとしての生死<br />（分断生死）</td></tr>
<tr>
<td>i.無条件な生死</td>
<td>9.無条件な愛・信頼の支え</td>
<td>ﾘ.納得できない生死</td></tr>
<tr>
<td>j.仏の命・自然の摂理の命</td>
<td>10.人事を尽くして天命を待つ</td>
<td>ﾇ.人間の悪意のある生死</td></tr>
<tr>
<td>k.正しい生死</td>
<td>11.運命を許す</td>
<td>ﾙ.許せない生き死に</td></tr>
<tr>
<td>l.尊厳としての生死</td>
<td>12.患者を大切に</td>
<td>ｦ.尊厳を傷つけられた生き死に</td></tr></tbody></table><br />　そこで、仏教の宇宙観、死生観を簡単にいうと、まず左の、真理と書いてあるところ。縁起。太陽系も、銀河系も、地球も、皆さんの命も、心の動きも、ヒステリーを起こすのも、好きになるのも、嫌いになるのも、条件の調和。そして無常。どんどん変わる。皆さんの肉体だって変わるし、夫婦の気持ちだって、ずいぶん変わったろうしね。本当に会社だって、どんどん変わる。最近、サブプライムローンで損失が出て、わたしの知り合いの会社も幾つかね。法律だって、どんどん変わる。無常ですよ。<br /><br />　それから無我。実体なんかない。固定的でない。そういうのを空という。こだわりようがない、こだわることができないという心理。だから、自由に変わるということは、わたしの主体性によって変わるという意味でもあります。<br /><br />　そうすると、生き死に問題は、Ａ、真理としての生き死に。つまり、命も、病気になるのも、さまざまなこの生き死に、人生は、全部これ、縁起、無常、無我という真理をわたしのこの体という形でやっている。はげるのも、白髪になるのも、目が悪くなるのも、耳が遠くなるのも、メタボになるのも、わたしたちの命は、この縁起をやっている。<br /><br />　そして、Ｃ、迷いの立場。現実は、妄縁起。エゴに汚れて縁起してるんですよ。コンプレックスとか、欲望とか、それが、条件がある。条件が集まって、夫婦になって、それで生まれた子どもは、こんなできの悪いせがれなんてね。かと思うと、せがれのほうは、こんなできの悪い飲んだくれた親父なんてね。汚れた縁起でございましてね。感謝になれば、汚れでないんですけどね。憎しみになったら、汚れた縁起になっちゃう。縁起というのは、条件の集合ですから。<br /><br />　そして、そこから常、変わらないという錯覚。結婚したら夫婦は変わらないと、男は大体、そう錯覚するそうです。結婚したら、夫婦は変わらない。奥さんはすぐ気がつくそうです、この亭主、だめかしらって。だから、常という錯覚。健康は変わらない、課長や部長のいすが変わらない、みんな変わらないという錯覚を持つ、それが常。そして、それは自分を中心に見てるから、自我なんです、自分のものさしが変わらないと思ってるから。<br /><br />　ところが、有為。有為は損得でなきゃ、行動しない。その結果、苦。苦とは、意思にさからう。自分の思ってることと、自分の髪の毛が食い違うから、白髪になって苦しむ。老いるショック。苦しみというのは、意思に逆らう。髪の毛が意思にさからうわけですね。<br /><br />　そうすると、迷いとしての生き死に。わたしたちは、自分のこの生き死にを苦しみにしちゃって、こんなはずじゃなかったとか、何だかんだやっているわけですよ。ところが、Ｂ、悟りの立場を見ると、わたしたちは、妄縁起で苦しむ、夫婦喧嘩したり、そうやって苦しんだり、あるいは、自分の定年退職なんかで苦しんで、気づくわけですよ、縁起に。つまり、Ａ、Ｃの両方の働きかけがあって、[1]の知恵になるんです。これではいけないとか、じゃあ、仏教でも勉強してみようか、教会に聖書の勉強会にでも行ってみようか、山にでも登ろうか。<br /><br />　「でも」、はとても大事なことなんです。「でも」といったとき、山へ登ったり、映画見たり、音楽でもきいたらいいのに、忙しい中、電車まで使って、何で仏教の勉強に来るの？　仏教「でも」と思った。それは、もう共鳴したってことでしょう？　自分の中にある何かと共鳴したから、仏教を勉強に来た。だから、「でも」といったとき、皆さんはもう、本物が動いているという意味なんです。<br /><br />　そして、無常を悟る。無我になる、自己主張がやめられる。無為になる。損得でなく行動できる。如実知見ができる。そうすると、解脱、心が自由になる、束縛から自由になる。で、空になって、悟りとしての生き死に。つまり、この現実の、病気になったり、さまざまなことが起こるこの生き死にを、悟りを実現する場所、人生修行の場所にすることができるというのが、仏教の大事な点です。悟りという一つの状態があるんじゃありません。悟りは修行する場所で働くのです。そう考えると、人それぞれ、ガンになったら、ガンというところで修行ができるじゃないですか。子どもを苦しめないようにしよう。女房を苦しめないようにしよう。さまざまな修行ができるでしょう？　これが、Ｂの悟りの立場としての生き死に、こういうことになります。これで仏教の基本的なものは、みんな入ってしまいます。<br /><br />　<b>「大聖は生死を心に任す、生死を身に任す、生死を道に任す、生死を生死にまかす」</b>、道元禅師の言葉ですが、大聖ってお釈迦さんです。お釈迦さんは、生き死にを空の心に任せる。生き死にそのものを、仏教的生き方、仏教的人生修行に任せるんだ。任せるっていうのは、すごい大変なことですよ、決断がいりますから。それが人生修行の場所だって、こういうことなのです。<br /><br />
<div align="center">＝　終わり　＝ </div>]]>
        
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    <title>仏教概論(第21期スクーリング講義録 [ダイジェスト版])</title>
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    <id>tag:www.tibs.jp,2008:/myblog/lectures//3.46</id>

    <published>2008-06-20T10:04:00Z</published>
    <updated>2010-02-08T06:16:47Z</updated>

    <summary>　お釈迦様は一体何をわたしたちに残してくださったのかをもう一度考えながら、基礎的...</summary>
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        <name>管理者</name>
        
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        <category term="高橋堯英先生" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.tibs.jp/lectures/">
        <![CDATA[　お釈迦様は一体何をわたしたちに残してくださったのかをもう一度考えながら、基礎的なところを確認してみたいと思います。なお、中村元先生の『ゴータマ・ブッダ』の中で、これが釈尊の悟りであるという定説的なものは一切ないということが紹介されております。<br /><br /><h4>過去世をみる智慧</h4>　過去世をみる智慧がすなわちお釈迦様の悟りであると表現している資料もあるのです。<br /><br /><b>「こうして太陽がまだあるうちに、偉人な人は魔軍を打ら破り、衣の上に落ちかかる赤いサンゴの若枝のような菩提樹の若芽をもって供養されながら、夜の初め、初夜に過去の生涯を思い起こす智恵を得、中夜に天眼を清め、後夜に縁起に対する智恵を得られた。」</b><br /><br />　お釈迦様の過去世のことを知る智恵は宿命通。未来のことを予見する智恵は、天眼通。人生の苦の原因である煩悩をすべて取り除く智恵、漏尽通。世界のあらゆるものごとを聞く力が天耳通。自由に世界を変幻する力、神変通。他人の心を見通すことができる力、他心通。こういう六つの不可思議な力を悟りのプロセスで身につける、というようなことが、一部の資料で釈尊の悟りに関係して述べられています。<br /><br /><h4>四禅定と三明智</h4>　別な資料では、<br /><b>「われは実につとめ励み。欲望を離れ、不善の事柄を離れ、祖なる思慮あり、微細な思慮があり、遠離から生じた喜楽である初禅を成就していた。...定生喜楽の第二禅、「平静であり、念い有り、安楽に住まっている」第三禅、不苦不楽の第四禅」</b><br />という禅定の階梯で説かれる内容を通じて、釈尊が悟りを実現していったと述べています。<br /><br />　こういった禅定をマスターしていって、その結果として、まずその過去世の生涯を思い起こす智恵を得た。そして、第二の明智として天眼をもってもろもろの生存者の生死を知り、誤った見解を誤った見解と知り、正しい見解を正しい見解としてあるがままに知る。そういうふうなことができるようになって、もろもろの汚れを滅する智恵、漏尽智に心を向けて、最終的に一切が苦であると知り、第三の明智として、無明からわたしは解脱したという自覚を得た、と。<br /><br /><h4>釋尊の基本メッセージ</h4>　この他、釈尊の悟りは様々な形で説かれます。一〇人居れば一〇人、生活環境も違えば、その置かれている場所も違うわけで、その人々への心の救済策、対応策も、別個なものであるはずです。その対応策には違いがあっていいはず。その結果、これのみが真実（定説）というものを、原始仏教はつくらなかった。仏教にはドグマがなかった、と中村先生は指摘しています。<br /><br />　ですから、我々には、釈尊の残してくださった基本的な教えに則って実践しつづけ、自分自身の心の改革を続けていくということが重要なのです。<br /><br /><h4>三法印</h4>　すべては「無常」の理というものをしっかり見つめるということから始まります。<br /><br />　一切は無常である。一瞬一瞬、私たちの世界は変移している。私たちはほんとにこの大きな時間の流れの中に生きているのだから、その流れの中にある自分たちの一瞬一瞬をいかに充実させていけるのか、それが重要なんだということに行きつくのです。<br /><br />　人生は無常だ、限りあるものであるからといって、「人生、無常だ」といっていると、刹那的になり、もう何してもしようがない、というふうに思ってしまう。<br /><br />　そうじゃないのです。お釈迦様のメッセージは何かというと、無常だから常に時間を大切にして生きましょう。出来ることを出来るだけやっていこう。あとは次の生で、がんばれば良いのですから。なにせ輸廻転生が前提になっていますので。<br /><br />　釈尊が活躍した時代には、人は永遠に生まれ変わり死に変わりするものと考えられていました。その生まれ変わり死に変わりするサイクルから何とか飛び出すこと、超越することが本当の幸せである「解脱」だと考えられていました。中には道徳否定論者や唯物論者なんかもいたのですが、大方の人々はながい目で人生を見ながら解脱の実現のために修行したのです。今生に解脱できぬとも、今生である程度修行すれば、それがベースとなって次の生で必ずやもう少し自分を伸ばすことができる、というように、非常に前向きな考え方をして、「今の努力」というものを皆に呼びかけたのです。どんなに苦しい状態であっても、そこで努力することによって、それが次の生で報われる可能性がある以上は、今のこの生を充実させて生きる。今の生を充実させた結果として自分の死が訪れれば、それが、すなわち自分の死の評価につながっていく、というのです。「無常」の教えとは、どんどん流れていってしまう大きな時間の、流れの中の一瞬一瞬を充実させて、実りの多い人生にしていこう、ということです。<br /><br />　次に「無我」。私たちは、そういう大きな無常の流れの中にあるわけでありますから、その流れの中にあって、おれ(・・)を、あるいは、おれのもの(・・・・・)をとらえようとしても、私自身もその無常なる流れの中にあるし、私たちをめぐる環境がすべて無常なる流れの中にあるわけですから、おれ(・・)、おれのもの(・・・・・)を捉えることは出来ない。よしんば、おれ(・・)という気持ちをつくろうとしても、おれ(・・)自体がそこに存在し得ないことになる。すべての存在は、大きな流れの中にある。時間的、条件的な大きな流れの中にあるのです。<br /><br />　したがって、お釈迦様は「非我」の教えを特に主張されました。後の仏教では諸法無我をいい、人を人として成立させる人の核であるアートマンを否定するという見解を展開したのですが、釈尊は、まず「非我」の教えを説かれました。我執を排斥せよ、と。そういった大きな流れの中にあって、おれのもの(・・・・・)にしよう、これはおれのものだ(・・・・・・)と囲おうとしても、それらはすべて無常なるものだから囲いたくっても本質的に囲えないのだよ。そういう世界の中にわたしたちが生きていることをしっかり見極めて。その中で、「非我」、おれが、おれが、という気持をなんとか排斥していこうというのが「無我」の教えです。お釈迦様は、我執の排斥という「非我」の教えを徹底しよう、と説かれた。<br /><br />　次に「苦」の教えです。これはまさにそういう大きな流れの中にあるにもかかわらず、私たち何かを自分のものにしようという執着によって、本来自分のものにはすることができないものを自分のものにしようとして、常に求め続けている。そして、本質的に満たされることのない執着の悪循環の中に封じ込められている、というのです。<br /><br />　しっかりとこの現状を認識して、なんとか自分の心を解放すべく、我執からの解放を目指していかねばならない、という。それには、まずスタートポイントに立たねばならないのでから、まさに「苦」の自覚が必要なのです。<br /><br /><h4>縁 起</h4><b>「修行僧らよ。私がまだ悟りを開いていないでボーディサッタ、つまり仏となるべき人であったときに、心に念じてこのように思った。実にこの世間は艱難に陥っている。生まれ、老い、衰え、没し、再生する。しかし、この苦しみからの出離を知らないと。老死からの出離を知らない。実にいつになったらこの苦しみからの出離、老死からの出離を明らかに知り得るであろうか。何がある故に老死かあり、何によって老死があるのであろうか。そのとき、私には正しい注意と智恵とから現観、悟りが起こった。生かあるが故に老死かある。生に縁って老死がある。...」</b><br /><br />　要するに、その老死の原因は一体何であるのか考えていったら、私たちの心の中にある根源的無知、煩悩の塊である「無明」が、その根本原因であることにたどり着いた、というのです。その老死の根本原因である「無明」というものが止滅されれば、老死に象徴される私たちの苦しみは取り除くことができるのだ、というのです。<br /><br />　お釈迦様の活躍した世界というのは、現在のインドで行われているヒンドゥー教の世界のことです。そんな古代インドの社会では、「神がこの世界をつくった」というような世界の開闢説とか、宇宙の開闢思想というものが説かれていました。その中にあって、〈この世界は神がつくったのではない。すべては私たち人間が原因となり、様々な要因が関わり合ってこの世界をつくり出しているのだ〉という縁起説を主張することによって、高らかに、当時の定説を真っ向から否定したわけですから、画期的なことだった思います。<br /><br />　無明が老死を生起させていくというのを流転縁起といい、逆の無明の滅が老死の滅に導くというのを環滅縁起といいます。因果の関係の一つ一つを見ていくとそれぞれが相互依存の関係にある。原因があって、そしてそれが結果となり、結果がまた原因となって次のものをつくり出していく。その原因と結果がある時はある生起の条件となったりして、複雑に絡み合っている、というのが私たちの世界なのです。<br /><br />　「初転法輪」の後のエピソードとして、釈尊の弟子となった五比丘の一人、アッサジ（阿説示）さんが托鉢をしていた。そのアッサジさんが托鉢している姿を見たサーリプッタ（舎利弗）は、どきっとした、と律蔵に出てくるのです。なにしろ、一挙手一投足に隙がない。歩き方にしてもやっぱり素晴らしい。「この人、ただ者ではないな。誰の弟子だろう」と思って、彼が托鉢を終えるまで待って、そのアッサジさんにお聞きしたのですね、「あなたは誰のお弟子さんでしょうか。あなたのお師匠さんは何を教えてくださるのですか」と。「私の師匠は、沙門ゴータマです。世の中には必ず原因がある、原因が結果をもたらすのだという、この因果の律を教えているのだ」という答えを得たといいます。<br /><br />　いろんな原因、条件、結果というものが複雑に絡み合ったのがこの世界です。この縁起の教えというものを、しっかりと確認しておく必要があると思います。<br /><br /><h4>四 諦</h4>　お釈迦様は、苦行によって精神集中力とか忍耐力を身につけても、智恵の覚醒というものを自覚できなかった。そこで苦行を一時中断された。身を清め、スジャーターさんの乳粥を食べたとき、「あいつは堕落した」と言って釈尊に見切りをつけた五人の修行仲間がいた。彼らを訪ねていって、初めての説法（初転法輪）をしました。そこで説かれたのが四諦の教えとされています。<br /><br />　「苦聖諦（苦の聖なる真理）」。生老病死の四苦プラス、愛する人と別れる苦しみ（愛別離苦）、嫌な者と会わねばならない苦しみ（怨憎会苦）、求めても得ることができない苦しみ（求不得苦）、この世を構成する五つの要素（五蘊）によってつくられたものは苦しみである、ということ（五取蘊苦又は五蘊盛苦）。この四苦八苦に象徴される苦なる人間存在の姿をしっかり認識しようというのが苦聖諦です。<br /><br />　それから、「集聖諦（苦の原因の聖なる真理）」。苦には必ず原因がある。煩悩のおおもととなる根源的な無知がそれだ。それが原因となってすべての苦が生起している。だから、このことをしっかり見極めましょう。その苦の原因が取り除かれたときに、ほんとの幸せであるニルヴァーナが訪れるというのが苦滅聖諦（苦の滅の聖なる真理）です。そして、その実現のための方法論が苦滅道聖諦（苦の滅に至る道という聖なる真理）で、具体的にどうしたらその苦の滅に到達出来るかを述べたものが八正道であります。<br /><br /><h4>八正道</h4>　まず「苦」の現状をしっかりと認識して、その原因を考え、その原因が取り除かれ快癒した姿を想定し、それに向かって一定の方法論で取り組む、というシステムがここで説かれています。この八正道、八つの内容をしっかりと自分の中に確立していく、ということです。<br /><br />　相応部経典に、「私は昔の城に行く道を見つけた。その道は過去の仏たち、過去の聖人たちが歩んだ道なのだ。それが八正道である」という説明かあります。法句経の中にもこの八正道の実践こそが最も優れた修行法である、すべての道で最も優れた道である、真理を見る働きを清める苦しみをなくす方法であるとか、悪魔の束縛から開放させる道であると説かれています。<br /><br />　<b>正見。</b>正しい見解。無常、無我、苦という三法印とか縁起という教えの通りにちゃんと見ているか？私たちの普段の日常生活の中でのものの見方を、なんとか少しでも釈尊の教えに則ったものに近づけよう、という努力です。<br /><br />　<b>正思惟。</b>柔和で慈悲深くあり、清浄の心で思惟すること。在家者は自分の立場を正しく考えて思惟すること。<br /><br />　<b>正語。</b>言葉の抑制は必要ですね。偽り、悪口、両舌、中傷、綺語、無駄口をせず、誠実で他を愛し融和させる有益な言葉を語ること。<br /><br />　<b>正業。</b>正しい身体的行為ですね。殺生、盗み、邪淫を離れ、生命を愛護し、施与慈善を実践し、性道を守るなどのこと。<br /><br />　<b>正命。</b>正しい生活を、正しい職業によって正しく行うこと。睡眠、食事、業務、運動、休息について規則正しい生活をする。<br /><br />　<b>正精進。</b>正しい努力、原語には勇気という意味がありますが、正しい努力とは難しいものです。常に良いところを開発し、悪いところを極力抑える。自分を律し、自分の良いところをどんどん伸ばし、悪いところを削っていく、そんな努力を繰り返していくこと。<br /><br />　<b>正念。</b>正しい意識を持ち続け、理想、目的を常に忘れないこと。日常においてうっかりぼんやりしないこと。無常、無我、苦などを常に念頭に置いて忘れないこと。自分が何をしているかを意識的に常にやっていけば、その一瞬一瞬が非常に充実します。<br /><br />　<b>正定。</b>正しい心の制御。正しい精神統一である心の制御は、出家者には四禅定の完成であります。一般の在家者には、常に何かに精神を集中しながら心を制御することを心掛けるというようなこととされ、できないことではないと思います。<br /><br /><div class="imgCenter"><span><img src="http://www.tibs.jp/lectures/img/takahasi03_1.jpg" alt="熱心に聴講する受講生" height="233" width="415" /></span>熱心に聴講する受講生</div>
        
    
  
<br />　『初転法輪経』の最初の説明のとき、世の中には避けなきゃならないことがある。それは、苦行主義と快楽主義の両者なのだ。したがって、「中道」の実践というものが重要なのだ。あんまり弦を張りすぎるとプツンと切れてしまう。でも、弦を張らないと音は出ない。そこのところのあんばいが重要だっていうのです。<br /><br />　その「中道」に則った生き方が八正道の実践なのです。無意識のうちに自分ができるまで、このうちの一つでもなんでもいいから、自分の中に確立することができれば、他もまた、自分の中でできるようになっていく。習い性となるまではエンドレスのトレーニングが必要です。それを繰り返していく中で、何か自分の中に得るものがある。そして、必ずやそれがベースとなって更に自分を高めてくれるであろう、という考え方なのです。<br /><br /><h4>釈尊の遺言</h4>　『釈尊最後の旅』（『大般涅槃経』）の中で、ヴァイシャーリーで釈尊が大きな病にかかるという出来事が述べられています。侍者であったアーナンダ（阿難尊者）が、「お釈迦様、今まで語ってない秘密の教えをわたしたちに教えてください」とお願いをする。そうしたら、釈尊は、「今までちゃんとわたしの話を聞いていたのか？」と叱り、その後、わたしには教師の握り拳はない、という逸話を述べられるのです。<br /><br />　芸事でも免許皆伝になる前にいろんなステージがあって、その都度、試験を受けたり、お金を納めたりしなければならないですね。釈尊の時代には、最後の最後というところは、自分の後継者にしか伝えないというような風習があったのです。特にバラモンたちは、自分の後継者にしか、秘密の法は教えなかった。教えを一般に公開することはなかった。<br /><br />　それに対して、釈尊は、常に誰かれの差別なく、いろんな説教の中で、様々な形で自らが悟った「法」について説き、公開してきたが、その説いた内容というのは全部一緒なのだ。それに気づかなかったアーナンダに、「今まで教えた内容がすべてなのだ。わたしは、自分自身が仏教教団の長であるという意識で皆に接していたのではなく、一人の修行者として素直に自分の得たものを皆に伝えてきたのだ」と説かれた、といいます。そして、更に、「この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ」という教えを残された、といいます。<br /><br />　釈尊は、自分の肉体的な苦しみや病を克服し、さらに北へ北へと旅を続けられるのですが、途中、鍛冶屋のチュンダが布施した食事がもとで体調を更に崩し、結果的に亡くなられてしまう。その末期に、「もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく、修行を完成しなさい」という言葉を残し、般涅槃に入られたといわれます。<br /><br />　お釈迦様亡き後、我々は何をよりどころにしていったら良いのか？ひとつは、釈尊の残してくださった教えであります。それを自覚して実践していく。それと同時にその法の実践者である自分自身を信じてゆかなければならない、というのです。だから、自分で歩まねばならないのです。ここが大変重要だと思います。教えをよりどころとしながら、自分の、今の人生の中にいかにその教えを反映させていくか。釈尊の教えを学ぶには、しっかりと勉強もしなければなりませんし、しっかりとその意義を理解しなければならない。また、教えを自分が実践することによって、その教えが本当に意義あるものとなる、というのです。<br /><br />　そして最後に、「もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成しなさい」といって、教えを自分の人生にフィードバックさせながら、「無常」を生きるべく、一瞬一瞬を、そして毎日毎日を充実させて生きていきなさい、と仰っているのです。そして、これができる者は、まさに私の弟子である、とまで仰っているのです。<br /><br />　この教室にお集まりいただいた皆様は、この東京国際仏教塾でいろんな宗派の勉強をしながら、その行(・)と学(・)をバランスよく実践しながら、仏教を身につけようという熱意を持っていらっしゃる方たちですので、すぐに仏教は分かったなどと言わず、常に基本的なところを自分なりに見つめ直していただきたいと思います。<br /><br />　釈尊は、成道後、菩提樹とその他三本の樹の下で、一週間ずつ悟りの余韻を楽しまれたというエピソードが律蔵に述べられています。これは、釈尊が「悟り」という自身の直感的なひらめきの体験を言葉に置き換える作業をしていたと解釈されていますが、この一週間ずつの間に様々な出来事があり、それらに対する感想がそこに添えられています。その言葉には、「自我の抑制」「慢心の制御」と「他者に対する慈悲」という教えが見られます。私は、この中に釈尊の教えの重要ポイントがあると思っています。このことを最後に紹介し、皆さんにお考えいただこうと思った次第です。<br /><br /><div align="center">＝　終わり　＝ </div>]]>
        
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    <title>宗教概論(第21期スクーリング講義録 [ダイジェスト版])</title>
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    <published>2008-06-20T07:27:47Z</published>
    <updated>2010-02-08T07:07:50Z</updated>

    <summary>宗教とは何か　一口に宗教といいますけれども、古今東西さまざまな学者、宗教者、文学...</summary>
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        <category term="渡辺浩希先生" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.tibs.jp/lectures/">
        <![CDATA[<h4>宗教とは何か</h4>　一口に宗教といいますけれども、古今東西さまざまな学者、宗教者、文学者などがさまざまな定義をしてきており、百人いれば百の定義があるという状態が今日まで続いています。その中から、ここでは、岸本英夫先生の定義を挙げておきます。「宗教とは、人間生活の究極的な意味を明らかにし、人間の問題の究極的な解決にかかわると人々によって信じられている営みを中心とした文化現象である。ただし、宗教には、その営みとの関連において、神観念や神聖性を伴う場合が多い。」<br /><br />　皆さん、宗教あるいは仏教にたいする思いの度合いや既に勉強されている度合いもいろいろでしょうし、さまざまなご経験をご自身の人生の中で積み重ねてこられていると思いますが、そういうものを踏まえた上で、この定義を読んで何を思い、どう感じるでしょうか。何だか分かったようで分からないような、ここはちょっと違うんじゃないか等々、いろいろな思い、考えをお持ちかと思います。今のそのお気持ちやお考えを是非覚えておいてください。半年後、一年後、二年後にあらためてこの定義を見て、感じること、考えること、その差が皆さんの成長になる、仏道の修行の一齣になるんだろうと私は思っています。<br /><br />　この定義において核心となるのは、人間の問題を究極的に解決してくれる、それを求めていく営みということになります。それがどういうことかというのは、敢えてここでは申し上げません。皆さんで考えてください。答えのヒントは、この後に少しずつ、出てきます。<br /><br />　この定義の核心がそうだとして、それでは、よく比較されるといいますか並べて考え合わされることの多いものとして哲学というものがありますが、宗教と哲学はどこが違うのか、どこで線が引けるのか、結論から申しますと、引けません。そもそも宗教の定義が百人いれば百あるわけです。哲学という言葉もまた、哲学とは何ぞやといったときに、答えはあってないようなものではないでしょうか。その二つを比べて、どこで線が引けるのか、これは至難の業です。<br /><br />　必ずしも超越的な存在を語らない原始仏教を特に意識してか、あるヨーロッパの仏教学者は、「仏教は宗教ではなく哲学である」と言い切っています。仏教も時代を経てさまざまに展開をしていきます。日本では、鎌倉時代に法然、親鸞が出て、浄土宗系が形成されていく。そこでは「弥陀一仏」ということが強調されます。これは宗教改革で有名なルターの神と非常に似通っているという宗教学者もいて、そうなると、「仏教は哲学である」というふうに言い切るのもかなり難しくなろうかと思います。<br /><br />　聖なるもの、あるいは超越的なものを宗教といい、俗的なものを哲学という、一応こういう区別を設けることも可能かと思いますが、いずれにせよ、それぞれが微妙な問題を抱えています。<br /><br />　仏教には「無記」という教えがあります。ある弟子が、お釈迦様に向かって、「世界は有限か無限か」とか、「霊魂と身体は同一か別異か」などの質問を投げ掛けた。それに対してお釈迦様は、そういうことに関して問答することは無益であって、涅槃に導かないとして、回答しないことをもって回答とした。これはある意味、ものすごく深い教えだというふうに、私自身思います。例えば宗教とは何かとか、宗教と哲学の間に線は引けるのかといったような問題は、いったん棚上げにしておかないと、いつまでもそこに留まっていると、先へ進めなくなってしまう。今ここで、岸本英夫先生の定義を読んだ、哲学とはどう違うのかっていうような話を私から聞いた。今皆さんが感じ、思い、考えていることを覚えておいていただいて、カリキュラムが進んでいった先々において思い返してみて、当時の自分とどれだけ思いや考えが違ってきているか、あるいは違っていないかを自分で見つめ直す、そういうこともしていただければと思います。<br /><br /><h4>宗教の類型</h4>　世界宗教と民族宗教、あるいは一神教と多神教、さまざまな分類方法、類型論が宗教に関してもあります。ここでは宗教社会学の井門富二夫先生などが唱えられている類型論をお話ししたいと思います。<br /><br />（１）文化宗教　いわゆる文化的な枠組みとして存在している宗教をいいます。例えば初詣に行く、お盆になれば帰省をしてお墓参りに行く、日本人全体を見渡してみたときに、初詣に行くけれどもその神社にどんな神が祭られているか知らない。檀家として、あるいはその縁者として、さまざまな機会にお墓参りに行く、場合によってはそこでお坊さんの講話なり法話なりを聞く、でも、そのお寺のご本尊が何かは知らない、そのお寺の宗旨を知らない。もともとは宗教的な意味合いを持っていた儀礼行為ではありながら、その意味合いは希薄になって、慣習的なものとして残っている、年中行事的に人々が行う行動様式、これを文化宗教といいます。<br /><br />（２）制度宗教　日本の場合、端的にいえば、氏子制度、檀家制度、これが制度宗教です。地域であるとか、あるいは家族といったような、ある意味、制度に基づいて存在している宗教です。神社でいえば、氏子区域という地域と一体化している、檀家、 すなわち家族制度に支えられている寺院、そういう存在をいいます。<br /><br />　（３）組織宗教　これは、教祖を中心に新たに組織された宗教です。多くの場合、新宗教がこれにあたります。例えばジーザス・クライストが新しい教えを説き始めた、今でこそ世界で一番多くの信者を集めている宗教となり、いろいろな面で組織化されて制度宗教の側面も持って、さらに文化宗教の側面も持つ宗教になっていますけれども、当時のユダヤ世界においては、彼が率いた集団は新興宗教団体です。その当時は組織宗教でした。<br /><br />（４）個人宗教　宗教書、文学、あるいは芸術等によって個人の内心において営まれる宗教をいいます。教団、グループ的なもの、あるいはそれに類するものに束縛されるのは嫌だ。けれども、自分なりの人生観、世界観などなどというものは求めたい。自分一人、何か書物を読んだり、旅をしたり、芸術に打ち込んだり、そういうありようを個人宗教というふうにカテゴライズします。一人でやっていたものが何となく仲間ができてグループになって、そこに一人のカリスマが現われたりすると、途端に組織宗教に変貌したりもします。<br /><br />（５）会員宗教　教団に入るわけでもない、個人というわけでもない、例えばカルチャーセンターだとか、あるいはお寺さんなどが行う会員制の文化講座などです。いつでも参加したいときに参加できる、やめたいときにやめることができる、 そういうものをいいます。<br /><br /><h4>宗教的な行為とは</h4>　ある人が何らかの行為をしたときに、それが宗教的か否かを判断する基準についてお話をします。<br /><br />　例えばごみ拾いをする、植樹活動をする、さまざまな募金の類、あるいは災害の現場での救援活動、炊き出しなどもありますが、ごみ拾い一つをとっても、ある人は宗教云々とは全く関係なく、ボランティア活動として、あるいはエコロジー運動の一環としてごみ拾いをしているかもしれない。一方で神の国の実現の一環としてごみ拾いをしている人もいるかもしれない。<br /><br />　行動それ自体を一見するだけでは、その行為が宗教的か否かを判断するのは、実際なかなか難しいものがあります。宗教学的には、動機と結果、特に動機を重視して判断をするということになっています。動機あるいは目的意識、その行為をしている人が、内心、何を思ってその行為をしているか、それによってその行為が宗教的であるか否かを判断する。もう一つは結果です。ごみ拾いを続けていって、それが本当に神の国の実現になるのかどうかはさておき、どのような結果が附随しているかということが、宗教的か否かを判断する一つの基準になると考えます。<br /><br />　政教分離にかかわる裁判においていわれる目的効果基準というものも、これと似通った考えであろうかと思います。動機が目的、結果が効果というように、言葉は違っておりますが、基本的な考えかたは共通していると思います。<br /><br /><h4>日本人の宗教意識</h4>　ある社会集団において、そこに宗教の信者が何人いるか、信者数をカウントする、そのときの調査方法に大別して二通りのやりかたがあります。<br /><br />　一つは教団に聞く。「あなたのところ、信者さん、何人いるの」というふうに聞いていって、返ってきた答えを足し上げていく。教団に聞くというやりかたは、文化庁が毎年行っていて、その結果を冊子にして公表しております。これがとんでもない話になるんです。日本の人口が二〇〇八年、この四月一日の段階の推計値で、一億二千～三千万だったと思うのです。教団に対して「あなたのことろの信者さん、何人」と聞いて、返ってきた答えを足すと、二億を超えます。人口が一億数千万なのに宗教人口が二億を超えるのです。<br /><br />　もう一つは、個人に、その社会集団の構成メンバー一人一人に聞くやりかたです。インドなどのように国勢調査の際に信じている宗教を聞いてしまうような国もありますが、日本においてはサンプリング調査ということになると思います。「あなたは何か信仰を持っていますか」とか「何か宗教を信じていますか」というようなことを個人に聞く、「持っている」「信じている」という人が、統計数理研究所の数字では二十九％、読売新聞の調査では二十二・九％、「信じていない」「持っていない」という人がどちらも七割強、個人に聞くとこういう数字が出てきます。<br /><br />　どうして、教団に聞くと二億を超えちゃって、個人に聞くと二ないし三割なのか。<br /><br />　私の実家なぞもそうですが、お茶の間の同じ空間に仏壇もあり神棚もあり、朝はそれぞれお水をあげてお茶をあげてということをします。その時々に、お墓参りにも行きます、初詣にも行きます、七五三などでも神社へ行きます。さすがに私自身は知っていますが、宗旨を知らない、本尊を知らない、祭られている神を知らない、けれども年中行事的に、慣習の一つとしてやっているという家庭、人が、日本人のかなりを数を占めるというふうに思われます。<br /><br />　先程の類型でいえば制度宗教とか文化宗教ということにかかわってくるわけですけれども、いまだにかなり多くの日本人が氏子であり檀家であると思われます。だからこそ、文化庁の統計では神道系が一億、仏教系が一億になるわけです。<br /><br />　本来持っていた宗教的な意味合いが希薄になり、しかしお墓参りだとか初詣だとかという行事はこなす。お金も出す。それぞれ一人一人、その行為をしている個人の側では、信者としての意識は極めて低い。低くても、教団側からすれば、当然「うちの信者さん」ですよ。数えない理由はないということになります。これが、二億、二ないし三割という数字の説明になります。日本という国はそういう宗教的なありようを持っている、それを如実に教えてくれるのがこの二つの数字です。日本人の宗教的なありかたの一端を見事に説明する、どちらも貴重な数字であると思います。<br /><br /><div class="imgRight"><span><img src="http://www.tibs.jp/lectures/img/watanabe03_1.jpg" alt="熱心に聞き入る塾生の皆さん" width="280" height="217" /></span></div>
        
    
  
　本来持っていたはずの宗教的な意味合いだとかは希薄化し、なお、一つの行事として残っている、残っているばかりか結構盛大に行われたりもします。いってみれば、正月には初詣に行って、節分をやり、お盆にはお墓参りをして、クリスマスにはパーティーをやる。一人の人が、あるいは一つの家族が、ある意味無節操、ある意味寛容とでもいいましょうか、少なくとも世界の人々から見ると、かなり奇異に映ります。日本の宗教的な状況というのは、そういうものであるということは、知っておいていただきたいと思います。<br /><br />　先にお示しをした読売新聞の調査の際に、これは個人に聞く調査の一つですけれども、同時に他にもいろいろな質問をしていて、例えば「あなたはこれまでに神や仏にすがりたいと思ったことがありますか」と聞いています。「ある」が五十三・九％です。「何か宗教を信じているか」と聞かれると信じていない人が七十五・四％にもかかわらず、です。この調査に國學院大學の石井研士先生が、「兜町で株価が下がれば近くの神社に詣でる人が増えるなど、現世利益は都市文化でもしっかりと生き残った」というようなコメントを寄せられています。理性的に考えれば、神様の存在を信じていない、あるいは少なくともどんな神様が祭られているか知りもしない。けれども、特に何かあったときには、お参りせずにはいられない。これもまた、日本人の宗教意識、日本の宗教事情の一側面であろうと思います。<br /><br />　平安末期の歌人、西行という人の歌に次のような歌があります。「何事のおはしますをば知らねどもかたじけなさの涙こぼるる。」出家をしたお坊さんが、伊勢神宮を訪れて、この歌を詠みます。この神宮にいったいどのような神がおいでになるのかは知らない。何だ、平安の頃から日本人は知らずにお参りしているのかというのも一方でありつつ、参拝に行って有り難い気がして、涙がこぼれたというのです。一神教的な宗教観からすれば不思議なことではあるけれども、日本人らしいといえば日本人らしい、そういう事柄を示すお話の一つとしてご紹介しました。<br /><br />　また、ご存じの方、いらっしゃるでしょうか、『オーラの泉』というテレビ番組があります。少し前でいえば宜保愛子とか織田無道とか、いろいろな人の名前が出たり消えたりしていると思いますけれども、そういう番組が視聴率を取る、本を出せば売れる。スピリチュアリティという言葉で括ってよいかどうか、いずれにしろ、そういうものを求めている人が、今皆さんが住んでいるこの日本に結構たくさんいる、そういった現実が一方にあるということも、皆さんに知っておいていただきたいと思います。<br /><br /><h4>宗教は必要か</h4>　昔、宗教というものはいろいろな分野において指導的な役割を担っていました。教育であるとか、これは例えば寺子屋なんかをイメージしていただければよいかと思います、福祉であるとか、医療、芸術等々、日本に限らず世界的に大きな役割を担ってきていました。けれども、日本においても、近代化ということがなされ、法治国家的な仕組みがつくられていく中で、そういう国、地方自治体などの世俗の団体がそういうもの、それまで宗教が、あるいは宗教的な団体が担っていたものを自律的に行うようになる。また、近代化、合理化、都市化という社会の大きな流れの中で、いわゆる科学的な知見というものが広く、深く浸透していくようになる。当然、それまでの宗教的な世界観、宇宙観などは信頼を失っていく。宗教団体がそれまで持っていたような権威はなくなっていく。その活動の場もかなりの部分は奪い去られていく。そういう中で初詣だとかお墓参りだとか、もともと持っていた本来的な宗教的な意味合いを失いつつ、一つの習俗として残りはする。けれども、一方で神の存在等々などというのは、荒唐無稽なものとして見向きもされなくなる。まさにそういった科学の時代においては、世俗化していく社会においては、宗教は須らく消えていかざるをえないのではないかというような議論が、特に一九六〇年代ぐらいから世界的に行われるようになった。実際に、世界的な統計で、例えば教会に行く人が減る、聖職者のなり手が減るといったような顕著な傾向が統計的に確かめられるという状況があったわけです。<br /><br />　けれどもそういう中にあって、人間が人間であるからには、やはり何らかの人生観だとか世界観だとか、自らの社会における、あるいは宇宙におけるアイデンティティといったようなものを、どうも人間は求めるものらしい。人間というものがその人が拠って立つ究極的な価値観なりといったものを求める存在であって、それを求めるような営みを「宗教」というならば、宗教がなくなることはない。世俗化というのは教団としての宗教から個人の宗教への変化だという解釈も出てきます。そういう個人の内面的な宗教のありようをトーマス・ルックマンという学者は「見えない宗教」というふうに名づけました。<br /><br />　同じ一九六〇年代、あるいは七〇年代くらいから、例えばアメリカでは服装や音楽、政治意識や道徳が若者の間で大きく変化する。それに伴って、いわゆるカルトといわれるような新しい宗教グループが生まれる。インド系の宗教が欧米において非常にもてはやされたりするような現象も生まれてくる。キリスト教やユダヤ教の内部からもさまざまな新しい動きが出てくる。さらには原理主義、といえばイスラームを思い浮かべる方が多いとは思いますけれども、もともとキリスト教における動きの中から、この原理主義、ファンダメンタリズムという言葉は出てくるのですが、そういった動きも世界的に耳目を集めるようになってくる。つまり、一方で科学的な知見が広まっていって、社会が世俗化していく中で、宗教はある意味衰滅していくというふうに論じられていたにもかかわらず、それとは全く相反するような現象が多々見られるようになってきました。<br /><br />　例えばアメリカでは、公的な学校教育において、ダーウィンの進化論と少なくとも一緒に、神様が六日間で宇宙を創り、人間を創ったということを教えなきゃいけないということを熱烈に運動する人達がいて、そういう人達が大統領選挙にもものすごい影響力を及ぼす、そうやって運動している人を親に持つ高校生が「何を馬鹿なこといっているんだ」と冷たい目でその親を見るという状況も同時にあるわけですけれども、世界的にはそういう動きがあって、今日に至っている。フランスのある学者は、それを「宗教の復讐」というふうに表現しました。<br /><br />　また、先程日本人の宗教意識のところでお話ししたように、現世利益、あるいはスピリチュアリティというもの、やっぱりこれもなくならない。時に応じて増幅するという状況が、日本だけでなく、世界的にも見られたりするわけです。<br /><br />　一昔前には宗教をやるようになる理由、いわゆる入信動機として、貧・病・争ということがいわれました。貧困、病気、人間関係の争いというものは、ある意味直接的に現世利益的な側面もあるわけですけれども、科学的な知見であったり、あるいは公的な世俗的な機関などによって、場合によっては解決される面もあるわけですけれども、それ自体はなくなるものではない。そういうものの解決を望むのも人間であって、さらには何よりも、自らの価値観であるとか世界観なりといったものを追求する、そういう究極的な意味を求め、究極的な解決を求める営みというものは、どうもやまないだろうということはいえそうです。<br /><br />　私達一人一人がよりよく生きる、それこそがある意味究極的な意味を求め、究極的な解決を求めていくということと重なってくるのではないでしょうか。「八正道」などはまさにそういうものだと思いますが、私たち一人一人が人として今をよりよく生きていく、それこそが仏陀が語ろうとしたことではなかったかと思います。<br /><br /><h4>２１世紀の日本の仏教者へ</h4>　「一つの宗教しか知らない人は、いかなる宗教も知らない。」これは、宗教学の祖といわれるマックス・ミューラーの言葉です。皆さんは既に幾らかの程度なりとも仏教を選び取っていらっしゃると思われるわけですが、このグローバライゼーションといわれるような中で、私達自身、日本国内のことだけを考えていけばよいわけではありません。少子高齢化があって、その対策として大々的に移民を受け入れるというような話も、つい最近も出てきている。既に多くの人々が日本に住み着いて、彼ら独自の宗教活動をしてきています。お隣がロシア正教で、お向かいがムスリムで、筋向いが台湾仏教徒というところに住んでいる方も既にいらっしゃるかもしれない。益々そういう状況になっていく。９．１１のアメリカ同時多発テロを一つの契機として、それ以前からですけれども、宗教間対話ということも随分いわれています。既に仏教をある程度選び取っている皆さんではありますけれども、より広く、より深く、諸宗教を、あるいは諸々の宗教的な現象を見、考え、あるいはまたそういう人達と語り合いながら、自らの仏道を歩んでいって頂きたいと思います。<br /><br /><div align="center">＝　終わり　＝ </div>]]>
        
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    <title>大乗仏教論(第21期スクーリング講義録[ダイジェスト版])</title>
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    <published>2008-06-20T04:20:50Z</published>
    <updated>2010-02-08T06:13:15Z</updated>

    <summary>　大乗仏教が起こったのはなぜか。その特徴はどのようなものか。つまり、大乗仏教運動...</summary>
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        <![CDATA[　大乗仏教が起こったのはなぜか。その特徴はどのようなものか。つまり、大乗仏教運動の目的と特徴を中心にお話します。<br /><br /><h4>三蔵対照表</h4><div class="imgRight"><span><a href="http://www.tibs.jp/lectures/img/watanabe_s03_1.jpg" target="_blank"><img src="http://www.tibs.jp/lectures/assets_c/2010/02/watanabe_s03_1-thumb-180x268-132.jpg" alt="三蔵対照表" height="268" width="180" /></a></span>三蔵対照表<br />(クリックで拡大)</div>
　最初に<a href="http://www.tibs.jp/lectures/img/watanabe_s03_1.jpg" target="_blank">三蔵対照表</a>
  
をご覧ください。これは袴谷先生が書かれた本（『仏教入門』）に掲載されている聖典対照表です。これによって大乗仏教のよりどころになる聖典が一体どのようなものかが分かります。<br /><br />　左側に<b>パーリ三蔵</b>があります。パーリ三蔵というのは、パーリ語で書かれた経蔵、律蔵、そして論蔵。つまりブッダの説かれた教え（経蔵）、坊さんたちが教団の中で生きていくための法律（律蔵）、そして経蔵と律蔵の注釈（論蔵）です。<br /><br />　インドから始まって、インド周辺に広まった仏教は、現在、多くは南伝仏教というふうにいわれております。「パーリ」というのは「聖典語」という意味です。僧院の中ではこのパーリ語を読むわけです。日本人は、お寺の中では<b>漢訳</b>を上からずっと読誦しますね。この読み方は、実は中国人には分かりません。漢訳としては共通しますけれど、読み方は共通しません。けれどもパーリ三蔵のパーリ語の読み方は一つですから、非常に都合がいいわけです。<br /><br />　それから、右側の<b>チベット大蔵経</b>はチベット人だけが使っている聖典ではありません。ヒマラヤ周辺諸国のシッキムとか、ブータン、みんなこのチベット仏典が聖典として通用している国です。大きくいいますと、南に伝わった仏教というのはパーリ語。東アジアに伝わった仏教は、この漢訳を聖典とする国々。チベット仏典を聖典とする国々、それから、モンゴル人はチベット語大蔵経をさらに自分たちの言語に翻訳して、モンゴル語大蔵経をつくった。<br /><br />　このように世界には多種類の聖典がありますが、最初に<b>律蔵</b>の中身を見てみましょう。<br /><br />　初期仏教のインドでは坊さんたちは遊行をして定住はしていませんでしたが、だんだん定住生活をするようになります。その経緯について少し考えてみます。インドでは四季の移り変わりはとっても急です。特に乾季から雨季への移り変わりのとき、木にパーッと緑がいっせいに芽吹きます。急に、いきいきとした情景に変わるわけですが、そのような時期に、木や草の新芽、そして小さな虫を踏みつけて毎日托鉢するようなことはよくないと仏教以外から非難されたのです。それを契機として定住するようになった。それが、律蔵における入雨安居の?度の内容です。<br /><br />　次にカティナ衣といって安居終了後に修行者に与えられる衣があります。そして、その衣をどのように入手して着なければいけないのか。それから、雨安居の後のすごし方。つまり、僧院の中でどのような生活を実際に送るかということが律蔵の中に描かれているわけです。また日常の生活規範制定の因縁まで書いてあります。失敗談とか、変なことをした坊さんとかが必ず登場してきて、こういうひどいことをしてしまったから、こういう規則ができたのだという書き方なのです。生き生きとした姿がここに描かれているのです。<br /><br />　次に<b>経蔵</b>です。パーリ三蔵の経典というのは、五つの部門からなります。一番長い経典を長部といい、これは三十四経に限られているわけです。それから、中程度の長さが中部といいまして、これが百五十二経。そして、テーマ別に配列されたのが相応部で、これは二千八百七十四経。次は増支部で、これは法数ごとにまとめられた二千百九十八の経典からなります。インドは数字が好きなのです。<br /><br />　最後に、小部の十五経典。一番仏教で古いというふうに目されている経典です。例えば、法句経や経集。仏教ってこんなに香り高い言葉でやさしい内容なのかと、私たちを元気づけてくれます。例え話なんかを使いながらブッダの精神を伝えてくれるもので、一番読みやすいと思います。みんな歌ですから一個一個が短い。<br /><br />　漢訳というのはつまり、中国において翻訳されたわけですから大部分は大乗です。しかしそこにはパーリの五つの経典に相応するものがあります。その表では四阿含となっていますが、阿含というのはサンスクリット語で伝承という意味です。これらの経典は漢訳ではほんの一部分で、大部分は大乗の聖典なのです。<br /><br /><h4>大乗経典</h4>　私たちが身近に感じている大乗とはどのような教えなのでしょうか。私たちが知っている仏さまはどのようなものでしょうか。<br /><br />　例えば、大日如来ですと、大日経。阿弥陀如来だったら阿弥陀経とか、観無量寿経とかありますね。阿しゅく如来だったら阿しゅく仏国経がありますね。こういうものは、別に仏さんだけが一人歩きしているわけじゃなくて、その仏がどこにいて、どういうような教えを述べたかという経典が必ずあるわけです。つまり、それぞれの仏には、それぞれの経典が必ずある。そういうような経典というのは、全部大乗です。つまり、わたしたちの知っている仏というのは、シャカムニ仏以外は、すべて大乗の仏なのです。大乗の仏が登場した経典というのを私たち北伝の仏教徒はずっと崇拝してきたわけです。その数たるや膨大なものです。<br /><br />　それがどこに書いてあるかというと、この経蔵の下の欄、これは実は大乗の欄なのです。左側に対応するのは空白になっておりますね。つまり、南伝の人たちは大乗経典を読まないし、知らないのです。私たちは、その欠如した大乗のほうを盛んに読んだり、解釈したり、そこに説かれる諸仏・諸尊を崇拝しているわけです。<br /><br />　漢訳聖典の代表に「大正新脩大蔵経」というのがあります。大正から昭和にかけて、高楠順次郎先生と渡辺海旭先生が中心になって編さんしました。今、世界中の人たちがこの大正新脩大蔵経を使っています。大正新脩大蔵経は厚くて大きい。大体一冊が、千ページぐらいあるのです。<br /><br />　まず経蔵のところは第一巻と第二巻。これがパーリ語の聖典（経蔵）にあたります。それから第三巻から第四巻は本生物語とか仏伝です。経典部としては、般若経が最初に大乗の経典としてスタートします。般若部というのは大正蔵経では第五巻から第八巻までです。<br /><br />　法華、華厳、宝積というのは第九から第十二、そして涅槃も第十二、大集も第十三巻。こういうふうになっていまして、つまり、第五巻から第十七巻までが大乗経典なのです。密教は後期大乗といいまして、大乗経典と別にすることがあります。<br /><br />　チベット大蔵経の大乗教典は般若部が第八番から第四十三番、これも膨大なのですが、それから、華厳、宝積、経部と、さまざまな経典をここには入れ込んでいるのです。このように大乗経典は第八から第三百五十九の三百五十一の経典があります。密教は第三百六十から千百八番ほどもあるのです。<br /><br />　大乗仏教は紀元前後に起こりますが、続いて七世紀から八世紀にかけてインドは密教の時代になっていました。大日経とか金剛頂経というのが成立しているのです。これ以降、だんだん、密教はヒンドゥー教とあまり違いがなくなってきます。最初、仏教はバラモン教、後のヒンドゥー教に対する宗教として現れたわけですから、対するものがないと独自性というのは成り立ちません。こうして次第に仏教はインドの宗教の中に埋没していきますが、一方では密教として広まる。後期の大乗は次第に衰えてゆきますが、その間にインド僧が何度もチベットに行って、チベット王の助力を得て国立の大僧院をつくります。公務員としての坊さんを、教団をつくって養成します。こうしてチベットはインド直輸入の仏教ができてくるのです。その当時の仏教はかなり密教の影響も強かった。チベット仏教はそれまでの仏教を伝えながら、その当時の一番影響の強かった密教を取り入れた。そのためにチベット大蔵経にはタントラ部の経典がたくさんあるのです。<br />　インドの仏教はいったん、ヒンドゥー教の中に溶け込みます。現在、インドには、中部を中心にして仏教徒は結構いますけれども、それは、ネオ・ブディスト、新しい仏教徒です。伝統的な、それ以前の仏教はインドにはもう既にないのです。それ以前の仏教聖典はサンスクリットとかプラークリットで書かれていたのですが、その形態はすでに失われています。<br /><br />　生きた形でサンスクリットの大乗経典を唱えている国はただ一つだけあります。ネパールです。ここでは今でも大乗経典をサンスクリットで読んだり唱えたりしています。<br /><br />　一番下をご覧になってください。左側はパーリ聖典で左下に<b>蔵外文献</b>があります。まず、『ミリンダパンハ』。それからディーパというのはスリランカの島。そして、大小史などもパーリの歴史書です。第５番目にある清浄道論はパーリの勉強をしようという人たちが一番重要視するものです。<br /><br />　一方、同じ位置付けにあるのが漢訳で言うと中国撰述部。第三十三巻から第五十五巻。これは中国の人たちが書いた仏典。最後に、大正新脩大蔵経は日本人が編さんした大蔵経ですから日本撰述部が入っています。ほぼすべての日本の主要な仏典がここの中に所属しています。チベットの大蔵経は、チベット人が書いた聖典を持っている。これが右側のチベット撰述部。アティーシャとかツォンカパというチベットでもっとも有名な高僧の著作です。<br /><br />　このように私たちは同じ仏教といっても、非常に異なった聖典を持っている。これは聖典をつくってきた歴史の違いなのです。このように聖典を較べてみても大乗仏教の特色がおわかりになったでしょう。<br /><br /><h4>大乗仏教の特色</h4>　ところで<b>「大乗」</b>というのは大乗仏教徒がいい出した言葉です。それ以外の人たちは自分たちのことを「大乗」に対する「小乗」というような言い方は決してしません。パーリの聖典を持った人たちは、「上座部」という言い方をしています。長老部という意味です。<br /><br />　そして、「大乗」という言葉を始めて使った経典は般若経です。大乗という言い方は、マハラジャの「マハー」、立派なとか、大きなという意味ですが、これに「ヤーナ」ということばを合体させたもので、「ヤーナ」というのは乗り物です。乗り物は必ずどこかに連れて行きます。連れて行くところは最終的な目標、涅槃、悟りの世界。そこに連れて行くという意味です。<br /><br />　<b>「小乗」</b>はヒーナ・ヤーナといいます。「ヒーナ」というのは狭い。つまり、お前たちは狭いぞ、私たちは大きな乗り物だというような言い方ですね。<br /><br />　従来の修行者の階梯でいうと、修行者の階位は預流・一来・不還・阿羅漢という四つがあります。一番最初に<b>「預流」</b>というのがありますが、これは「流れに預かる」つまり、聖者の流れの入ったということなのです。修行上の聖者の第一段階です。悟りの流れの中に入っているわけですから、必ずや最終目的地に到達しますよという階定です。次に<b>一来</b>。これは一回だけ生死を繰り返し生まれ変わって悟る。第三の<b>不還</b>というのはこの世で亡くなったら、もう戻ってこない、そして悟りに至る。そして<b>阿羅漢</b>というのは聖者の最も優れた位置です。こういう聖者全体を声聞の修行階梯として位置付けたのです。それから、その上に独覚という"自分のみの悟りの聖者"というのを考えるようになりましたが、さらに大乗はそこに満足してはいけない。そこに結びつく小乗の教えによっては完全な悟りに到達することはできない。大乗の教えによってのみ、あらゆるものを知る知「一切知」を獲得し、完全な涅槃に至るということなのです。<br /><br /><h4>ブッダについての教理</h4>　こういうようなことを提示して、新しいブッダ観、新しい涅槃への道筋というのを考え出したわけです。当時の仏教には三つの約束がありました。<br /><br />　一、ブッダは<b>唯一</b>である。この世界にはこのとき一人のブッダしか現れません。釈迦牟尼仏の時代には、釈迦牟尼仏だけがこの世の中のブッダなのです。ブッダが同じ時代、同じ世界に複数存在することはないのだということです。<br /><br />　二番目、あるブッダと次のブッダ、つまり仏は複数登場しますけれども、今いったように<b>時期と場所</b>があるわけです。あるブッダと次のブッダの間にはブッダの存在しない時期があります。今がそうなのだというわけです。私たちの世界は、釈迦牟尼仏が登場してからブッダはずっとこの世界に現れません。そして、次に登場するブッダは弥勒だというふうにいわれてきたわけです。<br /><br />　それから三番目、ブッダは必ず<b>誓願</b>によってブッダになる。私たちがブッダになるためには、前世で、過去のブッダに出会って、その面前で誓いを立てる。私も将来ブッダになりたいという誓い。それを欲し、悟り、菩提を起こすと誓願したもののみがブッダになる。<br /><br />　この三つの基本的な原則は、かつて部派仏教の中で確立していたけれども、この原則による限り、わたしたちがブッダになることはなかなか困難です。ブッダになるためには、非常に気の遠くなるような修行の成果というのが必要です。だから、実際には阿羅漢を最終目的と考えていたわけです。これが小乗と言われるゆえんです。<br /><br /><h4>大乗仏教成立のための要素</h4>　大乗はどのように起こったのか。大乗仏教が成立するには三つの要素がある。<br /><br />　一、<b>仏塔信仰</b>が展開される。ブッダを崇拝する。そして、ブッダの遺骨を仏塔の形にして、そこで崇拝するという、舎利崇拝からの発展。そこでは、在家も出家と同じようにこの仏塔信仰をよりどころにして集まってきたという信仰の形態があった。<br /><br />　二、<b>仏伝文学の発達</b>。ブッダをたたえる経典をたくさん生んできたわけですが、それをジャータカといいます。長いこと、自己犠牲をするようなことをしながら、その成果としてブッダになったとか、菩薩になったとか。これは前世の行為によって現在があるのだというような考え方が当然含まれるわけです。<br /><br />　一つの世界には一仏しか登場しませんが、大乗では世界を多重に考えているのです。私たちの地球というのは太陽系の一つです。太陽系は同じように大きな銀河系の一つというふうになります。仏教の宇宙観もやがてそのようなはっきりとした多重世界になってくるのです。<br />　<br />　仏教では東西南北の四方とその中間（四緯）と上下を合わせて十方といいます。世界は非常に多重世界だ。私たちの世界以外にも、ブッダは居る。西方極楽浄土にいて、説法をしているのが阿弥陀如来、そして、東方には浄瑠璃世界があって、そこには薬師仏がいる。このように世界が複数ある。つまり、一仏世界から多仏世界へというのはこういうような宇宙観の発展というのがあった。<br /><br />　三、<b>菩薩思想</b>。これが一番大事なのです。釈迦牟尼仏の前の存在を菩薩といったのです。だからもともと菩薩はたった一人です。現在私たちは、大乗仏教の中で多くの仏を考えます。そうすると、仏の前の存在であるボーデイサットヴァ（菩提を求める人）、こういうような修行者を菩薩というようになりますと、悟りを求めて発心修行する人はみな菩薩といってもよいわけです。菩薩とはさまざまなブッダの前の存在ですから、ブッダの数と同じようにたくさんいるわけです。複数の世界があって、多くのブッダがいれば、当然、菩薩もたくさん。今、修行を行い、悟りの道を求める。菩薩は複数あってもいいことになる。やがて、その修行の成果は、いつかは実現される。こういうような考え方です。<br /><br />　菩薩思想の展開で、利他的な教理、「上求菩提・下化衆生」。上は悟り、発菩提心を起こす。自分は、菩薩、悟りになる資格を持つ、あるいはその能力を持つ、けれども、今、この世界で頑張ることによってブッダにはならない。そういうような、働きの方向を下化衆生、一緒に努力するというような考え方です。そして、すべての人が菩薩になれる可能性を持つのだというように、菩薩思想は展開していったわけです。<br /><br />　このように考えますと、今、お話ししたように、仏塔信仰の中で菩薩といわれる人たちは、在家も出家も区別する必要はない。そして仏伝文学の発達によって、過去の努力というのが重視される。それが現在をまた見直すきっかけになる。こうして今までにない修行の在り方を見直す運動というのが始まった。これが大乗の特徴なのです。これを発端として、さまざまな修行の在り方、悟りへのプログラムを多くの人たちが考えてきた。これが大乗仏教の発展する一つの起因になったのです。<br /><br /><div align="center">＝　終わり　＝ </div>]]>
        
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